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1.団藤重光博士のことは、「なぜ死刑は廃止されねばならないのか〜元最高裁判事の団藤重光氏のメッセージ」(2007/11/14(水) 20:18:43)でも触れたことがありますが、戦後(現在に至るまで)の刑事法学(刑法、刑事訴訟法)において、最も傑出した業績を残し多大な影響力を与えた、刑事法学の泰斗です。
(1) その団藤博士が死刑廃止論を唱えるようになった経緯は、次のようなことからです。
「傍聴席の声、転機に
団藤氏は終戦後、刑事訴訟法全面改正に指導的役割を果たした。東大法学部長を経て、74年から83年まで最高裁判事。
死刑廃止論に転じた決定的契機は、最高裁時代の、毒殺事件の法廷だった。
被告は否認したが、高裁判決は死刑。「絶対に間違いないか」と悩んだが、重大な事実誤認があるといえなければ、最高裁は高裁判決を破棄できない。「何とも仕方なかった」。上告棄却を宣告した裁判長と、団藤氏が退廷しかけた時だ。
「人殺しーっ」。傍聴席から鋭い声が響いた。「一抹の不安を持っていたから、こたえました」。死刑がそもそもいけないと確信を持つようになった。
最近も、著書「反骨のコツ」(朝日新書)を出版し、死刑をめぐる法務省の勉強会にメッセージを寄せるなど、死刑廃止を求める発言を続けている。」(朝日新聞平成19年12月20日付朝刊3面)
記事中に「死刑をめぐる法務省の勉強会にメッセージを寄せる」とありますが、そのメッセージについては、「なぜ死刑は廃止されねばならないのか〜元最高裁判事の団藤重光氏のメッセージ」をご覧ください。全文を紹介しています(「保坂展人のどこどこ日記」さんからの引用)。
(2) 団藤重光・元最高裁判事は、死刑制度について語っているのですが、その記事を読む前に死刑制度論の論点(死刑存置論と廃止論の理由)について触れておきます。
「◆死刑存置論と廃止論の主な論点
◇誤判
・存置論:誤判が起こりうるのは死刑についてだけではない。司法制度全体の問題だ
・廃止論:誤判の危険性が常にあり、死刑は処刑したら取り返しがつかない
◇世論
・存置論:世論調査では「存置」が常に多数。世論が支持している以上、死刑は必要だ
・廃止論:死刑を執行される側という少数者の人権の問題について、多数派の意見を重視するのは誤りだ
◇被害者
・存置論:凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族を納得させるためにも必要だ
・廃止論:犯人を殺すことが被害者にとって問題解決になるのかどうか、疑問だ
◇抑止力
・存置論:凶悪犯罪を防ぐのに役に立っている。廃止すると凶悪犯罪が増える
・廃止論:死刑に凶悪犯罪の抑止力があるとは実証されていない」(朝日新聞平成19年12月20日付朝刊3面)
では、団藤重光・元最高裁判事へのインタビュー記事を引用します。なお、記事中には、「死刑廃止なくして裁判員制度なし 団藤重光・元最高裁判事に聞く」という最初の見出しのほかに、「法相は世界の大勢直視せよ」、「感情と国が命奪うことは別」という見出しが掲載されています。
「「死刑廃止なくして裁判員制度なし」 団藤重光・元最高裁判事に聞く
国連総会は18日、死刑執行の停止を求める決議案を賛成多数で採択した。決議に反対した日本では7日、3人に対する死刑が執行され、今年処刑された人数は9人となった。1年半後には、一般国民が死刑判決を出す可能性がある裁判員制度が始まる。こうした現状に対して、元最高裁判事、団藤重光氏(94)=写真=が発言を続けている。「死刑廃止なくして、裁判員制度なし」の思いを聞いた。(市川美亜子、山口進)
――まず、死刑に対する考えを教えて下さい。
およそ死刑は頭から反対です。どんなやり方をしたとしても、あってはいけない。人間の命は神様に与えられたものだからね。それを人間が勝手に奪うというのは、してはいけない。人間の根本の原理に反する。
――国連の死刑執行停止決議を受け、日本政府はどうすべきでしょう。
いい決議だから絶対従ってほしい。そうじゃないと国連に入る意味がない。日本としても積極的に賛成しないとダメだ。
