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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2008/03/31 [Mon] 23:13:33 » E d i t
静岡県清水市(現静岡市)で1966年(昭和41年)、みそ製造会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、強盗殺人罪などに問われ、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌死刑囚(72)の再審請求について、最高裁第2小法廷(今井功裁判長)は3月24日、死刑囚側の特別抗告を棄却する決定をしました(最高裁平成20年03月24日決定)。1981年(昭和56年)の請求から約27年を経て、再審を開始しないことが確定しました。

昭和55年11月に最高裁で死刑確定後、袴田さんが静岡地裁に再審請求したのは昭和56年(1981年)4月でしたが、静岡地裁の棄却決定が出たのはなんと約13年後の平成6年であり、東京高裁での即時抗告審はさらに約10年後の平成16年になってから棄却しました。そして、最高裁は平成20年になって判断を出したのですから、あまりにも長い年月が経過していまいました。

もっとも、弁護団が最終意見書を提出したのが今年の3月4日であり、それから20日後に最高裁が棄却を決定したのですから、最終意見書なんてまるで読んでもいないかのようです。



1.まず、事件の概要と、これまでの裁判の経過を説明しておきます。

どんな事件か

 1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市の味噌製造会社の専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷がある一家4人(専務42歳、妻39歳、長女17歳、長男14歳)の焼けた死体が発見されました。焼け跡のガソリン臭から、放火であることが明らかでした。工場従業員の犯行という見込みでの捜査が進められ、元フェザー級全日本6位のプロボクサーで、体をこわして、事件発生の前半からこの味噌会社に勤務し、現場近くの味噌工場の寮に住んでいた袴田巌さん(当時20歳)が、寮から消火活動に飛びだしたとのアリバイが証明できなかったこと、事件後左手中指などに負傷していたこと(実際には消火活動によって負傷したもの)、そして特に元プロボクサーであったことを理由として警察から追及を受け、事件発生から49日後の8月18日に逮捕。逮捕から20日目に至った9月6日に「自白」したことにより、9月9日、パジャマ姿で、窃盗目的で侵入・物色中に発見され、そのような場合を予測して用意していたくり小刀で突刺して殺害したうえ、現金などが入った布袋(甚吉袋)を奪い、死体にガソリンをかけてマッチで順番に火をつけて焼いたとして起訴されました。

裁判と再審の経過

 1審の公判中である1967(昭和42)年8月31日、工場内の醸造用味噌タンクの中から、被害者2人の血液型と一致する多量の血痕が付着した5点の衣類(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツが麻袋に入っていた)が発見され、同年9月12日には袴田さんの実家からこのズボンと生地・切断面が一致する端切れを警察官が「発見」したことにより(弁護団はすり替えを指摘)、検察は訴因を変更。1審の静岡地裁は、「自白」調書45通のうち、起訴当日の検察官調書以外の44通について、違法な取調べであるとして証拠から排除しましたが、味噌タンクの中から発見された衣類は袴田さんのものであると断定して、1968(昭和43)年9月11日死刑判決を下しました。2審の東京高裁は、このズボンを袴田さんにはかせる実験をし、装着不能なことを確認しながら、裏地の縮みによるとの根拠のない非科学的見解により1976(昭和51)年5月18日控訴棄却。1980(昭和55)年11月29日、最高裁第二小法廷の上告棄却により死刑が確定しました。

 袴田さんは、翌1981(昭和56)年、脱出したとされる裏木戸は、実際には出入不能であるのに警察が証拠を捏造していたことなどを明らかにして、再審請求を申立てましたが、1994年(平成6)年8月9日、静岡地裁は確定判決の証拠構造を吟味することなく、有罪心証のみを引き継ぐ立場から新証拠を個別に論難して、申立を棄却してしまいました。

 現在、東京高裁第二刑事部に即時抗告審が継続しています。袴田さんは、現在東京拘置所に収監されていますが、長い間の拘禁生活によって拘禁症に苦しんでおり、適切な医療措置と処遇の改善運動も再審を求める運動とあわせて行っています。」(小田中ほか『えん罪入門』(日本評論社、2001年)116頁) 

