1.東京新聞(平成18年5月30日付朝刊28面)の「こちら特報部」では次のような記事を載せています。
「「国会は問題点洗い直せ」 「共謀罪」法案 “共謀”権威の法学者も批判
法律違反を実行しなくても「共謀」しただけで罪になる共謀罪の創設法案。その基礎となる「共謀」の概念が実務上は拡大解釈されているのに、国会は昔の狭い概念を前提に審議していると法学者から批判が出ている。批判の主は「共謀共同正犯」理論の権威、西原春夫・元早稲田大学総長(78)だ。法案審議のどこをやり直さねばいけないのか。西原氏に聞いた。
西原氏は「共謀共同正犯」が学会の少数説だった1950年代から唱え続け、反対派から激しい批判を浴びてきた一人だ。捜査・裁判実務に定着した感のある共謀共同正犯も、かつては「刑法の大原則である個人責任の理論に反するではないか」と批判されたのだ。「共謀共同正犯」と言われても、法学部を出ていない記者にはチンプンカンプンだが、要は「犯罪行為を共謀した仲間のうち、誰かが実行してしまうと、共謀した人も同罪ですよ」という理論だそうだ。
「1958年の練馬事件最高裁判決は、共謀の立証に厳格さを求めており、長年、この最高裁判例が裁判実務の指針となっていました」と、西原氏は解説する。
◆「客観的な行動」以前は立証必要
練馬事件は複数の被告による警察官殺害事件。58年の最高裁大法廷判決は「共謀」の認定には「謀議」の存在が必要で、そこが厳格に立証されねばならない、そして、謀議の立証には「客観的な行動」の立証が必要だという考えを示した。これが、つい先日まで裁判実務の基準だった。
「ところが、最近になり、客観的行動を要しない、とする判例変更があったのです」と西原氏は言う。判例変更とは昨年11月29日に最高裁第一小法廷が暴力団の銃刀法違反事件にからんで出した決定である。
「大法廷で行うべき判例変更を、小法廷でやってしまったことも問題だが」と言いつつ、西原氏は「この基準が、暴力団事件にとどまらず、一般化して他の事件に流れ出してくるおそれが大きい。今、生存中の刑事法研究者の中で、最も早くから共謀共同正犯を是認してきた一人の私でさえ、とうてい容認できない内容だ」と話す。
いったい、どんな判例変更が行われたのか。
この事件は、暴力団組長が大阪府内のホテルに宿泊した際、ロビーにいた組員が拳銃を所持していたというもの。組員は銃刀法違反罪、組長も同罪の共謀共同正犯に問われた。
一審・大阪地裁は「組長は、組員が拳銃を所持して組長を警護していたと認識し、それを許容していたとするには、合理的な疑いが残る」として、組長を無罪とした。練馬事件判決の基準を踏襲したわけだ。
しかし、二審・大阪高裁は一審判決を破棄し組長に懲役6年の刑を言い渡す。
「組長と組員には“黙示的な意思の連絡”があったと言える」「組員への指揮権限があり、警護を受ける組長の立場を考えれば共謀共同正犯が成立する」とした。
そして、昨年11月、最高裁は組長の上告を棄却する決定を出し、「組員の一部が組長警護のため拳銃を携帯所持していることを、組長に概括的とはいえ、確定的に認識し許容していた。実質的に、拳銃を所持させていたと評し得る」と述べた。
西原氏は「組長が『もう、拳銃で警護する時代じゃない』と部下に言っていたということも、裁判では、共謀共同正犯となることを避けるアリバイづくりだとされた」と解説したうえで「明らかに練馬事件判決と異なり、厳格な証明なしで『実質的に、組長が部下に拳銃を所持させた』という判断が行われています。今後、実行犯の行為に対する認識・許容さえあれば共謀共同正犯は成立するという安易な考え方が進んでいくのではないか」と危ぐする。
暴力団組長を裁く時は拡大解釈も結構じゃないか、という考え方もあるだろう。しかし、西原氏は「暴力団の反社会的行為は許すべきではないが、政策のために理論を曲げるべきでは、絶対にない」とし、今回の判例変更は、次のように一般化される可能性をはらむと憂慮する。
▼ある会社の社長が、部下に運転させて車で取引先に向かった。部下は常日ごろ、免許証を背広に入れているのに、この日は背広を着ていないため、社長は「免許証を会社に忘れてきたのではないか」と思ったが、問いたださなかった。しばらくして検問にあったところ、案の定、部下は免許証を忘れており、免許証不携帯(道路交通法違反)だった。練馬事件判決に基づけば、社長は無罪だが、昨年末の判例に基づけば、共謀共同正犯となる。
