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2010/09/05 [Sun] 16:56:01 » E d i t
民主党代表選においては、菅直人氏と小沢一郎氏が立候補していますが、検察審査会について批判的に言及した小沢氏の発言に注目が集まっています。

平成22年9月5・6日付追記:小沢一郎氏が、検察審査会の審査対象のあり方について考えを述べることは、「検察審査会への圧力として作用することは明らかである」とする批判への検討を追記しました。)



小沢氏、検査審に疑問呈す 『素人が決める仕組み』
2010年9月3日 夕刊

 民主党代表選に立候補した小沢一郎前幹事長は三日午前、テレビ朝日番組で、自らの資金管理団体の政治資金規正法違反事件に関連し、検察審査会の在り方に疑問を呈した。 

 小沢氏は、検察審査会について「強制力を持った捜査当局が不起訴と言ったことについて、いわば素人が良い、悪いと言う今の仕組みが果たしていいのか、という議論は出てくる」と指摘した。」(東京新聞平成22年9月3日付夕刊


東京地検特捜部は、小沢氏の資金管理団体の政治資金規正法違反事件に関連して、1年もかけて執拗に――足利事件でも1年も捜査機関は菅家さんを付け狙い、有罪とされたが冤罪であることが判明――捜査したのに、証拠不十分であるとして不起訴としたわけです。

そのため、小沢氏は、検察庁が証拠不十分であるとして「不起訴と言ったことについて、いわば素人が良い、悪いと言う今の仕組みが果たしていいのか」どうかと述べ、証拠不十分での不起訴は、検察審査会の審査対象を限定する必要があるのではないかと、疑問を呈したのです。(なお、小沢氏の発言では、証拠不十分での不起訴であることを明言してはいませんが、小沢氏が関わった事件では、証拠不十分での不起訴だったのですから、その点は当然に発言に含まれるでしょう。)

この発言に対して、報道機関は、「法律的にどの点で不当なのか」を示していないので分からないのですが、「小沢氏、検査審に疑問呈す」という見出しからすると、何となく非難めいた記事であるようです。しかし、証拠不十分での不起訴は検察審査会の対象から除外すべきだという、小沢氏の発言は本当に不当なのでしょうか? 3人の法律関係者(元裁判官と元検察官)へのインタビュー記事を引用しておきます。



1.朝日新聞平成22年7月3日付朝刊17面「オピニオン 耕論」

◆審査会は冤罪を防ぐために

――秋山賢三(あきやま・けんぞう)さん 元裁判官


 私は、司法手続きに司法が参加すること自体は、大変意義のあることだと思いますが、それは市民の英知を活用して、無実の人を処罰しないため、つまり、冤罪を生まないためにこそ行われるべきだと思います。

 その意味で、刑事法のプロである検察官が有罪にできないと判断し不起訴処分にした事件を強制的に起訴する権限を、くじ引きで選ばれた、法律知識のない市民に簡単に与える現行制度には反対です。

 日本では、起訴された被告の99.9%が有罪になるという実態があり、社会は「起訴=有罪」と受け止める傾向が強いのです。公務員は起訴されると休職となり、給料は4割カットされるし、民間会社員は起訴されると解雇されるケースも多い。物心両面の負担は言うまでもありません。

 だからこそ、起訴の判断は慎重さが求められるのです。まして、検察審査会に持ち込まれる告訴・告発事件の場合、容疑者とされる人が容疑事実を否認しているケースがほとんどですから、起訴の判断にはより一層の慎重さが求められます。

 検察という組織は、有罪にできると判断すれば必ず起訴します。その検察官が起訴しない事件について一般市民に起訴できる権限を与えるわけですから、冤罪を生む危険性が大きくなったと思います。

 理由は<1>審査員が一般に法律に詳しくない<2>限られた審査時間の中ですべての証拠を精査できるかどうか疑問<3>事前にメディア報道を見聞きして、予断と偏見を持って審議に臨む可能性が高い<4>被害者感情に短絡的に同調する可能性が高い、などです。

 例えば、明石歩道橋事故のような大規模事故の場合、業務上過失致死罪の適用が問題になります。こうした過失犯では、結果を予見できたか、回避できたかどうかが有罪・無罪の判断を分けますが、長年積み重ねられた多くの判例を知らなければ、正しい判断はできません。

 実際過去には、検察審査会が不起訴相当の議決を出したため、再捜査して起訴したものの、結果的に無罪判決が確定した事件は「甲山(かぶとやま)事件」「岡山遊技場放火事件」など、数多くあるのです。

 検察審査会の議決には強制力のない時代ですらそうだったのですから、議決に強制力が付与された現在の制度の下では、冤罪が生まれる可能性はかなり高まると思います。

 こうした危険性を回避するため、検察審査会の議決に強制力を付与する条件として、以下のことを提案したい。

 <1>「起訴相当」の議決をするためには、現在11人の委員中8人以上の賛成でいいとされているが、これを全員一致の賛成が必要とする<2>現行法では「起訴相当」の議決2回で強制起訴となっているが、これを3回(または4回)とする<3>捜査資料の公開を徹底する、という三つです。

