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2006/12/06 [Wed] 22:03:25 » E d i t
病気腎移植問題について、毎日新聞社の大場あい記者は、毎日新聞12月5日付「記者の目」において、万波誠医師批判を行っています。その主たる主張は、「臓器提供の自発性という移植医療の原則やインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を軽視した」という2点です。
では、この2点は妥当な主張でしょうか? 順次検討したいと思います。


1.「毎日新聞12月5日付「記者の目」」

記者の目:病気腎移植の万波誠医師=大場あい(科学環境部)

 ◇必要手順、踏むべきだった--「練達の頼れる人」ゆえ

 宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師らが病気で摘出した腎臓を第三者に移植したことが論議を呼んでいる。1日の本欄では松山支局の津久井達記者が万波氏の行為に大筋で理解を示した。だが、私は臓器提供の自発性という移植医療の原則やインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を軽視したことについては、納得できないでいる。

 「一緒に働いていた時は(死後腎臓を提供する)献腎の話しかしなかった。初めから病気腎のことを考えていたわけではなく、患者を救いたい一心だったと思う」。万波氏が市立宇和島病院に勤務していた当時、万波氏の下で移植コーディネーターをしていた30代の女性はこう語った。女性は、万波氏の執刀で生体腎移植を受けた経験を持つ。

 東京で伝え聞く「想像しがたい医療を続ける独善的な医師」という万波氏の印象と、宇和島市内などで万波氏を直接知る人に聞いた姿はかなり違っていた。口下手で身なりを気にしない。仕事の虫。一風変わった性格だが憎めない人柄で、患者からも慕われている。80年代には献腎移植を推進しようと、中国四国地方の友人医師らとともに、ある病院で腎臓の提供があったら同じ地域の他の病院で移植手術ができるネットワーク作りに向け、熱心に活動していた話も聞いた。

 ここまでは他の移植医となんら変わりない。むしろ移植医療に深い理解があり、亡くなった方から臓器提供を受ける移植医療を普及させようと率先して努力していた様子さえうかがえる。だからこそ、病気腎移植に関する万波氏の説明には納得できない部分が多い。

 病気腎移植は提供の自発性に問題があるのではないかと尋ねた時、万波氏は「(提供の自発性を確保しなければならない)死体、生体移植とは全く違う」と強調した。「捨てる腎臓ですよ。医師が最初からドナー(臓器提供者)に提供を勧めることは全くないし、患者も摘出した腎臓が使えるとは夢にも思っていない。ただ私が『がんでも使える場合があるんですよ』と言ったら、『どうぞ使ってください』という。それだけのことです」と。

 一方、移植機会を増やしたいのなら心停止後に全員から提供してもらえる制度にすればいいとは考えないか、と尋ねると、万波氏は「人の意思は千差万別ですわ。そんなこと決められない。死んでも(身体に)触らせもしない人もいるからなあ」と語った。

 長年移植に携わってきた万波氏は、人の身体観や移植に対する考え方がそれぞれ違うことを十分に知っている。それなのに、なぜ病気腎だけ自発性が二の次でいいというのか。単に廃棄することと他人に移植することの間にはやはり大きな隔たりがあると思う。

 それに、治療のために腎臓を摘出される患者は、自分の治療を滞りなく進めてもらいたいから、あえて医師に反論しようとはしないはずだ。医師の一言が患者にとってどれだけ大きな意味を持ち、ちょっと間違えば相当の強制力になるということが、万波氏に分からないはずがない。

 万波氏の元上司は「今回の問題は、医師のパターナリズム(父権主義)だ」と話す。医師と患者の間にはどうしても知識や情報の格差があり、患者がどんなに説明を受けても100%理解して医療を選択することは難しい。重大な病気と分かり、患者、家族が精神的なショックから抜け出ていない状態で、治療法を決めなければならない場合もある。患者、家族にとっては大きな負担だ。

 万波氏はそういう患者、家族の目には頼れる医師に映るだろう。同意を得る文書を残さず、実際に何か問題が起こった時にどう責任を取ってくれるのかも分からないが、「わしが全責任を取る」と言ってくれる。

