(1月12日追記:鳩山法相の記者会見報道を追記として引用した)
1.まず、社説を紹介する前に、このブログでは何度も触れていることですが、もう一度、危険運転致死傷罪の規定、この事案でも問題となっている犯罪行為と簡単な文言説明をしておきます。福岡地裁判決の是非を判断する前提として、これらの知識が必要だからです。
(1) 自動車事故は、本来的に過失犯です。現行刑法は故意犯と過失犯とを峻別しており、過失犯は原則として処罰せず(刑法38条1項但書)、処罰する場合もその法定刑に相応の差異を設けています。また、自動車を運転する多くの国民の誰もが犯す可能性があることも考慮しなければなりません。これらのことから、自動車事故に関する罪の量刑(法定刑・処断刑)をあまりに重くすることは不合理なのです。
しかし、その自動車事故がどんなに悪質又は危険なときでも業務上過失致死傷罪(刑法211条)でしか処理できず、最高刑も懲役5年であったことから、類型的に悪質または危険な行為を重く処罰するため、平成13年の刑法改正により、故意犯として危険運転致死傷罪(刑法208条の2)を創設したのです。本来的に過失犯である行為を、重罰化するために無理やり故意犯扱いしたことから、無理のある規定となっています。(なお、平成19年改正で自動車運転致死傷罪につき7年以下の懲役などと規定。)
(危険運転致死傷)
刑法第二百八条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。
この規定は、1項では、運転者の意思によっては的確に自動車(バイクを含む)の進行を制御することが困難な状態での三類型の危険運転行為による致死傷罪を規定していて、酩酊運転致死傷罪・制御困難運転致死傷罪・未熟運転致死傷罪の3つを含んでいます。
2項では、運転者による自動車の進行の制御自体に問題はないが、特定の相手方や特定の場所・状況との関係において危険性の高い2類型の危険運転行為による致死傷罪を規定していて、妨害運転致死傷罪・信号無視運転致死傷罪の2つを含んでいます。
これら5つの行為は、同じく危険運転罪ですが別個の犯罪行為です。ですから、飲酒が成立要件になっているのは1項の酩酊運転致死傷罪だけであり、また、酩酊運転致死傷罪の成立につき、高速度(例えば時速100キロ)で走行していたことは無関係なのです。もちろん、「5つの行為それぞれ不十分だが幾つかは少しずつ満たすから、危険運転罪が成立する」ということもありません。
(2) 福岡地裁の事案では、刑法208条の2のうち1項前段である、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者」に当たるか否か、すなわち酩酊運転致死傷罪に該当するかどうかが問題となりました。そこで、「正常な運転が困難な状態」の意義がまず問題となるわけです。
「正常な運転が困難な状態とは、道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態である。道路交通法上の酒酔い運転(同法117条の1第1号、65条1項)で問題とする「正常な運転ができないおそれのある状態」であっても、運転が困難な場合にあたるとは限らない。現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態にあることを要し、アルコール、薬物の影響により、前方の注視が困難になったり、アクセル、ブレーキ、ハンドル等の操作が意図したとおりに行うことが困難になる場合を意味する(千葉地松戸支判部平15・10・6判時1848・159、東京地判平14・11・28判タ1119・272、東京地八王子支判平14・10・29判タ1118・299)。」(前田雅英「刑法各論講義(第4版)」49頁)
要するに、「正常な運転が困難な状態」というためには、<1>道路交通法上の酒酔い運転で問題とする「正常な運転ができないおそれのある状態」だけでなく、<2>現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態にあることを要するのです。福岡地裁平成20年1月8日判決も、従来どおりの確立した意義・基準を採用することを明示しています。
