「死刑を自動的に」の鳩山邦夫法相発言や、目前に迫る裁判員制度をきっかけに、死刑への関心が高まっています。しかし、私たちは死刑について考える材料をどれだけ持っているでしょうか。「死刑―存廃を問う前に」では、死刑をめぐる話を紹介していきます。」(東京新聞3月23日付「こちら特報部」
1.「死刑―存廃を問う前に」第1回は、死刑制度存置に疑問を投げかける被害者遺族である、原田正治さんのインタビュー記事です。そこで、その記事を紹介する前に、死刑制度論の論点(死刑存置論と廃止論の理由)について触れておきます。
(1) ◇死刑存置論と廃止論の主な論点
「◇誤判・冤罪の可能性について
・存置論:誤判・冤罪が起こりうるのは死刑についてだけではない。司法制度全体の問題である
・廃止論:誤判・冤罪の危険性が常にあり、死刑は処刑したら取り返しがつかない
◇世論
・存置論:世論調査では「存置」が常に多数であり、世論が支持している以上、死刑は必要である
・廃止論:死刑を執行される側という少数者の人権の問題について、多数派の意見を重視するのは誤りである
◇被害者・遺族感情
・存置論:凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族を納得させるためにも必要である
・廃止論:犯人を殺すことが被害者にとって問題解決になるのかどうか、疑問である
◇死刑の抑止力
・存置論:凶悪犯罪を防ぐのに役に立っている。廃止すると凶悪犯罪が多発する
・廃止論:死刑に凶悪犯罪の抑止力があるとは実証されていない」(朝日新聞平成19年12月20日付朝刊3面参照)
(2) ◆法律論としての死刑存廃論の主たる論点
「◆国家は犯罪者の生命を奪う権限を認められているか(法哲学的論点)
・存置論:殺人犯など凶悪な犯罪者に対しては、死刑をもって臨むべきであるということが国民の道義的・法的確信ないし国民感情になっている
・廃止論:国に生命の絶対的価値を前提として殺人行為を犯罪としておきながら、犯人の生命を剥奪するのは矛盾である
◆死刑に一般予防機能があるか(刑事政策的論点)
・存置論:死刑には威嚇力があり、凶悪な犯罪から社会を防衛し法秩序を維持するためには、その威嚇力に期待しなければならない
・廃止論:死刑に威嚇力があるかどうか不明であり、少なくとも「疑わしきは使わず」とする態度をとるべきである
◆死刑は憲法36条にいう「残虐な刑罰」にあたるか(憲法的論点)
・存置論:執行方法が適切であるから「残虐な刑罰」にあたらない
・廃止論:死刑は現在の文明に照らして残虐な刑罰に当たることは明らかである
◆誤判の可能性がある以上、取り返しのきかない死刑を宣告することは適正手続に反しないか(適正手続的論点)
・存置論:刑事裁判制度論とは別個の問題であり、犯行が明々白々の犯人に対しても死刑を認めないのか否かが問題であり、凶悪な犯罪者は生命剥奪によって社会から完全に隔離する必要がある(特別予防的観点)
・廃止論:死刑は一たび執行されれば事態を回復することはできず、裁判に誤判の可能性がある以上死刑の判決を言い渡すことは適正手続に反する」(川端博『刑法総論講義』(成文堂、2006年)参照)
今回紹介する東京新聞「こちら特報部」の記事は、死刑存置論の理由(◇)として挙げられている、「凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族を納得させるためにも必要だ」についての妥当性について、着目した記事です。 それを頭に入れてこれから紹介する記事を読んで下さい。
「「死刑 存廃を問う前に」 疑問投げかける被害者遺族 一度は極刑望んだが…被告に面会し、心に変化 「彼しか事件語れない」
2008年3月23日
国民の8割近くが容認しているといわれる死刑制度。遺族感情を理由に挙げる人は多く、実際、「被告に極刑を」と求める遺族も少なくない。愛知県で1979年から83年にかけて起きた「半田保険金殺人事件」で弟を殺害された団体職員・原田正治さん(60)も極刑を求めた。しかし、原田さんは今、死刑制度に疑問を投げかけている。 (岩岡千景)
文机の上に、薬の錠剤が何種類も置かれていた。愛知県春日井市の原田さん宅。原田さんは50代半ばだった5年前に離婚し、団地で独り暮らし。50歳のとき、脳幹出血で倒れ、再発防止の薬を手放せない。「離婚も病気も、事件のせいだとは思いません。だけど、あの事件がなければこうじゃなかったとも、思わずにいられない」。寂しげに笑みを浮かべ、語り始めた。
30代前半のころ。原田さんは愛知県東浦町で自動車部品会社の工場長として働き、妻子とともに平穏に暮らしていた。一変したのは35歳のときだ。
83年1月24日。弟の明男さん=当時(30)=は、同県の会社からトラックで京都府へ向かったが、京都府内の木津川堤防に転落した車から、遺体で見つかった。
事故と思われていた明男さんの死は1年4ヶ月後、明男さんの上司=当時(32)=ら3人が明男さんに2000万円の保険金を掛けて撲殺し、事故に見せかけて保険金目的殺人事件だったと分かる。ほかにも愛知県半田市などの男性2人が殺害されており、事件は「半田保険金殺人事件」と呼ばれた。
そのころ、父親は既に他界。原田さんと同じ東浦町で弟と暮らしていた母は茫然(ぼうぜん)自失となり、原田さんは警察や報道機関への対応に追われた。自宅には昼夜なく報道陣が詰めかけ、「なんでこんな目に遭うのかとただ驚き、憤るばかりだった」。公判にも通ったが「怒りで頭に血が上り、法廷でのやり取りはほとんど記憶がない」。
はっきり覚えているのは公判で証言台に立ち、「極刑以外には考えられません」と答えたことだ。その言葉通り85年12月、名古屋地裁は、上司らに死刑を言い渡した。
◆謝罪などの手紙 拘置所から送る
ところが、「犯人を死刑に」という原田さんの望みは、歳月を経て変わっていく。事件から10年後、原田さんは、極刑を言い渡された上司、長谷川俊彦被告を名古屋拘置所に訪れる。謝罪などの手紙をたびたび寄こす被告に対して、なかなか返事が書けないことに良心の小さな呵責(かしゃく)があったとはいえ、訪問に、明確な動機や死刑囚を許そうという気持ちがあったわけではない。「直感に従った不意な行動だった」という。
面会した長谷川被告は謝罪し「これで私はいつでも喜んで死ねます」と話した。だが、原田さんは「彼が死んでしまっては何もならない」という思いを抱き始める。彼を「長谷川君」と呼ぶ原田さんは「事件があったあの日より前に、戻りたい。だけどかなわない。それならせめて、なぜあの事件が起きねばならなかったのか知りたかった。それを語れるのは長谷川君しかいないと思った」と、振り返る。「10年の年月が憤りをなだめてくれた感は否めない」とも。
◆「停止」求めたが執行 「なぜ」が聞けぬまま
面会後、最高裁に「長谷川君を死刑にしないで」と上申書を提出。2審・名古屋高裁の死刑判決を経て、長谷川被告は最高裁に上告していた。
93年9月、上告は棄却され、死刑が確定した。
その後も重ねた面会で、忘れられないのは94年夏の3度目。長谷川死刑囚の、社会人だった長男が自殺した直後だった。逮捕3年後にも、精神的に追い詰められた、長谷川被告の姉が自殺している。息子をも亡くし、憔悴(しょうすい)する姿を見て、原田さんは「家族を失い、長谷川君は僕たちに心から済まなかったと思えるようになった」と、確かに感じたという。
原田さんは事件後、こんなイメージを抱いていた。自分や家族は事件によって崖(がけ)から突き落とされ、司法やマスコミ、世間の人々は高見の見物。「おまえのいる崖の下に、犯人も突き落としてやる」と崖の上から言っている―。だが、「彼を死刑にしても、崖の上にははい上がれない」。そして自分を突き落とした長谷川君もまた、死刑にされる以前に「同じ崖の下」に落とされていたのだった。
95年の4度目を最後に拘置所は面会を許可せず、原田さんは拘置所や法務省に面会の継続と刑の執行停止を求めてきた。だが7年前、2001年12月に長谷川死刑囚は51歳で死刑執行された。原田さんは今も「『なぜあの事件は起きたのか』という問いから離れられない」と言い、死刑を考える集会などで、「死刑をやめた方がいい」と訴える。
◆記者らの質問に募るやるせなさ
そんな原田さんは、一般の人から「被害者の気持ちを考えろ」となじられ、記者から「残虐な殺され方をしても許せるか」と質問されたりするという。
「僕が経験してきた精神的、肉体的苦痛を他人がどれだけ理解できるだろう」「殴られて頭が膨れ上がり、傷から脳漿(のうしょう)が流れ出していた弟の殺され方を残虐でないと言うのか」。やるせなさが募る。
犯罪報道には「被害者遺族が偶像化されている」と感じるという。凄惨(せいさん)な事件に直面して悲嘆にくれ、加害者に極刑を望む遺族。その姿を見た国民は「代わって殺してやる」とばかりに加害者の「死刑」を期待する―。「私のように加害者を殺さないでと言う遺族も、別の意味で偶像化される。図式から外れた『悪い遺族』です」
だが、原田さんは「加害者が殺人事件を起こした経緯や遺族の気持ちは、それぞれに違う」と話し、こう訴える。「犯人に極刑を望む遺族もいれば、生きて罪に向き合ってほしいと望む遺族もいる。みんなが同じわけではないと知ってほしい。殺すばかりがいいのか、死刑制度も、お決まりの図式から離れてほしい」
最後に原田さんが見せてくれたのは、「長谷川君」が「執行された時に」と家族に託した自分あての遺書だった。
「原田家の皆様には、生涯、癒し得ない悲しみと苦しみを与え、今もって、計り知れないご迷惑をお掛けしていますことを、ここに改めて謝罪し、お詫(わ)び申し上げます」。謝罪から始まる遺書は「本日、死刑執行によって、強制的にこの世を去らなければならなくなりました」と報告し、生きて償いたい思いを、原田さんと母親に、こう伝えていた。
「ご恩に何一つとして報いることも出来ずに、この世を去るのは、誠に心残りであり、未練が残ってなりません」「これまで償いらしい償いもさせてもらえていませんので、この事も気掛かりであり、申し訳なくてなりません」―。(呼称は当時)
◇ ◇
「死刑を自動的に」の鳩山邦夫法相発言や、目前に迫る裁判員制度をきっかけに、死刑への関心が高まっています。しかし、私たちは死刑について考える材料をどれだけ持っているでしょうか。「死刑―存廃を問う前に」では、死刑をめぐる話を紹介していきます。
<デスクメモ>
「良い遺族」の偶像を欲しがるのは、どういう人々なのだろう。極刑を求める遺族も、求めない遺族も、明言しない遺族も、他人に指図されるいわれなどない。原田さんの話は死刑判決を求めることと、執行を求めることの間に横たわる微妙な段差も示唆している。死刑論議で、あまり触れられない部分だ。(隆)」
(1) 幾つかの点に触れて行きます。1点目。
「面会した長谷川被告は謝罪し「これで私はいつでも喜んで死ねます」と話した。だが、原田さんは「彼が死んでしまっては何もならない」という思いを抱き始める。彼を「長谷川君」と呼ぶ原田さんは「事件があったあの日より前に、戻りたい。だけどかなわない。それならせめて、なぜあの事件が起きねばならなかったのか知りたかった。それを語れるのは長谷川君しかいないと思った」と、振り返る。「10年の年月が憤りをなだめてくれた感は否めない」とも。」