 検察官は起訴の権限を独占し、しかも起訴するかどうかに関して大きな裁量権を認められており、それに対する市民からの監視とチェック機能は必要です。しかし、検察審査会のように、検察官が起訴しない事件を起訴させる方向に市民が関与するのではなく、検察官が起訴すべきでない事件を起訴させないためのチェック機能こそ市民に求められていると思います。 (聞き手・山口英二)
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1940年生まれ。67~91年裁判官。徳島地裁で徳島ラジオ商殺し事件の再審開始決定に関与。退官後は主に冤罪事件の弁護を担当。」



(1) 法曹のみならず法を学ぶ者であれば誰でも尊敬している、元裁判官で弁護士の秋山賢三さんは、「検察審査会のように、検察官が起訴しない事件を起訴させる方向に市民が関与するのではなく、検察官が起訴すべきでない事件を起訴させないためのチェック機能こそ市民に求められている」とし、不当な不起訴か否かを是正する検察審査会自体に否定的な見解なのです。

そして、検察審査会を肯定したとしても、「刑事法のプロである検察官が有罪にできないと判断し不起訴処分にした事件を強制的に起訴する権限を、くじ引きで選ばれた、法律知識のない市民に簡単に与える現行制度には反対」>としています。要するに、法律知識のない素人の市民が、安易に強制起訴ができるようになった現行検察審査会法は妥当でないとしているのです。

「法律知識のない素人の市民が、安易に強制起訴ができるようになった現行検察審査会法は妥当でない」との考えは、検察審査会の権限を限定するべきとする点で、小沢一郎氏の見解と共通します。しかも、不当な不起訴か否かを是正する検察審査会自体に否定的な見解を採用している点では、検察審査会の存在を是認する小沢一郎氏の見解よりも一層、検察審査会に批判的なのです。

「証拠に基づいた認定」というよりも感情論によって結論を出している、最近の検察審査会の審理の現状に危惧を抱く法曹は多いので、この秋山説(立法論)が、法曹界の多数を占める考えといってよいでしょう。ですから、小沢一郎氏の発言に対しては、法曹界の多数は賛成しているはずで、報道機関が小沢氏の発言を問題視するのか不思議でなりません

沢氏の発言に対して、朝日新聞平成22年9月4日付朝刊1面は、「『不見識だ』驚く法曹界」という見出しを出していますが、これは多数の意見に反する「虚偽の見出し」というべきです。むしろ、「『見識がある』肯定的な法曹界」と書くべきでした。「強制起訴制度の導入はするべきではなかった」と、後悔している法曹の方が多いのですから。

もちろん、裁判員制度や強制起訴制度の導入を積極的に推進した、弁護士の四宮啓氏(国学院大学教授)だけは、小沢氏の発言を批判――批判内容は意味不明ですが――しています(朝日新聞平成22年9月4日付朝刊)。しかし、制度導入の問題点に目をつぶった「信者」なのですから、思想的に小沢氏の発言に否定的なのは当然でしょう。



(2) 元裁判官で弁護士の秋山賢三さんが、このような見解を採用しているポイントは、法律知識のない素人が検察審査会で強制起訴が可能となった点で、多くの事件で冤罪の危険性が高まったのであり、市民が冤罪を作り出すようなことは止めるべきだということです。

何人にも無罪推定の原則(憲法31条)が保障されているにも関わらず、報道機関も一般人も「起訴=有罪」と受け止める傾向が強く、有罪視報道は相変わらず続いています。このような不当な社会的な制裁に加えて、「公務員は起訴されると休職となり、給料は4割カットされるし、民間会社員は起訴されると解雇されるケースも多い」のです。さらに、刑事手続によって、容疑をかけられた者は、経済的・精神的・肉体的にも著しい不利益を受けるのですから、起訴の判断は慎重さが求められるのです。

まして、「検察審査会に持ち込まれる告訴・告発事件の場合、容疑者とされる人が容疑事実を否認しているケースがほとんどですから、起訴の判断にはより一層の慎重さが求められ」るのですが、その検察官が起訴しない事件について、法律の知識が乏しい一般市民が、極めて少ない審査時間で、強制起訴できる権限まで与えたのですから、より冤罪を生む危険性が大きくなったのです。
 

 「実際過去には、検察審査会が不起訴相当の議決を出したため、再捜査して起訴したものの、結果的に無罪判決が確定した事件は「甲山(かぶとやま)事件」「岡山遊技場放火事件」など、数多くあるのです。
 検察審査会の議決には強制力のない時代ですらそうだったのですから、議決に強制力が付与された現在の制度の下では、冤罪が生まれる可能性はかなり高まると思います。」


秋山賢三さんが指摘するように、強制起訴を認めていなかった過去の事例でも、多くの冤罪を生んでいました。強制起訴が可能になった現在、冤罪の可能性が高まったと危惧するのは、ごく当然の判断です。

