1.まず、報道記事から。
(1) 日経新聞平成19年10月25日付朝刊42面
「死刑確定から執行までの期間、法改正で延長も・法相
鳩山邦夫法相は24日の衆院法務委員会で、死刑執行命令は判決確定から6カ月以内と定めた刑事訴訟法について「規定が実態に合わず、半年というのがあまりに短すぎるならば、国会に諮って若干延ばす方法があるかもしれない」と述べ、法改正の可能性に重ねて触れた。公明党の神崎武法氏らへの答弁。
刑訴法は「死刑の執行は法相の命令による」などと定めるが、再審請求や恩赦などの可能性を考慮し、判決確定から半年以内の命令はほとんどないのが実態だった。 (23:00) 」(日経ネット10月24日(水))
(2) 産経新聞2007.10.24 22:50
「死刑執行までの期間 法改正も 鳩山法相
2007.10.24 22:50
鳩山邦夫法相は24日の衆院法務委員会で、死刑判決確定から法相による執行命令までの期間を刑事訴訟法が6カ月以内と定めていることについて、「半年という規定が実態に合わずあまりに短すぎるなら、国会に諮って若干延ばすという方法もあるかもしれない」と述べ、法改正の可能性を示唆した。
神崎武法氏(公明)の質問に答えた。法務省は昨年10月の参院法務委員会で、平成8年から17年までの10年間に死刑を執行した32人の刑確定から執行までの平均期間は約7年5カ月だったことを明らかにしており、実際の執行手続きは刑訴法の規定通りに行われていないのが実情だ。
さらに、保坂展人議員(社民)に絞首刑に対する考え方を聞かれた鳩山法相は、「現行法がそうであることは十分認識しているが、何かもっと少し安らかな方法はないかという率直な思いはある」と答弁した。
鳩山法相は9月に東京拘置所を視察。その際に刑場の様子を見ており、「(刑場を見て)思い出したのはフランキー堺さんが主演したドラマ『私は貝になりたい』。刑の執行という恐ろしいドラマで、あの衝撃は忘れ得ないものがある」と述べた。」
(3) 朝日新聞平成19年10月25日付朝刊37面
「「絞首刑、もっと安らかな方法は」 法務委で鳩山法相
2007年10月24日20時00分
就任以来、死刑執行のあり方をめぐる発言を続けている鳩山法相は、24日の衆院法務委員会での答弁で、死刑確定から執行まで平均で7年以上かかっている現状と、「法相は確定後6カ月以内に執行を命令しなければならない」とする刑事訴訟法の規定とのずれに違和感を示した。そのうえで「短すぎるなら延ばす方法もある」と述べ、期間について見直しも視野に検討していく考えを明らかにした。
法相は執行方法についても言及。「(絞首刑より)もっと安らかな方法はないか、という思いはある」と語った。」
この発言には、2点の法律問題が含まれています。すなわち、
です。<1>刑訴法475条2項本文は、死刑執行命令は「判決確定の日から6箇月以内」に行わなければならないとしていますが、実態と合っていないため期間延長のための法改正を行う可能性があるとしたこと、
<2>絞首刑は、刑法11条1項で「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」と規定する死刑執行方法ですが、もっと安らかな執行方法を願うとした(法改正の意図もあるかは不明)こと
前者は神崎武法・公明党議員、後者は保坂展人・社民党議員の質問に答えたものです。以下、それぞれ検討していきます。
「鳩山邦夫法相は24日の衆院法務委員会で、死刑執行命令は判決確定から6カ月以内と定めた刑事訴訟法について「規定が実態に合わず、半年というのがあまりに短すぎるならば、国会に諮って若干延ばす方法があるかもしれない」と述べ、法改正の可能性に重ねて触れた。公明党の神崎武法氏らへの答弁。」(日経ネット)
(1) 10月23日の閣議決定によって、鳩山法相が希望していた「死刑自動執行化」は認められなくなったのですから(「死刑自動執行“必要なし”と閣議決定~やはり鳩山発言は思いつきだったわけだ……。」参照)、少なくともは鳩山邦夫氏が法相でいる限り、「期間延長後は、一律に執行(=自動的に執行とほぼ同じ)するのではないか?」と強く疑われてしまう以上、果たして刑訴法475条2項本文の期間延長はできるのだろうか、の疑問はあります。ですから、この質疑自体、不可解な感じがします。
不可解な質疑であることから、死刑を巡る無責任発言によって身の置き所がない鳩山法相、P献金といった怪しげな献金に対して捜査をしてほしくない公明党という関係ですから、鳩山法相と公明党との間に「取引」があったのだろうかと、いらぬ邪推をしたくなります。
(2) それはともかくとして、鳩山法相は、刑訴法475条2項本文の法改正の可能性について触れていますが、刑事訴訟法475条2項本文が、6ヶ月の期間内での執行を定めていることにつき、実態(平均7年5ヶ月)に合わず短すぎるからということで改正する必要があるのでしょうか?
