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2006/12/13 [Wed] 00:03:33 » E d i t
病気腎移植問題については、大きく法律的問題と医学的問題に分けることができますが、いずれについてもある程度理解できていないと、問題点を把握できません。今まで法律的な側面から論じてきましたが、今度からは、医学的問題、すなわち、病気腎移植は医学的に妥当なのか? についての記事を紹介したいと思います。

病気腎移植については、報道では日本移植学会の見解を引用することが多く、また、万波医師に対するインタビュー記事も、記者の批判的な思い込みもあり、つまみ食い的にコメントを取り上げるため、一方的な理解になりがちです。そこで、主として、徳洲会グループの「腎臓移植医療について」から引用していくことにします。


1.徳洲新聞 2006年(平成18年)11月20日 月曜日 No.545 3面より

 「●疾患腎移植について万波副院長が見解を公表

 11月2日、愛媛県の宇和島徳洲会病院の倫理委員会は、2004年4月の開院から今年9月までの腎移植78件について調査した結果、そのうち11例が病気のために摘出された腎臓が使用されていたと発表。それに関連して7日、同院では疾患腎移植について説明する記者会見が開かれ、万波誠・副院長(泌尿器科部長)が疾患腎を移植に用いる理由や意義についてまとめた以下の文書を公表した。同副院長は約1時間半にわたり、症例ごとの説明を行った。

「破棄される腎臓の再利用について」 万波 誠

 今、利用できる腎臓なら元に戻すべきであるという議論がなされています。私達、泌尿器科医の仕事の一つはできる限り腎臓摘出をさけることです。患者の腎臓の状態が悪くても、それを治療し患者の体内に残すこと、すなわち腎臓摘出をしないことが大切です。これは私達の基本的な姿勢であります。

 しかし、どう考えても腎臓摘出が必要な場合に遭遇することがあります。例えば、腎臓癌は画像上の診断で、4cm以上あるときは根治的腎摘をするのが一般的になっています。4cm以下の場合は腎部分切除をして、腎臓を残すことになっています。

 特に2~3cmの小さいものになると腎部分切除術の対象になるわけです。私も今までにそういった症例を20例以上は経験しましたが、いまだかつてその腎臓に癌が再発した症例に遭遇したことはありません。

 それでも患者によっては癌のある腎臓はどうしても切除して欲しいと強く要望されることが稀にあります。腎癌が小さく、再発のリスクが低いことを詳しく説明しても、癌の再発の可能性を危惧し、患者自身が腎摘を強く希望されることがあります。そういう偶発的な腎摘があれば、その腎臓を透析患者に再利用する可能性がでてきます。勿論、その腎臓を再利用する許可を受けなければなりません。その後、体外に摘出し、特殊腎保存液で4度前後で保存し、腎癌部分切除をします。この腎臓の移植を受けるレシピエントの透析患者には、この腎臓は癌を持っていた腎臓で、癌周辺の部分は完全に切除しているが、将来癌が再発する可能性が数パーセントある事を説明します。

 このように患者との相互理解のうえでその腎臓を移植することになります。

 次に、腎動脈瘤のことについて述べます。

 腎動脈瘤が主腎動脈上にある場合は、比較的容易に瘤を切除することができます。腎動脈にパッチ等をあてることで修復できます。しかし、腎動脈瘤が腎門部に近い場合、又は腎門内に入り込んだり腎内にある場合は、切除する事が容易ではありません。その上、腎動脈瘤より小さい2~3本の腎動脈枝がでていることが稀ではありません。その場合、手術は一層困難なものになります。

 瘤をまず剥離し、そこからでている動脈枝を一本一本確認し、瘤を切除するわけです。その後、それらの血管を全て狭窄をおこさないように吻合しなければなりません。そういった困難な手術の場合、私は体外に腎をとりだし、顕微鏡下でそれらの血管吻合をすることにしています。それでもうまくいくとは限らず、吻合部狭窄、閉塞等の恐れはあります。そうやって、修復された腎臓は、多くは血管吻合、尿管尿管吻合、尿管膀胱吻合等をして、盲腸の近くに自家腎移植をします。手術時間は5~8時間近くかかります。

 若い人であれば耐えられますが、高齢者や状態の悪い人にとって、そういった長時間に及ぶリスクの高い手術は、相当な負担になります。そういった場合、主治医は簡単に腎摘を行うか、長時間に及ぶ複雑かつ困難な手術を行うかの選択に迷います。

