「“ペット供養は宗教活動”
東京の寺で江戸時代から続く飼い犬や飼い猫の供養が課税の対象になるかどうかが争われた裁判で、東京高等裁判所は、地域に根ざした宗教活動で営利活動ではないとして、東京都が行った130万円余りの課税を取り消しました。
東京・両国にある「回向院」は350年余り前の江戸時代から飼い犬や飼い猫などを供養する寺として知られています。寺には高さ10メートルを超す動物の供養塔があり、お彼岸に営まれる動物の法要には、かわいがっていたペットの死を悼む大勢の参拝客が訪れます。
これについて、東京都が「料金をとる供養は営利活動に当たる」として、4年前、固定資産税など130万円余りを課税したため、寺が「人の供養と同じ宗教活動だ」として取り消しを求めていました。
23日の2審の判決で、東京高等裁判所の一宮なほみ裁判長は「江戸時代の文献には回向院に多くの動物が埋葬されたという記述があり、動物を供養する寺として古くから地域の人々のあつい信仰の対象だったことが認められる。供養料は取っているが、地域に根ざした宗教活動で営利活動ではない」と指摘し、東京都の課税を認めた1審とは逆に課税を取り消しました。
判決について東京都の主税局は「主張が認められず、きわめて残念だ。判決の内容をよく見たうえで今後の対応を検討したい」と話しています。
1月23日 18時16分」(NHKニュース(1月23日 18時16分))
新聞紙面では大きな扱いではありませんでしたが、NHKで何度も報道されたためか、多くの関心を呼んだ裁判例だったようです。
1.いわゆるペット供養訴訟については、「ペット供養訴訟〜宗教法人が行うペット供養(葬祭)も収益事業なのか?(上)」(2006/07/26(水) 23:04:32)、「ペット供養訴訟〜ペットの火葬や霊園の現状」(2006/08/13(日) 09:10:57)で触れています。
古来から日本の動物観は、どんな動物でも命あるものとして尊重し、供養を行ってきていました。動物供養で有名な「回向院」は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院ですが、その理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」であり、その理念は現在までも守られてきているのです。
回向院の開創間もない頃、将軍家綱公の愛馬が死亡し上意によってその骸を当院に葬ることになりました。その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人は馬頭堂を建て自らが鑿をとって刻し安置した馬頭観世音菩薩像は、享保年中(1716〜35)の頃から「江戸三十三観音」に数えられています。また、回向院の境内には、猫の報恩伝説で知られる「猫塚」(文化十三年・1816)、「唐犬八之塚」(慶応二年・1866)、「オットセイ供養塔」(大正15年)、さらに義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。
人間はもちろん、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという、回向院の理念が守られていることは、「平成19年春季彼岸会・犬猫小鳥等家畜総回向〜彼(か)の岸(きし)へ生まれることを願う」(2007/03/17(土) 22:25:41)、「平成19年総回向・家畜諸動物施餓鬼会」(2007/07/01(日) 23:36:53)、「平成19年秋季彼岸会・犬猫小鳥等家畜総回向」(2007/09/23(日) 21:14:58)といったようなことでも、いくらかでも理解できるかと思います。
このように、回向院での動物供養の歴史は回向院の開創間もない頃(回向院二世信誉上人の時代)まで遡るほど古いものであり、動物供養は回向院と切り離せないものなのです。東京高裁は、「回向院での動物供養の宗教性は社会的に認知されている」としていますが、極めて妥当な理解です。
この問題について検討する前に。
飼い主により、死後回向院に供養のために連れてこられたペットは幸せです。多数の犬・猫などが殺処分となっており、生涯を全うできずにいるのですから。
