(4月3日追記:文章の補充や参考文献の引用をしました)
「「靖国」今月封切り中止 上映予定館辞退 トラブル警戒
2008年03月31日23時10分
中国人監督が撮ったドキュメンタリー映画「靖国」をめぐり、公開日の4月12日からの上映を決めていた映画館5館すべてが、31日までに上映中止を決めた。すでに1館が3月中旬に中止を決めていたが、残り4館も追随したかたちだ。
いずれもトラブルや嫌がらせなどを警戒しての判断という。5月以降の上映をほぼ決めていた別の数館は、日程や上映の可否も含めて配給側と協議を続けている。
映画は4月12日から都内4館、大阪1館での上映が、配給・宣伝を担当するアルゴ・ピクチャーズと映画館側との間で決まっていた。
今回中止を決めた銀座シネパトス(東京都中央区)を経営するヒューマックスシネマによると、3月20日過ぎから街宣車などの抗議を受けたことなどから、27日にアルゴに「降りたい」と伝えた。「お客さんや近隣の店への迷惑もあり、自主的に判断した」という。
また、Q―AXシネマ(同渋谷区)も31日、「お客様に万が一のことがあってはならない」と判断。シネマート六本木(同港区)とシネマート心斎橋(大阪市中央区)を経営するエスピーオーも「他の映画館が中止すると、こちらに嫌がらせが来るのではないか」と、ひとまず中止にした。この3館については、これまで嫌がらせや抗議などはなかったという。
これより先に新宿バルト9(東京都新宿区)が中止を決め、15日にアルゴ側に申し入れていた。
この映画をめぐっては、公的助成金が出ていることを疑問視した自民党の稲田朋美衆院議員側が文化庁に問い合わせたのをきっかけに、国会議員向けの異例の試写会が3月12日に開かれた。」(朝日新聞平成20年4月1日付朝刊1面)
1.ことの発端は、一部週刊誌などが「反日映画」と批判し、公的な助成金が出ていることに疑問を投げかけ、それを受けて、自民党若手議員らでつくる「伝統と創造の会」の稲田朋美議員が文化庁に問い合わせたことでした。その後、文化庁を通じて同映画の試写を要求し、3月に異例の全国会議員向けの試写会が開かれることになってしまい、稲田朋美議員らは一層騒ぎ立てたのです。
その結果、右翼団体の街宣車が映画館へ妨害行為を始めたこともあり、映画館側は「トラブルや嫌がらせなどを警戒」したため、上映中止となりました。
「過去には92年に「ミンボーの女」の伊丹十三監督が暴力団員に襲われ、翌年、伊丹監督の「大病人」が上映中、右翼団体員にスクリーンを切り裂かれた。98年には「南京1937」のホールなどでの上映会が右翼の街宣活動で相次いで取りやめになった。00年には「バトル・ロワイアル」の暴力描写を、石井紘基衆院議員が問題視して国会で取り上げた。しかし映画館での公開が中止に追い込まれたのは極めて異例だ。」(毎日新聞平成20年4月2日付朝刊3面)
このように、映画内容によっては今までもトラブルは生じてきてはいたのですが、「映画館での公開が中止に追い込まれたのは極めて異例」なのです。この上映中止に追い込まれたのは、国会議員として稲田朋美衆院議員が公開前に映画を見せろなどと横槍を入れたことが発端なのですから、稲田朋美議員に何も責任がないとはいえないことは確かです。
「<映画「靖国 YASUKUNI」> 19年間日本に住む中国人の李監督が、終戦の日に靖国神社を訪れる参拝者や遺族、「靖国刀」を造る刀匠の姿などを10年間にわたって記録した日中合作のドキュメンタリー映画。釜山やベルリンなどの海外映画祭でも上映され、香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。」(東京新聞平成20年4月2日付朝刊15面)
(1) 「映画を見た人によれば、ナレーションもなく、その場の生の音声を拾い、淡々と『特別な一日』を中心に記録したものだった」(東京新聞平成20年4月2日付「社説」)というものです。軍服姿で参拝する団体や、「靖国支持」という看板を掲げる米国人、A級戦犯合祀(ごうし)に抗議する台湾人遺族らの姿も登場するのですが、それも「特別な一日」の出来事として不可欠なものです。
また、産経新聞の社説によると、映画の最後の部分で“旧日本軍の蛮行”として中国側が使っている写真が出ているために、政治的中立性を疑っているようです。しかし、2時間ほど(123分)もある上映時間の最後の部分段階で、問題とする写真数枚を使っただけなのですから、これで政治的中立性を疑うことはあまりにも神経質すぎるように感じます。
