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2007/08/18 [Sat] 13:55:45 » E d i t
平成19年8月15日、62回目の終戦記念日を迎えました。


1.まず、報道記事を幾つか。

(1) 東京新聞平成19年8月15日付夕刊1面

 「首相『不戦の誓い堅持』 靖国参拝は見送り 62回目終戦の日
2007年8月15日 夕刊

 六十二回目の終戦記念日を迎えた十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列した遺族ら約六千人が平和への誓いを新たにした。安倍晋三首相は式辞で「不戦の誓いを堅持し、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していく」と決意を述べた。安倍首相は、この日の靖国神社への参拝を見送る見通しだ。 

 追悼式には天皇、皇后両陛下をはじめ、衆参両院議長、最高裁長官、各界代表らが参列した。

 式典は午前十一時五十一分に開会し、君が代を斉唱。安倍首相は式辞で戦争の加害責任に触れ「わが国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べ、深い反省と犠牲者への哀悼の意を表明した。

 天皇陛下は「戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とお言葉を述べられた。

 河野洋平衆院議長は追悼の辞で「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」、江田五月参院議長も「わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめとする多くの人々に多大な苦しみと悲しみを与えた」と加害責任を明確に述べた。遺族代表で、父を中国で亡くした団体役員高桑国三さん(71)=秋田県男鹿市=は「わが国の平和と自由を守り、世界平和のため、誠心誠意努力することを心から誓う」と追悼の辞を述べた。

 正午の時報に合わせ、全員で一分間黙とう。戦死した軍人・軍属約二百三十万人と、空襲などで亡くなった民間の約八十万人の冥福を祈った。

 参列者は戦没者の子供が約三分の二を占める一方、妻は全体の約2%に減るなど世代交代が急激に進んでいる。親の参列は、百一歳五カ月の松岡コトさん=東京都杉並区=一人だけで、松岡さんはこれまでの百一歳四カ月を上回る過去最高齢となった。最年少は、曾祖父が戦死した中屋穂香さん(10)=高知市。」



(2) 毎日新聞平成19年8月15日付夕刊6面

終戦記念日:戦没者追悼式 天皇陛下おことば(全文)

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に62年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

毎日新聞 2007年8月15日 東京夕刊」



8月15日というと、毎年、首相をはじめとして閣僚が靖国神社を参拝するのかどうか騒がしくなっていました。今年は、参拝しないと言っていた高市大臣が、午後になり一転して靖国神社に参拝したくらいで、他の閣僚や首相も靖国神社に参拝せず、静謐な日となりました。

天皇陛下のお言葉にあるように、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を」思い、「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願」うことをまず、第一にして欲しいものです。




2.全国戦没者追悼式では、注目すべき追悼の辞がありました。

(1) 毎日新聞平成19年8月15日付夕刊1面

 「終戦記念日:日本国憲法こそ、新しいレジーム--河野衆院議長追悼の辞

 河野洋平衆院議長は15日、全国戦没者追悼式で行う追悼の辞で「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解を表明した。安倍晋三首相の「戦後レジームからの脱却」路線を意識した発言とみられ、追悼の辞で首相批判と取られかねない発言をするのは異例。

 河野議長はさらに「国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営される世界の実現を目指す」と護憲の姿勢を強調した。

 従軍慰安婦問題についても触れ、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」と語った。同問題をめぐっては、河野議長は官房長官時代の93年、談話を発表し旧日本軍の関与を認め謝罪した。しかし、軍が強制した証拠はなかったとして河野談話の見直しを求める動きがあることから、これをけん制する狙いがあるとみられる。【高塚保】

毎日新聞 2007年8月15日 東京夕刊」



(2) 東京新聞平成19年8月16日付朝刊4面

 「衆院議長追悼の辞(要旨)

 河野洋平衆院議長の追悼の辞要旨は次の通り。

 国策により送られた戦争にたおれ、あるいは国内で戦火に焼かれた内外すべての戦没者のみ霊に哀悼の誠をささげる。

 日本国民が62年前に誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということ。そのために、私たちは、海外での武力行使を自ら禁じた「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた。

 今日の世界においても紛争は絶えることなく、今も女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいる。今こそ、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければならない。