――日本では、鳩山法相が3人の死刑囚の執行命令書に署名し、7日に執行されました。
鳩山さんは世界の大勢を知らないのではないか。報告は受けていると思うが、自分のこととしてちゃんととらえているとは思えない。先進諸国はアメリカ以外、全部廃止している。アメリカでも北部は廃止している州が多い。日本はアメリカ一辺倒だから、アメリカが廃止すれば日本も廃止するのだろうが。
――法相は死刑を執行した日、死刑囚3人の氏名を公表し、犯罪事実を国会で朗読しました。一方、執行の状況などは公開されていません。
死刑囚の処遇や精神状態、執行の様子などを公開した方がまだいいと思う。刑場も一般の人に見せたらいい。世の中の批判が出てくるから。
――鳩山法相は「西欧文明はドライだが、日本には死をもって償うウエットな文化がある」と説明しています。
日本では9世紀初めから「保元の乱」まで、実に300年以上、死刑は停止されていました。「死をもって償う」というのは自分から命を絶つのであって、刑罰として人の命を奪うことと混同するのは、少々教養がないね。日本の文化は「和をもって貴しとなす」。「和」と死刑は矛盾するんじゃないかしら。
――家族や親しい人を殺されたら、犯人を殺したいと思う感情を持つのは当然ではないですか。
当たり前ですが、そうした「自然な感情」を持つのと、それを国が制度として、死刑という形で犯人の生命を奪うのとは、全く違うことです。戦争だって「人情から当然だ」といって是認するとしたら、とんでもない。
――世論調査では「死刑存置」が多数です。政治家は世論に従うべきだとは考えられませんか。
政治ってのはそういうもんじゃない。民衆の考え方に従いながらも指導しないと。川の流れを流しっぱなしにするのでは、水害が起きる。かといって、流れを止めてもいけない。土手をつくり、水を正しい方向に導いていけばいいんです。
――死刑に代わる最も重い刑としては何が考えられますか。
さしあたっては、仮釈放のない終身刑をつくるべきでしょう。恩赦の可能性は残した上で。そうしないと死刑よりも残酷になる。その先、将来的にどういう刑を考えていくかは、私にもわかりません。制度をだんだんと改善していくべきでしょう。
――日本では、09年5月までに裁判員制度が始まります。
裁判員は民衆から起こってきた要求によるものではない。政府が考えた根無し草。もし裁判員制度が始まるなら、どうしても同時に死刑を廃止しなければだめです。ヨーロッパの参審制の国では死刑が廃止されているから、国民が国民に死刑を言い渡すことはない。「死刑廃止なくして裁判員制度なし」です。
――誤判の可能性があることを、死刑廃止論の根拠として強調されてきましたが、市民が参加したら誤判の確率も高くなるとお考えですか。
それはそうですよ。ジャーナリズムが「被害者は、こんなにも悔しい」とむき出しの感情を流していては、国民は法的な判断力を持てないままになる。そうした国民が出す判決は、それだけ間違う可能性も高まります。
――団藤最高裁判事は法廷で「人殺し!」と叫ばれました。裁判員制度が始まれば、死刑判決に関与した裁判員も「人殺し!」の声を受けることになるのでしょうか。
なぜ「人殺し」かっていえば、そういうことをしているからね、人殺しだって叫ばれるわけですよ。そう言われた方がいいんですよ。」
(*紙面では、写真と、市民が量刑に関与する参審制はあるが死刑廃止のため、市民が死刑を下すことない点を示した「市民の司法参加と死刑」と題する図表があるが、省略)
3.幾つかの点に触れていきます。
(1) 1点目。
「――鳩山法相は「西欧文明はドライだが、日本には死をもって償うウエットな文化がある」と説明しています。
日本では9世紀初めから「保元の乱」まで、実に300年以上、死刑は停止されていました。「死をもって償う」というのは自分から命を絶つのであって、刑罰として人の命を奪うことと混同するのは、少々教養がないね。日本の文化は「和をもって貴しとなす」。「和」と死刑は矛盾するんじゃないかしら。」
時折思うのですが、団藤博士は結構、辛辣です。「教養がないね」なんてなかなかすぐには言えません。 相変わらず、団藤博士らしさを発揮なされているとちょっと笑ってしまいました。