「無責任な飼い主による動物虐待や置き去り、利益追求ばかりで無計画な繁殖を行う悪質な業者は後を絶たない。炭酸ガスにより殺処分される犬や猫は年間約40万匹。環境省は、罰則などを強化した改正動物愛護管理法を先月から本格運用した。しかし、引き取り手がない犬や猫を動物管理センターからもらい受け、民間の動物愛護団体などが新たな飼い主を探す構図は変わってはいない。」(YOMIURI ONLINE:ズームアップ・ウィークリー(2007年7月4日)「無責任飼い主の罪」)
深夜、犬が吠えて近所から苦情を受け、家族が睡眠不足になったからなど多くの身勝手な理由――深夜吠えないように教えるのが飼い主の務めなのに――で、殺処分になっているのです。殺処分を待つ犬は、目が虚ろになり、恐怖におびえ口からよだれを流し続けています。飼い主としての務めを果たす意思がない者に飼われる動物は不幸です。
昔の地域住民は、犬が吠えるのは当たり前だと思い、文句を言い出すものはほとんどいませんでした。昔に比べれば、今の犬はほとんど吠えることがなくなっているのにも関わらず、今の日本社会は、犬が少しでも吠えることを許容出来ないほど寛容さをなくしてしまっているようにも思います。
(1) asahi.com(2008年01月24日07時30分)(紙面未掲載)
「「動物の供養も宗教」課税処分取り消し 東京高裁
2008年01月24日07時30分
動物の供養で知られる東京・両国の「回向院」の境内にある動物の供養塔や遺骨の保管場所などが、課税の対象にならない宗教施設に当たるかどうかが争われた訴訟で、東京高裁(一宮なほみ裁判長)は23日、都の課税処分を取り消す判決を言い渡した。「動物の遺骨の保管を固有の宗教目的活動と評価することは困難だ」として約130万円の課税処分を認めた一審・東京地裁判決を取り消し、施設が「宗教活動のために欠くことができないものだ」と判断した。
地方税法は「宗教法人がもっぱら本来の目的に使う境内建物と境内地」を非課税の対象と定めている。一宮裁判長は、回向院が江戸時代から動物の供養を行い、庶民の信仰の対象となってきた点を指摘。「回向院での動物の供養は、その宗教性が社会的に認知されている」とした。」
(2) 毎日新聞平成20年1月24日付朝刊28面
「東京・動物供養施設訴訟:課税取り消し 高裁、逆転判決
東京・両国の寺院「回向(えこう)院」が、動物供養施設に東京都が固定資産税などを課したのは違法として課税取り消しを求めた訴訟で、東京高裁は23日、請求を認める逆転判決を言い渡した。
地方税法は、宗教法人が宗教活動に使う建物や土地について、固定資産税を課さないと規定。しかし、都は04年「有料でペット供養をしており民間事業者と変わらない」と指摘し、固定資産税と都市計画税計約140万円を課した。
一宮なほみ裁判長は、回向院が江戸時代から動物の供養を行い世間に広く知られていることや定期的な法要実施を挙げ、「宗教活動に欠かせない建物」と認定。浄土宗以外の教義での供養は行わず宣伝もないとして、民間業者の営利事業とは異なると判断し、請求を棄却した1審判決を取り消した。回向院は1657年、明暦の大火の死者を弔うために開かれたとされ、人間や動物を問わず供養することを理念としている。【北村和巳】
◇都の話
極めて残念。判決内容をよく見て対応を検討したい。
毎日新聞 2008年1月24日 東京朝刊」
(3) 読売新聞平成20年1月24日付朝刊39面
「回向院ペット供養施設、信仰対象と認め非課税に…高裁判決
江戸時代の相撲興行などで知られる東京都墨田区の「回向院(えこういん)」が、ペットの骨の保管施設は宗教施設ではないとの理由で固定資産税など約138万円を課されたのを不服とし、都に課税処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が23日、東京高裁であった。
一宮なほみ裁判長は「回向院は江戸時代から動物供養が行われ、地域住民からも厚い信仰の対象とされている。保管施設は非課税の宗教施設といえる」と述べ、課税を認めた1審・東京地裁判決を取り消し、都の課税処分を違法とする判決を言い渡した。
