両弁護士が「訴訟の迅速な進行を妨げた」として処分を求めた東京高裁からの刑事訴訟規則303条に基づく「処置請求」に対して、日弁連は2月15日、「裁判所が裁判終結後に弁護士の処分を求める請求は、不適法と判断せざるを得ない」として、2人を処分しない決定をしたため、弁護士法に基づく懲戒請求に踏み切ったものです。「裁判所による弁護士の懲戒請求は1970年以来、37年ぶり」(東京新聞3月8日付)で5件目とのことです。
この報道についてコメントしたいと思います。
その前に問題となった経緯について簡単に触れておきます。
両弁護士は松本死刑囚が2004年、1審・東京地裁で死刑判決を受けた後、控訴審の私選弁護人に就任したが、「被告人には訴訟能力がない」などと提出期限までに控訴趣意書を提出しませんでした。このため高裁は昨年3月、控訴棄却を決定し、特別抗告が最高裁に退けられ同年9月、死刑が確定したのを受けて、高裁は両弁護士の処分を求めたというものです。
1.まずは処置請求について。
(1) 西日本新聞(2007年2月16日掲載)
「処置請求と懲戒請求
刑事訴訟規則は弁護人や検察官が法律や規則に違反し、裁判の迅速な進行を妨げた場合、裁判所は日弁連や弁護人の所属弁護士会、検察官に指揮監督権を持つ者に通知し、懲戒処分などの適当な処置を請求しなければならないと規定。また弁護士法は弁護士が同法などに違反し、信用を害したり品位を失う非行があったりした場合、誰でも所属弁護士会に懲戒処分を請求できると定めている。処分は除名、退会命令、業務停止(2年以内)、戒告。
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控訴趣意書問題 松本弁護団処分せず 日弁連決定「高裁の請求、時機逸す」
(2007年2月16日掲載)
東京高裁が処分などを請求(処置請求)したオウム真理教松本智津夫死刑囚(51)=教祖名麻原彰晃=の控訴審弁護人2人について、日弁連(平山正剛会長)は15日、処分しない決定をした。決定理由で「処置請求は迅速な審理を確保するための制度で、裁判終結後に請求された今回のケースは不適法」との判断を示した。
東京高裁は「形式的理由で弁護人活動の当否について判断を回避した。決定は極めて遺憾」とのコメントを発表したが、不服申し立ての手続きはなく、新たに弁護士法に基づき、2人の懲戒処分を各所属弁護士会に請求する。最高裁によると、裁判所が弁護士の懲戒を請求するのは1970年以来で、5件目となる。……
処置請求は刑事訴訟規則に基づくが、請求期限は定められておらず、決定はまず処置請求について(1)裁判所の訴訟指揮権に由来する(2)目的は訴訟の迅速な進行への障害除去や違反行為の継続、反復防止(3)請求できるのは進行確保の実効性を担保するため特に必要な場合−と指摘。「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈した。
東京高裁は「将来の遅延行為を防止するために請求できる」と主張したが、決定は「制裁を目的とした制度ではない」として退けた。……」
この記事が、日弁連による処置請求の解釈が一番詳しいようです。東京高裁の解釈ははっきりしませんが、「遅延行為防止」を巡って争っていることは分かりますから、日弁連も、東京高裁も、処置請求の性質・趣旨が「裁判所の訴訟指揮権に由来する」もので、進行確保の実効性を担保するということには異論がないと思われます。
東京高裁は、2弁護人の弁護活動の当否を判断して欲しかったようですが、日弁連は「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈して、2弁護人の弁護活動の当否を判断しませんでした。「形式的な法律解釈に終始」したとか、「門前払い」したと評価されているようです。
なお、控訴審の弁護人は、最初2004年2月に松下明夫弁護士と松井武弁護士の2人が選任されたのですが、2005年2月には5人に増員されています(野田・大谷他「麻原死刑」でOK!」(2006年、ユビキタス・スタジオ)20頁)。本来、5人すべてに処置請求する方が公平でしょうが、松下明夫弁護士と松井武弁護士の2人だけを選んで処置請求したようです。