なぜ犯罪を行ったのか、なぜ弟を殺したのか。真実を知っているのは実行した被告人だけなのだから、直接、すべて語ってほしい――。被害者遺族それぞれ異なるとは思いますが、真実を知りたいという気持ちは、被害者遺族として素直な感情だと思います。
原田さんは「10年の年月が憤りをなだめてくれた感は否めない」としています。最初は、身内が殺されてしまったこと自体が悲しく、憤ることばかりで冷静に事件や被告人と向き合うことは難しいでしょう。それが、時間が経過することで冷静になることでき、真相を知りたいとして、被告人と相対することができたわけです。もしかしたら、被告人の側も、冷静になって真相を語ることができるためには、長期間必要とするのかもしれません。
(2) 2点目。
「93年9月、上告は棄却され、死刑が確定した。
その後も重ねた面会で、忘れられないのは94年夏の3度目。長谷川死刑囚の、社会人だった長男が自殺した直後だった。逮捕3年後にも、精神的に追い詰められた、長谷川被告の姉が自殺している。息子をも亡くし、憔悴(しょうすい)する姿を見て、原田さんは「家族を失い、長谷川君は僕たちに心から済まなかったと思えるようになった」と、確かに感じたという。
原田さんは事件後、こんなイメージを抱いていた。自分や家族は事件によって崖(がけ)から突き落とされ、司法やマスコミ、世間の人々は高見の見物。「おまえのいる崖の下に、犯人も突き落としてやる」と崖の上から言っている―。だが、「彼を死刑にしても、崖の上にははい上がれない」。そして自分を突き落とした長谷川君もまた、死刑にされる以前に「同じ崖の下」に落とされていたのだった。」
凶悪犯罪の場合、加害者家族が崩壊してしまうことが多々あります。原田さんの場合も、長谷川死刑囚もまた、処刑にされる以前に「同じ崖の下」に落とされて、被害者・加害者両方の家族は崩壊してしまっていたのです。
加害者が死刑になったところで、被害者遺族は崖の上に這い上がれず、「司法やマスコミ、世間の人々は高見の見物」のままです。
被告人を崖の下に突き落としがっている(死刑にしたがっている)マスコミや世間の人々は、本当に、被害者の側に立ち、被害者遺族のために行動しているのでしょうか? 単に自分の勝手な応報感情を満たしたいだけではないのか、という疑問が尽きません。
(3) 3点目。
「7年前、2001年12月に長谷川死刑囚は51歳で死刑執行された。原田さんは今も「『なぜあの事件は起きたのか』という問いから離れられない」と言い、死刑を考える集会などで、「死刑をやめた方がいい」と訴える。
そんな原田さんは、一般の人から「被害者の気持ちを考えろ」となじられ、記者から「残虐な殺され方をしても許せるか」と質問されたりするという。
「僕が経験してきた精神的、肉体的苦痛を他人がどれだけ理解できるだろう」「殴られて頭が膨れ上がり、傷から脳漿(のうしょう)が流れ出していた弟の殺され方を残虐でないと言うのか」。やるせなさが募る。」
ここの部分は何度読んでも、嫌な気持ちにさせられます。よくもその一般の人は、残虐に殺された弟をもつ原田さんに対して、「被害者の気持ちを考えろ」となじることができるものだと憤りさえ感じます。その一般人は、死刑廃止を訴える被害者遺族は「被害者」でないとでもいうのでしょうか。
しかも、記者さえも、「残虐な殺され方をしても許せるか」などと言うのですから、呆れ果てます。原田さんの弟が殺された事件を知らないで、勝手な思い込みで質問しているのでしょう。
この部分の記述をみると、(死刑にしたがっている)マスコミや世間の人々は、ますます、自分の勝手な応報感情を満たしたい――私刑を求めている――だけではないのか、という疑問が尽きません。
(4) 4点目。
「犯罪報道には「被害者遺族が偶像化されている」と感じるという。凄惨(せいさん)な事件に直面して悲嘆にくれ、加害者に極刑を望む遺族。その姿を見た国民は「代わって殺してやる」とばかりに加害者の「死刑」を期待する―。「私のように加害者を殺さないでと言う遺族も、別の意味で偶像化される。図式から外れた『悪い遺族』です」
だが、原田さんは「加害者が殺人事件を起こした経緯や遺族の気持ちは、それぞれに違う」と話し、こう訴える。「犯人に極刑を望む遺族もいれば、生きて罪に向き合ってほしいと望む遺族もいる。みんなが同じわけではないと知ってほしい。殺すばかりがいいのか、死刑制度も、お決まりの図式から離れてほしい」」
<デスクメモ>にも出ていますが、 原田さんは、世間は被害者遺族について、「良い遺族」と「悪い遺族」という分類をしているといった趣旨のことを述べています。犯人に極刑を望む遺族は「良い遺族」であり、加害者を殺さないでと言う遺族は「悪い遺族」ということです。
同じ被害者者遺族であっても、遇・心情・思想がそれぞれ異なるのですから、死刑に対する意識、加害者への向き合い方もそれぞれ異なるのです。「みんなが同じではない」のです。被害者遺族のそれぞれ異なる気持ちを尊重することこそ、被害者感情を尊重することになるはずのに、今は、「悪い遺族」は「被害者」でないかのように非難されてしまうのです。原田さんのように。
犯人に極刑を望む「良い遺族」だけが「被害者」として扱われ、死刑を望まない遺族は「被害者」でないという、世間の意識はおかしいのではないでしょうか。「殺すばかりがいいのか、死刑制度も、お決まりの図式から離れてほしい」という原田さんの言葉に、ぜひ耳を傾けてほしいと思うのです。
(5) 5点目。
「最後に原田さんが見せてくれたのは、「長谷川君」が「執行された時に」と家族に託した自分あての遺書だった。
「原田家の皆様には、生涯、癒し得ない悲しみと苦しみを与え、今もって、計り知れないご迷惑をお掛けしていますことを、ここに改めて謝罪し、お詫(わ)び申し上げます」。謝罪から始まる遺書は「本日、死刑執行によって、強制的にこの世を去らなければならなくなりました」と報告し、生きて償いたい思いを、原田さんと母親に、こう伝えていた。
「ご恩に何一つとして報いることも出来ずに、この世を去るのは、誠に心残りであり、未練が残ってなりません」「これまで償いらしい償いもさせてもらえていませんので、この事も気掛かりであり、申し訳なくてなりません」―。(呼称は当時)」
生きて償いたい加害者がいて、生きて償うことを望む被害者遺族がいる――。被害者遺族が加害者を死刑にしないでほしいと訴えたとしても、死刑判決となり、死刑が執行されてしまうのです。ここには、素直な感情として、不合理さを感じてなりません。本来、被害者感情で判決や執行が左右されるわけではないにしても、現実の判例の運用では、死刑を望む被害者感情のみが重視されていることからしても。
3.この東京新聞の記事を読んでどう思ったでしょうか?
「「良い遺族」の偶像を欲しがるのは、どういう人々なのだろう。」(デスクメモ)
「良い遺族」の偶像を欲しがるのは、実際の被害者遺族を差し置いて、単に自分の勝手な応報感情を満たしたい人たちなのではないかと思えるのです。「極刑を求める遺族も、求めない遺族も、明言しない遺族も、他人に指図されるいわれなどない」のです。
今回の記事からすると、死刑存置の理由(◇)として挙げられている、「凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族を納得させるためにも必要だ」ということは、多種多様な遺族がいることを考えれば、死刑制度存続を決定付けるほどの理由になっていない、と理解できると思います。
東京新聞「こちら特報部」は、「死刑―存廃を問う前に」という連載記事を掲載し続けています(今後もエントリーとして紹介したいと思います)。死刑制度の存廃のどちらが妥当なのか考える際には、これらの連載記事が出してくる「死刑について考える材料」を読んで理解してから、判断してほしいと思います。
“社会感情(ex.この国の法体系は公正、正当ではない、という論理化可能な感情)”のように形態化して語られるべきかと。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
死刑制度のみならず厳罰主義にも否定的です。
日本は、最近、厳罰化が叫ばれ寛容、温情というものを失ってしまいました。
寛容、温情を失ってしまった社会ほど住みにくい社会はありません。
東京新聞の記事は、いろいろと考えさせられました。
死刑を求めるのが良い遺族で、求めないのは悪い遺族だなどと言われては、
死刑を求めたくなくても、自分を偽って死刑を求めると言わざるおえない場合
もでてくるでしょう。
死刑制度というものは、被害者遺族にとってもむごい制度のような気がします。
URL | いい #-[ 編集 ]
>存置であれ、廃止であれ、“被害者遺族の感情”という言葉を持ち出した時点で法律論として堕落してしまいますね。
そう思います。本当の遺族感情とは関係なく、“被害者遺族の感情”ということをお題目のように都合よく使って、議論しているように思います。
一口に被害者感情といっても、傷害致死や交通事故でも加害者を死刑にしたいと思う人もいるでしょうが、それらの規定には死刑が刑罰にないので、死刑は法律上、不可能です。罪刑法定主義がある以上、法を無視して死刑にはできません。
他方で、最近でも一家心中事件が何件が起こっていますが、生き残った子供が心中を図った親に対して、生きてほしいと願ったこともあります。こんな場合、生きてほしい被害者感情があっても、死刑判決にしていいのか……。親を奪うことは子供にとって本当にいいことなのか、明快な答えはだせないと思います。
もう“被害者遺族の感情”を持ち出すのは、控えたほうがいいと感じています。
>“社会感情(ex.この国の法体系は公正、正当ではない、という論理化可能な感情)”のように形態化して語られるべきかと。
そういった“社会感情”というか、一般論としての国民感情として議論するしかないでしょうね。法学的には、「一般法感情」という表現を使ったりします。
>日本は、最近、厳罰化が叫ばれ寛容、温情というものを失ってしまいました。
>寛容、温情を失ってしまった社会ほど住みにくい社会はありません。
近年の日本の犯罪状況は特段の変化はないのに、体感治安が悪化し、それが心の余裕のなさをもたらし、また、人々の生活が苦しくなっているため、それらのことから、寛容でいられなくなっているのだと思うのです。
そして、突発的な衝動で行われたり、身内で行われることが多い殺人事件などでは、いくら厳罰化したところで、抑止力になっているのか極めて疑問です。犯罪を行った背景を探り、犯罪防止策を講じることこそ意義があることなのに、世間は、犯人を処罰することばかり躍起になっています。効果的なことをしていないため、余計に厳罰化し、寛容さに欠ける社会へ突き進む……。日本社会はなぜこんなに妙になったのか不思議な感じがします。
>死刑を求めるのが良い遺族で、求めないのは悪い遺族だなどと言われては、
>死刑を求めたくなくても、自分を偽って死刑を求めると言わざるおえない場合もでてくるでしょう。
同感です。「良い遺族、悪い遺族」を区別し、「悪い遺族」を非難するなんて、どうなっているのか、憮然とした気持ちになります。本当は、被害者遺族はほとんど尊重されていないんじゃないのか、と疑問に感じます。結局、世論にとっては、被害者遺族は都合のいい時だけもてはやす存在なのでしょう。
他に引き合いに出せる遺族がいないからって、いつもこいつばっかりスター気取りで出て来てる。
だいたい、遺族遺族って騒ぐほど、生きてる時仲良かったとでも言うのかね?
