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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2007/08/23 [Thu] 21:48:44 » E d i t
インド訪問中の安倍晋三首相は、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール判事の長男プロサント氏と面会することになりました。


1.まず、報道記事から。

(1) 東京新聞2007年8月15日 朝刊

 「「A級戦犯無罪」パール判事 安倍首相、長男と会談へ
2007年8月15日 朝刊

 安倍首相が十九日からの外遊でインドを訪れる際、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表の判事を務めた故・ラダビノード・パール判事の長男と会談することが十四日、固まった。首相は記者団に対し「パール判事は、日本とゆかりのある方。お父さまの話など、お伺いできることを楽しみにしている」と述べた。

 パール判事は、東京裁判そのものを「戦勝国の敗戦国に対する復讐(ふくしゅう)」などと批判し、A級戦犯全員の無罪を主張した人物として知られる。このため、首相がパール判事の長男と会談することが、日本の戦争責任を否定する動きと受け止められ、アジア諸国などを刺激する可能性もある。これについて首相は「そんなことにはならないと思う」と否定した。」



(2) 東京新聞平成19年8月23日付夕刊2面

 「パール判事長男と安倍首相面会へ コルカタに移動
2007年8月23日 夕刊

 【ニューデリー=原田悟】インド訪問中の安倍晋三首相は二十三日午前(日本時間同日昼)、政府専用機でニューデリーからインド東部のコルカタに移動する。首相は当地で、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール判事の長男プロサント氏と面会する。

 日本の首相がコルカタを訪れるのは、一九六〇年代の池田勇人氏以来。」



安倍首相が言うように「パール判事は、日本とゆかりのある方」ですが、では今までどれほどパール判事を尊敬していたというのでしょうか?

元箱根にある「パール下中記念館」があり、1975年に、ラーダービノード・パールと下中彌三郎を記念して建てられた記念館で、2人の遺品や解説パネルなどが展示されているのですが、ほとんど見学する者がおらず、パール氏の遺品は無残な形に変わり果て、写真の一部は朽ち果てているのです(中島岳志著『パール判事』10頁参照)。

「東京裁判史観」を批判する論客は、「パール判決書」の都合のいい部分だけを切り取って引用するといった、「『パール判決書』のご都合主義的な利用が、パール下中記念館の荒廃につながっているのではないか」(中島岳志著『パール判事』11頁)といえるのです。

確かに、「パール判事は、日本とゆかりのある方」ですが、安倍首相が、パール判事の長男と会談することは唐突な印象であり、ご都合主義的に利用する意図があるのではないか、と思えるのです。
 
 


2.安倍首相とパール判事の長男との会談について触れた、社説とコラムを引用しておきます。

(1) 朝日新聞平成19年8月18日付「社説」

 「パル判事―心配な安倍首相の言動

 安倍首相は19日からの外遊でインドを訪問する際、東京裁判(極東国際軍事裁判)の判事を務めた故パル氏の遺族に会う予定だ。

 パル氏といえば、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判でただ1人、東条英機元首相ら被告25人全員について「無罪」の少数意見を書いたインド人判事である。

 敗戦国を裁く戦勝国の正当性を問いただしたパル氏は、敗北に打ちひしがれる日本人の間に共感を呼び起こした。一部では、侵略の過去を弁護する「日本無罪論」の象徴として偶像視されてきた。

 戦後しばしば日本に招かれ、最後の訪日の際には勲一等を受けた。そのときの招待に動いたのが、安倍首相の祖父である岸信介元首相だった。

 そのパル氏の遺族に会うことについて、首相は「日本とゆかりのある方。お父様のお話などをおうかがいできることを楽しみにしている」と語っているが、そんな単純な話ではない。

 旧日本軍の慰安婦問題や靖国参拝をめぐって国際社会の視線が厳しい中で、首相の行動は、東京裁判と日本の戦争責任を否定するかのようなメッセージを発することになりかねない。

 とりわけ安倍首相が不信感を持たれるのは、これまで東京裁判を否定する見方に共感を寄せてきたとみられているからだ。首相就任後の国会答弁では「国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはない」と語り、個人としての見解には含みを残した。

 確かに東京裁判は評価が割れている。事後につくられた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が戦争犯罪に加えられたり、原爆投下などの戦勝国側の問題が裁かれなかったりした。一方で、日本軍の虐殺や謀略が日本国民の前に初めて明らかにされた。戦争を裁く国際法を築く一里塚にもなった。

