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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2007/01/13 [Sat] 08:18:10 » E d i t
毎日新聞は、生殖補助医療や移植問題について、他の新聞社よりも記者の意見を記事にすることが多いのです。1月11日付の「記者の目」において、永山悦子記者が生殖補助医療について意見を述べていたので、紹介したいと思います。


1.毎日新聞平成19年1月11日付朝刊6面「記者の目」

 「記者の目:不妊治療、統一ルール作り急務=永山悦子(科学環境部)

 ◇信じて待つ人、放置は残酷--重責を負った学術会議

 昨年、不妊治療(生殖補助医療)に関し、社会の注目を集める出来事が相次いだ。米国での代理出産で生まれた向井亜紀さんの双子の親子関係▽長野県下諏訪町の「諏訪マタニティークリニック」(根津八紘院長)での50代女性による「孫」の代理出産--だ。国の生殖補助医療への対応がたなざらしの事態も表面化し、法務省と厚生労働省は、代理出産を中心とする生殖補助医療のあり方に関する審議を日本学術会議に依頼した。今度こそ、混乱状態の日本の生殖補助医療を正常化させるルールを完成させなければならない。

 体外受精や顕微授精など生殖補助医療の進歩は目覚ましく、国内の新生児の約65人に1人は不妊治療を経て誕生している。だが、国としての統一したルールはない。私は、先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがないことが不妊の人たちを混乱させ、精神的に不安定な状態に追い込んでいると考える。

 日本産科婦人科学会は、親子関係を複雑にするなどの理由で第三者からの卵子、受精卵の提供や代理出産を認めない指針などを作っているが、自主規制だ。

 厚生省(当時)の専門委員会は00年、「女性の体の道具化につながる」などとして代理出産を禁じる一方、第三者からの卵子や受精卵の提供を認める報告書をまとめ、「3年以内の制度整備」を求めた。続いて開かれた厚労省の生殖補助医療部会も03年、兄弟姉妹以外の第三者からの卵子や受精卵提供を認め、代理出産は禁じる報告書をまとめた。制度の早急な整備も求めたが、国会議員の一部が「子どもを産む権利を国が規制するのはおかしい」などと反発し、法制化論議は頓挫した。

 「もう私は待てません」。九州地方の産婦人科へ不妊治療に通う40代の女性は訴えた。高齢のため状態の良い卵子が作れなくなった。30代前半で早期閉経した女性も「のどから手が出るほど卵子が欲しい」と話す。彼女たちは00年に最初の報告書がまとまって以来、卵子提供が実現する日を待っていた。女性は高齢になるに従って不妊治療の成功率が落ちる。国は制度作りを先送りしただけではなく、妊娠・出産の可能性を信じ、待ち続ける不妊の人たちを放置したのだ。

 専門委員会の委員だった田中温・セントマザー産婦人科医院長は「国は生命倫理問題に真剣に取り組まず、逃げ腰だ」と批判する。 日本産科婦人科学会の吉村泰典倫理委員長も「法制化を見込んで(代理出産などを禁じる)指針を整備したが、法律は今もできていない。はしごをはずされた思いだ」と言う。

 一方、根津院長は、妹からの卵子提供による体外受精など、学会が認めない治療を繰り返し、既成事実化してきた。代理出産も01年以降、実施し続けている。根津院長は「技術があるのに、それを使わないのはおかしい」と主張する。

 だが、「患者が望めば、独断で何をやってもいい」のだろうか。

 不妊治療は「先の見えない旅」と形容される。治療すれば必ず妊娠するわけではない。治療を受ける人たちはそんな「迷路」をさまよい、「月経がくるたび涙が止まらなくなる」「友人の妊娠を喜べない」「自分の体が憎い」と、自責の日々を送っている。

 生殖補助医療の方向性が定まらず、医師によって治療が異なる状況が続けば、彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか。