この点、死刑確定者Xが、国に対して、法務大臣が死刑判決確定の日から6ヶ月以内にXに対する死刑執行を命じなかったことが刑事訴訟法475条2項に違反すると主張して、国家賠償法1条に基づき、慰謝料の支払いを求めた事案について、東京地裁平成10年3月20日判決は、刑事訴訟法475条2項の趣旨について触れつつ、判断を示していますので引用しておきます(判例タイムズ983号222頁)。
「一 刑事裁判の執行は、一般に、その裁判をした裁判所に対応する検察庁の検察官の指揮のみをもってこれを行い得るものとされているが(刑訴法472条)、刑訴法475条1項が特に、「死刑の執行は、法務大臣の命令による。」と規定している趣旨は、死刑執行という事柄の重大に鑑み、特に慎重な態度で挑むため、その指揮を我が国の法務行政事務の最高責任者である法務大臣の命令に係らせたものであると解される。
そして、刑訴法475条2項本文は、法務大臣の死刑執行命令は、死刑判決確定の日から6ヶ月以内にしなければならないと規定している。
思うに、同項の趣旨は、同条1項の規定を受け、死刑という重大な刑罰の執行に慎重な上にも慎重を期すべき要請と、確定判決を適正かつ迅速に執行すべき要請とを調和する観点から、法務大臣に対し、死刑判決に対する十分な検討を行い、管下の執行関係機関に死刑執行の準備をさせるために必要な期間として、6ヶ月という一応の期限を設定し、その期間内に死刑執行を命ずるべき職務上の義務を課したものと解される。
したがって、同条2項は、それに反したからといって特に違法の問題の生じない規定、すなわち法的拘束力のない訓示規定であると解するのが相当である。(中略)
四 さらに、原告は、刑訴法475条2項は、B規約6条1項に反する恣意的な取扱いを許容するものではないから、法務大臣が刑訴法475条2項に違反して原告に対する死刑執行を命じない行為は、国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるべきであるとも主張する。
しかし、既に検討したとおり、刑訴法475条2項は法的拘束力のない訓示規定であると解すべきであるから、法務大臣の同項に違反する行為は、それが恣意的な判断に基づくと評価されるか否かにかかわらず、国家賠償法1条1項の違法の問題を生じさせるものではない。」
要するに、刑訴法475条2項は、それに違反したからといって特に違法の問題を生じない、すなわち法的拘束力のない訓示規定であり、また、法務大臣に対し期間内に死刑執行を命ずるべき国に対する職務上の義務はあるが、死刑確定者に対する義務はないということです。
言い換えると、法的拘束力のない訓示規定なのですから、6ヶ月という期間にほとんど意味がないことになります。
このように、6ヶ月という期間にほとんど意味がないのですから、「刑事訴訟法475条2項本文が、6ヶ月の期間内での執行を定めていることにつき、短すぎるからということで、刑事訴訟法を法改正する必要」はないのです。おそらく、法務省の官僚は、鳩山法相に対して、何度もこの下級審判例を含めてレクチャーしたはずですが、鳩山法相は少しも覚えていないようです。
仮に期間を延長するとしても、適切な期間とは何年だとするのでしょうか。実際は平均7年5ヶ月ですから一律に7年5ヶ月にすることも考えられます。7年間は命の保障があるということで心の安寧が得られるという利点はあるともいえますが、7年に及ぶ長期間を経て執行することには変わりがないのですから、やはり死の恐怖を感じさせたままということになり、人の尊厳を害するといえるのですから、長期間の定めが果たして妥当なのかどうか、疑問があります。
しかも、仮に7年5ヵ月後一律に執行するという法改正にするのであれば、そうすると冤罪の可能性も断ち切って執行することにつながるのです。そのような法改正は自動執行化と同様ですから、10月23日の閣議決定に反するものであって、そのような法改正は不可能に近いのです。
単に、死刑執行まで平均7年5ヶ月という実態に合わせるだけの法改正も可能ですが、ただ実態に合わせるだけの法改正は、法改正の必要性が乏しいのです。期間延長問題は、死刑囚の命をいつ断ち切るのかという極めて深刻な問題ですから、債権の時効期間を延長するのとは重要性に雲泥の差があります。鳩山法相が思っているほど、そう安易に改正することは難しいと思われます。
3.2点目は、<2>刑法11条1項の死刑執行方法見直し問題です。
「(保坂(展)委員:)「絞首刑について一考の余地がある」というふうに鳩山大臣はおっしゃっているようですけれども、どういうお考えですか。
鳩山国務大臣:たしか、保坂先生がデッサンされた絵ですよね、あれは。私も見せていただきましたし、私も刑場を見学いたしました。それは、皆さん手を合わせてから入場をするわけです。
私が思い出したのは、フランキー堺さんが主演をして日本全体がしいんとなったという「私は貝になりたい」。その後、所ジョージさんが再演をされたのも見ました。子供心に、刑の執行という恐ろしいドラマ、あの衝撃は忘れ得ないものがあります。そのことをやはり思い浮かべました。クラッカーかチーズかワインか何かを与えられて、教誨師の方がおられて、それで何杯か飲んで執行されたのが「私は貝になりたい」の主人公でありました。