ですから、この映画を反日的な映画だとか、「侵略戦争の舞台装置としての靖国神社という描き方で政治的メッセージを感じた。ある種のイデオロギーをもった政治的に中立でないものを日本映画にして助成するにふさわしいか」(稲田朋美衆院議員)などと評価することは、あまりにも無理があり、歪んだ思考に基づく評価です。
稲田朋美衆院議員よりももっと一貫して右翼思想を主張している鈴木邦男さんは、むしろ、この映画を賞賛しているくらいです。
「あの衝撃の映画『靖国』が4月、ロードショー公開されます。銀座シネパトス、新宿バルト9などで。私もチラシに推薦文を載せました。
〈靖国神社を通し、〈日本〉を考える。「戦争と平和」を考える。何も知らなかった自分が恥ずかしい。厳しいが、愛がある。これは「愛日映画」だ!〉」(「鈴木邦男をぶっとばせ!」さんの「教基法・愛国心「国会」の再現だ!」(2008/02/18))
「終戦の日に靖国神社を訪れる参拝者や遺族、『靖国刀』を造る刀匠の姿などを10年間にわたって記録」したものなのですから、靖国神社の歴史資料としての価値もあるため、鈴木邦男さんが賞賛しなくても、貴重な映画といえるものでした。しかし、稲田朋美衆院議員が執拗に横槍を入れたために上映中止に追い込まれてしまいました。
(2) 元々、映画に対して中立的であるべきとか文句を付けること自体に問題がありました。
「映画監督・森達也さんの話
問題視した稲田朋美衆院議員が個人的に批判するのはまったく構わない。しかし、国政調査権を盾に映画を見せろと要求し「政治的イデオロギーを感じた」と言っていることには違和感がある。
映画は表現であり、すなわち思想だ。メッセージが偏ってはいけないとか中立であるべきだというのだろうか。根本的に映画が分かっていない。こんな低レベルな言辞に振り回された映画界は反論しないまま幕を下ろそうとしている。
腰の据わった映画館が動きだすことを期待するほかない。メディアの反応が冷えきっているのも問題だ。これほどの由々しき事態になぜもっと問題を提起しないのか。」(東京新聞平成20年4月2日付朝刊15面)
映画監督・森達也さんが述べるように、「映画は表現であり、すなわち思想だ。メッセージが偏ってはいけないとか中立であるべきだというのだろうか。(稲田朋美衆院議員は)根本的に映画が分かっていない。」ということなのだと思います。
稲田議員は、4月1日、共同通信の取材に対して、「『映画を見せてほしい』と文化庁に求めたが、『公開前に』とか『試写を開いて』などとは言ってない」と釈明しています。
しかし、公開前の「今」映画を見せろというのですから、「公開前」に見せろと求めていることと全く同じです。また、(文化庁を通じて)配給・宣伝会社が有する映画を、公開前に見るだけでなく、公開前に「フィルムの貸し出し」という物自体の引渡しを求めていたのですから、試写会の要求よりも一層、表現行為に対する圧力が強いものです。稲田議員の釈明は、かえって稲田議員の行為が悪質であったことを物語っているように思います。
もちろん、稲田議員らの横槍に配慮して、文化庁がフィルムの貸し出しや試写会を求めたこと自体も、公権力による表現行為への圧力であって妥当性に欠けている行為です。
3.報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成20年4月1日付朝刊34面(13版)
「「靖国」上映中止 「一番懸念した状況」 上映側萎縮に危機感
映画「靖国 YASUKUNI」が予定されていた12日には公開されなくなった。上映を決めていた5館すべてが中止を決断した。多くはトラブルを警戒しての先回りの自粛だが、実際に嫌がらせを受けた劇場もあった。関係者には、表現の場が奪われていくことへの懸念が広がる。
31日夕、東京都内で開かれたメディア向けの試写会の冒頭、配給・宣伝会社アルゴ・ピクチャーズの宣伝担当者は、12日からの上映中止を高等で発表した。そのうえで、「こういう結果になり、非常に残念。今後、ぜひみなさんに上映を応援していただければと思っている」と、集まった約50人に呼びかけた。都内の上映館はすべてなくなったため、上映してくれる劇場を今後探す、としている。
