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Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2010/09/21 [Tue] 01:22:00 » E d i t
お彼岸を迎えました。平成21年9月19日、諸宗山無縁寺回向院(東京都墨田区)において秋季彼岸会「家畜総回向」がありましたので、この法要のため参詣してきました。「家畜総回向」を含めたペット供養については、「Because It's There ペット供養関係」で何度か触れています。


諸宗山回向院は、安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されており、有縁・無縁にかかわらず生きとし生けるすべてのものを供養する寺院です。この回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院ですが、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」というのが、この寺院の理念となっています。



1.お彼岸の頃と重なるのですが、9月20日から26日は、動物愛護週間です。動物愛護管理法4条により、国民の間に広く動物の愛護と適正な飼養についての理解と関心を深めるため、9月20日から26日を動物愛護週間と定めています。そして、動物愛護週間には、全国各地で様々な動物愛護行事が行われます。

東京都内での行事は、平成22年度は「ふやさないのも愛」をテーマで開催されました。毎年、上野恩賜公園噴水池前広場で実施されているのですが、平成22年度は会場の都合という理由で、動物愛護週間前に実施してしまいました。

「◆平成22年9月12日(日)動物愛護シンポジウム(基調講演・パネルディスカッション) 13:00~16:30
【東京国立博物館(平成館講堂)】

●テーマ:ふやさないのも愛~繁殖制限を考える~ 動物たちの殺処分を減らすために、とても重要な繁殖制限。
 不妊や去勢について「なんとなくわかっているつもりだけど……」
という方は多いのではないでしょうか。
 この機会に、不妊・去勢や猫の室内飼育の重要性について勉強しませんか?
 また、手話通訳の用意をしておりますので、受付にてお申し出下さい。

●基調講演:小方宗次氏(ヤマザキ学園大学准教授)~ペット(犬・猫・ウサギ等)の不妊去勢手術について~
 ◆不妊去勢手術の必要性
 ◆各動物の性成熟期・繁殖スタイル
 ◆不妊去勢手術のメリット・デメリット
 ◆早期不妊手術とは

●講演1:加隈良枝氏(帝京科学大学講師)~猫の適切な飼い方について~
 ◆猫の歴史・生態・行動学
 ◆猫の飼い方(三原則)

●講演2:高木優治氏(新宿区保健所)~地域猫活動について~
◆適切な飼い方がされていないために、飼い主のいない猫が存在。
◆地域猫活動の官民協働体制

●講演3:林典子氏(ハロー動物病院院長)~ウサギの適切な飼い方について~
◆ウサギの不妊手術方法
◆繁殖力の強いウサギの適切な飼い方
◆学校飼育動物のウサギの現状

●パネルディスカッション:◆コーディネーター:小方宗次氏
◆パネリスト:講演者


◆平成22年9月18日(土)動物愛護ふれあいフェスティバル 13:00~16:30 
【上野恩賜公園噴水池前広場、こども動物園】
大テント
・動物愛護セレモニー
・勝ち残り○×クイズ大会
・愛犬のしつけ方教室
・聴導犬の実演
・動物紙芝居
中テント・ペット写真展
・おりがみ動物園
・動物クイズ広場
パネル展示コーナー・動物愛護週間ポスターコンクール入賞作品展
・動物個体識別事業
・災害に備えよう
動物愛護相談センター広場・動物愛護相談センターのお仕事紹介
 ~人と動物との共生社会の実現を目指して~
・パネル展示
・クイズコーナー」(「動物愛護週間中央行事実行委員会」のHPより引用)


今年のテーマは「ふやさないのも愛」であり、動物たちの殺処分を減らすための一方法です。

日本では30万頭もの犬や猫が殺処分されていますが、ドイツでは殺処分数はゼロです。日本のペットショップでは、売れる可能性が低くなった「生後約6ヶ月のビーグルの子犬を、生きたままポリ袋に入れて」、そのまま冷蔵庫に入れることで凍死させ、ゴミとして捨てるという信じがたい行為さえ、行っているのです(太田匡彦(著)『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇』(朝日新聞出版、2010年)20頁)。日本とドイツでは、ペットの命の尊さがあまりにも違っているのです。

あまりにもむごいペット事情については、いつかまた触れる予定ですが、最近でた書籍としては、太田匡彦(著)『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇』(朝日新聞出版、2010年)松坂星奈(著)『帰る家のないどうぶつたち』(PHP研究所、2010年)があります。ぜひご覧ください。



2.今回も、「家畜総回向」の際に頂いた「散華」に書かれていた言葉を引用しておきます。なお、「散華」とは、道場にみ佛をお迎えし、佛を讃え供養する為に古来より広く行われてきたものです。元来は、樒の葉や菊の花、蓮弁等の生花を用いていたのですが、現在は通常蓮弁形に截った紙花を用いています。

今回の語句(仏教用語)は、「大無量寿経」にある言葉です。浄土真宗で大事なお経は、『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』、 『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』、 『阿弥陀経(あみだきょう)』 の3つであり、これを「浄土三部経」といいます。その中でも、親鸞聖人は、「それ真実の教を顕(あらわ)さば、すなわち 『大無量寿経』これなり」 (教行信証) と記しており、「真実の経 (釈尊の本心が説かれている経典) は 『大無量寿経』 ただ一つである」としています(「浄土真宗入門:浄土真宗で大事なお経は何ですか?」より引用)。