*なお、2001年当時の書籍ゆえ、2004年の東京高裁で棄却する前のものとなっています。



「検察は訴因を変更」とありますが、どのように変更したのかを少し書いておきます。

「事件では、一審開始後に、みそ工場のタンク底部から血痕の付いたズボンなど衣類五点が見つかり、それまで「犯行時はパジャマ姿」と主張していた検察が、これらの衣類を犯行時の着衣として事件の構図を変更。」(東京新聞平成20年3月26日付朝刊1面)


要するに、「自白」にしたがって、パジャマの上に雨合羽を着て犯行を行ったとしていたのですが、パジャマには微量の血痕しかついていなかったために、公判が袋小路に迷い込み始めた67年8月31日(起訴から1年後)、突然、大量の血痕が付着した5点の衣類が工場内の味噌タンクから発見されたということで、これら5点を着て犯行を行ったということに変更されたわけです。

そのため、1・2審判決では、

<1>会社の売上金を奪う目的で、
<2>5点の衣類を着用し、その上に雨合羽を着て、「くり小刀」(刃渡り約13cmで、鍔はなく柄に刃体が差し込んであるだけのもの)を所持し、
<3>味噌工場から専務宅裏口に立つ木に登り、鉄道の防護柵(専務宅と工場・従業員宿舎は東海道線の線路を隔てて建っていた)を乗り越えて専務宅の屋根に昇り、そこから中庭に降りて専務宅に侵入し(工場から裏木戸までの距離は約32メートル)、
<4>専務(柔道2段の猛者)と妻子の計4人を格闘の末、「くり小刀」で大小40ヶ所も突き刺して殺害し、
<5>その後、金袋3個を奪って、
<6>裏木戸をくぐって味噌工場内に戻り、5点の衣類を脱いでパジャマに着替え、
<7>三角部屋横においてあった石油缶から混合油を持ち出し、再び裏木戸を通って専務宅に入り、4人の死体に混合油を振り掛けてマッチで点火して放火し、
<8>その後、裏木戸から味噌工場に戻り、
<9>前記の<6>以降の時期に、5点の衣類を味噌工場の1号タンクの中に入れた。


と認定され(秋山賢三『裁判官はなぜ誤るのか』102頁)、ほぼこのまま確定しました。5点の衣類が発見されたため、犯行途中で他人に発覚する危険を冒しながら味噌工場に戻って「お着替え」を行い、しかも、工場内の味噌タンク内といういずれ必ず発見されてしまう場所に5点の衣類を隠したなどあまりにも不自然な行動を認定を認めて有罪としたのです。しかも、袴田巌さんは4人と格闘しておきながら、袴田巌さんは「左手中指」に切り傷があるだけです。

このような認定事実だけでもあまりにも疑問があるのに、最高裁は怪しいとは思わず再審開始を認めませんでした。


2.次に最高裁決定自体に触れた報道記事を幾つか。

(1) 朝日新聞平成20年3月26日付朝刊39面

「袴田事件」再審認めず 最高裁が特別抗告棄却
2008年03月26日03時06分

 静岡県で66年に一家4人が殺害された事件で、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は、27年余り前に強盗殺人や放火などの罪で死刑判決が確定した後に、再審を開くよう求めていた元プロボクサー袴田巌死刑囚(72)の特別抗告を棄却する決定をした。24日付。確定判決が根拠とした客観的な証拠だけでなく、弁護側が新たに出した証拠を考慮したとしても、袴田死刑囚が犯人だと認定。静岡地裁、東京高裁と同様に再審開始を認めなかった。 (岩田清隆)

 この事件では、起訴から1年後の一審公判中に、みそ工場のタンクから血のついたズボンなど袴田死刑囚と犯行を結びつける「5点の衣類」が発見され、45通の自白調書のうち44通が違法な取り調べによるものと確定判決で認定されるなど、捜査・公判が特異な経過をたどった。日本弁護士連合会も支援に乗り出して「冤罪」を主張してきたが、再審の扉は開かれなかった。

