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2007/04/28 [Sat] 17:08:42 » E d i t
昭和天皇の晩年の約20年間侍従を務めた故卜部亮吾氏の日記の一部が26日、朝日新聞の報道で明らかになりました。その日記には、昭和天皇の靖国神社参拝取りやめについて、「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記していたことが分かったのです。この報道についてコメントしたいと思います。(追記しました)


1.まず報道記事から。

(1) 朝日新聞平成19年4月26日付朝刊1面

 「逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ
2007年04月26日08時01分

 晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。

 日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。

 天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、体調の悪化で中止に追い込まれる。

 87(昭和62)年9月14日、「手術にふみ切る線で沖縄もムリと判断。(略)ついに来るべきものがきたということだが暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」。

 腸のバイパス手術を受けた天皇は国事行為や公務への復帰に執念を燃やす。しかし、ブレーキをかける卜部侍従に「突然摂政にした方がよいのではと仰せ」(88年2月9日)。そんなことなら、天皇が重篤な場合などに立てられる摂政を決めたらどうか、といらだちをぶつけている。

 88年9月の吐血以降の容体、肉親の悲しみも痛々しい。見舞った皇族から「助けてとかどうにかならないかの頻発でお気の毒の由 点滴の針も難しくなる」(11月3日)。天皇の意識が遠のいていく中、意識をはっきり保たせるために侍医団は血中アンモニアを減少させる薬剤を使用していた。「今朝は反応がかなりはっきりしてこられた由 とにかく摂政の話を消すためにも意識混濁の表現は禁句と」(同29日)。肉親への反応も徐々に鈍っていく。「常陸宮同妃御参 殿下おもうさま(お父さま)と呼びかけ わずかに眼お開きか」(12月17日)

 翌89年1月7日、卜部侍従は、息を引き取った天皇の髪を整えひげをそる。「たんかにて御尊骸(そんがい)を御寝室からお居間にお移しする あまりに重いのに驚く」

 靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。

 最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。

 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。

 日記の随所にみられるのが、終戦記念日や原爆の日に律義に慎む天皇の姿だ。2・26事件の日もその一つだった。

 事件から41年たった77(昭和52)年2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。

 忍び寄る老いとの闘いも記録されている。75年2月17日、73歳の天皇は祈年祭の最中、賢所(かしこどころ)の中で2度倒れていた。その後の新嘗祭(にいなめさい)でも卜部侍従が天皇の体を支えており、高齢の天皇に祭祀がいかに過酷になったかがわかる。

 このほか、77年7月、皇后が那須で腰椎(ようつい)骨折した際の御用邸内の様子、皇后が次第に心身の不調に陥るプロセスや天皇の心配ぶり、また石油危機では御料車の使用をためらい、行革が叫ばれた時には歴代最長寿の祝賀をやめさせるなど国民感情に気配りする天皇の姿も記録されている。

 日記は「昭和天皇最後の側近・卜部亮吾侍従日記」全5巻として、5月以降朝日新聞社から順次刊行される。」



(2) 日経新聞平成19年4月26日付夕刊22面

 「卜部侍従の日記 明らかに 「A級戦犯合祀 御意に召さず」

 昭和天皇の晩年の約20年間侍従を務めた故卜部亮吾氏の日記の一部が26日、朝日新聞の報道で明らかになった。日記には同時期に宮内庁長官を務めた故富田朝彦氏が残した「富田メモ」で天皇が靖国神社不参拝の理由を語った1988年4月28日、富田氏が天皇に会ったことや卜部氏と同様の会話をしたことが記されている。

◆富田メモと符合

 同日の卜部氏の日記には「10時半すぎ宮殿へ 藤森次長を表御座所棟各室案内 主階のみ、お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀(ごうし)と中国の批判・奥野発言のこと」と記している。

 奥野誠亮国土庁長官(当時)は同月22日の記者会見で侵略戦争を否定する発言をし、中国、韓国が反発。昭和天皇は同年の誕生日の会見で「戦争が一番嫌な思い出」と答えていた。

 卜部氏は靖国神社について「A級戦犯合祀が御意に召さず」(2001年7月31日)、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」(同年8月15日)と書いている。