兄弟なんて所詮「他人の始まり」だろ。
それとこいつ、運動にうつつを抜かすあまり、離婚し子供たちも妻側に行ったっていうじゃん。
そんなご立派な人間かよ。
まして運動を通じて知り合った女といちゃついてたともいうぜ。
自分で書いた「弟を殺した彼と僕」って本に、しっかり書いてあったしな。
妻子2人を失った本村氏と比較になるかよ。
なんなら、原田と本村さんの対談でもさせてみたらどうだ?
面白い結果になりそうだなw
URL | 及川 正 #-[ 編集 ]
>原田のことはもういい加減にしろよ
>いつもこいつばっかりスター気取りで出て来てる
マスコミ(東京新聞)はもう原田さんの話を取り上げるなということですね。もう十分に原田さんの話を聞いている方にとっては、飽きてしまった感があるのかもしれません。ただ、誰もが原田さんの話を知っているわけではないですし、すでに何度も紹介されている人であろうと、声を上げている人に取材することは、報道機関の務めであろうと思います。特に、冷静さを欠いたように厳罰化が叫ばれている日本では、反対意見を述べる方は貴重でしょう。
もっとも、 及川正さんの意図は、原田さん以外の被害者遺族の声も聞きたいということかと思います。そこで、冤罪死刑となった事件での被害者遺族の話を含んだものをエントリーとしてアップしました。こちらをぜひお読みください。↓
「死刑――存廃を問う前に」(第2回):「福岡事件」死刑執行後も無実の叫び〜冤罪死刑もやむなしなのか?(東京新聞3月31日付「こちら特報部」より)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-987.html
>兄弟なんて所詮「他人の始まり」だろ
兄弟は左右の手なり、ともいます(兄弟は左右の手のように互いに助け合うべきであるというたとえ)。必ずしも、兄弟は利害関係や結婚などによって、互いの情愛も薄れて他人のようになる、わけではないでしょう。まして、殺害されたとなれば。
>そんなご立派な人間かよ
この原田さんに関してではありませんが、某ブログの言葉を借りれば、「人間は完全ではありません」。
>妻子2人を失った本村氏と比較になるかよ
本村さんの場合、妻子とこれから長く人生を歩もうとしていたのですから、余計に悲しみは大きいと思います。ただし、身内のうち、誰が殺されたのかによって「遺族」を分けることは、適切ではないだろうと思います。兄弟は血を分けた者同士なのですから。
永山判決では、遺族の被害感情も死刑判断の基準に入ってますので、控える必要性は今のところありませんが。
URL | YO!! #-[ 編集 ]
>>もう“被害者遺族の感情”を持ち出すのは、控えたほうがいいと感じています。
>永山判決では、遺族の被害感情も死刑判断の基準に入ってますので、控える必要性は今のところありませんが
意味不明です。
死刑の判断基準においては、裁判所側の見解としては被害者感情は重視していませんし、学説上も、死刑か否かを左右する要素ではないと説明するのが一般的です。すでに「控えている」のです。もっとも、弁護人側としては違う理解をしていますが。
それは別としても、ここでは、死刑制度の是非の議論として、「“被害者遺族の感情”を持ち出すのは、控えたほうがいい」という話をしているのです。
死刑廃止派のみの発言しか掲載されませんようですので直接こちらから〜
私は被告の反省が信じられません。もし貴方が安田氏の弁で被告が反省しているとお考えでしたら余計にです。安田氏は本村氏が開封もしていない手紙をマスコミや自分の支持団体の集会で発表している。
本村氏の弁によると最初の手紙が届く前にマスコミから手紙が着きましたかとの問い合わせがあったそうです。こんな手紙本村氏が読みますか?読むわけないでしょう?裁判対策そのままでしょう!
安田氏は過去にもあります。名古屋アベック殺人事件の女性被害者の遺族がたった一回返信し頑張れよと書いてあった文章を、死刑フォーラムの集会で遺族が赦したと虚偽の発言をしている。
これは完全な虚偽です。
URL | ケイ #-[ 編集 ]
>あちらの方は死刑廃止派のみの発言しか掲載されませんようですので直接こちらから〜
う〜ん。そういう書き方をなされると、ちょっとコメント承認しづらいのですが。
>私は被告の反省が信じられません。
反省しているか否かは内心の問題ですから、本当のところは分かりません。ただし、謝罪の手紙を送るなど、何度も謝罪の意思を示していることは確かなことです。
>本村氏の弁によると最初の手紙が届く前にマスコミから手紙が着きましたかとの問い合わせがあったそうです。こんな手紙本村氏が読みますか?読むわけないでしょう?裁判対策そのままでしょう!
裁判対策だけならば、謝罪の手紙を被害者遺族に送ったこと、その手紙には○○といった内容の謝罪をしているということを、裁判所に提出すれば足ります。被告人が反省の意を示していることが大事なので。ですから、「裁判対策」としては、本村さんが手紙を読んだか否かは、あまり関係がないと思います。
本村さんに手紙が届く前にマスコミに伝えたのだとしたら、マスコミ対策の面はあったのかもしれませんね。ただ、感情的で一方的な報道がされている異常な事件ですから、弁護側としてはマスコミ対策は重要でしょう。それに検察側も、未決拘禁中に山口刑務所で知り合った友人に出した手紙を、マスコミに流すなど散々利用したわけですから、そうそう非難できないように思います。
>安田氏は過去にもあります。名古屋アベック殺人事件の女性被害者の遺族がたった一回返信し頑張れよと書いてあった文章を、死刑フォーラムの集会で遺族が赦したと虚偽の発言をしている。
>これは完全な虚偽です。
詳しい経緯を知っているわけではないのですが、遺族による手紙の内容は、明らかになってはいないですよね? なので、本当のところはどうかはよく分からないという感じです。
それに、この事件の加害者の話を「週刊金曜日」で掲載していましたが(何号だったか不明)、そこでの加害者の話は、「謝罪を受け入れてくれて嬉しかった」といったものでした。ですから、とまでいえるのかなと思います。
どんな事件でも言えることではあるのですが、訴訟の当事者でないと詳しい事実はよく分からないですね。その意味でも、「完全な虚偽」であると言い切ることは難しいことです。
過去に再審無罪となった梅田事件の初期の再審開始運動に携わっていましたし、退職刑務官の真人間になった死刑囚を執行する必要があるのかの問いに
考えさせられた事もあります。
論理的な死刑廃止論を聞きたいと思って閲覧してますが今の処死刑廃止に傾いていません。
また現に死刑が法律で定められてる現状では残酷な事件は死刑の選択はやもう得ないと考えています。
死刑廃止を主張するなら、死刑存続論者を、論破、説得しなければ死刑制度は続きます。日本は民主主義国家ですから。
(「完全な虚偽」であると言い切ることは難しいことです。>
私の言い方に問題があったかもしれません。
訂正します。
<安田氏の弁は事実ではありません>
被告に書いた1度の手紙、その中に頑張れよと
書いていた事をその母親経由で聞いただけです。
公に話すなら確認遺族に確認するのが当然と考えます。
私は名古屋ですので、色々調べました。
3年程前の女性遺族S氏の話である。
『S氏のもとには過去服役中の犯人から謝罪の手紙が何通も
届いた。Sさんはそうした手紙を精読し、犯人達を憎む気持ちを
押し殺して、今日まで生きてきた。
犯人達に励ましの言葉をかけてやった。
「手紙なんて、所詮は絵に描いたモチみたいなもんてっ」
吐き捨てるように言って、S氏は目を伏せた」
それと被告が友人にあてた手紙は私はあまり重要視してない立場ですが、これは受信者が公表したものですね。本村氏への手紙は見てもいないし公表していません。これを同列するのは無理があります。
裁判にとってマイナスでしょう。
URL | ケイ #-[ 編集 ]
>死刑廃止を主張するなら、死刑存続論者を、論破、説得しなければ死刑制度は続きます。日本は民主主義国家ですから。
「死刑存続論者を、論破、説得」できれば、それはそれで良いとは思います。「死刑―存廃を問う前に」のエントリーでは、毎回、必ず存廃論の理由を挙げて、どういう議論なのかを明確にしています。
ただ、死刑存廃の議論をするとはいっても、私たちはあまりにも、死刑囚・死刑執行の現実を知りません。刑死した方の氏名でさえ、法務省が公表したのもつい最近のことです。
「53年前の「死刑執行」音声5月6日放送へ…文化放送
死刑執行の模様を生々しく伝える音声テープが約50年ぶりに見つかり、テープを入手した文化放送が、ラジオ番組として5月6日に放送することがわかった。
同局は「裁判員制度を前に、死刑の現状を広く伝えることは意義がある」と話しているが、論議を呼びそうだ。
同局が15日の定例記者会見で明らかにした。番組名は「死刑執行(仮題)」で、5月6日午前10時から55分間放送する。同局によると、音源テープは、1955年に大阪拘置所が職員への教育や死刑囚への待遇改善などを狙って制作したものといい、「提供元は明らかにできないが、数年前に入手した」(同局編成部)という。テープには、死刑囚に死刑執行を伝える刑務官の声や、読経が流れる中、刑務官と死刑囚とが最期のやりとりをする様子などが収録されているという。
同局はすでに遺族の了解も取っており、死刑囚の名前は伏せて放送する予定。さらに、番組では死刑執行にかかわった元職員や検察OBらへの取材も加え、死刑執行の現状について掘り下げていくという。
一方、法務省は、「拘置所が死刑執行を録音していたという事実は確認していない」としている。
(2008年4月15日23時27分 読売新聞)」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080415-OYT1T00824.htm
このラジオ放送でまた、死刑の現実を知ることができます。きちんとした議論をするためには、前提として死刑を巡る情報について行政が公開することが必要ではないかと思います。
ちなみに、死刑を廃止するということは立法論ですから、死刑廃止法案を国会に出して、国会の過半数の賛成が得られて成立すれば、すぐにでも廃止できることになります。「死刑存続論者を、論破、説得」しなくても足りるということです。
>被告に書いた1度の手紙、その中に頑張れよと
>書いていた事をその母親経由で聞いただけです。
>公に話すなら確認遺族に確認するのが当然と考えます
手紙(私信)を受け手側が公表する場合、原則としては送り手側の承諾が必要です。双方のプライバシー情報に関わるのですから。
ただし、公共の制度・利害に直接関係がある場合には、承諾がなくても、公開の目的に照らし合理的な一定範囲内で公開は許されると理解するのが判例の立場です。そうすると、死刑フォーラムという死刑制度の是非を論じる場において、存置論の最も有力な根拠である「被害者感情」に関する手紙なのですから(重大事件での被害者遺族側の手紙ですから、極めて重要です)、公共の利害に関係あるものであり、その内容を一定程度公表することは、法律上、許されるように思います。
どうやらケイさんは、安田弁護士へのこだわりがあるようです。安田弁護士の過去及び今回の光市事件での弁護活動に大いに不満があるということなのでしょうか?