判決によると、回向院は、動物愛好家らから動物の「遺体」が持ち込まれると、境内の建物内にあるロッカーで1年間無料で「遺骨」を安置した後、飼い主が希望すれば、年間2万〜5万円で安置・供養している。宗教施設は原則非課税とされているが、都は2003年の調査でこのロッカーを確認、04年にロッカー部分についてのみ固定資産税と都市計画税を課した。
1審は「民間業者の動物霊園と大きな違いはない」として、課税を適法としたが、控訴審判決は「宣伝広告は一切していないなど、民間業者の営利事業とは違う」と述べた。
東京都の話「主張が認められず残念。判決をよく見て対応を検討したい」
(2008年1月23日23時44分 読売新聞)」
(4) 産経新聞(2008.1.23 20:07)
「ペット遺骨保管ロッカーは宗教施設 東京高裁
2008.1.23 20:07
ペットの遺骨をロッカーに保管している東京都墨田区の宗教法人「回向院」が、都が行ったロッカー部分への固定資産税課税処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が23日、東京高裁であった。一宮なほみ裁判長は、課税処分を認めた1審東京地裁判決を取り消し、都側逆転敗訴の判決を言い渡した。
地方税法では、宗教法人が宗教活動に使う施設は非課税と定めている。ペットの遺骨保管ロッカーが宗教施設に当たるかが争点だった。
一宮裁判長は、回向院が江戸時代から動物供養を行ってきたことや、現在もペットの供養法要をしていることなどを指摘。「ロッカーは宗教施設で、回向院の宗教活動のために欠くことができない」と判断した。
都は「人間と動物の遺骨では社会的評価が違う。ロッカーは宗教施設とはいえない」などと主張していた。
1審判決は「回向院の動物の遺骨の保管は、民間の動物霊園事業とさして変わらない」として、回向院側の請求を退けていた。」
(5) 東京新聞(2008年1月23日 22時00分)
「ペット遺骨安置は宗教活動 都の課税取り消し
2008年1月23日 22時00分
東京都墨田区の宗教法人「回向院」が、ペットの遺骨を安置する施設に固定資産税などを課した都に対し「宗教施設として非課税とすべきなのに違法」として、約138万円の課税処分取り消しを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は23日、請求を棄却した1審東京地裁判決を取り消し、回向院側の逆転勝訴判決を言い渡した。
都側は「人と動物の供養では、宗教性の評価が違う」と主張したが、一宮なほみ裁判長は「江戸時代から動物の供養を続け、動物供養の寺として厚い信仰の対象となっている。施設は宗教目的に使用され、宗教活動に不可欠だ」と判断した。
都側は「対価を得ており、民間の動物霊園事業と類似している」とも主張。地裁判決はこの主張を支持したが、一宮裁判長は「宣伝広告も一切しておらず、民間業者と同様の営利的なものではない」などとして退け、課税処分を取り消した。
(共同)」
3.では、検討に入ります。
(1) この訴訟で問題となった規定は、法人税法でなく、地方税法です。
「東京・両国の寺院「回向(えこう)院」が、動物供養施設に東京都が固定資産税などを課したのは違法として課税取り消しを求めた訴訟で、東京高裁は23日、請求を認める逆転判決を言い渡した。
地方税法は、宗教法人が宗教活動に使う建物や土地について、固定資産税を課さないと規定。しかし、都は04年「有料でペット供養をしており民間事業者と変わらない」と指摘し、固定資産税と都市計画税計約140万円を課した。」(毎日新聞平成20年1月24日付朝刊28面)
「地方税法は「宗教法人がもっぱら本来の目的に使う境内建物と境内地」を非課税の対象と定めている。一宮裁判長は、回向院が江戸時代から動物の供養を行い、庶民の信仰の対象となってきた点を指摘。「回向院での動物の供養は、その宗教性が社会的に認知されている」とした。」(asahi.com(2008年01月24日07時30分))