 再審請求に対し、第二小法廷はまず、確定した判決がどのような証拠に基づいて判断しているかを検討した。

 その結果、袴田死刑囚の実家からはタンクからみつかったズボンと同じ布地の「端切れ」が押収された▽袴田死刑囚が、タンクで見つかったズボンを公判ではけなかったのは、ズボンが乾燥し、収縮したため▽5点の衣類だけでなく、袴田死刑囚が発生後に着ていたパジャマにも血液が付いていたのに合理的な説明ができない▽犯行時のアリバイがない――など、確定判決は自白以外の証拠だけで、袴田死刑囚が犯人だと認定していると指摘した。

 弁護側は再審請求にあたり、5点の衣類については捜査機関が捏造(ねつぞう)したものだと主張したが、第二小法廷は、事件直後に見つからなかったことに触れながら「タンクの底に隠れていたとしても矛盾はない」と指摘した。

 さらに弁護側の「自白は重要な点で真実に反しており、信用できない」という主張についても「確定判決は自白をもとに犯罪事実を認定しておらず、主張の前提が誤っている」と退けた。

 こうしたことから、弁護側が「新証拠」として用意した、衣類や自白調書の内容に関する鑑定書などは、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」には当たらず、確定判決に合理的な疑いは生じないと結論づけた。」




(2) 東京新聞平成20年3月26日付朝刊1面

袴田事件再審認めず 最高裁 請求から27年確定
2008年3月26日 朝刊

 一九六六年に静岡県清水市(現静岡市)で一家四人を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われ、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌死刑囚(72)の第一次再審請求の特別抗告審で、最高裁第二小法廷は、再審を開始しないとする決定を関係者に通知した。今井功裁判長は弁護側が提出した新たな証拠について、再審開始の要件となる「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にはあたらないと判断。弁護側の特別抗告を棄却した。

 事件から約四十二年、再審請求からは約二十七年が経過し、再審開始を認めなかった一、二審の決定が確定した。裁判官全員一致の意見。決定は二十四日付。

 事件では、一審開始後に、みそ工場のタンク底部から血痕の付いたズボンなど衣類五点が見つかり、それまで「犯行時はパジャマ姿」と主張していた検察が、これらの衣類を犯行時の着衣として事件の構図を変更。一審判決は四十五通のうち四十四通の自白調書を採用せず、自白を強要した捜査手法を批判しながら、死刑判決を言い渡した。

 確定判決では、袴田死刑囚が勤務先のみそ製造会社の売上金を奪う目的で専務宅に侵入、専務と妻子の計四人を「くり小刀」で刺し、油をかけて放火したと認定。現金を奪った後、みそ工場で五点の衣服をパジャマに着替え、再び油を持って現場に戻ったとした。

 再審請求で弁護側は、五点の衣類について「ズボンは小さすぎてはけない」などとして、ねつ造証拠と主張。凶器とされた小刀と傷の形との不整合性や、自白に信用性がないことなど、数々の疑問点を指摘した。

 しかし最高裁決定は、一、二審決定を追認した上で▽衣類は長期間みその中につけ込まれていたのが明らかで、発見直前にタンクに入れたとは考えられず、作為的に複数の血液型の血をつけるのも困難▽犯行時に着ていたズボンと同じ布の切れ端が、袴田死刑囚が実家に送った荷物に入っていたことを実母が説明した-ことなどから「証拠の発見や押収の過程は格別不自然ではなく、作為が介在する余地も乏しい。証拠のねつ造はうかがわれない」とした。

 また、弁護側の「自白の信用性がなく、無罪は明らか」との主張については「確定判決は自白を有罪の証拠としていない。自白以外の客観的証拠だけで犯人と認定できるのだから、再審開始の理由にはならない」として退けた。

 <袴田事件> 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市)のみそ製造会社の専務方から出火、焼け跡から多数の刺し傷がある一家四人の他殺体が見つかった。静岡県警は同社の住み込み従業員で元プロボクサー袴田巌死刑囚を逮捕。袴田死刑囚は捜査段階で自白したが、公判では一貫して否認。一審の静岡地裁は68年に死刑判決、二審の東京高裁と最高裁も支持して80年に死刑が確定した。袴田死刑囚は翌81年に再審請求したが、静岡地裁は94年に請求を棄却、高裁も2004年に即時抗告を棄却したため、弁護側は最高裁に特別抗告。07年に一審判決を書いた裁判官の一人が「無罪の心証だった」と告白、最高裁に再審開始を求める上申書を出していた。」