 不妊治療を少子化対策に結びつける政治家もいるが、見当違いだ。彼らは国のために子どもを望んでいるわけではないからだ。生殖補助医療部会のメンバーで、不妊の人の自助グループ「フィンレージの会」の鈴木良子代表は「日本は今こそ、人の命や体をどのようにとらえ、扱うべきかという、生命倫理全体を国として議論すべきだ」と話す。

 その通りだと思う。

 海外事例との比較や、行き当たりばったりの議論は、不妊に悩む人を振り回すだけで、問題の根本的な解決にはならない。ルールの背骨となる社会的なコンセンサスを突き詰める必要がある。倫理観ほど千差万別のものはないが、卵子や精子、そして臓器も含めた「体のパーツ」をどう扱うべきかなど、生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている。

 それだけに、ボールを受け取った日本学術会議の責任は重い。これまでの経過を踏まえ、不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論をしてほしい。第三者からの卵子などの提供など、代理出産同様に先延ばしされている問題も忘れてはならない。

 審議は17日に始まる。不妊の人たちを一刻も早く「迷路」から救い出す「道しるべ」が必要だ。

==============

 「記者の目」へのご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係へ。メールアドレスkishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2007年1月11日 東京朝刊」



2.全体を簡潔に捉えると、表題どおり、「国が生殖補助医療政策の統一ルールをすぐに作成すべきだ」という意見だと思います。統一ルール(おそらく法律)を制定せよという考え方自体は良いことですが、この記事を逐一検討すると妙な点が目に付きます。以下、検討していきます。

(1) 

 「体外受精や顕微授精など生殖補助医療の進歩は目覚ましく、国内の新生児の約65人に1人は不妊治療を経て誕生している。だが、国としての統一したルールはない。私は、先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがないことが不妊の人たちを混乱させ、精神的に不安定な状態に追い込んでいると考える。」


「先進的な生殖補助医療を容認するにしろ、禁じるにしろ、統一ルールがない」ことが問題というのですから、統一ルールの内容よりも、ルールを定めることが重要だというわけです。どんな内容であっても、何ができるか否かが明確になれば、なまじ期待して待つよりも、諦めるしかない不妊夫婦も出てくるでしょうから、精神的に安定する……面はあるかもしれません。

しかし、統一ルール又は法律の内容は問題にしないのでしょうか? 例えば、障害者自立支援法の制定は必要性がありましたが、その法律内容に問題があったため、障害者自立阻害法と呼ばれ(「障害者自立支援法-Wikipedia」参照)、悲観した障害者家族が自殺したりしています。
また、教育基本法についても、何らかの改正が必要だったのかもしれませんが、公共の精神を強調し、愛国心教育を実施できるような法律内容になりました。毎日新聞の社説としては、「ともかく改正したこと自体で高く評価し、内容は二の次である」という理解ではなかったはずです。

ルールや法律は、どんな内容であっても定めればよいわけではないのです。国民にとっては、悪法、すなわち不当に人権・利益を制約する法律を制定するくらいなら、制定しない方がいいのです。ルールや法律は定めること自体が重要なのではなく、ルールや法律の内容こそが重要なのです。ルールを定めること自体を評価し、内容を問わない永井記者の意見は、間違った意見であると考えます。



(2) 

 「「もう私は待てません」。九州地方の産婦人科へ不妊治療に通う40代の女性は訴えた。高齢のため状態の良い卵子が作れなくなった。30代前半で早期閉経した女性も「のどから手が出るほど卵子が欲しい」と話す。彼女たちは00年に最初の報告書がまとまって以来、卵子提供が実現する日を待っていた。女性は高齢になるに従って不妊治療の成功率が落ちる。国は制度作りを先送りしただけではなく、妊娠・出産の可能性を信じ、待ち続ける不妊の人たちを放置したのだ。