宗教法人には、非営利団体である公益法人としての性質、及び信教の自由(憲法20条)の保障により、特有の課税優遇制度が設けられています。地方税上、不動産取得税(地方税法73条の4第1項第2号)、固定資産税(地方税法348条2項3号)、都市計画税(地方税法702条の2第2項)が非課税となっています。
今回の判決で問題となった規定を引用しておきます。
(固定資産税の非課税の範囲)
第三百四十八条 市町村は、国並びに都道府県、市町村、特別区、これらの組合、財産区、地方開発事業団及び合併特例区に対しては、固定資産税を課することができない。
2 固定資産税は、次に掲げる固定資産に対しては課することができない。ただし、固定資産を有料で借り受けた者がこれを次に掲げる固定資産として使用する場合においては、当該固定資産の所有者に課することができる。
一 国並びに都道府県、市町村、特別区、これらの組合及び財産区が公用又は公共の用に供する固定資産
(中略)
三 宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第三条 に規定する境内建物及び境内地(旧宗教法人令の規定による宗教法人のこれに相当する建物、工作物及び土地を含む。)
(都市計画税の非課税の範囲)
第七百二条の二 市町村は、国、非課税独立行政法人及び国立大学法人等並びに都道府県、市町村、特別区、これらの組合、財産区、地方開発事業団、合併特例区、非課税地方独立行政法人及び公立大学法人に対しては、都市計画税を課することができない。
2 前項に規定するもののほか、市町村は、第三百四十八条第二項から第五項まで、第七項若しくは第九項又は第三百五十一条の規定により固定資産税を課することができない土地又は家屋に対しては、都市計画税を課することができない。
(2) このように、宗教施設は原則非課税とされれているのですが、「都は2003年の調査でこの(回向院の境内の建物内にある)ロッカーを確認、04年にロッカー部分についてのみ固定資産税と都市計画税を課した」(読売新聞)のです。
もっとも、朝日新聞によると、「『回向院』の境内にある動物の供養塔や遺骨の保管場所などが、課税の対象にならない宗教施設に当たるかどうかが争われた訴訟」としていますから、遺骨の保管場所(ロッカー)に限定した訴訟ではないかもしれません。いずれにせよ、動物の遺骨保管施設が、課税の対象にならない「宗教施設」に当たるかどうかが争われたことは確かです。
東京都が課税した理由は、次のようなものです。
「都は04年「有料でペット供養をしており民間事業者と変わらない」と指摘し、固定資産税と都市計画税計約140万円を課した。」(毎日新聞)
「回向院は、動物愛好家らから動物の「遺体」が持ち込まれると、境内の建物内にあるロッカーで1年間無料で「遺骨」を安置した後、飼い主が希望すれば、年間2万〜5万円で安置・供養している。……1審は「民間業者の動物霊園と大きな違いはない」として、課税を適法としたが、控訴審判決は「宣伝広告は一切していないなど、民間業者の営利事業とは違う」と述べた。」(読売新聞)
「都側は「人と動物の供養では、宗教性の評価が違う」と主張したが、一宮なほみ裁判長は「江戸時代から動物の供養を続け、動物供養の寺として厚い信仰の対象となっている。施設は宗教目的に使用され、宗教活動に不可欠だ」と判断した。
都側は「対価を得ており、民間の動物霊園事業と類似している」とも主張。地裁判決はこの主張を支持したが、一宮裁判長は「宣伝広告も一切しておらず、民間業者と同様の営利的なものではない」などとして退け、課税処分を取り消した。」(東京新聞)
要するに、<1>人と動物とは根本的に異なるという前提で、人と動物との供養についても宗教性は異なる、<2>施設の使用者は任意で金銭を支払っているのでなく、対価を払って施設使用が認められている、すなわち、課税の対象とならない宗教施設か否かの区別基準については対価か任意かの基準によるべきである、<3>ペット供養は民間業者も行っており、民間業者の動物霊園と大きな違いはない、すなわち、民間業者もペット供養に参入しているので、課税の公平性を確保するため宗教法人にも課税すべきである(競争条件の平等化=イコール・フッティング)という3点です。
(3) では、この3点の主張は妥当でしょうか?
