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2008/03/25 [Tue] 05:07:13 » E d i t
戦時下最大の言論弾圧事件とされる横浜事件の再審上告審において、最高裁平成20年03月14日判決は、「旧刑訴法適用事件について再審が開始された場合,その対象となった確定判決後に刑の廃止又は大赦があったときは,再審開始後の審判手続においても,同法363条2号,3号の適用があり,免訴判決が言い渡されるべきである」として、上告を棄却しました。これにより免訴判決が確定することになります。

「横浜事件:最高裁は免訴判決で確定(上)~言論弾圧に加担した司法の戦争責任を何ら清算せず」(2008/03/16 [Sun] 06:18:35)の続きとなりますが、この最高裁判決について、ネットの一部や雑誌では間違った理解が横行しているようです。そこで、その間違いを匡しておくことにします。


1.田中良太「横浜事件免訴 戦犯支配下の「有罪」を原告は誇れ」(Jan Jan・2008/03/18)という記事は、最高裁判決は「限りなく無罪に近い免訴判決」であるとしています。これは、正しい理解なのでしょうか?

 「再審で横浜地裁は、06年2月判決を下し、元被告らが求めていた「無罪」ではなく、「免訴」を言い渡した。治安維持法の失効にともない元被告5人はいずれも大赦を受けている。刑事訴訟法337条は、大赦があったときは、「判決で免訴の言渡をしなければならない」と明文で規定している。無罪ではなく免訴とならざるを得ないという論理だ。

 判決理由の中では、とくに東京高裁の再審開始決定に触れ、「免訴理由がなければ、抗告審決定に沿った判決が言い渡されることになる」「(同決定において)5人が神奈川県警特別高等課(特高)により拷問を受けた事実が明らかにされた」などと述べた。さらに免訴判決の意味について、「元被告は無罪判決と同様に将来的にも訴訟から解放される」と述べた。

 つまり「限りなく無罪に近い免訴判決」なのである。それを東京高裁も最高裁も支持した。朝日の社説は、「免訴」という形式だけをみて、最高裁の姿勢が「過去の過ちを直視しようとしない」と断じており、最高裁によって支持された横浜地裁判決の内容を無視していると言わざるをえない。

 横浜事件再審の経過を見てみると、裁判所の姿勢は、「元被告らの主張無視」ではない。逆に法の枠内で、元被告らの主張に最大限の配慮をしていると評価できるのではないか?」 



(1) まずは、「免訴判決」について説明しておきます。

免訴判決とは、免訴事由(刑事訴訟法337条)の存在を理由として、実体審理をすることなく(=有罪か無罪かを判断せずに)形式的に訴訟を打ち切る形式裁判のことをいいます。

刑事訴訟法第337条(免訴の判決) 左の場合には、判決で免訴の言渡をしなければならない。
一  確定判決を経たとき。
二  犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。
三  大赦があつたとき。
四  時効が完成したとき。



旧刑事訴訟法までは予審制度(公判前に、予審判事が、必要な事項を 取り調べ、被告事件を公判に付すべきか否かを決める手続)があり、その予審では、公判であれば無罪となる場合に「免訴」という裁判形式が用いられていました(例えば大正刑訴313-4条)。そのため、免訴は無罪と近似した性格のものと考えられ、したがって形式裁判でなく、実体審理を行う「実体裁判」でした(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣、1996年)221頁)。

しかし、現行刑事訴訟法では、免訴判決は、実体審理をしない(むしろ、「実体審理を禁じられている」)形式裁判と理解されています(最高裁昭和23年5月26日大法廷判決)。だからこそ、元被告人たちの遺族は、実体審理を行い、捜査の違法性を明らかにして無罪判決を認めて名誉回復を図ってほしかったと、最高裁判決を批判しているわけです。

そうすると、最高裁判決は「限りなく無罪に近い免訴判決である」という理解は、現行刑事訴訟法について全く理解に欠けているものといえます。



(2) もっとも、この記事では、再審第1審(横浜地裁)が、「(同決定において)5人が神奈川県警特別高等課(特高)により拷問を受けた事実が明らかにされた」という東京高裁の再審開始決定について言及している点、免訴判決の意味について、「元被告は無罪判決と同様に将来的にも訴訟から解放される」と述べている点を挙げ、これを最高裁も支持していることをも根拠に挙げています。

