1.まず報道記事をいくつか。
(1) 東京新聞平成19年12月20日付夕刊1面
「薬害肝炎 一律救済せず 国が和解修正案 原告は協議打ち切り
2007年12月20日 夕刊
舛添要一厚生労働相は二十日午前の記者会見で、薬害肝炎訴訟をめぐる大阪高裁の和解協議について、原告側が求めていた一律救済は国として受け入れない方針を明らかにした。東京地裁判決が認めた国と製薬会社の法的責任の期間外に投与を受けた被害者に対しては、法的責任は認めないものの、救済基金として、大阪高裁が和解骨子案で示した八億円を三十億円に積み増す修正案を同高裁に提出する。
未提訴者を含む被害者全員の一律救済を目指す原告・弁護団は「被害者が線引きされている」として和解協議を打ち切る方針を表明。一万人以上の被害者がいるとされる薬害肝炎問題全面解決への道のりは不透明になった。
舛添厚労相は、会見で「再び薬害を引き起こしたことを反省し、被害者に心からおわびしたい」と謝罪。一方で「大阪高裁の骨子案と矛盾する形の和解はできない。直接、間接に事実上、全員救済するものだ。今日の案が政治決断だ」と述べた。
国の修正案は、東京地裁判決を基準に、補償の対象となる投与期間を(1)フィブリノゲンは一九八五年八月−八八年六月(2)第九因子製剤は八四年一月以降と限定する和解骨子案を踏襲。肝硬変と肝がんは四千万円、慢性肝炎は二千万円、感染したが発症していない場合は千二百万円の三ランクに分けて直接補償する。
さらに、その補償基準から外れた被害者を間接的に救済するため、基金の形で計三十億円を支払う。基金の運営は、原告側が設立する財団に委ねる方針。
厚労相は、和解金が支払われる対象について、原告約二百人、未提訴者約八百人の計約千人となるとの見通しを示した。
<薬害肝炎訴訟> 1970−90年代前半に出産や手術の際の止血用などとして、汚染された血液製剤を投与されてC型肝炎に感染した患者らが、国と製薬企業に損害賠償を求めた訴訟。02年10月から全国5カ所で順次提訴し、現在の原告数は約200人。昨年6月の大阪以降、福岡、東京、名古屋の4地裁は国の責任を認めたが、今年9月の仙台地裁判決は国に責任はなかったとした。全面解決を目指して大阪高裁が11月7日、和解を勧告、12月13日に和解骨子案を提示した。」
(2) 産経新聞平成19年12月21日付朝刊26面
「「大臣にもてあそばれた」 薬害肝炎・原告団
2007.12.20 20:29
薬害肝炎訴訟で舛添要一厚生労働相は20日、線引きの大阪高裁和解骨子案を支持した。原告団は舛添厚労相と2回面談し、解決を期待していた分、ショックは大きく「大臣にもてあそばれた」と怒りをあらわにした。
20日午前会見した舛添厚労相は会見冒頭、椅子(いす)から立ち上がって「心からおわび致します」と深々と頭を下げた。一方で「骨子案に矛盾しない形で解決する。限られた中で智恵を絞った」と、線引きの正当化に終始。原告の求める全員救済の政治決断は「今日の案が政治決断です」とすり替えた。
会見の後には、原告団の会見が迫っていた。隣室で待機する原告団と“ニアミス”を気にしたのか、舛添厚労相は矢継ぎ早に質問が飛ぶ中、「もういいですか」と20分で会見打ち切り、足早に立ち去った。
原告団代表の山口美智子さん(51)は「私たちを避けて、違う出口から出ていった。自分は原告に顔向けできないということ」と憤った。
会見で山口さんは「和解という最後の山で『解決』のアドバルーンを上げた舛添大臣は、握っていた手を解き放った」と辛辣(しんらつ)に批判。感情が高ぶり、嗚咽(おえつ)する原告の姿もあった。