(2) 日本経済新聞平成19年2月16日付朝刊39面
「2弁護士会見 「懲戒されるべきは裁判官」
松本知津夫死刑囚(麻原彰晃、51)の弁護人を務めた松下明夫弁護士らは日弁連の決定を受け15日夜、東京都内で記者会見し「東京高裁の不適法な請求は見逃すことはできない。懲戒されるべきは裁判官たちだ」と怒りをあらわにし、不処分は当然との認識を示した。
松下弁護士は「『請求が不適法』で終わったのは物足りない。麻原氏(松本死刑囚)の精神状態なども検証してもらいたかった」と不満を漏らした。松井武弁護士は「処置請求は弁護活動の萎縮を狙ったとしか思えない」と批判した。
一方、東京高裁の山名学事務局長は同日、「司法制度改革で弁護士倫理の強化が強く求められているのに、要請無視は極めて遺憾」とのコメントを発表。両弁護士の行為は「弁護士に対する国民の信頼を失わせるばかりか、刑事裁判に対する国民の信頼を損ないかねない」と強調した。」
松下弁護士らは、弁護活動が正当であったと明確にして欲しかったようです。「懲戒されるべきは裁判官たちだ」とまで言っているのですから、懲戒自体をしたことへも不満があるようです。弁護活動が正当と思っているのですから、当然の反応かもしれません。
日弁連の示した決定は「門前払い」(面会もせずに、来訪者を門前で追い返すこと。転じて問題の内容に立ち入らず手続き的な不備などを理由に訴えを退けること)ですから、東京高裁が不満を抱くこともまた当然かもしれません。
ただ、裁判所が判決や決定でしばしば「門前払い」を用いるのですから、「裁判所の日ごろの門前払いへのお返しでもあるまいが」(読売新聞平成19年2月16日付夕刊「よみうり寸評」)と皮肉られています。裁判所の方こそ「門前払い」を止めないと、いつまでも皮肉られるだけであり、裁判所の方こそ「刑事裁判に対する国民の信頼を損ないかねない」門前払いは止めるべきでしょう。
「解説:弁護活動の当否判断回避 日弁連に批判も
松本知津夫死刑囚の弁護人らを処分しないとした15日の日弁連決定は、形式的な法律解釈に終始し、弁護人らの活動が適切だったかどうかの判断を回避した。高度な自治が認められる弁護士会の結論は尊重されるべきだが、一般国民には納得しづらい面も残る。迅速な裁判の要請が高まる中、日弁連の対応には批判も予想される。
刑事訴訟規則に定められた「処置請求」は1960−70年代の公安事件などで相次いだが、弁護士会側が適切な対応をしなかったことなどから長く途絶えてきた。しかし2009年までに始まる裁判員制度では、裁判員を務める国民の負担軽減のために迅速な裁判は不可欠。東京高裁は同死刑囚の死刑確定を遅らせた弁護士らの行動を放置できないと、異例の請求に踏み切った。
日弁連は「請求は裁判遅延防止が目的で、制裁制度ではない」と判断。裁判終局後の請求を退けた71年の大阪弁護士会の先例などを基に「門前払い」にした。高裁側は「請求の時期を限る規定はない」と指摘したが、日弁連は「法律上も裁判中に限られるのは明らか」とした。
弁護士は、時には国家権力とも対峙(たいじ)し被告や市民の利益を守る存在で、弁護士活動を縛る制裁発動には慎重さが必要だ。処置請求を受けた2弁護士の代理人に全国の弁護士約600人が就いたことも請求に対する業界の“危機感”をうかがわせる。
しかし弁護士らの行動が、高裁の公判が開かれないままでの死刑確定につながったのは事実。渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「規則からは、裁判終局後は請求できないという日弁連の主張は読み取れない。迅速な裁判を受ける権利を日弁連がどう考えるか示すべきだった。弁護士自治に対する市民の信頼が揺らぎかねない決定だ」と話している。」
この解説で注目すべき点では、
