1.まず報道記事から。
(1) asahi.com(2007年05月08日03時08分)
「安倍首相、靖国に供物奉納 中曽根氏以来約20年ぶり
2007年05月08日03時08分
安倍首相が4月21〜23日に行われた靖国神社の春季例大祭で、神前にささげる供え物を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたことが分かった。首相による奉納は中曽根元首相以来約20年ぶり。安倍首相は靖国参拝について「したか、しないか、申し上げるつもりはない」とあいまいな態度をとっているが、参列の代わりに供え物を奉納することで靖国神社への配慮を示したとみられる。
同神社関係者によると、奉納したのは「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基。高さ2メートル近くあり、本殿に上がる木製階段の両脇にほかの真榊とともに並べられた。鉢に付けられた木札には「内閣総理大臣」と書かれた。
例年、衆院議長をはじめ、日本遺族会や英霊にこたえる会の会長らも真榊を奉納しているが、首相は、85年に靖国参拝が問題化した中曽根氏(在任期間82〜87年)の後は途絶えていた。小泉前首相は例大祭ではなく、自らが参拝した際に花を供えた。
神社側が安倍首相側に参列の案内を送り、奉納を働きかけたところ、首相側が応じたという。奉納の費用は5万円という。
靖国神社は招待者を対象に、毎年4月に春季、10月に秋季の例大祭を行っており、神社の儀式としては8月15日の終戦の日よりも重要視されている。安倍首相は官房長官だった昨年4月、例大祭の直前にひそかに同神社を参拝したことが明らかになっている。今回の例大祭は、中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の訪日直後の時期だった。
同神社関係者は「首相になり参拝を控える中、お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。
安倍事務所は朝日新聞の取材に対し、「思想信条に関するご質問には回答しておりません」としている。供え物の費用が私費か公費かも回答はなかった。」
(2) 毎日新聞(2007年5月8日23時06分(最終更新時間 5月9日2時26分))
「靖国神社:首相の例大祭供物問題 論争再燃が必至
安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭(4月21〜23日)に「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」を供えていたことが明らかになり、「靖国問題」が再浮上した。春の参拝を見送る一方で奉納を選んだ背景には、自身の年内訪中や来年の中国の胡錦涛(こきんとう)国家主席の来日と、「足場」である参拝支持派への配慮との兼ね合いがあるとみられる。首相は奉納の事実確認さえ拒み、靖国問題をめぐる「あいまい路線」を貫くが、その是非が内外で問われる事態は避けられそうにない。
◇明言避けあいまいに
「出したか、出さないかということについても申し上げません」
首相は8日夕、奉納について明言を避けた。記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねた。
就任当初から靖国参拝について「行くか行かないか、行ったか行かなかったか申し上げるつもりはない。この先どうするかも同じだ」と繰り返してきた首相。その言葉通りの対応だった。
首相は就任直後の昨年10月、中韓両国を歴訪。小泉純一郎前首相の靖国参拝で冷え込んだ関係改善のかじを切った。4月11日には来日した中国の温家宝首相と会談し、温首相が「歴史問題への善処が重要」と靖国参拝の自制を暗に求めたのに対し、「平和国家として歩むことが私の気持ちで、歴史認識そのものだ」と対応。首脳の相互訪問に道筋をつけた。
これを受け、秋季例大祭(10月17〜20日)の参拝も見送られるとの見方が強い。しかし、夏に参院選を控えることから、首相周辺には「靖国に関し、支持基盤としてきた保守層に何らかの姿勢を示す必要がある」との指摘があった。今回の奉納は、参院選向けの姿勢の表明という意味合いから具体化したようだ。
自民党の中川秀直幹事長は「(中韓外交に)特段の影響があるとは考えていない」と強調。公明党の北側一雄幹事長も「参拝されたわけではない。冷静に見てほしい」と訴え、与党は沈静化に躍起になった。
しかし、参拝支持派から「参拝に向けた一歩」などという高い評価の声が上がる一方、野党は「姑息だ。私人と言いながら首相名では矛盾し、分かりにくい」(民主党の鳩山由紀夫幹事長)などと一斉に批判しており、「靖国論争」の再燃は必至だ。また、今のところ批判を抑える中韓両国の今後の出方も読み切れない中、首相の行為は一種のカケでもあった。【西田進一郎】
◇「宗教的意義」が焦点
真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかは、費用の公私を含めて公的なものかどうか、宗教的意義を持つか否かなどがポイントになる。97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義を持ち、特定の宗教を支援・助長する効果があると認定し、違憲判決を下した。
塩崎恭久官房長官は8日の会見で、奉納費は私費で支払われたと明言し、「私人としての事柄。政教分離とは関係ない」と繰り返した。しかし、、靖国神社側は公的で、宗教性の強い行為だと認識していることがうかがえる。
今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」という。さらに、神社関係者は小泉純一郎前首相による「みたままつり」のちょうちん奉納と比較、「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」と述べた。
