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1.毎日新聞平成18年12月19日付夕刊4面
「批判の言葉研ぎ澄まして 笙野頼子さん「竜の箪笥を、」発表
作家の笙野頼子さん……が小説「竜の箪笥を、詩になさ・いなくに」(『新潮』12月号)を発表した。「家を絶やした」などと責められる「私」の悪夢を切り口に、「竜」「猫間引き」などが出る奔放な笙野ワールドを展開。子猫殺しをエッセーで告白した女性作家の行動に作品で異をとなえた形だ。
「竜の箪笥を、――」では、「愚劣なエッセーの事」として女性作家の主張に言及。
<子猫虐待を非難する人間が肉食し害虫を駆除するその矛盾、偽善でしたっけか、つまり牛と猫と害虫を差別しないという事ですよね、でもだったら本人が牛飼えばいいじゃないですか(中略)どうして猫を選んでわざわざ飼う、殺すのか、なぜそこで猫なのかという話なのですよ>
ナマの批判の言葉を直接相手に投げるのではなく作品に取り込む。批判の言葉は小説の一要素として相対化され、結果的に客観性を帯びた形に研ぎ澄まされる。
笙野さんは11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会でも「人間社会の柔らかい部分を踏みにじって得意になる風潮が心配だ」などと発言。『ちくま』の連載小説や、すばる新人賞の授賞式講評などでも子猫殺しに言及し、一貫したスタンスを崩さない。
「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」 【米本浩二】」
笙野さんは、坂東氏のエッセーを「愚劣なエッセーの事」と評価したわけですが、そのまま「愚劣」と批判するのでなく、小説の一要素として取り込んだ形で表現したようです。小説家らしい方法です。
笙野さんはは、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会、『ちくま』の連載小説、すばる新人賞の授賞式講評、といったようにずっと、ことある毎に言及し続けています。多くの人が坂東氏の子猫殺しに対して言及することがなくなってきている状態において、ずっと言い続けているのです。
このコラムの中で、この部分は忘れることなく心にとどめておきたいと思っています。
「避妊手術のない時代の猫間引きは、神仏に祈ったり謝罪したりしていた。その心を忘れ(子猫殺しを告白した作家のように)合理主義のふりをして虐待を正当化し生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのままです。私なりにささやかな抵抗をしたい」
古来から日本の動物観は、どんな動物でも命あるものとして尊重し、供養を行ってきていました。例えば、動物供養で有名な回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院ですが、その理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」であり、その理念は現在までも守られてきているのです。
坂東氏が言うような「目が見える前なら殺してもいい」のではなく、神仏に祈ったり謝罪したという心こそ重要だったのです。坂東氏の言い分は、自分に都合よく解釈しただけの「虐待の正当化」であって、日本古来の動物観と合致しないのです。
坂東氏は、日本古来の意識を知らず、タヒチに逃げて自分勝手な言い分を吐き出しているだけであって、「生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度は荒れ果てた世相そのまま」です。坂東氏は、日本にいられずにタヒチに逃げても、心情はすさんだままであって、すさんだ日本の世相から離れておらず、結局は心情はタヒチに存在しないのであって、日本社会に害悪を撒き散らしているだけなのです。
2.東京新聞平成18年12月19日付夕刊8面「大波小波」欄
「動物愛護作家
文芸家協会ニュース663号が11月理事・評議員合同会の議事録を記載しているが、そこに評議員である笙野頼子の発言の記録がある。坂東眞砂子が日本経済新聞に書いた例の猫殺しのエッセーについてである。
あのエッセーについては「ひどい」というバッシングがマスコミで起こったが、その反動からか、ネット上では擁護や絶賛の意見が出はじめた。真面目(まじめ)な意見もあるが、揶揄(やゆ)やかからかい交じりの論調も少なくない。たとえば戦争で多くの人間が死んでいる時代に、「たかが猫のことで泣いていて、それでいいのか」といった論調だ。そのことを憂える笙野の発言である。
死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭の報道があったばかりだ。ネットという匿名世界では、人間の最も醜悪な表現が野放しになる危険が常にある。しかもネットの言説は人心に深く静かに浸透していく。そういう人間社会の闇の部分を直視して描き出すのが、じつは文学の重要な仕事でもある。心を痛めた笙野は「小説を2つ書いた」という。
猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆だという。たかが猫とは言えまい。存在感のある発言だった。 (野良猫)」
坂東氏の行動は、「死や不幸をからかいのネタにするホームページとして、最近も被害者児童の死を冒涜(ぼうとく)した小学校教諭」とさほど変わりません。坂東氏は、文藝春秋12月号でのエッセーにおいて、子猫殺しは「シートベルト無着用と同程度の罰金」だとうそぶいて、あたかも騒ぐほうがおかしいといわんばかりに、命を軽視する発言をしているのですから。
子猫殺しを「罰金程度」と平気で正当化し、醜悪な表現が野放しになり、その果ては被害者の死を冒涜することも平気になっていくのです。笙野さんは、そんな状態はおかしいと批判し続けているのです。
「猫や小動物が殺害されるのは人が狙われる前兆」と指摘していますが、これは動物虐待研究の成果としてよく言われている点です(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題〜犯罪抑止力としての動物虐待研究(東京新聞9月12日付)」参照)。動物虐待研究の成果からは、<1>子どもの発達との関係、<2>犯罪との関係、 <3>小児虐待やDV(家庭内暴力)との関係、<4>精神疾患との関係があることが分かって来ているのです。