の点です。処置請求がそう容易く認められるようだと、刑事弁護人としての役割に対する危機感が生じると感じている弁護士が多いということだと思われます。これは、単に弁護士自治が脅かされるといったためではないでしょう。「弁護士は、時には国家権力とも対峙(たいじ)し被告や市民の利益を守る存在で、弁護士活動を縛る制裁発動には慎重さが必要だ。処置請求を受けた2弁護士の代理人に全国の弁護士約600人が就いたことも請求に対する業界の“危機感”をうかがわせる。」
(3) 「処置請求」の規定は次の通りです。
(検察官及び弁護人の訴訟遅延行為に対する処置)
刑事訴訟規則 第三百三条 裁判所は、検察官又は弁護士である弁護人が訴訟手続に関する法律又は裁判所の規則に違反し、審理又は公判前整理手続若しくは期日間整理手続の迅速な進行を妨げた場合には、その検察官又は弁護人に対し理由の説明を求めることができる。
2 前項の場合において、裁判所は、特に必要があると認めるときは、検察官については、当該検察官に対して指揮監督の権を有する者に、弁護人については、当該弁護士の属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当の処置をとるべきことを請求しなければならない。
3 前項の規定による請求を受けた者は、そのとつた処置を裁判所に通知しなければならない。
訴訟の進行を秩序付けるために裁判所が行うのが「訴訟指揮」ですが、この刑事訴訟規則303条は、裁判所が訴訟を適正にコントロールしようとしたのに「迅速な進行を妨げた場合」への処置を定めたものです。ですから、この規定は、「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するためのものと理解できます。
書籍では、訴訟指揮権(刑事訴訟法294条)を解説する箇所に、刑事訴訟規則303条が引用されていることから(田宮裕著「注釈刑事訴訟法」(1980年、有斐閣)323頁、藤永幸治・河上和雄・中山善房編者「大コンメンタール刑事訴訟法第4巻529頁)、刑事訴訟法303条は「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するという理解で一致していると思われます。
(4) 日弁連は、「処置請求は迅速な審理を確保するための制度で、裁判終結後に請求された今回のケースは不適法」との判断を示して、処分しない決定をしましたが、東京高裁の山名学事務局長は同日、「形式的理由で弁護人活動の当否について判断を回避した。決定は極めて遺憾」とのコメントを発表したように、「門前払い」の決定に不満を抱いているようです。では、この日弁連の決定は妥当なのでしょうか?
刑事訴訟法303条は「裁判所の訴訟指揮権に由来」し、審理の進行確保の実効性を担保するものですから、審理が終結し、判決や決定が確定した後は、もはやその事件の「審理の進行確保の実効性」は必要ありません。また、訴訟指揮権は「審判活動に本来的に付随するもの」(田宮著「注釈刑事訴訟法」324頁)で、処置請求は訴訟指揮権に由来するのです。そうすると、審理が終結すれば、付随して訴訟指揮権権限も消滅し、処置請求権もまた消滅したといえます。
処置請求は、明文上請求期限がありませんし、遅延行為を防止することにつながる可能性があることは確かです。しかし、どんな権利も通常、行使期限があるのですから、明文上請求期限がないことは何時までも請求できる根拠にはなりません。また、すでに裁判が終結した後は、どのような手続も(再審は除き)その審理に影響させることは不可能ですから、現在の審理の遅延行為を防止するにはなりません。東京高裁は、「将来の遅延行為を防止するために請求できる」としますが、類似の事案はほとんどないのですから、かなり希薄な「将来の遅延行為」の防止にすぎません。
このように考えると、日弁連が「審理が終結し、判決や決定後は請求できない」と解釈したのは、妥当な解釈であるということになります。
多少皮肉った言い方になりますが、今回の日弁連の決定は、当然とさえいえるのです。