 私は、戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、すべての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目指して微力を尽くすことを誓う。」



(3) 東京新聞2007年8月15日 夕刊

河野議長追悼の辞 『戦後レジーム』を堅持 安倍政権を強くけん制
2007年8月15日 夕刊

 「日本軍の一部による非人道的な行為」をわび、「日本国憲法に象徴される新しいレジーム」を堅持する-。全国戦没者追悼式での河野洋平衆院議長の「追悼の辞」の真意について、従軍慰安婦問題や憲法をめぐる安倍晋三政権の“タカ派姿勢”を強くけん制し、日本の恒久平和主義をあらためて内外に示した発言と識者らは受け止めている。

 河野議長の中学の先輩で政治評論家森田実さんは「非人道的な行為」とは従軍慰安婦問題とみて、「河野らしさが発揮された。彼はもともと平和主義者で安倍路線の対極にいる。衆院議長として首相をしかり飛ばしてもいいのに今までがおとなしすぎた」と喝采(かっさい)を送る。

 従軍慰安婦問題をめぐり河野議長は、宮沢喜一内閣の官房長官だった一九九三年八月、日本軍の関与を認め「おわびと反省」を表明。だが、安倍内閣になって談話の見直しを求める動きが活発化。談話を踏襲するとしながら、安倍首相は今年三月、「(日本軍が強制連行したという)強制性を裏付ける証拠はなかったのは事実だ」と述べ、談話を事実上批判した。

 河野議長の踏み込んだ発言の要因として森田さんは、米下院が七月、この問題で日本政府に公式謝罪を求めて決議したことが大きいとみる。「安倍首相の発言が米議会に火をつけた。談話の当事者としてしっかりとしたメッセージを内外に送っておきたかったのだろう。来年の追悼式までに衆院が解散する可能性もあり、最後の発言の機会だったかもしれない」

 一方、「改憲を公約に掲げた安倍首相の『戦後レジームの脱却』というスローガンを意識した言葉だったのは明らか」とみるのは、東大大学院の高橋哲哉教授(哲学)。

 強い印象を受けたのは、「日本国憲法」という言葉が中段と後段に二度繰り返し述べられたことだ。「安倍首相は、憲法も改定前の教育基本法も戦後レジームの象徴とやり玉に挙げたが、それでは戦後民主主義の否定につながる。河野さんは、憲法は戦争の惨禍を引き起こした反省に基づく正しい選択だったとあらためて肯定した」と言う。

 さらに、日本軍の「非人道的な行為」は「今春、河野談話を否定した安倍首相の態度への批判を込め、談話を出した『本人』として、あらためてアジアに対する謝罪を誠実に発信したいと考えたのではないか。追悼の辞は、日本の政治家として確信に満ちた強いメッセージとなった」と語る。

 一方、精神科医の香山リカさんは「終戦を受けて『決して過ちを繰り返さない』と誓い、戦争放棄を定めた憲法九条を選択したのは『私たち日本国民』だと明確に言い切ったところに、憲法改正を目指している安倍政権への批判が率直に表れている」と指摘する。

 さらに「過去の追悼の辞では、河野さんはアジアへの謝罪の気持ちを穏やかに表現した。しかし、今回のレトリックや比喩(ひゆ)のない表現には、憲法押し付け論などを背景に高まる改憲論議に対して『今こそ言いたい』という本音が出たような気がする」。そして「自民党も一枚岩ではないという状況が、この追悼の辞で浮き彫りになった」と言う。」



河野衆院議長の追悼の辞は、「改憲を公約に掲げた安倍首相の『戦後レジームの脱却』というスローガンを意識した言葉だったのは明らか」です。

自民党議員である河野氏が批判したという点で自民党内でも批判があるといえますが、衆議院議長という国民の代表者の集まりである議院の長が、政府主催の全国戦没者追悼式という公式の場で、安倍首相の政治方針に対して、62年前の誓いを引き合いにして批判をしたという点に着目すべきでしょう。言い換えると、国会が現在の内閣の政治方針(戦後レジームからの脱却)が、現行憲法に反すると明言したのです。

「日本国民が62年前に誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということ。そのために、私たちは、海外での武力行使を自ら禁じた「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた。」


