1.asahi.com(2006年03月27日21時00分)によると、
としています。「オウム松本被告の控訴棄却 死刑確定の可能性
オウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)について、控訴審の東京高裁(須田賢裁判長)は27日、一審の死刑判決を不服とした弁護側の控訴を棄却し、裁判の手続きを打ち切る決定をした。『裁判所が決めた期限までに弁護側が控訴趣意書を出さず、かつ被告が訴訟能力を持つことに疑いはない』と理由を述べた。弁護団は直ちに高裁に異議を申し立てる意向を示した。決定が今後の不服申し立て手続きでも覆らなければ、地下鉄、松本両サリン事件など未曽有のテロ事件の首謀者とされ、13の事件で殺人などの罪に問われた『教祖』の公判は、起訴から約11年を経て、控訴審で一度も公判が開かれないまま死刑が確定する。
◆なぜ打ち切りか
刑事訴訟法や刑事訴訟規則は、提出期限までに控訴趣意書が提出されなかった場合、裁判所は『やむを得ない事情』がある時を除いて決定で控訴棄却をしなければならないと定めている。
弁護団は『被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない』として、期限の昨年8月末までに趣意書を出さなかった。被告の訴訟能力の有無を控訴審最大の争点と位置づける弁護団にとって、趣意書を提出すれば、訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうことになるからだった。
弁護団は今月28日に提出すると明らかにしていたが、その前日に決定が出た。決定は「現在直ちに提出したとしても、遅れは『やむを得ない事情に基づくもの』とは認められない」と述べた。
今回の決定で高裁は、弁護人が趣意書を提出しなかった事情について、真摯(しんし)な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に完成し、提出できる状態なのにあえて提出しなかった、と指摘。『裁判所の鑑定方法について希望がいれられなければ趣意書を提出できない、という考えに固執したためで、不提出は正当化できない』と述べた。
さらに、『被告から実質審理を受ける機会を奪う重大な結果を招くおそれをもたらすもので、被告の裁判を受ける権利を擁護する使命を持つ弁護士として極めて問題がある』と非難した。
◆訴訟能力は
高裁は続いて被告の訴訟能力を検討。『話す能力があるのに一審の弁護人とほとんど意思疎通を図らないという態度を貫き、控訴審でも弁護人への不信、非協力の姿勢は変わっていない』とした。そのうえで(1)一審公判段階では、訴訟能力を欠くに至ったという疑いは生じない(2)控訴審以降も、東京拘置所での日常生活を見れば、一審公判の終盤と基本的には変わらない(3)高裁が依頼した精神科医の『訴訟能力がある』とした鑑定意見は肯定できる――などから、『訴訟能力に欠けているとは言えない』と判断した。
◆今後どうなる
弁護団は3日以内に異議を申し立てることができる。異議審は、裁判を打ち切った手続きに誤りがないか、決定をした第10刑事部とは別の第11刑事部が非公開で審理する見通しだ。(1)被告に訴訟能力があるかどうか(2)弁護団の行為を理由に被告から高裁での実質審理を受ける機会を奪う不利益を与える今回の決定は、憲法の保障する『裁判を受ける権利』を侵害しないかどうか――などが争点になるとみられる。
異議が認められれば公判が始まったり、被告の精神状態の治療のために公判停止となったりする可能性がある。退けられた場合、弁護側は最高裁に特別抗告できるが、これが退けられれば、死刑が確定する。一般的には、こうした異議や特別抗告が認められる例は少ない。」
決定要旨の全文は、「山陰中央新報―東京高裁決定要旨」をご参照下さい。
この東京高裁決定に対して弁護団の声明が出ています。asahi.com (2006年03月27日20時10分)によると、
としています。「麻原被告の弁護団、控訴棄却に抗議声明
控訴棄却の決定を受け、麻原被告の弁護団は抗議声明を発表した。声明は次の通り。
麻原彰晃氏の件でたった今東京高裁第10刑事部より電話で『控訴棄却決定をした。被告人本人に送達した』との連絡があった。