普通の人はなかなか「教養がないね」などと言えなくても、「なぜ死刑は廃止されねばならないのか〜元最高裁判事の団藤重光氏のメッセージ」を読めば、軽率で思いつき発言を繰り広げた鳩山法相と比較すると、団藤博士には、鳩山法相が一生届かないほどの深い教養・学識があることが一目瞭然です。
(2) 2点目。死刑制度と裁判員制度との関係です。
「 ――日本では、09年5月までに裁判員制度が始まります。
裁判員は民衆から起こってきた要求によるものではない。政府が考えた根無し草。もし裁判員制度が始まるなら、どうしても同時に死刑を廃止しなければだめです。ヨーロッパの参審制の国では死刑が廃止されているから、国民が国民に死刑を言い渡すことはない。「死刑廃止なくして裁判員制度なし」です。
――誤判の可能性があることを、死刑廃止論の根拠として強調されてきましたが、市民が参加したら誤判の確率も高くなるとお考えですか。
それはそうですよ。ジャーナリズムが「被害者は、こんなにも悔しい」とむき出しの感情を流していては、国民は法的な判断力を持てないままになる。そうした国民が出す判決は、それだけ間違う可能性も高まります。」
団藤博士は裁判員制度の関係で2点問題点を指摘しています。
将来、裁判員制度が実施されると、裁判員が死刑判決を出すことになります。死刑制度の本質の1つが「国家が処刑するから、国民による私刑を否定」であるのですが(東京新聞平成19年9月28日付朝刊26面「こちら特報部:『署名なし死刑執行』 鳩山法相発言の波紋」)、ヨーロッパの参審制の国では死刑が廃止されているので、この死刑制度の本質に反しません。
しかし、日本の裁判員制度では、裁判員が死刑判決を出すのですから、「国民が国民を処刑する」ことになってしまうのです。だからこそ、団藤博士は、「死刑廃止なくして裁判員制度なし」と主張しているのです。
もう1点は冤罪の可能性の点です。
市民が参加すると誤判の確率が高くなるのではと危惧しているのです。冤罪の可能性は、裁判員制度フォーラムに参加した市民も指摘しています。誰だって自分が関与した裁判において冤罪を出したくはないのですから。
「裁判員制度フォーラム 「司法の一翼担って」 「冤罪や逆恨み不安」
2009年にスタートする裁判員制度を周知する「裁判員制度フォーラム福岡2007in行橋」が15日午後1時から、行橋市中津熊のウィズゆくはしで開かれ、京築地域の住民約150人が参加した。
フォーラムでは福岡地裁の簑田孝行所長が「裁判員導入で判決時に国民の目線で判断ができるようになり、国民も司法を学べ裁判が分かりやすくなる」とあいさつ。現住建造物等放火事件の被告に執行猶予を付けるか苦悩する裁判員を描いた映画「裁判員」が上映された。
同地裁行橋支部の住山真一郎裁判官が裁判員制度について「判決を決める評議の中で意見を変えるのは自由。ただし評議内容には守秘義務が課せられる」と説明。
参加者からは「重大事件の裁判は短期間では終わらないのでは」「冤罪(えんざい)が心配」「被告らに顔を見られるので逆恨みの不安がある」などと質問が出された。
これに対し簑田所長や住山裁判官が「裁判員の負担を軽くするように検討する」「裁判官3人と裁判員6人の9人で対応すればそれだけ真実に近づける」「安全で住みよい社会をつくるために少しの勇気を持ち裁判員として司法の一翼を担ってほしい」と理解を求めた。
=2007/12/16付 西日本新聞朝刊=
2007年12月20日00時34分」(西日本新聞2007/12/16付朝刊)
簑田所長や住山裁判官は、冤罪の可能性について、「裁判員の負担を軽くするように検討する」「裁判官3人と裁判員6人の9人で対応すればそれだけ真実に近づける」と答えています。
しかし、市民の問いかけは、今までの裁判官でさえ冤罪が生じるのに、一般市民が裁判での証拠判断や法律用語がよく分からないままであるばかりか、ジャーナリズムが「被害者は、こんなにも悔しい」とむき出しの感情を流していて、今のままでは国民は法的な判断力を持てないままなのだから、裁判員制度になると、今までの裁判以上に冤罪が発生してしまうため「冤罪が心配」だという意味なのだと思うのです。これに対しては、簑田所長や住山裁判官は少しも答えていないのです。
