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1.まず、判決自体の記事の前に、予備的訴因を追加したため、弁論を開く必要があり、そのため1月8日の判決前に弁論を開いています。
(1) 朝日新聞平成20年1月8日付夕刊13面
「被告、傍聴席に一礼
今林被告は黒いスーツ姿で入廷。傍聴席と裁判官に向かってそれぞれ一礼し、弁護人に促されて再度、傍聴席に頭を下げた。
裁判長が審理の再開を告げ、検察官が「脇見して時速100キロで走行し3人を死亡させた」などとする業務上過失致死傷罪の予備的訴因を読み上げた。認否を問われた今林被告は用意した紙を取り出し、「時速100キロという点を除いては間違いありません。私の認識としては80キロから90キロ程度です」と述べ、約10分で結審。すぐに判決が言い渡され、じっと聴き入った。
事故から約10ヶ月にわたって勾留(こうりゅう)された今林被告は、昨年6月の初公判後に保釈された。公判は危険運転致死傷罪を否認する一方、「愚かな行為をとり申し訳ない。できることを怠ることなく償っていきたい」と謝罪してきた。
昨年9月の公判に大上哲央さんが出廷した際には、顔を真っ赤にしてすすり泣いた。保釈後は、亡くなった3児のため朝夕に読経を続けているという。」
(2) 弁論の再開につき触れたのは朝日新聞だけのようです。弁論は約10分ほどで終わったため、単なる儀式に過ぎない感じです。問題となるのは、訴因追加によって被告人側が不利益にならないかと言う点ですが、この事案では、弁護側は業務上過失致死傷罪にすぎないと主張していたのですから、訴因追加により防御の不利益は生じていないといえそうです。
今林氏は、「愚かな行為をとり申し訳ない。できることを怠ることなく償っていきたい」と謝罪し、保釈後は、亡くなった3児のため朝夕に読経を続けているというのですから、反省の情が伺えます。
2.では、報道記事をいくつか。
(1) 時事通信(2008/01/08-13:27)
「業過致死傷で懲役7年6月=元市職員の危険運転認めず−3児死亡事故・福岡地裁
福岡市で2006年8月、飲酒運転で車に追突して海に転落させ、幼児3人を死亡、両親にけがをさせたとして、危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた元市職員今林大被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁で開かれた。川口宰護裁判長は、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の罪を認定し、懲役7年6月(求刑懲役25年)を言い渡した。危険運転致死傷罪は成立しないとした。
川口裁判長は「被告は事故を起こすべくして起こした。ひき逃げの悪質性もかんがみると、厳しい非難は免れない」と述べた。併合罪の量刑の上限は懲役25年から同7年6月へ大幅に下がったが、判決はその上限を選択した。
公判では、危険運転致死傷罪が成立する事実として、被告は泥酔して正常な運転が困難な状態だったかが争われた。
川口裁判長は当時の状況について、被告が酒に酔った状態だったとしながら、警察官による事故時のアルコール測定で酒気帯びとした事実を踏まえ、高度な酩酊(めいてい)状態だったか疑問と指摘。追突事故まで居眠りや蛇行運転した形跡がなく、湾曲した道や狭い道でも接触事故を起こさなかったと認定した。
その上で、追突直前に衝突回避措置を取った点を挙げ、現実の道路や交通の状況に応じた運転操作をしていたとして、「正常な運転が困難な状態にはなかったことを強く推認させる事情」と断じ、危険運転致死傷罪の成立を否定した。」
「福岡市・3児死亡交通事故事件:危険運転致死罪適用否定へ〜福岡地裁が訴因追加命令」で触れたように、福岡地裁(川口宰護裁判長)は12月18日午前、福岡地検に対し、業務上過失致死(前方不注視)罪と道交法違反(酒気帯び運転)の罪の2罪を予備的訴因として追加するよう命じ、検察側は追加していたので、危険運転致死罪の適用を否定することがほぼ確実視されていました。その予測どおりの判決でした。
「川口宰護裁判長は、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の罪を認定し、懲役7年6月(求刑懲役25年)を言い渡した。危険運転致死傷罪は成立しないとした。」
本判決は、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因の業務上過失致死傷罪(同5年)、酒気帯び運転を適用し、起訴時の訴因である「ひき逃げ(救護義務違反罪)」をも適用し併合罪としたようです。「ひき逃げ」は起訴時の訴因であったので「ひき逃げ」を認定するのかどうか、注目していましたが、どうやら「ひき逃げ」も成立すると判断したようです。
複数犯罪がある場合、幾つ罪が成立しようと何人死亡しようとも、一番重い罪の1.5倍が最高刑(上限)になるだけです。ですので、改正前の業務上過失致死罪(5年以下)、酒気帯び運転罪(3年以下)、ひき逃げ(救護義務違反罪5年以下)という3罪が適用されるとしても、5年の1.5倍となるだけなので、最高刑は懲役7年6月となるのです。
「3児死亡事故、被告に懲役7年6カ月 危険運転適用せず
2008年01月08日11時09分
福岡市東区で06年8月、幼児3人が死亡した飲酒運転事故で、危険運転致死傷罪と道路交通法違反(ひき逃げ)の罪に問われ、懲役25年を求刑されていた元同市職員・今林大被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁であった。川口宰護(しょう・ご)裁判長は危険運転致死傷罪の成立を否定したうえで、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪などを適用。業務上過失致死傷と道交法違反の組み合わせでは最高刑に当たる懲役7年6カ月を言い渡した。
川口裁判長は危険運転致死傷罪の要件である「酒の影響で正常な運転が困難な状態」について「正常な運転ができない可能性がある状態では足りず、現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあることが必要」と判示した。
そのうえで本件を検討。被告の飲酒量については検察側の主張通り、自宅や居酒屋、スナックで缶ビール1本と焼酎のロック8〜9杯、ブランデーの水割り数杯を飲んだと認定した。が、事故後の飲酒検知は呼気1リットルあたり0.25ミリグラムで酒気帯び程度だったことなどから「泥酔状態」との検察側主張を退けた。
そして「被告はスナックから現場まで約8分間、普通に右左折やカーブ走行を繰り返し、蛇行運転などの事実は認められない。事故直前も衝突回避措置を講じており、正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される」と述べ、故意犯である危険運転致死傷罪の成立を否定。事故原因を脇見運転と認定したうえで、「過失程度の大きさ、結果の重大性、酒気帯び運転とひき逃げの悪質性から、刑の上限に当たる7年6カ月が相当」と量刑理由を述べた。
川口裁判長は「一生かけて罪を償ってほしい」と説諭。今林被告は即日収監された。
公判では、被告が「正常な運転が困難な状態」にあると認識しながらあえて運転したかどうかや、事故当時の酔いの程度が争われてきた。
検察側は(1)居酒屋の店員に「酔うとります」と言った(2)現場直前の交差点を大きくふくらみながら左折(3)見通しのよい直線道路なのに約12メートル手前まで被害車両に気付かなかった、などを挙げ、「被告は正常な運転が困難な状態にあり、かつ、その認識があったのは明らか」と訴えていた。弁護側は、飲酒検知結果などに基づき危険運転致死傷罪を否認。脇見運転が原因と主張し、量刑の軽い業務上過失致死傷罪の適用と執行猶予を求めていた。
地裁は結審後の昨年12月、予備的訴因として業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転)の追加を福岡地検に命じた。地検は追加に応じたが、危険運転致死傷罪を適用すべきとの立場は変えておらず、控訴を検討するとみられる。
同地検の吉浦正明次席検事は「判決を子細に検討したうえで上級庁とも協議して適切に対応したい」、弁護側は「判決を厳粛に受け止める。主張が受け入れられていない点も多々あり、残念」とのコメントを出した。
判決によると、今林被告は06年8月25日午後10時50分ごろ、福岡市東区の「海の中道大橋」で、乗用車を時速100キロで飲酒運転。大上哲央(あきお)さん(34)のRVに追突して海に転落させ、長男紘彬(ひろあき)ちゃん(当時4)、次男倫彬(ともあき)ちゃん(同3)、長女紗彬(さあや)ちゃん(同1)を水死させ、哲央さんと妻かおりさん(31)にも軽傷を負わせて現場から逃げた。」
イ:本判決の最も重要な判示部分を朝日新聞は引用しています。
「川口裁判長は危険運転致死傷罪の要件である「酒の影響で正常な運転が困難な状態」について「正常な運転ができない可能性がある状態では足りず、現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあることが必要」と判示した。」
「正常な運転が困難な状態」の意義については、福岡地裁は、当該要件の確立した一般的な解釈・基準を採用したことを明示しています(「福岡市・3児死亡交通事故事件:危険運転致死罪適用否定へ〜福岡地裁が訴因追加命令」参照)。