 専門委員会の委員だった田中温・セントマザー産婦人科医院長は「国は生命倫理問題に真剣に取り組まず、逃げ腰だ」と批判する。 日本産科婦人科学会の吉村泰典倫理委員長も「法制化を見込んで(代理出産などを禁じる)指針を整備したが、法律は今もできていない。はしごをはずされた思いだ」と言う。」


要するに、2000年の報告書の時点から第三者の卵子提供を望んでいた夫婦は、法律が制定されることを待っていたのに、その期待権を踏みにじり、未だに国(国というより、立法権のある「国会」のはず)は法律を制定せずに放置しており、国(国会)の怠慢であると、日本産科婦人科学会も含め非難している、というわけです。

確かに、未だに法律を制定していないので非難に値するとはいえるかもしれません。しかし、法制化に反対した野田議員は、「近親間の卵子提供はダメ。代理出産はダメ。『原則反対』の法案で、これでは誰のための法律になるのか分からなかったから」反対したのであって、合理的な理由がある以上、法律を制定していないことを強く非難するわけにはいきません

不思議に思うのは、日本産科婦人科学会までも国を非難することです。2000年の報告書では卵子提供を認めたのですから、日本産科婦人科学会は、第三者からの卵子、受精卵の提供を認めない指針を変更すればよいのです。
そうすれば、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦は一定程度(報告書では、近親間の卵子提供は禁止ゆえ)であっても、期待を叶えることができるのです。国を非難している暇があったら、自主規制(会告)を変更すべきだと思うのです。

生殖補助医療については、(クローンを除き)法規制がないのですから、法律上は自由な生殖補助医療が可能であって、医師と患者の同意さえればよく、第三者の卵子提供や代理出産でも自由にできるのです。だから、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦の期待を放置し踏みにじっているのは、自主規制をしている日本産科婦人科学会なのです。

なので、第三者の卵子提供を望んでいた夫婦が非難すべき相手は、国ではなく、日本産科婦人科学会なのです。非難すべき相手が違うのです。永山記者もまた、国を非難するのではなく、日本産科婦人科学会を非難すべきなのです。



(3) 

 「一方、根津院長は、妹からの卵子提供による体外受精など、学会が認めない治療を繰り返し、既成事実化してきた。代理出産も01年以降、実施し続けている。根津院長は「技術があるのに、それを使わないのはおかしい」と主張する。

 だが、「患者が望めば、独断で何をやってもいい」のだろうか。」


生殖補助医療については法規制がないので、法律上は、医師と患者の同意があれば自由です。同意、すなわち自己決定権については自ら決定するものですから、第三者機関の関与が要求されるわけでもなく、国の関与が必要というわけでもありません。永井記者は、「独断で何をやってもいいのか」と非難しますが、法規制がない以上、「独断」でやったところで法的には非難される理由がありません



(4) 

 「生殖補助医療の方向性が定まらず、医師によって治療が異なる状況が続けば、彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか。」


一般的にいって、医師それぞれには技量の差異があり、治療方針に違いがあるはずです。自己決定を確実にするための情報として、主治医の診断に対して別の医師が見解を述べるセカンドオピニオンが近時、盛んであるのはその証拠でしょう。ですから、「医師によって治療が異なる状況」があるというのは、さほどおかしなことではありません

そして、患者には医師を選択する自由があるのです。患者は、希望通りの生殖補助医療を行ってくれる医師を探して治療を受けるべきでしょう。医師は神ではないのですから、一人の医師を信じる必要はないのです。「彼女ら、彼らは何を信じればいいというのか」と言ってみても、信じる信じないの問題ではないです。



(5) 

 「生殖補助医療部会のメンバーで、不妊の人の自助グループ「フィンレージの会」の鈴木良子代表は「日本は今こそ、人の命や体をどのようにとらえ、扱うべきかという、生命倫理全体を国として議論すべきだ」と話す。