会見を終えた原告団は20日午後、あいさつのため、運動を支援した各政党を回った。民主党のヒアリングで九州原告の福田衣里子さん(27)は「『心を一つにしましょう』といったのに、官僚と心が一つになってしまった。大臣は『全面解決に向け、一生懸命、頑張る』といっていた。期待を持たせるだけ持たせて…。もてあそばれた」と、疲れ切った様子で話した。
原告団の和解協議打ち切りについて舛添厚労相は同日夕、記者団に「引き続き、全力をあげて解決するようにしたい」と繰り返した。」
今回の政府案は、原告が掲げてきた「救済は全員、一律」のうち、一応は「全員」救済になり得るのですが、法的責任を認めた期間が最も短い東京地裁判決を基準とし、投与の時期で被害者を線引きしているので「一律」救済になっていないのです。
投与時期を問わず何の落ち度もないのに、出産や手術で止血剤として血液製剤を使われたため、肝炎ウイルスに感染したのですから、投与時期による差別は妥当ではなく、また、東京地裁判決の認定から外れる85年以前の感染者ほど、病状が深刻なケースが多い事情があり、原告側としては「感染時期による線引き」を認める余地はなかったのです。原告側が政府案を拒絶し、和解協議が決裂したのは当然といえる結果でした。
舛添氏のことは、「年金問題で、舛添厚労相と自治体が“過激な舛添発言”で対立〜民主主義がわかっているのか?(東京新聞「こちら特報部」より)」で触れたことがありますが、舛添氏は「よく考えることなく、すぐぱっとモノ言う人」であり、聞こえのいいことばかり言うだけで信用性に乏しく、話半分に聞いていた方がよい人物であるのです。
「会見で山口さんは「和解という最後の山で『解決』のアドバルーンを上げた舛添大臣は、握っていた手を解き放った」と辛辣(しんらつ)に批判。感情が高ぶり、嗚咽(おえつ)する原告の姿もあった。……九州原告の福田衣里子さん(27)は「『心を一つにしましょう』といったのに、官僚と心が一つになってしまった。大臣は『全面解決に向け、一生懸命、頑張る』といっていた。期待を持たせるだけ持たせて…。もてあそばれた」と、疲れ切った様子で話した。」
舛添氏は、今回も最初は色よいことを言っておいて、実行しなかったのです。相変わらずの無責任ぶりを発揮したのでした。政府案は、少しも政治決断になっていないのです。
(1) 「一律救済」に応じないばかりか町村官房長官は、原告側の方こそが悪いとさえ言っています。そこまで原告を貶めるのだろうかと驚きさえ感じます。
「原告側の対応批判=「司法判断どうお考えか」−町村官房長官
町村信孝官房長官は20日午後の記者会見で、薬害C型肝炎訴訟の和解協議で原告側が国の修正案を拒否したことについて「大変残念だ」とした上で、「『この案でなければ受け入れられない』と言うのは、司法の立場をどういうふうにお考えなのか。ただ、簡単に駄目というだけでなく、何らかの対応を考えてほしい」と述べた。全員一律救済を主張する原告側の対応に疑問を呈し、問題解決へ一定の歩み寄りを求めたものだ。」 (時事通信(2007/12/20-17:53))
もちろん、町村官房長官の発言は、官僚側の意向をそのまま鵜呑みにしたものでありますし、製薬会社の意向に従ったものでもあります。ですから、製薬会社はいち早く「一律救済」に応じない旨のコメントをだしています。
「 「一律救済」受け入れられない=薬害C型肝炎訴訟で田辺三菱
薬害C型肝炎訴訟で、被告企業の田辺三菱製薬(大阪市)は20日、大阪高裁の和解骨子案や原告側が求める線引きのない一律救済について、「原告が和解骨子案の受け入れ拒否を発表しているので、諾否について正式な回答はしなかった。今後も骨子案を踏まえての協議を行うのはやぶさかではない。ただ、骨子案の枠を外れた『投与時期による線引きのない一律救済』を求める原告側修正案は、受け入れられないと高裁に伝えた」などとするコメントを発表した。」(時事通信(2007/12/20-19:20))
実に分かりやすい連係プレイです。