「正常な運転が困難な状態とは、道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態である。道路交通法上の酒酔い運転(同法117条の1第1号、65条1項)で問題とする「正常な運転ができないおそれのある状態」であっても、運転が困難な場合にあたるとは限らない。現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態にあることを要し、アルコール、薬物の影響により、前方の注視が困難になったり、アクセル、ブレーキ、ハンドル等の操作が意図したとおりに行うことが困難になる場合を意味する(千葉地松戸支判部平15・10・6判時1848・159、東京地判平14・11・28判タ1119・272、東京地八王子支判平14・10・29判タ1118・299)。」(前田雅英「刑法各論講義(第4版)」49頁)
一般人の意識やテレビ報道からすると、「飲酒運転=正常な運転が困難な状態」であると理解しているようですが、それは全くの間違いです。もし「飲酒運転=正常な運転が困難な状態」であるとすれば、飲酒運転を行えばほとんど常に交通事故を起こすといっていい状態になりますが、それは実際上、事故を起こすことなく多数の飲酒運転がなされていることに反することになるでしょう。
ロ:このように「正常な運転が困難な状態」というためには、<1>道路交通法上の酒酔い運転で問題とする「正常な運転ができないおそれのある状態」だけでなく、<2>現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態にあることを要するのです。
まず、本判決は、事故後48分後の飲酒検知は呼気1リットルあたり0.25ミリグラムであったことなどから、警察官は「酒酔い」でなく「酒気帯び」と認定したことから、「道路交通法上の酒酔い運転で問題とする『正常な運転ができないおそれのある状態』」とはいえないと判断したといえます(<1>の要件を満たさない)。
もっとも、検察側は捜査ミスがあったため、呼気テストを軽視し「酒気帯び」との判断も間違っていたと主張したようです。
「警察検知ミスで複雑化 酒気帯びか酩酊か 歩行テストなども怠る
危険運転致死傷罪の成否が争われた三幼児死亡事故の公判は、今林被告の酔いの程度を中心に、検察側と弁護側の双方が真っ向から対立した。
福岡県警の飲酒検知ミスが争点の複雑化に輪を掛け、結審後に福岡地裁が訴因追加を命じる異例の展開をたどった。
事故後に被告から検出された呼気一リットル中のアルコールは〇・二五ミリグラムで、酒気帯びと認定された。この数値は、弁護側が「正常な運転ができないほどは酔っていなかった」と危険運転を否認する大きな柱となった。
しかし被告は検知直前に〇・五−一リットルの水を飲んでおり、検知を行った警察官は法廷で、被告が一回の呼吸で膨らませるべき風船を二回吹いたことや、酒酔いと酒気帯びを区別する歩行テストを怠ったことなどを証言。
検察側はこれらの捜査ミスを認めた上で、飲酒量や飲食店従業員らが目撃した言動のほか、追突直前まで前方の車に気付かない異常な運転だったことを主張、さらに飲酒の状況を再現した実験で「酩酊(めいてい)状態だった」との立証を展開した。
一方、弁護側はハンドルを切りブレーキを踏む回避措置を取っていたとし「微酔状態だった」と反論、アルコール量も「(危険運転が認定された)これまでの判例基準の〇・五ミリグラムに遠く及ばない」と指摘した。
最終的に地裁は、業務上過失致死傷と酒気帯び運転の罪を予備的に追加主張するよう検察側に命令。過失の内容は「脇見による前方不注視」で、判決を三週間後に控えた時期の決断だった。」(東京新聞平成20年1月8日付夕刊11面)
酒酔いと酒気帯びを区別するのは、呼気テストだけでなく総合判断なのですから、歩行テストを怠ったのは妥当でなかったことは確かです。しかし、捜査ミスを被告人に転嫁するのは筋違いですし、また、呼気テストを軽視することは、日頃警察官が行っている呼気テスト全般の信用性を軽視することになり、すべての飲酒運転取り締まりの判断が揺らいでしまうのです。
このようなことから、呼気テストを軽視し「酒気帯び」との判断も間違っていたとする検察側の主張は妥当ではなく、<1>の要件を満たさないとの判断は妥当であると考えます。
また、本判決は、被告はスナックから現場まで約8分間、普通に右左折やカーブ走行を繰り返し、蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかったのであり、事故直前、被害者の車両を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切るなど衝突回避措置を講じていたことから、「現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態にあった」とはいえないとしましたのです(<2>の要件を満たさない)。
もっとも、検察側は、現場直前の交差点を大きくふくらみながら左折したとか、見通しのよい直線道路なのに約12メートル手前まで被害車両に気付かなかったと主張しています。しかし、「現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態」とは、アルコール、薬物の影響により、前方の注視が困難になったり、アクセル、ブレーキ、ハンドル等の操作が意図したとおりに行うことが困難になる場合を意味するわけです。そうすると、事故直前に急ブレーキをかけ、ハンドルを切ることができたのですから、それだけでも「現実に適切な運転操作を行うことが困難な心身の状態」と判断するのは困難です。
このようなことから、検察側の主張は妥当でなく、<2>の要件を満たさないとの判断は妥当であると考えます。
ハ:以上のように検討してみると、<1>と<2>の双方の要件を欠くのですから、危険運転致死傷罪を特に厳格に適用したわけではなく、およそ適用できない事例であったことが分かると思います。
また、本判決は「正常な運転が困難な状態」の意義につき、確立した一般的な解釈・基準を採用したことを明示したうえで、その解釈に沿った認定を行っただけなのですから、危険運転致死傷罪に関して「厳格な法解釈を優先」(毎日新聞1月8日付夕刊「解説」)したわけでもないことが分かると思います。
福岡地裁平成20年1月8日判決が、危険運転致死傷罪の適用を否定したことは、極めて妥当な判断であり、危険運転致死傷罪を特に厳格に解釈・適用していないのですから、(新たな立証をしない限り)控訴審でも同様の結論となる可能性が高いと考えます。
ニ:業務上過失致死傷罪の適用を前提とした場合、今林氏は、「愚かな行為をとり申し訳ない。できることを怠ることなく償っていきたい」と謝罪し、保釈後は、亡くなった3児のため朝夕に読経を続けているというのですから、真摯に反省の態度を示していると判断可能です。
そうすると、量刑につき、業過致死傷と道交法違反の併合罪では最高刑(事件当時)である懲役7年6月としたことは、3人を死亡させた点と被害者感情に配慮したとはいえ、懲役7年6月という量刑は不当に重過ぎるといえます。控訴審では5年以下の懲役になる可能性すらあります。
3.【福岡3児死亡事故の判決要旨】も引用しておきます。
「【福岡3児死亡事故の判決要旨】
福岡地裁が8日言い渡した3児死亡事故の判決要旨は次の通り。
■【総論】
危険運転致死傷罪が成立するためには、単にアルコールを摂取して自動車を運転し人を死傷させただけでは十分でない。同罪に当たる「正常な運転が困難な状態」とは、正常な運転ができない可能性がある状態でも足りず、現実に道路や交通の状況などに応じた運転操作が困難な心身の状態にあることを必要とする。
■【事故状況】
今林大(ふとし)被告は事故直前に前方を走行していた大上哲央(あきお)さんの多目的レジャー車(RV)に気付き、急ブレーキをかけて衝突を回避しようとしたが、RVの右後部に衝突した。被告は「海の中道大橋」の直線道路に入った辺りから、右側の景色を眺める感じで脇見を始め、前を振り向くと突然目の前にRVが現れたと供述し、十分信用できる。
RVを直前まで発見できなかったのは、脇見が原因と認められる。被告はこの道を通勤経路として利用し通り慣れており、終電が終わる前にナンパをしたいと思っていた被告が、午後10時48分という夜間に、車を時速80―100キロに加速させたからといって、それが異常な運転であったとまでは言えない。
■【飲酒状況】
被告は2軒の飲食店で飲酒後、運転を開始した時に、酒に酔った状態にあったことは明らか。しかし、その後の具体的な運転操作や車の走行状況を離れて、運転前の酩酊(めいてい)状態から直ちに「正常な運転が困難な状態」にあったという結論を導くことはできない。
被告は事故直後、ハザードランプをつけて降車したり、携帯電話で友人に身代わりを頼むなど、相応の判断能力を失っていなかったことをうかがわせる言動にも出ている。飲酒検知時も千鳥足になったり足がもつれたりしたことはなく、現場で警察官は、呼気1リットル当たり0.25ミリグラムという検知結果や言動などを総合し、酒酔いではなく酒気帯びの状態だったと判断した。高度に酩酊した状態にあったとする検察官の主張には賛同できない。
同じ量のアルコールを摂取しても、得られる血中アルコール濃度には個人差が相当大きいので、鑑定などを根拠に事故当時の被告の血中濃度が1ミリリットル当たり0.9―1.0ミリグラムだったと認定するのは合理的な疑いが残る。また血中濃度がその程度になれば、前頭葉などが抑制され前方注視及び運転操作が困難になるとした鑑定意見も、症状に個人差があると説明しており、正常な運転ができない可能性があることを指摘したにとどまる。直ちに前方注視及び運転操作が極めて困難な状態にあったとまで認めることができない。
■【総合判断】