今はそういうことはしないようではございますけれども、あの刑場で、どんと四角いところがおっこちていく。絞首刑ということは刑法11条に書いてあるわけですから、死刑は絞首をもって行うと。現行法がそうであることは十分認識いたしておりますが、何かもっと安らかという方法が、安らかという表現はどうか、何かないのかなという率直な思いはあります。
ただ、あれは、だんと落ちるから、首の骨が瞬間に折れて意識を失うから、だから残虐ではないという説もあるそうですけれども、まあ残虐ではないですね、あの憲法のように。何をもってむごいかどうかということは多少考える余地があるんじゃないかなというのは、私の問題意識としてはあります。ただ、現行法がそう書いてあることも認めております。」(「保坂展人のどこどこ日記」さんの「鳩山法務大臣と「死刑制度」をめぐって議論を開始(議事録付) (2007年10月25日)」)
(1) 保坂議員が「絞首刑について一考の余地がある」というふうに鳩山大臣はおっしゃっているようですけれども、どういうお考えですか」と述べているように、保坂議員は鳩山法相の発言を掲載した記事を見たために質問したのです。保坂議員が鳩山法相の発言記事を掲載しているのは、朝日新聞だけです。その朝日新聞の記事(朝日新聞へのインタビュー記事)を引用しておきます。
「死刑存廃 日本の道は 国連・欧州非難/高い世論の支持
「法務大臣が絡まなくても死刑執行が自動的に進む方法はないのか」。鳩山法相の「暴言」が沈滞する日本の死刑存廃論議に一石を投じそうだ。国連や欧州会議は死刑をめぐって日本を強く非難しているが、国内では存続に世論の高い支持がある。今後の議論はどこへ向かうのか。(市川美亜子)(中略)
◆鳩山法相「絞首刑には一考の余地」
死刑の「自動化」発言で物議を醸した鳩山法相が朝日新聞のインタビューに答えた。発言の真意や死刑廃止論に対する答えなどを聞いた。
――執行に法相が関与しないという発言を、死刑廃止論者、存続論者の双方が非難しています。
「杉浦正健(元法相)はうんと考えて執行を認める判子を拒否した。長勢甚遠(前法相)はうんと考えて判子を押した。2人も偉いが、あなたは逃げている」と、ある人に言われた。だけど、一生懸命2人が考えた結果が全く違う。大臣の考えによって「やらない」「やる」と分かれることが問題なのではないか。
――思いつきの発言との批判もあります。
私なりに「この問題をだれも提起しなかったら今の状態が続く」と苦しんだ。法務省の官僚は「パンドラの箱を開けるのか」と言ったが、あえて開けてやろうじゃないかと。とにかく議論にならないことを望むのは間違った姿勢だ。
――国家が人の命を奪う重さゆえに、法相が慎重に執行を決める仕組みになっているのでは。
対象者の資料を精査するのは法務省の役人で、大臣が実際に読むわけではない。「自動的に」と言って批判されたが、専門的な機関が検討して大臣がその答申を尊重するような仕組みも考えられる。勉強していきたい。
――執行された人の名前も明かさない姿勢は。
それも変。名前を明かさないのは「死刑確定者や家族への配慮」と法務省は言う。だが実際は(メディアを通じて)名前は出る。それを法務省も知っていながら「配慮」と言う。そこに矛盾を感じる。
――絞首刑という執行方法をどう思いますか。
刑場を視察したが、絞首刑には一考の余地があるように思った。もっと苦しみのない方法があればと思う。
――国際的には、死刑廃止や執行停止の流れが加速しています。
十二分に承知している。ただ、私には死刑廃止論はドライに思えてならない。何人殺しても生きられる制度はドライだなあと。死刑確定者の命以上に重要なことはいま無辜(むこ)の人が殺されていること。日本はウエットな「美と慈悲の文明」を持つ。命を奪えば死をもって償うべきだと解釈できる。死刑廃止を訴える団体がどう考えているか、聞いてみたい。」(朝日新聞平成19年10月17日付朝刊3面)
このインタビュー記事があったために、保坂議員が法務委員会で死刑の執行方法につき質問を行い、鳩山法相が死刑の執行方法を見直すような発言を行ったのです。死刑制度の見直しに着手したともいえるのですから、朝日新聞のお手柄であったといえるかと思います。
朝日新聞が鳩山法相の発言を紙面やHPに記事として掲載することは、記事の一連の流れからして極めて自然ですが、1.で触れたように産経新聞が一番詳しく記事にしていたので、かなり笑えます。いわば、朝日新聞の手の上で鳩山法相が述べた発言であり、いわば朝日新聞の手柄となるような出来事であったのに、産経新聞がその「朝日の手柄」を詳しく記事にしてしまい、朝日新聞の手の上で踊ったのですから。朝日新聞にとっては、産経新聞は実に御しやすく愛おしい存在でしょう。朝日新聞と産経新聞はいい文通相手のようです。
(2) では、刑法11条1項が定める「絞首刑」という死刑執行方法を見直すことは可能でしょうか?