 病気腎移植を厳しく批判する移植医も「実は万波氏に共感も覚える」と明かす。目の前の患者を第一に考える姿勢は当然だし、それが医療の原点だ。一方現実は、患者とのコミュニケーションを重視したくても、他病院への紹介状などさまざまな文書の作成などに膨大なエネルギーを費やさねばならないこともある。

 だが、この移植医は断言する。「インフォームド・コンセントの必要性やその手続きは長い時間をかけて医療者と医療を受ける側が考えてきたこと。それを『患者のため』と無視するのは常識からズレている」

 提供の自発性もインフォームド・コンセントも、元々「患者のため」に考えられてきたことだ。万波氏のように経験も移植医療への理解もある医師にこそ、「患者のため」に必要なプロセスを踏んだ上で、国内での移植機会が増えるような提案をしてほしかったと思えてならない。

==============

 「記者の目」へのご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係へ。メールアドレスkishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2006年12月5日 東京朝刊」




2.医療行為は、患者の身体に影響を与えるのですから、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)が大切です。そこで、まず、「万波誠医師(及び万波廉介医師)は、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を軽視を軽視したのか?」について検討します。

(1) この点を論じるには、東京新聞12月5日付朝刊24・25面「こちら特報部」:曖昧情報 不安を増幅 SOS臓器移植の記事を読む必要があります。一部引用します。

曖昧情報 不安を増幅  SOS臓器移植

 宇和島徳洲会病院を中心とする病気腎移植問題が表面化してほぼ一カ月。執刀した万波誠医師(66)と仲間の「瀬戸内グループ」と呼ばれる医師らが苦境に立たされている状況は今も変わらない。この問題では患者にきちんとした説明がされたか否かが大きいが、あらためて取材をすると曖昧(あいまい)な情報の交錯が騒動の端緒になっていることが分かる。ボタンの掛け違いはどこで生まれたのかを検証した。 (片山夏子)」


 「……香川労災病院の西光雄医師も「瀬戸内グループ」のひとりとされるが、同病院では、腎がんなど四件の病気腎摘出はすべて同意書があった。」


 「病気腎移植が表面化してから、「手術前に移植に提供するとの説明がなかった」「移植できるなら、なぜ元に戻してくれなかったのか」などドナー(臓器提供者)の不満の声が報道された。また、複数のレシピエント(臓器被提供者)も「病気腎の病名は聞かなかった」と証言。対して万波医師らは「ドナーにもレシピエントにも説明は十分にした」と反論してきた。どこですれ違ったのか。

 ケース(1) 親への説明あったか

 四度目の移植手術を受け、三カ月後に急性すい臓炎で亡くなった愛媛県の男性=当時(29)=の両親の不満が、週刊誌や新聞で、大きく報道された。

 男性は中学三年から透析生活に。高校一年になる直前に母親の腎臓を移植。五年後に父親の腎臓を移植した。調理師免許取得、結婚と順調に歩んでいたが、再び調子が悪くなり、二〇〇〇年十二月に病気腎を移植。「2%しか動かない病気腎の移植を受けたと息子から聞いた時は驚いた」と母親。一週間で調子が悪くなって摘出、翌年三月にがんの病気腎移植を受けた。

 手術後に病名を聞き驚いて心配する両親に、息子は「がんは取り除いたから大丈夫」と話した。入院仲間も「移植後、バイクを買って乗ると楽しみにしていた」と思い出す。

 母親は「透析していても逆流したり、手が震えたり、透析も末期だった。でもがんの腎であるとは知らなかった」と涙をこらえる。

 父親も「医師を信頼してなければ移植はしない。息子にとって万波先生は絶対的な存在だった。だが親にも説明してほしかった」。

 母親は「病気腎でもと思う患者の気持ちは分かる。捨てなくてはいけない腎臓で提供者が同意して移植が可能なら病気腎移植も進めてほしい。十五年間生かしてくれたことは感謝している。週刊誌で報道された後、万波先生を訴えるかと聞かれて驚いた。そんなことは考えてない」と話した。