道交法では、「酒気帯び運転」と「酒酔い運転」を区別し、酒酔い運転でのみ「正常な運転ができないおそれのある状態」を要求していることからすると、道交法上も、「飲酒運転=正常な運転が困難な状態」ではないという構造になっています。
(3) 知識として必要なこととしては、道交法の規定である「酒気帯び運転」と「酒酔い運転」の違いを理解している必要があります。
「酒気帯び」とは、酔っていなくても、身体中に、呼気1リットル中のアルコール濃度が0.15ミリグラム以上の血中アルコール濃度を保有していれば当たります。これに対して、「酒酔い」とは、 飲酒検問の検知値(アルコール濃度)には関係なく、「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態(=まっすぐ歩けない場合など、言語活動、歩行活動、平衡感覚、視力など車両の運転に必要な運動機能が害されている状態)と判断される場合です(橋本裕蔵『道路交通法の解説(12訂版)』95頁参照)。
言い換えると、酒に強い人はどんなに飲酒量が多い場合でも「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」に至らない場合があるので、その場合には「酒酔い」運転になりません。これに対して、酒に弱い人の場合には、ほんの微量の飲酒であっても「酒気帯び」に至るほどのアルコール濃度がなくても、「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」に至っていれば「酒酔い」運転となるわけです。
検察側は、(事件当時の警察官が「酒気帯び運転」と判断していたのに)、今林氏の飲酒量が多かったとして、警察官による飲酒の再現実験などから「被告は相当酩酊し、運転操作が極めて困難な状態だった」と主張しています。しかし、他人がどんなに再現実験をしてもあまり意味がないのです。酒に強い人はどんなに飲酒量が多い場合でも「酒酔い」にならないことがあるのですから。
もし検察側の主張が認められてしまうと、道交法上の「酒気帯び」と「酒酔い」の区分が混乱してしまいますし、現場の警察官が取締りの際に「酒気帯び」と「酒酔い」を区別しても不安定なものになっていまいます。本当にそれでもいいのでしょうか? 福岡地検は、危険運転致死傷罪で処罰したいためとはいえ、今後に及ぼす影響の大きさへの配慮に欠けているように感じられるのです。
ちなみに、(現時点の)違反行為に付する基礎点数については、呼気中のアルコール濃度が0.15以上0.25ミリグラム/リットル未満の「酒気帯び運転」は6点であり、呼気中のアルコール濃度が0.25ミリグラム/リットル以上の「酒気帯び運転」は13点となっています。今林氏の場合、0.25ミリグラムだったので、ぎりぎり13点になるわけです。ただし、ひき逃げ事故やあて逃げ事故の場合の付加点数(ひき逃げは23点)がつくことになっています。
なお、危険運転致死傷罪を適用した80件の平均値は、呼気中のアルコール濃度0.65ミリグラムです。見るからに泥酔状態でないといけないわけです。ところが、今林氏の場合、0.25ミリグラムだったので、危険運転致死傷罪の適用は困難になったのです。
(4) これらが必要とされる知識です。法解釈とは結構大変なんだと思う方もいるかもしれません。ですが、将来、裁判員制度が実施され危険運転致死傷罪を担当した裁判員は、こういった知識を叩き込まれることを覚悟しなければなりません。裁判官がどれほど丁寧に説明してくれるのかどうか分かりませんが。それでは、社説を紹介します。
「飲酒運転判決 事故撲滅の重い教訓に(1月9日)
一昨年八月、福岡市で多目的レジャー車が乗用車に追突されて橋から海に転落、幼児三人が水死する痛ましい事故があった。