弁護人が依頼した6人の医師が訴訟能力なしとの鑑定意見を出す中で、裁判所選任の医師が訴訟能力ありとの判断を示したところから、裁判所がすべてを秘密裏に進めようとしていることに重大な危惧(きぐ)を抱いたため、弁護人は公開の法廷における控訴審の進行を決断し、3月28日までに控訴趣意書を提出することを高裁に伝えた。その矢先の控訴棄却決定であった。
元来、公判を停止して麻原氏を治療するべきであるにもかかわらず、控訴審を開くどころか控訴棄却としたものであって、裁判所がすべてを闇の中に葬り去ろうとしていることは明らかであり、棄却決定は文字どおりの暴挙である。
弁護人は裁判所の暴挙を絶対に許すことができない。直ちに棄却決定が無効であるとして異議申し立て手続きを取ると同時に、可能な限りの手段を講じて裁判所の暴挙を糾弾してゆく。 」
2.この高裁決定で問題となった条文について引用しておきます。
刑訴法第314条1項(公判手続の停止)
被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。
刑訴法第376条1項(控訴趣意書)
控訴申立人は、裁判所の規則で定める期間内に控訴趣意書を控訴裁判所に差し出さなければならない。
刑訴法第386条1項(控訴棄却の決定)
左の場合には、控訴裁判所は、決定で控訴を棄却しなければならない。
1 第376条第1項に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないとき。
刑事訴訟規則第238条(期間経過後の控訴趣意書)
控訴裁判所は、控訴趣意書を差し出すべき期間経過後に控訴趣意書を受け取った場合においても、その遅延がやむを得ない事情に基くものと認めるときは、これを期間内に差し出されたものとして審判をすることができる。
*314条にいう「心神喪失の状態」とは、訴訟能力、すなわち、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当の防御をすることのできる能力を欠く状態をいう(最高裁平成7年2月28日決定)。
3.弁護団は、松本被告が精神異常の状態にあって全く意思疎通ができないので、訴訟能力が欠けていると判断しました。そのため、公判手続の停止(刑訴法314条)を求め、また、提出期間を経過しても控訴趣意書を提出できないとしたわけです。
このような事情の下において、東京高裁が控訴棄却とした決定は妥当でしょうか? この事案のように、控訴趣意書の提出期限を過ぎている場合でも適法な提出となりうるのかが問題となります。
(1) 青柳=朝倉他「註釈刑事訴訟法」(第4巻)(昭和56年)71頁〜・伊藤=亀山=小林他「新版注釈刑事訴訟法」<新版>(第6巻)(平成10年)83頁によると
としています。「最終日経過後の提出は原則として適法な控訴趣意書の提出とはいえず386条1項1号により控訴棄却の決定の理由となるが、控訴裁判所がその遅延がやむを得ない事情に基づくものと認めるときは、これを期間内に提出された適法なものとして審判の対象とすることができるものとされている(規則238条)。
遅延がやむを得ない事情に基づくか否か、したがって期間内に差し出したものとして審判するか否かは控訴裁判所の裁量に属するが(最高裁昭和26年3月22日決定、最高裁昭和26年12月22日決定)、やむを得ない事情に基づくものとされた例として、札幌高裁昭和28年7月8日決定…は、最終日の午後11時53分頃控訴趣意書を持参し、控訴裁判所の構内にある宿直室の外部から就寝中の宿直職員を呼び起こしたが目をさまさなかったため一応帰宅し、翌日午前6時30分過ぎ宿直室の机の上に右趣意書を置いて帰り、更に同日午前9時頃同裁判所書記官室に赴き書記官にその事情を説明し了解を得たという事情があるときは、やむを得ない事情に基づく場合に当たるとし、また、やむを得ない事情に基づくものとはいえない例として、東京高裁昭和30年1月24日決定…は、控訴趣意書提出期間内に控訴趣意書を提出せず、裁判所より念のため趣意書を出したかどうかの照会書を受領後、9日後に提出した場合にその遅延が特にやむを得ないと認められる事情がないときは、趣意書提出の遅延がやむを得ない事情に基づくものとは認められないとし、最高裁昭和32年4月23日決定…は、控訴趣意書提出最終日が弁護人側から数回にわたり延期申請があったためその都度延期され、しかもその延期された期限から1箇月以上も遅れて提出されたときは、やむを得ない事情に基づくものとはいえないとする…。」