 万波医師は「十分説明しているが、患者によって理解度も違う。本人が理解していないと感じた場合は家族にも説明してきた。特に病気腎移植については、十分説明しないと(医師としても)危ない。だまし討ちのようなことはできない」と話している。

 ケース(2) 『無断』は誤報と判明

 岡山県で廉介医師から腎臓摘出手術を受けた女性が、「無断で移植に使われたと話した」と報道された。だが、その後、女性の腎臓は移植に使われておらず、廃棄されていたことが判明した。廉介医師は「この女性の尿管がんの場合、腎臓まで摘出するのが通常だった」と説明。「誤報」といって良いケースだった。

 ケース(3) 提供者は理解したか

 同県で腎臓がんの疑いで廉介医師の手術を受けた別の七十代女性が「手術前に提供の十分な説明がなかった」などと話したと報道された。しかし廉介医師によると、カルテには、手術前には「取った腎を使用させてもらうこともあることを許可していただいた」と記載。手術当日には、「100%腎癌(がん)かどうか不明、とった腎をつぶさに検討し、癌でない場合は移植させていただくむね、ご主人及び(および)本人より許可をいただいた」と記載されていた。摘出された腎臓は、検査でがんではないとわかり、移植された。

 女性は体調を崩して現在入院中。夫は「手術前に説明があったかは妻に聞かないと分からない。がんと言われて頭が真っ白になって、言われたような言われてないような」と話した。

 廉介医師は「何度も説明したが、もし患者が理解するまでに至らなかったのだとすれば、説明が足らなかった。患者にはすまなかったと言いたい」と話した。」



(2) 病気腎移植問題について、多くの記事を読んで感じていたことでもあるのですが、この東京新聞の記事を読むと、万波誠医師及び万波廉介医師がインフォームド・コンセントを軽視したのか疑問に感じるのです。

ケース1では、成人し、結婚して親と離れて別家庭を持っている男性の腎臓移植ですから、医療契約はその男性との間で行う以上、その男性及びその配偶者の同意があれば足りるはずです。ですから、ケース1でのその男性の親に対してはインフォームド・コンセントは不要だったと考えます。なので、親に対して、説明をしていない、又は説明をしても腎臓がんの臓器だったことを説明していない場合も、インフォームド・コンセントがなかったと非難するのは無理だったのです。

ケース2は、摘出した腎臓が廃棄されたのに、「勝手に移植に使われた」との証言を鵜呑みにして、移植されたと報道したのですから、誤報です。事実確認を怠った報道機関のミスであり、万波廉介医師は根拠なき批判にさらされたというべきです。

ケース3は、「手術前に提供の十分な説明がなかった」などと話したと報道があっても、カルテには、手術前には「取った腎を使用させてもらうこともあることを許可していただいた」と記載があり、手術当日のカルテにも、「とった腎をつぶさに検討し、癌でない場合は移植させていただくむね、ご主人及び(および)本人より許可をいただいた」と記載されていたのですから、 インフォームド・コンセントがあったと評価できる事例でした。
しかも、夫は「がんと言われて頭が真っ白になって、言われたような言われてないような」と話したのですから、「手術前に提供の十分な説明がなかった」と断定することは困難です。 (このケース3では、カルテによると、摘出だけでなく提供についても同意を求め、同意があったようです)

こうなると、すべてのケースについて断言することはできませんが、同意書が存在するケースもあることを踏まえると、万波誠医師・万波廉介医師はインフォームド・コンセントを行ってきており、少なくとも現時点においてインフォームド・コンセントを軽視しているという評価は非常に困難であると考えます。


(3) 「同意を得る文書を残さ」なかったことで、手続を欠いたとして万波誠医師を非難しているようですが、これは妙なことです。同意書の主たる目的は、何か患者に不利益が生じたときに争いを封じておくための証拠であって、存在すれば医師側に有利な書面であって、患者の利益のための書面・患者の治療に役立つ書面ではないからです。