イ:<1>人と動物とは根本的に異なるという前提で、人と動物との供養についても宗教性は異なるという点について
「一宮なほみ裁判長は「江戸時代から動物の供養を続け、動物供養の寺として厚い信仰の対象となっている。施設は宗教目的に使用され、宗教活動に不可欠だ」と判断した。」
既に述べたように、回向院の理念は「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」であり、回向院での動物供養の歴史は回向院の開創間もない頃(回向院二世信誉上人の時代)まで遡るほど古いものであって、動物供養は回向院と切り離せないものなのです。
そうすると、このような回向院の性質上、当然ながら動物の供養塔は宗教施設であり、動物保管施設は墓地に相当するのですから、これもまた宗教施設と判断できます。
法学の伝統的な世界では「人」と「物」を二分しています。人が法と権利の主体となり、物が権利の客体となっていて、「ローマ法以来の伝統」(青木人志「法と動物―ひとつの法学講義」217頁)と言われています。動物は、この伝統的な二分法に従うと、ペットのようにいくら交流を交わしている動物であっても「物」に分類されることになります。
しかし、オーストリア(1988年)やドイツ(1990年)では、動物の法的地位の向上のため、民法典に「動物は物ではない」という一文が挿入され、他方で、「動物については、他に規定のないかぎり、物についての規定を準用する」と規定し、単なる「物」とも「人」とも異なる位置づけをしています。
これは、現在の欧米人動物観は、「動物保護(animal protection)」から「動物福祉(animal welfare)」へ、すなわち、相手の立場・意向などを考慮することなく上から手を差し伸べる「保護」から、相手の人格・権利などを認めたうえで、手を差し伸べる「福祉」へと変わってきたことを意味するのです(長谷川貞之・駿河台大学教授「アメリカのペット法事情」法律時報73巻4号14頁)。
このようなことから、動物が「物」から「人」への方向に向かって、法律上、徐々に移動しつつあるというのが世界的潮流であると評価されています(青木人志「法と動物」221頁〜)。法学の伝統的な二分法は実質的には放棄されているといってよいでしょう。この世界的潮流は日本でも及んでいて、日本法でもペットは「物」と異なった特別扱いをしているのです(例えば、『動物の愛護及び管理に関する法律』や動物の死傷につき慰謝料を肯定)。
いまや世界的にも日本においても、法律はおろか市民の意識としても、動物はすでに「物」と「者」との狭間にあるのです(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(下)〜「物」から「者」への狭間で」参照)。
そうすると、「人と動物とは根本的に異なる」という意識は妥当ではないのです。
以上のようなことからすると、「人と動物とは根本的に異なるという前提で、人と動物との供養についても宗教性は異なる」という東京都の主張は妥当でなく、東京高裁の判断は妥当であると考えます。
なお、回向院の性質上(回向院での動物の供養は、その宗教性が社会的に認知されている)、動物の遺骨保管施設が宗教施設であるという点を強調するのであれば、民間業者の下請けとなっている宗教法人が行う「宗教施設」は当然課税処分されるだけでなく、動物供養を行っている宗教法人の多くも、課税処分がなされることになるかと思います。回向院ほど動物供養の歴史のある宗教団体は少ないのですから。
ロ:<2>施設の使用者は任意で金銭を支払っているのでなく、対価を払って施設使用が認められている、すなわち、課税の対象とならない宗教施設か否かの区別基準については対価か任意かの基準によるべきであるという点について
「一宮裁判長は「宣伝広告も一切しておらず、民間業者と同様の営利的なものではない」などとして退け、課税処分を取り消した。」
公益法人に対して優遇措置を講じている理由が人間社会の潤滑油的にたとえるべき一定の有用性をもった非営利活動に着目し、国家がその限りにおいて税制上の便宜を図ったものであることからすると、任意であれば優遇する理由があるといえそうです。そうすると、対価か任意かという基準自体は、妥当なものという理解もできなくはありません。
しかし、その基準の適用の結果、同じく古くから行われてきた宗教的習俗であるのに「人の供養のみならず針供養や人形供養の場合も任意支払である一方、ペット供養の場合は対価支払である」(名古屋地裁平成17年3月24日判決)とするのでは、あまりにも不合理です(浅妻章如「租税判例第414回 宗教法人のペット葬祭事業が収益事業に該当するとした事例」ジュリスト1328号(2007年2月15日号)164頁<PDF版>)。