この松本被告の事案の場合、提出期間である8月末を経過しても控訴趣意書していないので既に半年以上も期限を過ぎているのですから、1箇月以上提出期限を過ぎた場合にも最高裁昭和32年4月23日決定は「やむを得ない事情に基づく」とはいえないとしたのですから、今後提出しても適法な提出と評価するのは難しそうです。
また、裁判所が控訴趣意書の提出期限を徒過後、数度にわたって直ちに提出することを強く求めたのに提出していないのですし、それに、「真摯(しんし)な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に完成し、提出できる状態なのにあえて提出しなかった」(朝日新聞)のですから、この点でも「やむを得ない事情に基づく」というのは難しそうです。
(2) このように、高裁決定が行った控訴棄却の決定は妥当なものと評価でき、この事案のように控訴趣意書の提出期限を過ぎている場合、例え後に提出しても適法な提出とはいえないはずなのですが、控訴趣意書の重要性について、この決定要旨は触れていないのが気になります。
大出=川崎=神山=岡崎編「刑事弁護」(日本評論社、1993年)162頁によると、
としています。「弁護人としては、被告人から不服の理由を十分に聞いた上、第1審判決を分析し、説得力ある控訴趣意書を作成する必要がある。控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっているといえる。…
控訴趣意の内容、控訴審の弁護方針は、被告人の1審判決に対する不服内容により異なってくる。したがって、控訴審の弁護方針を立てるにあたっては、被告人の1審判決に対する不服内容を十分に聞いた上で立てる必要がある。『被告人こそが最大の弁護人』といわれるが、被告人の不服の内容を十分に聞くことにより、事件の特色、問題点を把握でき、控訴審の弁護方針も立ってくることが多い。第1審判決の問題点も被告人の不服内容を聞いた上で分析すると問題点がより鮮明になってくることが多い。…」
要するに、説得力ある控訴趣意書を作成するには、被告人から不服の理由を十分に聞くことが不可欠であり、これこそが控訴審の弁護活動のポイントなのであって、被告人との意思疎通は控訴審での方針を決めるほど重要性があるということです。これほどまでに控訴趣意書は重要だということなのです。ただ期限に間に合うように控訴趣意書を出せばよいわけではないのです。
この事案では、弁護団は松本被告と全く意思疎通ができていません。そうなると、まともな控訴趣意書を作成できず、その結果、最初から控訴審での十分な弁護活動ができないことになるのです。だからこそ、弁護団は、控訴趣意書を出さなかったわけで、この決定に対して、弁護団は「裁判所の暴挙を絶対に許すことができない」といった激しい口調の声明を発表したわけです。
朝日新聞は「被告の訴訟能力の有無を控訴審最大の争点と位置づける弁護団にとって、趣意書を提出すれば、訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうことになるからだった。」と書いていますが、そうではなく、説得力ある控訴趣意書を出すことが重要だから、不十分なままでは意味がないとして提出しなかったと推測します。それに控訴趣意書を出することと、訴訟能力を認めることは無関係でしょう。訴訟能力があるかどうかは、医者の意見などを聞いて裁判所が決定する問題なのであって、控訴趣意書で訴訟能力を判断するわけではないのですから。
この高裁の裁判官も弁護団と被告人が意思疎通できていないことを知っているはずですし、そうなると説得ある控訴趣意書は作成できないことも分かっているはずです。それにもかかわらず、高裁決定要旨では、意思疎通できない点について触れていませんが、高裁はそれでいいと考えているのでしょうか?