 一方、富田メモには同日、「1117-1153(11時17分-11時53分) 言上」と書かれており、卜部氏が富田氏の後に天皇に会ったことが分かる。

 メモで天皇は「私は或る時に A級が合祀され」「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と靖国神社に参拝しない理由を述べるとともに、3日前の4月25日に行われた誕生日前会見を振り返っている。

 天皇は「“嫌だ”と云ったのは奥野国土相の靖国発言 中国への言及にひっかけて云った積りである」と述べている。卜部氏の日記と符合しており、同氏にも同様の話をしたとみられる。

 卜部氏は1969年に人事院から宮内庁に移り侍従に就任。侍従事務主管を務め、晩年の昭和天皇のそばで長く仕えた。91年に退官後は皇太后宮職御用掛となり、2000年の香淳皇后の大喪儀で祭官長を努めた。02年3月、死去。

 日記は卜部氏が託した朝日新聞社が5月以降、全五巻を刊行するという。


◆合祀に不快感 証明された――御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター教授の話

 昭和天皇が靖国神社への参拝を取りやめた経緯について、「卜部日記」の記述は昨年報道された「富田メモ」の内容と一致している。これで昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなったことが、完ぺきに証明された。

 日記では靖国神社などの記述にアンダーラインが引かれており、筆者がこのことを重要視していたことが分かる。「合祀を受け入れた松平永芳は大馬鹿」という記述は、昭和天皇の心情を受けてのものと考えられる。」

 



2.この32年間に渡る日記は、卜部氏が亡くなる1ヶ月前に、病床を見舞った岩井克己・朝日新聞記者に託したものであり(朝日新聞4月26日付朝刊27面)、「遺志に基づいて朝日新聞が公開した」(毎日新聞4月26日付夕刊1面)ものです。


(1) 昭和天皇が靖国神社への参拝を取りやめた経緯については、昨年報道された「富田メモ」にも記されていました。その「富田メモ」については、以前に何度か触れています。「富田朝彦元宮内庁長官の日記・手帳(富田メモ)は捏造なのか?~日経新聞平成18年7月23日付より」「「富田メモ」連載再開~日経新聞(平成18年8月3日付朝刊)」「昭和天皇との10年―富田メモから(2)~日経新聞平成18年8月4日付朝刊」「昭和天皇との10年―富田メモから(3)~日経新聞平成18年8月5日付朝刊」「小泉首相靖国参拝の周辺~加藤紘一衆院議員の実家・事務所が全焼」で触れています。

「富田メモ」では内容について疑義は出ていましたが、多数の学者や報道機関の考えは、昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなったことで一致していました。


(2) 「卜部日記」と「富田メモ」の整合性については、日経新聞の記事の方が詳しく行われています。

「「富田メモ」で天皇が靖国神社不参拝の理由を語った1988年4月28日、富田氏が天皇に会ったことや卜部氏と同様の会話をしたことが記されている。

 同日の卜部氏の日記には「10時半すぎ宮殿へ 藤森次長を表御座所棟各室案内 主階のみ、お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀(ごうし)と中国の批判・奥野発言のこと」と記している。

 奥野誠亮国土庁長官(当時)は同月22日の記者会見で侵略戦争を否定する発言をし、中国、韓国が反発。昭和天皇は同年の誕生日の会見で「戦争が一番嫌な思い出」と答えていた。

 卜部氏は靖国神社について「A級戦犯合祀が御意に召さず」(2001年7月31日)、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」(同年8月15日)と書いている。

 一方、富田メモには同日、「1117-1153(11時17分-11時53分) 言上」と書かれており、卜部氏が富田氏の後に天皇に会ったことが分かる。

 メモで天皇は「私は或る時に A級が合祀され」「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と靖国神社に参拝しない理由を述べるとともに、3日前の4月25日に行われた誕生日前会見を振り返っている。

 天皇は「“嫌だ”と云ったのは奥野国土相の靖国発言 中国への言及にひっかけて云った積りである」と述べている。卜部氏の日記と符合しており、同氏にも同様の話をしたとみられる。」(日経新聞)


同じ4月28日に、富田長官が11時17分から、卜部日記によると「長官拝謁のあと」に卜部氏が昭和天皇に会っているということは、卜部日記が証拠となって富田氏が昭和天皇と会っていることが証明されたことになります。