今林被告は事故現場まで蛇行運転や居眠り運転などをしておらず、その間に衝突事故も起こしていない。事故当時、状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあったかどうかをみると、被告は2軒目の飲食店を出発して事故後に車を停車させるまでの約8分間、湾曲した道路を進行し、交差点の右左折や直進を繰り返した。幅約2.7メートルの車道でも車幅1.79メートルの車を運転していた。
また事故直前には大上さんの車を発見し、ハンドルを右に切って衝突を回避しようとし、反対車線に飛び出した自分の車を元の車線に戻している。これらの事実は、被告が状況に応じた運転操作を行っていたことを示し、正常な運転が困難な状態にはなかったことを強く推認させる。
事故直前に脇見運転を継続しているが、走行車線を大きくはみ出すことはなく、前方への注意を完全に欠いたとまでは言えない。事故の48分後に行った呼気検査では酒気帯びの状態と判定され、酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない。
以上の通り、危険運転致死傷罪の成立は認めることはできず、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転)の罪に当たる事実が認められるに過ぎない。
弁護側はRVの大上さんが居眠り運転をしていたと主張するが、大上さんの供述の信用性に疑問はなく、失当である。
■【量刑の理由】
3児は幸せな日々を送っていたが、理不尽にも短い一生を終えなければならなかった。海中で必死の救助に当たった大上夫妻が体験した、不条理で残酷な極限的状況には想像を絶するものがあり、被告に峻烈(しゅんれつ)な処罰感情を抱くのは当然である。
被告は事故以前にも4件の交通違反歴があり、酒気帯び運転もしていたと述べており、交通規範意識は著しく鈍磨していたと言わざるを得ない。
被告の過失の大きさや結果の重大性、酒気帯び運転、ひき逃げの悪質性などにかんがみると、処断刑の上限に当たる実刑をもって臨むのが相当である。
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■【福岡3児死亡事故の判決要旨】
■【福岡3児死亡事故の経過】
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■「事故の重み、痛感」 「二度と繰り返さない」 3児死亡事故判決で吉田福岡市長
■今林被告懲役7年6月 福岡3児死亡事故 危険運転罪適用せず 地裁判決 飲酒追突「脇見が原因」
=2008/01/08付 九州ねっと(西日本新聞)=
2008年01月08日13時49分」
4.解説と識者のコメントをいくつか。
(1) 毎日新聞平成20年1月8日付夕刊8面
「解説:福岡・車転落3児死亡 地裁判決、厳密な法解釈優先
◇「故意」の立証、難しく−−危険運転致死傷罪
危険運転致死傷罪の成立を認めなかった3児死亡事故に対する福岡地裁判決は、飲酒運転の末に幼児3人が死亡するという結果の重大性より、厳密な法律解釈を優先させる形で、検察側主張をほぼ退けた。市民感覚との隔たりも感じさせる司法判断だが、適用可能な法律の上限の刑を言い渡しており、被害者感情に配慮し、最大限に量刑に反映させた結果とも評価できる。
検察が危険運転致死傷罪で起訴に持ち込んだケースで、判決が認定しないのは極めてまれだ。同罪に詳しい法学者は「被害者感情を考慮して成立した経緯があり、裁判所がかなり解釈を広げて適用してきた面もある」と指摘する。
だが、同罪は必ずしも「飲酒運転=危険運転」ではない点に判断の難しさがある。道交法が定める「酒酔い運転」程度の酔いの証明が求められる上、加害者本人の「故意」の立証も必要だ。今回の事件では、飲酒検知で「酒気帯び」と認定した結果が響き、検察側は飲酒先での加害者の様子など周辺証拠を積み重ねで勝負するしかなかった。それも次々と退けられ、弱みを払しょくできなかった。
同罪で起訴された事件は、来年始まる裁判員制度の対象だ。客観証拠の乏しい今回のような事件では、判断が割れることがありうる。さらに今回の判決を機に、交通事故遺族らから「適用できない法律に意味があるのか」と不信の声が上がるのは必至で、新たに同罪の見直し論議に発展する可能性もある。【石川淳一】
◇法要件厳しく、適用伸びず
最高刑を懲役20年とする危険運転致死傷罪は、01年に刑法に新設されて以降、毎年300件前後が適用されている。飲酒運転やスピード違反による悲劇が絶えない中、法要件のハードルの高さから適用件数は伸びていない。
06年の危険運転致死傷罪適用は380件(前年比36・2%増)で、うち致死は60件。業務上過失致死傷罪の約85万件と比べると0・1%にも満たない。適用の約半数は飲酒運転。最高刑の高さから、危険運転致死罪で起訴された1審公判のうち、懲役10年超が12%、5年超も36%となった。
しかし、1審公判が同罪成立を認めず、業務上過失致死傷罪などを適用するケースは「ほとんどない」(法務省幹部)という。宮城県多賀城市で05年5月に飲酒運転の車が高校生らの列に突っ込んだ18人死傷事故でも、被告側は「深酔いでなかった」と主張。しかし仙台地裁は「信号無視や蛇行運転を繰り返し、運転困難だった」と最高刑の懲役20年を言い渡した。【石川淳一】
毎日新聞 2008年1月8日 東京夕刊」
「厳密な法解釈優先」という見出しですが、本判決は「正常な運転が困難な状態」の意義につき、確立した一般的な解釈・基準を採用したことを明示したうえで、その解釈に沿った認定を行っただけなのですから、正しい理解ではありません。
また、この事案では故意の認定で争っていないのですから、「『故意』の立証、難しく」という見出しも意味不明です。危険運転致死傷罪には、酩酊運転致死傷罪・制御困難運転致死傷罪・未熟運転致死傷罪、妨害運転致死傷罪・信号無視運転致死傷罪の5つの別個の行為が含まれていることを理解していないようです。
「今回の判決を機に、交通事故遺族らから「適用できない法律に意味があるのか」と不信の声が上がるのは必至で、新たに同罪の見直し論議に発展する可能性もある」
要するに、被害者感情論にしたがって法適用すべきという主張ですが、そんな感情論で「同罪の見直し論議に発展」させるだなんて、謙抑性が基本である刑罰法規の基本原理を根本的に否定するものです。無理やり重く処罰するため故意犯規定にしてしまった縛りを全く理解しておらず、感情論を煽り立てるような解説は妥当ではありません。
(2) 朝日新聞平成20年1月9日付朝刊29面
「解説:飲酒事故判決 社会と司法に溝
判決は、厳格な立証が必要な危険運転致死傷罪の壁の高さを改めて示した。
懲役7年6ヶ月の量刑は、業務上過失致死傷と道交法違反の組み合わせでは最も重い。幼い3人の命を奪った結果の重さや遺族感情に配慮したとも言える。が、検察側が同罪で求刑した懲役25年とは大きな開きがある。
その開きは、飲酒運転による死傷事故への社会への意識と司法判断との「ずれ」そのものだ。
判決は、同罪は「故意に危険な運転をして人を死傷させた者を、暴行により人を死傷させた者に準じて処罰しようとするもの」だから、適用には被告が「道路・交通の状況に応じた運転が困難な心身状態」だったことが必要だ、と高いハードルを設定した。
危険運転が適用された過去の事例に比べ、被告の呼気中アルコール濃度は低かったため、検察側は飲酒時の言動などの周辺事実を積み重ねて立証を図った。が、判決はその多くを「一面的な見方だ」と退けた。
判決は、被告が酒を飲んで時速100キロで車を走らせ、事故直前には最大12秒以上も脇見運転したと認定した。だが、危険運転に当たらないという。一般常識でいう「危険な運転」と法律上の危険運転はイコールではないと強く印象づけた。
危険運転の故意とは、「正常な運転は困難」と運転者が認識していたことを指す。内心の問題を事実の積み重ねで客観的に立証するのは難しい。
それだけに司法判断も割れている。愛知県で6人が死傷した飲酒運転事故では、被告が「殊更に」信号無視したかが争点になった。ほぼ同じ証拠で審理しながら、1審は業務上過失致死傷を適用し、2審は危険運転致死傷を適用。今林被告についても、危険運転致死傷罪で起訴するかどうか、検察内部で意見が分かれた経緯がある。
危険運転致死は、裁判員制度の対象事件だ。悪質な交通事故の厳罰化を求める世論の流れから生まれた条項なのに、被害者・遺族や市民感情と、実際の法運用のハードルの高さとの溝が埋まらない。同罪のあり方を見直す時期に来てはいないか。(山本亮介)」
今一歩の解説あり、多々気になる点があります。
「愛知県で6人が死傷した飲酒運転事故では、被告が「殊更に」信号無視したかが争点になった。ほぼ同じ証拠で審理しながら、1審は業務上過失致死傷を適用し、2審は危険運転致死傷を適用。」
「愛知県6人死傷事故事件:信号無視危険運転致死傷罪の成否〜2審の名古屋高裁は危険運転罪を認定」で触れたように、検察は故意の立証に時間を費やし、信号システムを管理する愛知県警の警察官を証人尋問したり、被告が事故前に何度も現場を通ったとの供述を基に、信号サイクルの運動性によって交差点の赤信号を認識していたと主張したのですから(日経新聞)、ほぼ同じ証拠で審理したとはいえません。あまり誤解を招くような記述は妥当ではありません。
「悪質な交通事故の厳罰化を求める世論の流れから生まれた条項なのに、被害者・遺族や市民感情と、実際の法運用のハードルの高さとの溝が埋まらない。同罪のあり方を見直す時期に来てはいないか。」
要するに、厳罰化の世論の流れという空気を読んで判決を書けというものであり、更なる厳罰化を促進するよう、危険運転致死傷罪の構成要件を緩和せよというものです。しかし、法解釈の限界を超えてまで世論の感情論に流させるのは法治国家ではありません。本来的に過失犯である交通事故を重罰化するため無理やり故意犯としたのですから、これ以上緩和することは無理に近いのに、どこまで緩和しろと言うのでしょうか?