実際、すでに前売り券を発売している名古屋シネマテークは、5月中の上映に向けて日程調整中という。
一方、上映中止を決めた大阪・シネマート心斎橋の野村武寛支配人は「悔しい。素晴らしいドキュメンタリーなのでぜひ上映したかったが、シネマートグループ全体の判断として中止を決めた」と話した。
同日、日本映画監督協会(崔洋一理事長)は、「表現の自由を侵害する恐れのあるあらゆる行為に対し、断固として反対する」との声明を発表した。声明は「一部の国会議員が文化庁を通して特別に試写会を要求した行為及びその後の言動等に対し、強く抗議の意を表明する」と指摘している。
映画監督の立場として崔洋一さんは31日夜、取材に「一番懸念した状況になった。批判でも肯定でも、上映が保証される社会の規範が民主主義だ。映画館側が圧力や抗議をイメージして、上映を取りやめるのは、民主主義の根幹が崩れつつあるのではないかという危機感を抱く。作り手や上映側の萎縮(いしゅく)を恐れる」と語った。
ジャーナリストの大谷明宏さんは「嫌がらせで言論活動が次々と中止に追い込まれることは危険な兆候だ。映画館は理不尽なことに断固として闘って欲しい」と話した。
この作品を見たいという稲田議員側の要請を受けアルゴ側にフィルムの貸し出しを求めるなど、試写の実現へ向け当初仲介役を果たしたのは文化庁だった。同庁の清水明・芸術文化課長は「一般論で言えば、映画など芸術文化の発表の機会が、外部からの嫌がらせなどによって妨げられることがあってはならないと考えます」と話した。
◆「中止は残念」稲田議員
稲田朋美衆院議員は31日夜、「日本は表現の自由も政治活動の自由も守られている国。一部政治家が映画の内容を批判して上映をやめさせることは許されてはいけない。今回、私たちの勉強会は、公的な助成金が妥当かどうかの1点に絞って問題にしてきたので、上映中止という結果になるのは残念。私の考え方とは全然違う作品だが、力作で、私自身も引き込まれ最後まで見た」と話した。」
注目する点は、日本映画監督協会が、稲田衆院議員など自民党議員の言動に問題があったとして、抗議の意を表明していることです。
「同日、日本映画監督協会(崔洋一理事長)は、「表現の自由を侵害する恐れのあるあらゆる行為に対し、断固として反対する」との声明を発表した。声明は「一部の国会議員が文化庁を通して特別に試写会を要求した行為及びその後の言動等に対し、強く抗議の意を表明する」と指摘している。
映画監督の立場として崔洋一さんは31日夜、取材に「一番懸念した状況になった。批判でも肯定でも、上映が保証される社会の規範が民主主義だ。映画館側が圧力や抗議をイメージして、上映を取りやめるのは、民主主義の根幹が崩れつつあるのではないかという危機感を抱く。作り手や上映側の萎縮(いしゅく)を恐れる」と語った。」
配給・宣伝会社「アルゴ・ピクチャーズ」は、「言論の自由、表現の自由への危機を感じている」とのコメントを出しています(東京新聞平成20年4月1日付朝刊30面)。
稲田議員の言動が発端となって上映中止に追い込まれたのですから、稲田議員の言動は表現の自由(憲法21条)を脅かすものでした。「表現の自由を侵害する恐れのあるあらゆる行為に対し、断固として反対する」とか、「民主主義の根幹が崩れつつあるのではないかという危機感を抱く」と非難する声を挙げることはもっともなことだといえるのです。
(2) 朝日新聞平成20年4月2日付朝刊29面
「マスコミ関連労組、相次ぎ抗議声明 「靖国」上映中止で
2008年04月01日22時04分
映画「靖国 YASUKUNI」をめぐり、トラブルを警戒して公開予定の12日からの上映が中止された問題で、映画・演劇をはじめとするマスコミ業界の労組が1日、相次いで声明を出した。
新聞労連など9団体でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(嵯峨仁朗議長)は「日本映画史上かつてない、映画の表現の自由が侵された重大事態。政治的圧力、文化支援への政治介入、上映圧殺に強く抗議する」などと訴えた。
映画館関係者らでつくる映画演劇労働組合連合会(映演労連、高橋邦夫中央執行委員長)も声明で、「すべての映画各社、映画館、映画関係者は公開の場を提供するよう、映画人としての勇気と気概を発揮して欲しい」と呼びかけた。