そして、卜部日記からすると、昭和天皇が「靖国の戦犯合祀(ごうし)と中国の批判・奥野発言のこと」で話しているのですから、4月28日当時の卜部日記には富田メモほど詳しい内容が書かれていなくても、富田メモと同じ内容を話したと判断するのが合理的です。卜部日記も、後に「A級戦犯合祀が御意に召さず」(2001年7月31日)、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」(同年8月15日)と書いているのですから、それも含めれば、富田メモと同じであることは明白でしょう。

また、岩井記者に対して、「生前、卜部は天皇に奥野発言や反響について説明した際に天皇が『英国人や米国人にすら私の気持ちをわかってくれている人がいるのに』と涙ぐんだと語っていた。」と伝えているのです。そうすると、「A級戦犯合祀が御意に召さず」という話は、親しい皇室担当記者であれば、よく知っていたことではないかと思います。


このように考えると、

「昭和天皇が靖国神社への参拝を取りやめた経緯について、「卜部日記」の記述は昨年報道された「富田メモ」の内容と一致している。これで昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなったことが、完ぺきに証明された。」(御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター教授)

このように、「卜部日記」で記された内容は、「富田メモ」と一致している、すなわち、別人に対して、それも長官と報道担当の卜部という、今後会話の内容を公表することがありうる立場の者が、それぞれ別の機会に昭和天皇から同様の内容をお聞きしたことを記しているのですから、「昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなったことが、完ぺきに証明された」ということで確定したといえると思います。




3.このように、「昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなった」ということがはっきりしたのですから、今後どうすべきかです。

靖国神社は、「明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された」(靖国神社のHPより)もので、戦前においては神社行政を総括した内務省ではなく、陸軍省および海軍省によって共同管理される特殊な存在でした。このように靖国神社は天皇とは結びつきが強い存在ですから、昭和天皇の意思に反する合祀は、靖国神社の宗教上の立場(靖国神社創建の経緯)からすると妥当性を欠いているといえるのです。

国立国会図書館3月末、「新編 靖国神社問題資料集」を公表しましたが、それによると、厚生省引揚援護局にいた旧軍人グループが、A級戦犯合祀を積極的に推し進め神社側が受身で行った(もっとも、作家の保阪正康氏によると、靖国神社は受身ではなく共同の意思で行ったとしています)のですから(読売新聞平成19年4月20日付朝刊29面)、A級戦犯合祀自体、政教分離原則(憲法20条)に違反してなされたものといえるのです。

そうなると、A級戦犯合祀は、昭和天皇の遺志にも反しており、政教分離原則にも違反するのですから、靖国神社としてはA級戦犯を霊璽簿の名前から抹消する方向(分祀論!?)が妥当な対応なのだと思います。

もちろん、日本国憲法下では、靖国神社も1つの宗教団体であり、信教の自由(憲法20条)があるので、国が靖国神社に対して分祀や霊璽簿からの名前の抹消をを求めることはできません。ですが、 靖国神社としてはA級戦犯を合祀したままでは、未来永劫、昭和天皇の遺志に反したままという「汚点」を抱えたままになってしまいます。靖国神社創建の経緯からして宗教人としてそれでよいのかどうか、が問われていると思います。




<追記1>

日経新聞の記事では、卜部日記と富田メモを比較して検証しています。はしょりながら検証していますので、該当する卜部日記の部分について、朝日新聞の記事から全文を引用しておきます(朝日新聞4月26日付26面)。

「歴代最長寿となる同年の誕生日の会見を前に、天皇と卜部は、こんなやりとりをしている。

 【4月15日】 ご長寿について、嫌なことにも出会うということはいわない方がよいかと 胸の中にしまっておいていただきたいと。

 昭和63年4月25日、天皇の誕生日前会見が皇居内で行われた。最後となった記者会見だ。天皇は自らの体調や生物学の著書、半世紀以上仕えた徳川義寛侍従長の退任などについて答え、先の大戦について「何と言っても大戦のことが、一番いやな思い出であります」と語った。