酒を飲んで乗用車を運転していた当時の市職員に対し、福岡地裁が判決を言い渡した。業務上過失致死傷と道路交通法違反の併合罪としては、最高刑の懲役七年六カ月だ。
検察が、危険運転致死傷罪とひき逃げの併合罪で最高刑の懲役二十五年を求刑したのに比べると、軽い印象は否めない。
だが、危険運転致死傷罪の要件である故意の危険な運転を検察が立証できなかった−と裁判所は判断した。世間の感情とは違うかもしれないが、客観的な証拠に基づいた中で、最高刑を科したところに裁判官の思いが見て取れる。
量刑にかかわらず、裁判長が語りかけた通り、被告は一生をかけて償うべきだ。
判決は、危険運転致死傷罪の適用要件の難しさに加え、初動捜査に不十分さがあったことを示している。
警察が被告のアルコール濃度を検知した際、「酒酔い」と「酒気帯び」を区別する歩行テストを怠ったことは明らかなミスだ。
被告は事故後、いったん現場から逃げた。友人にもってこさせた水を大量に飲んだ。検知でアルコール濃度が「酒気帯び」と認定され、危険運転致死傷罪を免れる理由の一つとなった。
「海に飛び込んで救助してくれたら助かったかもしれない」という両親の思いは当然だし、痛いほどわかる。
だが実態は、六年前に危険運転致死傷罪ができたころから、福岡の事故に限らず、ひき逃げが急増した。
「多くの犯罪は、はじめの刑を逃れようとして重ねられた」という十八世紀イタリアの法学者ベッカリーアの言葉は、危険運転致死傷罪とひき逃げの関係にもあてはまる。
福岡の事故を機に、飲酒運転やひき逃げの罰則が強化され、昨年九月に施行された。その後、飲酒運転事故が道内では半減し、全国でも三割減った。警察の取り締まり強化や、社会意識の変化も大きいだろう。
これをいっときに終わらせてはならない。飲んだら運転代行を頼み、宴会では運転者バッチをつけてもらうなど、あの手この手で飲酒運転を防がなければならない。
運転者の呼気にアルコールが含まれているとエンジンがかからない車の開発も急ぎたい。欧米で導入が進み、スウェーデンでは二○一二年からすべての新車に義務づけられる。日本でも取り入れられないか。
福岡の事故では橋の防護柵の強度が歩行者・自転車用で弱かった。凍結路でスリップしやすい場所から順に車両用に交換してほしい。」
3.この社説を読んでどう感じでしょうか? 幾つかの点に触れていきます。
(1) まず1点目。
「酒を飲んで乗用車を運転していた当時の市職員に対し、福岡地裁が判決を言い渡した。業務上過失致死傷と道路交通法違反の併合罪としては、最高刑の懲役七年六カ月だ。」
これは事件当時の罪名及び量刑です。もし現時点で同様の事故を引き起こしたとすれば、自動車運転致死傷罪(懲役7年以下)と道路交通法違反(ひき逃げは10年以下)の併合罪となるので、最高刑は懲役15年となります。
ちなみに現時点で同様の事故が起きたとして危険運転致死傷罪が適用されるとした場合、どういう量刑になるでしょうか?
事件当時は、報道されているように、危険運転致死傷罪(20年以下)と道交法違反(ひき逃げは5年以下)の併合罪で最高刑の懲役25年でした(刑法47条但書で各罪の長期の合計が上限)。これに対して、もし現時点で同様の事故を引き起こしたとすれば、ひき逃げ(救護義務違反)が10年以下と重罰化したため、危険運転致死傷罪(20年以下)と道交法違反(ひき逃げは10年以下)の併合罪で最高刑は懲役30年となります(刑法14条、47条)。
福岡地裁の事件は、平成19年8月に起きたというかなり最近の事件でしたが、事件前後であってもこれだけ量刑が変わってしまうわけです。注意すべきことは、現在量刑が重くなったからといって、現在の量刑を基準にしてはいけないということです。なぜなら、遡及処罰を禁止する罪刑法定主義(憲法31条)に反するからです。
(2) 2点目。
「検察が、危険運転致死傷罪とひき逃げの併合罪で最高刑の懲役二十五年を求刑したのに比べると、軽い印象は否めない。
だが、危険運転致死傷罪の要件である故意の危険な運転を検察が立証できなかった−と裁判所は判断した。世間の感情とは違うかもしれないが、客観的な証拠に基づいた中で、最高刑を科したところに裁判官の思いが見て取れる。」