 対側の腎臓が健全なら、その瘤のある腎臓を摘出した方が患者にとってプラスになります。なぜなら腎摘出は1~2時間で比較的容易になされるからです。

 基本的には修復できる腎臓は修復し、その患者に戻すことが大原則であることは間違いありません。

 ただ、ひと言で修復といっても、簡単なものから、困難なものまで非常に大きな幅があり、また、その修復を行う医師の技量や経験も大いに関係します。

 一つ方針を間違えば、患者を大変な苦境におとしいれることにもなります。

 また、腎癌に対する患者の反応も一様ではありません。

 修復し、残せる腎臓はその患者に残すべきであるということはその通りだと思います。しかしその過程において、患者は必ずしも一様の反応を示すわけではありません。

 こういった難しい選択の問題は、今始まったことではなく、何十年、何百年前より医師につきつけられた事だと思います。

 最近では医療技術の著しい向上や、すぐれた腎保存液により長時間(72時間)臓器が保存できるようになったこと、また、腎移植で使用する免疫抑制剤が、飛躍的に改善されたこと等により、今まで全て破棄されていた腎臓が少数ではあるが有効に再利用されるチャンスがでてきました。医療行為が続く限り、一般手術の上で腎摘はさけられません。その中でも再利用され透析患者に移植される腎職は非常に少なく、数パーセントしかありません。

 しかし、この腎臓を使用することにより、透析患者が1人でも、2人でも、透析から解放されるのであれば、生体腎移植、死体腎移植に続く第3の道(大変細い道ではあるが)として、このような医療行為も残っていてもいいのではないかと考えます。」



2.この公表した見解は、万波誠医師によるものです。まずはご本人の見解を聞くのが常道です。ここでは、利用できる腎臓なら元に戻すべきであるという批判に対して、なぜ元に戻していないのかを詳しく説明しています。

(1) ここで重要な指摘は、

 「基本的には修復できる腎臓は修復し、その患者に戻すことが大原則であることは間違いありません。ただ、ひと言で修復といっても、簡単なものから、困難なものまで非常に大きな幅があり、また、その修復を行う医師の技量や経験も大いに関係します。一つ方針を間違えば、患者を大変な苦境におとしいれることにもなります。」

という点です。
修復して患者に戻す場合、技量や経験のある医師であっても、手術時間は5~8時間近くになることもあり、そうなると、若い人ならともかく、高齢者や状態の悪い人にとっては、長時間に及ぶリスクの高い手術となってしまい、修復した腎臓を戻すための手術自体で、患者の死亡につながってしまうのです。だから、そういうリスクの高い手術になりそうな場合は、元に戻さないという選択を採用したのです。

「利用できる腎臓なら元に戻すべきである」ことは確かですが、元に戻す手術をして患者を死亡させてしまったら無意味なのです。「手術は成功したが、患者は死亡した」では、ある種の外科医にとっては満足であっても、患者やその家族にとっては死亡を招く手術は無意味なのです。

人体についても、電気製品のように部品を修理すれば元に戻せる、元に戻すべきであると思ったら大間違いです。すべて「利用できる腎臓なら元に戻すべきである」などと思うようでは、それは人体をあたかも電気製品のように考えているものであって、移植医療の知識が著しく不足しているのではないか、ということなのです。


(2) 万波誠医師は、

「修復を行う医師の技量や経験も大いに関係します」

と述べていますが、万波誠医師自体は非常に優れた技量を持っているのです。

 「手術が始まると細々した所で、万波流のやり方が見られます。

      とにかく丁寧。

      でも無駄に丁寧なのではなく、ロスがない。

      従って、手術が早く進む。

      そして、視野が広い。


    前立腺の手術は、骨盤の一番奥にある所で操作するので、なかなか視野がとれないのです。

    それが、一番難しい尿道と膀胱の吻合なんか、まるですぐそこにあるかのように、

       はっきり見えるのです。

    また普通は尿道の全周を糸針をかけ終わってから、糸を絞めるのですが、

     万波先生は普通の縫合のように、1回ずつ縫っては締めていくのです。

    
      「な、この方がやり易いじゃろ。」

      と言われても、私たちにはまねできません。


    当時の部長が、一度それをまねようとしましたが、当然できませんでした。

    私は一度も試みてません。

    どうせできませんから。



    結局手術は2時間ほどで終わりました。

    私たちの半分しか、かかりませんでした。」(「ちんぽこ先生の診療日誌」さんの「12月11日(月):万波誠先生 2」から一部引用


こういった記述を読むと、元患者が万波誠医師に対して、「ブラックジャックの腕を持つ現代の赤ひげ」と評していたりしますが、少しも誇張ではないようです。万波誠医師が「な、この方がやり易いじゃろ」と言うように、万波医師にとっては簡単にできることであっても、他の医師はまねできないなんて、すごいことだと思うのです。

これほどの優れた技量を持つ医師が、病気腎移植を行っているということに注意しておく必要があります。というのは、万波医師が行っていた病気腎移植は、万波医師だからこそできた場合がかなりあると思われますから、並みの医師では一つもできない可能性があり、優れた医師であっても万波医師ほどにはできない可能性が高いと思えるからです。