同意書は、患者の治療に役立つ書面でないのに、同意書がなかったことで、なぜ万波誠医師を批判できるのでしょうか? 同意書を得ていないことは、論理的には、「万波誠医師が同意書得ていれば臓器提供者と移植患者から文句を言わせずに済んだのに、惜しいことをした」と、万波誠医師を心配することにつながるのであって、万波誠医師を非難することにならないのです。

ですから、大場あい記者は、「同意書がない=インフォームド・コンセントが不十分」という意識をもっているようですが、その意識は誤解があると考えます。

なお、移植手続のプロセスとして、倫理委員会がありますが、もし倫理委員会に病気腎移植の検討を求めたら、危険性を避けるため、移植は不可能になっていたはずです(テレビ報道での万波廉介医師の発言より)。それでは患者が救われないままなのです。




3.もう1つの批判は、「臓器提供の自発性」です。すなわち、臓器移植法2条(基本的理念)2項は、「移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。」としていますので、病気の腎臓をもつ患者であっても、臓器を任意に提供する意思が必要なのではないか? という批判なわけです。

(1) 病気の腎臓をもつ患者は、治療目的で腎臓を摘出することについて同意しているのであり、元々、病気腎臓が移植されることへの意思を有しているわけではありません。そして、摘出後の臓器は、患者にとって無価値ですから臓器の所有権を放棄したものと評価できます。そうすると、「移植術に使用されるための臓器の提供」といえず、放棄後の臓器は、医師の自由な処分に委ねられることになります。

今回のように、病気腎移植がなされる場合であり、摘出前から移植がありうることが分かっている場合であっても、医療契約上、治療目的での摘出への同意が主目的ですから、移植目的は従たる意思にすぎないのであり、本来、病気ゆえ移植の可能性は低いのです。そうなると、もっぱら治療目的での臓器摘出は、「移植術に使用されるための臓器の提供」といえないと考えます。

ですから、これは健康腎の摘出による「生体腎移植」ではなく、「臓器移植法」などの現行法規に触れる点はないため、臓器移植法2条2項の「臓器提供の自発性」は不要であり、「臓器提供の自発性」がなくても適法といえると考えます。

なので、万波誠医師が、

「「(提供の自発性を確保しなければならない)死体、生体移植とは全く違う」と強調した。「捨てる腎臓ですよ。医師が最初からドナー(臓器提供者)に提供を勧めることは全くないし、患者も摘出した腎臓が使えるとは夢にも思っていない。ただ私が『がんでも使える場合があるんですよ』と言ったら、『どうぞ使ってください』という。それだけのことです」と」

答えていますが、その感覚は法律上、妥当であると思います。


(2) これに対して、大場あい記者は、

 「長年移植に携わってきた万波氏は、人の身体観や移植に対する考え方がそれぞれ違うことを十分に知っている。それなのに、なぜ病気腎だけ自発性が二の次でいいというのか。単に廃棄することと他人に移植することの間にはやはり大きな隔たりがあると思う。」

と批判しています。確かに、大場あい記者のように、移植する臓器はすべて「提供の自発性」が必要であると考えることも可能でしょう。死体腎移植・生体腎移植は提供者の同意が必要なら、病気腎移植も提供者の同意が必要であると。

しかし、臓器移植法2条2項が、提供の任意性を必要としているように、なぜ死体腎移植や生体腎移植において、提供者の同意を必要としたのかというと、本人の自己決定権を尊重した点、すなわち、理由なく勝手に本人の人体から臓器を取り出すことを認めないからです。

そうすると、病気移植の場合は、本人の治療目的で、本人の同意があって取り出すのであって、本人の自己決定権は尊重されており、理由なく勝手に本人の人体から臓器を取り出してはいないのです。なので、病気腎移植の場合、提供につき本人の同意がなくても、臓器移植法2条2項が提供の任意性を要求する趣旨に反しないのです。