 裁判に功罪があるとはいえ、日本はそれを受け入れることで国際社会への復帰を果たしたのは間違いない。日本として、けじめをつけたのだ。そのことを政治指導者は忘れてはならない。

 見逃せないのは、日本ではパル氏の主張を都合よく解釈している面があることだ。一部の保守系の人たちは、「日本には戦争責任がない」と受け止めた。

 しかし、パル意見書の趣旨は、当時の国際法を厳密に解釈すれば、侵略戦争の指導責任を問うことはできないという法律論である。現に、パル氏は南京虐殺などで日本軍の行動を厳しく批判した。日本には法的責任はなくとも、道徳的責任があると認めている。

 生前のパル氏と面識のあるインドの代表的知識人、アシス・ナンディ氏は「パルを日本軍国主義の正当化に使うのは間違いだ」と言い切る。

 安倍首相はそうしたパル判事の全体像を理解しているのだろうか。パル氏の主張をつまみ食いして遺族と語り合うようなことだけは、厳に慎んでほしい。」



(2) 東京新聞平成19年8月20日付夕刊1面「放射線」

 「多くの8月15日

 今年の8月15日は、首相の靖国参拝がなく、平穏な日となった。日中や日韓の関係も緊張しなかった。個人的には、偉い人たちが聞き苦しい言葉で批判しあうより、犠牲者を悼む静かな時が過ごせて良かったと思う。

 日本では「終戦記念日」と呼ぶため、この日を境に平和になったと思いがちだ。だが、アジアは簡単に平和にはならなかった。解放を宣言した国もあるが、内戦や新しい戦争へと歩む国もあった。

 私の研究するインドでは、8月15日は「独立の日」だ。大戦への協力という犠牲を払って戦後の独立を約束され、混乱と交渉を経て1947年、イギリスから独立した。だが、インドとパキスタンに分裂し、ヒンズー教徒とイスラム教徒の暴動が多発。1千万人を超える難民が生まれ、多くの命が失われた。両国が領有を争うカシミールは戦争になった。

 以前、東条英機を主人公とする「プライド」という映画を見たが、インド独立のシーンは日本がインドを解放したかのように描かれていた。確かに、チャンドラ・ボーズというベンガル出身の英雄は日本と手を結んで大英帝国と戦おうとし、極東軍事裁判でインド人のパール判事は勝者の裁きを批判した。

 だが、どちらも日本の侵略が正しいとは言っていない。ビルマ(現ミャンマー)からインドに向かったインパール作戦は多くの日本兵を無残な死に追いやったが、その前年には、行政や交易を乱してベンガル大飢饉(ききん)の一因を作り、数百万人の餓死者を出していた。

 国内の政争をよそに安倍晋三首相は訪印する。真の友好関係を目指すなら、日本の戦争が南アジアにも深い傷を与えた事実を理解してほしい。辛(つら)い過去を引き受けて未来のアジアを構築することこそ、私たちのリーダーの仕事だと信じている。

 (竹中 千春=明治学院大学教授)」



(3) 東京新聞平成19年8月22日付朝刊5面【私説・論説室から】

 「パール判事長男の思い
2007年8月22日

 安倍首相が今週、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯の無罪を主張した故ラダビノード・パール判事の長男プロサント・クマール・パールさんとインドで面会する。もう八十歳になっている。十二年前、取材で会ったのを機につきあいが続いている。

 当時、既に日本との交流は途絶えかかっていた。「日本からの手紙もいつしか来なくなった」とプロサントさんは寂しい思いをしていた。だから今回の安倍首相の訪問は唐突な印象だ。面会は、日本の戦争責任を否定する動きと受け止められかねない。

 パール判事は東京裁判そのものを「戦勝国の敗戦国に対する復讐(ふくしゅう)。原爆投下こそ犯罪だ」と批判した。だがそれは日本の軍国主義を弁護したわけではない。プロサントさんは「父は裁判で国際法の専門家として判断しただけだ。日本擁護を考えていたわけではない」と何度も強調した。

 パール判事がインド・コルカタの裁判所判事だったころに一家が住んでいた家を訪ねたことがある。そこの大家は「判事がある被告人に判決を出す直前、このままでは重い判決になることを悩んだことがある。妻から『手をさしのべられるのはあなただけよ』と背中を押され、判決が軽くなる法解釈を徹夜で考えていた」と教えてくれた。