病気腎移植は、第3の道として可能であるとしても、実行できる医師は非常に限られてくるかもしれません。万波医師自身が、病気腎移植は

「生体腎移植、死体腎移植に続く第3の道(大変細い道ではあるが)として、このような医療行為も残っていてもいいのではないか」

と述べているように、「ブラックジャック万波」氏でさえ大変細い道であると自覚しているのですから。

テーマ:医療・健康 - ジャンル:ニュース

コメント
この記事へのコメント
病気腎の定義
ブログをたいへん興味深く読ませていただいています。

さて、いささか粗っぽい論議となるのは承知でコメントいたしますが、

一般的に健常なドナーからの献腎の場合、二つある腎臓のうちの、より状態のよくない方を選択して摘出、移植をするのが生体腎移植の基本だと聞きました。(これはドナーの健康保護という意味がもちろんあるのでしょう。)そうなると、移植に用いる病気腎と健常な腎との間の線引き、さらには「病気腎」という言葉の厳密な定義というのは、現実問題として果たして可能なのだろうか、と疑問に思っています。

病気を持つ腎臓の移植が倫理的に問題があると主張するのであれば、健常者からより状態の悪い方の腎臓を摘出・移植するというプロトコル自体も倫理的にノープロブレムではないような気がします。
2006/12/15 Fri 00:24:54
URL | 語学教師 #va74bd7o[ 編集 ]
>語学教師さん
はじめまして、コメントありがとうございます。

>ブログをたいへん興味深く読ませていただいています。

ありがとうございます。


>一般的に健常なドナーからの献腎の場合、二つある腎臓のうちの、
>より状態のよくない方を選択して摘出、
>移植をするのが生体腎移植の基本だと聞きました。

その通りです。
http://www.tokushukai.jp/rt.html
を検索すると、「シリーズ・検証 腎不全と移植医療1 病気腎移植は医学的に議論されるべきだ」の箇所には次のように書かれています。

「そもそも生体腎移植においてはドナー(腎臓提供者)に機能のよい腎臓や解剖学的に問題の少ないほうを残し、レシピエント(腎臓をもらう患者さん)に問題のあるほうを移植するというのが大原則であるということをご存知だろうか?
 日本移植学会やアメリカ移植学会では、ドナー腎に問題のあった症例をうまく移植したという報告が毎年のようにいくつも出されている。
 まず、腎動脈瘤のあった症例であるが、国内では、東京女子医大が腎移植症例1150例中、腎動脈瘤を持った症例8例を手術して成功したと1998年に報告している。
 そのほか、報告だけでも藤田保健衛生大学、浜松医大、京都府立医大、広島大学、北海道大学などから動脈瘤を持ったドナー腎の移植の成功が、30症例以上寄せられている。腎動脈瘤以外にも血管系に問題のある症例を体外で修復後、移植することはまったく珍しいことではない。」

臓器提供者がすべて健康体ということはあり得ないのですから、生体での病気腎移植は、元々あり得ることだったわけで、だから現実問題として病気腎移植は珍しくないということですね。


>移植に用いる病気腎と健常な腎との間の線引き、さらには「病気腎」
>という言葉の厳密な定義というのは、現実問題として果たして可能
>なのだろうか

まさにその通りです。
生体腎移植を行う場合、病巣があった腎臓であっても修復して移植することは珍しくないのですから、現実問題としては、病気腎と健常な腎との間の線引き、「病気腎」という言葉の厳密な定義は難しいと思います。
病気腎移植は珍しくないことだったのですから、病気腎移植を取り立てて問題視するべきではなかったと思うのです。


>病気を持つ腎臓の移植が倫理的に問題があると主張するのであれば、
>健常者からより状態の悪い方の腎臓を摘出・移植するというプロトコル
>自体も倫理的にノープロブレムではないような気がします。

論理的にそうなるでしょうね。

どうも病気腎移植は、病気の腎臓を病気とともに移植するのではないか、という漠然とした不安があって、それが倫理上問題があるという、それなりに立派な言い方になったと思います。

病気という人として過敏に反応しやすい問題であったので、それを敏感に読み取ったマスコミが煽るような報道をしたので、やたらと騒ぎになったのだと思います。最近の医療不信も背景になっていると思いますが。
マスコミ報道がすべておかしいとは言いませんが、今回の場合、もう少し冷静な報道を行うべきでした。

万波医師への批判の声が大きかった理由はもう1つ。少数派だったことです。
万波医師は(おそらく)出身大学の医局の意向に従わずに出ざるを得なくなったこと、現在、学会にも所属していない万波医師でしたから、多勢に無勢だったからでしょう。
2006/12/15 Fri 21:15:36
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
病気腎の定義(承前)
春霞さま。ご返答をありがとうございます。(「はじめまして」のご挨拶を失念しておりました。申し訳ありません。以後よろしゅうお願いいたします。)