 その通りだと思う。

 海外事例との比較や、行き当たりばったりの議論は、不妊に悩む人を振り回すだけで、問題の根本的な解決にはならない。ルールの背骨となる社会的なコンセンサスを突き詰める必要がある。倫理観ほど千差万別のものはないが、卵子や精子、そして臓器も含めた「体のパーツ」をどう扱うべきかなど、生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている。」


要するに、永山記者は、生殖医療問題と臓器移植問題を含めた解決方法を導くような、生命倫理についての考え方を示す必要があるといいたいようです。もっとも、この記事自体は、生命倫理についての考え方自体は示していないので、国が「生命倫理に関する考え方」を示してくれるのを待っているようです。


  イ:では、日本の生命倫理学では、生殖技術、移植医療などの先端医療を解決するに当たって、どのような生命倫理に関する考え方を示しているのでしょうか?

 「現在、これら領域をおおう学問としてバイオエシックスないしは「生命倫理学」が一般的である。そうした名称をもった学問分野として定着してきている。それはアメリカ合衆国において確立され、アメリカ的背景を背負っていた。(中略)

 このような問題に生命倫理学が取り組むにあたって、中核となる諸原理を立てることが必要になってきた。先に見たアメリカのバイオエシックスでは、自律の原理が中核を占めていたといえる。一般の政治的・社会的な場にあってと同様、医療の場にあっても自己決定が基調になるべきだと考えられてきた。患者はみずからの受ける医療を医療者に任せるのではなく、みずからの思想・生き方に照らして決めていく。そうした自律の原理がバイオエシックスのうねりの中心にあったし、それが我が国にも大きな反響を呼び起こした。自律の原理はそれゆえ生命倫理学にあって、中心に置かれるべきであろう。とはいえ、これだけですべてが動くわけではない。他の原理も考慮しなければならない。こうした原理確定の試みとして、ビーチャムとチルドレスの『生命医学倫理』(初版、1979年)が特にすぐれており、影響を与えた。彼らはそこで4つの基本原理を提出している。

 たとえばガンにかかった患者がいるとする。その患者がどのような治療を受けるかについて、医療者は様々な情報や示唆を与えるにしても、(a)基本的には患者の選択にゆだねるべきである。とはいえ、その患者が重篤で回復がおぼつかないため安楽死を望んだとしても、医療者は、(b)患者を傷つけたり殺したりするわけにはいかない。それだけではなく、医療者はたとえ患者が恐怖感から手術を断っても、手術が最善と考えられるときは患者を説得することも試みなければならない。つまり、(c)患者にとって善いとみなせる治療をおこなうべきである。治療には高額で資源がかぎられたものがある。お金を払える人たちがあるていど有利になるのは仕方がないにしても、貧しい人たちが治療を受ける機会をまったくもたないようでは困る。医療資源の配分には、(d)公平性が保たれるようにしなければならない。右の例で(a)から(d)までの考え方の基礎にあるのが、(a)自律尊重原理、(b)無危害原理、(c)仁恵原理、(d)正義原理、である。相対的に独立したこの4つの原理を基礎として考えると、生命倫理の諸問題を整理・検討しやすくなる。」(今井道夫・札幌医科大学医学部教授著「生命倫理学入門〔第2版〕(2005年、産業図書)3・11頁~


このように、日本の生命倫理学においても、米国と同様に、自己決定権を中心にして考えていくと理解されています。このような考え方は、米国、日本だけでなく、欧州諸国でも採用されているように共通理解があるものです。


  ロ:では、特に生殖医療に関しては、どういった視点で判断すべきでしょうか?