絞首刑は、「残虐な刑罰」を禁じる憲法36条に違反しないとするのが最高裁の立場です(最高裁昭和30年4月6日大法廷判決)が、憲法36条に違反しない限り、他の執行方法に法改正すること自体は、抽象論としては可能です。また、坂本敏夫著『元刑務官が明かす死刑のすべて』(文春文庫)126頁によると、体重が死亡までの時間と関係があるので(体重65キロだと20分近くかかる)、死亡までかなりの時間を要することからすると、「残虐な刑罰」に当たるのではないか、と解することも可能です。
しかし、他に適切な方法があるといえるのでしょうか。
例えば、米連邦最高裁は、致死薬物の注射で処刑する方法の合憲性について審理すると決めています。それは、致死薬注射による処刑は時間を要し苦痛を伴うため、合衆国憲法修正第8条で禁じている『残酷で異常な刑罰』に違反する可能性があるからです(「JanJan:米国/死刑制度:死刑執行の一時中止相次ぐ(2007/10/13))。
その結果、米国では死刑執行の中止が相次いでおり、憲法が禁止する「残酷かつ異常な刑罰」に当たるか、最高裁が判断を下すまで事実上の死刑中止が続ことになりそうと推測されています。安らかな方法といえば、米国で行われている致死薬注射による処刑ぐらいしか考えにくいのですが、米国では死刑執行が全面的に中止されそうな情勢なのです。鳩山法相は、米国の現状を知った上で発言しているとは到底思えません。
また、国連では死刑執行停止の決議が予定されており、そういった国際社会の情勢からすれば、むしろ日本政府は死刑停止を検討するべきなのに、死刑存続を前提として死刑の執行方法を変更することを検討するのですから、国際社会からすれば奇異な行動と映るに違いありません。
しかも、何度も触れていることですが、日本は拷問禁止条約に加入しており、拷問禁止委員会から死刑執行の停止を勧告されているのですから、条約を遵守するのであれば、死刑の執行方法の検討ではなく、死刑停止の実施が求められているのです。
刑法11条1項が定める「絞首刑」という死刑執行方法を見直すことを考えること自体は可能であり、絞首刑がもっとも適切であるはいえないまでも、国際情勢からすれば、執行方法の変更ではなく死刑停止が適切なので、執行方法の変更はかなり困難であるように考えます。
4.保坂議員も述べているように、鳩山法相が死刑と言う重い問題について黙ってしまうことなく、議論すること自体は評価に値します。しかし、ここまで検討したことから分かるように、発言内容はどうにも思い付きの域を出ていないのです。
「拝啓、鳩山法務大臣殿――鎌田慧(かまた さとし)
死刑執行について、あなたは、その責任を法務大臣におおいかぶせるな。「ベルトコンベヤー」的な「自動化」を、と主張されました。
あまりにも露骨なご発言でしたので、自分の手で絞首台に送るのがいやなので露悪的に表現した、と理解したのですが、その後、「はんこを押すかと聞かれれば、わたしは押します」とあっさりされているので、なんと人騒がせな、と拍子抜けさせられた次第です。法務省職員への訓示では、「大胆にいきますのでよろしく」と「ハト山」ならぬ「タカ山」的な発言で、おそらく、死刑確定囚たちは、震え上がっていることでしょう。
もしも、死刑確定後6ヶ月で自動的に処刑されるなら、免田栄、谷口繁義、斉藤幸夫さんなど、冤罪(えんざい)死刑囚は釈放されることなく、袴田巌、奥西勝さんも、とっくに処刑されていた。
折りしも、お隣の韓国では、「死刑廃止国家宣布式」がおこなわれているのに、日本は、国連欧州本部や欧州会議で批判されてもわれ関せず、いまや米国、中国、北朝鮮と並ぶ人権低国のようです。
あなたはいうに事欠いて、「日本は美と慈悲の文明だから死をもって償え」と奇妙な理論化をされていますが、慈悲は寛容とはちがうのですか。
死刑制度は国家の悪癖ですから、政治家が廃止を決意すればいいだけのことです。死刑制度が犯罪抑止力になる、とは根拠のない迷信の類(たぐい)なのです。(ルポライター)」(東京新聞平成19年10月23日付朝刊27面「本音のコラム」)
どう発言しようとも、「大胆にいきますのでよろしく」と述べているのですから、一連の死刑制度の見直し発言はとても本気で言っているとは思えないのです。
「あなたはいうに事欠いて、「日本は美と慈悲の文明だから死をもって償え」と奇妙な理論化をされていますが、慈悲は寛容とはちがうのですか。」
「日本は美と慈悲の文明」であると口癖のように述べていますが、慈悲の文明だとなぜに命を奪うことにつながるのか、論理性も欠如しているのです。
鳩山邦夫氏に理解力を求めることは不可能なようですから、死刑制度の議論を行うことだけは欠かさないようにして世論の関心を集め(議論は無理ですが)、拷問禁止条約に基づき死刑執行の停止を行うよう努めることだけを行うべきであると思います。
ただ、冤罪、誤判決が多い現状、判決確定後、一定期間(例えば5年くらい)は執行して欲しくないですね。(←捜査、聴取の可視化が急務)
また、死刑囚の心からの悔恨、謝罪の表明が有って、やっと僅かながらも被害者遺族(及び社会)の傷ついた心の修復が為される、という現実も有るようですから、この期間には、死刑囚をして、自らの心と向き合う時間と言う意味を持たせてもよいかと。
死刑存置に加え、絶対終身刑の導入も必要と考えます。 これによって、現状、裁判官が死刑判決に踏み切れない場合、自動的に無期判決となり、結果凶悪犯が再び世に出て来て自由を享受するという悪夢に、被害者遺族(及び社会)が苛まれることを避けられます。