裁判では、世間の感情論に左右されて判断するわけではなく、証拠裁判主義(刑事訴訟法317条)により、客観的な証拠に基づいて判断するわけです。だからこそ、そういう客観的証拠からすれば業務上過失致死傷罪の範囲で認定するしかなかったわけです。
それでも量刑については最高刑を科したのですから、量刑の面では世間の感情に配慮したともいえるのです。法解釈や犯罪事実の認定には世間の感情で左右されないが、量刑では最大限に配慮しよう――。そこに「裁判官の思いが見て取れる」と評価できるのではないか、と北海道新聞は判断したわけです。
しかし、あくまでも業務上過失致死傷罪を適用している以上、その罪を前提にして量刑判断するべきです。そうすると、今林氏は真摯に反省する態度を示しているのですから、業務上過失致死傷と道路交通法違反の併合罪としては、最高刑の懲役7年6月を科すことは不当に重い量刑であったと思うのです。
福岡地裁は、量刑の面では世間の感情に影響されているのではないかとも思えます。しかし、福岡地裁は、「大上夫妻が体験した、不条理で残酷な極限的状況には想像を絶するものがあり、被告に峻烈(しゅんれつ)な処罰感情を抱くのは当然」として、被害者感情には配慮しつつも、「被告の過失の大きさや結果の重大性、酒気帯び運転、ひき逃げの悪質性などにかんがみると、処断刑の上限に当たる実刑をもって臨むのが相当」としており、判決要旨をみる限り、世間一般の処罰感情を量刑理由に含めていないようです。
(3) 3点目。
「判決は、危険運転致死傷罪の適用要件の難しさに加え、初動捜査に不十分さがあったことを示している。
警察が被告のアルコール濃度を検知した際、「酒酔い」と「酒気帯び」を区別する歩行テストを怠ったことは明らかなミスだ。」
「福岡市・3児死亡交通事故事件:福岡地裁平成20年1月8日判決は危険運転致死傷罪の適用を否定〜感情論で批判するのは止めるべきでは?」でも、検知ミスの点があったことを指摘しました(東京新聞平成20年1月8日付夕刊11面「警察検知ミスで複雑化」参照)。
「酒酔い」と「酒気帯び」の区別は、呼気テストだけでなく総合判断で決定します。この事案の場合、事故現場に駆けつけた警察官は、呼気アルコール濃度の結果に加え、被告の言語・態度や歩行能力に問題はないとし、酒酔いではなく「酒気帯び」と記録していました。ですから、歩行テストを怠ったという検知方法にミスがあったとしても、その警察官は総合的に判断を行った結果「酒気帯び」と決定したのですから、その警察官がなした決定を不当だとするのは極めて困難です。
特に、「酒酔い」と「酒気帯び」の区別の判断については、現場の警察官の裁量に委ねているのに、同じ捜査機関がその警察官の裁量が間違っていたと主張することは、禁反言の原則に反するものであって妥当ではありません。検察側は「被告は高度に酩酊していたが、警察官の検知方法などにミスがあった」と主張したのですが、裁判所には通らなかったのも当然の判断でしょう。
(4) 4点目。
「被告は事故後、いったん現場から逃げた。友人にもってこさせた水を大量に飲んだ。検知でアルコール濃度が「酒気帯び」と認定され、危険運転致死傷罪を免れる理由の一つとなった。
「海に飛び込んで救助してくれたら助かったかもしれない」という両親の思いは当然だし、痛いほどわかる。
だが実態は、六年前に危険運転致死傷罪ができたころから、福岡の事故に限らず、ひき逃げが急増した。
「多くの犯罪は、はじめの刑を逃れようとして重ねられた」という十八世紀イタリアの法学者ベッカリーアの言葉は、危険運転致死傷罪とひき逃げの関係にもあてはまる。」
事故を起こしたまま逃げたり、水を飲むなどして証拠隠滅行為を図ることは悪質であると思うかもしれません。「ひき逃げ」を救護義務違反として処罰していることも確かです。しかし、犯人が逃げること(犯人蔵匿罪・刑法103条)や犯人が証拠隠滅を図ること(証拠隠滅罪・刑法104条)は、刑法上、処罰していないのです。それは、犯人自身がそういった行為に出ることはやむを得ないものであるとして、適法行為にでる期待可能性がないからです。