そもそも、先進国の中では日本のみが厳罰化を求め突き進んでいること自体、異常だとは思わないのでしょうか? どんなに厳罰化しようとも飲酒運転が後を絶たない要因として、アルコール依存症やその予備軍の存在が指摘されていることは周知の事実のはずです(日経新聞平成20年1月8日付夕刊18面)。厳罰化を煽るような解説は妥当ではないと考えます。
(3) 読売新聞平成20年1月8日付夕刊18面
「解説:酔いの程度 立証厳しく
幼児3人が死亡した福岡市の飲酒運転追突事故で、福岡地裁は危険運転致死傷罪の構成要件を満たしていないと判断、自己原因は脇見による過失と認定した。
悲惨な交通事故に対する厳罰化を目的とした危険運転致死傷罪の法定刑の上限は懲役20年。これに対し、今回地裁が認定した業務上過失致死傷罪は懲役5年。量刑に大きな差があるのは、前者が「故意犯」であるのに対し、後者は「過失犯」だからだ。
このため、危険運転致死傷罪の適用には、「正常な運転が困難な状態」という厳しい要件がある。飲酒の影響でブレーキなどの運転操作が困難な状態との立証が必要となる。
福岡県警は当初、今林大被告を業務上過失致死傷容疑で逮捕。送検後、危険運転致死傷容疑に切り替えて調べを進め、福岡地検が危険運転致死傷罪で起訴した。
公判では、事故時の酔いの程度が最大の争点となり、呼気1リットル当たりのアルコール分0.25ミリグラムという検知結果を巡って、検察側、弁護側双方が厳しく争った。
検知結果は、酔いの程度を客観的に示す証拠だ。千葉県松戸市で2002年、歩行者5人がワンボックスカーにはねられて死亡した事故で、千葉地裁松戸支部が危険運転致死罪を適用した男の呼気濃度は0.55ミリグラム。05年に宮城県多賀城市で、高校生ら18人がレジャー用多目的車(RV)にはねられて死傷した事故で危険運転致死傷罪を適用された男の呼気濃度は0.3ミリグラムだった。
今林被告の0.25ミリグラムは、過去の裁判例に照らすと、同罪が適用できるかどうか、ぎりぎりの線。検察側は、目撃情報などから今林被告が<1>ビール缶(350ミリリットル)と焼酎ロック9杯(約540ミリリットル)を飲んだ<2>スナックでろれつが回らず、バランスを崩して後ろに倒れそうになった<3>現場近くの交差点で、停止中の車に衝突しそうになるほど急接近した後、大回りして左折した――などと状況証拠を積み上げて「危険運転」の立証につとめた。
しかし、地裁は、飲酒検知結果や「今林被告の足はもつれていなかった」とする検察官の証言などから、酔いの程度は道交法の「酒気帯び」と認定し、事故原因は前方不注視による過失とした。
危険運転致死傷罪は、犠牲者の数や被害者の心痛の大きさではなく、あくまで運転の危険度で判断される。判決は「故意犯」の認定には高いハードルがあることを改めて示した。(西部社会部 小松一郎)」
一番真っ当で穏当な解説です。
「危険運転致死傷罪は、犠牲者の数や被害者の心痛の大きさではなく、あくまで運転の危険度で判断される。判決は「故意犯」の認定には高いハードルがあることを改めて示した。」
犠牲者の数や被害者の心痛の大きさで、危険運転致死傷罪の適用を認めようという風潮に釘を刺すものであり、冷静な理解を求めているものです。
(4) 読売新聞平成20年1月8日付夕刊18面
「「柔軟に法解釈を」 「感情論にするな」 識者から賛否
危険運転致死傷罪を適用しなかった福岡地裁の判断に対して、識者からは賛否の声が上がった。
諸沢英道・常盤大大学院教授(被害者学)は「悪質な事故のドライバーを故意犯並みに罰するというのが危険運転致死傷罪の立法趣旨。結果の重大性を考えると、地裁はもっと柔軟に法解釈すべきだった」と、地裁判断に疑問を投げかけた。
加害車両を運転していた元市職員の今林大被告(23)は事故後、逃走を図ったり、大量の水を飲んだりして摘発から逃れようとした。こうした点について諸沢教授は「『一定量以上のアルコール』をしゃくし定規に判断するならば、今後も逃走する者が現れる」と指摘。「これぐらいでは危険運転ではないという誤ったメッセージになりかねない」と懸念を示した。
一方、上田国広・九州大大学院法学研究院教授(刑事弁護)は「検察側の立証が、危険運転致死傷罪の構成要件を満たしていないならば、地裁が業務上過失致死傷罪を適用するのは仕方がない」と判決に理解を示した。
上田教授は「刑罰法規は厳格に解釈すべきだ。感情論で危険運転致死傷罪を適用することはできない」と強調した。」
「もともと、法律家の間では、業務上過失致死傷罪(最高で懲役5年)、昨年6月施行の自動車運転過失致死傷罪(同7年)と比べて法定刑が重い危険運転致死傷罪について『厳格に適用すべきだ』との意見は根強い。」(日経新聞1月8日付夕刊19面)とあるように、刑事法研究者の一般的な理解としては、福岡地裁の結論を妥当とすると思われます。
諸沢英道・常盤大大学院教授(被害者学)は「結果の重大性を考えると、地裁はもっと柔軟に法解釈すべきだった」としますが、刑罰法規を柔軟に解釈しろというのは、類推解釈禁止や明確性を要求する罪刑法定主義(憲法31条)に反する考えであって妥当ではありません。刑法学のイロハを知らない学者のようです。
5.テレビ報道からすると、世間の間には、飲酒して人身事故を起こし重大な結果を生じさせた場合は厳罰に処せられて当然である、いわば結果責任を問うべきという意識が蔓延しているようです。
(1) しかし、責任主義の観点から故意過失がなければ処罰できないのであり、結果責任を問うべきというような世間の風潮は根本的に妥当でないのです。しかも、故意犯と過失犯とは責任非難の程度が大きく異なるからこそ、過失犯は例外的にか処罰しないのであって(刑法38条1項但書)、過失犯は(何人死亡させようと)罪が軽いのです。このように、故意犯と過失犯とは埋めがたい分水嶺があり、それを曖昧にするような法律及び解釈は極めて不当なのです。
「厳罰化は、世界の先進国において日本に特有の傾向といえるだろう。途上国は、どこも応報感情をむき出しにしたような判決を出す。貧しい国では窃盗や汚職でも死刑になる。人間の復讐心をそっくりそのまま仕組みに移したものだからだ。しかし、文化の成熟とともに、犯罪者の人権も考えるようになる。だから、世界の先進国を百年単位で見れば、刑罰はどんどん軽くなっている。ヨーロッパの国々が次々と死刑を廃止していることからも明白だ。
もちろん、日本も明治時代に比べれば刑罰はどんどん軽くなっている。ところが、神戸市で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る14歳少年が、小学校を殺害したあたりから、国民の間に厳罰化を望む声が高くなり始めた。……
2009年までに裁判員制度が導入され、一般市民が裁判官と一緒に重大犯罪の被告を裁くことになる。これによって、日本はさらに厳罰化が加速する可能性もある。」(堀田力「裁判所は社会の拠り所となれるか」中央公論2007年4月号246頁)
いい加減に日本で強調されている厳罰化の流れ自体がおかしいと気づくべきではないでしょうか? 危険運転致死傷罪の要件をもっと緩和しようなどと訴える新聞社(朝日新聞、毎日新聞)は、どこまで緩和すれば気が済むのでしょうか。どんなに緩和しようとも法適用である以上、限界があり、適用できない事例は出てくるのですから。
(2) 東名高速道路の事故で幼い娘2人を亡くした千葉市の井上保孝さん、郁美さん夫妻は「時代の流れは厳罰化である」として、福岡地裁は時代の流れに反するという趣旨のコメントをされていました。しかし、時代の流れという曖昧な意識に流されてしまうことは、厳正かつ冷静さを求められる裁判を歪めてしまい、時代の流れで法解釈・適用を自由に変更できるという歪んだ法感覚を蔓延させてしまうことになりかねません。
すでに触れたように、「危険運転致死傷罪は、犠牲者の数や被害者の心痛の大きさではなく、あくまで運転の危険度で判断される」(読売新聞)という真っ当な法意識を見失ってはならないのです。
「国民の常識からかけはなれたものであってはならない」(朝日新聞平成20年1月9日「社説」)とか、時代の流れは重罰化であるとか、刑事罰において結果責任を問うべきという意識は、重罰である危険運転致死傷罪の法解釈を感情論で処罰拡大を図るものに他なりません。マスコミの裁判報道は、光市事件裁判でも分かるように、すぐに感情論に走り、扇情的に煽り立てるのです。異常としか思えない裁判報道に対して、一般市民は影響されることなく、冷静に接してほしいと思います。
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ご指摘の点、そのとおりだと思い、全面的に見直しました。非公開コメントでのご指摘、ご配慮ありがとうございます。
ところで、「Tomorrow is Another Happy」さんでコメントなされていた方ですよね? 「Tomorrow is Another Happy」さんにとって色々とやむを得ない事情はあるとしても、やはり休止は残念です。
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福岡地裁の判断を批判する人(アマチュアのブログ、新聞やテレビなど「プロ」の記事問わず)の多く……と言うよりもほぼ全部に共通して見られるのは、そもそも法208条の2が何をどう規定しているのかすら知らないとしか思えない、と言うことです。アマチュアは仕方ないとしても、プロの司法記者がそれじゃあいけませんね。
本件判決(と、それに伴う「世間」の反応)に対しての感想は、私も春霞さんと同感なのですが、2点同意いたしかねる部分があります。
1点目。
交通事故は、基本的には過失に起因するものであります。しかし酒を飲む等殊更に判断能力や運動能力を低下させる状態を自ら作り出した上で、敢えて(平常時でさえも些細な過失から事故を起こすような)自動車を運転することは、「事故を起こした」と言う部分のみに着目して過失扱いにするのは不適切であると言うのが、私の考え方です。つまり現行法の構造は、妥当ではないと考えています。
2点目は、上記に由来することなのですが、本件判決において7年6月の満額実刑判決としたことは「不当に重い」とまでは思わないということです。