更に、殺人罪の時効、有期刑の仮釈(刑期短縮)も廃止して欲しい。
捜査、鑑定技術の進化により、例えば犯行後50年経っても公判の維持は可能でしょう。
刑罰は犯罪時の事実、人格に科せられるもので、その後の服役態度によって、これが短縮されるというのは理解しかねます。 ただ、現下の仮釈の代わりに、社会復帰の準備の意味も込め、待遇の大幅改善 -面会の自由、希望の技能習得など- は考慮してよいと思います。
また、お喋りが過ぎました。
ご容赦下さい。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>尊厳だとか、美と慈悲の文明だとか、死刑廃止論者は……
このブログとしては、尊厳は憲法論の立場からの根拠として使っています。
他方で、鳩山法相は「日本は『美と慈悲の文明』をもつので死刑肯定」としているようですが、なぜ「慈悲=死刑にせよ」になるのかよく分かりません。日本に古来から根差していた仏教観からすれば、不殺生戒があるので、死刑制度を存続させることは難しいはずなのですが。「美と慈悲の文明」論が、日本古来の仏教観と無関係であるなら、そんな文明論は虚偽だと思いますけどね。
>何故“死は死をもってのみ贖われる”という単純応報刑の視座で、この問題を考えられないのでしょうか。
死刑制度の是非については、ずいぶんと迷っていましたが、死刑制度廃止が妥当と考えるようになりました。その理由として、拷問禁止条約に加入し、日本が死刑停止を勧告されていることがあるのですが、一番の理由は鳩山法相の発言です。
犯罪者といえども国民であるのですから、生命を保護するのが国の責務である以上、法律に基づきその命を奪うのも国(内閣)の責務となるはずです。だから、死刑執行の最終責任者は法務大臣又は首相でなければなりません。刑事訴訟法475条は、当然の規定なのです。
ところが、鳩山法相は、「大臣の署名を不要にしたい、大臣に責任を負わせないようにする」として、国の責務を放棄するという極めて無責任なことを堂々と主張したのです。そして、福田首相は、無責任発言をした鳩山法相を罷免しないのです。
このように、国が責務を負うことが宿命付けられている死刑という刑罰であるのに、国がその死刑という刑罰の責任を放棄してしまうのであれば、刑罰としての正当性を認めることはできません。鳩山法相という内閣の一員が、死刑という刑罰の責務を負わないようにしたいとしているのであれば、そんな無責任な内閣に成り下がった以上、もはや日本では死刑制度の維持は困難だと思いました。
>冤罪、誤判決が多い現状、判決確定後、一定期間(例えば5年くらい)は執行して欲しくないですね。(←捜査、聴取の可視化が急務)
「可視化が急務」は同感です。
昔から今でも色々な自白の強制の方法があり、冤罪はありますが、最近は、親兄弟などの名前を書いた紙を踏ませて自白を強要するといった事件があり、限界を超えたような強要さえも行っています。背景には捜査官の捜査能力が低下しているのだと思いますが、こんなことまでやるようだと、冤罪は増えるでしょうね。
>殺人罪の時効、有期刑の仮釈(刑期短縮)も廃止して欲しい。
>捜査、鑑定技術の進化により、例えば犯行後50年経っても公判の維持は可能
時効(公訴時効)の廃止の是非についてだけ言及しておきます。
公訴時効の性質、すなわち公訴時効が存在する理由としては、従来からご指摘のように、「時の経過により証拠が散逸して事実の発見が困難になる」ことが挙げられています。
ただ、現在では、犯人が一定期間訴追されなかったため、そのもとで形成されてきた心理上及び社会生活上の安定状態を尊重し、死ぬまで起訴されて処罰されるかもしれないという危険を防止するという点に求めるのが、学説上の多数説です。
確かに、科学技術の発達により「犯行後50年経っても公判の維持」は可能でしょう。捜査機関としては。近年、公訴時効の期間を延長する改正を行っていたりもしています。
また、被害者側としては、特に殺人事件であれば何時までも時効にかかることなく、犯人を処罰してほしいと願うこともあると思います。
しかし、権力はなく資力も乏しい被告人の側としてはどうでしょうか? 50年後であっても無罪を証明する証拠を集めることが可能なのでしょうか? 時効期間を延長することはもちろん、公訴時効の廃止は冤罪を増大させる危険をもたらしてしまうのです。このような冤罪の危険性の増大は、殺人罪だけは当てはまらない、とはいえないでしょう。
このようなことから、(殺人を含む犯罪は殺人罪だけでなく、強盗殺人罪など幾つかありますが)殺人罪の時効の廃止は妥当性があるとはいえないと思います。
なお、今後も、公訴時効の期間が延長することもあると思います。ただし、例えば「殺人罪の時効期間を50年」(現行法は25年)というのちょっと考えにくいと思います。50年経過すると犯人(及び証拠となる証人)が死亡している可能性がかなり高くなるので、事実上意味がないと思われるからです。
権限を付与される”ということは、これを適切に“発動する義務を負う”ということですから、鳩山法務大臣の振る舞いは顕かな職務放棄であり、恐らく国家公務員法なり何なりに違反しているのでしょう。
法務大臣が罪人、たわけ者だから、法律を変えるべしとは、本末転倒ではないでしょうか?
先ず絶対終身刑の導入を急ぐべきですね。 これが案外、被害者遺族の傷ついた心の修復に最も有効であるやも知れず、その時に改めて死刑存廃の議論をすればよい。
時効について、
被害者遺族の傷ついた心の修復は放置されるのですか?