また、回向院は、遺骨保管施設の使用について、宣伝広告を一切していないのですから、民間業者と異なり、対価性が明白とはいえません。「境内の建物内にあるロッカーで1年間無料で『遺骨』を安置」するという点は対価関係がないことが明白ですし、「飼い主が希望すれば、年間2万〜5万円で安置・供養している」という点でも、民間業者と比較して低料金であるように思います。(ただし、安置・供養料の明示自体は悪いことではない。回向院に問い合わせ、回向院に赴くと安置・供養料が分かる)
このように、「施設の使用者は任意で金銭を支払っているのでなく、対価を払って施設使用が認められている、すなわち、課税の対象とならない宗教施設か否かの区別基準については対価か任意かの基準によるべきである」という東京都の主張は妥当でなく、東京高裁の判断は妥当であると考えます。
ハ:<3>ペット供養は民間業者も行っており、民間業者の動物霊園と大きな違いはない、すなわち、民間業者もペット供養に参入しているので、課税の公平性を確保するため宗教法人にも課税すべきである(競争条件の平等化=イコール・フッティング)という点について
例えば、「ドン・キホーテ:ペット霊園」では、棺セットなどを用意するなど利便性を追求している反面、「提携寺院(お寺さん)募集、FC募集」を行っています。このように、民間業者とそれに協力する宗教法人は完全なビジネスとして、ペット供養を行っているのですから、民間業者と無関係の宗教法人が行うペット供養に対しても課税しないと不公平であるとも考えられるのです。そうだとすれば、民間企業との競争条件の平等化(イコール・フッティング)という理由は妥当なものともいえそうです。
しかし、民間業者が参入すれば宗教法人にも課税するというのは、やはりおかしいのです。もし、民間業者がペット供養を物の処理として機械的に(ゴミのように)焼却しただけで済ませるのであれば、依頼者は激減するでしょうし、そうであるからこそ民間業者も宗教性を装っているのですから(三木義一「宗教法人によるペット供養の非収益事業性」立命館法学298号(2004年))。
仏教の世界観では、動物にも霊があり人間と同様に供養の対象であること、それのみならず、動物の供養は飼主である信者の信仰に基づくもの、言い換えれば、動物の供養は飼主の宗教行為であって、寺院側の読経などの供養は飼主に対する宗教行為あることも確かです(「ペット供養訴訟〜宗教法人が行うペット供養(葬祭)も収益事業なのか?(上)」(2006/07/26(水) 23:04:32)参照)。
ペット供養も伝統的な宗教法人の本来的活動に含まれているのであり、民間業者が参入すれば、ペット供養の宗教性が失われるというと倒錯した判断は妥当ではないのです。
このように、「ペット供養は民間業者も行っており、民間業者の動物霊園と大きな違いはない、すなわち、民間業者もペット供養に参入しているので、課税の公平性を確保するため宗教法人にも課税すべきである(競争条件の平等化=イコール・フッティング)」という東京都の主張は妥当でなく、東京高裁の判断は妥当であると考えます。
4.以上検討したように、東京都の主張は妥当でなく、東京高裁平成20年1月23日判決が課税処分を取り消した判断は妥当といえます。ただし、回向院の歴史性などいわば特殊な事情を考慮したがゆえに、動物の遺骨保管施設に対して非課税とするという判断をしたといえるので、この東京高裁の射程範囲は極めて狭いと理解するのが妥当でしょう。
このように射程範囲が狭いものだとしても、手放しで東京高裁を肯定する気にはなれないのです。
回向院で供養を済ませた際に、「雨降りの中であっても、動物の死体は建物の外へ、軒下へさえ持ち込むな」として、人と動物(及び飼い主)とを区別された経験がありました(おそらく、区議会議員の関係者の葬儀の邪魔になるため。それ以降、区別を受けた経験はない)。この経験は、深く心に刻まれた出来事なのです(「ペット供養訴訟〜ペットの火葬や霊園の現状」(2006/08/13(日) 09:10:57)参照)。
「仏教の世界観は、人間だけではなく、あらゆる動物を有情(心あるもの)と見て同列に置き、人間とか動物とかは、ある永続する個的存在の輪廻の諸相、諸段階に他ならない」などという仏教の世界観自体は立派なものだとしても、「人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という回向院の理念も立派であるとしても、動物供養に歴史ある回向院でさえ、実際上は、人と動物を歴然と区別し、飼い主に区別を求めたことがあるのです。