安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」論は、 「決して過ちを繰り返さない」という、日本国民が62年前に誓ったことに反するというわけです。



2.朝日新聞を除く各新聞社は、終戦記念日特集を掲載していました。ここでは、東京新聞8月15日付朝刊8・9面で掲載していた、「記憶・戦後62年 戦争体験に今こそ学ぶ」と題する特集を(一部)引用しておきたいと思います。

 「軽んじられる証言伝承 9条守る国民出番の時

 日中戦争の発端となった盧溝橋事件から70年。この節目の年に、日本では憲法改正手続きを定めた国民投票法が成立し、改憲発議に携わる可能性のある新しい参議院も選ばれた。不戦を誓った憲法を見直す動きと歩調を合わせ、戦後62年にわたり語り継がれてきた戦争体験の証言を軽んじる動きが強まっている。中国で一兵卒として戦った教訓から「憲法9条を守れ」と全国行脚する財界人の品川正治さん(83)と、40年に及ぶ思想活動を通して培った戦争論や改憲論を展開する鈴木邦夫さん(64)が東京都内のホテルで、戦争の「記憶」を伝える難しさ、そして大切さを語り合った。

 品川 今の人に戦争の話をどう伝えるかということで気になるのは、戦争体験というものが皆、置かれた場所によって違うことなんですね。
 
 私は1944年12月に京都の三高(現・京都大学)から現役兵として鳥取の連隊に入り、陸軍の北支派遣軍として中国戦線に出ました。学徒出陣の学生は、3ヶ月たったら少尉になるようなことが現実だったのですが、私はそれを拒否して兵隊として行ったわけです。ですから兵隊の生活しか知らないんです。

 中国には当時、百万の日本の占領軍が各地にいたんですが、私が所属したのは戦闘部隊でした。入隊の初日から強い衝撃を受けました。連隊長が一緒に入った百人を並べて、全連隊の将兵に訓示をしたんです。「前に並んでいる兵隊の顔をよく見ておけ。この男たちは死にに行くんだ。殴ったやつは斬(き)る」と。死にに行く者だと、はっきり区別されている部隊だったんです。

 鈴木 終戦を知ったのはいつでしたか。

 品川 私は行軍の途中で終戦を迎えたんです。右足に銃弾を受けて、疲れ切っていました。「病院に行け」と何度も言われたのですが、一人で山中をさまよいながら野戦病院に行くのは、実は「死ね」ということなんです。ですからそれを拒否して、最後まで中隊と行動を共にしました。

 許昌(河南省)にやっと帰り着いたとき、隊長が全員を集めて日本が負けたことを告げました。8月の終わりでしたね。ところが、占領軍の方はすぐに武装解除されましたが、国府軍(国民党軍)は私たちを武装解除しないんです。日本軍を武装解除したら、そこは空白地帯になって八路軍(共産党軍)の管下に入ってしまうと恐れたからです。だからまた戦線に出たような格好になって…。つまり中国の内戦に巻き込まれたわけです。結局、11月ころまで武装解除されませんでした。

 鈴木 終戦のとき私は2歳で記憶はないのですが、8月15日というのは決定的な日で、そこで日本の戦争は終わり、それ以前の日本とは変わったのだとずっと思いこんでました。当時の日本人は悔し涙にくれて、憲法もGHQ(連合国軍総司令部)から涙ながらに受け取ったものだと思っていましたが、品川さんは著書の中で「新憲法を見たとき感動した」とお書きになっていますね。

 品川 私の経験を言いますと、45年11月に武装解除され、河南省の砂漠地帯につくられた大きな捕虜収容所に入れられたわけです。多いときは数千人の日本の将兵がいたのですが、そこでものすごい議論が起こりましてね。陸軍士官学校とか軍司令部にいた人たち…、青年将校ですね、その人たちが「日本政府弾劾の決議文を出すから署名しろ」と言う。

 何を弾劾するのかというと、潔く「敗戦」と言わずに「終戦」と言う日本政府の姿勢なんです。「国力を回復すれば(次の戦で)この恥をそそぐというのが、大和民族の生き方ではないのか。このような政府の指導は国民の方向を誤らせる」というのが、彼らの主張でした。