(2) しかし、和解協議決裂に至ったのは原告側の責任ではなく、本当に悪いのは日本政府側ではないでしょうか? 2点挙げておきます。
イ:まず1点目。
「首相、政治決断できず 薬害肝炎和解「決裂」 役所論理に固執 大阪高裁の判断焦点
薬害C型肝炎訴訟の和解協議は20日、国側の修正案を原告側が拒否したことで、大阪高裁が今後どういう判断を示すかに焦点が移った。ただ、協議が事実上決裂したのは、国側が法的責任を狭く認定した東京地裁判決に固執し、患者の「線引き」救済論を捨てなかったためだ。「高裁の和解骨子案を無視できない」と国側は「司法判断」を振りかざすが、そもそも骨子案は国の意向が色濃く反映されたもの。論理のすり替えとも受け取れる。原告側の「一律救済」の理念に正面から向き合えるか。問われているのは国側の姿勢にほかならない。
「もし(一律救済で)政治決断されれば司法判断を無視した初のケースになる」。法務省関係者はそう言う。結果、政府は「高裁の骨子案と矛盾する和解はできない」の一点張りを貫いた。
そもそも高裁の所見は「全体的解決のためには原告らの一律一括の和解金の要求案は望ましいと考えるが、被告らの格段の譲歩がない限り和解骨子案として提示しない」だった。それは、責任の「限定」を主張する国側の強固な姿勢を受け止めた高裁側の「現実的選択」にすぎなかった。(以下、省略) (東京報道部・阪口由美)
=2007/12/21付 西日本新聞朝刊=
2007年12月21日00時31分」(西日本新聞2007/12/21付朝刊)
要するに、そもそも和解骨子案は国の意向が色濃く反映されたものであって、言わば「国側の主張のまま」なのであって、実質は大阪高裁自身の和解案ではないのです。「高裁の和解骨子案を無視できない」と国側(町村官房長官)は「司法判断」を振りかざしてみせるのですが、それは「論理のすり替え」にすぎないのです。
ロ:2点目。
「国はつい先月まで、フィブリノゲンの投与でC型肝炎に感染したとみられる418人のリストに掲載されている原告に対し、裁判で「投与の証拠はない」と争っていた。和解協議で一転、原告の心情を理解するようになった様子は見られない。責任を認める人以外に支払う金額を大幅に積み増し、「譲歩をした」(法務省関係者)というのが国の本音だ。
国は、全員一律の救済を認めない理由について「大阪高裁の和解骨子案も、東京地裁判決をベースにした線引きが前提。司法の判断と矛盾するわけにはいかない」と主張。法務省関係者は「提示された和解骨子案を曲げるような政治決断は容認できない」と強調する。線引きがなければ、補償を求める人が急増することも懸念している。
しかし、大阪高裁の所見は「全員、一律、一括の和解案の要求案は望ましい」というもの。国側に譲歩を迫る内容だ。通常の和解交渉では、骨子案が数回にわたって出されることも少なくない。13日に出た大阪高裁の1回目の骨子案を、金科玉条のごとく扱うのは、同高裁の所見の趣旨からも外れている。舛添厚労相は「可能な限り、幅広く救済したい」と繰り返す。そのためには東京地裁判決に固執した主張を再検討する必要がある。」(日経新聞平成19年12月21日付朝刊43面「薬害肝炎和解協議 打開歩み寄り不可欠」)
要するに、大阪高裁が和解案において最も主張したかった点は、所見にでているように「全員、一律、一括の和解案の要求案は望ましい」というものなのであって、「国側の主張のまま」の骨子案ではないのです。「13日に出た大阪高裁の1回目の骨子案を、金科玉条のごとく扱」い、一律救済を否定することは「同高裁の所見の趣旨からも外れている」のです。
むしろ、政府側は、意図的に大阪高裁の所見の趣旨を外してみせたと言った方が正しい認識でしょう。和解案なぞ、厚労省や法務省の役人にとっては過去の経験上、よく分かっているはずなのですから。