しかし、最高裁は、再審「制度は,所定の事由が認められる場合に,当該審級の審判を改めて行うものであって,その審判は再審が開始された理由に拘束されるものではない」としており、東京高裁の再審開始決定と再審公判手続は別個に判断するものだと明言しているのです。つまり、再審第1審(横浜地裁)が東京高裁の再審開始決定に触れていたとしても、それは再審公判手続での判断に影響していないのですから、「限りなく無罪に近い免訴判決」であるという根拠になりません

また、免訴判決の意味について、「元被告は無罪判決と同様に将来的にも訴訟から解放される」と述べたことは、免訴判決は形式裁判として訴訟から解放するものであるため、一般論としては、「訴訟から解放する」という点において「無罪判決と同様」としただけのことです。無罪判決と同様に、罪を犯した事実がないと判断しているわけではなく、「限りなく無罪に近い免訴判決」という意味ではないのです。

しかも、元被告人はすべて死亡しているのですから、「将来的にも訴訟から解放される」という点は、この事案には当てはまりませんから、この事案では、無罪判決と同様に訴訟から解放される利益を受けていないのです。今井功裁判官の補足意見も、「本件のように有罪の確定判決を受け,死亡した被告人にとっては,審理打切りによる利益はほとんどないということができるであろう。」と述べているとおりです。



(3) このようなことから、「『限りなく無罪に近い免訴判決』である」という理解は、最高裁判決を読み違えたものであり、現行刑事訴訟法における免訴判決の意味について理解に欠けているものであって、間違っているのです。

この「Jan Jan」の記事は、横浜事件自体の理解さえも危ういものであり、誰も信用しないとは思いますが、万が一、間違った理解が人々の間に根付いたりしないように一言しておきます。



2.某弁護士のブログでは、「横浜事件~刑事裁判と名誉回復」(2008/03/18)というエントリーにおいて、再審裁判において遺族の名誉回復を求めるのは誤りであると述べています。では、この理解は正しいのでしょうか?

「いずれにせよ元被告人や遺族は、この再審公判を、なぜ横浜事件が起こったのか、なぜでっち上げの事実に基づく言論弾圧が行われたのかを解明し、日本の国が抱える言わば闇の部分を解明する場とすべく努力しておられたようです。

その努力には敬意を表しますが、残念ながら、それを刑事裁判に求めるのは誤りでしょう。
似た話はすでに当ブログでも書いたかと思いますが、刑事裁判は、法律に則って、起訴された事件に判決を下す場であり、刑事訴訟法に「刑が廃止されたら免訴」とある以上、そう判決せざるを得ない。

元被告人や遺族の名誉の回復は、刑事補償や国家賠償、そしてその他の言論活動によって行われるべきであって、刑事裁判を「利用」するのは、求めるべきものが間違っているように思えます。」(「横浜事件~刑事裁判と名誉回復」(2008/03/18))




(1) これは再審制度の基本的な理解に関わる問題であり、簡単に説明しておきます。

再審とは

 再審の請求とは、有罪の確定判決について、その事実認定の誤りを救済する目的で、その言渡しを受けた者の利益のため、<1>言渡しを受けた本人、<2>本人の法定代理人、保佐人、<3>本人が死亡した場合には一定の近親者、<4>検察官、から原判決をした裁判所に申し立てるものです。この申立てに一定の再審事由が認められれば再審を開始する決定がなされ、この決定が確定した場合には、原判決をした裁判所が裁判のやり直しを行うことになります。

 検察官からの請求も相当数あり、最近5年間(2000~2004年)の請求事件の既済人員609人のうち49人(8.0%)が検察官からの請求です。

 この制度は、刑事補償の点での実益は別として、不当な有罪判決を受けた者の社会的名誉・信用の回復をもねらいとしていますから、裁判の執行終了後でも、また本人の死亡後でも請求でき、期間の制限がまったくありません。また、再審が開始され無罪の判決が言渡されて確定した場合には、その旨を官報と新聞紙上に公示することとなっています。」(「三井誠・酒巻匡『入門 刑事手続法(第4版)』(有斐閣、2006年)297頁)」