実際上、宗教法人と民間業者の行うペット葬儀・動物遺骨保管施設について、どれほどの差があるのでしょうか? 差がないとすれば、また、民間業者の方がペットの飼主に親身であるならば、民間業者と同じように課税してもいいのではないか、とも思えるのです。
自らが経験した回向院での対応、民間業者の下請けとなっている宗教法人が存在し単なるビジネスと化している状況などを考慮すると、当該宗教法人が行う動物供養の宗教性が社会的に認知されるかどうか(歴史性、供養の実情など)、施設使用にかかる費用(高額かどうか、専ら収益のためか)などを総合考慮して、動物遺骨保管施設への課税(固定資産税と都市計画税)の有無を判断するべきであり、なるべく非課税扱いは限定的にするのが妥当であると思うのです。
親戚が亡くなった時など淡々としていた母が、十数年飼っていたネコが死んだ折には、ホントに落ち込んでしまって心配させられました。
そういう実体験からも、動物と人の命に差異を認めない、という思想には何の異論も無いのですが、これを法的に認めだすと、じゃあ、イグアナは?ヘビは?ジュウシマツは?更にはAIは?...とややこしい話になってしまいますよね。 法以前の“命の定義” に関わる難しい問題です。
URL | rice_shower #-[ 編集 ]
>親戚が亡くなった時など淡々としていた母が、十数年飼っていたネコが死んだ折には、ホントに落ち込んでしまって
落ち込んでしまう気持ち、よく分かります。最近はそういった「ペットロス」を患ってしまう方が多くなって、なかなか立ち直ることができずにいます。よくケアしてあげてください。
>じゃあ、イグアナは?ヘビは?ジュウシマツは?更にはAIは?...とややこしい話になってしまいますよね。 法以前の“命の定義” に関わる難しい問題です。
動物愛護管理法第2条(基本原則)は、「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」と規定しています。
このように、法は、すべての人がすべての「動物は命あるもの」として人間と動物が共に生きていける社会を目指しています。ですから、イグアナ、ヘビ、ジュウシマツすべて「命ある動物」として尊重することが求められています。このように、日本法は、「動物と人の命に差異を認めない、という思想」を幅広く認めているわけですね。
ただし、罰則の対象となる「愛護動物」は、牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと、あひる、その他人が飼っている哺乳類、鳥類、爬虫類に限定されていますが(動物愛護管理法44条)。
さすがに、AI(Artificial Intelligence:人工知能)は機械であって「動物」ではないので、別個の扱いですね。SF映画の世界のように進歩すれば、将来的には人間扱いする可能性もあるでしょうけど。
このように法的に定義されている事は知りませんでした。
動物愛護管理法第2条、なかなか良い文章じゃないですか。
しかし、動物も然ることながら、先ずは人同士「どげんかせんといかん」と言う事ですが。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>このように法的に定義されている事は知りませんでした
知らない方はかなり多いと思います。このブログは、動物法についてはやたらと詳しく論じてきたので、動物愛護管理法は馴染みのある法律ですけど。
>動物愛護管理法第2条、なかなか良い文章じゃないですか。
そうですね。いまだ理想にとどまっている点もあるかと思いますが、動物の保護だけでなく、「共生」を説いており、良い文章となっています。ペットは単なる愛玩動物ではなく、家族や社会の一員(伴侶動物)であり、人と動物との正常な共生社会となることを求めているわけです。社会や国がペットとどう向き合っているかということは、社会が正常に成熟しているかどうかの指標である――とも言われたりしています。
>しかし、動物も然ることながら、先ずは人同士「どげんかせんといかん」と言う事ですが
人間同士の「共生」が一番難しいかもしれませんね(^^ゞ
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