ですから、こういった犯罪性がない行為(特に証拠隠滅行為)について、悪質であると非難して過度に量刑を重くすることは、非犯罪行為を明文なく処罰するに等しいものであって、妥当ではありません。
ベッカリーアは「刑罰が残虐であればあるだけ、犯人は刑罰を逃れようとする。多くの犯罪は、まさにはじめの刑を逃れようとして重ねられたものなのだ。」と述べているように(ベッカリーア(風早八十二・五十嵐二葉訳)『犯罪と刑罰』87頁)、交通事故を犯せば、人間の心理として逃げたくなるのはやむを得ないものなのです。
しかも、危険運転致死傷罪の創設により、交通事故を犯せば「ひき逃げ」をしなくても20年の懲役になるほど重罰化してしまったのですから、より一層逃げようとする誘惑に駆られてしまうでしょう。だからこそ、「六年前に危険運転致死傷罪ができたころから、福岡の事故に限らず、ひき逃げが急増した」のです(平成13年には16503件だったものが、平成18年には18336件に増加した。交通行政研究会編「道路交通法Q&A」37頁)。
飲酒運転を防止するために厳罰化した結果、かえって「ひき逃げ」を誘発し、本来一番守るべき被害者の生命が失われる可能性が増してしまったのです。皮肉なことですが、ベッカリーアの言葉を知っていればこういった事態は十分に予測できたはずなのです。
(アルコール測定器を製造しているメーカーの関係者によると「飲酒直後に大量に水を飲むと、数値が低くなる可能性はある」というだけ。それも、一時的な効果しかなく、1時間以内でごまかしのきかない正確な数値に戻る。だから、水を飲み事故後48分後の検知では、アルコール濃度は0.25ミリグラムでしたが、大幅な数値低下はないはずなのですが……。危険運転を適用した80件の平均値は0.65ミリグラムですから、事故後48分で0.25ミリグラムにまで低下させるのは無理に近いでしょうし。)
4.飲酒運転死亡事故が減っている原因は、罰則の強化も影響していますが、「警察の取り締まり強化や、社会意識の変化も大きい」のです。飲酒運転を早期に取り締まり、運転者の周辺で飲酒運転を助長し容認しないような意識が必要なのです。「飲んだら運転代行を頼み、宴会では運転者バッチをつけてもらうなど」の具体策も効果的です。
厳罰化しても飲酒運転が後を絶たない要因としては、アルコール依存症やその予備軍の存在が指摘されていて、常習飲酒運転者対策が課題になっています。政府は当面の対策として、専門相談機関の周知、運転免許の処分者講習の充実などを決定していますが(日経新聞平成20年1月8日付夕刊18面)、飲酒対策自体の充実が必要なように思います。
他方、「運転者の呼気にアルコールが含まれているとエンジンがかからない車の開発」といった車両の方で物理的に飲酒運転が不可能なようにするのも効果があります。「欧米で導入が進み、スウェーデンでは二○一二年からすべての新車に義務づけられる」とのことですから、日本でも自動車メーカーへ早期に義務づけるべきではないでしょうか。
交通事故の際、死傷者を生じさせないような物理的な対策も効果的です。「福岡の事故では橋の防護柵の強度が歩行者・自転車用で弱かった」のですが、もし車両の衝突にも耐えられるような防護柵であれば落下せずに3児は溺死しなかったといえるのですから。
交通事故犯罪をさらに厳罰化することは、被害者遺族の感情にかなうものかもしれません。今までは被害者や市民の処罰感情を考慮して厳罰化の方向で法改正を繰り返してきたことは確かです。しかし、いくら厳罰化に努めても飲酒運転は後を絶たず、かえって「ひき逃げ」が増加しているのが現実です。もし危険運転致死傷罪を緩和したとしても――どうやって緩和するのか考えにくいですが――同様でしょう(刑の上限を10年にして緩和するならあり得るが、併合罪加重を考慮すれば自動車運転過失致死傷罪とさほど変わらない)。
少し立ち止まって考え直してみる時がきているのではないでしょうか?