(3) 死刑相当事件となれば、陰惨な現場写真、凶器といった物的証拠、悲惨な状況を語った供述調書など見せられることになるでしょう。外国では、そういった物を見せられてトラウマになることがあるそうですから、日本でも裁判員は同じことになるはずです。裁判員には守秘義務がありますから、誰かに話して心を静めることもできません。
「 ――団藤最高裁判事は法廷で「人殺し!」と叫ばれました。裁判員制度が始まれば、死刑判決に関与した裁判員も「人殺し!」の声を受けることになるのでしょうか。
なぜ「人殺し」かっていえば、そういうことをしているからね、人殺しだって叫ばれるわけですよ。そう言われた方がいいんですよ。」
裁判員と死刑判決を言い渡すのであれば、被告人やその関係者から法廷で「人殺し!」と叫ばれる可能性があります。もし「人殺し」と叫ばれたら、裁判員はずっと心の傷になる可能性がありますが、裁判員は耐えていかなければなりません。
しかも、もし後で自分が死刑判決を下した者が冤罪だったと判明した場合、冤罪被害者は、裁判員に対して損害賠償請求を求めるでしょうし、ずっと恨みを抱くことは確実です。顔は覚えているのですから、仕返しをしてやると思う方もでてくるかもしれませんが、一般市民に対して国は何も身体の安全を保障してくれるわけではないのです。
死刑制度を維持したままで、裁判員制度を実施する場合、被告人にとっても裁判員となった市民にとっても、不幸な事態が発生することが確実に予想されるのです。そうであれば、不幸な事態が生じる前に、「死刑廃止なくして裁判員制度なし」という団藤博士の言葉にしたがうことこそ、賢明な判断であると思うのです。
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死刑判決に対する「人殺し」との批難(+死刑事件冤罪に対する報復)のみを殊更に取り上げるのは片手落ちかと思われます。
有期懲役判決に対して、出所後に元受刑者が報復してくるかもしれません。
死刑の求刑された殺人事件に対する懲役刑判断で、被害者遺族から恨まれるかも知れません。
むしろ「人殺し」と批難される可能性も含めて、裁判員=市民が死刑判断も含めた判断領域を持つことは意味があることなのではないかと。
現在の高い死刑制度支持の世論は、自らは判断にも執行にも関与することのないことを前提とした(ワイドショー的と言っていいかも知れません)見解のように思われます。
自らが死刑判断を下さなければならないという状況においてなお、死刑維持を支持するのか、そこを見極めたいように思います。
(「守秘義務」がどのように運用されるか分からないので、世論形成に裁判員経験者からの事後的なインプットはあまり期待できないかも知れませんが。)
>片手落ちかと思われます
>有期懲役判決に対して、出所後に元受刑者が報復してくるかもしれません。
>死刑の求刑された殺人事件に対する懲役刑判断で、被害者遺族から恨まれるかも知れません。
仰るとおり、裁判員が被害を被る事態は色々考えられます。裁判員の身体の安全につき国は保障しないのに。もっとも、一応、エントリー中でも類似のことは触れています。少しだけですが。↓
「顔は覚えているのですから、仕返しをしてやると思う方もでてくるかもしれませんが、一般市民に対して国は何も身体の安全を保障してくれるわけではないのです。」
>現在の高い死刑制度支持の世論は、自らは判断にも執行にも関与することのないことを前提とした(ワイドショー的と言っていいかも知れません)見解のように思われます
同感です。
新聞の投書欄や日経新聞のコラムに出ていたことですが、死刑相当事件という重罪事件に裁判員として関与するのは精神的にあまりに負担が大きすぎてイヤだと、書いていました。裁判員になることを真剣に考えれば、躊躇するのは無理もありません。弁護士だって、普通は、負担が重過ぎるなどの理由で、死刑相当事件を弁護することはめったにないのですから。
>自らが死刑判断を下さなければならないという状況においてなお、死刑維持を支持するのか、そこを見極めたいように思います
>「守秘義務」がどのように運用されるか分からないので