法律的にその通りですね。しかし死刑の存続を国民が望んでいる以上無理ですね。国会議員は国民の代表ですから。この話をするとフランスの死刑廃止を持ち出す人がいますが、逆に死刑廃止を国民の大多数が望んだ場合、国会議員が死刑制度を存続したら国民は黙っていないでしょう。
「53年前の「死刑執行」音声5月6日放送へ…文化放送
これ有名ですね。テレビで過去にやってました。
私が死刑問題に疑問を持ってる原因のひとつです。
これ退職刑務官が現職時代極秘に録音したものです。今なら大問題でしょうね。法律に違反してますから。私は死刑制度に疑問を持ってます。
納得できる死刑廃止論を聞きたい立場ですが、このよう考えでは死刑制度は存続しますね。
(手紙(私信)を受け手側が公表する場合、原則としては送り手側の承諾が必要です。双方のプライバシー情報に関わるのですから)
なんの事でしょうか?
私が批判しているのは、遺族の父親が頑張れよと手紙に書いているのを、許してる、癒されていると当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言している事を批判しているのです。
(安田弁護士の過去及び今回の光市事件での弁護活動に大いに不満があるということなのでしょうか?)
大いにあります。
貴方は新宿西口放火殺人の事ご存知ですか?
安田氏はこの事件の総括を行ってません。
ご存じなければお調べください。
光市の事件では弥生さんが凶器に見える光るものを
振りかざして被告に襲い掛かるように見れるイラストをマスコミに公表した。これ何の根拠もありません。
質問にも答えない。
被告の手紙を裁判に効果ありませんでしたね。
かえって糾弾されてます。
最後にある処で私が書いた文書です。
(被告、弁護団の主張を高裁は全面的に否定しました。
最高裁が<事実関係には問題がない>と断定しているのに
今までの主張を変え、それが今日反省の情がないとまで指摘された。
過去にも書いたが弁護団の主張が被告のためになったのか?
否でしたね。
不当判決と発言しているようでは、自己の主義主張のためにこの裁判を
利用していると思われても致し方ないでしょうね。
上告しましたね。
これは当然です。命が関わってますから。
さてこの弁護団どんな主張するのだろうか?
事実関係を争っても無駄であろう。
情状に訴えるか?
これは彼らの主義主張に反する行為だ。
この弁護団に出来るだろうか?
作家の佐木隆三氏は弁護団の自爆行為と糾弾した。
万が一減刑可能性があるとすれば情状であろう。
しかしこの弁護団では無理でしょうね。
安田氏の弁です。
『やってないことは誰も反省できない。覚醒罪事件が典型だが都合の悪い面を隠せば被告は過ちを直視できず繰り返す』
この発言の付けを払うのは並大抵ではない。
結局認められる可能性のない事実関係で争うことになるのか?
それは安田氏がドンキホーテになるだけなのかもしれない。 )
被告、弁護団の主張を高裁は全面的に否定しました。
最高裁が<事実関係には問題がない>と断定しているのに
今までの主張を変え、それが今日反省の情がないとまで指摘された。
過去にも書いたが弁護団の主張が被告のためになったのか?
否でしたね。
不当判決と発言しているようでは、自己の主義主張のためにこの裁判を
利用していると思われても致し方ないでしょうね。
上告しましたね。
これは当然です。命が関わってますから。
さてこの弁護団どんな主張するのだろうか?
事実関係を争っても無駄であろう。
情状に訴えるか?
これは彼らの主義主張に反する行為だ。
この弁護団に出来るだろうか?
作家の佐木隆三氏は弁護団の自爆行為と糾弾した。
万が一減刑可能性があるとすれば情状であろう。
しかしこの弁護団では無理でしょうね。
安田氏の弁です。
『やってないことは誰も反省できない。覚醒罪事件が典型だが都合の悪い面を隠せば被告は過ちを直視できず繰り返す』
この発言の付けを払うのは並大抵ではない。
結局認められる可能性のない事実関係で争うことになるのか?
それは安田氏がドンキホーテになるだけなのかもしれない。
世の中には、どうしようもないバカがいるんです。人を殺して快楽を得る、そんなキチガイがいる。
そいつらへの抑止力も期待はできないが、少なくともそんなバカが再び世の中に放り出されることだけはなくなる。
無期懲役? バカ言え、あんなものはマトモなフリだけしてりゃ、下手すれば10年程で出てくる。
そんなおぞましいバカが出てくるくらいなら、死刑にしてくれた方が安全。
高飛車? 考えなし? それで結構、これは割りと市民の本音でしょ?
法律だとかなんだとかより、やっぱり人間は我が身の方がかわいいに決まってる。
ああ、私は被告の態度による情状酌量もいらないと考えてます。口先だけかもわからんし。手紙だとかなんだとかも、本当に心がこもってるかなんて誰にもわからない。もしかしたらヘラヘラしながら書いたのかもしれない。そうじゃないと、誰が言える?
だったら、疑わしきは罰せよ、でいい。
そのためにも、私は裁判員制度には反対だな。市民はすぐ感情に流されるから。被告がしおらしくしとれば、コロっと騙される。
それが人情ドラマ好きの日本人が辿る、裁判員制度の末路。
URL | shamiruka #23/F9VpE[ 編集 ]
>死刑の存続を国民が望んでいる以上無理ですね。国会議員は国民の代表ですから。
死刑存続を望む国民が多数であっても、死刑を執行される側という少数者の人権の問題ですから、人権保障の理念からすれば、多数派の国民の意見を重視するのは誤りでしょうね。国会議員は国民の意思を問わず死刑を廃止することは、憲法上、望ましいといえます。
>退職刑務官が現職時代極秘に録音したものです。今なら大問題でしょうね。法律に違反してますから。
「法律に違反している」とのことですが、何の法律の何条に違反しているのですか?
毎日新聞の記事によると、拘置所の了解の下、当時の法務省矯正局長も(事後に?)了解していたと受け取れますので、法律上、問題ないと思いますが。同じ手続きをとるなら今でも可能でしょう。(もちろん、死刑囚の同意は必ず必要です)
「執行の瞬間を収めたテープは、昭和30年代に大阪拘置所が刑務官の教育や死刑囚の待遇改善を目的に作成。当時の法務省矯正局長にも提出されたという。」(毎日新聞 2008年4月16日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080416ddm012040037000c.html
>私は死刑制度に疑問を持ってます。
>納得できる死刑廃止論を聞きたい立場ですが
私に「納得できる死刑廃止論」を教えてほしいということでしょうか?
>私が批判しているのは、遺族の父親が頑張れよと手紙に書いているのを、許してる、癒されていると当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言している事を批判しているのです
そういうことなら、安田弁護士の行為は、何も問題ありません。手紙であろうとなかろうと文章の読解・論評は(名誉毀損でない限り)自由ですから、「当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言」することも自由です。
>安田弁護士の過去及び今回の光市事件での弁護活動に大いに不満があるということなのでしょうか?
>大いにあります
単に安田弁護士を糾弾したいだけなら、ご自分のブログなり開設してそこで行って下さい。ただし、名誉毀損にならないようにお気をつけ下さい。
>貴方は新宿西口放火殺人の事ご存知ですか?
>安田氏はこの事件の総括を行ってません
被告人が死刑を望んでいたのに、無期懲役の弁護を行い、無期懲役の判決となったが、被告人は自殺してしまったということですか?
無期懲役になったのは、あくまで裁判所がそう判断したからであって、安田弁護士を非難するのは筋違いです。また、無期懲役との境にある事件だったのですから、いくら被告人が死刑を望んでいるからといって死刑を求める弁護をしたら、被告人に不利益になるので、弁護人の任務上、できません。このように、特に、安田弁護士の行動を批判すべき点は見出すことはできません。
>イラストをマスコミに公表した。これ何の根拠もありません。
安田弁護士らは、弁護活動を報道機関に正しく報道してもらえるよう記者会見を行い、イラストを示したのですから、弁護活動の一環として合法的な行為です。
>今までの主張を変え、それが今日反省の情がないとまで指摘された。
>過去にも書いたが弁護団の主張が被告のためになったのか?
>否でしたね
被告人が殺意を否認し、それを根拠付ける鑑定書もある以上、それに沿った弁護人の主張は、弁護人の任務を誠実に果たしたものであり、それが被告人の利益になることです。被告人はやっと本当のことを言えたと、納得しています。
ケイさんは、被告人が自分が裁かれている裁判において、言いたいことを言えないなんておかしいとは思わないのですか?
>作家の佐木隆三氏は弁護団の自爆行為と糾弾した
佐木隆三氏は「誠実義務」をまるで分かっていません。佐木隆三氏は長年、裁判に関わるコメントをしてきているのに、ここまで弁護人の任務を知らないど素人なのかと、法曹関係者はみな哄笑しているでしょうね。
>不当判決と発言しているようでは、自己の主義主張のためにこの裁判を利用していると思われても致し方ないでしょうね
まだ要旨しか分かりませんが、それでも「不当判決」という理解は妥当です。↓をご覧下さい。
「光市事件・差戻控訴審:広島高裁平成20年4月22日判決は元少年に死刑判決〜広島高裁判決の問題点について検討」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1066.html
もしかしたら、ケイさんはあまり刑事弁護の意義について理解できていないのではないですか?
死刑廃止論者が貴方のような考えが、多数としたら日本に死刑制度は残るでしょうね。
国民の意思を無視して国会議員が死刑廃止を行い
それを憲法上望ましいなどは民主主義の否定ですね。
貴方はご自分の価値観を絶対視しているだけで
このような理論は国民には受け入れないでしょう。
(当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言」することも自由です。)
これは驚きです。虚偽でもかまわないとの事ですね。もし人権派といわれる方がその様な考えを持っているなら彼らの言は信じられない事になります。
(盲目的支持者は信用しますね。確認と言う作業をしませんから、まるで宗教のように)
(ここまで弁護人の任務を知らないど素人なのかと、法曹関係者はみな哄笑しているでしょうね。 )
その結果がこの判決ですか?
結局被告の発言を弁護団は証明出来なかった
だけですよ。裁判としては完敗でしたね。
(「不当判決」という理解は妥当です)
なにをもって不当判決といわれるのかわかりませんね。自己の主張が認められなければ不当裁判って事になるんでしょうね。
(私に「納得できる死刑廃止論」を教えてほしいということでしょうか?)
聞いてみたいとは思いましたよ。
私は死刑制度が改正するには、国民の意識を変えなければならないと考えてますが、廃止論者はそれさえも排除しますから。
仲間内で反対を繰り返しているだけ、自己陶酔、自己満足の世界ですから(苦笑)
私は学生時代、後に再審無罪となった梅田事件の初期の再審開始運動に関わってました。
マスコミで話題になってから、いわいる人権団体や
人権派弁護士が集まり、主導権争いをはじめました。梅田さんの意思を無視して主義、主張を振りかざしてましたね。それ以来人権派といわれる人種は嫌いかも知れませんね(苦笑)
ただ私の意見を掲載させて頂いた事には感謝します。
ありがとうございました。
>意味不明です。
死刑の判断基準においては、裁判所側の見解としては被害者感情は重視していませんし、学説上も、死刑か否かを左右する要素ではないと説明するのが一般的です。すでに「控えている」のです。もっとも、弁護人側としては違う理解をしていますが。
意味不明です。遺族の被害感情を重視していないというだけで無視していいといっているわけではないように見うけられますが。それに、遺族の被害感情を考察することなく、死刑を選択すれば、判例違反といえるのではないでしょうか?