「靖国」をめぐっては、自民党の稲田朋美衆院議員側が製作に公的助成金が出たことを疑問視。国会議員向け試写会が3月12日に開かれた。その後、公開予定の映画館に街宣車が来るなどし、12日封切り予定だった5館すべてが上映中止を決めた。」
やはり、マスコミ関連労組は抗議声明を出しています。
「新聞労連など9団体でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(嵯峨仁朗議長)は「日本映画史上かつてない、映画の表現の自由が侵された重大事態。政治的圧力、文化支援への政治介入、上映圧殺に強く抗議する」などと訴えた。
映画館関係者らでつくる映画演劇労働組合連合会(映演労連、高橋邦夫中央執行委員長)も声明で、「すべての映画各社、映画館、映画関係者は公開の場を提供するよう、映画人としての勇気と気概を発揮して欲しい」と呼びかけた。」
上映中止に追い込まれたのですから「日本映画史上かつてない、映画の表現の自由が侵された重大事態」であり、「政治的圧力、文化支援への政治介入」です。この「文化支援への政治介入」という点に着目しておく必要があります。
(3) 毎日新聞平成20年4月2日付朝刊3面
「クローズアップ2008:映画「靖国」上映中止 揺れる表現の自由
靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が、波紋を広げている。グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が今年2月、日本教職員組合の教育研究集会の会場使用を拒んだのと同じ構図が、映画界にも波及したとみられるためだ。中止を決めた映画館周辺では、右翼団体による抗議活動が確認されている。【勝田友巳、棚部秀行、野口武則】(中略)
◇自民議員「反靖国だ」−−勉強会、怒声も
「稲田氏の行動が自粛につながったとは考えないが、嫌がらせとか圧力で表現の自由が左右されるのは不適切だ」。町村信孝官房長官は1日の記者会見で、上映中止問題について一般論で応じた。
国会議員向け試写会の翌日の3月13日、自民党の保守派でつくる「伝統と創造の会」(会長・稲田氏)と「平和靖国議連」(会長・今津寛衆院議員)が、文化庁などを呼んで合同勉強会を開いた。
両団体とも首相の靖国参拝を支持する議員の集まり。試写後、映画を「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」と論評した稲田氏は勉強会で日本芸術文化振興会の助成金問題を集中的に取り上げた。
約10人の出席者からは「反靖国の内容だ。大きな問題になるから覚悟した方がいいよ」との怒声も飛んだ。稲田氏は3月31日「問題にしたのは助成金の妥当性。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも中止していただきたくない」とのコメントを出した。
一方、警視庁によると、上映予定の映画館に対する右翼団体の街宣活動は複数回確認されていた。しかし「際立った抗議活動は把握していない」(警視庁幹部)という。警察白書によると、07年の右翼の検挙数は1752件2018人。5年前は1691件2217人で件数は増加したものの人数は減少し全体ではほぼ横ばいの状態だ。
右翼の事情に詳しい関係者は「大部分の右翼にとって靖国神社は特別な存在。過敏に反応してしまう傾向はある」と指摘した。(以下、省略)
毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊」
この記事を見ると、稲田議員らは、表現の自由の尊重を脅かすような見過ごすことのできない問題行動を行ったように思えます。
「両団体とも首相の靖国参拝を支持する議員の集まり。試写後、映画を「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」と論評した稲田氏は勉強会で日本芸術文化振興会の助成金問題を集中的に取り上げた。
約10人の出席者からは「反靖国の内容だ。大きな問題になるから覚悟した方がいいよ」との怒声も飛んだ。稲田氏は3月31日「問題にしたのは助成金の妥当性。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも中止していただきたくない」とのコメントを出した。」