動物虐待をを正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を行う者が増加する可能性が高くなります。動物虐待は、対人暴力、特に凶悪犯罪を行う前兆ですから、「動物虐待を根っ子から絶つためには教育の関与が重要」となります。
それなのに、動物虐待を正当化したり、大して悪いことではないと喧伝すると、動物虐待を助長するような教育効果を持つことになり、凶悪犯罪を抑止できず、凶悪犯罪を増加する結果を生じかねないのです。
3.坂東眞砂子氏の子猫殺しは、(日本で行えば)「みだりに殺し」にあたり、動物虐待罪(44条1項)に当たる犯罪行為です「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(下)〜「物」から「者」への狭間で」参照)。 何匹もの犬猫を殺害して、犯罪を繰り返し行っているのに、そのような虐待を正当化し、生き物に哀れをかける心情までも攻撃する態度でいるのですから、坂東氏の行動は極めて悪質です。
笙野さんが
と述べているのに習って、私も「坂東氏の子猫殺しは悪質な犯罪行為である」とブログで指摘し続け、ささやかな抵抗をしていきたいと思います。「私なりにささやかな抵抗をしたい」
<12月25日追記>
笙野頼子非公式ファンサイト「笙野頼子ゐき」さんの「Stastement/笙野頼子発言 笙野頼子/坂東眞砂子「子猫殺し」事件についての発言」では、11月6日の日本文芸家協会の理事会・評議員会での発言が全文掲載されています。ぜひご覧下さい。
東京新聞12月24日付「読書欄」10・11面には、評論家、法律・文学・経済学・精神医学・美術史・宗教思想などの教授、作家合計25名が、「2006 私の3冊」について書いています。その中で、笙野頼子さんがここでも言及しています。一部引用します。
だそうです。「さあ年末回顧です。愚劣なエッセー書いて動物虐待行為だけを問題にされた、猫投げ作家っていたっけかっ、ふん!」
確かに、坂東氏の話題は「動物虐待行為だけ」でしたら、坂東氏といえば、今後は「直木賞作家の坂東」ではなく「猫殺しの坂東」という名称が定着するかと思います。もっとも、ネット上だと、坂東氏のセックスに対する激しい執着心も話題になりましたが(苦笑)。
確かに…。出版社の側も明らかに活字不況の中で「心身が破綻したまるで昭和の私小説作家」の再来!とあのネコ殺し作家や買春趣味のある某女流作家を思いっきりプッシュしている気がします。で、そういうのに飛びつく純文学読者の側も健康な村上春樹あたりは芸術ではないと思っているのでニーズがあうような。
しかし70年以上前はオッサンが受け持っていた領域がオバハンになっているのが興味深いといえば興味深いです^^;。
>70年以上前はオッサンが受け持っていた領域がオバハンになっているのが興味深いといえば興味深いです^^;。
……わははは。
無頼派の勲章?は、今や女性の側へという感じでしょうか(^^ゞ 昔のオッサンのマネなんかすることはないのに、と思ってしまいますが、マネしてみたいお年頃なのでしょうか!?(汗)
とはいえ。もっと違った無頼派であってほしいですね。
例えば、無頼派といえる漫画家の西原理恵子さんは、著書の「できるかなV3」では、実体験として 「脱税できるかな」とか「ホステスできるかな」を行っていて、豪放さと優しさに溢れています。こういう無頼派だったらいいのですが。
笙野頼子非公式ファンサイト管理人です。
RSSリーダーでこちらの記事を見つけました。
日本文芸家協会での11/6の笙野さんの発言をファンサイト内で
公開させていただいています。
http://wiki.livedoor.jp/restless_dream/d/Stastement/%e3%f9%cc%ee%cd%ea%bb%d2%c8%af%b8%c0
笙野さんのこの発言をネット上にアップしたのは、わたしなりの
「ささやかな抵抗」でもあります。
お時間のあるときにぜひご覧ください。
>日本文芸家協会での11/6の笙野さんの発言をファンサイト内で
>公開させていただいています。
日本文芸家協会での11/6の笙野さんの発言全文を読みたかったのですが、入手方法が分からず困っていました。kimukanaさんのおかげで読むことができました。ありがとうございます。
それに、「幽界森娘異聞」の講談社文庫でのあとがきでも、坂東氏の子猫殺しに言及していることを知ることができ、早速、文庫を購入してきました。ありがとうございます。
>笙野さんのこの発言をネット上にアップしたのは、わたしなりの
>「ささやかな抵抗」でもあります。
>お時間のあるときにぜひご覧ください。
拝見しました。
虐待の正当化はおかしい。こういった「抵抗」を示すことが人として真っ当な態度だと思うのです。 笙野さんのこの発言をネットで言及し、kimukanaさんがこちらのブログで紹介して下さり、「ささやかな抵抗」をずっと人の目に触れていく。こういったことが、人心が荒廃しつつある日本では、重要なことだと思っています。
記事内で笙野頼子さんの発言を追記でご紹介をして下さって、
どうもありがとうございました。
頑張って入力した甲斐がありました。
>記事内で笙野頼子さんの発言を追記でご紹介をして下さって、
>どうもありがとうございました。
きちんと転載許可を得て掲載なされたのですから、追記という形で明確にした方がいいと判断しました。
坂東氏の子猫殺し問題が生じたとき、坂東氏の名前ははじめて知った人が多く、坂東ファンだというブログは見当たりませんでした。しかし、笙野頼子さんの発言については、笙野頼子さんファンの方が、きちんと反応しています。
http://d.hatena.ne.jp/Panza/20061225
http://d.hatena.ne.jp/cachamai/20061225/p4
犯罪行為を肯定するのと、犯罪行為を批判するのとでは、大きな違いがあるとしても、ファンの厚みの差異を感じました。
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