この処置請求に対しては不服申し立ての手続がなく、処置請求後は裁判所はなんら関与できないことから分かるように、処置請求の判断は日弁連の自由裁量に委ねられています。自由裁量なのですから、日弁連の有利なように解釈することは可能というか、有利な解釈を許容しているのですから、有利な解釈をしたところで、非難するわけにもいかないはずです。むしろ、裁判所との決定的な対立を避けるために、あえて「門前払い」をしたといえるかもしれません。
東京高裁の山名学事務局長は、「司法制度改革で弁護士倫理の強化が強く求められているのに、要請無視は極めて遺憾」と非難していますが、処置請求の規定(刑事訴訟規則303条)からすると、裁判終了後に処置請求を求めた以上、日弁連が有利な解釈をすることは予想できたことであり、型どおりの反応をしてみせたともいえそうです。
このように、日弁連の解釈も東京高裁の反応も予定調和の結果であり、ある意味、茶番劇といえそうです。
朝日新聞平成19年2月16日付朝刊30面では、「《解説》司法改革前の泥仕合に疑問」という表題において、
と述べています。「メンツをぶつけ合っても意味がないから止めたら?」として、茶番劇であることが分かっているようです。「オウム裁判の弁護人の行為をめぐる争いは、裁判所が弁護士会に「懲戒請求」というボールを投げ返す事態に発展。弁護士倫理の強化を求める裁判所と、「自治」を重視する弁護士会のメンツがぶつかり合う異例の形になった。……
問題がこじれた原因の一つは、裁判所と弁護人のコミュニケーション不足だ。引き続き裁判所が自ら紛争の当事者になることに、国民の理解が得られるのだろうか。
法曹が相互協力して司法制度改革を実行すべきこの時期に、「泥仕合」を続けることには疑問がある。」
2.次に懲戒請求について。
(1) 毎日新聞平成19年3月8日付朝刊31面
「オウム裁判:東京高裁、2弁護士の懲戒請求 「被告の利益損なう」
オウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(52)の控訴審で弁護人を務めた松下明夫(仙台弁護士会)、松井武(第二東京弁護士会)両弁護士について、東京高裁は7日「控訴趣意書の提出を違法に拒んで死刑を確定させ、被告の利益を著しく損なった」として各所属弁護士会に懲戒請求した。日本弁護士連合会への「処置請求」が先月退けられたため、弁護士会に直接、除名や業務停止などの処分を求めることを明らかにしていた。
最高裁が把握する限りでは、裁判所による弁護士の懲戒請求は37年ぶり。松下弁護士らは控訴審から松本死刑囚の弁護を担当し、控訴趣意書を05年8月の期限まで提出しなかったため、高裁が昨年3月に控訴棄却を決定し、最高裁も同9月に支持し刑が確定した。高裁の処置請求に対して日弁連は先月「裁判終了後の請求は不適法」と門前払いし、弁護活動の是非を判断しなかった。【高倉友彰】
◇混乱長期化も
異例の懲戒請求は、裁判所と弁護士の「大義名分」が衝突する展開が予想されるが、過去には結論が出るまで10年を要した例もあり早期の決着は考えにくい。問題が長期化すればするほど「不毛な争い」との批判が高まりかねない。
先に高裁が行った処置請求は、結果的に一度も公判が開かれずに死刑を確定させた両弁護士の弁護活動について「迅速な裁判を妨げた」と日弁連に判断を求めた。その門前払いに高裁は「判断を回避した」と反発、今回の請求に至った。一方、両弁護士は懲戒請求自体が「弁護活動を萎縮(いしゅく)させる」と徹底抗戦の構え。処置請求段階で全国から約600人が弁護団に参加しており、同調する弁護士は少なくない。
懲戒請求を受けた各弁護士会は、綱紀委員会と懲戒委員会の2段階で調査を行い、その期間はいずれも「半年以内」とされるが、努力規定にとどまる。そもそも控訴趣意書の未提出という今回のケースは極めて特殊で、他事件への波及は想定しにくいうえ、既に判決も確定している。にもかかわらず混乱が続いた場合、司法全体への不信感につながる懸念もある。【高倉友彰】
毎日新聞 2007年3月8日 東京朝刊」
「過去には結論が出るまで10年を要した例もあり早期の決着は考えにくい」のですから、懲戒請求を求めたことにどれほどの意味があるのだろうかといえそうです。