この高裁決定が妥当な判断だとすると、被告人側と意思疎通できず、不十分な控訴趣意書で構わないということになってしまいます。それでは、控訴趣意書の重要性を軽視した判断となってしまうのです。
(3) そうはいっても高裁決定は従来の判例に沿った判断ですから、この決定に不服があるとして、異議の申立(刑訴法386条2項)をしても、決定の内容に誤りがあることを発見した場合に限って認められるだけですから(最高裁昭和50年7月10日決定)、認められることはかなり困難でしょう。
また、特別抗告(刑訴法433条1項)を行うとしても、憲法違反や判例違反の場合に限るのですから、この特別抗告が認められることも困難でしょう。
そうなると、第2審・最高裁で全く実質審理なしに死刑判決が確定する可能性が高いことなります。このことは既にどこの報道機関でも報道しているとおりです。
過ぎてしまったことは仕方がないのですが、弁護団は提出期限内に控訴趣意書の骨子でも提出していれば、後に補充書を提出することもできたのですから、こんなことにはならなかったのです。
弁護団の判断ミスがあるとはいえ、第2審・最高裁で全く実質審理なしで判決が確定する結果となると、これほどの凶悪重大事件について、犯罪を行ったとされる松本被告の意図がはっきりしないまま訴訟が終結するのですから、十分な真相の究明(刑訴法1条)がなされないままになってしまいます。10年という長期間に及ぶ裁判ですから、確定しても良いとの意見もあり、その気持ちは分かりますが、このような手続的瑕疵で終結してしまうことは、訴訟として不健全なことは確かです。なんとか真相の究明のため審理を行う道が無かったのか、わだかまりが残る結果となりそうです。
<追記>
東京新聞(平成18年3月28日付朝刊)において「麻原被告控訴棄却 弁護士に聞く」という表題で、滝本弁護士と岩井弁護士がコメントをしています。その中から、控訴趣意書に触れた部分を引用すると、
「弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったのは、あまりに危険な賭けだった。弁護団は麻原被告と意思疎通が図れないと話すが、1審で罪状認否をしたのだから、それに沿って控訴趣意書を作ることができる。提出期限は守るのが当たり前で、控訴棄却になっても文句は言えない。」(滝本太郎氏)
「被告人と意思疎通が図れず話も聞けないのに、弁護人が勝手に事件を組み立てて控訴趣意書で主張することは、弁護人の『誠実義務』に違反する。控訴趣意書を提出できなかったのは、やむを得ないのではないか。」(岩井信氏)
1審に不服があるから控訴するのですから、1審でした罪状認否に沿って控訴趣意書で作ればよいとするのは賛成できません。この点は岩井弁護士の方が妥当だと思います。
しかし、遅延がやむを得ない事情に基づくか否かは、控訴裁判所の裁量に属するのですから(最高裁昭和26年3月22日決定)、控訴趣意書を提出しなくても大丈夫だと思うのは「あまりに危険な賭け」で、期限内に提出しないと「控訴棄却になっても文句は言えない」のです。「提出できなかったのは、やむを得ない」では済まされません。この点は、滝本弁護士の方が妥当だと思います。
<4月2日追記>
岩井弁護士に対して、「元検弁護士のつぶやき」さんから、「そうすると、1審の弁護人も誠実義務に反するはず」とのコメントを頂きました。しかし、1審では、弁護人が真摯に意思疎通を図ろうとしたのに、被告人は公判の途中から自ら意思疎通しなくなったのですから、弁護人は誠実義務(依頼人である被告人に誠実に尽くすこと)に違反しないことは明らかです。
<3月29日追記1>
「元検弁護士のつぶやき」さんからTB、エントリー内で詳しく紹介をして頂きました。ありがとうございます。ですので、こちらからもTBさせて頂きます。
<3月29日追記2>
asahi.com(2006年03月28日23時31分)によると、
としています。「松本被告弁護団、控訴趣意書を提出
東京高裁が裁判を打ち切る決定をしたオウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)の弁護団は28日、控訴趣意書を提出した。
高裁が指定した提出期限は昨年8月末。弁護団は『被告と意思疎通ができず、趣意書を作成できない』としてそれ以降も提出を拒否し続けてきたが、今月24日になって『28日に提出する』と表明した。だが、高裁刑事10部(須田賢裁判長)は提出を待たずに27日、「遅れは『やむを得ない事情に基づくもの』とは認められない」として裁判を打ち切る控訴棄却の決定をした。このため、今回提出された趣意書を10部が受理することはないとみられる。