控訴審(仮にあれば)で5年以下に下方修正される可能性については私も同感ですが、被害の重大さではなく犯情の悪質さ(具体的には証拠隠滅工作のことですが)から見て、また危険運転致死傷罪と言う犯罪類型が定められていることに鑑みれば、最長の刑期を持って処断するとの判断は非難に当たらないと思うのです。
過去の類似事犯での判例は、この際モノサシに使うべきではないと考えます。それは「これまでは酒酔い運転事故を殊更に厳重に処罰する法律上の決まりごとがない中で下された判決だから」です。前提条件が異なっている、と思うのです。
私も「世間」の報復感情の充足(=溜飲を下げること)に主眼があるかのようないわゆる厳罰化には与しませんが、こと「酒飲んだ奴が車を運転すること」に関しては、厳罰化ではなく適正化だと考えます。
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>信号無視だけでも危険運転が適用され得る気がします。
刑法208条の2では「信号無視危険運転罪」を処罰していますので、信号無視と死傷の結果が生じた場合、「危険運転が適用され得る」ことになりますね。
>先日の春日井に事故では懲役17年が言い渡されました。この17年の判決は、通常の刑事罰で言うとどのぐらいの犯罪に当たりますか?例えば、傷害罪とか強盗だとか・・・。教えていただけませんか。
懲役17年が科させる罪としては、殺人罪が典型かと思います。多少の経緯がある関係において人を一人殺害する場合(殺人罪)が懲役17年という感じですね。
↓
「別れ話もつれ女性刺殺、入試センター元係長に懲役17年
別れ話のもつれから交際していた女性を刺殺したとして、殺人罪などに問われた独立行政法人「大学入試センター」の元管理部係長、小沢健二被告(43)(懲戒解雇)の判決が9日、東京地裁であった。
波床昌則裁判長は「身勝手な動機から尊い生命を躊躇(ちゅうちょ)なく奪った悪質極まりない犯行」と述べ、求刑通り懲役17年を言い渡した。
弁護側は「被告は犯行当時、飲酒のため心神耗弱状態だった」と主張したが、判決は「善悪を判断する能力が著しく低下していたとは言えない」と述べた。
判決によると、小沢被告は昨年3月、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで、同センター非常勤職員だった女性(当時26歳)を包丁で刺殺した。
(2008年1月9日20時20分 読売新聞)」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080109i313.htm
傷害罪や強盗罪だけでは、懲役17年にする判例は……ちょっと思いつきません。もちろん、殺人罪を犯してももっと短い刑期であることも多いのです。
愛知県6人死傷事故事件では、名古屋高裁は信号無視危険運転罪を認定したため、懲役17年になりえたわけです。しかし、本来的に過失犯である交通事故が殺人並みの懲役だなんて、重すぎではないかという気持ちにさせられます。殺人罪だって3年ぐらいの量刑のことだってあって幅があるのに、危険運転だとほとんど重い量刑ばかりでこの幅の狭さは実に妙な感じです。
>承認待ちコメント
>このコメントは管理者の承認待ちです
>2008/01/10(木) 10:22:25 | | #[ 編集]
「Tomorrow is Another Happy」さんでコメントなされていた方であるとのお返事、ありがとうございます。
こちらが尋ねてしまったのがいけないのですが(汗)、2008/01/10(木) 10:22:25のコメントを公開してしまうと、前回、非公開コメントにした意味がなくなってしまう気がします。ですので、今回だけは承認待ちの形にさせて下さい。申し訳ありません。
>「Tomorrow is Another Happy」さんの休止は残念ですが、落ち着かれたらきっとどこかで再開されると思います。
ぜひ再開してほしいです。その際には、アマゾネス軍団の連絡網(!?)を使ったりしてぜひ連絡してほしいな〜と思います。
>いつもながらの厳密な考察に
ありがとうございます。判例を理解することはなかなか難しいことです。ですから、判決のどの部分に着目すべきなのか、分かりやすくて、しかも深みのある内容するよう努めています。また、新聞記事の批判も、判例理解の一助となるのではないかと思います。間違いから学ぶことって多いのですから。
>福岡地裁判決では、追突によって、なぜ、車が簡単に欄干を突き破って飛び出てしまったのかなどの問題についてどのような判断がなされたのか、今一つ分かりませんが
そうですね。
福岡地裁はどう考えていたのか、判決文全文を読んでみたいです。
>マスコミは、橋の歩道附設側の欄干の強度を緩和した行政責任の追求を行うべきではないか
仰るとおりです。橋の防護柵の強度が歩行者・自転車用で弱かったことは確かです。マスコミは、福岡地裁の判断がどうであろうと、防護柵の強度が弱かったことを問題視し、橋からの落下防止策を提言してほしいです。
>大分合同新聞1月9日付のコラム「東西南北」では、「酒が入っても運転能力があるとは、判決をした裁判官は余程酒に強いのか」などと煽り立てて……
貴重な!?コラムの“通報”をありがとうございます。裁判官は、個人的な経験で危険運転致死傷罪を解釈しているわけではないんですけどね。困ったものです。コラム著者は、危険運転致死傷罪の理解が不十分なままコラムを書いているように感じられます。ともかく、図書館に行って、そのコラム全文を読んでみることにします。
>えらい時代になったと暗澹としています
もっと冷静に裁判報道ができないものかと思います。ほとんどのマスコミが揃って、感情論をにじませた福岡地裁批判だなんて、怖くなります。
ただし、ずっと被害者に対して同情が集まり、弁護人が業務上過失致死傷罪にすぎないと主張したこと自体に批判が殺到している状態でした。もし弁護側の主張は正しい、福岡地裁判決が妥当だなんて書くと、読者から非難殺到だったはずです。光市事件と同様に、世論が怖くて思ったことが書けなくなっている点は、幾らか同情に値しますね。
>福岡地裁の判断を批判する人(アマチュアのブログ、新聞やテレビなど「プロ」の記事問わず)の多く……と言うよりもほぼ全部に共通して見られるのは、そもそも法208条の2が何をどう規定しているのかすら知らないとしか思えない
最初っから危険運転致死傷罪を適用しないのはおかしいと思い込んでいるんでしょう。だから208条の2の解釈がどうであろうと、常識論や感情論で福岡地裁批判を語ってしまうわけです。
>プロの司法記者がそれじゃあいけませんね
共同通信や時事通信の配信記事と、被害者の記者会見を参考にすればそれなりの記事は書けますからね。208条の2を調べたって咀嚼できなければ記事にもできません。
ただし、ずっと被害者に同情が集まり、弁護人が業務上過失致死傷を主張すること自体、非難殺到だったという異常事態だったのです。ですから、福岡地裁判決が妥当であるだなんて、読者(世論?)が怖くて書くことができない意識があると思います。私のブログのように、しがらみもなく「炎上」も気にすることなく「弁護人批判はおかしい、福岡地裁判決は妥当だ」なんて、そう簡単には言えないのです(笑)
>酒を飲む等殊更に判断能力や運動能力を低下させる状態を自ら作り出した上で、敢えて(平常時でさえも些細な過失から事故を起こすような)自動車を運転することは、「事故を起こした」と言う部分のみに着目して過失扱いにするのは不適切である
>つまり、現行法の構造は、妥当ではない
「殊更に」能力低下「状態を自ら作り出した上で、敢えて」行った場合であれば、その行為は「原因において自由な行為」の理論のような考えですね。原因において自由な行為の理論とは、自己を責任無能力状態に陥れて、敢えて犯罪を実現するときには、責任能力を認める理論を言います。
問題は、その原因において自由な行為類似の理論(以下、「惰眠」理論としておきます)をどう使うつもりなのかということです。
「惰眠」理論は、危険運転致死傷罪の成立に要求されない、「殊更に能力低下の状態を自ら作り出す」ことを要求するのですから、「殊更に」と「自ら作り出した」という2点の行為と故意が必要になるので、より処罰が限定されてしまいます。処罰の限定は構わないと思いますが。
もし、危険運転致死傷罪と別個に「惰眠」理論による規定を設けるつもりである場合でも、「殊更に」と「自ら作り出した」を延々争うことになり、危険運転致死傷罪よりも立証が困難になるかもしれません。
このように考えると、「現行法の構造は、妥当ではない」という点がちょっとよく分かりません。飲酒運転はすべて「殊更に」能力低下を「自ら作り出した」と擬制してしまうのでしょうか? もう少し説明して頂けたらと思います。
>本件判決において7年6月の満額実刑判決としたことは「不当に重い」とまでは思わない
>犯情の悪質さ(具体的には証拠隠滅工作のことですが)から見て、また危険運転致死傷罪と言う犯罪類型が定められていることに鑑みれば、最長の刑期を持って処断するとの判断は非難に当たらない
犯人による証拠隠滅罪は刑法上不処罰ですし、水を大量に飲んでもアルコール濃度をさほど下げる効果はないようですから、これらの「証拠隠滅工作」でもって量刑を過度に重くする事情に含めることには疑問があります。また、危険運転致死傷罪は別罪ですから、その法定刑を考慮するのも罪刑法定主義の見地からしていかがなものかと思います。
>過去の類似事犯での判例は、この際モノサシに使うべきではない
>「これまでは酒酔い運転事故を殊更に厳重に処罰する法律上の決まりごとがない中で下された判決だから」
過去の類似事犯を参照したというよりも、業務上過失致死傷罪を適用したのであれば、その法定刑が基準になるのであって、しかも悔悟・反省があるのに最高刑を科すことはおかしいのではないかと考えただけです。反省すれば必ず量刑が軽くなるわけではないにしても、どんなに反省しても最高刑を科すなら被告人は反省しなくなるからです。
>「酒飲んだ奴が車を運転すること」に関しては、厳罰化ではなく適正化
惰眠さんも飲酒運転での厳罰化の効果に限界を感じておられるはずです。常習的飲酒運転者がかなりいるのですから。「適正化」と言い換えても厳罰化に変わりはありません。厳罰化よりも飲酒運転予防策に力を入れるべきではないかと思うのです。