ハ:日本政府が全員一律救済を拒絶するのは、官僚が自民党側に「薬害肝炎患者の全員一律救済に踏み切れば、2兆円とか10兆円とか巨額の補償額がかかる」などと盛んに吹き込んでいるからです。しかし、官僚側の主張は「意図的な歪曲」なのです。ジャーナリストの櫻井よしこさんは、週刊新潮での連載コラム「日本ルネッサンス」の第294回で次のように書いています。
「全国の肝炎患者は350万人規模といわれる。そうした人々全員に補償をしていくことになるとでも考えているのか。だとすれば、それは意図的な歪曲である。なぜなら、原告側の要望は薬害の被害者の救済であるからだ。鈴木弁護士が強調した。
「我々が求めているのはあくまでも薬害被害者の救済です。薬害被害者であることを証明できる人たちの救済です。企業等の調査でおよそ1万人と推測される被害者がいる一方で、今提訴出来ている人、つまり、薬害であるとの証明が出来ている人は204人にとどまっています。この裁判のあとに提訴する人も当然出てくるはずですが、その人たちは自分が薬害被害者であることを証明しなければならないのです。その難しさを考えるとき、実際に証明出来る患者は1000人程度にとどまるのではないかとさえ考えています」
福田首相も厚労官僚もこれがどれだけ自制された主張であるかを正しく理解することだ。患者たちは何が何でも、事実も証明も抜きにして救済せよといっているのではない。フィブリノゲン製剤は約7000の医療機関に納入されたが、法で決められたカルテの保存期間は5年。70年代、80年代に投与され感染した患者のカルテは殆ど残されておらず、その分、薬害の証明は難しいのだ。だからこそ、原告患者はいまでも204人なのだ。」(櫻井よしこ「第294回 日本ルネッサンス:薬害肝炎、福田首相の愛の欠如」週刊新潮12月27日号(2007年)147頁)。
原告側が求めているのは、「薬害被害者であることを証明できる人たちの(一律)救済」であって、肝炎患者全員ではないのです。薬害被害の証明の難しさを考えれば、全員一律救済をしても、実際上は、救われる患者は1000人程度というほど、少ない可能性の方が高いのです。大変残念なことなのですが。
3.最後に、この薬害肝炎及び薬害肝炎和解協議について正しく理解したうえで、主張している社説を2つ紹介しておきます。
(1) 西日本新聞2007/12/21付朝刊「社説」
「これは政治決断ではない 薬害肝炎和解
「この案が政治決断の案だ」と舛添要一厚生労働相は述べた。だが、断じて「そうではない」と言わざるを得ない。
薬害肝炎訴訟で、国は和解修正案を大阪高裁に示した。血液製剤の投与時期で救済を線引きする高裁の和解骨子案を受け入れ、対象外の被害者に払う金額を30億円に増額する内容だ。舛添厚労相は「全員救済を目指した」とも語った。
これに対し、すでに患者原告らは、高裁の骨子案では1人平均2000万円となる和解金を1500万円に引き下げる案を出している。その上で、求めるのは「被害者全員の一律救済」である。
この「差」を埋めるのが、政治決断ではないか。これまでの司法判断は、確かに国の責任が及ぶ範囲が投与時期で違っている。しかし、汚染された血液製剤に苦しめられてきた被害者たちには、何の落ち度もない。「命に線引きはできない」という原告らの訴えは当然だ。
大阪高裁が示した和解骨子案は、もともと国の責任が及ぶ時期を最も短く認定した東京地裁判決を基準に、救済対象を線引きする内容だった。
一方で、所見説明書では、原告が願う「全員の一律、一括の和解は望ましい」と指摘した上で、原告の意向に沿った和解案は「国など被告の格段の譲歩がない限り示さない」とも記している。