また、死体腎移植の場合、提供目的での摘出につき同意があることで違法性を阻却し、死体損壊罪に当たらないことになり、生体腎移植の場合、提供目的での摘出につき同意があることで違法性を阻却し、傷害罪に当たらないことになりますが、病気腎移植の場合、治療目的で同意している点で違法性を阻却し、傷害罪に当たらないことになるのです。
要するに、死体腎移植や生体腎移植では、提供目的での同意がないと犯罪が成立するのに対して、病気腎移植では、提供目的での同意がなくても犯罪は成立しないという違いがあるのです。

大場あい記者は、「なぜ病気腎だけ自発性が二の次でいいというのか」といい、万波誠医師が、病気腎移植の患者の意思を軽視していると言いたいようですが、万波誠医師は、死体腎移植や生体腎移植と、病気腎移植の違いを明確に意識しており、病気の腎臓を持つ患者に対しては治療目的での説明の方に専念したのだと思うのです。

もちろん、治療目的での摘出であっても、誰かに移植される可能性もあることまで同意を求める法制度にすることも可能です。それは、より本人の自己決定権を保障する範囲を広げたものといえますが、治療目的で精一杯の患者を混乱させることになり危険性がありそうです。


(3) この記事中の大場あい記者の主張として非常に問題であると感じたのは、

「一方、移植機会を増やしたいのなら心停止後に全員から提供してもらえる制度にすればいいとは考えないか、と尋ねると、万波氏は「人の意思は千差万別ですわ。そんなこと決められない。死んでも(身体に)触らせもしない人もいるからなあ」と語った。」

という点です。

うえで述べたように、なぜ死体腎移植や生体腎移植において、提供者の同意を必要としたのかというと、本人の自己決定権を尊重した点、すなわち、理由なく勝手に本人の人体から臓器を取り出すことを認めないからです。

大場あい記者は、憲法13条で保障されている自己決定権を無視して、人体損傷を行う制度を認めようというのでしょうか? 諸外国では、本人の意思が不明なときは遺族の意思に従う法制度もありますが、本人の自己決定権を無視したものはないようです。
にもかかわらず、日本では、臓器提供という公共の利益のために、諸外国ではもちろん日本国憲法でも尊重している自己決定権を踏みにじってよいなんて、憲法上、許されない制度です。大場あい記者の人権意識は著しく欠けています


(4) 大場あい記者は、「独特の道徳観を優先した」(「「異端」の2医師の「独自の道徳観」は許されないのか?~毎日新聞11月20日付の記事批判」参照)とか、散々万波誠医師を批判しておいて、

「万波氏のように経験も移植医療への理解もある医師にこそ、「患者のため」に必要なプロセスを踏んだ上で、国内での移植機会が増えるような提案をしてほしかったと思えてならない。」

などとお為ごかしな言い方をするのです。
死体腎移植が増えない現状で、病気腎移植自体を否定しておきながら、「国内での移植機会が増えるような提案」を求めるのは、無責任な主張です。だいたい、日々の病気治療に忙しい万波誠医師に対して、「提案」を求めるなんて、治療行為を後回しすることを強制することであって患者を死なせるに等しい言動です。大場あい記者のお気楽な発言には、腹立たしい思いがします。




4.こうして検討すると、曖昧な情報で万波誠医師批判がなされていることが分かったと思います。情報の速報性も考えると、報道機関が不確かな情報を報道することは仕方がない面があります。

しかし、誤った情報は正される必要があり、「記者の目:病気腎移植の万波誠医師=津久井達(松山支局)」(毎日新聞 2006年12月1日 東京朝刊)東京新聞12月5日付朝刊24・25面「こちら特報部」:曖昧情報 不安を増幅 SOS臓器移植という記事はその1つです。今後もこうした価値ある報道を行って欲しいです。

正すような価値ある記事があり、正すような記者がいる一方で、大場あい記者のように、誤りを流すままの記者がいます。大場あい記者はいつまでたっても「東京で伝え聞く『想像しがたい医療を続ける独善的な医師』という万波氏の印象」を抱いたままなのです。しかし、伝え聞く印象を抱いたままでは、到底公平な記事は書けないはずなのです。