死刑相当事件に関与したことで、PTSDになる人が続出し、自殺者さえも出てくるかもしれません。法曹のように耐性があるわけではないのですから。もっとも、守秘義務があるので、マスコミ報道も難しく、法務省側も隠すでしょうから、数名の自殺者がでないと分からないでしょう。
PTSDや自殺者が出たという(当然にあり得る)事実が公表され、裁判員の心理状態が公表された場合にも、「なお、死刑維持を支持するのか」という世論調査はぜひ知りたいものです。
中規模企業の総務に勤務しています。
私の周りで裁判員制度に関心のある人は全くいません。私も、昨年11月に、たまたまある団体主催の勉強会で、弁護士さんによる裁判員制度についての講演の司会をすることになり、付け焼刃で勉強して、関心を持った次第です。
その会には上場企業50社くらいの総務担当者が集まったのですが、質問は皆無でした。
何にも質問が出ないとシラケるので、私の方で次の質問を用意しておきました。弁護士さんは即答できず、その後、法務省にも質問して回答をもらっていますので、紹介させていただきます
【質問】死刑の執行について
死刑制度の是非は別問題として、
一般市民が裁判員として参加した凶悪犯罪の裁判で、被告人死刑の判断に至るようなケースでは、 素人の裁判員が他人を死に追いやるという、極めて重大な責任を負うことになります。
従って、(素人である)裁判員が参加した裁判で死刑判決が出て、それが確定した場合に、 プロである法務大臣が、正当な理由が無く死刑執行を刑事訴訟法の規定どおりに行わないということは許されないと思います。
そこで、『法務省(法務大臣)が当該ケースが死刑判決で確定した場合に、死刑執行を確約していただけなければ、 裁判員への就任は辞任する。』という辞任事由は認められますか。
【法務省の回答】
裁判員制度は,広く国民の皆様に参加していただく制度ですので,法律で定める辞退の事由がない限りは,辞退することはできません。
辞退が認められるか否かの判断は,個別具体的な事情に応じ,裁判所において判断されることになります。
なお,裁判員の辞退事由は,裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下裁判員法という。)第16条に定められています(下記参照条文を御参照下さい。)。
また,同条第8号の「政令で定めるやむを得ない事由」に関する政令案については,法務省ホームページからも御覧いただけます。
【08.7.4追記】
具体的な例を挙げてYesかNoかで質問しているのですから、YesかNoかで回答してもらいたかったところですが、無理でしょうかネ。今年5月に最高裁長官は、「それほど責任を重く感じる必要はない」と仰っていますが、いくら凶悪犯人とはいえ、人の命を奪う訳ですから、私はそんなに軽くは考えられません。
>私の周りで裁判員制度に関心のある人は全くいません
それが普通なのではないでしょうか。新聞各紙は、何度も連載記事を掲載して、関心を引くようにしていますが、そんなものを真面目に読むのは、法曹関係者や研究者または特に刑事関係に関心のある人たちぐらいでしょう。
>その会には上場企業50社くらいの総務担当者が集まったのですが、質問は皆無でした。
>何にも質問が出ないとシラケるので、私の方で次の質問を用意しておきました。
質問を考えるほど、真面目に取り組んだわけですね。その姿勢は良いことだと思います。
>弁護士さんは即答できず、その後、法務省にも質問して回答をもらっていますので
その弁護士は、karaoさんほど真面目に取り組んでこなかったのか、わざと答えなかったのかは分かりません。ただし、弁護士だからといって、裁判員制度について、よく知っているわけではないことは確かです。
>【質問】
そこで、『法務省(法務大臣)が当該ケースが死刑判決で確定した場合に、死刑執行を確約していただけなければ、 裁判員への就任は辞任する。』という辞任事由は認められますか。
>【法務省の回答】
>裁判員制度は,広く国民の皆様に参加していただく制度ですので,法律で定める辞退の事由がない限りは,辞退することはできません。