一般的には、逮捕・起訴されただけでも社会的名誉が低下するのですから、通常の刑事事件での裁判でも、犯罪を犯したかどうかを争うだけでなく、名誉回復の面があることは確かです。特に、「再審は、誤った確定有罪判決を受けた市民が尊厳を回復するため」(大コンメンタール刑事訴訟法第7巻〔高田昭正〕111頁)の制度であるとも言われるように、再審制度の意義として「不当な有罪判決を受けた者の社会的名誉・信用の回復をもねらい」としているのです。

明文上、裁判の執行終了後でも、また本人の死亡後でも請求でき(刑事訴訟法439条1項4号)、期間の制限がないのも(刑事訴訟法441条)、名誉回復の意義があるからであり、また、誤って有罪判決を受けた者の名誉を回復する措置として、再審における無罪判決の公示(官報と新聞紙上に公示)をしなければならないこと(刑事訴訟法453条。大コンメンタール刑事訴訟法第7巻181頁)からも明らかなのです。

このように、元被告人や遺族の名誉の回復のために再審請求することは、再審制度の理解として正しいものであって、「元被告人や遺族の名誉の回復として、刑事裁判を利用するのは、求めるべきものが間違っている」という理解は、再審制度の基本的な理解に欠けているものであって妥当ではないのです。



(2) もっとも、この某弁護士は、「元被告人や遺族の名誉の回復は、刑事補償や国家賠償、そしてその他の言論活動によって行われるべき」としています。(「言論活動」は有罪判決を法的に否定するものではないので、論外です)

  イ:しかし、刑事補償の点については、古田佑紀裁判官の補足意見が、わざわざ「第1審判決が本件における刑事補償の可否について述べていることにかんがみ,この点に関し,以下の点を敷えんして述べておきたい」と述べているように、現行の刑事補償法施行前に起きた事案につき、刑事補償を受けられるか疑義があったのです。ですから、最初から刑事補償のみを請求した場合、刑事補償が認められるかどうか危ういと思われます。

しかも、刑事補償法25条では、免訴の裁判を受けた者は、もし免訴の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の判決を受けるべきものと認められる充分な事由があるときは、無罪判決を受けた者と同様の刑事補償を請求することができるものとしています。つまり、免訴判決があれば直ちに刑事補償ができるわけでなく、「免訴の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の判決を受けるべきものと認められる充分な事由があるとき」という条件が必要なのです。そうすると、再審請求をすることなく、そのような条件が認められたのかどうか、甚だ疑問です。

根本な疑問として、刑事補償は金銭による補償という実益を求めるものであって、それこそ名誉回復という無形の利益を求めるものとは程遠いものです。元被告人やその遺族が金銭補償の問題ではないという気持ちを無視しています。


  ロ:では、国家賠償によるべきという主張はどうでしょうか? 再審を経ないで国家賠償を求めるという意味でしょうが、その点について説明しておきます。

「確定判決に対して再審を経ないで国家賠償請求する場合(確定判決攻撃型)

 この場合には3つの説がある。否定説(再審経由説)は、裁判に不服であれば上訴、再審の手段を執るべきで、確定判決の違法を理由とする国家賠償責任を認めることは裁判の独立、確定判決の法的安定性に反するなどと主張する(判例多数、例、民事=大阪高判昭和52・9・29下民集28巻9~12号1018頁、刑事=東京地判昭和39・7・17下民集15巻7号1819頁、法廷の秩序維持に関する法律に基づく制裁決定=福岡地判昭和37・9・25下民集13巻9号1949頁)。

 これに対して、肯定説(直接請求可能説)は、実定法上裁判官の権限の違法な行使を理由とする国家賠償訴訟を制限する規定はないという文理解釈のほか、先に確定した裁判と後の国家賠償訴訟によって確定すべきこととは次元を異にするなどを論拠とする(東京地判昭和40・1・29判時397号10頁……)。