判例は、従来、法的安定性を重視し、長い間、再審請求が容れられるのは「針の穴を通るより困難である」と言われてきました。ところが、1975(昭和50)年、最高裁がいわゆる白鳥決定において、「再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用される」と判示するに至り、事態が動き始めました(最決昭和50・5・20刑集29巻5号177頁)。

この決定が切っ掛けになって、重大事件について再審開始が決定され、再審の結果無罪となる事例が相次ぎました(三井誠・酒巻匡『入門 刑事手続法(第4版)』(有斐閣、2006年)298頁)。なかでも、特記すべきことは、確定死刑囚の再審無罪判決が4件も出たことです。すなわち、免田事件(1983〔昭和58〕年)、財田川事件(1984〔昭和59〕年)、松山事件(1984〔昭和59〕年)、島田事件(1989〔平成元〕年)です。

しかし、その後も相変わらず冤罪事件が発生し、名張、布川、川嶋、袴田などが再審を開始されずにいます。特に、袴田事件は判決が出た当初から冤罪の疑い強いと指摘されてきたものでしたが、今回もまた再審開始が認められませんでした。そこで、最近の再審事件の実情はどうなっているのかについて、触れておきます。

「最近5年間(2000~2004年)の既済人員609人の終局区分を示すと、請求棄却523人、再審開始決定57人、取下げ18人、その他11人となっています。

 請求人別にみると、検察官請求49人については、すべて再審開始が決定されており、本人側請求560人については、請求棄却523人、取下げ18人、その他11人で、再審開始決定があったのは8人です。

 開始決定があった事件の大部分は簡易裁判所の事件であり(48人、あとは地裁9人)、罪種は道路交通法違反と業務上過失傷害とで8割を占めています。これは、交通事犯に関する確定した略式命令につき、<1>犯人の身代わり、<2>保険金目あての事故偽装、<3>氏名冒用などが発覚したために、それを理由として検察官が再審請求したものです。

 請求棄却523人の内訳は、手続違反209、請求理由なし376、その他4となっています(棄却理由は重複計上)。なお、最近5年間における再審開始決定事件は、すべて無罪判決であり(2006〔平成18〕年に、1件免訴判決が言い渡されました)、その大部分は略式命令請求事件です。」(三井誠・酒巻匡『入門 刑事手続法(第4版)』(有斐閣、2006年)299頁)


要するに、検察官による交通事犯のみが再審が認められ、本人側からの重大事件については、ほとんど再審は認められていないのです。この再審の実情からすると、最も再審開始を希望している本人側にとっては、再審は「針の穴を通るより困難である」という状況が、再び続いているのです。




「袴田事件:最高裁平成20年3月24日決定も再審を認めず(中)」に続きます。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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コメント
この記事へのコメント
ありがとう。
 TBありがとうございます。るんるん。
 本日の新聞。中日春秋2008年3月31日↓

 無罪と死刑。これほど違いがある判決はなかろう。一つの事件で、この二通りの判決文を書いた元裁判官がいる。最初に書いたのは無罪。だが三人の裁判官全員の議論の結果、「二対一」で死刑と決まったため、用意していた判決文を破り捨てて一から書き直した。
一九六六年に静岡県清水市(現静岡市)で一家四人が殺害された事件で、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌死刑囚の一審を担当した熊本典道さん(70)のことである。
裁判の途中から、少なくとも提出された証拠で有罪にするのはむちゃだと思った。捜査段階での自白の任意性にも疑問を持ち、袴田死刑囚が「私はやっておりません」と裁判で証言した時は、自分が裁かれている感覚になったという。
判決の七カ月後、良心の呵責(かしゃく)に耐えきれずに辞職した。判決に至る議論の中身を明かしてはいけないため、ずっと沈黙を守ってきたが昨年、非難を覚悟で告白に踏み切った。
最高裁で審理中だった再審開始の是非に、よい影響を与えたい。こんな思いがあった。上申書も提出したが、最高裁は先ごろ「非」の結論を出した。今はひたすら刑が執行されないことを願っている。有罪なのか無罪なのか。有罪ならどんな刑にするのか。来年五月までに始まる裁判員制度では、国民も加わって結論を出す。責任は重い。納得できるまで、議論を尽くす心構えがいる。
----------
 以前、春霞さんがおっしゃってたように、「反省」をしないところでしょうか。無念や悲しみ、苦しみを押し付けて、平気。裁判所や検察には、幾つも「正義」があるみたい。
 それにしても、裁判員制度・・・。う~ん。
2008/04/01 Tue 00:07:41
URL | ゆうこ #mQop/nM.[ 編集 ]
こんばんは!
一言だけ!