辞退が認められるか否かの判断は,個別具体的な事情に応じ,裁判所において判断されることになります。
>具体的な例を挙げてYesかNoかで質問しているのですから、YesかNoかで回答してもらいたかったところですが、無理でしょうかネ
『法務省(法務大臣)が当該ケースが死刑判決で確定した場合に、死刑執行を確約していただけなければ、 裁判員への就任は辞任する。』という辞退事由は、法律で定める辞退の事由に当たりません。ですから、そうした理由での辞退は認められません。
法務省の回答をみると、「No」と答えていると思います。コメント欄だけを見る限りは、なぜ、「No」なのかの詳しい説明はしていないようですが。
karaoさんが、裁判員制度につき真剣に取り組んだ姿勢は評価に値するのですが、ご質問の内容は、要するに「裁判員という負担から逃げる手段を教えて」というものですよね。言い換えれば、脱法行為の指南をしてほしいというものです。
しかし、それは裁判員制度の趣旨からすれば、法務省としては困るわけです。ですから、法務省は「裁判員制度は,広く国民の皆様に参加していただく制度」と述べたわけです。要するに、「脱法行為を考えるのは止めて、参加する方向で考えて欲しい」と言うわけです。
karaoさんはよく考えたのでしょうけど、そのご質問は、かなり問題を含んでいます。説明しておきます。
「法務省(法務大臣)が当該ケースが死刑判決で確定した場合に」としていますが、日本の裁判制度は三審制を採用しているのですから、1審段階において(最高裁で)「死刑判決が確定した場合」という不確定な将来のことを約束することはできません。
また、「死刑執行を確約していただけなければ」としている点も問題です。死刑執行は行政権固有の権限ですから、司法権である裁判所が、他権である行政権の行使を確約することは、権力分立制に反するので不可能です。
このように、質問内容は、およそできない約束を求めるものですから、そんな辞退事由は絶対認められないのです。
もし、法務省の回答内容は、ここで紹介してくださっただけだとすると、かなりそっけない内容です。それは、おそらく法務省の役人からすれば、「この質問はふざけているのか」と思ったためだったのかもしれません。
>今年5月に最高裁長官は、「それほど責任を重く感じる必要はない」と仰っていますが、いくら凶悪犯人とはいえ、人の命を奪う訳ですから、私はそんなに軽くは考えられません。
karaoさんのお考えは、極めて健全なものだと思います。人の命を奪う可能性があるという事実に、真摯に向き合っているのですから。
ただ、裁判員制度下の裁判では、どんなに悲惨で難しい事件でも、基本的には、3日間という短期間で判断し、法曹三者が仕上げた訴訟記録で判断するのです。模擬裁判の様子を聞くと、裁判官は、法曹三者だけが見ていた資料に基づいて、たくみに裁判員となった市民に対して、事実判断を刷り込んで、裁判の結論を決めてしまっています。ですから、裁判員となった市民は、「お客さん」です。市民に、遊園地のアトラクションのように、「裁判の気分」を味わってもらうだけというのが現実でしょう。
最高裁長官の本音は、「(裁判員はお客さんなのだから、)それほど責任を重く感じる必要はない」ということなのかもしれませんね。
しかし、被告人にとっては、「お客さん」に判断してもらうのは、たまらなく嫌でしょうね。「防御権の保障はどうなるのか、こっちは生きるか死ぬかがかかってるのに」と思うはずですから。
こんにちは。08.07.05のコメントは、勉強不足で失礼しました。(私も大学では刑法を専攻していたのですが・・・お恥ずかしい限りです。)
法務省・日弁連には、裁判員参加後のメンタルケアについても、質問していたのですが、きちんとした回答がいただけませんでしたので、08年10月29日の東京商工会議所と最高裁の共催による裁判員制度の説明会に参加して質問を行い、最高裁判事殿に、下記の回答をいただきました。
〆枷衆へのメンタルケアや、職務が原因で生じた損害の補償については非常勤の国家公務員として扱う。(これは公になっているので知っていました)
∈枷衆を務めたことと、損害発生との因果関係の立証責任は裁判員が負う。(これも止むなし?)