光市母子殺害事件の差し戻し判決でも、遺族の被害感情に触れる記載もありましたが。
>それは別としても、ここでは、死刑制度の是非の議論として、「“被害者遺族の感情”を持ち出すのは、控えたほうがいい」という話をしているのです。
判決で死刑を選択する際の基準となってますから、控える必要性は認められませんが。
URL | YO!! #-[ 編集 ]
>無期懲役? バカ言え、あんなものはマトモなフリだけしてりゃ、下手すれば10年程で出てくる
「犯罪白書」(05年版)によると、04年に仮釈放された無期懲役囚数は全無期懲役受刑者1467人中3人です。いずれも20年以上服役し、仮釈放許可人員の平均服役期間は27年2カ月(「矯正統計年報」05年版より)となっています。10年程度で出てくることはありません。
>だったら、疑わしきは罰せよ、でいい
本来、「疑わしきは被告人の利益に」原則があるはずですが、日本の刑事裁判の現実は、「疑わしきは罰せよ」になっています。
>私は裁判員制度には反対だな。市民はすぐ感情に流されるから。被告がしおらしくしとれば、コロっと騙される
光市事件報道では、テレビはもちろん、世論も感情的でした。
裁判員制度に反対するのであれば、多くの市民が声を上げる必要がありますね。
>国民の意思を無視して国会議員が死刑廃止を行い
>それを憲法上望ましいなどは民主主義の否定ですね。
>貴方はご自分の価値観を絶対視している
命を奪うという究極の人権侵害ですから、多数決という民主主義で決することになじまないものです。どんなことでも民主主義で決することが妥当ということではないことを理解して下さい。私が書いたことは、憲法学上、多数説といえる意見であり、「自分の価値観を絶対視」しているのではありません。
>(当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言」することも自由です。)
>これは驚きです。
論評する自由は誰にでもあります。このブログではよく判例を論評していますが、裁判所に「確認」することなく「勝手に解釈し」てブログで公表しています。ケイさんの言い分によると、私は常に裁判所に確認しなくてはいけないことになりますが、それがあまりにもおかしいことは一目瞭然でしょう。
ケイさんはどういう法的根拠で、当事者に確認を必要とするのか、ぜひ述べて下さい。ケイさんは法的根拠なく、身勝手に「解釈につき当事者に確認せよ」と言っているだけだと思います。
>その結果がこの判決ですか?
>結局被告の発言を弁護団は証明出来なかった
>だけですよ。裁判としては完敗でしたね。
裁判所の判断は自由心証ですから、弁護士がどう説明しようとも左右できません。ケイさんは裁判制度についてまるで分かっていません。
>なにをもって不当判決といわれるのかわかりませんね。自己の主張が認められなければ不当裁判って事になるんでしょう
「不当判決」という理解が妥当であることは、↓を読んでくださいと書いたはずですが。
「光市事件・差戻控訴審:広島高裁平成20年4月22日判決は元少年に死刑判決〜広島高裁判決の問題点について検討」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1066.html
>私は死刑制度が改正するには、国民の意識を変えなければならないと考えてますが、廃止論者はそれさえも排除しますから。
>仲間内で反対を繰り返しているだけ、自己陶酔、自己満足の世界ですから
ケイさんは、死刑廃止を妥当といいながら、このブログでコメントしていることは、安田弁護士をただ根拠なく罵っているだけです。これではまるで、ケイさん自体が、「仲間内で反対を繰り返しているだけ、自己陶酔、自己満足の世界」に浸っていることになっています。
安田弁護士批判なぞ、不毛なことは止めた方がいいと思います。そして、ご自分の主張が法的根拠に基づくのかどうかをよく検討し、裁判制度と刑事弁護への理解を深めて下さい。
まったくその通りですね。被告は最大の人権侵害を犯しましたから。刑法はそのための罰ですね。
(多数決という民主主義で決することになじまないものです。)
刑法を改正するのは、国会です。少数でどうやって
帰る事が出来るんでしょう。
そして国会議員は国民が選ぶのです。
(私は常に裁判所に確認しなくてはいけないことになりますが、それがあまりにもおかしいことは一目瞭然でしょう。)
はっきり言って詭弁です。
判決内容は知る事が確認できます。
赦している、、癒されてるなどかいてませんよ。
名古屋の遺族は頑張れよ、言ったのは事実ですが
赦してなどいないと明言してます。
法律以前に人間的に問題です。
(法律に違反してなければなにやっても良いとの考えであれば無駄でしょうけど)
(裁判所の判断は自由心証ですから、弁護士がどう説明しようとも左右できません)
自分の主張が正しいけど、裁判官が認めないのは
裁判官が悪いってことですね。
負け犬の遠吠えにきこえますね。
朝日に毎日ですね。
このような意見もありますね。読んでください。
↓
http://www.yabelab.net/blog/2008/04/23-115444.php
(ケイさんは、死刑廃止を妥当といいながら)
妥当なんて書いてませんよ。
死刑制度に疑問は持ってます。
改心、真人間になった人間を執行していいのだろうか? これが最大の理由ですけど。
(この考えは私の周りには多いです)
死刑が残酷ってのはどうかな。
被告の行った行為はもっと残酷ですから。
死刑廃止に踏み切れない、迷ってる状態ですね。
貴方と根本的に違うのは、国民が死刑制度に疑問を感じなければ死刑廃止など無理と考えてる点でしょうね。
貴方も民主主義が国民の意見の集約であることを
理解されたらいかがですか。
民主主義を否定したら、死刑制度を迷ってる国民は廃止に踏み切れないですね。
差し戻し審が決まってから、(最初は興味半分でしたが)このブログや今枝弁護士のブログ、その他を見ていくうちに「これはいけない!」と思いました。
弁護団は弁護士として当たり前の弁護活動をしたのだと理解し、無期懲役の意味・実態も知らず、被告者側の意見に聞く耳も持たず、無知な状態で感情にまかせて単に死刑だと思ってはいけないのだと。
情状酌量の余地はあるのではないかと。
そういった事を踏まえた上で判決主旨を読み、判決理由は被害者感情を取り入れた部分を抜かしても納得できた内容なので不当判決と言い切れないと思いました。
そして死刑が妥当だったとも言い切れない、どっちつかずの思いです・・・。
だた私個人としては午後のアダージオにコメントさせて頂きましたが、自分の愛するものが理不尽に殺された場合は何の躊躇もなくその相手を自分の手で殺してやりたいです。(この裁判での被告者に酌量の余地があると思うのは、他人事だからなんでしょうね)
それが許されないから法律があると勿論わかっています。それでも、そういった思いを抱くのは仕方のないことでしょう。
本村さんが「精神誠意反省して死ね」と思うのは当然の事だと大概の人は思っているでしょう。
死刑廃止論者の方はもし自分が被害者家族の立場になっても、微塵もそう思わないのでしょうか?
その問いに対しての死刑廃止論者の方の答えを探しても見つかりません。(どこかにあるなら教えて下さい)
当たり前にそういった感情もあるし被害者遺族の感情も理解している上で、それと死刑問題は別と割り切っているのですか?
また、死刑廃止論者に限らずこの裁判を不当と思った人達は何か抗議活動を起こされているのでしょうか?
批判ではなく、純粋に知りたいと思っています。
刑事事件に限らず政治、宗教、その他諸々、人それぞれ考え方や捕らえ方が違うのは当たり前ですし、何にしても「絶対これが正しい」ということはないと思います。
でも、それぞれが信念を持って議論し、批判するだけでなくお互いに理解するように努力して良い社会にしていけたらいいですね。
過去に死刑制度を厳格に言われる方と話したことがあるのですが、殺人とは究極の人権侵害であるから
人権を守るため、人を殺したものは死刑が基本だとの論です。
この論には賛同が出来ませんが
《命を奪うという究極の人権侵害ですから、多数決という民主主義で決することになじまないものです》
これで行くと国民の意思がなくても、死刑厳罰化もありえますね。多数決はなじまないですから。
(仲間内で反対を繰り返しているだけ)
廃止派ならば安田氏に文句を言うなって事ですかね。私は疑問派であって廃止派ではありません。
例えば天皇制は反対ですが、反対する人を
仲間なんて考えたこともありません。反対理由が違いますし、手段も違いますから。
とりあえず死刑制度がなくても死刑を無くす事は
可能です。
死刑を求刑、判決を受けるような犯罪がなくなれば
良いですから。
>>それは別としても、ここでは、死刑制度の是非の議論として、「“被害者遺族の感情”を持ち出すのは、控えたほうがいい」という話をしているのです。
>判決で死刑を選択する際の基準となってますから、控える必要性は認められませんが。
死刑制度の是非の問題と、死刑制度の肯定を前提とした上での「裁判での死刑の判断基準」の問題とは、別個の問題ですよ、ということです。私がここで問題としているのは前者の点であり、YO!!さんの意見は後者の点だから、議論がまったく異なるのです。
さて、
>2008/04/24 Thu 16:49:39 YO!!さん
平成8年度版犯罪白書より
3 凶悪事犯の量刑に関する調査結果
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/37/nfm/n_37_2_3_4_5_3.html
↑の
「(5) 遺族の被害感情」に
「 殺人又は強盗致死の被害者の遺族の感情については,特別の事情が認められない限り,厳罰を望んでいるというのが,経験則の教えるところであり,60年代においても,被害者の遺族が対象者を「宥恕」しているものは殺人で4.7%(対象者128人中の6人),強盗致死で1.2%(同259人中の3人)にすぎない。
被害者の遺族が宥恕していれば,場合によっては,被告人にとって有利な情状となることがあるかもしれないが,被害者本人は殺害されていて被害感情を表明できない上,遺族の宥恕の得られた事例が少ないこともあって,この有無が死刑と無期刑の選択に当たって,どれほどの意味を持ったのかという点,の分析までは困難であった。」とあります。
つまり、白書によると「殺人又は強盗致死の被害者の遺族の感情については,特別の事情が認められない限り,厳罰を望んでいる」のですから、いくら最高裁判例に量刑因子の一つとして挙げられているにせよ、実質的には、これを死刑に導く量刑因子たりえないのではないでしょうか。
次に、「被害者感情」を判断しない判決は、判例違反だとおっしゃる点についてですが、永山事件第1次上告審の判決書をよく読めば、量刑因子を列挙した後、「<<各般の情状を併せ考察したとき>>、その罪責が誠に重大あつて(ママ)、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合」とあります(強調筆者)。そして、原審を破棄する理由の中で、「量刑の前提となる事実の個別的な認定及びその総合的な評価」との文言があります。
よって、永山判決基準は、「犯罪の客観的側面と被告人の主観的側面を総合的に検討して被告人の罪責と対応する刑罰を判断する」(ジュリスト 平成18年度重要判例解説 刑法3事件:執筆者=平川宗信教授)であり、学説上の「総合説」を採っているという理解ができます。
現に、日本弁護士連合会編『死刑執行停止を求める』(日本評論社、2005年)の末尾に掲載されている死刑・無期懲役判決の一覧表には、被害者遺族の感情に言及していないものもあります。ゴメンナサイ、事案数は数えてません。
また、渡邊一弘・岩井 宜子「近年の死刑判決の量刑基準 : 数量化による検討」 犯罪学雑誌 72(6)、2006年では、対象になった218事件のうち(公刊物登載判決のみ)、「被害者遺族の感情」について、判決書において「意見表明なし」が、死刑判決で5件、無期懲役判決で7件あるそうです。
あてずっぽうで申し訳ないのですが、もし「被害者遺族の感情」が、死刑量刑基準の<<重大因子>>だとするならば、検察がすでに判例違反で上訴して(刑訴法第381条、第405条参照)、なにがしかの判断が下されていても良いような気がするのです。そのような判例はありませんよね?それとも検察の怠慢のなせる技ですかね?