 七年前にプロサントさんと再会したとき、東京裁判を扱ったある日本映画に、「事実と違う」と不満だった。判事の人柄や思想を正確に伝えることが長男としての責務と考えているからだ。今回「お会いするのはうれしい。パール判事の息子として、いろいろお話ししたい」と話す。安倍首相はその思いをじっくりと聞いてほしい。(鈴木 穣)」(東京新聞8月22日付)




3.これらの論説は大体共通しています。

「「パル意見書の趣旨は、当時の国際法を厳密に解釈すれば、侵略戦争の指導責任を問うことはできないという法律論である。現に、パル氏は南京虐殺などで日本軍の行動を厳しく批判した。日本には法的責任はなくとも、道徳的責任があると認めている。
 生前のパル氏と面識のあるインドの代表的知識人、アシス・ナンディ氏は「パルを日本軍国主義の正当化に使うのは間違いだ」と言い切る。
 安倍首相はそうしたパル判事の全体像を理解しているのだろうか。パル氏の主張をつまみ食いして遺族と語り合うようなことだけは、厳に慎んでほしい。」(朝日新聞8月18日付)

「確かに、チャンドラ・ボーズというベンガル出身の英雄は日本と手を結んで大英帝国と戦おうとし、極東軍事裁判でインド人のパール判事は勝者の裁きを批判した。
 だが、どちらも日本の侵略が正しいとは言っていない。ビルマ(現ミャンマー)からインドに向かったインパール作戦は多くの日本兵を無残な死に追いやったが、その前年には、行政や交易を乱してベンガル大飢饉(ききん)の一因を作り、数百万人の餓死者を出していた。
 国内の政争をよそに安倍晋三首相は訪印する。真の友好関係を目指すなら、日本の戦争が南アジアにも深い傷を与えた事実を理解してほしい。」(東京新聞8月20日付)

「パール判事は東京裁判そのものを「戦勝国の敗戦国に対する復讐(ふくしゅう)。原爆投下こそ犯罪だ」と批判した。だがそれは日本の軍国主義を弁護したわけではない。プロサントさんは「父は裁判で国際法の専門家として判断しただけだ。日本擁護を考えていたわけではない」と何度も強調した。」(東京新聞8月22日付)」



パール判事は、「A級戦犯の刑事責任」のみを対象として、「国際法上の罪」に限定して無罪としたのであり、

「判決書の中で『東条一派は多くの悪事を行った』『日本の為政者、外交官および政治家らは、おそらく間ちがっていた』『みずから過ちを犯したのであろう』と言明し、日本の為政者に道義的責任があることを明確に示している」(中島岳志著『パール判事』277頁)

のです。

パール判決書はこのような内容なのですから、東京裁判を否定する見解に共感している安倍首相であれば、到底、パール判事の長男と会談する気にならないはずです。ところが、安倍首相は、パール判事の長男と会談するのですから、これらの社説やコラムは、正しく理解していないと疑念を抱いているのです。


「七年前にプロサントさんと再会したとき、東京裁判を扱ったある日本映画に、「事実と違う」と不満だった。判事の人柄や思想を正確に伝えることが長男としての責務と考えているからだ。今回「お会いするのはうれしい。パール判事の息子として、いろいろお話ししたい」と話す。安倍首相はその思いをじっくりと聞いてほしい。」



東京裁判を扱ったある日本映画とは、東条英機を主人公とする「プライド-運命の瞬間」という映画のことです。パール判事の長男プロサント氏は、「父は日本の戦争を擁護しようとして判決書を書いたのではない」と、怒りを抱いているのです(中島岳志著『パール判事』295頁)。安倍首相は、プロサント氏の怒りを聞かされるかもしれません。安倍首相は、プロサント氏の言葉を、都合よく読み変えたりせずに真剣に受け止めてほしいと思います。




<追記>

面会後の記事が出ていましたので、引用しておきます。

(1) 時事ドットコム(2007/08/23-17:26 )

