FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
08« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30.»10
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2007/07/01 [Sun] 23:36:53 » E d i t
諸宗山回向院(東京都墨田区)において、6月30日、家畜お施餓鬼法要(施餓鬼会)がありましたので、この法要のため参詣してきました(以前参詣したときのことは、「平成19年春季彼岸会・犬猫小鳥等家畜総回向~彼(か)の岸(きし)へ生まれることを願う」を参照)。


施餓鬼会(せがきえ)とは、生きとし生けるものすべてを対象にして行われる法会です。施餓鬼会は布施の実践であり、供養を受けることのできない無縁の精霊を供養する儀式でもあります。このような法会なのですから、回向院は6月30日、動物供養のために行ったわけです。


法要の際に施餓鬼会の由来について説明していましたので、ここでもその説明を載せておきます。

釈尊の弟子の阿難(あなん)が、喉が針のように細く、やせ衰えて醜い姿をした餓鬼から、「お前の命はあと3ヶ月しかなく、死んだ後は餓鬼に生まれ変わる」と言われました。阿難は釈尊にどうしたらいいかと教えを乞いました。そして、阿難は釈尊に教えられた陀羅尼(だらに)を唱えながら餓鬼に食を施したところ、かえって長寿を得られたという仏説に由来しています(藤井正雄監修「わが家の仏教・浄土宗」147頁)。


今回も、「家畜総回向」の際に頂いた「散華」(道場にみ佛をお迎えし、佛を讃え供養する為に古来より広く行われてきたもの。元来は、樒の葉や菊の花、蓮弁等の生花を用いていたが、現在は通常蓮弁形に截った紙花を用いている)に書かれていた言葉を引用しておきます。この和歌は、法然上人が詠まれた歌(浄土宗の宗歌)です。


「月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人乃心にぞすむ」



この和歌の意味について、浄土宗のHPから引用しておきます。

「月の光はすべてのものを照らし、里人にくまなく降り注いでいるけれども、月を眺めるひと以外にはその月の美しさはわからない。阿弥陀仏のお慈悲のこころは、すべての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるひとのみが阿弥陀仏の救いをこうむることができる・・・という意味です。

法然上人は「月かげ」のお歌に、『観無量寿経』の一節「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」のこころを説き、私たちにお示しくださったのです。

法然上人の教えは、厳しい修行を経た者や財力のあるものだけが救われるという教えが主流であった当時の仏教諸宗とは全く違ったものでした。

「南無阿弥陀仏」と唱えればみな平等に救われる・・・。法然上人のおしえは貴族や武士だけでなく、老若男女を問わずすべての人々から衝撃と感動をもって受け入れられ、800年を経た今日もそのおしえはひとびとの「心のよりどころ」となっているのです。」(元祖法然上人のみ教え:浄土宗 総本山知恩院


「月影」とは、阿弥陀仏の光明の喩えであり、「ながむる人」とは、阿弥陀仏の光明に面を向け、心を開いて念仏を唱える人のことをいいます。要するに、月の光(阿弥陀仏の光明)が降り注がない地はないのだけれども、その素晴らしさを知ることができるのは、眺めようと心掛ける者(心を開いて念仏を唱える人)だけという意味です。

他力本願の浄土思想といっても、やはり自覚的出発なしには救いに気づくことはありません。救われてると本当に気づくことが至難であるとしても、そこに身をおいて月影を仰ぐほかないのです(「浄土の本」158頁)。


法然が仏教の道を選ぶことになったのは、父の遺言に基づいています。法然(幼名:勢至丸)が9歳の頃、父が非業の最期を遂げるのですが、復讐を誓う勢至丸に対して、「復讐をしてはならない。これも私の過去の業のせいであるから彼を恨んではならない。もしお前が恨みを晴らせば、次には彼の遺児がお前を恨もう。それでは永遠に恨みの尽きるときはない。それよりも恨みのない安らぎの心を手に入れるがよい」と言い残して息絶えました(松原泰道著『仏教入門』167頁)。

最近の日本では、裁判が被害者の復讐の場のようであり、弁護人が被告人に有利なことを述べることさえ非難する者たちさえいます。「恨みのない安らぎの心を手に入れる」ことを求める意識など皆無のようです。仏教国と言われた日本は、遠い過去のこととなりつつあるようです。

テーマ:動物愛護 - ジャンル:ペット

コメント
この記事へのコメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/02 Mon 00:31:15
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ
コメントありがとうございます。

>実際、江戸時代には……
>よく十両盗めば死刑と言われますが、これは主に業務上横領のことであり……

なるほど。江戸時代であってもバラスのとれた法制度・運用を行っていたわけですね。


>視聴者アンケートでは91%が廃止に賛成と出ており……
>日本人の法律センスは江戸時代以前にまで退化してしまった…

そのアンケート結果は酷いものです。せめて江戸時代くらいにまで戻したいものです。しかし、どうしたらいいんでしょうね……。昔は、仏教が基盤となり、家族関係が密接だったので、自ずと十分なバランスが身についたのでしょうけど。
2007/07/03 Tue 05:51:56
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/tb.php/464-0d301e9d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。