ひたすら厳罰の道を突き進むのは止めて、危険運転・飲酒運転予防策の充実を図ることの方が効果的で意義があるではないかと思うのです。多くの犯罪被害者(遺族)が口にすることは「二度と同じ犯罪が生じないようにしてほしい……」であることを思い起こすべきではないでしょうか。
<1月12日追記>
NHKニュース(1月11日 17時54分)で、鳩山法務大臣がこの福岡地裁判決と危険運転罪に言及していたので引用しておきます。
「“危険運転罪適用は厳格に”
鳩山法務大臣は、閣議のあとの記者会見で、福岡市で幼いきょうだい3人が死亡した飲酒運転の事故の裁判で、危険運転致死傷の罪が適用されなかったことについて、「故意の危険な運転と認める場合の要件は厳格でなければならず、簡単に広げることはできない」と述べました。
福岡市で幼いきょうだい3人が死亡した飲酒運転の事故の裁判で、福岡地方裁判所は、被告の市の元職員に対し、「責任は重大だが正常な運転が困難だったとは認められず原因は脇見運転による過失だ」として刑の重い危険運転の罪は認めずに、業務上過失致死傷などの罪を適用して懲役7年6か月の判決を言い渡しました。
これについて鳩山法務大臣は「裁判は三審制であり、結論が出たわけではないので、これからの展開を注視したい」と述べました。そのうえで鳩山法務大臣は「危険運転致死傷罪は、悪質で危険な運転行為が故意に行われた場合に認定されるものだ。故意に行われたことを認定する場合には要件が厳格でなければならず、簡単に広げることはできない」と述べ、危険運転致死傷の罪の適用にあたっては、要件を厳格に判断せざるをえないという考えを示しました。
1月11日 17時54分」(*見やすくするため原文と異なり、段落わけをした)
法務省の見解としては、「危険運転致死傷罪は、悪質で危険な運転行為が故意に行われた場合に認定されるものだ。故意に行われたことを認定する場合には要件が厳格でなければならず、簡単に広げることはできない」という、立法当初からの姿勢を貫くという態度を示しています。危険運転致死傷罪を弾力的に適用することも否定的であり、今後、要件を緩和するような法改正もしない(緩和できない)ということだと推測できます。
「福岡地検は11日、危険運転致死傷罪を適用しなかった判決を不服として週明けにも控訴する方針を固めた」(読売新聞(2008年1月12日3時1分))ようですが、鳩山大臣の記者会見を通じて、法務省が福岡地検に対して釘を刺したといえるかもしれません。
| #[ 編集 ]
>福岡の事故では、事故後に救命救助活動や警察救急への通報をせず、もしかしたら救えたかも知れない命を失いました
>もし、海に飛び込んで救助していたらどうなったかは誰にもわかりませんが
>危険運転罪創設の切っ掛けとなった東名の「高知のやさい」トラック事故では、大型トラックには必ず積んでいる消火器を使えば、当然子供は助かったのに、トラック運転手は酩酊していて救助を行わず、さらに駆けつけてきた警察も、事情聴取するだけで救助活動は一切しませんでしたから、警察にも責任の一端があります。
>とにかく問題にすべきは、救助活動の有無におくべきと思います。
仰るとおり、死亡事故に至らない具体策こそ重要です。
加害者が懸命に救助した場合は刑の必要的減軽規定を設けて、救助するようにすることもいいことかもしれません。
ただし、加害者に救助を求めるのは難しいようにも思います。加害者もまた事故によって動揺してしまうのですから。
自動車の安全設計の向上や、交通運転教育の際に救助方法を詳しく教え実践できるようにしておくことなど、加害者に頼らない具体策が妥当だと思います。交通事故での死亡者数は1996年(危険運転罪創設前)から長期的に減少しているのですが、その理由は、厳罰化というよりも、シートベルトの着用や車の安全設計の向上の影響が大きいのですから。
これは明文化の必要がありますね。慣習的に判決を左右していますがそれでは不十分かと思ってます。
今のところ、それを明文化している刑法はありません。なんにせよひき逃げを防ぐにはこれしかないような気がします。個人的見解ですが
URL | akikan #xh7JCHKQ[ 編集 ]
>>加害者が懸命に救助した場合は刑の必要的減軽規定を設けて、救助するようにすることもいいことかもしれません。
>これは明文化の必要がありますね
そうですね。もちろん法改正が必要です。
平成19年に危険運転致死傷の罪の改正などをした際、その法律案(刑法の一部を改正する法律案(閣法第83号))では、「刑の裁量的免除規定や罰金刑の適用の在り方についても引き続き検討」を行うべきという付帯決議をしていました。付帯決議にそって立法をしていけばいいのですけど。
>なんにせよひき逃げを防ぐにはこれしかないような気がします。個人的見解ですが
そうですね。刑の減軽や免除といった恩恵を与えないと。ただ、どんな犯罪でも犯せば逃げたくなるのが心情でしょうから、交通事故の加害者に過度に期待するのは無理だと思いますけどね。
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URL | 名無しの権兵衛 #-[ 編集 ]
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