▼ある会社の女性部長がストーカー被害にあったため、毎晩、部下がボディーガードして帰宅するようになったが、実は、部下は刃物を隠し持って付き添っていた。部長は、うすうす気付いていたが、特にとがめ立てしなかった。この場合、部下は銃刀法違反罪にあたるが、練馬事件の基準では部長は無罪。しかし、昨年末の判例ベースでは部長も共謀共同正犯で有罪となる。
◆「相談なし」でも有罪に
この2つの事例では日常用語で言うところの「共謀」は行われていない。社長や部長は、法律違反に気付いてはいたが、部下と相談は行っていない。それでも、なぜ有罪とされてしまうのか。最高裁で有罪になった組長と同じく、「受益者である上司」が、違反行為を「認識し、許容した」からだ。
国会で審議中の共謀罪創設法案が意味する共謀は、共謀共同正犯の共謀と同一概念である――法務省は、そのように答弁している。それだけに、昨年の判例変更は重大だ。にもかかわらず、審議は練馬事件判決の基準をベースに進められている。
西原氏は「最近の裁判実務では、共謀の認定に、厳格な証明の対象たるべき客観的行動を必要とせず、主観的認識内容だけで足りるとし、しかも状況証拠だけで認定しているなど、問題点が多い。国会は、この現状を前提として共謀罪法案を議論していただきたい」と、厳しく指摘した上でこう続ける。「日本の実務における“共謀”の意味合いが、国連条約で求められた以上の範囲に拡大している可能性はないのか。国連が、ここまで処罰範囲を広げたものを要求しているとは思えない。すでに共謀罪が施行されている国があるとはいっても、日本の共謀より狭義の、まさに、“謀議”そのものを意味している国もあり得る。そこを、よく、調べた上で審議するべきではないのか」
◆道徳に限りなく法律が近づく?
「共謀」概念の拡大解釈に対する批判論文を専門誌「刑事法ジャーナル」に書いた西原氏は、こうも危ぐする。「外形的に現れる態度の厳格な証明を怠り、主観的なものだけで罪とするならば、刑法は限りなく道徳に近づいてしまう」
道徳のような心の問題に、法が踏み込む時代が来るのだろうか。」
2.この記事についてコメントする前に、共謀共同正犯の「共謀」の意義、判例理論について説明しておきます。これが分からないと、この記事を単に読み流すだけになってしまうと思いますので。
(1) 共謀共同正犯とは、2人以上の者が一定の犯罪について共謀した上、その中のある者が共謀に基づいて犯罪実行に出る場合に、直接には実行行為を行わなかった共謀者も刑法60条の共同正犯にあたる、とするものです。
共謀共同正犯の概念は、大審院時代の初期に判例において採用され、その後も一貫して判例は採用していて、明文の規定があるのではなく、解釈論上認められているものです。認める実質的な根拠としては、直接、犯罪実行を行わずに、主導的な役割を果たした黒幕的存在を、教唆犯という脇役でなく、正犯として処罰しようとすることにあります(山中敬一「刑法総論2」813頁)。
ここで、共謀共同正犯、英米法上の共謀罪(コンスピラシー)、共謀罪において、処罰のために必要な要件を比較しておきます(法学セミナー2006年4月号39頁〔内海朋子・亜細亜大学助教授)。
・共謀共同正犯:共謀行為+関与者のうちの少なくとも1人が実行行為に出る
・コンスピラシー:共謀行為+(顕示行為=合意内容の具体化を示す行為)
*顕示行為は必ず必要というのではなく、要求されることが多いので、括弧扱いです。
・共謀罪:共謀行為(+ただし、与党再修正案では、犯罪の実行に必要な準備その他の行為、民主党案では、予備行為)
(2) 共謀共同正犯において、知っておくべき判例は、練馬事件判決(最高裁昭和33年5月28日大法廷判決(刑集12巻8号1718頁)と、最高裁平成15年5月1日第一小法廷決定(刑集57巻5号507頁)です。
イ:「練馬事件判決(最高裁昭和33年5月28日大法廷判決(刑集12巻8号1718頁)」については、この「共謀」の意義との関係での重要なポイントは、
この判例は、「共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつで互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない。」と判示していたことから、犯行方法の協議や犯行計画の立案といった明示的な意思連絡が必要、または、「意思連絡」を超えた一定の内容のある具体的な指示・命令・提案のような具体的な共同謀議が不可欠である(客観的謀議説)という理解が一般的であったことです(現代刑事法6巻8号16頁)、現代刑事法6巻12号87頁参照)。
という点です。
ロ:「最高裁平成15年5月1日第一小法廷決定(刑集57巻5号507頁)」は、「暴力団の組長である被告人が、自分のボディーガードらの拳銃不法所持について、直接指示を下さなかったのに、銃砲刀剣類所持等取締法違反罪の共謀共同正犯を認めたものです。