 「人の生殖領域に医療の手がこれほどまでに入り込んだ時代を私たちは経験してきませんでした。そしてこのことは、人は随意に質、量を含めて自由に生命を創り出し、そして時にその出生を回避し、あるいは、こうして創り出した生命を自由に破棄できるのかという問題を突きつけるようになったと思います。たしかにこうした現象は、何も今にはじまったものではないという面はあります。というのも、人は避妊や中絶行為を介して出産をコントロールしてきたからです。しかし、回避といった消極的な手法ではなく、また身体内での受精を1つの限界としてきた頃とは異なり、今や人は生殖を外部化し、より積極的に生命を創り出し、そして創り出したものを今度はいらないといって捨てることを、技術的にはまったく思うがままになしうる状況の中にいます。

 しかし、技術的に可能であるということと、社会がそうした行動を容認し、さらには積極的に支援すべきものなのかどうかは別問題です。つまり社会は、技術的な面を離れて、人がそういったことをなしうるとするか否かを考えなければなりません。生殖医療技術は人の望むライフスタイルの実現を容易にする方向で役立ってきました。しかしこの行為は同時に、新に生まれようとする命の運命を決定づけ、社会に生命の重み、人間の価値を問いかけます。そこで、こうした生命の誕生への個人の挑戦、よりなじみ深い言葉で言いかえれば、人が子を持つとか持たないとか、どんな子を産むとか産まないといった、科学の進歩を背景になされる、家族計画上の自己決定、ひいては人生設計上の自己決定に対して、社会がいかなる態度を示すべきかが議論される必要があるのです。」(斉藤隆雄・徳島大学名誉教授監修「生命倫理学講義」(1998年、日本評論社)128頁


要するに、人が子を産むということ、自己が進むべきライフスタイルを決定・設計していくという事柄は自己決定に委ねるものだとしても、社会はいかなる態度を示すべきか、すなわち、積極的に評価していくのか、子の福祉の観点からするとどの程度制約していくべきなのかどうかが判断の視点であるというわけです。


  ハ:結論としては、自己決定権を重視して、近親間も含めて卵子提供を肯定し、代理出産を認めていく立場(オーストラリアの一部、カナダ、ブラジル、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、イスラエル、オランダ、英国、米国の一部の州)を採用するか、それとも、自己決定を尊重しつつも、子の福祉の観点から代理出産を禁止する立場(フランス、ドイツ、イタリア、スイス、米国の一部の州。第三者の精子・卵子提供を認めるかどうかは各国分かれる)を採るかに分かれることになります(米本昌平・松原洋子他著「優生学と人間社会」(2000年、講談社現代新書)263頁~参照)。

日本の憲法学上の人権論については、米国の憲法判例を参考にして解釈を行っていますし、自己決定権の内容・制約に関しても、米国の憲法判例を参照して判断しています。そうすると、生殖に関する自己決定権に関わる立法の方向性についても、米国の立法例にならった方が妥当であるように思われます。
日本国の立場は、フランス・ドイツよりも米国との結びつきが強いことからすると、人権に関するものである限り、米国の立法例と齟齬が生じないようにした方が、軋轢が少なくてすむように感じられるのです。



(6) 

 「それだけに、ボールを受け取った日本学術会議の責任は重い。これまでの経過を踏まえ、不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論をしてほしい。第三者からの卵子などの提供など、代理出産同様に先延ばしされている問題も忘れてはならない。

 審議は17日に始まる。不妊の人たちを一刻も早く「迷路」から救い出す「道しるべ」が必要だ。」


「不妊の人たちの苦しい胸のうちを真正面から受け止めた議論」をすることには異論はありませんが、聞いた挙句、代理出産は禁止するのであれば、単に聞いただけに留まってしまいます。2.(5)で示したように、「道しるべ」の方針は、自己決定権をどれだけ重視するかどうかであって、はっきりしているはずなのです。




3.永山記者は、「統一ルールを作成せよ」と書いていますが、どういう内容が適切であると考えているのか書いていません。「生命科学全体を俯瞰(ふかん)できるような価値観の創出が求められている」と書いていますが、どういう価値観(生命倫理)が妥当と考えているのか、書いていません。