ご質問のコメントですが、非公開コメントですので、特定されないために文章に修正を加えてお答えします。
>1、もし自分の家族が同様の事故に遭った場合も同じように法律論を語れるのですか。私には無理です。
私自身はどんなことも常に法律的に考える癖がついてしまっているので(職業病?)、法律論を語ることができるでしょう。吹聴することはないにしても。
それはともかく、ご質問自体にいささか疑問を感じます。法解釈論は、個人的な心情によって左右するものではないからです。それは、個人の心情はどうであろうとも、法は誰にでも公平・平等に適用されるものだからです(憲法14条は法適用の平等をも保障)。
法律問題に限らずある社会問題が生じたとき、自分に置き換えてみてできるかどうかで判断することは、問題点を身近に捉えることになって良い面もあるとは思います。ですが、他方で、普遍的であるべき問題点の解決が歪められてしまうおそれもあると思います。
>2、エントリーを読む限り、危険運転致死傷罪の要件を緩和することに反対していると考えてよいのか? 私は緩和すべきと考えますが。
>そうしないと光市事件の本村さんのように、自分で復讐を企てる被害者家族が出てくるので
緩和に反対というよりも、故意犯ゆえに緩和するような法改正は困難であると思います。
参考までに、J−CASTニュースの「「12秒の脇見は異常運転」 福岡3児ひき逃げ判決に疑問」から、板倉宏・日大大学院教授のコメントを引用しておきます。
http://www.j-cast.com/2008/01/09015403.html
「殺人事件でも、3年の懲役刑を言い渡されることも多い。3人殺しても20年以上にならないこともあります。危険運転致死傷罪の適用基準を緩めれば、車だけ突出して刑が重くなることになります。刑の上限を10年にして緩めるという考え方もあるかもしれませんが、すでに昨年6月から自動車運転過失致死傷罪の適用が始まっています。福岡市のひき逃げ事件なら、懲役9年半ぐらいになるのではないでしょうか」
要するに、危険運転致死傷罪の要件を緩和すると、自動車事故のみ過度に刑が重過ぎてしまい法体系がおかしくなるし、また、上限を10年ぐらいに減らせば要件の緩和は可能だが、現時点では自動車運転過失致傷罪の処罰とさほど変わらず無意味だということです。
非常に問題だと思うのは、被害者による復讐を肯定していることです。
裁判は冷静に法を解釈適用するところであって、復讐の場ではないのです。被害者にとって不都合な判決だからといって復讐に走ることは、自力救済禁止の原則に反し、司法権を否定するという日本の統治機構に対する挑戦であって、絶対に許されるものではありません。
危険運転致死傷罪を立証するだけの証拠がなければ、危険運転致死傷罪の適用はできないのです。中世の裁判と異なり、近代の裁判では証拠がなければ罪は認められないのはごく当然のことです。
ちなみに、被害者夫婦は25年よりも1年より少ない量刑だと殺しに行くと言っていましたが、止めています。
>3、この件は控訴すべきですか。
>私は被害者感情を考えると控訴すべき
検察官が危険運転致死傷罪での有罪を求めて控訴すべきかどうか、という意味だと思います。控訴するのは検察官の自由ですので、控訴すべきとかすべきでないという問題ではないと思います。
ただし、このエントリー及び「 福岡市3児死亡交通事故事件・福岡地裁判決の検討<再論>〜厳罰よりも飲酒運転予防策の方が大事では?」をお読みになったかと思います。http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-790.html
この2つのエントリーで分かると思いますが、危険運転致死傷罪が認められることはまず困難ですから、控訴しても危険運転致死傷罪を認めるような立証をやりようがないと思いますけどね。判決要旨をみると、検察側は立証し尽くしているように思いますし。
もっとも、福岡地検は1月11日、危険運転致死傷罪を適用しなかった判決を不服として週明けにも控訴する方針を固めたそうですが(2008年1月12日3時1分 読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080112it01.htm
他方、被告人側は、量刑不当(刑事訴訟法381条)を理由にして控訴するかもしれません。
「殊更に」と「自ら作出し」に関することですが、私としては飲酒をしたうえでの自動車運転は、上記の条件を満たしたとの見なし(擬制)をして構わないと考えています。私の考えは「飲酒運転→事故」の流れは故意に基づくものであることになるので、「飲酒運転+過失による事故」とする現行の法体系とは相容れない(笑)わけです。私は『酒飲んで運転することが過失のわけないだろ!』と言う考えですので、現行の法体系は「おかしい」ということになるのです。
ただ厄介なのは、前後不覚になるまで泥酔し理非弁別能力を喪失した人物がハンドルを握るようなケース(責任能力に問題がある場合)ですが、これは現行の危険運転致死傷罪の規定を生かす形で行けば対応可能かと思います。
また、本件の『満額』判決についてですが・・・確かに罪刑法定主義の原理原則からして、業務上過失致死傷罪を選択したのであれば『満額』にするのはおかしいとの考えは理解できますが、いま時点の刑法体系は「危険運転致死傷」と言う犯罪類型の存在を包含して成り立っているものなので――上手く説明できずもどかしいのですが――情状材料の判断において、裁判所が「208条2項に合致する類型ではないが、被告人に対する非難の度合いとしては同罪適用に匹敵する事情がある」として匙加減することは、一概に非難できないと感じる次第です。
ただ、本件裁判の被告人側が量刑不当を理由に控訴することは私も十分ありうることと思いますし、上級審がその訴えを是とする可能性が、恐らく低くはないだろうことも了解しています。
なお飲酒運転の予防に関する問題ですが、私は「それはそれ、これはこれ」との考え方です。
と言うか、法律上の罰則規定「ごとき」に、社会政策上の責任をあれもこれもおっかぶせようとするんじゃないよと言いたいわけで、法律で(厳しく)罰せられるからとかいうような低次元の動機付け以外の方法が講じられるのが本筋だと思います。
そして、それでも聞かないような大馬鹿者には、然るべき(重い)罰を与える、でいいと思います。
>高裁で17年の判決を受けた春日井の被告ですが、上告した場合の見通しを教えてください。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-810.html
「「危険運転致死傷罪、訴因変更11件→再適用3件」〜だが“揺れる司法判断で見直し必要”(読売新聞)とまではいえないのでは?」というエントリーで引用した記事からすると、「信号無視」による事故では危険運転致死傷罪を認めない裁判例が結構あるようです。ですので、見通しとすれば、危険運転致死傷罪が適用される否か、五分五分で判断つきかねる感じです。
責任に関する擬制は責任主義に反しますし、擬制規定自体が無罪推定の原則に反しますので、難しいですね。
>私の考えは「飲酒運転→事故」の流れは故意に基づくものであることになるので、「飲酒運転+過失による事故」とする現行の法体系とは相容れない(笑)わけです。
>私は『酒飲んで運転することが過失のわけないだろ!』と言う考えですので、現行の法体系は「おかしい」
酩酊危険運転罪の故意は、行為者に飲酒しまたは正常な運転が困難になるような薬物を服用しているという事実の認識があれば足り、進んでアルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態であることの認識までは必要ありません。要するに、道交法上の酒気帯びか酒酔いかまで認識している必要はないわけです。(もっとも、認識の程度につき、学者により多少違いはあるように感じますが)
条文にある「アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態」というのは、いわゆる構成要件的状況であり、客観的にその存在が証明されさえすればよく行為者にその認識があることまでは必要ないといった説明がなされたりもします。
そうすると、危険運転致死傷罪のうち、酩酊危険運転罪では故意の有無はまず問題となることはないので、「飲酒運転+過失による事故」とする現行の法体系とは相容れないとか、相容れるとか問題にする必要もないと思います。
>飲酒運転の予防に関する問題ですが、私は「それはそれ、これはこれ」との考え方
>と言うか、法律上の罰則規定「ごとき」に、社会政策上の責任をあれもこれもおっかぶせようとするんじゃないよと言いたいわけ
確かに、刑事罰のみで解決できる問題ではないのですね。
ただ、問題点に対する解決というのは、多くの対策を全体的なバランスに配慮して行うのが基本です。平成19年刑法改正でも付帯決議では、必要な施策を一層総合的に推進されるよう努めることを促しています。ですので、「それはそれ、これはこれ」という考えでは、全体的なバランス・総合的な施策の推進にはつながりにくいように思いますが……。
尤も、現状の危険運転致死傷罪の成立過程や、その後泥縄式に付け加えられた自動車運転過失致死傷罪などはいわば「一点豪華主義」のごときもので、全体とのバランスにおいては相当のいびつさを持っていることは承知しています。
なお私は個人的に、罰則があることによる抑止効果や予防効果を期待するような考え方は嫌います。
と言うのは、これは所詮「脅し」に過ぎないわけですが、その「脅し」が通じないとなると今の『厳罰化』の流れのごとく、もっと強烈な「脅し」をかけようとの(Simple Mindedな)方向に、ヒステリックに際限なくエスカレートしがちだからです。
ですので「飲んで運転するのは言語道断」という飲酒運転をなくすための各種予防的な施策の問題と、「それでもやったような奴は厳しく処断する」という法による事後的な制裁とは、私としては「それはそれ」と分離して置きたい訳です。
>この水準の法律論になってくると、実務に関しては門前の小僧以前、学問としても門はくぐったけれども精々玄関先程度の小僧に過ぎなかった私程度では適格な議論についていけなくなってもどかしい