首相の真榊奉納が中止された85年秋以降も神社は首相に打診したが、断られたため、そのうち打診自体をやめたという。歴代首相側に、政教分離をめぐって物議を醸すことを避ける判断があったとみられる。
踏み切った形の首相の行為に見解は割れている。大江志乃夫・茨城大名誉教授は「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為。玉ぐし料よりも重大で、公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」と指摘。大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」との立場だ。【田所柳子】
◇批判トーンは弱く…中国外務省
中国外務省の姜瑜副報道局長は8日午後の定例会見で「靖国問題は政治的に敏感な問題だ。中日両国は既に両国関係に影響を与える政治的障害を克服し、友好関係を健全に発展させる点で一致している。このコンセンサスは守られなければならない」と述べ、小泉純一郎前首相の直接参拝の時よりも弱いトーンで非難した。中国政府は安倍首相の真榊奉納という方法に虚をつかれ、真意を測りかねているようだ。
だが日中両国は、安倍首相の年内訪中と来年の胡錦涛国家主席の訪日という首脳訪問に基本合意している。中国政府は関係改善を重視し、首脳訪問の見直しまでは踏み込まないとみられる。
一方、韓国外交通商省は8日、「正しい歴史認識の確立に逆行するもので、大変遺憾に思う」との論評を発表した。小泉前首相の靖国参拝時の報道官声明に比べれば穏やかで、対日摩擦が再燃しないよう神経を使っている姿勢がうかがえる。
それでも、韓国政界では、安倍首相が4月下旬の訪米前後に慰安婦問題でおわびの気持ちを述べたことに対し、「被害者がいる韓国を軽視している」との不満がくすぶっている。また、今月7日からモナコで始まった国際水路機関総会で韓国政府は「日本海」と表記された海図の承認を阻止する構えを強めている。
真榊奉納で安倍首相に対する韓国国民の不信感が高まれば、竹島問題や慰安婦問題など他の歴史問題の懸案に飛び火する可能性も排除できない。【北京・堀信一郎、ソウル堀山明子】
毎日新聞 2007年5月8日 23時06分 (最終更新時間 5月9日 2時26分)」
「■ことば ◇真榊(まさかき)
神事の際に祭壇の左右に立てる祭具。榊はツバキ科の常緑小高木で、茨城県、石川県以西に分布する。6〜7月に白い花を咲かせる。古来、神が降臨するためのよりしろとして使われ、神道には欠かせない植物とされる。真榊は、榊に布や三種の神器を飾り付けるなどして用いられる。」(毎日新聞平成19年5月9日付朝刊「クローズアップ2007」)
2.この報道記事から2点コメントしたいと思います。まずは、安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかです。
「真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかは、費用の公私を含めて公的なものかどうか、宗教的意義を持つか否かなどがポイントになる。97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義を持ち、特定の宗教を支援・助長する効果があると認定し、違憲判決を下した。
塩崎恭久官房長官は8日の会見で、奉納費は私費で支払われたと明言し、「私人としての事柄。政教分離とは関係ない」と繰り返した。しかし、、靖国神社側は公的で、宗教性の強い行為だと認識していることがうかがえる。
今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」という。さらに、神社関係者は小泉純一郎前首相による「みたままつり」のちょうちん奉納と比較、「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」と述べた。
首相の真榊奉納が中止された85年秋以降も神社は首相に打診したが、断られたため、そのうち打診自体をやめたという。歴代首相側に、政教分離をめぐって物議を醸すことを避ける判断があったとみられる。
踏み切った形の首相の行為に見解は割れている。大江志乃夫・茨城大名誉教授は「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為。玉ぐし料よりも重大で、公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」と指摘。大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」との立場だ。」(毎日新聞)
安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するかどうかについては、
を検討する必要があります。宗教的行為であっても、私人(一個人)という資格で行うのであれば何ら問題はないのですが、国家機関を担う公人として行うのであれば政教分離違反となるからです(浦部編「憲法キーワード」58頁〜参照:通説)。<1>真榊奉納が宗教的意義を有するか、
<2>宗教的意義を有するとした場合、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったもの(公的行為)かどうか、
なお、靖国懇の報告書では、公式参拝とは「内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格(内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格)で行う参拝のことであり、したがって、閣議決定などは特に必要ではないと考える」としています(ジュリスト848号111頁)。そこで、真榊奉納問題での「公的」か否かについてどうかも、この基準を参照して(参拝を真榊に修正して)判断することにします。
(1) まず、<1>真榊奉納が宗教的意義を有するといえるでしょうか?