“犯人が一定期間訴追されなかったため、そのもとで形成されてきた心理上及び社会生活上の安定状態を尊重”することが、被害者遺族を苦しめ続け、場合によっては家族は崩壊し、地獄を這いながら生き続けねばならない状況を強いている、我々はこのような不公正な社会に生きたくはない。
“権力はなく資力も乏しい被告人”のために、国選弁護人がしっかりと本分を果たし、検察の主張の不備を突き、無罪判決を勝ち取る、これもまた公正な社会の姿です。
冤罪云々とは別問題でしょう。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>法務大臣が罪人、たわけ者だから、法律を変えるべしとは、本末転倒ではないでしょうか?
鳩山法相は、これほど思慮の欠けた人物はまずいないと思えるほどの発言を繰り返し、最近では、「国際テロ組織と関係があるかのような発言さえ行っています。だから、単に一個人固有の問題の面があることは確かです。しかし、鳩山氏が麻生太郎氏を支援したから、福田首相が仕方なく法相の地位を認めたからとはいえ、現在の内閣の一員なのです。内閣の一員としての発言であることを重視すべきであると思うです。
振り返れば、安倍晋三氏も多くの人が期待していましたが、途中で政権を放り投げるという、前代未聞の無責任ぶりでしたが、参院選後、自民党内部では辞任させておれば、そんな醜態をさらさずにすんだのに、自民党にはそれだけの力はありませんでした。
長年続いた自民党政権の下では、実に日本の内閣は、無責任さが蔓延してしまっているように思うのです。ですから、鳩山氏の無責任さは、並外れたものであるとはいえ、鳩山氏が「罪人、たわけ者」だとして一個人のだけの問題とはいえないのです。近年特に内閣が無責任になり、こういった積み重ねの上での鳩山発言であって、これほどの無責任内閣ゆえに、命を奪うという死刑の重みを負わせるのは無理だろうと思ったのです。
>時効について、
>被害者遺族の傷ついた心の修復は放置されるのですか?
ここでいう「時効」は「公訴時効」のことです。事件発生後何時まで起訴(裁判)できるかについて、刑訴法は時効期間を設けて制限しているわけです。
刑事裁判では、検察側が証拠に基づき立証し、被告人側が防御をするという構造ですから、証拠がなければ起訴さえできませんし、およそ長期間経た後に起訴されたのであれば、防御するための証拠がなく、誤判の危険性が高くなるのです。長期間経過した事件について、冤罪であるとの立証が極めて難しいことを考えてみると、長期間経過後の防御の難しさが分かると思います。
このように刑事裁判は、被害者感情を晴らす場ではなく、あくまで検察、被告人、裁判官という三当事者間でなされる訴訟活動であり、被害者遺族は訴訟の主体ではない以上、被害者感情は二の次なのです。
他の観点からも考えることができます。それは捜査の点です。
公訴時効が存在するということは、時効期間が経過すれば捜査の必要性がなくなるということです。捜査は起訴するからこそ行うものだからです。
理想とすれば、ずっと捜査し続けることで必ず犯人が見つかるとよいとは思います。特に未解決なままの凶悪事件(世田谷一家殺害事件など)は、ぜひ解決してほしいと思います。しかし、もし時効がなければ、その事件処理のために解決するまで永久に捜査し続けることになりますが、そうなれば他の事件解決にも支障が生じてしまい、さらに未解決事件が増えていくことになりかねません。捜査人員は有限なのですから。
将来の事件処理へ及ぼす影響、事件処理が長期化した場合、実際上、解決することが困難になっていることも考慮すれば、公訴時効によって捜査活動を打ち切ることもまた、妥当性があると思うのです。
刑事裁判で被害者遺族の傷ついた心の修復を行う面もあるとは思います。しかし、刑事裁判はあくまでも訴訟手続なのですから、心の修復を専門として行うものではないのです。心の修復は、医療機関や行政による手立ての方がより長期間行うことができますし、直接的で効果的だと思います。
やはり、司法と行政の役割分担の問題であって、本来、行政が行うべきことを司法に背負わせようとすることは無理があるように思うのです。
>“犯人が一定期間訴追されなかったため、そのもとで形成されてきた心理上及び社会生活上の安定状態を尊重”することが、被害者遺族を苦しめ続け、場合によっては家族は崩壊し、地獄を這いながら生き続けねばならない状況を強いている、我々はこのような不公正な社会に生きたくはない。
事実状態の尊重というのは、時効制度に共通する一般的な説明です。民法では、よく説明することを、刑事訴訟法の場面でも、説明として使っているということです。
「被害者遺族を苦しめ続け」ることはあるとは思います。遺族の苦しみに時効はないでしょう。では、遺族のいない被害者の場合は、どう説明するのですか? また、被害者遺族が犯人だった場合はどう説明するのですか?