よって、愚考するに、裁判所が量刑判断をするにあたって、判例にあるように「総合説」を取って、各量刑因子を、自由心証主義(刑訴法第318条)で、判断を下すことは日本国憲法第76条3項に適いますし、裁判所法第4条にも違反しないと考えますが、いかがでしょうか。
「被害者遺族の感情」...
平成19年度版犯罪白書によると、殺人事件のみですが、被害者と「被疑者」との関係では、親族等46.9%(面識ありが41.1%、面識なしが11.4%)なんですが、これはどう考えたら良いでしょうか?被害者の遺族でもあり、かつ、加害者の親族等でもある人は、「感情」をどこに持って行けばいいんでしょうか??
URL | Zizou #-[ 編集 ]
>(私は常に裁判所に確認しなくてはいけないことになりますが、それがあまりにもおかしいことは一目瞭然でしょう。)
>はっきり言って詭弁です。
>判決内容は知る事が確認できます。
>赦している、、癒されてるなどかいてませんよ。
は? また、公開非公開を問題にするのですか?
>名古屋の遺族は頑張れよ、言ったのは事実ですが赦してなどいないと明言してます。
>法律以前に人間的に問題です。
判例上、公共の制度・利害に直接関係がある場合には、公開の目的に照らして合理的な範囲で(承諾がなくても)文書を公開できます。そして、その文書の解釈・論評は読む側の自由(表現の自由のコアとなる事柄とさえいえます)ですから、文書の書き手がどう理解していようと、文書の解釈・論評につき、事前事後の承諾は不要です。
「名古屋の遺族は頑張れよ、言ったのは事実ですが赦してなどいない」なら、それだけ主張すればよいだけの話であって、(ケイさんが言うような)「当事者に確認もせず勝手に解釈し公の場所で発言している事」を批判することはできません。
ですから、安田弁護士の行動は、法律上、少しも問題はありません。少しも問題がないことについて、「人間的に問題」だということになりません。ケイさんの言っていることは、根拠のない自分勝手な主張にすぎません。
>貴方も民主主義が国民の意見の集約であることを
理解されたらいかがですか。
>民主主義を否定したら、死刑制度を迷ってる国民は廃止に踏み切れないですね。
死刑は人間の尊厳の根本的否定ですから、人権思想におよそ相容れません。ですから、死刑制度は、人権、特に人間の尊厳を保障する憲法と相容れない性質の制度です。
では、国民の多数が死刑制度を維持したいというとき、それを廃止することは民主主義に反してできないのでしょうか? これは人権と民主主義の優劣の問題です。この点につき、次の記述を引用しておきます。
「みんなこう思うからということよりも人権は大切です。つまり、民主主義で決めたことよりも人権のほうが優越するということです。一人ひとりの自由と平等があって初めて民主主義が成り立つ前提が形づくられるわけですから、民主主義で自由や平等を奪ってしまうことは間違っています。」(伊藤ほか『現代憲法入門』20頁)
このような理解があるからこそ、「死刑の存続を求める国民感情があるとはいえ、死刑は人権問題であるので国民の多数の支持によっては正当化されない」(戸波『憲法』333頁)とされており、これが憲法からすれば妥当な考えです。
人権と民主主義の関係は、憲法上、ごくごく基本的な理解ですから、よく覚えて置いてください。
>このような意見もありますね。読んでください
ヤメケン(元検事の弁護士)らしいコメントですね。同じ弁護士でも、ヤメケンと根っからの(刑事)弁護士とは、考え方が一致しないことがよく分かるコメントです。「安田弁護士ほど深刻な死刑相当事件を数多く担当しているわけでもないのに、この事件の弁護につきよくも勝手なことを言えるもんだ」と思えますが。
それはともくとして、この考えが妥当だとするならば、殺意を否認している被告人に対して、虚偽を述べることを勧めないといけなくなります。しかし、精神的に未熟な被告人の場合、弁護人から虚偽を述べることを勧められたと話してしまうでしょうから、誠実義務違反が問われることは明白です。弁護士資格を失うことも覚悟なら別ですが。要するに、無理な考えだということです。
もう一度書いておきます。
安田弁護士批判なぞ、不毛なことは止めた方がいいと思います。そして、ご自分の主張が法的根拠に基づくのかどうかをよく検討し、裁判制度と刑事弁護への理解を深めて下さい。そして、憲法の理解もぜひしておくべきです。自分勝手な「民主主義」の理解を主張されても、無意味ですから。
>死刑廃止論者の方はもし自分が被害者家族の立場になっても、微塵もそう思わないのでしょうか?
>当たり前にそういった感情もあるし被害者遺族の感情も理解している上で、それと死刑問題は別と割り切っているのですか?
自分がもし被害者遺族だったらという仮定で判断すると、個人的な感情で死刑制度という法制度を左右することになってしまいます。それでは恣意的な判断となっていまい、普遍的であるべき制度が、恣意的に決定されてしまうことになり、妥当でないからです。
また、被害者遺族は多種多様です。死刑を熱望する被害者遺族だけを想定するのは、妥当ではないのではないかと思います。その点は、↓をご覧ください。
「死刑――存廃を問う前に」(第1回):死刑制度に疑問投げかける被害者遺族(東京新聞3月23日付「こちら特報部」より)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-966.html
以前に類似の点についてコメントしているので、そのコメントをここで引用しておきます。
「>1、もし自分の家族が同様の事故に遭った場合も同じように法律論を語れるのですか。私には無理です。
私自身はどんなことも常に法律的に考える癖がついてしまっているので(職業病?)、法律論を語ることができるでしょう。吹聴することはないにしても。
それはともかく、ご質問自体にいささか疑問を感じます。法解釈論は、個人的な心情によって左右するものではないからです。それは、個人の心情はどうであろうとも、法は誰にでも公平・平等に適用されるものだからです(憲法14条は法適用の平等をも保障)。
法律問題に限らずある社会問題が生じたとき、自分に置き換えてみてできるかどうかで判断することは、問題点を身近に捉えることになって良い面もあるとは思います。ですが、他方で、普遍的であるべき問題点の解決が歪められてしまうおそれもあると思います。」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-788.html#comment2214
また、問い返しをすることもできます。例えば、加害者側家族の立場(親や子供が加害者)になっても死刑存続を主張するのか、ということです。心中事件だと、心中を図って生き残った親の存命を願う子が少なからずいますが、それでもその親を死刑にするのか、さらには、遺族のいない路上生活者の場合、被害者遺族の立場は不要なのか……。
こうなると、被害者遺族、加害者側双方を偏りなく考慮するべきではないか、と思うのです。言い換えれば、「死刑廃止論者の方はもし自分が被害者家族の立場になったら?」という問い掛けは、その問い自体が不適当なのです。(文献としては、死刑問題に関するエントリーで書いていたと思いますが)
>本村さんが「精神誠意反省して死ね」と思うのは当然の事だと大概の人は思っているでしょう
本村さんの場合は、超主観的な刑罰論(感情万能論?)で「これが正義だ」と訴えるので、理解しがたいです。
例えば、今までの会見からするとこんな感じです。
・少年は謝罪や反省をしてない→当然死刑だ
・少年は謝罪や反省をした→嘘だ(手紙は読まない)。又は反省してこそ死刑だ
・少年が真実を語る=自分が主張している事実を認めること(真実を語れば死刑だ)
これでは、被告人が反省する意味ってなんだろうと思います。単に死刑にしたいという感情論を述べているだけですから、これでは刑事手続や裁判なんて不要ですね、本村さんにとっては。常々裁判が長すぎると不満を述べるのもうなずけます。
本村さんは、記者会見で「社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となった」とも述べてました。まだ裁判は確定していないのに、本村さんの頭の中では被告人は「死者」も同然なのです。これも、刑事手続や裁判軽視の考えがよく出ています。
いくつか挙げましたが、こうした危うい考えは、法秩序を破壊しかねないので、警戒感を持ってしまいます。
>死刑廃止論者に限らずこの裁判を不当と思った人達は何か抗議活動を起こされているのでしょうか?
知りません。
<追記>
被害者遺族の記事を1つ、紹介しておきます。最近は、物事の分別ができなくなっている悪質なクレーマーが問題となっています。最近の被害者遺族は、心情を語るというよりも、悪質さが前面に出てきてしまっているようです。被害者遺族だと言えば、違法行為だろうと何だろうと許されるとでも思っているかのようです。こういう事象が増えたことも、死刑制度の是非と、被害者感情は切り離して考えるべきとの1つの理由になろうかと思います。
「ネットで実名公開、非難 少年審判参加で被害者遺族
2008年4月27日 17時01分
少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが27日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「(あなたが)死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。
政府は今国会に被害者の審判傍聴などを認める少年法改正案を提出している。これに先行して、裁判官の裁量で審判での意見陳述を認めたケースで混乱が出ていることは、改正案の審議にも影響を与えそうだ。
関東地方の傷害致死事件の審判では、被害者の親が「悪魔、人間とは思えない」「あなたは一生幸せになってはいけない」と陳述。別の傷害事件の審判でも、被害者の親が「(賠償は)10億、20億でも足りない」「死ぬまで許さない」と述べた。
怒りをぶつけられた少年の一人は少年院で自殺を図ったが、命を取り留めたという。
(共同)」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008042701000325.html
| #[ 編集 ]
ならば私が批判するのも自由ですね。
(死刑は人間の尊厳の根本的否定ですから、人権思想におよそ相容れません)
これは貴方や一部の考えですね。
もしその考えが至極当然なら、死刑制度がある刑法など初めから成立してませんから。
(死刑制度は、人権、特に人間の尊厳を保障する憲法と相容れない性質の制度です。)
それでしたら死刑制度は憲法違反と訴えればいいですね。100%認められませんね。
死刑制度積極維持派の中には人権を守るため、死刑制度が必要という人々もいます。
どちらも人権を主張しています。
文章化された刑法を改正するのは国会です。
その他の手段はありません。
(安田弁護士ほど深刻な死刑相当事件を数多く担当しているわけでもないのに、この事件の弁護につきよくも勝手なことを言えるもんだ)
そうなると誰も何もいえなくなります。
批判に耳を傾ける真摯な態度も必要でしょう。
控訴審は弁護団の主張は悉く認められなかった。
裁判所に不当判決と批判するのも結構ですが、どうしたら最高裁に主張を認められるかの態度も必要しょうね。このままでは上告棄却されますから。
(自己の主張を曲げるくらいなら死刑でもやもう得ないとの考えでしたら結構ですが)
(自分勝手な「民主主義」の理解を主張されても、無意味ですから。)
これはそのまま貴方にお返しします。
本当に愚問でした。
愛するものを殺されて怒りや悲しみや苦しみを持たない人はいないのに・・・あえてそれを言わせようとしているだけの意味のない事ですよね。
申し訳ございませんでした。
そして自分が加害者側の家族になったらと想像してみてですが・・・。
事故等で死なせてしまう場合と死刑を言い渡されるような凶悪な殺人犯罪では全然違ってきますが、もし後者の場合。
面識もなく謂れのない他人様を凶悪極まりない方法で殺害し.本人も認め冤罪疑惑もなく.情状酌量の余地がない場合での死刑は仕方ない。
なんて、思い切れません。
許されなくていいけど生かさせて欲しいと、形振りかまわず懇願せずにはいられないでしょう。
加害者側立場となるとこう考えるのはズルイですね。ただ人権を考えた上でなく、家族としての感情だけなんですけど。
被害者側なら許せない、加害者側なら許してほしい、どちらも仕方のない心情だからこそ他人に冷静・客観的・平等に判断されなければならない。
それ故、加害者側に情状酌量の制度があるのだから被害者側感情も加味されていいのでは?