 

 独生独死 独去独来

  
 (大無量寿経)
  人間は本来孤独な存在である 
  だからこそ縁のある人々を大切にしたい




(1)この「独生独死 独去独来」については、次のような説明もなされています。

 「『大無量寿経』には「人、世間愛欲のなかにありて、独(ひと)り生まれ独り死し、独り去り独り来る。行に当たりて苦楽の地に至り趣(おもむ)く。身みずからこれを当(う)くに、代(かわ)るものあることなし」と述べています。

 人の生はどこからやってきた来たのか。死んでどこへ行くのか。何のために生まれて来たのか。この問いは、宗教をして宗教たらしめる根本的な問いです。

 釈尊はこの「独生独死」の生と死は、「身みずからこれを当(う)くに、代(かわ)るものあることなしと述べています。人にとって生と死とは不可避なものであり、他の人が代わることはできません。(中略)

 一般的には「独生独死独去独来」だから、老いも若きも、強者も弱者も、助け合ってともに生きること、それが家族であり社会であると強調されます。しかしこの「共生」は、時に「親子心中」や「集団自殺」のような、「共死」をも伴う両義性を持つものです。

 人間存在の根源的なありようを「共生」ではなく「独生」と、そして「共死」ではなく「独死」と語っていること。それは「一人では生きてゆけない、しかし、一人で生まれてきた」人間の根本不安の解決、すなわちアイデンティティーの根源的課題を示唆しているのではないでしょうか。

 ……人間は一人では生きてゆくことはできません。そこに個人は、家族や社会の問題を内包することになります。そして、この個人と家族・社会との関係においては、相手を傷つけない、イノセント(無垢、無邪気)ということが大切であり、それは仏教のアヒンサー(不害、不殺生)にも通じるものである」(池田行信『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(法蔵館、2010年)19・20頁、48頁)




(2)人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。親子であろうとも、親が死にゆくわが子の代わりに死ぬことはできません。死出の旅路に付き添ってくれる者がいるわけではないのです。そして、どれほど財産があろうとも、それを持ってこの世を去ることはできないのです。

そこで、ある宗教では、「独生独死 独去独来」を拠り所にして、「財産はあの世に持っていけないのだから、お布施をして功徳(宿善、仏縁)を積みましょう」などと勧めることもあるようです。しかし、こうしたあたかも「金銭を巻き上げる根拠」として、「独生独死 独去独来」を用いるのは、この言葉を曲解したものというべきでしょう。

一人で死ぬことは誰しも同じことなのです。だから、死ぬことを考えても仕方がないのです。

最近は、「自分の葬式を無宗教でやってくれ」「葬式をやるな」と指示する人もいるようです。しかし、死んだ後で、自分の葬式がどのように行われたのか、確認の方法はないのです。

死んだ先のことは分からない――信者であれば、キリスト教であれば天国、仏教であれば浄土に迎えてもらう――のです。であれば、現在をしっかり生きることこそが、大事であるように思うのです。

「わたしたちは未来(死後)のことはすべて仏や神におまかせして、ただ現在をしっかり生きればいい。(中略)

 けれども、錯覚しないでください。現在をしっかり生きるということは、立派な生き方をしろというのではありません。立派な生き方、素晴らしい生き方なんてものは、所詮(しょせん)は美学です。わたしたちは、なにも美学に捕らわれなくていいのです。いや、美学にこだわってはいけません。

 あなたがたがいまある現実を肯定した生き方、それが現在をしっかり生きるということです。

 もしもあなたがいま落ちこぼれ人間であるのであれば、あなたはその落ちこぼれた自分を肯定してください。卑屈になってはいけません。あなたは自分をしっかりと生きてください。堂々と胸を張って生きてください。

 苦しいときには、その苦しみをしっかりと生きるのです。<苦しむのはいやだ。苦しみをなくしたい>と思ったところで、それで苦しみが消えるわけではありません。愚痴をこぼしたところで、余計に苦しみが増すだけです。ならば堂々と、しっかりと苦しみを生きるのです。

 悲しいときは、しっかりと悲しんでください。

 淋(さび)しいときは、淋しさに生きるのです。

 仏や神は、わたしたちがもがき、苦しみ、大声をあげて泣き、しくしく泣いている姿を、じっと見てくださっていると思います。いや、傍観されているのではありません。仏や神は、わたしたちと一緒に泣き、一緒に喜んでくださっています。」(ひろさちや「のんびり生きて気楽に死のう」(PHP研究所、2009年)173~174頁)


「独生独死 独去独来」という言葉は、「ただ一人淋しく死んでいく」といった悲観的な見方でもなく、お布施によって極楽浄土を買うが如きの行動を求める意味でもなく、「現在をしっかり生きる、今ある現実を肯定して生きる」ことを意味しているように思えるのです。

テーマ:ペットの健康・病気・怪我 - ジャンル:ペット

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