 最高裁の判例は、いわば中間説(制限的・例外的肯定説、違法限定説)で、確定判決は特段の事情がないかぎり違法ではないとし(昭和43・3・15判時524号48頁)、「裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とする」(昭和57・3・12民集36巻3号329頁)としている。これをより具体的に、それは「事実認定や法令の解釈適用に当たって経験法則・論理法則を著しく逸脱し、裁判官に要求される良識を疑われるような非常識な過誤を犯したことが当該裁判の審理段階において明白であるなど」としている判決(……広島高判昭和61・10・16)が出た。これは裁判にはそれに固有の是正方法たる上訴・再審の制度があることとの関係で、裁判に対する不服は本来それによるべきものとしつつ、その不服をもっぱら上訴・再審によってのみ主張させることが不合理といえる程、著しい違法があるときのみ国家賠償法上も違法になるとするものであろう。

 これによれば、単に事実誤認を主張するだけでは確定判決を違法とすることはできないことになる(井口修「法秩法に基づく制裁の裁判に事実誤認があることを理由とする国家賠償請求訴訟について」司法研修所論集1983―I 46頁以下)。」(阿部泰隆『国家補償法』(有斐閣、1988年)128頁)


要するに、「裁判に対する不服は本来それによるべき」、有罪の確定判決に対する不服は再審で主張するべきであるというのが最高裁の立場なのです。しかも、「その不服をもっぱら上訴・再審によってのみ主張させることが不合理といえる程、著しい違法があるときのみ国家賠償法上も違法になる」というのですから、国家賠償が認められる場合は著しく狭いのです。


  ハ:このようなことから、「元被告人や遺族の名誉の回復は、刑事補償や国家賠償、そしてその他の言論活動によって行われるべき」という主張は、刑事補償法や国家賠償法の判例についての理解からすると、妥当ではないのです。




3.最後に、週刊文春の記事を取り上げます。週刊文春3月27日号56頁「新聞不信」欄では、朝日新聞の社説は裁判所に法を曲げろと迫るものであり、妥当でないとしています。では、この理解は正しいのでしょうか?

 「この確定を各紙は1面や社説で大きく取り上げたが、読売と朝日の対照が際立った。

 読売社説(3月15日付)は、「戦時下のでっち上げによる言論弾圧に対し、元被告側がはっきりと無罪を宣告してもらいたかったという心情は理解できる。だが、法律や判例を超えることはできず、致し方ない結論だろう」とし、裁判官2人が補足意見で、免訴判決でも無罪判決と同様に、刑事補償は受けられる点を指摘したことを、「戦時中の司法の過ちへの反省を示す一面と見ることもできる」と評価している。

 ところが、同日付の朝日社説は、「最高裁が免訴という法律論だけで最終決着をつけたことは残念でならない」として、「過去の過ちを直視しようとしない最高裁の姿勢には不安を感じる」と結論付けた。

 裁判所に、法律論以外で決着を付けろと朝日は迫っている。“反省”のためなら、法を曲げてもよいのか。戦争を引き起こした人たちがよく口にしたことは、目的が正しければ手段は問わないということだった。それこそ反省すべきことではないか。」



(1) 横浜事件の再審を巡る論点は、大別すると2つあります。1つは再審公判で言い渡すべき判決は、免訴判決なのか無罪判決なのかという問題です。もう1つの論点は、いわばその前哨戦というべきもので、上訴が適法かどうかという問題です。通常審(通常の刑事手続)については、プラカード事件の最高裁判例がありますが、横浜事件の問題は、再審公判において免訴の第1審判決に対して無罪を主張して申し立てた上訴が適法かどうかという問題で、従来議論されてきた上訴の利益論を超える論点が含まれています。

通常審では、被告人の武器は2つあります。第1の武器は訴訟条件(公訴棄却事由、免訴事由がそれに当たります)であり、第2の武器は実体判断として無罪を判決を求めるものであり、いずれも被告人は訴訟から解放されるという利益を得ることができます。いずれも利益になるため、訴訟条件が欠けているのであれば、それで訴訟を打ち切るべきであると、通常審では理解されています(これを「訴訟条件の先決性」といいます)。

ところが、再審は無罪又は免訴を言い渡すべき事由があるときに開始されますから(刑事訴訟法435条6号)、再審公判は無辜を救済する方向で進行しているわけで、そういう救済に向かって進行している手続きのなかでは訴訟条件の機能、ありようは通常審の場合とは違いがあるのは当然ではないかと、学説は主張しています(「横浜事件第一審免訴判決の総合的検討」法律時報2006年11月号70頁)。例えば、公訴棄却事由である被告人死亡ついては明文で再審が可能としていますし、免訴事由である公訴時効も、明文がなくても再審請求に期限がない以上、再審請求では適用排除されます。このように、再審段階では訴訟条件の機能が異なっているのです。