この判例は、「被告人は,スワットらに対してけん銃等を携行して警護するように直接指示を下さなくても,スワットらが自発的に被告人を警護するために本件けん銃等を所持していることを確定的に認識しながら,それを当然のこととして受け入れて認容していたものであり,そのことをスワットらも承知していた」と認められ、「被告人とスワットらとの間にけん銃等の所持につき黙示的に意思の連絡があったといえる」こと、さらに、「スワットらは被告人の警護のために本件けん銃等を所持しながら終始被告人の近辺にいて被告人と行動を共にしていたものであり,彼らを指揮命令する権限を有する被告人の地位と彼らによって警護を受けるという被告人の立場を併せ考えれば,実質的には,正に被告人がスワットらに本件けん銃等を所持させていたと評し得る」と判示したことから、具体的な日時、場所を特定した謀議行為がなくても、黙示的な意思連絡があるとして共謀共同正犯を認めたものです。
そのため、本決定は「実行行為者との間に明示的な意思連絡が認められないような場合について、正面から共謀共同正犯の成立を……肯定し得る場合があることを明らかにした点、また、……事案に即してであるが、共謀共同正犯成立の判断要素を示している点」(ジュリスト1265号115頁〔芦澤政治・最高裁判所調査官〕)ににおいて重大な意義があるものです。
(6月3日追記:記事中の最高裁平成17年11月29日第一小法廷判決は、最高裁平成15年決定の事案のような「スワットと称させる明確な組織の恒常的な活動」がないのに、共謀共同正犯を認めたものです。処罰範囲の不当な拡大が危惧されています。刑事法ジャーナル第3号54頁〜〔西原〕)
(3) 共謀共同正犯の「共謀」の意義については、次のような学説が対立しています。
イ:客観的謀議説(多数説):「意思連絡」を超えた一定の内容のある具体的な指示・命令・提案のような具体的な共同謀議が不可欠である。
(理由)
・共謀共同正犯成立を合理的な範囲に限定する必要がある。
・具体的な共同謀議を要求するのが練馬事件判決の趣旨である。
・暗黙の意思の疎通だけで共謀共同正犯を認めることは刑法60条の趣旨に合致しない。
ロ:主観的謀議説(実務上の有力説):共謀は単なる「共同犯行の認識」・「共同遂行の合意」・「意思連絡」という主観的状態で足りる。
(理由)
・実際には、緊密な意思連絡が成立していることは明らかでありながら、黙秘などの理由で、謀議行為がなされた日時、場所が判明しない場合も少なくないので、そのような場合にも共謀共同正犯を認めるべき。
ハ:中間説(西田):共謀は単なる謀議(=意思の連絡)で足りるが、その場合でも、その他の関与行為を総合して重要な役割を果たしたと評価し得るのであれば、共謀共同正犯を肯定する。
<参考文献>
・「ジュリスト」1265号〔芦澤政治・最高裁判所調査官〕112頁〜
・「ジュリスト」1288号〔島田総一郎・上智大学助教授〕155頁〜
・平成15年度重要判例解説〔大久保隆志・広島大学教授〕159頁〜
・西田典之「刑法総論」323頁〜
・大コンメンタール刑法(第2版)第5巻304頁〜
・現代刑事法6巻8号(2004年・癸僑粥法綿‥鎚拭Π豢饗膤慳祥清擬=大塚仁・名古屋大学名誉教授〕4頁〜
・現代刑事法6巻12号(2004年・癸僑検法冥讐和析・同志社大学大学院司法研究科助教授〕85頁〜
このように多数説である客観的謀議説からすると、黙示の意思連絡でも共謀共同正犯を認めた最高裁平成15年5月1日決定(及び最高裁平成17年11月29日判決)は判例変更であると評価していて、この判例に対して批判的です。西原元総長も批判しているわけです。
これに対して、主観的謀議説や中間説からすると、練馬事件判決は明確でなかったと評価して、最高裁平成15年5月1日決定(及び最高裁平成17年11月29日判決)は判例変更ではなく、この判例は妥当なものであると評価しているようです。
3.以上を踏まえて、東京新聞の記事についてコメントします。
(1) 共謀罪の「共謀」の意義については、政府は「特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意」が必要であるとか、「共謀共同正犯におきましても、法案の組織的な犯罪の共謀罪におきましても、共謀があったと言えるためには、単に漠然とした相談があった程度では足りず、犯罪の目的や対象、実行の手段、実行に至るまでの手順、各自の役割など、具体的な犯罪計画を現実に実行するために必要な要素を総合的に考慮して、具体性、特定性、現実性を持った合意がなされたと言えることが必要」(大林政府参考人:「第164回国会 法務委員会 第26号(平成18年5月19日(金曜日))と答えています。