 ところが、私たちのような戦闘部隊は「何を言うか」という受け止め方だったですね。われわれは二度と戦争をしないという意味の「終戦」で結構だと。署名に賛成か、反対かで血の雨も降りましたよ。3百万人の戦友を亡くし、アジアで2千万人以上の民族を殺したんですから。どの面下げてこれから生きていくつもりなのか、ということですよね。でも、全体としては署名反対の方がずっと多かったです。

 鈴木 うーん。

◆戦争を見るのは兵隊の立場から

 品川 46年5月に私は山口県の仙崎に復員するのですが、上陸直前の船内で日本国憲法草案が発表された日の新聞が配られた。そこに今の前文から9条を含めて、ほぼ全部書かれていたんですね。それを読んで、皆泣きましたよ。「二度と戦争はしないと、憲法で決めてくれたのか」という受け止め方をしたんですね。

 戦争を見るときは兵隊の立場で見てほしい。将校の立場では、国民の大多数の立場には立てません。財界ではね、経団連の会長だった平岩外四さん(故人)が陸軍の兵隊でした。ダイエー創業者の中内功さん(故人)も兵隊です。あの2人は戦争に関して、一般の財界人とは距離を置いた格好を取っていましたね。

 鈴木 そういう体験は僕らには伝わっていないですよね。だから占領が終わったら、押しつけ憲法を米国にたたき返し、自分たちの憲法をつくらなければならないと思っていたわけです。

 でも、大学生のときかな、当時、愛国的な宗教だった生長の家に入っていた母親が「日本が負けてほっとした」と、ぽつりと言ったのを聞いてがくぜんとしたんです。米国の作家ジョン・ダワーの「敗戦を抱きしめて」を読み、初めて、敗戦を解放だと思った人がいたことを知りました。

 品川 それまでの日本の政治をあずかっていた人たち、戦後も同じように政治を続けようとした人たちにとっては、日本国憲法は確かに押しつけだったでしょう。でも国民にとっては、決して押しつけではなかったと私は確信しているんです。

 鈴木 敗戦後の日本が解放だったのか、占領への迎合だったのか、自分の中でどのようにバランスを取ったらいいのか分かりません。だから実際に戦った人たちにもっと話をしてほしい。そうでないと、つくられた別の物語だけが独り歩きしていくような気がします。品川さんにとっての戦争は、どのようなものだったのでしょう。

 品川 私の世代は自由主義の思想まで弾圧された時代でした。小学校に入った年には満州事変が、中学校に入った年には日中戦争が、高等学校に入った年には太平洋戦争が始まっていた。高等学校に入っても2年しか生きられない。死ぬことが前提で、戦争をしている国家の国民として、どのように生き、死ぬかということが問題だったわけです。当時の文科の学生はほとんどが同じ境遇でした。

 で、皆死ぬまでにどうしても読んでおきたい本をリストアップして。私の場合は、カントの「実践理性批判」でした。しかもドイツ語で。よくもそんな大望を抱いたものです。読みながら、国家が起こした戦争の中で、国民の一人としてどう生きるのが正しいのか―という問いを自分に課していました。でも戦争に行って、その問いの出し方そのものが間違いだったと気付いたのです。

 戦争を起こしたのはやはり「人間」だったのではないか。「国家」という抽象的なものに責任を負わせるべきではない。そして戦争を止めることができるのも、「人間」の努力でしかないんじゃないかと。それがその後の、私の60年間の座標軸となったのです。

◆日中戦争支えた一種の侮蔑感 アジアにもっと謙虚な国に

 鈴木 今年は昭和12(1937)年の盧溝橋事件から数えて日中戦争70年の年ですね。僕は右翼学生でしたから、日本は正義の戦争をし、兵隊はすべて神の兵隊だと思っていたんです。日本のおかげでアジアは植民地から解放され、独立したんだと。でもその後、右翼の運動をしているうちに、戦争中だけ誰もが神様だったわけではないと思うようになり、虐殺も侵略もあったろうと考えるようになりました。

 今はもっともっと謙虚な日本であるべきだと思います。アジアの皆さまにご迷惑をかけて申しわけありませんでした、独立は皆さまの努力の結果です、というぐらいの謙虚さがあっていい。そうでなければ左翼の自虐史観の反動で、すべてが正しかったことになってしまう。その謙虚さこそが、本来の日本主義だという気がしますね。