惰眠さんのご意見(=法体系がおかしい)は立法論になっていますから、そうなると(刑法の)法解釈論だけでなく、関係する法律及び法理論にも目を配りつつ判断することになります(できれば比較法も)。ですから、こういう立法論は、このブログでも手に余りますので(汗)、「適格な議論についていけな」くなるのはもっともなことだと思います。
>『飲酒と言う違反行為+過失による事故』という現在の枠組みを『飲酒と言う、自動車に起因する致死傷犯罪の準備行為+事故発生と言う犯罪の実行行為』に組み替えられないか、組み替えてもらいたいなあ、組み替えるべきじゃないの?と考えている
飲酒運転による交通事故をバラバラにしてみると、飲酒+運転+事故(致死傷)という3つの要素に分けられます。それらの要素をよく考えると、(1)成人は自由に飲酒でき泥酔するまで飲もうが日本では非難されず、(2)免許も比較的容易に取得でき誰でも運転可能な現状です。また、(3)免許を持つ多数の国民が誰でも事故を起こしうるのですし、運転行為自体は危険ですが、車の有用性から「許された危険」という法理論により違法視しないのです。
このように飲酒と運転という2つの要素は犯罪性が低いのですし、故意で歩行者をひいたり、故意で他の車両に衝突させることはごく稀なのですから、事故の直接の原因はほとんどが過失なのです。それなのに、3つの要素があり危険運転と評価してしまうと、故意犯として重罰化される――という危険運転致死傷罪の規定自体、無理があるのです。
もし『飲酒と言う、自動車に起因する致死傷犯罪の準備行為+事故発生と言う犯罪の実行行為』という規定を設けたいのであれば、飲酒自体を厳しく規制する(例えば国民全員に飲酒量を規制する)とか、免許及び運転を厳しく規制(例えばレーサー並みの技量がないと運転できない)する必要があると思います。こうすれば過度な飲酒や技量のない運転者の行為はそれだけで危険視できますから。しかし、そんな規制はまず実現不可能です。
『飲酒と言う、自動車に起因する致死傷犯罪の準備行為+事故発生と言う犯罪の実行行為』と考えた場合、確実にこういう流れで犯罪を実行するという事実があれば、立法可能でしょう。
しかし、運転してきた者が飲酒しても、運転代行を頼むこともあるでしょうし、アルコール(ドリンク剤も含んでいる)を摂取してもそれほど運転に影響がでない方も多いのだろうと思います(だから飲酒運転が減らず、酒気帯びと酒酔い運転を区別する)。
そうなると、『飲酒』→『(飲酒という)自動車に起因する致死傷犯罪の準備行為』→『事故発生と言う犯罪の実行行為』という流れが通常よくあり得ることとはいえないので、どうしても無理にくっ付けた規定になってしまうのです。
飲酒運転撲滅のため、惰眠さんが色々な考えをめぐらすのは大変良いことで有益なことだと思いますが、今回の惰眠さんのご意見はちょっと実現が難しいように思います。
>なお私は個人的に、罰則があることによる抑止効果や予防効果を期待するような考え方は嫌います
妥当な考えだと思います。ぜひぜひその主張をし続けて下さい。(惰眠さんがよくコメントなされている)モトケンさんのブログでは異質なご意見でしょうけど。
>モトケンさんのブログでは
>異質なご意見でしょうけど。
氏のブログのみならず世間的にも少数派ではなかろうかと(笑)。まあ、少数か多数かと言うより世間様にはウケが悪いでしょうね。
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>>非公開コメントの方へ:2008/01/10(木) 14:06:00
>法律問題に限らずある社会問題が生じたとき、自分に置き換えてみてできるかどうかで判断することは、>普遍的であるべき問題点の解決が歪められてしまうおそれもあると思います。
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この問いかけを公開してくださってありがとう。
この種の問いかけが、いろんなところでなされるのをしばしば見かけます。私自身も何度も、(「あなたの家族が被害者だったらどうなのか。許せますか」などと)問いかけられました。その殆どが問題の普遍性を歪めるもので、底意にとてもネガティブなものを感じます。この種の発想は、もういい加減に御仕舞いにしたいですね。
ショパンについて書きました。読んでくださると嬉しいです。(ショパンというより、福永武彦になっちゃったかな)
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/chopin.htm
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>氏のブログのみならず世間的にも少数派ではなかろうかと(笑)。まあ、少数か多数かと言うより世間様にはウケが悪いでしょうね
惰眠さんは孤軍奮闘という感じでしょうか。頑張って下さいね。私は、モトケンさんのブログにコメントすることはまずないでしょうし。
このブログのエントリーは、もしかしたらほとんどの意見が世間に受けが悪いかも。そうなると、このブログは惰眠さんには居心地がいいかもしれませんね(^^ゞ
>この種の問いかけが、いろんなところでなされるのをしばしば見かけます。私自身も何度も、(「あなたの家族が被害者だったらどうなのか。許せますか」などと)問いかけられました。その殆どが問題の普遍性を歪めるもので、底意にとてもネガティブなものを感じます
最初から「もし家族が被害者だったら許せないはず」という意識があって、問いかけているのですから、ネガティブであることは確かでしょうね。
加害者、被害者それぞれ家族がいて暮らしており、何があっても譲ることができない家族への思いがあるのですから、双方の思いを尊重すべきだと思うのです。
ゆうこさんへこの種の問い掛けを行なった方たちは、「双方の思いを尊重していいのではないか」という意識に欠けていたのでしょう。
>この種の発想は、もういい加減に御仕舞いにしたいですね
確かに「この種の発想」はおしまいにしてほしいものです。加害者・被害者どちらかの立場に自分を置き換えて議論すると、どうしても個人の感情などの主観で判断してしまいがちで、それでは社会問題をすべて主観で判断するという実に不安定な判断になりかねないのですから。
もっとも、「この種の発想」は一方だけを考えればよく楽な発想ですから、――特に被害者重視は世間受けがいいし――なかなかおしまいにならないでしょうね……。
>ショパンについて書きました。読んでくださると嬉しいです
ショパンに惹かれる思い、福永武彦氏の小説への思い。心に響くコラムになっていると思いました。恥ずかしながら、福永武彦著『草の花』を読んだことがないので、今度読んでみることにします。
「管理者にだけ表示を許可する」とし、メールでの返事を要望したのに、コメント欄で答えたことについてご不満のご様子です。ブログ開設依頼、非公開コメントに対しては同様の対応を行ってきたのですが、不満を述べてきた方は初めてです。
まさかそういう不満を抱く方がいるとはね〜。ネットを検索したら、どうやら「セカンドオピニオン」を求めたご様子。しかし、「セカンドオピニオン」さん2名からは「何も問題ない」とのお言葉。余計に不満が募ったのではないでしょうか。
折角ですので、コメントに関して以下のような注意書きを付加することにしました。これは、従来どおりの対応を明記したものです。非公開コメントの方のコメントは、非公開コメントの対応につき、明記するいい切っ掛けになりました。ありがとうございます。
「非公開コメントの扱いについて。非公開コメントの場合、名義は秘匿したまま、プライバシーに配慮しつつ投稿者の文章を修正したうえでお返事をしています。「返事は不要」との明記があれば、名義・内容すべて非公開のままです。基本的にメールではお答えしていません。」
ただ、なぜ、メールという個人的な関係での法律論を何度も希望するでしょうか? その意図がよく分かりません。法律は平等・公平に適用されるものなのですから、表にできないような法律論に価値はありませんから。
他のコメントを寄せている方にはこう書いてますよね。
>ご指摘の点、そのとおりだと思い、全面的に見直しました。非公開コメントでのご指摘、ご配慮ありがとうございます。
記事を書いた方の誤りは非公開にするのに、この対応の違いはダブルスタンダードではないかと疑ってしまいます。
「表にできないような法律論に価値はありません」のでしたら、何を「全面的に見直した」のか明らかにするべきでしょう。
「非公開コメントに対しては同様の対応を行ってきたのですが」ということですが、誰もがここの対応を見守っているわけではありません。
公開する前に規則を明文し、その文章を提示するべきだったと思います。
以下の記述は、コメントを寄せた方に失礼では?
>まさかそういう不満を抱く方がいるとはね〜。ネットを検索したら、どうやら「セカンドオピニオン」を求めたご様子。しかし、「セカンドオピニオン」さん2名からは「何も問題ない」とのお言葉。余計に不満が募ったのではないでしょうか。
こちらの管理人が冷笑しているのが目に見えるようです。
「プライバシーに配慮しつつ」と表明しているのに別の配慮がないのでは?
公開について「申し訳ありません」と謝っているのが形だけであることを証明しているようです。
それとも非公開コメントの内容が、そんなにひどかったのでしょうか?
しかも、「ネットを検索したら」以下の文章は、コメントしたのが誰かを特定させることになりませんか。
少なくともハンドルネームはわかってしまいます。
「プライバシーに配慮」している方とは思えません。
また、「基本的にメールではお答えしていません」というのであれば、コメントにアドレスの記入欄がありますが、それは意味がないのでしょうか?
>「非常に問題だと思うのは、被害者による復讐を肯定していることです」というところ。
というのも本当にそうなのでしょうか。
「エントリーを読む限り、危険運転致死傷罪の要件を緩和することに反対していると考えてよいのか? 私は緩和すべきと考えますが。
そうしないと光市事件の本村さんのように、自分で復讐を企てる被害者家族が出てくるので」という部分からそう判断しているのですか?
URL | 夏霞 #bi94IFRw[ 編集 ]
>コメント管理がダブルスタンダードでは?