以前からの毎日新聞の方針からすると代理出産を希望する不妊夫婦は見捨てるようですが、今回の記事からすると卵子提供を望む不妊夫婦は保護するようです。精子が原因である不妊や卵子が原因である不妊は保護しても、子宮が不妊の原因である不妊(=代理出産)は認めないという論理は、十分な合理的な根拠があるのでしょうか?この区別の合理的理由について、記事中で明確にして欲しかったです。
追記:精子提供と異なり、卵子の場合には、排卵誘発剤の投与や体内からの採卵のために、提供者にはリスクがありますが、そのリスクは問題視しない態度は解せません。)


どんな内容であっても統一ルールを定めればよいわけではないのです。単に統一ルールを制定すること自体を目的とするように急かすのではなく、どういう内容が適切なのか、判断指針となるような生命倫理の考え方を示すことの方が妥当だと思うのです。

さらに言えば、「生命倫理の考え方」を示すことはよいとしても、生殖医療に関して言えば、そもそも「子供を持つこととはどういうことなのか」という極めて基本的な事柄を議論する必要があります(審議会ではこの議論が欠けていたようです)。「子供を持つこととはどういうことなのか」といえば、「子供を持ちたいというのは人間として非常に本源的な欲求」なのです。この欲求も無制約とはいえませんが、子を持ちたいというのは本源的な欲求ですから、それを制限するには十分に合理的な理由が必要なのです(「第2回FROM総会プログラム」田中 秀一 読売新聞医療情報部次長 「だれのための生殖医療か-----メディアの立場から」(平成14年2月3日)(PDF)参照)。これが生殖医療問題の指針であると考えます。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

コメント
この記事へのコメント
春霞様 おはようございます。
また毎日新聞のあの記者ですか。困ったものです。

>日本産科婦人科学会は、親子関係を複雑にするなどの理由で第三者からの卵子、受精卵の提供や代理出産を認めない指針などを作っている
私の勘違いかもしれませんが、日産婦は"会告"(指針は存在しない)を改定したのでは無かったでしょうか?まだでしたっけ?
最近の改定では次のような報告がありますが、確かに読んでもよく解りません。本当によく解らない学会ですね。
http://www.jsog.or.jp/about_us/view/index.html
http://www.jsog.or.jp/about_us/view/html/kaikoku/H18_4_taigaijusei.html

根拠ですが、卵子提供による非配偶者間体外受精についての会告改定は2000年日産婦の倫理審議会で既に大筋で決められたらしく、根津医師の除名は一体何だったのかとの記事があります。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/child1.htm
根津医師は1998年6月排卵障害のある30代女性に対して、女性の妹から提供された卵子を用いて日本で初めて非配偶者間の体外受精を行ったことにより、当時の会告(1983年10月制定)
http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/S58_10.html
(体外受精によって治療を受ける夫婦は,婚姻している夫婦とする)
に違反したとして、同年8月に日産婦を除名されていますが、日産婦の方針変更によって除名の意味が無くなり、結局2004年2月に日産婦に復帰されています。
http://www.smc.or.jp/smc/smc004.html

厚生労働省が2003年の報告書で卵子提供による非配偶者間体外受精を認めているので、日産婦も方針変更したというのは、逆の意味で理解できるのですが。
あの報告書は米本氏率いる日産婦の倫理審議会の意見が大幅に反映されていますので。
(日本学術会議の審議の行方も恐ろしい)
間違いでしたらごめんなさい。改めて調べてみた結果、確信はなくなりました。

(追記)先に事後連絡いたしましたリンクの件は、コメントが削除になりましたので、存在していません。
2007/01/14 Sun 08:29:11
URL | Canon #yYfDAmAg[ 編集 ]
追伸
連続投稿お許し下さい。
上記の件、日産婦の倫理審議会の答申書を見つけました。
やはり日産婦は卵子提供の非配偶者間体外授精を認めています。
(ただし、匿名の第三者に限るべきとしています)
会告レベルでは不明確ですが。http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/Rinri/rinrishingikai/inf3_1_2001.html
2007/01/14 Sun 09:34:13
URL | Canon #yYfDAmAg[ 編集 ]
>Canonさん:2007/01/14(日) 08:29:11と同日 09:34:13を合わせて
コメントありがとうございます。