もちろん、大場あい記者以前に、同じ内容をことを言う医師がいるのですから、一方的に誤りと断言するわけにはいきません。しかし、ここでは臓器移植法上の同意の意味、自己決定権の意味を理解していないと、「臓器提供の自発性という移植医療の原則やインフォームド・コンセント」を理解していることにならないのです。

移植学会側の医師の意見を鵜呑みにして、その意見を垂れ流しするのも1つの見識ではあります。しかし、それでは、決して深刻な臓器提供者不足は解消しないのです。元々、臓器移植自体、患者が100%満足できる夢の治療法ではないのですから、健康な腎移植であっても、将来は不確定なのであって、最初から病気腎移植を拒否する現状自体おかしなことなのです。
伝え聞く印象を抱いたまま報道することの危うさに反省することなく、現実を把握する能力・事実を理解する能力が欠けている記者による報道は、害悪でしかないと考えます。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

コメント
この記事へのコメント
拝見しました。
やはり数年前の根津医師のケースと似た展開を見せ始めましたね。

代理出産の永山悦子記者に続き、また毎日新聞科学環境部の女性記者ですか。
12月1日付けで毎日新聞松山支局から現地の声が報告されたばかりのこの低レベル記事に力が抜けます。
毎日新聞は社内的に少しでも議論しているのですかね。

少なくとも大場あい記者は、松山支局の津久井達記者と一緒に11月に現地に行っている
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/photojournal/news/20061119k0000m040126000c.html
のですから、津久井達記者とよく議論し、春霞様ご指摘の様に事実を調べて記事を起すべきだったと思います。

また、社としての記事のチェック体制は一体どうなっているのでしょうかね?
東京新聞では記者個人名の特報記事の下にはデスクメモが付いていますが、毎日新聞はないですね。
それとも、毎日新聞と言うのはゴシップ記事専門の三文新聞なのでしょうか。

余談ですが、東京新聞の本日付の特報:SOS臓器移植 ルールと課題提言
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061207/mng_____tokuho__000.shtml
は、よく生体臓器移植の現状と課題を報じています。

代理出産でも、ボランティアの第3者ではなく親族の代理母の場合、同様の問題があり得ます。
節操の無いビジネス化は絶対に避けるべきですが、無償性に拘り過ぎるのも問題と思います。
現状では外国での代理出産や有償ボランティアを安易に制限すべきではないと思います。
大変難しい問題ですが、代理出産ルール作りにおいて考慮される事を望みます。
2006/12/07 Thu 19:55:43
URL | Canon #yYfDAmAg[ 編集 ]
>Canonさん
コメントありがとうございます。

>12月1日付けで毎日新聞松山支局から現地の声が報告されたばかりの
>この低レベル記事に力が抜けます
>毎日新聞は社内的に少しでも議論しているのですかね。

12月1日付の津久井記者の記事は、説得力がありましたし、評判が良いですね。それに比べて、12月5日付のこの記事は話題にもならないようで……。


>社としての記事のチェック体制は一体どうなっているのでしょうかね?

毎日新聞は、臓器売買、病気腎移植について多くの記事を掲載していますが、書きっ放しの感があるようです。ちょっとチェックがうまくいっていないのかもしれません。よく言えば、記者の自由に任せているのでしょうが。


>毎日新聞と言うのはゴシップ記事専門の三文新聞なのでしょうか。

……ははは(^^ゞ


>東京新聞の本日付の特報:SOS臓器移植 ルールと課題提言

情報ありがとうございます。自分の意見というよりも情報として遺しておくに近いのですが、エントリーにしてみました。


>代理出産でも、ボランティアの第3者ではなく親族の代理母の場合、
>(生体臓器移植の現状と)同様の問題があり得ます。

そうですね。
親族だと頼みやすい面もあるのでしょうが、家族の負担になったりとか、強制に近い依頼になりかねません。ですから、親族にだけに負担がかからないように、法律上、代理出産を認める場合でも、親族に限定するのは止めて欲しいです。