 こういうことを言うと僕も仲間内から批判されるんです。でもやはり、中国進出や朝鮮半島支配は間違っていたと思いますよ。事実をはっきりと認めた上で、それでも日本が好きだと言い、これからのことを考える必要がある。右派系の人たちの声が大きくなって、平和の理想や夢を語ること自体が犯罪のような風潮になっているのは困る。

 品川 戦争に関しては鈴木さんに同感することが多いのですが、付け加えるなら、中国に代表されるアジアに対し、一足早く近代化を成した日本が優越感を持っていて、その一番の発露が日中戦争だったと思うのです。そして、その一種の侮蔑(ぶべつ)感は、まだ払拭(ふっしょく)できていないのではないかという気がします。

 当時の日本には、中国人なら殺してもいいんだというような感覚があった。一種の侮蔑感というのはそういう意味でね、その感覚が戦争を支えていたと思うんです。米国だって自国民の命とイラク人の命の価値が同じだと考えたら、あのような戦争は仕掛けられなかったでしょう。

 戦争中の人の命の重みが一緒だと考えたら、武力で紛争を解決するなんてできないですよ。とすれば、紛争は絶えなくても決して戦争にはしないという憲法9条の考え方は、これからこそ普遍性を持つのではないか。日本は今それを米国に、はっきりと言わなければいけない時期なのではないでしょうか。

 鈴木 今は戦争の元気な面、劇的な面ばかりが伝えられているような気がします。知人の映画監督は、「戦争映画にはすべてがある」と言いました。愛。別れ。裏切り。戦い、そして死。人間社会のあらゆる面が凝縮しているから戦争映画はなくならないんだと。そしてスポーツやゲームと同じ感覚で戦争映画を見て、勇気をもらったという若者も多いんですよ。戦争から勇気を得たら困ると思うんですけどねえ。

◆精神総動員、新聞は歯止めを

 品川 戦争になれば国家は、愛国心という形で国民を動員します。それは精神の総動員というべきものです。そして軍や戦争を指導するものが政権の中枢に入る。そうなれば必ず「自由や人権の話は勝ってからだ」ということになります。戦争をあおるほどそうなることに、戦前のメディアは自覚がなかった。

 大学生の孫娘には、学問が標的にされることを話しています。サイエンスはもちろん、人文科学も社会科学も戦争遂行に動員される。詩人ゲーテを生み、哲学者カントを生んだドイツ民族が、ホロコーストというユダヤ人虐殺をした。これはナチスだけではなく、ドイツ民族のトラウマ(心的外傷)として残ると思うのです。

 日本にも本当はトラウマがあるはずなのですが、「侵略ではなかった」という歴史認識の争いに問題をすり替えてしまった。元気のいい戦争映画が支持されるのは、そのためではないでしょうか。

 鈴木 あの戦争のときは確かに、本来は優しい日本人が「捕虜になるなら玉砕しろ」と命令していたんですよね。あれは何だったんだ。そういう意味では日本人が劣化していたのかなあと思います。再び国民が戦争に巻き込まれたとき、マスコミを含め、また同じことをするのかなという疑問があるのですが。

 品川 今はインターネットの時代ですからもっと怖いのです。精神の総動員にストップをかけるのは文字のメディアである新聞の役割が大きい。そのときにまず考えてほしいのは、日本と米国の価値観は同じではないとということです。

 特に小泉(純一郎前首相)さん以降、政府は日米の価値観は一緒だと言い、その上に立ってさまざまな議論をしてきた。だが「違う」と言えば経済政策も外交政策も、別のやり方があるはずです。憲法で「戦争はしません」と宣言した国と、常時戦争をしている国との価値観が一緒だと言ってしまえば、もうほかの議論はできなくなる。

 原爆を落とされた唯一の国が日本、落とした唯一の国が米国です。なのに日本は戦争に関する価値観まで合わせてイラク戦争を支持した。価値観が同じなどと広島や長崎の人に、沖縄の人に言えますか。米国とは付き合っていかざるを得ないのですが、価値観の違いを前提に付き合い方を考えることが、日本には必要なんです。超大国に大事にしてもらいたいという、甘えた気持ちが許せないんです。