>記事を書いた方の誤りは非公開にするのに、この対応の違いはダブルスタンダードではないかと疑ってしまいます。
ダブルスタンダードではありません。夏霞さんにとって、非公開コメントの内容が分からないのですから、もともと正確に比較することさえ不可能です。
>「表にできないような法律論に価値はありません」のでしたら、何を「全面的に見直した」のか明らかにするべきでしょう。
なぜそういう論理になるのか意味不明です。しかし、何を「全面的に見直した」のか、そんなに気になるのですか? 非公開の内容を知りたいだけでは? 一文が妙になっていたので、その一文を「全面的に見直した」だけのことです。
>「非公開コメントに対しては同様の対応を行ってきたのですが」ということですが、誰もがここの対応を見守っているわけではありません。
コメントされた方は、もう随分前からこのブログを知っている方なんですけど。
>公開する前に規則を明文し、その文章を提示するべきだったと思います。
規則? 「規則」というほどのものでしょうかね。個人のブログに「規則」を明示する意義・効果をよく考えて下さいね。
>公開について「申し訳ありません」と謝っているのが形だけであることを証明しているようです。
公開についてでなく、メールでお返事を希望されていたのでその希望にそえない点について「申し訳ありません」と礼を尽くしただけです。
>少なくともハンドルネームはわかってしまいます。
>「プライバシーに配慮」している方とは思えません。
どのサイトをみて言っているのか、検索できずに当てずっぽうで言っているのか分かりませんが、こちらが知るサイトであってもハンドルネームは異なります。ですので、「ハンドルネームはわかって」しまっていません。
それに、ハンドルネームはプライバシー権に含まれるのでしょうか? 夏霞さんは当然に含まれるとお考えのようです。ぜひその理論的根拠及び議論している文献などを教えて下さい。
>「基本的にメールではお答えしていません」というのであれば、コメントにアドレスの記入欄がありますが、それは意味がないのでしょうか?
メール欄はFC2のテンプレート仕様のままです。秘密にしておく情報に関してメールでやり取りすることはありますので、メール欄は無意味ではありませんし、特定性維持の意味もありますね。
>というのも本当にそうなのでしょうか。
この点も、非公開コメントの内容を知りたいのですか? さすがにここまでの問いかけとなると、公開するわけにはいきません。
| #[ 編集 ]
一人二役と分かると、「夏霞」コメントは色々面白いです。「以下の記述は、コメントを寄せた方に失礼では?」とか、「というのも本当にそうなのでしょうか。」 (2008/01/25(金) 16:23:28 | URL | 夏霞)とか……。他人を装うのも大変ですね。もっとも、なぜ急にダブルスタンダードだと言い出したのか不可解ですが。もともとそんなことを書いていなかったのに。
「ハンドルネームがバレた」と慌てる気持ちは理解できなくはないです。しかし、ご自分でここのブログだと分かるような質問で「セカンドオピニオン」に尋ねて自ら匿名性を放棄しているのに、ハンドルネームが分かってしまったと怒るのは自己矛盾です。
非公開コメント(=夏霞)の方が、法律論をよく知らないことは分かります。でも、知らないことについて人に尋ねることは恥ずかしいことではありません。法律問題について聞きたいのであれば、一人二役など無意味なことをしていないで、きちんと尋ねればよいと思います。
ただ、非公開コメントさんのサイトでは、かなり法律問題について触れているんですよね。書いていて間違っていないか不安になりませんか?
<追記>
非公開コメントさんが「セカンドオピニオン」に尋ねたサイトを明示してみましょうか? そうした方が私が別に理不尽な対応をしているわけではないことが、読者の皆さんに分かると思いますし。
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前回のコメントで書きましたよね? 「ご自分でここのブログだと分かるような質問で『セカンドオピニオン』に尋ねて自ら匿名性を放棄しているのに、ハンドルネームが分かってしまったと怒るのは自己矛盾です。」と。HNがプライバシーに含まれる根拠は不明ですが、どちらにせよ、すでに自らプライバシーを放棄してしまったことを理解して下さい。
非公開・未承認ばかりが続くので、さすがに、読者の皆さんにとって、意味不明な状況です。そこで、なぜ揉めているのか分かるようにしておくことにします。
「教えて!goo」の「QNo.3703125 許可なしの公開と通信の秘密」をご覧下さい。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3703125.html
この質問の「あるブログ記事」とはここのブログの状況と極めて類似しています。非公開コメントの方は、ここのブログと極めて類似した状況にある「質問」に対する回答に不満を抱き、こうして何度もコメントしているわけです。この回答は妥当だとは思いますが、この回答が妥当かどうかは、読者が読んで判断して下さい。
なお、「管理者にだけ表示を許可する」という事項はブログ管理者の自由裁量ですから、ダブルスタンダードという非難も成り立たないですね。それに、非公開コメントさんの要望にしたがって非公開コメントを公開したら、それこそ今後、公開を要求されたら公開しなければならなくなります。
>法学が社会学の一部であるので、人の数だけ正解がある
いやー。面白い考えをもってますね。このブログで論じているのは法解釈論であり、裁判で問題となっているのも法の解釈・適用の問題です。法解釈論は、条文上の制約があり、「人の数だけ正解がある」わけではなく、自ずと限定されるのです。
このエントリーでも、前田雅英著「刑法各論講義(第4版)」を引用して論じていますよね? 他のエントリーではもっと多くの文献を引用することもありますし、通常多数に及んでいるので明示しないことも多いです。このように法律の文献を引用しているのは、裁判報道記事を引用して、個人の主観的な感想を書いているのではなく、条文の文言の意味を理解しないと、妥当な法解釈ができないからです。
「非公開コメント(2008/01/10(木) 14:06:00と2008/01/22(火) 14:36:52)=夏霞」さんは、法解釈論についてよく理解して下さい。法律論・法解釈論は個人の感想文ではないのです。
なお、今後も、「夏霞」になりすましてコメントするならば、非公開コメントでの名義も公開します。
<1月29日追記>
社会学について一言。
「第1回 なぜ社会学はだめなのか」
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson1.html
「●お気楽社会学研究の問題点
このような適当極まりない研究がまかり通る原因の根は、社会学という学問がカバーする領域がめちゃくちゃ広いことにあります。政治、経済、家族、労働、教育、統計、余暇、健康、なんでもアリ、なのです。毎年、新たな専攻分野が登場し、百花繚乱の趣です。「教育経済社会学」とか「テレビゲーム社会学」とか。自分で名乗りをあげれば、またたく間にその分野で第一人者になれるのが、なによりの魅力です。そう、社会学は学問のデパートなのです。しかし賢い消費者のみなさんならご承知のとおり、デパートには、なんでもあるけど、欲しいものはなんにもないというのが実態です。」
「もうひとつ、決定的な問題点。先ほど紹介した研究方法からもおわかりだと思いますが、社会学は非科学的な学問なのです。学者個人の倫理道徳による偏見が、あまりにも強く研究結果を左右しているという事実は、かなり危険な段階まできています。彼らの個人的感情を、いかにもの一般論にでっち上げるやり方は、犯罪とさえいえます。」
なんでもアリの学問も存在意義はあるでしょうが、個別の専門分野の土俵で議論する場合には、専門分野の専門家には太刀打ちできません。また、法律論は、「個人的な価値観や倫理道徳を主張することが優先され、論理は二の次」という学問ではないのです。
「反社会学講座」を批判する「社会学という学問の成立からその後の展開を知る者」も、「社会学」は、歴史学や法学や経済学といった古くからある人文・社会科学の境界線上に、かなり怪しげな新事業として始まった、と述べていますから、社会学は元々は怪しげな学問だったようですけどね。
| #[ 編集 ]
非公開コメントですので、修正した形で引用してコメントします。
>社会学についてどのように捉えているのでしょうか
『反社会学講座』を引用していますが、社会学に対して否定的な意識は持っていません。「法学が社会学の一部であるので、人の数だけ正解がある」などという、法解釈論の限界を知らないような論理を主張される方がいたので、それに対する反論のために『反社会学講座』を引用したのです。
ただ、法社会学は、その独自性をどれだけ出せるのか難しいなと感じています。法社会学の書籍を読むと、同じような内容は法律学者や刑事政策の学者も書いているので。
このブログでも、単に法解釈論だけに特化して論じているわけではなく、その社会的背景や社会に及ぼす影響にもふれています。そうなると、法社会学の分野にも及んでいることになりますが、解釈論の一環という意識であって、法社会学を論じているという意識はないのです。
法律学でふれる範囲が広く及んでいる現状では、法社会学と法律学とはどこで区分するのでしょうね。誰か教えてくれる人(または書籍)がいるといいのですけど。
>犬飼裕一さんの『にせ外国人の社会学』の一部を引用されているようですので、出典やリンクを明示された方がいいのではないでしょうか
これはですね。「夏霞」と称する別名義を使ってコメントされている方が、社会学を得意とされているようなので、犬飼裕一氏のことはよく知っているだろうと思って、わざとリンクは明示しなかったのです。(ただし、検索が容易なように文章をそのまま引用してます)
でも、文献引用であることは確かですから、リンクを明示した方が良かったですね。リンク先を明示しておきます。ご指摘ありがとうございます。『反社会学講座』のサイトからたどって引用しましたので、2つリンクを明示しておきます。
「御意見無用4 (2005年2月)つまらない学問は罪である〜クソ真面目学者からの批判に答える〜」
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/goiken4.html
「ソキウス【ゲストコーナー】にせ外国人の社会学」
http://www.socius.jp/guest/anti.html
>『反社会学講座』
これは作者自身が述べているように「真面目にふざけた」本であり、「社会学という得体のしれない学問の敷居をぐーっと下げて門を開放し、一般のかたが気軽に参観できるようにした」のです。なので、批判するよりも、楽しく読んでいいのではないでしょうか?
このブログも、学者などの専門家がただ高尚な議論を垂れ流しているのではなく、できるだけ分かりやすく説明することを心掛けて、一般の方に対して、レベルを下げることなく法律に親しめるようにと思って運営しています。
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