,了態が発生した場合に△寮嫻い泙悩枷衆に負わされるのであれば、損害発生は「可能性」の問題とはいえ、そこまでのリスクを負担できないので、裁判員就任を辞退したいという申し出を行った人に対しては、過料を科すことなく、辞退を認める。
このは、説明会が終わった後に、私が´△亮遡笋鬚靴燭里覇蒜筺δ日・日経の法務担当記者の方が関心を持ってくれて、取材を受けている時に、わざわざ判事殿が出向いてきてくれたので、私が改めて質問したところ、3名の記者の方がメモを取っている中で回答をしてくださいました。
(ただ、説明会自体が、全くどのマスコミにも取り上げられませんでしたので、当然この質問と回答についても記事にはなっていません。・・・残念)
本年4月に日経新聞に載った記事では、最高裁は、裁判員の約10%にメンタル的な影響が出ると想定しているそうです。今回の私が記述した事項について、突っ込んだ議論があまりされていないのが不思議です。
お返事が大変遅くなり申し訳ありません。
申し訳ありませんが、まずは、一言述べておきたいと思います。karaoさんは、(前回のご質問も含めて)同様のコメントを複数の掲示板に書き込みをなされています。
<複数の掲示板での記載>
1 裁判員に「心のケア」 - 元検弁護士のつぶやき
http://www.yabelab.net/blog/2008/04/13-095704.php
2 Re: 裁判員制度に伴う休暇扱い(メンタルケアについて)
http://www.soumunomori.com/room/thread/trd-42865/?xeq=-
3 26:裁判員へのメンタルケア・補償と辞退の可否について
http://www.saibaninsystem.net/200812/2000.html
これらは、「同じ内容の記事を複数のニューズグループに別の記事として投稿するもの」であり、「マルチポスト」に当たります。その意味・問題点については、「マルチポスト」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88
個人的には「マルチポスト」であっても気にしませんが、せめて他の掲示板でも同様の記載をしたことをそれとなく匂わせる程度くらいは、しておくことが礼儀ではないでしょうか。ご注意下さい。
もっとも「元検弁護士のつぶやき」さんのところは、法律漫談のブログです。そこでコメントしたところで、正しい情報はほとんど得られないので、「マルチポスト」にさえ、値しないでしょうけど。
もう一言、述べておきます。
今回のコメントは、karaoさんは総務課に属しており、「裁判員に参加した社員のメンタルケア」という社内の法律問題についての内容です。(もっとも、回答内容につき、もっと分かりやすく法的説明を求めるという感じでありますが。)
そうすると、これも法律相談の一種である以上、顧問弁護士など専門家に問い合わせて、対価を支払ったうえで法的説明を求めるべきです。タダで法的知識を得ようとしている方が多数いる現在、タダで法的知識を得ようとしているかのような姿勢は、慎んで頂きたいと思います。
裁判員制度については、国・法務省や最高裁判所が懸命に旗振りをしているのですから、法務省や最高裁判所に対して「もっと分かりやすく答えてほしい」と問い合わせることをお勧めします。国民の問い合わせに答えることは公務なのですから。
>08.07.05のコメントは、勉強不足で失礼しました。(私も大学では刑法を専攻していたのですが・・・お恥ずかしい限りです)
裁判員制度における裁判員は、「特に法律の知識は必要ありません」(最高裁判所「よくわかる! 裁判員制度Q&A」52頁)としています。ですから、裁判員制度に関連する限り、あらゆる法律に関して、勉強不足などと思う必要はないと思います。
裁判員制度は国民に義務を負わせるものなのですから、(法務省や最高裁判所に)遠慮なく、疑問点を問い合わせるべきです。
>∈枷衆を務めたことと、損害発生との因果関係の立証責任は裁判員が負う。(これも止むなし?)
不法行為に基づく損害賠償責任の問題ですので、被害者側が因果関係などの立証責任を負うというのが、一般的です。裁判員制度だけ特別扱いするならば、立法が必要です。
> ,了態が発生した場合に△寮嫻い泙悩枷衆に負わされるのであれば、損害発生は「可能性」の問題とはいえ、そこまでのリスクを負担できないので、裁判員就任を辞退したいという申し出を行った人に対しては、過料を科すことなく、辞退を認める。
>は、……わざわざ判事殿が出向いてきてくれたので、私が改めて質問したところ、3名の記者の方がメモを取っている中で回答をしてくださいました。
>ただ、説明会自体が、全くどのマスコミにも取り上げられませんでしたので、当然この質問と回答についても記事にはなっていません。
おそらくは、すでに明らかになっているQ&Aの一種であるため、記事にしていないのでしょう。裁判員制度に関する書籍から、該当箇所を引用しておきます。
「Q 裁判員のときのトラウマでPTSDやうつ病になってしまった。治療費や慰謝料は請求できるの?