要するに、無辜の救済という再審制度の特殊性があることから、その特殊性を反映させる形で、通常審と再審公判とは違った解釈をするべきであるというのが学説の多数であり、それこそが最も素直な法解釈であると思われます。



(2) また、2つめの論点である、免訴判決につき、無罪を求める上訴が適法かどうかという問題についても、再審に関しては明文も判例もないため、解釈論で決することになります。

上訴の利益論で論じられてきたのは、通常審についてであって、再審公判ではありません。ですから、これまでの判例・学説の議論は、再審事件である横浜事件にそのまま当てはまるわけではないのです。ですから、再審公判において免訴の第1審判決に対して無罪を主張して申し立てた上訴が適法かどうかという問題についても、学説の多くは再審という特殊性に配慮する必要があり、上訴を認めるべきであるとしていました。



(3) このような議論からすると、再審公判も再審の特殊性に配慮することなく、通常審と同じ手続きで行うべきであるとしたのが最高裁であって、それを誇張して妄信したのが読売新聞の社説であり、これに対して、再審公判の手続きは、再審の特殊性に配慮すべきという多数説に従ったのが朝日新聞の社説である、と分かると思います。

そうすると、朝日新聞社説は、「最高裁が免訴という法律論だけで最終決着をつけたことは残念でならない」としたのは、再審の特殊性を考慮するべきであるという学説の多数の理解を示したものであって、「裁判所に、法律論以外で決着を付けろと朝日は迫っている」のではないのです。週刊文春の理解が間違っているのです。

読売社説(3月15日付)は、「法律や判例を超えることはできず、致し方ない結論だろう」と理解していますが、それはあまりにも最高裁判決を恣意的に理解したものであって、また、再審では免訴に対する上訴の可否につき、判例がないのに勝手に「判例を超えることはできず」と誤解しており、妥当な理解ではないのです。



(4) なお、読売新聞の社説は、「裁判官2人が補足意見で、免訴判決でも無罪判決と同様に、刑事補償は受けられる点を指摘したことを、『戦時中の司法の過ちへの反省を示す一面と見ることもできる』と評価しています。

しかし、免訴判決の性質は有罪か無罪かを判断しない形式裁判ですから、本来的には、無罪判決の場合を予定している刑事補償はなじまないものです。刑事補償法が、免訴判決につき刑事補償を認めているのは、旧刑事訴訟法が免訴判決を実体裁判であると理解していた点を引きずっているものであると理解するのが大方の理解でしょう。

要するに、免訴判決でも刑事補償が受けられるのは、旧刑事訴訟法の名残りであり、また、刑事補償法が認められるか疑義があったから、補足意見で触れただけであって、「戦時中の司法の過ちへの反省を示す」ものではないのです。

週刊文春は、横浜事件に関する法律論をまるで理解することなく、読売新聞の社説を軽信してしまい、誤った理解で朝日新聞の社説を批判してしまったのです。




4.こうして検討してみると、最高裁平成20年03月14日判決の妥当性について検討する前提として、再審制度や免訴判決を正しく理解することが必要であることがよく分かると思います。


(1) ただし、どれだけの市民がこのような説明を受けることなく、判決文や報道を聞くだけで、再審制度や免訴判決を正しく理解できるというのでしょうか。疑問に感じます。

「真実の究明から目をそらし、難解な法理論をふりまわす。司法がこんな態度で、市民参加の裁判員制度がうまく機能するだろうか。」(高知新聞平成20年3月15日付「社説:【横浜事件判決】闇まで確定させるのか」)


多くの報道機関は、最高裁判決につき批判的であったので、そのまま理解すれば構わないとは思いますが、横浜事件に関する法律問題を正しく理解することは難しいのに、横浜事件の最高裁判決は、ごくわずかの理由を付けただけの判決文で免訴判決を妥当としてしまったのです。