この政府見解は、具体的な謀議行為を要求しているのですから、共謀共同正犯の「共謀」の意義における「客観的謀議説」を採用したものといえます。
そうすると、練馬事件判決が客観的謀議説を採用したと評価している多数説からすれば、
という記事は、妥当な指摘だといえます。「国会で審議中の共謀罪創設法案が意味する共謀は、共謀共同正犯の共謀と同一概念である――法務省は、そのように答弁している。それだけに、昨年の判例変更は重大だ。にもかかわらず、審議は練馬事件判決の基準をベースに進められている。」
しかし、政府がいかに練馬事件判決を基準とした「共謀」の意義が適用されるのだと説明しても、裁判においては判例理論に従うのですから、 裁判では「特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意」や「犯罪の目的や対象、実行の手段、実行に至るまでの手順、各自の役割など、具体的な犯罪計画を現実に実行するために必要な要素を総合的に考慮して、具体性、特定性、現実性を持った合意」は必要とされないはずです。
裁判では、むしろ、目配せ・まばたきといった動作はもちろん、そのような動作さえない黙示の「意思連絡」でもよく、具体的・現実的な合意でない単なる「意思連絡」で「共謀」が認められることになると思われます。
要するに、裁判では、「共謀」について定義しておかないと、政府与党案のような「共謀」の意義で運用されないといえると思います。だからこそ、平成15年決定を意識しない政府与党案に対して、西原元総長は批判をしているのです。
(2) 大阪高裁平成16年2月24日判決も、最高裁平成15年決定と同様の論理で共謀共同正犯を認めているように、
わけですから、容易に「共謀」が認定されているのです。「最近の裁判実務では、共謀の認定に、厳格な証明の対象たるべき客観的行動を必要とせず、主観的認識内容だけで足りるとし、しかも状況証拠だけで認定しているなど、問題点が多い。」
この記事によると、「組長が『もう、拳銃で警護する時代じゃない』と部下に言っていたということも、裁判では、共謀共同正犯となることを避けるアリバイづくりだとされた」のですから、このような「共謀」が否定されるはずの言い分も、被告人に不利益に評価されるのです。被告人はどう言い訳すればよかったのでしょうか? 共謀罪の裁判では、どんな言い訳も通用しないとさえ、いえそうです。
これでは、自分とかかわりのある者が犯罪行為をしようとしたら必ず阻止する行動に出ないと、処罰される可能性があり、それも主観的なものだけで共謀が認定されてしまうのですから、これでは「刑法が限りなく道徳に近づいてしまう」との西原元総長の危惧どおりだと思います。
(3) 与党議員や法務省は、盛んに拡大解釈されるおそれはないとか、マスコミ報道は誤解であると述べていますが、本当にそうなのでしょうか? 特に、公明党を支持している有力宗教団体に所属する会員は、本当に共謀罪を創設していいと考えるのでしょうか?
私は西原元総長の批判は、きわめて妥当だと思います。政府与党は、この東京新聞の記事、西原元総長の批判に答えて欲しいと思います。
法律の知識にびっくり (>_<)
春霞さんも弁護士さんですか?
リンク集に加えておきます。
URL | fttv #-[ 編集 ]
>法律の知識にびっくり (>_<)
「社会問題を法律的に考えてみる。」という意図で運営してますので。なるべく法律理論を客観的に取り上げながら書いています。そのせいか、ちょっといつも長いかも……(^^ゞ
>春霞さんも弁護士さんですか?
職業は秘密で……このブログを運営しています(汗)
>リンク集に加えておきます。
ありがとうございます。
了解です。すみません(>_<;
ところで、民主党案を受け入れ方向とか・・・・
民主党案も信用できないですし、なんか、濫用の余地だけは残してきそうで、不安になります。。
URL | fttv #-[ 編集 ]
>ところで、民主党案を受け入れ方向とか・・・・
さすがにこの報道には驚きました。
政治というものは(というより小泉政権では、かな?)、なんでもありの世界ですね。与党は、ずっと民主党案は条約違反だと言っていたのに。ぜひ与党の言い訳を聞きたいものです(苦笑)。
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