2007/08/23-17:26 安倍首相、パール判事の長男と懇談=「今も多くの日本人が尊敬」

 【コルカタ(インド東部)23日時事】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故パール判事の長男プロシャント・パール氏(81)と約20分間懇談した。
 冒頭、首相は「お目に掛かれてうれしく思います。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めています」とあいさつ。さらに「お父様の遺志は日印関係の発展だった。今日、日印関係は大変強化されている」などと語り掛けた。」



(2) NHKニュース(8月23日 19時27分)

 「首相 パール判事を今でも尊敬

 安倍総理大臣は、訪問先のインドのコルカタで、日本の戦争責任が問われたいわゆる東京裁判で被告全員の無罪を主張したインドのパール判事の長男と面会し、「お父様は、今でも多くの日本人の尊敬を集めている」と伝えました。

 安倍総理大臣は、21日からインドを訪問しており、23日はインド東部の中心都市コルカタに入りました。コルカタは、日本の戦争責任を問い、A級戦犯を裁いた、いわゆる東京裁判で、戦勝国が敗戦国の指導者らを裁くことを批判し、被告全員の無罪を主張したパール判事が学生時代や裁判官時代を過ごした都市です。

 安倍総理大臣は、コルカタ市内のホテルで、パール判事の長男で元弁護士のプロシャント・パール氏と面会しました。この中で、安倍総理大臣は「お目にかかれてうれしく思う。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めており、日本とインドの関係の礎を築いた1人だ。両国の関係が今後ますます発展するよう全力を尽くしたい」と述べました。

 これに対し、プロシャント・パール氏は、昭和41年に父親のパール判事と安倍総理大臣の祖父の岸元総理大臣が面会した時の写真を安倍総理大臣に贈ったうえで「父に対する日本人の愛着と敬意を表してくれたことに感謝したい。末永い日印友好を願っている」と述べました。」( 8月23日 19時27分)

*原文と異なり、読みやすくするため段落わけをしました。



(3) asahi.com(2007年08月23日20時30分)

 「首相、東京裁判のパル判事の長男と面会
2007年08月23日20時30分

 インドを訪問中の安倍首相は23日昼(日本時間同日午後)、極東国際軍事裁判(東京裁判)で連合国側判事を務めたインドの故ラダビノッド・パル判事の長男プロサント・パル氏(81)とコルカタ市内で面会した。首相は「判事は多くの日本人から今も尊敬を集めている。ご遺志は日印関係を発展させることだったと思う」と述べた。

 判事は東条英機元首相ら25人のA級戦犯について、全員の無罪を判事11人の中でただ一人主張した。プロサント氏との面会は首相の強い希望で実現。同行筋によると、東京裁判をめぐるやりとりはなかったという。

 判事は66年に首相の祖父、故岸信介元首相の招きで来日し、勲一等瑞宝章を受けた。首相は「時を経てご子息にお目にかかれたのは感慨深い」と発言。プロサント氏は66年に撮られた判事と岸氏の写真を首相に贈呈し、「首相も岸元首相と同様に日印関係の発展に尽くされると確信している」と述べた。

 東京裁判について、首相は昨年10月の衆院本会議で「我が国は裁判を受諾しており異議を述べる立場にない」と答弁。ただ、かつて裁判のあり方に疑問を唱える立場を取っていたため、今回の面会が注目されていた。

 22日のインド国会での演説では「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパル判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と評価。ただ、日本政府関係者は「判事は戦中の日本軍の行為は厳しく批判している」として、今回の面会が東京裁判に疑念を示したり否定したりすることにつながるものではないと強調している。」



約20分間の懇談にすぎないこともあってか、「東京裁判をめぐるやりとりはなかった」ようです。無難なやり取りのみで終わっただけであり、首相が「ただ会って握手したかったから、会った」というだけの行動だったといえそうです。



<8月24日追記>

「訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会」(【8月23日 AFP】2007年08月23日 23:46 発信地:コルカタ/インド)によると、インドの反英独立運動の指導者故チャンドラ・ボース(Chandra Bose)の「チャンドラ・ボース記念館」を訪れ、チャンドラ・ボースの遺族らとも面会したようです。

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アベシは確かこう言いましたよねぇ。「反省すべきは反省し・・・」「責任を感じている」と。。。。。。。今、自民党は参院選惨敗の報告書を作成しています。この「報告書」が上がってこないとアベシには参院選惨敗の分析能力もないってワケダヨネェ! (`・...
2007/08/23(木) 23:09:10 | 晴天とら日和
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