>節操の無いビジネス化は絶対に避けるべきですが、無償性に拘り過ぎる
>のも問題と思います。

そうですね。
代理母は出産までの長期間、2人分(双子だと3人分)を養って生きているのですから、どうしても費用がかかります。無償は現実的でないと思います。
2006/12/08 Fri 23:32:15
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
わたしにききなさい
太字の文f万波が移植をしはじめたのは、患者をたすけるという殊勝なものではない。その理由は、いいが、はじめから 一緒にやってきて、また、学生時代もいっしょに時をすごしたが、その性格のいいかげんさは 計り知れないものがある。金をかしてもかえらない。多くの学友が、せびられている。今でも手紙でよこす人もいる。性格がルースであるので 同意書もたとらない。
共産党にいっていたので 権威に反抗する。移植をするときの初めが動機が、そんな殊勝なものではない。断言する。でも他からは見えない。赤ひげとかいうが、ルースなだけ。学生時代からしってるから、その延長線のいまの万助があるだけ。喝??
2006/12/24 Sun 10:54:53
URL | 外装 #-[ 編集 ]
>外装さん
はじめまして、コメントありがとうございます。

>その性格のいいかげんさは 計り知れないものがある。
>金をかしてもかえらない。多くの学友が、せびられている。

万波医師は、服装、食生活といった私生活には無頓着のようですね。しかし、食事はきちんととって欲しいと思いますが、私生活はルーズでも、医療の面でルーズでなければ、患者にとってはそれで十分です。医者はあらゆる面で聖人でなければなければならない、なんてことはないと思います。


>性格がルースであるので 同意書もたとらない。

確かに、ルーズだから同意書をとらない面もあるかもしれません。

しかし、同意書は医師と患者との間の意思の確認の面もありますが、事後の紛争に備えるものです。切羽詰っている患者にとって同意書への署名押印をすることは冷ややかに思うので、「どんな医療行為でも同意書をとるべきかの判断は容易でない」(盛岡恭彦著「医の倫理と法」(2004年、南江堂)23頁)のです。要するに、同意書は患者のためというよりも医師にとって利益になる文書であり、また、どんな場合でも同意書をとるわけではないのです。

また、中央公論2007年1月号「絶望的に不足する臓器をめぐる闇」を読むと、万波医師を批判している、大阪大学の高原教授も、「現在は……生体腎移植の……手術に関する承諾書と同意書を作成している」(268頁)のです。要するに、万波医師を批判する医師も、以前は同意書を取っていなかったわけですね。

同意書をとることが重要なのではなくて、十分に説明して同意を得ることが重要なのです。同意書はあってもなくてもいいのです。同意書があることで、本当は説明していなくても、十分に説明したといった言い逃れをすることもあるわけです。

「ルーズだから同意書をとっていない」といってみても、あまり批判にならないように思います。


>共産党にいっていたので 権威に反抗する

権威に反抗……ですか。実に共感できます。
私が最初に書いたエントリーを一部引用します。

「「理論の世界には疑ふことの許されない権威はない。私は特に若い学徒の――この問題には限らず――思惟における徹底的な態度を希望する」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1.html

権威に対しておもねらない態度こそ、法律学の解釈論において、忘れてはいけないことだと思っています。

権威に反抗する……。
初心を思い起こさせてくれてありがとうございます。
万波医師批判でもなんでも構いません。今後とも宜しくお願いします。 
2006/12/25 Mon 23:36:34
URL | 春霞 #Gu2JBjds[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/02/04 Mon 00:10:29
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ:2008/02/04(月) 00:10:29
コメントありがとうございます。

ご家族の間でも自己の価値観を押し付けることなく尊重したわけですね。立派なことだと思います。

それに引き換え、大場あい記者は、万波医師らの医療行為を独自の倫理観に基づくものだとレッテルを貼り、全否定するよう(紙面で)訴えました。家族間でも多様な価値観を尊重する意識はあるのに、なぜ記者ができないのか……。まったく不可思議なことです。
2008/02/06 Wed 07:53:28
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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