でも、被害者側の感情だけが大きく浸透していってしまっている風潮は確かだし自分でも被害者側の気持ちが払拭しきれない・・・。
自問自答が続いていくことでしょう。
このブログを閲覧しはじめたのは死刑制度を考えてというより、光市の事件をどう捉えたらよいのかということだけでした。
コメントさせて頂いた時も死刑制度問題には一通り目を通していて関心は持つようになっていたのですが、あまり頭に入っていなかったのですね。
皆さんのコメント・春霞さんのご返答を含め改めて最初から読み返してみると、浅い気持ちでコメントしてしまった自分が恥ずかしいです。
死刑はあらゆる面で怖いものと再認識しました。
他の死刑廃止論者の方の議論はこれから吟味していくとして、春霞さんの議論には納得させれられます。
ただどうしても感情の部分がついていけなく、存廃の答えは出せていません。
どちらにしても信念を持てるように勉強を続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
横レスになりますが、
>少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが27日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「(あなたが)死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。
私もこの件が、非常に気になりました。ていうか、被害者遺族のこの態度はとてもではないけど「自然」なものではないですね。ここまでくると、一種作為的なものを感じます。被告人との接点をたった上で、被告人の偏った歪んだイメージを吹き込んでおくとか。
いずれにせよ、こういう問題が続発している以上、被害者参加制度は即時中止すべきですよ。こんなの「裁判」なんかじゃない。
URL | mash #-[ 編集 ]
>平成19年度版犯罪白書によると、殺人事件のみですが、被害者と「被疑者」との関係では、親族等46.9%(面識ありが41.1%、面識なしが11.4%)なんですが、これはどう考えたら良いでしょうか?被害者の遺族でもあり、かつ、加害者の親族等でもある人は、「感情」をどこに持って行けばいいんでしょうか??
仰るとおり、身内の殺人事件では、被害者感情はどうするんでしょうね。他人が「被害者感情」強調して厳罰化を叫ぶのも、実におかしなことですし。
結果や行為態様といった客観的な要素と異なり、「被害者感情」という主観的問題は、どの事件でもすべて考慮するということにはなり得ないので、平等性の見地から、重視できないのでしょうね。
公開しづらいコメントでしたので、メールでお返事しました。
お返事の分量が多いと理解できませんか? どうですか?
>(文書の解釈・論評は読む側の自由)
>ならば私が批判するのも自由ですね。
あのー。根拠のない「批判」は名誉毀損になりますよ。単なる評論と「批判」は同じではありません。コメントしたじゃありませんか?
それでも安田弁護士を批判したいのであれば、ご自分がブログを開設して、そこでご自由にお書きください。ここのブログで書かれても迷惑ですし、ここのブログで安田弁護士批判をしても無意味です。安田弁護士と知り合いではないのですから。
>(死刑は人間の尊厳の根本的否定ですから、人権思想におよそ相容れません)
>これは貴方や一部の考えですね
憲法の本は何を読んでますか? こちらが書いていることは、ごく普通の法律書に出ている一般的な理解を書いているだけです。それなのに、ケイさんが「貴方や一部の考え」と言ってみても、意味がないです。
>もしその考えが至極当然なら、死刑制度がある刑法など初めから成立してませんから
間違ってます。
違憲立法審査権って知ってますか? 知らないですよね? 知らないからこういう考えになってしまうのです。
>死刑制度積極維持派の中には人権を守るため、死刑制度が必要という人々もいます
>どちらも人権を主張しています。
>文章化された刑法を改正するのは国会です。
>その他の手段はありません。
人権思想と相容れないと書いても、理解できなったようですね。人権と民主主義との関係についても。
ただ法的な根拠なく、「人権を守るため、死刑制度が必要」と言ったところで、意味がないんですよ。ですから、「どちらも人権を主張」していることにはなりません。死刑制度の是非で人権を語るなら、それは法律論なのですから。
このエントリーでも、死刑制度の存廃の理由について、最初に明示していますよね? まずはそこから理解して下さいね。
>(自分勝手な「民主主義」の理解を主張されても、無意味ですから。)
>これはそのまま貴方にお返しします。
もう1度書いておきます。
「みんなこう思うからということよりも人権は大切です。つまり、民主主義で決めたことよりも人権のほうが優越するということです。一人ひとりの自由と平等があって初めて民主主義が成り立つ前提が形づくられるわけですから、民主主義で自由や平等を奪ってしまうことは間違っています。」(伊藤ほか『現代憲法入門』20頁)
この人権と民主主義の関係は、憲法上、ごくごく基本的な理解で、まったく異論のない考えです。私の自分勝手な「民主主義」の考え方ではありませんよ。一番分かりやすい記述だと思いますが。文献を引用して説明したことから分かるように、「自分勝手な『民主主義』の理解」でないことが明白です。
「これはそのまま貴方にお返しします」などという稚拙な反論は、法律論の世界では全く通用しません。論理的に反論しなければ無意味です。
かなり手厳しい書き方になりましたが、死刑制度の存廃や判決の検討は法律論である以上、法律を理解する努力をしなくては、単なる感情を撒き散らして終わるだけです。感情論でも、幾らか世間を扇動することはできるでしょうが……。
このブログは法律を説く場所です。法律を理解する気がないのであれば、コメントは遠慮願います。
>もし自分が被害者遺族だったら?・・・この手の問いをイヤと言うほど受けていられるかと思いますが、ご丁寧に返答頂きありがとうございます。
>本当に愚問でした。
愚問ではないと思います。おそらく誰もが抱く問いのはずですから。ただ、「もし自分が被害者遺族だったら?」にとどまらず、もう少し踏み込んで考えてみると、違ってくるのだと思うのです。
>それ故、加害者側に情状酌量の制度があるのだから被害者側感情も加味されていいのでは?
>でも、被害者側の感情だけが大きく浸透していってしまっている風潮は確かだし自分でも被害者側の気持ちが払拭しきれない・・・。
数年前までは被害者の立場があまりも保護されておらず、被害者の権利の拡大に賛成していました。しかし、最近は、被害者の地位の向上というよりも、(被害者だけでなく他人をも含めた)「被害者感情論」が蔓延しすぎています。例えば、死刑を求める署名がわずか10日間で10万人も集まるとか、交通事故では極限までに厳罰化したのに、危険運転致死罪を適用しない判決に非難が殺到するなど、冷静さを失ったような今の日本社会の状況はあまりにも危ういです。
それは、厳罰化のみに目が向きすぎていること、被害者へのケアが不十分なことも、冷静さを失っている要因になっているのでしょう。このブログでは、冷静さを求める意味もあって、法律論を軸として、厳罰化しても良き社会にならないことを説いています。
>ただどうしても感情の部分がついていけなく、存廃の答えは出せていません
感情的に納得できない点は、どうしてもでてきます。法律論でも、「論理としては○○という見解が妥当でそれをとらざるを得ないことは確かだが、感情的に納得できない」なんてことは出てきます。
特に、死刑制度となれば、なおさらです。「どんなに悲惨な事件でも死刑廃止が妥当なのだ」として、死刑廃止を感情的に完全に納得できると、堂々と言えるほどの人は、なかなかいないと思います。それでも、もし加害者(家族)側になったらと思うと、その死刑維持の感情論も揺れてしまうでしょう。
感情を捨て去る必要はないのですが、感情論で、死刑制度なり、物事を決するのは止めようではないか、と冷静さを保つ気持ちがあればよいのだと思うのです。
日本でも多くの人が、mantanさんのように死刑制度の存否につき、決めかねていると思います。それで、「終身刑を創設するならば、死刑制度廃止でもいい」という意見にかなりの賛同が集まっているのだと思います。
根拠は示しました。
(ここのブログで安田弁護士批判をしても無意味です。)
了解しました。
(普通の法律書に出ている一般的な理解を書いているだけです。)
それならなぜ死刑制度が存在するのでしょうね。
(違憲立法審査権って知ってますか? 知らないですよね?)