真榊(まさかき)は神事の際に祭壇の左右に立てる祭具であり、神社関係者によれば、「みたままつり」のちょうちん奉納と比較しても「同じ奉納でも宗教的意味が全く違う。玉ぐしと同じく気持ちを込めてお供えする宗教行為」だそうです。このような真榊奉納の性質からすると、玉ぐしと同様に、宗教的意義があると評価することが妥当であると考えます。
97年の「愛媛玉ぐし料訴訟」で最高裁は、靖国神社の例大祭などに際しての県費による玉ぐし料支出が、宗教的意義をもつとしていることからすると、真榊奉納は玉ぐしと同程度の宗教的意義があるのですから、(もし裁判となった場合)裁判所の判断としても、当然、真榊奉納も宗教的意義があると評価すると思われます。
今回、真榊は本殿に上がる階段の両脇に3鉢ずつ設置されたが、首相の鉢は河野洋平衆院議長、古賀誠・日本遺族会会長らより上座の「神道で最上位となる右列の本殿に最も近い位置に置いた」のです(テレビ報道だとかなり目立つ位置にあった)。そうなると、参拝者にとって誰にでもすぐに目にする形で、しかもしばらく置かれたままという継続的に奉納の意思を示すのですから、一時的に支出する玉ぐし料よりもより強く、特定の宗教を支援・助長する効果があると判断できると考えます。
大原康男・国学院大教授は「過去の判例から政教分離の原則に触れるとは思わない」としています。大原康男・国学院大教授が、どういう理由で、政教分離原則に違反しないとしたのか不明ですので、その評価は難しいです。しかし、「戦前の神社誌を見れば、真榊奉納は天皇の特権行為」ということであれば、真榊奉納は極めて宗教的意義が強いといえます。真榊は神事の際に祭壇の左右に立てる祭具なのですから、宗教的意義がないといったような評価は無理に近いのです。
そうだとすれば、大江志乃夫・茨城大名誉教授が述べるように「公式参拝と同じ行為と言え、政教分離の観点からも問題がある」という評価の方が妥当でしょう。
このように検討すると、真榊奉納が宗教的意義を有すると考えます。
(2) <2>宗教的意義を有するとした場合、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったものといえるでしょうか?
首相は5月8日夕、奉納について記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねています。
否定も肯定もしないとあえて明確にせず、曖昧な言動に終始する場合、私的行為とする判断もできますが、大阪高裁平成17年9月30日判決では曖昧な言動は公的と認定する要素の1つと判断しています。もし曖昧にすれば法の規制を免れることを許せば、簡単に脱法行為を認めてしまうことになるからです。
安倍氏は、内閣の首長である内閣総理大臣の地位にある以上、天皇陛下と同様に公人であって、公の場で行う殆どの行為が公的色彩を帯びてしまうのはある意味、不可避です。そうすると、首相による真榊奉納は、曖昧にしていた場合はもちろん、どう工夫をしても公的行為と扱われてしまうと考えます。
安倍首相は、靖国神社の春季例大祭で、「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたのです。そうすると、 靖国神社の最重要行事である春季例大祭において奉納したのですから、客観的にみて宗教的意義が深い行為であり、「内閣総理大臣」の肩書を明示したことで、国家機関たる公人として行ったという公的要素が強調されたと評価できます。
このように検討すると、安倍首相が行った真榊奉納は、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格として行ったもの(公的行為)といえると考えます。そうすると、安倍首相による真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するというべきだと考えます。
安倍首相は、参拝はできなくても真榊奉納はできると踏んだのでしょうが、もしそうだとすると、安倍首相は真榊奉納の宗教的意味がよく分かっていないことになります。真榊奉納の宗教的意味が分からずに奉納することは、靖国神社に対しても失礼な態度です。
(3) 直接真榊奉納問題に関わるわけではないのですが、なぜ、(首相による)靖国神社への参拝だけが特に問題とされるのでしょうか?