A 現在のところ裁判員に対しての国家的な補償制度はない。
裁判員になることでPTSDになる危険性が事前にわかっている場合は、裁判所に認められれば裁判員を辞退することができます。しかし裁判には参加したことのない一般市民が参加し、場合によっては死刑の判断までするのですから、裁判員になった後で、心理的に大きな負担を背負うことも十分に考えられます。また、裁判員には守秘義務が課されていることから、その悩みを誰にも相談できずにますます一人で抱えてしまうということも指摘されています。
裁判所は、現段階で裁判員の心のケアを行うため、24時間の電話相談窓口を開設する方針を決めましたが、これではまだ十分とはいえないでしょう。裁判員を経験したことで、心に大きな負担を抱えてしまった場合でも各自で病院などを手配する必要があります。このような場合、金銭的な負担を裁判所がするのかどうかまだ決まっていませんが、公務上の疾病と認められれば、国家公務員災害補償法による療養費の支給も考えられます。」(平野哲郎監修「これでわかる! 裁判員制度」(実業之日本社、2008年9月)212頁)
karaoさんが述べたの点と回答は、「裁判員になることでPTSDになる危険性が事前にわかっている場合は、裁判所に認められれば裁判員を辞退することができます」の一種といえるのではないでしょうか。
また、「裁判員の重責によるストレスや、事件の残酷な場面の再現で精神的にダメージを受ける恐れがある人も、辞退が認められる可能性がある」(2007年10月24日 読売新聞)とされています。このように、以前より説明されていることの一種のように思えます。
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07102405.cfm
1つ気になるのは、「,了態が発生した場合に△寮嫻い泙悩枷衆に負わされるのであれば……そこまでのリスクを負担できないので、裁判員就任を辞退したいという申し出を行った人に対しては、過料を科すことなく、辞退を認める」と、本当に断定したような説明をしていたのでしょうか?
裁判員候補者は、裁判当日になって初めて事件についての詳細を知ることになるのです。ですから、最初から大きな精神的な負担が生じ、その不利益を受けると決まっているわけではないのですから、最初からすぐに辞退を認めることにはならないはずです。その事件毎、その人の事情により、「精神上の不利益」に当たるとして、辞退が認められる可能性がある、と説明しただけのように思います。
>今回の私が記述した事項について、突っ込んだ議論があまりされていないのが不思議
色々引用してみまししたが、裁判員の精神的ダメージの問題については、次のように考えています。
同じく裁判に関わる者であっても、弁護士であれば、陰惨な事件の弁護をしたくなければせずに済むのに対して、市民は、職業として選択したわけでもないのに、重大事件ばかり、どんな陰惨な事件であっても裁判員として関わる義務を負わされるのです。元々、裁判員制度は、不合理な制度であるように思います。
ただ、裁判員制度の対象事件は、重大刑事事件に限ったのですから、元々、ある程度、裁判員が精神的ダメージを受けるのは織り込み済みのはずです。いまさら「精神的ダメージ」を問題にするのは、どうかなという感じがします。
特に、もう何年も世論の大勢は、人の死が関わる事件では厳罰化を主張し、実際の裁判はもちろん、刑罰法規も厳罰化されてきました。もう十分に厳罰化されたのに、今でも更なる厳罰化のために、多数の署名が集まるほどです。ですから、「ずっと、厳罰化を主張しておきながら、自分が刑事事件に関わるときには、『精神的ダメージを受けるから裁判員から辞退したい』などというのは身勝手すぎる」と考えられます。
死刑相当事件に関わる多くの法曹関係者は、職業として関わっているとはいえ、精神的ダメージを受けつつ、職務を全うしています。裁判とはそういうものなのです。ところが、世論の大勢は、ろくに裁判記録を見ることなく、凶悪犯罪は増加していないのに、厳罰化を主張してきたのです。
今でも、犯罪被害者の精神的ダメージに対するケアは、それほど大したことをしていません。何の責めもおうべきでない犯罪被害者でさえ。それなのに、なぜ、裁判員のケアを充実させるべきということになるのでしょうか。
このように、世論の大勢は、ろくに裁判記録を見ることなく、ただ感情的に「厳罰化」を主張してきたのに、『精神的ダメージを受ける可能性があるから、もっと国は対策を行うべきだ』と主張するのは、身勝手すぎる」と考えているのが政府・法務省・最高裁判所の本音であろうと思います。karaoさんが「記述した事項について、突っ込んだ議論」をする気はほとんどないというのが本音でしょう。
こうした本音に対して、一般市民の側は十分な反論はできるのでしょうか?
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