稲田朋美議員は、(文化庁所管の独立行政法人からの)助成金を出すのにふさわしい作品かどうかを問題にしただけ、としています。しかし、「反靖国の内容だ。大きな問題になるから覚悟した方がいいよ」との怒声を飛ばすなど、助成金の妥当性にとどまらない行動をとっていますので、稲田議員の言葉は信用に値しません。稲田議員らは上映中止を「残念だ」と言いいつつも、上映実現に全力を注ぐわけではないのですから、「残念」という言葉も単に口先だけのお為ごかしにすぎないのです。
4.映画「靖国」をめぐっては、自民党の稲田朋美衆院議員側が製作に公的助成金が出たことを疑問視し、公開前に映画を見せることを要求することさえしたため、異例な国会議員向け試写会が3月12日に開かれ、その後、3月27日の参院内閣委員会でも問題視し、公開予定の映画館に街宣車が来るなどし、4月12日封切り予定だった5館すべてが上映中止になりました。
(1) このように、国会議員が国政調査権を盾にして、映画という芸術に対する公的助成金の妥当性を問題視することで、上映中止に追い込むこと、すなわち、公権力が財政援助を口実に芸術表現の自由に制約を加えようとする行動については、憲法上の問題があります。これは、「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」「公的文化助成と表現の自由」といわれる問題です。
(産経新聞平成20年4月2日付【主張】「『靖国』上映中止 論議あるからこそ見たい」は、「憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか。」としていますが、当然、憲法問題です。)
今日、国家は音楽や絵画を代表として広範なジャンルの芸術活動を援助すべく財政支出を行っています。よかれあしかれ、現在の国家は財政的援助を行うスポンサーという形で芸術と関わっています。しかし、国家は単に芸術に対する物分りのよい援助者として立ち現れるわけではなく、同時に国家は自らが支援する言論に対して制約を課そうとするのです。今回の稲田議員のように。
「国家が芸術も含めて広く言論に関わる活動に財政援助を行う場合には、多くの場合、国家は単に援助するだけではなく、選別的な形で援助を行い、口もはさんでくる。国家による財政援助を受けて表現行為(subsidized speech)を行う場合、当該表現行為に対する国家の干渉――ある論者の表現を借りれば国家が「言論を買い上げる」という問題を生み出す――に対していかなる憲法上の制約を及ぼしうるのかという問題は、1990年代以降アメリカ憲法学において「修正1条の新しいフロンティア」と呼ばれるほど重要な研究分野となっている。
こうした場合に生じる憲法問題を捕捉すべくアメリカ憲法学が用意している視座が、いわゆる「政府言論」(government speech)であり、芸術に対して政府が財政援助を行う場合に生じる憲法問題も基本的にはこの枠組みの中で考えることができる。
伝統的には表現自由理論は、私人によって構成される言論市場に対して、政府が外側から「検閲者(censor)」として介入する場面をもっぱら想定して構築されている。これに対して「政府言論」という理論装置は、政府が言論市場に対して何らかの形で内側から「話し手(speaker)」として介入する場面を想定し、そこにおいて生じる問題を憲法学の問題として把握しようとするものである。(中略)
芸術や文化活動への援助に関しては、国家はあらゆる援助申請を等しく許容するわけにはいかず、援助する対象を内容に基づいて選別する必要があるということである。……芸術活動への援助に関して国家が内容に基づく選別をなすべきなのは、たとえば当該芸術の主題や芸術作品の質などを基準にして選別することが資源の有効な配分方法として望ましいからである。(中略)
しかし、他方で、国家はいかなる内容に基づく選別をしても許されるというわけでもないはずである。たとえば、自民党を支持する芸術家には補助金を支出するが、自民党を批判する芸術家には補助金の支出を拒否するといった形での選別的援助は憲法上の問題を提起する。