といった解説をつけていますが、混乱が続くという意味がよく分かりません。多数のテロ行為や犯罪行為を実行したという極めて特異な事件ですから、どのような判断であっても他の事件に影響しませんし、「過去には結論が出るまで10年」を要するとしたら、より影響力が小さいといえますから。「他事件への波及は想定しにくいうえ、既に判決も確定している。にもかかわらず混乱が続いた場合、司法全体への不信感につながる懸念もある」
(2) 読売新聞(2007年3月7日23時33分)から一部引用
「高裁は同月、刑事訴訟規則に基づき、日本弁護士連合会(日弁連)に両弁護士の処分を求める「処置請求」を行ったが、日弁連は先月、両弁護士の弁護活動について調査をしないまま、処分しないと決定した。このため、高裁は、所属弁護士会が事案の調査を行わなければならないことを定めた弁護士法に基づく懲戒請求に踏み切った。
懲戒請求書の中で、同高裁は両弁護士の弁護活動について、「趣意書の提出を自らの主張を承諾させるための条件とし、その提出を拒否するという行為は刑事弁護人として考えられない無謀な行為。自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と厳しく批判。さらに、「処分しない」と決定した日弁連についても、「弁護士の法廷倫理の確立に向けての弁護士会の消極的姿勢が顕著」とし、「裁判員制度の導入を目前にして、両弁護士の行為が違法であることを明確にするのは国民に対する弁護士会の責務だ」と、注文を付けた。」
この記事だと、懲戒理由は色々挙げていますが、結局は、あえて控訴趣意書を期限までに提出しなかったことに尽きます。「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪しても、所詮は、控訴趣意書を提出しなかっただけのことです。控訴趣意書を提出しなれば、当然、公訴棄却され、控訴審で実質審理がなされないのですから。
(3) 東京高裁は、「両弁護士の行為が違法であることを明確にするのは国民に対する弁護士会の責務だ」と述べて、当然に懲戒処分を受けると判断しているようですが、果たして懲戒処分を受けるのでしょうか?
刑事弁護関係において、控訴趣意書を期限までに提出しなかった例について挙げてみます(武井康年・森下弘編著「ハンドブック刑事弁護」444頁参照)。
・ 82歳の国選弁護人が控訴趣意書の提出を怠り、被害者からの慰謝料請求訴訟についても被告人の代理を引き受けたものの、家庭の事情から全て時期に遅れ、敗訴させた。→戒告(処分日時1980.5.23)
・本人自身が控訴した事件の弁護人が、控訴取り下げの説得のほうに気を取られ、控訴趣意書を提出しないまま期限が過ぎ、辞任した。→戒告(処分日時1995.7.27)
このような前例は、過失で提出期限を過ぎてしまった場合ですが、前例に従うならば、松下弁護士らに対する処分は戒告にとどまることになります。
ただ、松下弁護士らは故意で控訴趣意書を提出しなかったのですから、もっと重く処分することになるとも考えられます。
しかし、控訴趣意書の意義についてよく考える必要があります(「刑事控訴審に出る弁護人のやるべこと〜特に控訴趣意書に関して」参照)。すなわち、弁護人としては、被告人から不服の理由を十分に聞いた上、第1審判決を分析し、説得力ある控訴趣意書を作成する必要があるのです。控訴審の弁護活動のポイントは第一にこの説得力ある控訴趣意書の作成にかかっているといえるのですから(大出・川崎他著「刑事弁護」(1993年、日本評論社)162頁)。
そうすると、麻原氏と意思疎通なく出来上がった控訴趣意書を提出すると、控訴趣意書の意義の著しく損なってしまうのですから、控訴趣意書を提出することは問題がありました。しかも、この事案は死刑相当事件なのですから、被告人の命がかかっているのですから、どんなに悪人であろうと、その声を聞くことは人としての努めであると思われます。
だからこそ、2弁護人は、あえて控訴趣意書を提出しなかったわけですが、東京高裁は、控訴趣意書の意義について言及するすることなく、打ち切ったのです。