問題なのは、横浜事件は、4人が獄死するほど熾烈な拷問がなされ、治安維持法違反をでっち上げた事件であり、裁判関係者が訴訟記録を焼却したため、第1次再審請求から22年もの辛苦を経てきたことへの配慮に欠けている点です。横浜事件の最高裁判決は、判決文から原審への言及や補足意見を除外すると、その本体部分はごくわずかの判決文であって、しかも、有罪か無罪かの判断をしない免訴判決を妥当としたのです。これでは、到底、元被告人の遺族などの関係者が納得できるものではありません。

元被告人の遺族などの関係者が納得できず、しかも、ごくわずかの理由で免訴判決を妥当とした判決文では、「真実の究明から目をそらし、難解な法理論をふりまわす」との非難も十分に納得できるものがあります。



(2) 小田中聡樹・東北大名誉教授(刑事訴訟法)は次のように述べています。
 

 「治安維持法の運用を担った司法は、さまざまな誤りを犯してきたのだと思いますが、この横浜事件は、その最たるものだと思います。誤りのなかには、たとえば、治安維持法を拡大解釈をしたという誤りがあると思います。目的遂行罪などを、相当緩めて解釈し適用した。それから拷問や脅迫を含めて、そういうものを相当濫用、活用した刑事手続きを使って有罪を言い渡した、これも誤りです。言ってみればそこには司法部の戦争責任の問題が介在していると思う。介在というか、まさにそのものだと思います。

 司法部というときには、戦前の場合には検事も入ってくるわけです。検事の下には特高もいるわけで、それをも含めた形になりますが、そういう特高や検事、それから裁判官の戦争責任については、戦後に追及がもっと厳しくなされるべきだったと思います。

 ところが日本では検察官や裁判官の責任の追及はおろか、特高警察に対する刑事責任の追及すらほとんどなされなかった。この横浜事件でも3名の特高警察が有罪の判決を受けましたが、上告棄却により確定の直後に講和恩赦により受刑を免れ、実質的には刑事責任を負わないも同然の結末になったようです。

 しかも重大なことに、この横浜事件では敗戦直後のどさくさのなかで実質的には公判なしで有罪を言い渡し、一律に執行猶予をつけて処理するというごまかし的な処理がなされています。それだけではなくて、さらに、事件記録を焼却して証拠隠滅する行為まで、司法部自らが行った形跡さえあります。

 そういうことを考えてみると、この横浜事件というものは、ある意味では、司法部が治安維持法というものを使って犯した戦争犯罪行為です。横浜事件の再審には、これに対して司法部が自らの責任についてどういう決着をつけるのかという問題があると私は思います。」(「横浜事件第一審免訴判決の総合的検討」法律時報2006年11月号〔小田中〕81頁)



戦時中、治安維持法を拡大解釈、拷問による自白を黙認したままの有罪判決など、明治憲法下でも許されないことを相当数行ってきましたが、このような司法部特有の戦争犯罪について、戦後、実質的には全く責任が問われなかったのです。狂気じみていた特高警察に対する刑事責任の追及でさえ、ほとんどなされませんでした。

「横浜事件の再審には、(司法部の戦争犯罪)に対して司法部が自らの責任についてどういう決着をつけるのかという問題」である――。このように指摘されていたにも関わらず、最高裁は冤罪に苦しむ無辜を救済するという任務を放棄し、司法部が犯した戦争犯罪について、自ら匡すことなく沈黙してしまいました。戦時中の司法の誤りについては自ら反省することはしない――。これが最高裁が、日本国民に向けて発したメッセージというわけです。

戦時中でなく、現在の刑事手続きを巡る争点でも、全般的に裁判の立場と検察の立場が極めて近似しており、かつ両立場は弁護側の主張と多くの点で対照的です。実質上の対立は三面的というよりも、検察・裁判対弁護という二面的な構図を形成しています(三井ほか『新刑事手続3』(悠々社、2002年)531頁)。刑事裁判の有罪率は99%という異常な数値であり、痴漢冤罪が後を絶たないのもその表れでしょう。現実には、刑事弁護はほとんど意味がないのではないかと思いたくなるほどです。

刑事裁判では、戦時中だけでなく戦後でも、最高裁をはじめとして裁判所の多くは、被告人となった国民の人権に配慮する努力をせず、被告人側の手続保障を十分に図るようにすることはほとんどない、と覚悟しておくべきなのかもしれません。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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