したがって、そもそも国家が芸術活動に財政援助をなすかどうかは国家の正当な裁量の範囲内にあり、しかも国家は財政援助をなすにあたって、私人の表現行為を規制する場合とは異なって、一定の内容に基づく選別をなすことも考えられるが、だからといって国家の内容に基づく選別に憲法上の制約が全くないわけではない。」(坂口正二郎「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」法律時報2002年1月号(74巻1号)31頁)
*参考文献*
・渋谷秀樹・赤坂正浩「憲法1 人権」(有斐閣、2007)156頁
・池端忠司「美術館における作品鑑賞権・図録閲覧権と政府言論の統制――富山地判平成10・12・16」ジュリスト1152号
・蟻川恒正「国家と文化」岩波講座『現代の法妓渋綛餡箸繁
・蟻川恒正「政府と言論」ジュリスト1244号
・阪口正二郎「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」法律時報74巻1号30頁
・池端 忠司「米国における公的文化助成と表現の自由――『政府言論』の憲法的統制に積極的な三つの見解───」香川大学法学部創設20周年記念論文集(2003.7)
要するに、公権力が財政援助を口実に芸術表現の自由に制約を加えようとする行動については、「政府言論」の問題として従来から憲法上の問題となっているのであり、財政援助(援助の取り消しも含む)に当たり芸術表現に関しては、一定の内容に基づく選別も可能ですが、合理的理由があり恣意的でない裁量の範囲内に限られるということです。
(2) 稲田議員らは、3月27日の参院内閣委員会でこの映画「靖国」への助成金の妥当性を問題にするなどして、延々と問題視して騒ぎ立てたのですから、右翼団体の街宣車による嫌がらせを呼び起こすことは容易に予想できるのです。ですから、稲田議員らの行動は、嫌がらせを助長させることにより映画の上映を困難にさせるものだったのです。
また、稲田議員は、助成金の妥当性を問題にすることで、助成金の返還を求めるなど(実際には不可能)、映画「靖国」の映画監督の資金に圧力をかけ、同種の映画の資金源を断つことで、今後の同種の映画の発表を抑制しようとするという意図があったといえます。稲田議員は、上映中止は求めていないと言ってはいるものの、上映中止に追い込むのに十分な行動を行っているのです。
もっとも、稲田議員らは、芸術文化振興基金助成金交付の基本方針として、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」としている点で、この映画が「政治的な宣伝意図」を有しているとして問題視しています。
しかし、文化庁の尾山文化部長は、「本件につきましては、政治的なテーマを取り上げていても、政治的な宣伝意図を有するものとまではいえないと専門委員会で判断されたと聞いているところでございます」と答えています(3月27日の参院内閣委員会での自民党の有村治子氏の質問への答え)。既に述べたように、どんな映画であっても、表現行為なのですから何らかの思想が含まれている以上、「政治的、宗教的な『意図』」を含みうるのです。特に、政治的なテーマであればなおさらです。ですから、専ら「政治的な意図」をもった映画なのか否か、専ら「宣伝意図」をもった映画なのか否か、が基準になっているというべきなのです。
稲田議員らの主張からすると、「政治的テーマ」を題材にする映画はすべて「政治的な宣伝意図」を有するものとなってしまい、およそ「政治的テーマ」を題材にする映画は公的助成金が出ないことになってしまい、妥当ではありません。(元々、映画製作前に助成金の交付を決定するのだから、交付金の妥当性判断は提出された資料に基づく事前判断であるのに、それを稲田議員らが事後的に映画の内容を見て助成金の妥当性を判断すること自体が問題です。)
要するに、文化庁の尾山文化部長の主張の方が妥当であり、稲田議員らの批判は根拠の乏しいものであった(=助成金の妥当性を問題としたことは合理的理由のない裁量の範囲を逸脱した行為)ように思います。国会議員が「反日映画ではないか」などと問題視したことは、恣意的な判断をしていることをも示唆しています。
根本的な問題としては、議院の委員会での追及ということを背景として、国会議員という特定の人を対象に試写会を催し、その目的が、映画の公開前に「公費助成にふさわしいかをみる」という発想は、表現行為に対する過度な圧力であり、十分に上映中止に追い込まれかねないものです。このようなことから、事前抑制の禁止の原則(憲法21条1項)に抵触するおそれさえもあるのです。