 事前のシナリオでは「つらい思い出」と答えるはずだったという。「いやな思い出」では第三者的にも聞こえる。なぜ「いやな」との強い言葉になったのか、卜部や幹部は首をかしげていた。

 【4月28日】 10時半すぎ宮殿へ 藤森次長を表御座所棟各室案内 主階のみ、お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀(ごうし)と中国の批判・奥野発言のこと。

 卜部はこのくだりに自ら赤いアンダーラインを引いている。

 奥野誠亮・国土庁長官が、同22日の記者会見で、閣僚の靖国神社参拝に関連して「白色人種がアジアを植民地にしていた。それが、日本だけが悪いことにされた」「何が日本が侵略国なのか」などと述べた。これに中国や韓国が強く反発していた。生前、卜部は天皇に奥野発言や反響について説明した際に天皇が「英国人や米国人にすら私の気持ちをわかってくれている人がいるのに」と涙ぐんだと語っていた。

 富田朝彦長官のメモが06年7月に明るみに出て、A級戦犯の靖国神社への合祀に対し昭和天皇が不快感を語ったと報じられた。富田メモ<注>の日付は、この4月28日。卜部の日記は、この日に同長官が吹上御所で拝謁し、入れ替わりで入った卜部に対して天皇が「靖国の戦犯合祀」などについて語ったことを記録しており、富田メモとつじつまが合っている。

 天皇は、あえて「いやな」と述べた「私の心」(富田メモ)について、長官と報道担当の卜部に語ったともみられる。

 後年、自らのがんとの闘病のさなか、卜部は次のように記している。

 【平成13年7月31日】 [一時退院中] 薬飲むのが大変、(略)9時半に起きて着替える。10時昨日予約の入った朝日の岩井記者来 応接間にて会う。予想どおり靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず 50/11/21が最後 このとき戦没者墓苑にも行幸啓あり 三殿正式御代拝もこの年で変更に 30分くらいで辞去。
 【8月15日】 7時半起床、同じような症状、洗面ひげそり、朝食、便通好調、縁側で朝刊、靖国合祀以来天皇陛下参拝取止(や)めの記事 合祀を受け入れた松平永芳は大馬鹿。2階に上がって少し横になる。



<注>富田メモ 私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ。」




<追記2>

書き忘れたのでもう一言。朝日新聞は、「富田メモ」の内容を巡って騒動になっていたときには、すでに「卜部日記」を見ていたわけです。そうすると、「富田メモ」の内容が、「昭和天皇がA級戦犯を合祀したことに不快感を持ち、靖国参拝をしなくなった」ことであることは、その当時から確信を持って正しいと分かっていたことになります。

そうなると、朝日新聞さんからすれば、富田メモ騒動で右往左往する人たちが馬鹿馬鹿しく見えたはずです。特に、昭和天皇の心情を書いたものではないと強調していた一部の識者に対しては、「後で恥をかくことになるのに……」と哀れな思いさえ抱いていたかもしれません。朝日新聞さんもなかなか人が悪いですね。

なお、ジャーナリスト・立花隆氏が、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」の「第105回 “A級戦犯合祀が御意に召さず”卜部侍従日記が明かした真実」(2007年4月27日)において、卜部日記について触れています。富田メモについて、天皇の真意は違うといい立てる人もいたが、「今度はどんな詭弁を用いてもいい逃れできない」よと、断じています。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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コメント
この記事へのコメント
こんばんわ!
ようやく同じ話題で記事が書けたようです。内容はアナタの方がバッチリだよ。トホホ・・・
2007/04/28 Sat 22:02:38
URL | とらちゃん #-[ 編集 ]
>とらちゃんさん
TBとコメントありがとうございます。TBを返しているのですが、うまく反映していないようで申し訳ないです。


>ようやく同じ話題で記事が書けたようです。

そうですね!(^^ゞ もっと政治的な色合いのある問題も取り上げていきたいのですが、なかなかできません……。


>内容はアナタの方がバッチリだよ。

う~ん、どうでしょうか? とらちゃんさんの記事も良いと思いますけど。それぞれの独自の書き方があるのですから、どちらがバッチリかなんていえないと思います。
2007/04/30 Mon 00:04:43
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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2008/02/28(木) 07:03:11 | マツケンの世界!!
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