コメント、興味深く読ませていただきました。

私はHNの示す通り、医学には取り立てて知識のない門外漢ですが、この、「病気腎」とそうでない移植腎の間の境界の曖昧さというのを念頭に置くと、例えば

1)春霞さんの挙げておられる、腎動脈瘤のあった症例についての報告や、

2)毎日新聞に報道のあった、泌尿器科学会でのネフローゼ腎玉突き移植についての瀬戸内グループの発表にたいする、聴衆の反応の薄さ:「そういうこともできるのかと思った」「倫理的な問題というのはコメントされなかった」など

が理解できるような気がします。つまり、いわゆる「病気腎」の移植というのは、現在通常行われている移植医療の拡張した先の一端、というぐらいに、ご同業の方からは見えるのではないでしょうか。移植医療が今後どのような方向に向かっていくのかは分かりませんが、その技術の進展の中で、どの地点かで当然出てくるべき発想だった、というように、私は理解しています。

春霞さんの記事にある通りにインフォームド・コンセントにも問題がなく、また学会での報告もゼロではなかったことで、批判されている「密室性」というのも必ずしも的を得た指摘でもなく、となると残るのは、癌を発症していた腎臓の移植についての可否でしょうが、引用されている徳洲会のHPの報告からすると、この点においても万波グループは世界初というわけでもないらしく、そうするといったい何が問題だったのか……?

>万波医師への批判の声が大きかった理由はもう1つ。少数派だったことです。
>万波医師は(おそらく)出身大学の医局の意向に従わずに出ざるを得なくなったこと、現在、学会にも所属していない万波医師でしたから、多勢に無勢だったからでしょう。

どうも今回の一連の騒動は、つまるところ「医学界での覇権争い、権威ある側からのパワーハラスメント」にマスコミがうっかりのせられてしまった、という側面が強いような気がしています。
2006/12/15 Fri 22:56:41
URL | 語学教師 #va74bd7o[ 編集 ]
>語学教師さん
コメントありがとうございます。お返事が遅れてすみません。


>「はじめまして」のご挨拶を失念しておりました。申し訳ありません。

お気にせずに。TBを受けたブログなども含めると、段々、誰がはじめての人か分からなくなってきてますし(汗)。


>以後よろしゅうお願いいたします。

こちらこそ宜しくお願いします。


>いわゆる「病気腎」の移植というのは、現在通常行われている移植医療の
>拡張した先の一端、というぐらいに、ご同業の方からは見える
>移植医療……の技術の進展の中で、どの地点かで当然出てくるべき発想
>だった

はっきり言えばそういうことなんでしょう。


>そうするといったい何が問題だったのか……?

そうなんですよね、この病気腎移植問題について調べれば調べるほど、「何が問題だったのか」分からなくなってきます。


>>>万波医師は(おそらく)出身大学の医局の意向に従わずに出ざる
を得なくなったこと

医局から追い出された経緯について追記しておきます。「ちんぽこ先生の診療日誌」さんからの引用です。
http://blogs.yahoo.co.jp/ksuyama_2001/25055518.html

「今秋、病気腎移植で世間をにぎわした万波先生は、実は私の大先輩に当たる方です。
 大学の医局の先輩で、野球部の先輩でもあります。
 ただ私が入局したときは、すでに医局から破門された後で、
 医局内では万波先生の名前を、口にさえ出せない状態でした。
 なぜ破門されたかというと、全く大学のエゴであって、
 昭和53年当時(年は正確ではありません)腎移植は、
 先端医療で大学自体が腎移植を手がけて間もない時代で、
 大学の関連病院の医師が、大学以外で腎移植を行うなんて事は、
 とんでもない事で、とても許されない事だったのです。
 もちろん誰がどこで何をしようが自由なのですが、やはり教授のメンツがつぶされた。
 と言う事になるのです。
 その後医局の人事で、万波先生を大学に帰そうとしたらしいのですが、
 本人が言う事を聞かずに、ついに教授の堪忍袋の尾が切れて、
 「破門!!」と言う事になりました。
 確かこのような事だったと思います。」


>どうも今回の一連の騒動は、つまるところ「医学界での覇権争い、
>権威ある側からのパワーハラスメント」にマスコミがうっかりのせられて
>しまった、という側面が強いような気が

万波医師を非難する理由が乏しいのですし、万波医師が医局を追い出された経緯を考慮すると、どうしてもそういう「側面」があると疑われますね。患者そっちのけでの万波医師非難には、困ったものです。
2006/12/17 Sun 19:13:23
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
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