これら稲田議員らの行動すべてを考慮すると、公的助成金の妥当性を名目にして公開前に映画内容の審査を行い、今後の同種の映画への助成を抑制し製作を抑制するという影響を与える可能性があるという、映画という芸術活動としての表現の自由(憲法21条)を過度に萎縮させるものです。しかも、延々と騒ぎ立てることで嫌がらせを助長しており、十分に映画館側を萎縮させています。その結果、稲田議員らが最初から意図していたか否か不明ですが、公開前の上映中止という表現行為に対する最も重大な侵害をもたらしており、このような上映中止は稲田議員らの言動からすれば十分に予想できる結果だったのです。
以上のようなことからすれば、稲田議員らの行為ついては、助成金の妥当性を問題としたことは合理的理由のない裁量の範囲を逸脱した行為であり、映画の公開前に内容審査を要求したことは事前抑制禁止の原則にも抵触し、映画作成者・映画館など多数の表現の自由を萎縮させ、観客の知る権利を抑制するものであるため、表現の自由(憲法21条)に対する侵害であって、妥当でないと考えます。
(3) 最後に。
今回のことで、妥当性を欠いた行動を行ったのは右翼団体でもあることは確かです。グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が今年2月、日本教職員組合の教育研究集会の会場使用を拒んだ事件と同様、右翼団体は反社会的団体であるというレッテルが取れなくなってしまいました。
これでは、街宣活動をしようとしまいと、右翼団体の言葉は市民からまったく無視され、一層市民から疎まれることになり、警察からの規制もさらに厳しくなりますが、右翼団体にとって果たしてそれでいいのでしょうか。
また、今回の場合、国会議員が「反日映画ではないか」などと問題視していました。市民の間にも、日本政府への批判をやたらと「反日、反日」とレッテルを張って、排斥することを主張する方が少なくありません。こういう輩の行動が嫌がらせの助長につながっているのですから、結局は、こういった言動が他者の言動を許容できず、寛容さの欠けた「息苦しく不健全な社会」をもたらしているのです。
すぐに「反日」と叫ぶ人たちにとって、「息苦しく不健全な社会」は望ましいことなのでしょうか。右翼団体ともども、自ら自分の首を絞めていることに気づかないのでしょうか。
「すぐに思い起こすのは、右翼団体からの妨害を恐れて、日教組の集会への会場貸し出しをキャンセルしたプリンスホテルである。
客や周辺への迷惑を理由に、映画の上映や集会の開催を断るようになれば、言論や表現の自由は狭まり、縮む。結果として、理不尽な妨害や嫌がらせに屈してしまうことになる。
自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している。
言論や表現の自由は、民主主義社会を支える基盤である。国民だれもが多様な意見や主張を自由に知ることができ、議論できることで、よりよい社会にするための力が生まれる。
しかし、そうした自由は黙っていても手にできるほど甘くはない。いつの時代にも暴力で自由を侵そうとする勢力がいる。そんな圧迫は一つ一つはねのけていかなければならない。」(朝日新聞平成20年4月2日付「社説:『靖国』上映中止―表現の自由が危うい」
「映画演劇労組連合会はきのう、すべての映画人に上映努力を求める声明を出した。映画が表現や言論の手段でもあることを考えれば当然だ。
しかしこれは、映画人だけでなく、社会全体でも考えるべき問題だろう。脅しや暴力におびえ自己規制する社会は、健全とはとうてい言えない。」(北海道新聞平成20年4月2日付「社説:映画『靖国』 上映こそ政治家の責務」)
暴力による自由の侵害に対して、何も言わずに黙ってしまう、その暴力にしたがって自己規制してしまうようでは、権利・自由の保障は単なる画餅にすぎなくなってしまいます。もちろん、警察によって嫌がらせなどは厳しく取り締まるようにする必要はあるとしても。権利・自由は誰かから与えてもらうものではなく、自ら権利・自由を侵害するなと主張してこそ、実効ある権利・自由が保障されるのだと思うのです。
「圧迫は一つ一つはねのけていかなければならない」――。こういう意識を常に心に秘めていてほしいものです。