これを、どう理解すべきか。大阪高裁骨子案は、国や製薬企業の法的責任は触れずに「解決責任がある」とも言及しているのである。司法として国の法的責任は限定せざるを得ないが、国側がさらに譲歩して被害者全員を一律救済する形で全面解決してほしい‐。そう素直に受け止めるのが当たり前だろう。
だが、国はそうは解釈しなかったようだ。「高裁和解骨子案に矛盾する和解はできない」。舛添厚労相の発言に、国のかたくなな姿勢が如実に表れている。
厚労省など国が責任範囲の限定にこだわるのは、救済対象が際限なく広がるためという。フィブリノゲン製剤だけでも1万人が肝炎を発症しているとされているからだ。しかし、原告側は投与を証明できる被害者は1000人程度だと推計する。補償対象が増えることを想定して救済範囲を狭める考え自体がおかしい。
福田康夫首相は、大阪高裁の和解勧告を「真摯(しんし)に受け止める」と言った。舛添厚労相も「補償すべきは補償する。あらゆる可能性を検討する」と繰り返した。これは言葉だけだったのか。
この間、福田首相の指導力が見えなかったことが悲しい。薬害エイズなど薬害を繰り返した薬事行政を立て直し、国民の信頼を回復するために、政治は何をなすべきか。その視点に立った決断ができなかったということだろう。
やっと開きかけた解決の扉は、これで閉じるのか。被害者たちに全面和解へ期待を持たせながら、その道筋を示せなかった政治の責任はあまりにも重い。
=2007/12/21付 西日本新聞朝刊=
2007年12月21日00時03分」
(2)日経新聞平成19年12月21日付「社説」
「社説2 口先で終わりか和解の意欲(12/21)
厚生労働省の薬事行政のお粗末さと製薬会社のずさんな安全管理のために体の健康を損なわれた薬害C型肝炎の被害者たちは、訴訟の和解協議で、今度は政治家の言葉の軽さに心を傷つけられた。結局口先だけで終わることになれば「和解を成立させる方針」を繰り返し明言した舛添要一厚生労働相の責任が重いのは無論、福田康夫首相の決断力にも疑問を抱かざるをえなくなる。
大阪高裁が進めている薬害肝炎訴訟の和解協議で、舛添厚労相が公表した被告国側の和解修正案を原告被害者側は受け入れなかった。感染源である血液製剤の種類や投与時期で区別をしない「一律救済」という被害者らの一番の要求にこたえていないからだ。和解協議は決裂の縁に立たされた。
全国5つの裁判所での同訴訟の一審判決はいずれも、国の賠償責任について薬剤の種類や投与時期で線引きをして判断し、それぞれ異なる結論を出した。国の責任をまったく認めなかった判決もある。
「国には賠償責任なし」と裁判で認定された感染被害までを公費で補償・救済するのには、官僚の論理からすると強い抵抗感がある。舛添厚労相が和解修正案公表の場で「(一審判決に立脚する)高裁の和解案と矛盾する方向は示せない」と述べたのも、そうした抵抗感の表れだ。
しかし抵抗があるのは最初から分かり切っている。責任と誠意のある政治家なら、抵抗を乗り越え、判決で命じられた範囲を超える補償・救済策を実行できる目算が立って初めて「年内の和解成立を目指す」(舛添厚労相)、「政府に責任がないというわけにはいかない。なるべく早く和解が成立し、患者の方々に満足いただけるように」(福田首相)などの言葉を口にするものだ。
政府が和解成立を熱心に目指す姿勢を見せだした時期は、製薬会社から取り寄せた肝炎感染者リストを厚労省が長年放置していた事実が発覚したころに重なる。血の通わぬいいかげんな厚労省の仕事ぶりへの国民の怒りをかわす、その場しのぎの目くらましに「国の責任を認め和解を目指す」方針を持ち出したのではないか。そう疑いたくなる、和解協議の幕切れになるのか。」
12月22日付の報道によると、薬害C型肝炎集団訴訟の和解協議で、大阪高裁(横田勝年裁判長)は21日、和解骨子案の国側修正案の受け入れを拒否する考えを伝えた原告側弁護団に対し、第2次和解骨子案を提示する意向を明らかにし、国側にも伝えたとのことです。