また、東京高裁は「最初から裁判所は『この裁判は2年で終わらせる』『ふつうの裁判と同じようにやる』と豪語」(麻原控訴審弁護人「獄中で見た麻原彰晃」82頁)していたそうですから、元々、ろくに事実の取調べ(刑訴法393条)を行う意思もなければ、十分な審理を行う意思もありませんでした。 そうだとすると、いくら東京高裁が、「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪してみせても説得力がありません。
死刑相当事件では、マスコミは過剰な報道を行い、弁護人もかなり負担がかかります。特に麻原氏の弁護は、目が不自由で訴訟手続の進行が難しく、起訴時17事件(その後13事件)、1万5000点の証拠、弟子たちの供述調書もなく、3938名に及ぶ殺人及び殺人未遂の被害者(地下鉄サリン・松本サリン。その後18人に絞り込む)といったように、どれも重大事件ですし、立証も弁護も難しい「共謀」を中心に争う事件でした(安田好弘著「『生きる』という権利――麻原彰晃 主任弁護人の手記」参照)。
これほどの事件であるのに、麻原氏の意思を聞かずに訴訟を進めるのを躊躇うと処分を受けるのだとすると、弁護人は、死刑相当事件は手抜きをすることになるか、あるいは誰も死刑相当事件について弁護しなくなる可能性が生じます。
このようなことからすると、松下弁護士らに対して戒告さえもだせるのだろうかと思います。結局は、重くても(一番軽い懲戒である)戒告、もしかしたら懲戒処分なしとなる可能もあると思います。
3.刑事弁護人としては、裁判所の意向に従って、麻原氏の意思が全く反映していない控訴趣意書を提出すればよかったのでしょうか? 素直に従わないと、「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と断罪されるのは当然なのでしょうか? 控訴趣意書に限らず、弁護人はどこまで裁判所の意向に従わないといけないでしょうか?
(1) 刑事事件において、被告人の利益を擁護してくれるのは弁護人だけであって、裁判所が擁護してくれるわけではありません。麻原氏の控訴審では、裁判官は、元々、弁護人の意向なんかかまわずに、さっさと審理を終わらせてしまうつもりだったのに、さっさと審理が終わってしまったら、一転して「自らの主張に固執する余り、被告の法的利益を代償として提供したに等しい」と弁護人を非難するのです。この豹変振りにはついていけません。
誰からも見捨てられた(見捨てられてきた)被告人を、たとえ世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者、それが、本来の刑事弁護人なのです(佐藤博史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」第2回弁護人の誠実義務と真実義務・法学教室癸横坑掘。坑景如岨仮函法松下弁護士らは、本来の刑事弁護人としての態度を貫いたといえます。
被告人の意思を聞かずに控訴趣意書を書いて出すという妥協も可能であったことは確かです。麻原氏は控訴審での実質審理を受ける権利を奪われた結果が生じています。だから、麻原氏の家族が、2弁護人の懲戒請求を求めたのであれば、十分に考慮に値します。しかし、ほとんど実質審理をする気がなかった東京高裁から懲戒請求を求められても、「裁判所としては、望みどおりの結果になったのになぜ非難するのか?」との思いがぬぐいきれません。
だいたい、最終的に「実質審理を受ける権利」を奪うことを決定したのは、裁判所なのです。すべてを弁護人の責任に押し付ける態度はあまりに無責任です。それに、裁判所は、どうせろくな審理をすることなく、死刑判決を出すことに決めていたのですから、「実質審理を受ける権利」を奪ったと非難しても意味がないのです。もっとも、麻原氏は心神喪失状態なので、今のままでは「実質審理を受ける権利」があってもなくても、意味がありませんが。
(2) 日本国民は、刑事弁護人の役割としてどういう態度を求めているのでしょうか?