弁護団はまた、控訴棄却決定を不服として30日に東京高裁に異議申し立てをすることを明らかにした。」
すでに控訴棄却の決定が出ていますが、弁護団は控訴趣意書を出したようです。それにしても控訴棄却の決定を下した東京高裁は底意地が悪いですね。弁護団が3月28日に控訴趣意書を提出すると分かっていて、わざわざその前日になって控訴棄却の決定を出すのですから。控訴趣意書を受け取ってからだって控訴棄却の決定は可能なのに…。
また、東京高裁は、控訴棄却の決定要旨のなかで、
と述べています。「上記のような考えに固執して控訴趣意書を提出期限内に提出しなかった行為は、1審で死刑を宣告された被告から実質審理を受ける機会を奪うという重大な結果を招く恐れをもたらすもので、被告の裁判を受ける権利を擁護する使命を有する弁護士がその職責を全うするという点からみても極めて問題がある」
これは、実質審理を受ける機会を奪ったのは弁護人のせいだということなのでしょう。しかし、東京高裁が控訴棄却しなければ実質審理を受ける権利は奪われなかったわけで、「実質審理を受ける機会を奪う」結果を直接もたらしたのは、控訴棄却の決定をした東京高裁なのです。それを一方的に弁護人が悪いと他人事のように糾弾するのは、どうにも腑に落ちません。実務上、追完・補充・当事者の釈明などを行って、控訴棄却の決定(刑訴法386条1項)をするのは稀であるのに(半谷「判例タイムズ347号」39頁、光藤「口述刑事訴訟法下」35頁)、東京高裁はあえて控訴棄却の決定をしたのです。
<3月29日追記3>
あるブログで「訴訟能力が欠けると無罪となるのですか?」という質問がありましたので、ここでも答えてみたいと思います。
訴訟能力が欠ける場合には、原則として公判手続を停止します(刑訴法314条1項)。もし心神喪失状態が治って訴訟能力が回復した場合には、公判手続を再開します。
もし、訴訟能力が欠如したままで回復の見込みがない場合には、ずっと公判手続を停止していても無意味なので、裁判の打ち切りを認めることに殆ど異論がありません。最高裁判例(最高裁平成7年2月28日決定)も、裁判の打ち切りの余地を認めていると理解されています。
その打ち切りの方法としては幾つか学説がありますが、公訴棄却(刑訴法338条の準用)すべきというのが多数説です(田口「刑事訴訟法」(第4版)(平成17年)194頁〜)。岡山地裁昭和62年11月12日判決も公訴棄却としています。
公訴棄却によりその裁判は打ち切られ、被告人は刑務所に入ることはないのですから、実質的には無罪と同じことになります。
<4月1日追記>
あるブログとびあさんのコメントを見ていて気になったので一言。
「訴訟能力がない、とは、被告人が弁護人と意思疎通をしようと思ってもできない状態を意味します」との文章は、法的には正確ではありません。訴訟能力とは、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当の防御をすることのできる能力を状態をいう(最高裁平成7年2月28日決定、通説)のです。
被告人と弁護人が意思疎通ができないからといって、必ずしも被告人に訴訟能力が欠けているわけではありません。例えば、被告人が正気であっても、被告人が接見にきた弁護人を信用せず、接見を拒否して意思疎通しない場合は、被告人の訴訟能力は欠けていないのです。
控訴趣意書を「充実」させるには、確かに意思の疎通はあったほうがいいかもしれませんが、到底「不可欠」と解することはできないと思うのですが。
そしてもう一点。マスコミもよく「真実の発見はなされなかった」と、最高裁までいっても批判します。しかし現行刑訴法では、検察官の主張に対して弁護人が争った部分についてのみしか審理しません。弁護人が事実を争わずに訴訟能力だけを争っている以上、何十年やってもマスコミの望む真実は明らかにはなりません。弁護人が事実を争っていたとしても、控訴審はあくまで事後審です。
「本件のような事件」で、控訴審開かれなかったから真実は明らかにならなくなるという批判は当たらないと考えます。なぜなら、控訴審や上告審を開いても、マスコミの望む真実(松本被告が反省して自供して謝罪するようなこと)は到底考えられないからです。
一審でこれだけ長い真理を行っただけでは、それは真実ではなくまやかしなのですか?控訴審と最高裁を開いて、いまの弁護方針の下で争ったとして、争われている事実が変わるのですが?