第2次和解骨子案においては、いつも口先だけの舛添厚労相、決断力が皆無の福田首相という批判を受けないような態度を示すべきですし、国側は「薬害エイズなど薬害を繰り返した薬事行政を立て直し、国民の信頼を回復する」という基本的な立場にたって和解協議を行うべきなのです。
第1次和解骨子案に基づく和解協議が決裂となったことで、ネット上のごく一部では、政府側の目くらましにまんまと乗せられて、原告側を非難する声も上っていますが、和解協議決裂で、日本の市民が非難すべきは相手は福田内閣なのです。日本の市民は、政府側の目くらましに惑わされることなく、原告側への支援を表明してほしいものです。
<追記>
この問題に関する詳しい情報は、薬害肝炎訴訟弁護団のHP(「古賀克重法律事務所」)、そのブログ版(「『古賀克重法律事務所』ブログ版」)、薬害肝炎訴訟支援グループのブログ(「薬害肝炎訴訟リレーブログ」)をご覧ください。
原告のお一人である福田さんのブログ(「Piquer 〜Ennrico’s room」)もあります。
テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済
でも、リアリストである私は思います。
本裁判の詳細については承知しませんが、クサレ役人も、クソ政治家も、ヘタレ企業人も、みんな人の子、人の親。 しかも、現状の薬事行政体制下においては、何時自らが或いは家族が薬害被害者になるやも知れない、と思い至らぬ程の阿呆ではないはず。 一人の人間としては、原告等の命の訴えに心が痛まぬはずが無い、と思います。
一方で、もし訴訟に負けたら、会社が吹っ飛ぶかも知れない、薬事行政体系が瓦解するかも知れない、直接薬害に関わった役人、企業人は個別に刑事責任を問われるかも知れない、人生が終わってしまう.....、自分は構わない、罪を犯したのだから、しかし家族はどうなる.....。 そう思い、専門的知識、経験を駆使して、責任から逃れようとする彼らを、どれほどの人が責められるでしょう。
アメリカの薬事行政の実情は承知しませんが、日本とは比にならぬ訴訟社会であるにも関わらず、使用禁止等の行政対応が素早いのは、恐らくは“司法取引”が多用されているからではないかと想像しますが、このあたり春霞さんはお詳しいでしょうか?
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>先ほどCSの朝日ニュースターで原告の福田さんのお話を
薬害肝炎の被害者を一律救済する「薬害肝炎被害者救済特別措置法案」が1月10日午後の参院厚生労働委員会で採決され、11日の参院本会議で成立する見通しとなったそうです。これで、やっと解決の道筋だけはつくのですから、福田さんなど原告団の皆さんにとって、本当に良かったと思います。
>アメリカの薬事行政の実情は承知しませんが、日本とは比にならぬ訴訟社会であるにも関わらず、使用禁止等の行政対応が素早いのは、恐らくは“司法取引”が多用されているからではないかと想像しますが、このあたり春霞さんはお詳しいでしょうか?
詳しくないので大体のことでお答えします。
日本の厚生省にあたる、アメリカの機関がFDA(米国食品医薬品局)です。もともとFDAは厳しい審査体制を採っていること、PL法(製造物責任法)での企業の責任がとても重いこと、米国の市民団体等の厳しい監視の眼もあることが、行政対応の素早さにつながっているようです。
↓をご覧下さい。
「FDA(米国食品医薬品局)について」
http://cgi28.plala.or.jp/genki-ag/main/main_4/fda.html
>司法取引制度が何故議論にならないか?