刑事弁護人は、たとえ世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者なのか、それとも、裁判所の意向に従って粛々と審理を進める者なのか……。
後者を選ぶのであれば、日本の刑事弁護人の弁護活動は楽になるでしょうし、当然ながら冤罪事件も急増するでしょう。その結果、例えば、一度死刑相当事件と疑われて起訴されたら、冤罪であっても無罪の可能性はゼロになるはずです。
マスコミのうち、読売新聞は後者を望んでいるようです。
「[弁護士懲戒請求]「裁判の迅速化が問われている」
裁判の迅速化は国民的な要請だ。それを妨げる弁護士の行為に対し、弁護士会は厳しい姿勢を示す必要があるだろう。……
高裁の処置請求を入り口で退け、両弁護士の不処分を決めた日弁連の決定は、裁判迅速化に向けた法曹界全体の努力を無にするものだとも言えよう。
裁判員裁判の開始が間近に迫っている。裁判所にとって、弁護士による迅速審理の妨害は、ますます看過できないものになっている。
弁護士会は、両弁護士の行為が懲戒相当かどうかを審査することになる。訴訟遅延の問題を厳しくとらえ、早急に厳格な結論を出すべきだろう。」(読売新聞3月9日付社説)
日本国民が後者を選ぶのならそれで仕方がないとはいえ、その結果がどういう結果をもたらすのかを分かった上で選択して欲しいものです。
>ほとんど実質審理をする気がなかった東京高裁から懲戒請求を求められても、「裁判所としては、望みどおりの結果になったのになぜ非難するのか?」との思いがぬぐいきれません。
>松下弁護士らは、本来の刑事弁護人としての態度を貫いたといえます。
いつもどおりの春霞さんの鮮やかな解説、感動のうちに拝読しました。感動の箇所をすべて転写・引用していたらキリがありませんので、割愛して、一部分(↑)を。
すみません。拙ブログにURL明記させていただきました。断りもなく、すみません。これほどの資料と解説は、どこにもありません。TBさせていただきました。
良いブログを、本当にありがとう。
>いつもどおりの春霞さんの鮮やかな解説、感動のうちに拝読しました
できるだけ明快に、しかも十分に納得できるような論理を尽くすことを心がけています。納得頂けたようで良かったです。
本来なら、「処置請求」の報道については、2月中に解説をしたかったのですが、だいぶ遅くなってしまいました。
>拙ブログにURL明記させていただきました
エントリーでの紹介、ありがとうございます。
>これほどの資料と解説は、どこにもありません
>良いブログを、本当にありがとう。
過分な評価を頂き、大変ありがとうございます。今後とも、出来るだけ文献を調べ、よく考えて解説していきたいと思います。
早速で恐縮ですが、
滝本太郎弁護士が個人でお出しになっている懲戒請求についてはどのようにお考えでしょうか。
>滝本太郎弁護士が個人でお出しになっている懲戒請求については
>どのようにお考えでしょうか
滝本太郎弁護士のブログを読んで、懲戒理由を読みました。それでも、どう考えるか……。かなり答えにくと感じています。どういうことを問われているのか、よく分からなかったので。
弁護士自身が他の弁護士の懲戒請求をすることの是非ということでしょうか? それともオウム事件の被害者でもある滝本太郎弁護士の言動と懲戒請求の整合性でしょうか? それとも、滝本太郎弁護士が出している懲戒理由の当否でしょうか……?