◆自民目指す改憲 米国の傭兵化

 鈴木 その米国観には全面的に賛成です。70年に憲法改正のために自決した作家の三島由紀夫はその檄(げき)の中で「このままでは自衛隊は米国の傭兵(ようへい)になる」と指摘しました。自民党が目指しているのは、まさに米国の傭兵になるための改憲ですよね。今、三島が生きていたら…。

 品川 一番反対するのは三島ですよ。こういう改憲議論には。

 鈴木 品川さんは三島の(東大の)学友でしたからね。そういう米国が日本に理想的な憲法を押しつけたわけですよね。だったら、返そうという気はありませんか。

 品川 えっ…。

 鈴木 僕は安倍晋三政権の下での改憲には反対ですが、今の憲法は見直し、やはり日本人にとって理想的な憲法に作り直すべきだと思うんです。

 品川 しかし私は(国の交戦権を否認した)憲法9条2項こそ、現在の世界が持たなければならない理念だと思います。

 鈴木 9条があったから日本は平和だったと、僕も憲法の効用は認めているわけです。ただどこかに悪人が出てきたときに、日本だけが平和ならいいのか。それは利己主義ではないのかと訴えてくる改憲勢力があるわけです。それに対して9条を守るため、どのように人々を説得するのか。

 品川 その決め手が日米の価値観は違う、ということではないでしょうか。日本の憲法は米国人の命もイラク人の命も一緒だと、堂々と言わなければいけない憲法なのです。日本だけ平和ならいいという、一国平和主義とは違う。

 鈴木 憲法を守る限り自衛隊は廃止するべきでしょう。

 品川 自衛隊は戦後の歴史の中で一人の外国人も殺していない。自衛隊と呼ぶ限り、私は憲法に極めて忠実な組織だと思います。中国の唐家璇国務委員と会ったとき、彼も確かに同じことを言いました。しかし9条をなくせば、自衛隊は中国にとって最高の脅威になるはずなんです。

 私は、9条2項の旗はもうボロボロだと思っています。もうひとつ破れるとすれば、集団的自衛権の行使が認められるときでしょう。それでも国民にはその旗を手放さないでほしいのです。もし国民投票があったら「9条は変えない」とはっきり意思表示してほしい。そうすれば、米国も世界戦略を変えざるを得ない。これは日本の国民にしかできない世界史の転換なんです。私はそれを、「今が国民の出番ですよ」と呼んでいるのです。

 もうひとつ、話を混乱させているが国際貢献という言葉なんですが、世界から貧困や疫病をなくす仕事をそっちのけにして、武力でできることに何があるのですか。武力以外でしなきゃならないことの方が山積している。イラクが一番のいい例じゃないですか。

 鈴木 僕は一度、国民投票をした方がいいと思う。そうしないと何百年たっても押しつけ憲法だという議論は残ります。

 自衛の軍隊は持つべきだと思っていますが、最終的になくすというならなくす方向に持っていけばいい。海外派兵はしない、核武装はしない、徴兵制は敷かない。憲法は人民の権利を守るものだから、抵抗権、革命権ぐらいは認めてもいいでしょう。改憲するならそのぐらい考えてもいい。

 品川 もし改憲を議論するなら、米国が日本の軍備を動員したいと考えているときでない方がいい。今変えたら、また米国の押しつけになってしまいますよ。

 鈴木 ああ、そうかあ。

◆愛国心の言葉はなくせばいい

 品川 鈴木さんは日の丸・君が代についても書いておられますね。私の考えは、日の丸・君が代を持つ日本を戦争のない国にしたいということなんです。かつて日の丸・君が代が犯した罪を、私は60年間かけて罪滅ぼししているという気持ちなんですよ。でも強制には、はっきりとノーです。君が代を歌ったから愛国心があるとか、そんなばかな議論はない。

 鈴木 9条を守ろうという人は日の丸・君が代に反対の人が圧倒的なのですが、今のお話には感服しました。愛国心なんて言葉はなくせばいいんですよ。心の問題を言葉や態度にして示せというのが危ないんでしょう。