「司法取引」は、日本では「刑事免責」という言葉を使うことが多いですね。その「刑事免責」はずっと前から議論されているのですが、裁判員制度の実施を目前にして必要性があるとして議論がされています。ただし、「供述」を「免責」というエサで釣るような、犯人との取引のにおいがするので、今でも日本では不適当だする意見が強いようです(田宮裕「刑事訴訟法」338頁)。もっとも、実際上、こそこそやっていたりしますけどね。政治家がらみの事件とか……。
はい。 陰で何でもやり放題、それが日本の現状だと思います。
“より大きな公益に資する”のが、容疑者、被告を免責にしてよいか、否かの基準でしょうが、法制化すれば、何ゆえの司法取引か、を公開せねばならず、例えば「この政治家をこのまま起訴しても無罪判決を食らう恐れが大だ。 といって、ただ不起訴にしたのでは検察の無謬性に、何よりワシ等のキャリアに傷がつく。 議員辞職するなら免訴ということで話を収めよう」なんてのは出来なくなりますからね。
単なる被告の責任逃れ(許し難いが人とはそういうもの)、或いは実際に因果関係の科学的証明が容易ではない(科学的常識とされていることが、実は?という例は枚挙に暇なし)が故に、審判が長期化し、その間に薬害被害達の命が失われて行く、という悲劇のパターンを回避するためにも、刑事責任は追及しないが(社会的制裁は受けるでしょうし)、事実を100%公開させ、被害者救済を一日も早く開始させ、また再発防止の為の教訓とする、ということなら社会は納得すると思うのですが。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>法制化すれば、何ゆえの司法取引か、を公開せねばならず
司法取引の法制化は捜査機関側の方が嫌っているのかもしれませんね。事実上の司法取引だからこそ、(とても言えないようなものもあって)やりたい放題できるわけですから。
>審判が長期化し、その間に薬害被害達の命が失われて行く、という悲劇のパターンを回避するためにも、刑事責任は追及しないが(社会的制裁は受けるでしょうし)、事実を100%公開させ、被害者救済を一日も早く開始させ、また再発防止の為の教訓とする、ということなら社会は納得すると思うのですが
米国は、刑事処罰も社会的利益実現のための一つの手段と割り切っているため、(刑事処罰は二の次又は追及せずに)事故防止の調査優先で行動します。将来を見通した行動に努めているわけです。
これに対して、日本の刑事司法では、客観的真実の究明にこだわる傾向が強いので、救済及び再発防止を最優先する意識にならないようです。また、戦争中でもよくあったことですが、日本は過去の失敗を隠蔽し、過去の失敗を将来に生かすということに消極的な態度であるように感じられます。日本人は、将来を見通して行動することが苦手なのかも知れません。
rice_showerさんが仰るように、「被害者救済を一日も早く開始させ、また再発防止の為の教訓とする」ことを認めるような日本社会になると良いと思いますね。
法と社会秩序、メカニズム、社会意識、そして個人感情、これらのバランス度が社会の成熟度なんですよね。
司法取引についての動きが有れば、またご紹介下さいな。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>法と社会秩序、メカニズム、社会意識、そして個人感情、これらのバランス度が社会の成熟度なんですよね
そうですね。
だから他国の法制度を導入することには難しさがあるのだと思います。特に司法取引の法制化は導入が難しい部類に入るでしょうし。
>司法取引についての動きが有れば、またご紹介下さいな
今後何かあったら紹介します。論文などは出てくるかもしれません。
とはいえ、裁判員制度に対する国民の関心が高まっていないという、法務省にとって焦りぎみな現状では、法務省としてはとても司法取引制度という新しい制度に手を出しそうもないですけどね。
↓
「裁判員制度「辞退理由」募集、総数わずか45件」(2008年1月12日14時30分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080112ic02.htm
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