遺族がいない場合には、すぐに時効となる……とするわけにはいきませんし、被害者遺族が犯人だったら、訴追しない……とするわけにはいきません。やはり、被害者遺族の有無、被害感情などで、公訴時効を説明するのは困難なのです。
>“権力はなく資力も乏しい被告人”のために、国選弁護人がしっかりと本分を果たし、検察の主張の不備を突き、無罪判決を勝ち取る
何十年経っても刑事裁判に耐えられるような、有り余る資力を持つ被告人は、ほとんどいません。ですから、国選弁護人であろうが私選弁護人であろうが、訴訟活動に投じる費用はあまりにも少なく、強制力をもって、膨大な人員をもって捜索することもできないのです。捜査機関と異なって。
あまりにも力の差がある現状であるからこそ、現在有罪率が9割なのです。「弁護人がしっかりと本分を果たし、検察の主張の不備を突き、無罪判決を勝ち取る」なんて、そんな事案はほとんどありません。「取調べの可視化」もなく、費用も人員もないまま、「しっかりと本分を果たす」なんて理想は果てしなく遠いと思ってもらう方がいいと思います。
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法理解釈において、仰る内容にほとんど異論は有りません。
専門家でいらっしゃる(?)貴兄はあくまで法理の視座で語っておられる。 私は法の専門家ではないので、社会学的な(って、これも専門じゃない!)視点に重きを置いているのかも知れません。
前にも言ったかも知れませんが、“法理に無知な大衆が、被害者遺族の感情に便乗し、怒りを愉しんでいる”、“司法がポピュリズムに堕している”目下の状況を深く憂いています。
その私が、かくも被害者遺族感情に拘るのは、上述のような大衆ばかりではなく、遺族の心象を深刻に共有し、この社会は公正を欠いている(刑罰により罪がcompensateされない)との思いを拭えず、そんな国を誇りに思えず、信頼も出来ない、そう考える真っ当な市民も決して少なくないからです。 “社会も傷を負う”とはそういう意味です。
>~理想は果てしなく遠いと思ってもらう方がいいと思います<
とは思わないんですね。 ポピュリズム、衆愚政治などを批判していながら、非常にずるいのですが、警察、検察のポカにより、無辜の市民が不当に扱われる、という様相は、ポピュリズムととても相性が良い。 だから、“クレバーで、強かな智恵者”が、国民の感情をうまくコントロールしながら煽れば、存外早く実現する(司法の可視化、国選の充実等々)のではないか、と思ったりします。
新制度で弁護士も増えるようですし、国選だけでも十分に食える様にすれば、本分を果たそうとのインセンティブになるでしょう。 問題意識を有する人々の間では、欧米先進国と比した場合の、我が国の有罪率の異常な高さ、冤罪、誤判決の多さが、以前よりは認識されて来ているようですし。(少なくとも私の周囲では。 私が煩く言うので!)
公訴時効についてですが、貴兄の述べられる理由により、有る時期(現行の時効でもよい)以降は、積極的捜査を止める(何がしかの法的な一線を引く)、ということで構わないと思います。 殺人事件に時効の無いアメリカあたりの実情を参考に、日々の捜査に支障の生じない日本型システムを考えてもらいたいものです。
突然、話のレベルが落ちますが、今WOWOWで『コールドケース(=未解決事件)』というアメリカのTVドラマが放映されています。 何十年も前の事件の、新たな証拠、証言が警察に持ち込まれ、これにより捜査が(受動的に)再開され、犯行当時は見えなかった複雑で、深遠で、時に悲痛な事実、人間関係が浮かび上がり、犯人が逮捕される、という一話完結の感動的な(観ている私が癒される!)ドラマでして、主演女優が私の大のお気に入りで.....、あ、スイマセン、与太りました。
また、お喋りが過ぎたようです。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
>遺族の希望が、量刑や死刑の執行に影響を与えるなら、今度は、遺族が残らないように、皆殺しにする殺人者が現れる……
仰るとおり、遺族感情を量刑上重視するのであれば、皆殺しの可能性もありうる話です。
光市事件裁判では、被害者意見陳述制度に基づいて、被害者遺族2名が意見陳述を行いましたが、ほかの事件では、実際上、意見陳述が量刑に影響(重罰化)を与えているようです。意見陳述制度を創設した当時は、「意見陳述により重罰化しない」という説明がなされていたにもかかわらず。
>どうせ死刑ならもっと殺しておけ、というのは昔からある話
もし、1人でも殺害すれば死刑となることが確実となれば、1人殺害した犯人は、必死で逃亡することになるか、「どうせ死刑なら」と自暴自棄となって次々と殺害する可能性が高くなるでしょうね。
少し前に、1人殺害でも死刑にしてほしいという署名が多数集まったとの報道がありましたが、もし「1人でも死刑」という方向で判例が確定すれば、その判例が及ぼす影響は深刻な事態を与えそうです。
>日本の司法は、死刑の拡大のための「殺人」事件の増加という、壮大な社会実験に踏み出しつつあります……
仰るとおり、光市事件最高裁判決以降、従来ならば無期懲役にとどまっているような事件が死刑判決になっています(たとえば、小林薫氏が被告人となった奈良小学1年女児殺害事件)。
検察官や裁判官が、裁判により人の命を奪うことの恐れが希薄になり、日本の世論に流されて冷静さを欠いてしまっているようです。
>丁寧なコメント有難うございます
すべて納得してほしいというわけではなく、「なるほど一理あるな」と思って頂ければいいと思います。
>>~理想は果てしなく遠いと思ってもらう方がいいと思います
>とは思わないんですね。
>新制度で弁護士も増えるようですし、国選だけでも十分に食える様にすれば、本分を果たそうとのインセンティブになるでしょう