 「愛国心があるならこれをしろ」なんてことにろくなものはなかった。40年間の右翼活動でそれを、嫌というほど味わってきました。愛国心があったかどうかは、その人が死んだ後に判断すればいい。自分こそが愛国者だと言い合えば「決意競争」になってしまう。

 国旗国歌も変えてしまったら逆に危ない。新しい国旗国歌をつくったのだから、過去は関係ないと思ってしまう。歴史の誇りも、やましさも、反省もすべて引きずった上で歩むべきです。そのためにも日の丸・君が代は必要です。

 品川 私は戦争を語ることが義務だという思いに駆られて、82歳の誕生日を迎えた昨年、1年間で82回講演をしようと決意したんです。今日のお話で鈴木さんは、仮に改憲するとしても今ではないとおっしゃり、外で戦うような軍隊を持つべきではないとおっしゃった。この2つさえはっきりしていれば、私たちの世代のある程度の役割を、鈴木さんに引き継いでいただけると強く思いました。

 ただ戦争体験を語るのは大変難しいことです。そして、この国のあり方として「どっちでもいいじゃないか」という多くの人をつくってしまったことに、戦争体験を持つわれわれは、大きな責任があると思っているのです。ワイマール憲法下のドイツの国民の選挙に対する態度は「おれは無党派」というものでした。それがヒトラーを生んでしまった。「戦後レジーム(体制)からの脱却」という安倍首相の思想も、「ベルサイユ体制打破」を叫んだヒトラーと似ている。今の日本から、それを連想するのです。

 今は無党派をどこが取り組むのかという形で選挙が行われていますが、それが「どっちでもいい」という態度の結果なら、政局の転換にも大きな意味はなくなります。そして「どっちでもいい」を突き詰めれば、民主主義そのものが疑わしくなる。これが一番怖い。民主主義を疑えば次に何が出てくるか、はっきりしているからです。「どっちでもいい」人をどうするかは、命ある限り私のテーマだと思っています。

 鈴木 今は、戦争は嫌だなと語ることにも勇気がいる時代になってしまいました。僕らの運動の至らなさもあったし、戦場の体験が十分に伝わらなかったこともあった。

 戦争に行ったおじいちゃんは、いいおじいちゃんのままで死にたい思って黙り、家族は、戦場という殺し合いの場で起きたことを聞いちゃ悪い、という優しさがあったからでしょう。

 数少ない証言はだんだんと軽くなり、虐殺とか捕虜虐待とか部隊内のリンチとか、そんな話になると「正式な文書はあるのか」と言われる。そんなものはないでしょう。従軍慰安婦も同じです。ではその人たちがいなかったというと、やはりいたんです。そういったことを感じ取る力が、日本人になくなってしまっている。

 それに現実と理想が戦ったら、現実が勝つんですよ。テレビの討論番組で「9条を守ろう」なんて言っても、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだバカヤロー」と反論されて、結局、声の大きい方が勝って終わる。

 99%がひとつの方向に流れても、ちょっと待ってと言うのがメディアの役目だと思います。99%と1%なら、1%は非国民ですよ。非国民、反日でいいじゃないですか、新聞は。僕も非国民と呼ばれたい。いや、もう呼ばれているかな。

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◆新右翼「一水会」顧問・鈴木邦夫さん(64)

 すずき・くにお 1943年福島県生まれ。早稲田大学卒業。新右翼「一水会」顧問。学生時代に民族派グループに参加。70年の三島由紀夫の自決に衝撃を受けて産経新聞社を退社、72年に一水会を創設。99年まで会長を務めた。幅広い交友と人脈を生かして執筆活動や討論、トークライブをこなす。著書は「夕刻のコペルニクス」「言論の覚悟」「愛国者は信用できるか」や「私たち、共産党の味方です」(共著)など多数。

◆経済同友会終身幹事・品川正治さん(83)

 しながわ・まさじ 1924年兵庫県生まれ。東京大卒。日本興亜損保(旧日本火災)社長、会長、相談役を経て国際開発センター社長、経済同友会終身幹事。戦後日本は軍事複合体を形成せずに経済大国を実現した最高モデルとし、米国の要求に沿って戦争しない国にしないよう憲法改正の動きに警鐘を鳴らす。著著に「9条がつくる脱アメリカ型国家」「戦争のほんとうの恐ろしさを知る財界人の直言」「これからの日本の座標軸」がある。