私が書いたのは貴方の弁が正しいのなら最初から成立しないと書いただけです。
>>少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが27日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。
>私もこの件が、非常に気になりました。ていうか、被害者遺族のこの態度はとてもではないけど「自然」なものではないですね。ここまでくると、一種作為的なものを感じます。被告人との接点をたった上で、被告人の偏った歪んだイメージを吹き込んでおくとか。
少年法は、少年の健全育成を目的とし、少年を立ち直らせ再び非行に走ることがないことを目指しています。それが新たな被害を食い止め、社会の安全と利益につながるからです。おそらく、社会の歪みが少年にすぐに影響するからこそ、非行原因を探っていくことを重視するのでしょう。刑事司法と異なり。
そういう少年法だからこそ、「審判は懇切を旨として、和やかに行う」(少年法22条1項)とか、審判を非公開で行う(同条2項)わけです。
それなのに、被害者遺族は、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、悪態をついたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込んだりするのですから、少年法違反の行為であることは明白です。
ここまでやるようだと、少年審判での意見陳述(少年法9条の2)は制限する必要がありそうです。
東京新聞の記事の中にあるように、「「政府は今国会に被害者の審判傍聴などを認める少年法改正案を提出」しています。その傍聴への批判として、「審判で見聞したことを被害者等がインターネットなどで外部に漏らす可能性は、記録の閲覧・謄写よりもはるかに大きくなり、少年の更生を損なう」とのものがありますが、まさにその批判は的中してます。
このように、被害者遺族が、違法行為も持さない態度なのですから、少年審判での傍聴は否定すべきでしょうね。
>いずれにせよ、こういう問題が続発している以上、被害者参加制度は即時中止すべきですよ。
同感です。
被害者側が、少年審判でも裁判のルールを守ってくれないようだと、裁判に大きく関与する「被害者参加制度」だとどんな裁判になるのか、考えただけでも恐ろしいです。
なお、↓で述べたように被害者参加制度に対しては批判的です。
「「被害者参加制度」導入に伴う刑事訴訟法改正案を上程〜被害者・遺族を“訴訟の当事者”とするのは妥当なのか?」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-336.html
このエントリー中では、被害者参加制度を認めると、「被害者の先入観や感情が法廷に持ち込まれれば、偏見が幅を利かせ冷静な判断を妨げかねない」との記事がありました。少年審判での意見陳述はあまりにも冷静さを欠いています。「被害者参加制度」への懸念は正しいものになりそうです。
おっしゃるとおり、「被害者参加制度は即時中止」して欲しいですね。今日本は、あまりにも被害者感情論が吹き荒れてしまっていて、まるで「赤狩り(レッドパージ)」のようですから。
問いの性質上、こちらの答えはすべて法律論ですね。
>>根拠のない「批判」は名誉毀損になりますよ
>根拠は示しました。
法的に根拠のない批判は、意味がないです。ケイさんの安田弁護士批判は、法的根拠がありません。
>>死刑は人間の尊厳の根本的否定ですから、人権思想におよそ相容れません
>それならなぜ死刑制度が存在するのでしょうね
一般論として、どんな法律・規定でも違憲・違法とならないようにして制定するのですが、後々時代の経過とともに、違憲・違法ではないかとされることが出てきます。法律だけではありません。首相による靖国神社公式参拝も、最初は問題視されていませんでしたが、政教分離原則違反ではないかとの批判がなされて、その問題性が明らかになったりします。
このように、後々、問題のある法規定であるとされたとしても、存在することはあるのであって、問題視して訴訟になるなどしないと存在し続けます。憲法上問題があるとされ、訴訟上の要件を満たした場合、違憲立法審査権(憲法81条)により、違憲・無効されることで、その制度や法規定は適用されなくなるのです。
しかも、適用されなくなるというだけで、その問題とされた法規定を削除する改正案を成立させなければ、その規定は当該法律から削除されません。尊属殺人処罰規定は、ずっと合憲であるとされていましたが、ある悲惨な事件を切っ掛けに1973年に違憲となりました(最高裁が違憲無効とした)。それでも、その規定が削除されたのは1995年の刑法改正によってでした。違憲な規定であることが明白なのに、20年以上も法律の規定として存在し続けたのです。
死刑制度は人権思想からして問題であるからこそ、EU諸国では死刑制度が廃止となりました。これは、政府や議会が積極的に廃止することにしたわけです。
死刑制度もいくら人権上問題であっても、訴訟を起こして問題視しないと、存在し続けますし、政府や議会が積極的に廃止を行わないと残り続けるということです(なお、最高裁昭和23年判決という古い判例は、絞首刑は憲法36条の禁止する残虐な刑罰に当たらないとしています。今の人権意識で同じ判断がでるかは疑問の余地がありますね。)。
いずれにせよ、死刑制度に限らず、どんな法律であろうと、国民の多数の意見によるのでなく、議会や裁判所の判断によって決まるわけです。そして、死刑制度の是非については、法律論なのですから、刑法学上の議論などを参考にして(従来から廃止論が通説です)、終身刑の設置を含め、国会の立法政策に委ねられている問題であるといえるのです。
>私が書いたのは貴方の弁が正しいのなら最初から成立しないと書いただけです
間違っています。このコメントで書いたとおりです。
<5月4日追記>
前述した最高裁昭和23年判決の補充意見では、次のようなことを述べています。
「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合に、憲法第三十一条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。」
日本は、未だ昭和23年判決の補充意見が述べるような社会に到達していないようです。
<5月5日付追記>
ヤメケンでない弁護士は、次のような感想を述べています。ここのブログと基調は類似しています。
「25/04/2008
刑が重くなったのは手を抜かない弁護士が悪いからだと裁判所が言ってのける社会では刑事弁護などやっていられない。
被告人の刑が重くなったのは,弁護人がたくさんボランティアで集まって,被告人の言うことを新味に聞いてやり,それを立証しようと精一杯努力したことにより,被告人が反省しなくなったからであり,弁護人がいけないのだ,と裁判官に指弾されるような制度の下で,そして,そのような指弾を行う裁判官ではなく,精一杯弁護活動を行った弁護士たちが糾弾される社会では,私は,刑事弁護活動をやりたいとは思いません。検察と一緒になって被告人の弁解を頭ごなしに否定した上で,形式的な情状弁護を行っていっちょ上がり的な仕事をしたい人に,お譲りしたいと思います。」
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/04/post_47fb.html
ケイさんは、手を抜いた刑事弁護をお望みのようですから、今後は一切、ヤメケンに弁護を依頼するとよいと思います。存分に手を抜いてくれますよ。もちろん、有罪は間違いなしですが。
昨夕の中日新聞に加藤幸雄氏の論説が載っていたのでHPへupしました。4月23日の社説も良かったし、ほんとうに中日新聞は、良くなりましたね。嬉しいです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/katoh-sachio.htm
>昨夕の中日新聞に加藤幸雄氏の論説が載っていたのでHPへupしました
拝見しました。良い論説ですね。東京新聞の方では掲載していなかったので、大変あり難いです。光市事件の被告人は、あまりにも精神的に未熟です。父親が酷い暴力を続けたため、母親が自殺し、母親の自殺現場をみたことも影響して4、5歳程度の精神程度になったわけです。あまりにも精神的に未熟な者による犯罪であるのに、広島高裁は、まるで成人の犯罪に対する論理で判断を行っており(例えば、虚偽の弁解であると断罪)、こんな判決でよいのか疑問に感じます。
加藤幸雄氏の論説の最後は次のように述べています。
「重大事件は、市民感覚だけでは解けない謎も多い。そこでは、精神医学や犯罪心理の協力が
必要になる。例えば、人格に障害があるとはどんなことなのか。DVや虐待により行動にどんな影
響があるのか。それが解けてこそ事件の真相に迫ることができる。
裁判員制度導入前夜のいま、事件を特定の視点から断罪するのではなく、専門的知見を含めて
多面的な視点で判断することを大切にしたい。」
多面的な視点での判断を求めるというこの結論は、自分個人の感情に置き換えて議論しがちで、しかも視野狭窄になりがちな今の社会状況に対して、反省を求めるものだといえそうです。
ケイという方に心当たりがあります。自分勝手な法律論や社会論を振りかざしている奴です。
何度も考え方が危ういと指摘しても書き込みのように揚げ足をとり、取り巻きを使う始末です。
今回のやり取りを見てほっとしました。
法律や社会は誰かの持ち物じゃないと言うことが少しでもわかってくれるといいのですが。
URL | akikan #xh7JCHKQ[ 編集 ]
>ケイという方に心当たりがあります。自分勝手な法律論や社会論を振りかざしている奴です。
>何度も考え方が危ういと指摘しても書き込みのように揚げ足をとり、取り巻きを使う始末です
確かにケイさんは、自分勝手な法律論を主張してますね〜。法律論にしても専門家がいるように、あまり自分勝手な論理が通用するわけではないんですけどね。死刑存廃論にしても、「人権と民主主義の関係」など基本的な法律的知識を理解する意思がなければ、何を議論してもね……。
なぜか分かりませんが、安田弁護士に遺恨があるようです。特に直接的に安田弁護士と関わったわけではないようですが。
問題なのは、ケイさんが誤解するような言い分を主張する人がいることなのでしょう。作家の佐木隆三氏は、昔から刑事弁護とは何かが分かっていませんし、今回も「誠実義務」をまるで分かっていない発言を行っています。法律家であれば、佐木隆三氏の発言は、全く無視でしょう。(法律論がまるで分かっていない毎日新聞だけが、その発言を掲載していますが)
ヤメ検の多くは、検事の代弁者のような発言を行い(真っ当なヤメ検は、十分に刑事弁護を理解しているから、妙な発言をしない)、光市弁護団の弁護を非難しています。これを多くの人は、真に受けてしまうのでしょうね。困ったものです。検事の代弁者としての発言であることがどうして分からないのかと思いますが。
ヤメ検の発言で気になるのは、「誠実義務」がまるで分かっていない点です。「光市弁護団批判=誠実義務の無理解」というつながりがあるのですけどね。こと「刑事弁護」に関する限り、ヤメ検(真っ当なヤメ検を除く)が述べることは、まるで無視しないといけないと理解してほしいです。
ルールも守れない、本当に本当に可哀想で変な人ですよね。
が、このブログはとても素晴らしい情報を発信していると思いますよ。素直に応援したいです。
すみません、いきなり来て偉そうなことを言って。たかが一閲覧者なのに。
みていると、とても酷い有様だったので。荒らされ放題ですねっ!
と、長々語りましたが、更に色々感想を言わせてください。
いい加減な荒らしは相手にしなくてもいいと思いますよ。アク禁なんてスパッとやっちゃえばいいです!
うん、でもそれをしない管理人さんは優しいですよね。いい人だと思います。
管理面では甘い、かもしれませんが。もうちょっと厳しくてもいいのでは?
理由は色々あるのかもしれませんが。それをできない、とかやらない、とか。でも私にはわかりません。
人のことですものね。余計なお世話ですみません、お節介とよく言われます。
しかし、色々言いましたが管理人さんにはこれからも頑張ってほしいです! 応援してますよっ!
ねこ大好き。
>このブログはとても素晴らしい情報を発信していると思いますよ
ありがとうございます。
>みていると、とても酷い有様だったので。荒らされ放題ですねっ!
ご配慮ありがとうございます。でも、今回のエントリーでの批判コメント程度ですと、「荒らされ放題」という感じはしていないのです(汗)。かなり前に、光市事件のエントリーの1つが「炎上」したことがありましたので、そのときはかなり大変でした。それと比較したら、今回は全然、大丈夫なコメントです。きっと、耐性ができてしまったのかも。
>いい加減な荒らしは相手にしなくてもいいと思いますよ。アク禁なんてスパッとやっちゃえばいいです!
>うん、でもそれをしない管理人さんは優しいですよね。いい人だと思います。
>管理面では甘い、かもしれませんが。もうちょっと厳しくてもいいのでは?
ご忠告ありがとうございます。コメント管理は、色々と試行錯誤することが多いです。現在は、コメント承認制にしましたので、それで何とかなっていると思います。
ある人物をアクセス禁止にした直後当たりから、急に、エロサイトへ誘うコメントやTBが激増してしまいました。なぜだか知らないですけど。ですので、コメント承認制にして良かったと、思っているくらいです。
>色々言いましたが管理人さんにはこれからも頑張ってほしいです! 応援してますよっ!
ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
>ねこ大好き
猫、いいですね〜。
頭文字だけを読むと、
>は
>ル
>が
>す
>み
>と
>い
>う
>管
>理
>人
>し
>ね
になります。
『縦』や『縦読み』などと呼ばれ、一見好意的なレスの中に批判等を織り交ぜるやり方です。2ちゃんねるなどにはよくある、相手を引っ掛けるためのレス(俗に言う“釣り”)のごくごく初歩的なものです。
最後の『ねこ大好き』は、“釣りであること”を表す定型文みたいなものです。
凝ったものになると斜め読み、逆さ読み、何行目かを縦読みなどなど。
ちなみに『ファビョーン』も2ちゃんねるからだと思います。
“火病る”(ファビョる)が元。いきなりキレだしたりすることをこう言い、そういう状態の人をバカにする意味で『ファビョーン』などを使ったりします。
いきなり来て気分を害されることを言ってすみませんでした。
URL | 通りすがりの…… #-[ 編集 ]
>横からすみませんが、ファビョーンさんのコメント、ただの釣りですよ
>『縦』や『縦読み』などと呼ばれ、一見好意的なレスの中に批判等を織り交ぜるやり方です。2ちゃんねるなどにはよくある、相手を引っ掛けるためのレス(俗に言う“釣り”)
ありがとうーーー!!!
「縦読み」は知っていましたが、まさかこのブログで「釣り」をしてくるとはね〜。すっかり釣られてしまいました。それにしても、「春霞」用にわざわざ「縦読み」の文章を作ってくるのですから、ご苦労様と言いたいですね(笑)
>ちなみに『ファビョーン』も2ちゃんねるからだと思います。
>“火病る”(ファビョる)が元
ありがとうございます。確かにHNも「あてつけ」のつもりなのでしょうね。
さすがに「『ファビョーン=火病」という意味は知っていたので、「火病」とは妙なHNを使うものだと思い、釣りかもしれないと少し疑問には感じていたのですが……。プロキシサーバーを利用したコメントでしたし。結局は、釣られてしまいましたけど(苦笑)
>いきなり来て気分を害されることを言ってすみませんでした
いえいえ。おかげで「釣り」のコメントだったと気づくことができたのですから、有難いです。感謝です。できればこれからも宜しくお願いしますね。釣り防止のためにも!(笑)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