>連続投稿お許し下さい。

ご配慮ありがとうございます。でも、連続投稿も一向に構いません。


>また毎日新聞のあの記者ですか。困ったものです。

そうそう、また毎日新聞のあの記者です(苦笑)。無視するのも手ですが、きちんと批判しておかないと、この記者の意見が妥当だと思う人もいるかもしれませんので、エントリーとして取り上げました。


>先に事後連絡いたしましたリンクの件は、コメントが削除になりましたので、存在していません。

連絡ありがとうございます。


>上記の件、日産婦の倫理審議会の答申書を見つけました。
>やはり日産婦は卵子提供の非配偶者間人工授精を認めています。
>会告レベルでは不明確ですが。

情報ありがとうございます。倫理審議会答申書(平成13年2月23日)では第三者の卵子提供を認めていますね。すっかり、答申書の存在を失念していました。

でも、新聞報道によると、会告レベルでは否定したままで変わっていないようです。

http://www.asahi.com/health/news/TKY200611040301.html
「日本産科婦人科学会は卵子提供を認めていない。」(朝日新聞2006年(平成18年)11月05日09時24分)

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20051107ik07.htm
「国内では、卵子提供による不妊治療や代理出産に関する法的規制はないが、日本産科婦人科学会が会告で禁止している。学会には産婦人科医の大半が所属し、会告違反は学会除名にもつながることから、ほぼ厳守されている。」((2005年(平成17年)11月7日 読売新聞)

なんで会告を変更しないんでしょうね? 意味不明です。平成13年の答申書から今や平成19年なのに、未だに放置したまま。不妊患者が少数派の存在ということがよく分かります。

答申書では第三者の卵子提供を認めているとすると、ますます、永山記者は、「国は制度作りを先送りしただけではなく、妊娠・出産の可能性を信じ、待ち続ける不妊の人たちを放置したのだ。」と、国を批判するよりも、答申書を放置して会告を変更しない、日本産科婦人科学会を批判すべき、ということになりますね。
2007/01/15 Mon 23:55:48
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/01/16 Tue 11:08:28
| #[ 編集 ]
よろしくお願いします。
 すみません。一度、「一般に公開」で送信したのですが、「管理人のみ」に移させていただきました。よろしくお願いします。
2007/01/16 Tue 12:16:57
URL | ゆうこ #mQop/nM.[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ
コメントありがとうございます。

HPへの紹介も了解です。リンクも一向に構いません。出典を示して頂けるなら嬉しいくらいですが、お任せします。
ほとんどのエントリーでよく調べて法律論を書いているだけですから、どこで紹介・引用・リンクがあっても何も迷惑になることなんてないです。
法律論をコメントしてくるなら議論するだけですし、単なる嫌がらせコメントやTBなら削除するだけですから。

気を使って頂いてありがとうございます。
2007/01/16 Tue 21:46:10
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
>ゆうこさん
コメントありがとうございます。

>「管理人のみ」に移させていただきました。よろしくお願いします。

了解しました。
でも、「管理人のみ」に移したなんて書いたら、誰が非公開コメントを書いたか分かってしまいそうですけど(汗)
2007/01/16 Tue 21:48:59
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/01/16 Tue 23:23:29
| #[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/01/17 Wed 01:49:37
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ:2007/01/16(火) 23:23:29と 2007/01/17(水) 01:49:37を合わせて
コメントありがとうございます。

えー色々と作業が大変だったようで……。連絡ありがとうございます。
2007/01/18 Thu 00:03:27
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
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