「弁護士が弁護士を懲戒請求することの是非」でしたら、懲戒請求は誰でもできるのだから、弁護士が請求したところで、特に問題ありませんし、特に感想もありません。
滝本太郎弁護士が出している懲戒理由は、結局、控訴趣意書を期限までに出さなかったというだけのことでした。なので、そういう懲戒理由は、前例にもありますし、特に見るべき内容ではないと思います。滝本太郎弁護士にとって、控訴趣意書の意義とは何だろうか、とは思いますが。
滝本氏の件でお尋ねしたかったのはその懲戒理由の当否に関してです。
全くの素人考えですが、とりあえずは控訴趣意書を提出しておいて、控訴審の公判で麻原被告の訴訟能力の有無につぃて争うという手もあったのではないかと思ったからです。
御指摘の如く高裁に実質審理を行うつもりがなかったとしても、少なくとも一審で死刑が確定してしまうよりはましだと思うのですが。
被告人の利益を守るという弁護人の責務に鑑みれば、多少の妥協は受け入れてもよかったのではと思います。
>滝本氏の件でお尋ねしたかったのはその懲戒理由の当否に関してです
おお! そうでしたか。何を答えたらいいのか、結構悩みました。
>とりあえずは控訴趣意書を提出しておいて
「とりあえず控訴趣意書を提出」する弁護人も結構いるようです。
しかし、現実には、控訴審での事実の取調べはほとんどなく(だから、1審判決のまま維持される)、控訴審の弁護活動のポイントは説得力ある控訴趣意書の作成にかかっています。なので、「とりあえず控訴趣意書を提出」するわけにはいかないのです。本来は。
控訴趣意書は、被告人の1審判決の不服内容を聞いて作成するのが基本ですから、被告人が心神喪失状態だと、真っ当な控訴趣意書にならず、弁護人が勝手に作成することになってしまいます。弁護人が勝手に作成した控訴趣意書でよいのかどうかということなのです。
被告人は訴訟の当事者であって、裁判によって不利益を受けるのは被告人なのです。
>控訴審の公判で麻原被告の訴訟能力の有無につぃて争う
もちろん、控訴審で訴訟能力の有無を争うことはできます。
しかし、被告人の意思とは無関係に(心神喪失ゆえ)、控訴趣意書を作成して控訴審で弁護活動を行っても、それでも「被告人のための弁護活動」なのでしょうか?
「訴訟能力の有無」を争う以前に、控訴趣意書の意義とは何か、「被告人のための弁護活動」とは何かが、もっとも問題となるべき点であると思います。
諸外国も同じだと思いますが、日本の法制は、心神喪失者に対しては、刑事責任が問われず、刑事手続も停止するという制度を採用しています。正気の者であってはじめて非難でき、手続上防御できるからです。
特に麻原氏の場合、1審途中からおかしくなっていたのですし、本当なら、1審途中、少なくとも控訴審ですぐに公判停止をして治療すべきだったと思います。心神喪失状態のままで、訴訟手続を進める方が、現行法に即してないはずなんです、本当は。
刑事訴訟法479条は「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。」と規定してますので、治療を受けることがない麻原氏は、死刑が執行される可能性は極めて低いです。裁判所は何のために確定させたんでしょうね。
>少なくとも一審で死刑が確定してしまうよりはましだと思うのですが
>被告人の利益を守るという弁護人の責務に鑑みれば、多少の妥協は受け入れてもよかった
「被告人の利益を守るという弁護人の責務」があるのはその通りです。それに、1審で確定するよりはマシといえばそうですし、妥協するという弁護方針を採用することも可能でしょう。
もっとも、妥協するか、控訴趣意書を出さずに頑張るか、は悩ましいところです。
死刑相当事件、なかでもオウム事件という特異な事件では、弁護人に大変なプレッシャーがかかっていたなかでの弁護活動は難しいものでしたし。
2004年4月5日の最初の接見から2005年8月31日(控訴趣意書提出期限)まで、143回接見していますが(インパクト出版会「獄中でみた麻原彰晃」参照)、最初は会えず、後は麻原氏は心神喪失状態のままでしたから、1審での被告人の不服を聞いて争うはずの控訴審で何を争うのか、被告人と意思疎通できないままの弁護活動は、「被告人の利益を守る」ことになるのか、真っ当な刑事弁護人なら困る状態になっていたのですし。
だから、「被告人の利益を守るという弁護人の責務」からしても、控訴趣意書を出さずに頑張るか、妥協するかどちらの道を採用しようが、非難できないと思うのです。
もっとも、2弁護人の場合、最後の最後は妥協する予定だったので、提出しますと通知していたのですが、東京高裁はその提出日の前日に公訴棄却を出すという嫌がらせのようなことをしたので、何とも言いがたいですけど。こういう経過であっても、「多少の妥協」も受け入れていないと言って良いのかとは思いますね。
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