明治憲法下においては、神社神道を優遇する反面、他の宗教は激しく弾圧(宗教施設の爆破・不敬罪による処罰など)されたりするとともに(大江志乃夫「靖国神社」(岩波新書)39頁〜)、神社神道に与えられた国教的地位とその教義は国家主義や軍国主義の精神的な支柱となりました。このような沿革・戦時中の反省をふまえて、日本国憲法は憲法20条1項後段・3項、憲法89条を規定し、「国家と宗教との厳格な分離を明確にするために規定を置いている」(芦部信喜「憲法学」121頁)のです。
いうなれば、国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに、政教分離原則の主眼があったわけです。その「国家神道……の象徴」(三浦朱門監修「靖国神社 正しく理解するために」10頁〔海竜社〕)が靖国神社だったのですから、特に靖国神社と国家とのかかわりを否定しなければ、日本国憲法が政教分離規定を設けた意義を全く失ってしまうとさえいえるのです。
首相は内閣という合議体の「首長」として、国務大臣の任免権や行政各部を指揮するという重大な権限を有し、国を代表する立場にいます。そうすると、重大な権限を有する国の代表者が公然と靖国参拝する……。これこそ、日本国憲法における政教分離原則が最も忌むべき「国と靖国神社とのかかわり」だといえるのです。
首相が公然と靖国神社に公式参拝することを認めたら、政教分離原則は全く無意味なものと化したとさえいえるでしょう。日本国憲法の政教分離原則は「国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに主眼があった」のですから。
3.もう1点は、安倍首相は真榊奉納について、中国や韓国との外交関係への配慮から、明らかにしない、あいまいな態度をとり続けていることです。
「「出したか、出さないかということについても申し上げません」
首相は8日夕、奉納について明言を避けた。記者団が「否定しようがないのではないか」とたたみ掛けると、「否定も肯定もしないと申し上げている」と突っぱねた。
就任当初から靖国参拝について「行くか行かないか、行ったか行かなかったか申し上げるつもりはない。この先どうするかも同じだ」と繰り返してきた首相。その言葉通りの対応だった。」
安倍氏は内閣総理大臣であって、内閣という合議体の「首長」として、国務大臣の任免権や行政各部を指揮するという大きな権限を有するのですから、国民主権の下においては、日本国民に対してその行動を説明すべき義務があるというべきです。
しかも、首相は憲法尊重擁護義務(憲法99条)が課されているのですから、真榊奉納が政教分離を定めた憲法20条に抵触するという疑いがもたれている以上、憲法尊重擁護義務違反の有無について、国民の側には知る権利が生じるでしょうし、首相の側も説明すべきでしょう。
「出したか、出さないかということについても申し上げません」といって説明できないのであれば、奉納しなければよいのです。中国や韓国との外交関係への配慮から明らかにしないのであれば、そもそも奉納しなければよいのです。この黙っていればなんとかやり過ごせるという性根は、首相としてあまりに情けないといわざるを得ません。つい先日の、米国での謝罪行脚といい、安倍首相の情けない態度はこれからもずっと続きそうです。
3.首相の真榊奉納問題についての社説を引用しておきます。いずれも政教分離原則に抵触するおそれがあるのではないか、説明責任を果たしていないのではないか、又は国際社会から批判されると謝罪するのはおかしいのではないか、ということを指摘しています。
(1) 北海道新聞5月9日付「社説」
「靖国への供物*道理のない宗教的行為(5月9日)
安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納していたことが分かった。「内閣総理大臣」の肩書を添えて、である。
首相は就任以来、靖国に参拝するかしないかは明らかにしない、あいまいな態度をとり続けている。中国や韓国との外交関係への配慮からだ。
参拝ははばかられるが、靖国にまつられた「英霊」を尊崇する気持ちは変わらない−。そんな思いを、靖国関係者をはじめ信条を同じくする人たちに具体的行為で示したかったのだろう。
しかし、供え物の奉納も参拝も宗教的行為であることに違いはない。もし首相が「この程度だったら中国も韓国も反発するまい」と考えているのなら、浅慮である。
案の定、韓国、中国両政府は警戒感を強めている。
せっかく改善に向かっている両国との関係がまた悪化すれば、これまでの首相の努力を自分で台無しにする愚かな行為だったということになる。