「本件のような事件」では、真実うんぬんの批判は的を得ていないように思います。
URL | びあ #-[ 編集 ]
>控訴趣意書を書くには被告人との意思疎通が「不可欠」としますと、
>弁護人に対して…黙秘し続けている場合、控訴趣意書は書けなくても
>仕方がない、という結論になってしまいますがいかがですか?
弁護人が被告人と意思疎通ができない場合、本来弁護人は辞任するのでしょうね。刑事弁護に熱心に携わる弁護士の方ならそう答えると思います。
ですから、あくまで説得力ある控訴趣意書を書くように努め、基本的には「控訴趣意書は書けなくても仕方がない」のです。もっとも、控訴趣意書の提出期限がありますから…。
こういったことから、「被告人との意思疎通が不可欠」と強調して書いてみました。
当たり前のことですが、刑事裁判において弁護人は被告人のために弁護をしているのですし、刑事裁判の結果によって刑に服するのは被告人です。まして、この事件では死刑という極刑が下される可能性が高いのです。死ぬかもしれないという人の言いたい事を十分に聞いてあげる、ということくらい、被告人の法廷での唯一の保護者である弁護人が聞くのは、おかしなことではないと思うのです。
それに控訴審では事実の取調べがない可能性もあり、控訴趣意書を出して終わる可能性もあるのですから、被告人の言いたい事が法廷に出るのは控訴趣意書だけという可能性もあるわけです。弁護人が推測した被告人の意見が、控訴趣意書に取り入れられて法廷に出るのは訴訟として不健全だと思うのです。
特に東京高裁は「最初から裁判所は『この裁判は2年で終わらせる』『ふつうの裁判と同じようにやる』と豪語」(麻原控訴審弁護人「獄中で見た麻原彰晃」82頁)したそうですから、殆ど大した事実の取調べ(刑訴法393条)を行わないでしょうから、なおさら控訴趣意書の内容が重要になってくると思います。
>マスコミもよく「真実の発見はなされなかった」と、最高裁まで
>いっても批判します
マスコミは、裁判での立証と無関係に事件の真相を求めて取材し、報道することにより、国民向けに事件の真相を明らかにするのですから、「真実の発見はなされなかった」と批判するのは立場上妥当だと思います。事件の真相を明らかにすることは、今後の犯罪対策にも役立つはずですし。
それに、刑事訴訟法1条は「この法律は、刑事事件につき…事案の真相を明らかにし…」と規定し、刑事訴訟の目的は真相の究明にあるとしているのですから、控訴審での裁判もこの目的を遵守しなければならないのです。控訴審が事後審か否かは二の次の問題です。
>弁護人が事実を争っていたとしても、控訴審はあくまで事後審です
日本の刑事控訴審は、事後審と事実審が並存しています(大出=川崎=神山=岡崎「刑事弁護」162頁、光藤「口述刑事訴訟法」18頁)。事実審でもあることは、刑訴法382条が事実誤認を控訴理由として掲げていることから明白です。
控訴審は事後審であるというのが通説ですが、事実審の性格もあることも当然の前提した上で、事後審の性格をどの程度考慮するかに差異があるというのが、学説状況です。控訴審が事実審の性格もあることはどの実務家もよく分かっていることだと思います。
それに「控訴審はあくまで事後審」だとか、事後審か事実審かだけを重視して刑訴法の解釈をする学説状況(いわゆる控訴審の構造論)は、少なくとも10年以上前に終わっていると思ってました…。だからこのエントリーでも、事後審か事実審かなんて終わった議論を、一般市民もみるブログに書くことではないと、私は思ってました(汗)。最近また、控訴審の構造論の議論が復活したのでしょうか?