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GHQ(連合国総司令部) 第二次大戦の終結に際しポツダム宣言執行のため日本を占領。1952年の平和条約発効まで事実上の統治を行った。初代最高司令官はダグラス・マッカーサー元帥。日本の非軍事化と民主化を目標として治安維持法と特高警察の廃止、現憲法の草案を発表したほか財閥解体や農地改革、婦人参政権制定なども進めた。一方、原爆投下や空襲被害に関する報道内容を検閲するなど、GHQや連合国批判を厳しく取り締まった。

ホロコースト 第二次大戦中、ナチス・ドイツにより約600万人のユダヤ人が虐殺されたとされる。ユダヤ人絶滅の最大の拠点となったポーランドのアウシュビッツ強制収容所は1940年に建設され、45年1月の旧ソ連軍による解放までに大勢がガス室へ送られて殺害された。同収容所は79年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

日中戦争 1937年7月、北京郊外の盧溝橋で起きた発砲事件をきっかけに日中両軍が衝突した。近衛文麿内閣は戦闘不拡大方針を取ったが、現地軍は華中から華南に戦線を拡大し全面戦争へ。同12月に占領した南京では多数の捕虜や住民を殺害。被害者は数万人とも30万人ともいわれ論争が続く。8年に及ぶ戦闘での中国側犠牲者数は、現在の中国政府の見解では3500万人、極東軍事裁判で国民党政府は320万人とした。

ワイマール憲法 第一次大戦敗北後の革命により帝政ドイツが崩壊。代わって成立したワイマール共和国は1919年8月、国民主権主義や議院内閣制を採用、自由権に加え社会権を憲法を制定した。だが、ベルサイユ条約はドイツに過酷な賠償責任を課し、その不満がナチス台頭の土壌に。33年1月に政権を握ったヒトラーはワイマール憲法を無視して独裁体制を成立させた。」
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新右翼「一水会」顧問・鈴木邦夫さんと、経済同友会終身幹事・品川正治さんという、異色の対談です。この対談によって、現実の戦争とはどういうものなのかについて、幾らかでも知ることができたかと思います。憲法9条を巡る議論をする場合も、9条を改正するしないに関わらず、まず現実の戦争体験を知ったうえで議論するべきです。戦争体験を知らない若い政治家・評論家による勇ましい議論には、警戒心をもつ必要があるのです。

この対談でも安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」への批判がなされています。

「ワイマール憲法下のドイツの国民の選挙に対する態度は「おれは無党派」というものでした。それがヒトラーを生んでしまった。「戦後レジーム(体制)からの脱却」という安倍首相の思想も、「ベルサイユ体制打破」を叫んだヒトラーと似ている。今の日本から、それを連想するのです。」


参議院選挙における自民党大敗によって、悲願の改憲は大幅に遠のいたものの、今後も「戦後レジームからの脱却」論に対しても警戒心が必要でしょう。安倍氏が首相でいる限りは。

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コメント
この記事へのコメント
ゆうこさんの所でも言いましたが、自称“アンチ人権派右翼”の私です。 が、安倍氏を右翼だと思ったことは有りません。 認めません。
右翼なら、自身の参拝など屁のごときものだと自覚し、それを犠牲にしても、天皇にこそ靖国に参拝してもらうべく、全知力、全精力を投入すべきだと、それこそが英霊の望みだと思い至らねば。
今上天皇の言葉の端々に、その“覚悟”を感じるだけに。
2007/08/18 Sat 15:03:14
URL | rice_shower #-[ 編集 ]
>rice_shower さん
コメントありがとうございます。


>右翼なら、自身の参拝など屁のごときものだと自覚し、それを犠牲にしても、天皇にこそ靖国に参拝してもらうべく、全知力、全精力を投入すべきだ

仰るとおりだと思います。靖国に眠る英霊は、「○○首相バンザイ!」と思って亡くなったわけではないのですから。

ただ、首相が靖国参拝にこだわるのは、遺族会などの票目当てでしょうから、靖国参拝は絶対止めないかと思います。なので、天皇陛下による靖国参拝は無理でしょうね……。
2007/08/20 Mon 01:13:26
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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