首相は周辺に「私人」として奉納したと話しているそうだが、公私の別を強調してもあまり意味はない。
首相の言動は、どんなにささいなものであっても政治性をもって受け止められる。それは政治指導者の宿命ともいえる。五万円の真榊代をポケットマネーで払ったからいい、ということにはならないのだ。
たとえ供え物の奉納であっても慎むべきなのは、隣国の反発を招くからということだけが理由ではない。
参拝にしろ奉納にしろ、憲法の政教分離原則を無視するような行為なのだ。小泉純一郎前首相の靖国参拝をめぐる各地の訴訟でも、違憲判断はあるが合憲とする判決はまだないことを、わきまえてもらいたい。
首相は記者団に対し、真榊奉納について「靖国が外交問題化している」として説明を拒否した。これも不誠実な態度だ。
靖国に関しては国民の間にさまざまな考え方がある。侵略戦争を正当化するような靖国の歴史観に共鳴する首相に不信感を抱く国民も少なくない。
そもそも外交問題化が懸念されることをなぜしたのか。首相には説明責任がある。
最近、靖国へのA級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示したことを裏付ける資料が相次いで見つかった。日本遺族会ではA級戦犯の分祀が可能かどうか検討する勉強会がスタートした。
自民党内には分祀論に根強い抵抗があるが、仮に分祀が実現したとしても靖国が宗教法人である限り、政教分離の問題はついて回る。
小泉前首相が約束した国立の追悼施設建設構想は、ずっと宙に浮いたままだ。靖国問題の根本的な解決のためにも真剣に取り組む必要がある。」
(2) 朝日新聞5月9日付「社説」
「首相と靖国―抜け出せぬジレンマ
靖国神社の春季例大祭で、安倍首相が神前にささげる供え物を出していた。「真榊(まさかき)」と呼ばれるサカキの鉢植えだ。「内閣総理大臣」という木札が付けられていた。首相の奉納は中曽根元首相以来約20年ぶりのことである。
政府は、首相のポケットマネーで払い、私人としての事柄だから、「コメントすべきことではない」(塩崎官房長官)という立場だ。
首相の肩書で、神事に使う供え物を奉納し、神社側も「お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。これが「私人としての事柄」とは、なんとも奇妙な話である。
政教分離の原則から疑問があるのはもちろんのこと、忘れてならないのは靖国神社の性格だ。
靖国神社は、隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボルだ。その歴史はいまもなお神社内の戦争博物館「遊就館」で正当化されている。さらに、先の大戦の責任を負うべき東条英機元首相らA級戦犯を合祀(ごうし)したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まり、首相の参拝をめぐって国論も分裂した。
首相名で供え物を奉納することが政治色を帯びないわけがない。
そのことは首相もわかっているだろう。本当は参拝したいが、中国や韓国との外交問題になるので控えている。一方で、参拝しないままでは本来の支持層である参拝推進派に見限られてしまう。せめて供え物ぐらいはしておきたいということではないか。
こうしたどっちつかずの態度をとるのは、いまに始まったことではない。
昨年の春季例大祭のころは、自民党総裁選を前に、靖国神社参拝が争点になっていた。当時小泉内閣の官房長官だった安倍氏は「外交問題化している中、行くか行かないか、参拝したかしないかについても言うつもりはない」と述べた。その実、ひそかに靖国神社に参拝していたのだ。
安倍首相は就任直後に中韓両国を訪問し、両国との関係を劇的に改善した。その後、靖国神社に参拝していない。
首相は慰安婦問題でも、日本の責任をあいまいにする発言をして国際社会から批判されると、訪米時にブッシュ大統領に謝罪した。
こうしたことが保守の支持層からの批判を招き、ここにきて「安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっている」(評論家の西尾幹二氏)と嘆かれるほどになった。首相としては気が気ではあるまい。
だが、首相がかつて掲げた勇ましい右寄りの課題は、実際に政権を担う身になると、実行することはむずかしい。
国際社会の一員としての日本の地位や9条の改憲を望んでいない世論などの制約の中で、ナショナリズムの地金を小出しにする。そんなやり方を続ける限り、首相がジレンマから抜け出す道はない。」
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