>「本件のような事件」で、控訴審開かれなかったから真実は明らかに
>ならなくなるという批判は当たらないと考えます。
ここのブログはもちろん、マスコミも、「控訴審が開かれなかったから真実は明らかにならなくなる」と言っているのではなく、「控訴審で実質審理をしてできる限り、真実を明らかにするように努力する方がいいのではないか」と言っていると思いますが。真実が明らかになるか否かは、控訴審を開いて見なければ分からないのですから。しかし、控訴審を開く前から、真実は明らかにならないとして真実を求めることを諦めることは、刑事裁判制度を否定するものだと思うのです。
>なぜなら、控訴審や上告審を開いても、マスコミの望む真実(松本被告
>が反省して自供して謝罪するようなこと)は到底考えられないからです。
マスコミは、被告人が反省して謝罪することまで求めているのですか? 土本武司・白鴎大大学院教授が「国民感情としては麻原被告の真意を聞く機会が失われるのは残念」(東京新聞平成18年3月28日付30面)とコメントしているように、「被告人が(法廷で)語ってほしい」というのがマスコミも含め誰もが求めていたことだと思いますが。
実質審理が開かれないと、被告人質問・陳述がないまま終わってしまうのです。凶悪重大事件であるのに、その事件の首謀者の意図・動機がよく分からないままでいいのか? と思うのですが。
>一審でこれだけ長い真理を行っただけでは、それは真実ではなく
>まやかしなのですか?
長期間裁判をしていたら真実であったといえる、とは言えませんよね? 何十年も争って冤罪であったとして無実が証明されたりするわけですから。裁判が長期か短期かということ真実があったか否かは無関係です。元々、17件という公訴事実の多さ、証拠の多さ、事前開示証拠の点数は1万5千点を超えているからこそ(渡辺「刑事弁護雑記帳」234頁)、長期間の裁判になったのです。
>弁護人が事実を争わずに訴訟能力だけを争っている
>いまの弁護方針の下で争ったとして、争われている事実が変わるのですが?
心神喪失ゆえに訴訟能力が欠けるなら公判手続を停止する(刑訴法314条)のがわが国の刑事訴訟法の立場ですから、今の被告人の状態からすれば(麻原控訴審弁護人「獄中で見た麻原彰晃」参照)、訴訟能力を争うことはごく自然なことだと思います。もちろん、心神喪失状態というのは弁護人側の見方ですが。
1審では16件について無罪であると争っていました。控訴審では、訴訟能力の有無は争う予定であったとは思いますが、それ以外の点についてどういう弁護方針を予定していたかは、私は被告人の弁護人ではないのではっきり分かりません。ただ、訴訟能力の有無とともに無罪を争う予定であったとは思います。無罪を争うなら、「争われれている事実が変わる」可能性はあるわけです。あくまで可能性はあるというだけですが。
このブログによって、びあさんが控訴趣意書とはどういうものか、少しでも分かって頂けたかと思います。
ところで、びあさんは、法律に関心があるのですね。ここのブログではかなり濃厚に法律論を論じていますし、他のエントリーでも法律論をいっぱい行っています。ぜひご覧下さい。
批判的なコメントも全く構いません。これからもぜひ見に来てください。
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