東京新聞10月29日付「社説」の「冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと」には次のような記述があります。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007102902060110.html
「裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。(中略)
二年後に始まる裁判員裁判では、素人に向かって平易に説明する表現力、相手に素早く反論できる瞬発的判断力が特に必要とされる。裁判の結論が適正なものとなるには、これまで以上に有能な刑事弁護士の育成が急務である。」
「国選だけでも十分に食える」ほど国が金を出す可能性はありませんし、刑事弁護は金や意欲でなんとかなるほど甘くないのです。多くの弁護士がいても、死刑相当事件については安田弁護士に依頼が集まっている反面、橋下弁護士のように刑事弁護について全く無理解なまま、娯楽番組で懲戒請求を煽るという醜態をさらす者には誰も刑事弁護を任せたいとは思わないでしょう。もちろん、橋下弁護士の話術に騙されているか、ぜひ刑務所に行きたい者は別として。
ロースクール制度により弁護士が激増していますが、それにより刑事弁護の能力が低い弁護士が激増するとの心配がなされています。今後、これまで以上に有能な弁護士が必要なのに。日弁連はさまざまな取り組みを始めていますが、相当な危機感をもっているというのが現状です。
>殺人事件に時効の無いアメリカあたりの実情を参考に、日々の捜査に支障の生じない日本型システムを考えてもらいたいものです
アメリカは、(日本と異なり)捜査は早々に終了(一時凍結)しているようですから、殺人事件に時効がなくても日々の捜査に支障がないのでしょう。もちろん、何十年経過してから何か証拠が見つかれば、その際に調べるということなのでしょうけど。
日本のように、時効期間すべて懸命に捜査するのか、それともアメリカのように、時効はないが早期に捜査を打ち切る(一時凍結)ようにするのか、どちらがよいのかということかと思います。もし、アメリカのようになれば、時効はなくても、早期に捜査を打ち切ることなどから未解決事件が一層増える結果になりますが、それを国民が納得できるならば、時効なしに法改正可能でしょう。
日本の有罪率の高さは、それだけ日本の捜査機関が綿密に捜査を行っている証拠であるわけですが、それなのに、「殺人事件につき時効なしになったから、どの事件も早々に捜査打ち切りにします」だなんて、捜査機関の意欲を削ぐことになりそうで、嫌な気持ちになりますけどね……。
が、有るのか無いのかは分かりませんが、各地の弁護士会が指摘している“十分な弁護活動をしようと努力すればするほど、実質的な経済的持ち出しを余儀なくされる”ような、弁護士が“選任されると迷惑、面倒と感ずる”ような現況は論外でしょう。
欧米先進国はどうなのでしょうね。(分野は異なりますが、英国では勤務医でも結構な生活が出来るような制度になっているようで、医師不足が叫ばれる日本とは状況が大きく異なり、参考にしてもらいたいものです)
ところで、目下のいわゆる司法関連制度改革にはアメリカの意向が強く反映されている、と言われます。
例えば、公取委の権限強化(逮捕権、仮執行発動権の付与等、アメリカンスタイル)が議論になり始めたら“超要注意”だと、ある弁護士が指摘していました。 法律自体、訴訟当事者にでもならぬ限り、素人には自ら学ぼうとの意欲の湧かぬ分野であるところに、クレバーで狡猾で強かなアメリカの意向が背後で蠢く状況に有ることを、しっかりと認識せねばなりませんね。
国民個々のリーガルマインド、メディアリテラシーにおいて、我国が(欧米先進国に比して)大きく劣っているとの認識が何より先決なのですが。
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>>「国選だけでも十分に食える」ほど国が金を出す可能性
>欧米先進国はどうなのでしょうね
欧米でも国選弁護人がおり、米国ではパブリックディフェンダー、すなわち「公設弁護人」と呼ばれています。
公設弁護人・国選弁護人の給与は決して高額ではなく、欧州でも同様に高額ではないようですが、それだけも生活にが困難にいようですが、それでも「実質的な経済的持ち出しを余儀なくされる」というほどではないようです。
かなり気になったのは、公設弁護人の評価です。
「私が何よりも感動したのは公設弁護人たちの誇りの高さであった。人権擁護のために最前線で働いているのだという自負がどの弁護士からも感じられた。」
http://www.sakuragaoka.gr.jp/html2/kousetsu/syousai_02.html
↑のように高く評価しているところもあれば、ロースクールを出たばかりの者が「公設弁護人」になり、全く当てにならないという最低の弁護人という評価もあります(高平隆久『アメリカ監獄日記』参照)。私選弁護人も、裁判の最終段階ではやる気がうせていたという驚きの記述もあります。
http://www.bk1.jp/product/02734233
日本の国選弁護人も、かなり前はいい加減と批判されたことがありましたが、現在では、いい加減な弁護をしている国選弁護人は、まずいないですね。
>目下のいわゆる司法関連制度改革にはアメリカの意向が強く反映されている、と言われます
そうですね。
日本の刑事訴訟法は米国の手続や考え方を取り入れていますが、司法制度改革まで米国の意向に従うことはないと思うのですけどね。自民党政権のままではしょうがないのでしょう。
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