熊本典道さんの切なる良心を踏みにじる、・・・
特別抗告棄却決定はおかしい!!!!!
2008/04/01 Tue 21:11:33
URL | とらちゃん #-[ 編集 ]
>ゆうこさん:2008/04/01 Tue 00:07:41
コメントありがとうございます。


>「反省」をしないところでしょうか

1審判決は、熊本典道さんが述べているように、捜査の違法を弾劾しつつ、一転して袴田さんの死刑を妥当とするという矛盾をわざと含ませていたのです。ですから、再審を認めた方が合理的な判断だったのですけどね。

「再審」を認めることは、過去の判決が間違っていたことを認めることです。今回の最高裁決定は、確定した判決はなるべく再審を認めないという信念さえ感じます。どうやらこの事件を担当した最高裁の裁判官は、「過ちを改むるにはばかることなかれ」という言葉とは無縁のようです。


>無罪と死刑。これほど違いがある判決はなかろう。一つの事件で、この二通りの判決文を書いた元裁判官がいる。最初に書いたのは無罪。だが三人の裁判官全員の議論の結果、「二対一」で死刑と決まったため、用意していた判決文を破り捨てて一から書き直した
>それにしても、裁判員制度・・・。う~ん

1審判決で有罪しかも死刑判決を出したことが影響して、結局、再審も認められなかったわけです。袴田さんを無罪だと確信していた元裁判官にとっては、非常に辛いものです。

裁判員は1審判決、しかも死刑相当事件などに関与するわけですが、もし、無罪だと確信していた裁判員も心ならずも死刑判決を出すことも十分にあります。裁判員となった市民にとっては、あまりにも辛い責任です。

この袴田事件の最高裁決定は、裁判員となる市民を心底慄かせたと思うのです。多くの人が明らかに無罪だと思っていても、最高裁も死刑判決を維持し再審を認めないのですから、1審の責任、裁判員が一生背負う責任は過酷と思えるほど重過ぎると。

中日新聞のコラムは、「納得できるまで、議論を尽くす心構えがいる」としています。しかし、現在の法廷よりもずっと短期間の連日法廷で決断するのですから、「納得できるまで議論」だなんて、およそ実現できない夢、何十年後かの理想のように感じます。
2008/04/02 Wed 08:24:12
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
>とらちゃんさん:2008/04/01 Tue 21:11:33
コメントありがとうございます。


>熊本典道さんの切なる良心を踏みにじる、・・・
>特別抗告棄却決定はおかしい!!!!!

これで熊本さんの苦悩はより深まることになりました。どんなに無罪だと主張し、1審判決の判事が無罪だと確信していても死刑判決のまま。袴田さんの苦しみはまだ続くのです。遣り切れない思いです。
2008/04/03 Thu 00:54:10
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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2008/04/01(火) 11:52:29 | ?2澮??...
    皆様のご支援に感謝致します! ありがとう! ●きまぐれな日々 kojitaken様  2008.04.01 稲田朋美の恫喝に屈して、映画「靖国」上映を全館が中止 --------------------------------------- ●きまぐれな日々 kojitaken様  2008.03.30 極左と紙一...
2008/04/01(火) 21:12:53 | 晴天とら日和
元朝日放送アナウンサー、現在フリーアナウンサーでタレントの山本モナ。ノルウェー人
2008/04/01(火) 22:34:28 | 山本モナのファイルがwinnyで極秘流出!
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