検察官の起訴権限に対して市民からの監視とチェック機能は必要です。しかし、検察審査会のように、検察官が起訴しない事件を起訴させる方向に市民が関与するのではなく、検察官が起訴すべきでない事件を起訴させないためのチェック機能こそ、すなわち、冤罪を作り出す方向ではなく、冤罪を防止する方向に市民は、行動するべきなのです。検察審査会が引き起こした「甲山(かぶとやま)事件」「岡山遊技場放火事件」という冤罪事件に対して、心から反省して対応するべきなのです。

こうした秋山賢三弁護士の考えに賛同する法曹関係者は多いように思われます。





2.朝日新聞平成22年7月3日付朝刊17面「オピニオン 耕論」

◆嫌疑不十分は対象から外せ

――高井康行(たかい・やすゆき)さん 元検察官


 私は今回の制度改正を議論した裁判員制度・刑事検討会に委員として参加しました。その中で、私は同じ検察の不起訴処分でも、嫌疑不十分と起訴猶予は分けて考えるべきだと主張しました。

 起訴猶予は証拠もあって有罪は間違いないものの、被害者との示談が成立しているなどの様々な事情を考慮して起訴しないと検察官が判断したものです。だから、「市民感情に照らして、不起訴処分は社会正義に反する」と審査員が判断して起訴相当と議決することは間違いないでしょう。

 しかし、嫌疑不十分は捜査と証拠評価の専門家である検察官が、有罪とするだけの証拠がないとしたものです。検察審査会が「市民目線で見れば証拠はある」「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」として起訴するようになれば、社会的反響の大きい事件は、たとえ有罪の確証が薄くてもどんどん起訴され、裁判でようやく無罪になるということになりかねません。

 民主党の小沢一郎前幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件などは、このような懸念が当たっていると感じます。この事件は、東京地検が嫌疑不十分と判断したのに対し、検察審査会が起訴相当と議決しましたが、地検は再び不起訴としました。審査会が今度も起訴相当の議決をすると、強制起訴されます。起訴は本来、人権を侵害する行為ですから、証拠の有無は慎重に判断されねばなりません。安易に起訴されるようになると、とんでもない人権侵害につながりかねません。

 制度改正以前の検察審査会の議決は強制力を持ちませんでしたが、実はそれなりに機能していました。最高裁の統計によると、1948年の制度開始以後、審査会が起訴相当、不起訴相当と議決した事件のうち、約20%が起訴されています。

 審査会から起訴相当、不起訴相当の議決が出ることを、担当した検察官は嫌がるものです。戻ってきた事件は、先輩もしくは上司が再捜査する。再び不起訴とする場合には、私の在任中は高検の検事長決裁まで受けなければならず、それなりに重い負担になっていました。そのため不起訴にする場合には被害者に対し丁寧に説明し、説得し、納得してもらいました。ある意味、事件処理に民意を反映してきたし、そうした作業が国民の検察官に対する信頼を築いてきたと言えるでしょう。

 今回の制度改正は、検察官にどんな影響を与えるでしょうか。ある検察官は、強制起訴されて裁判で有罪になったらみっともないから、これまでなら不起訴にする事件でも起訴してしまえ、と考えるかもしれません。また、ある検察官は「処分に不満があるなら、審査会へ行ってください」と、被害者への丁寧な説明をしないまま不起訴にするかもしれません。このようなことになったら逆効果です。

 起訴されれば、物心ともに大きな負担がかかり、社会的な制裁も受ける。だから、検察官は捜査を重ね、証拠を吟味し、有罪の確証を得た上で起訴してきた。それが検察官の職業倫理でもあります。今後も抑制的に、正しく公訴権が運用されるのか。私は、不適切な方向に振れていくのではないかと懸念しています。 (聞き手・秋山惣一郎)
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1947年生まれ。元東京地検検事。97年に退官。2002~04年、司法制度改革推進本部で裁判員制度・刑事検討会の委員を務めた。」




検審の「証拠」おかしい――高井康行氏(弁護士)

 私が参加した司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会では、起訴猶予と嫌疑不十分を分けて考える必要性が指摘された。検察が「証拠があるが起訴しない」と判断した起訴猶予の場合、国民目線で起訴すべきかどうかを考え直す意味はある。しかし、嫌疑不十分は証拠の有無の問題。法律家が「証拠はない」と判断したのに、国民目線で見たら「証拠はある」というのはおかしい。

 小沢氏を共犯者に問う直接的な証拠は、石川知裕衆院議員と池田光智元秘書の供述しかないが、議決書を読んでも、2人の供述内容がどの程度の具体性を持つのかわからないので、証拠価値の判断ができない。

 仮に小沢氏が強制的に起訴されることになれば、政治的な意味も大きい。検察審査会は「これなら、検察審査会が起訴すべきだと判断するのも仕方がない」とわかるような具体的な説明をする必要があるのではないか。」(朝日新聞平成22年4月28日付朝刊3面「『起訴相当』識者の声」(一部))



(1) 高井康行弁護士は、「検察の不起訴処分でも、嫌疑不十分と起訴猶予は分けて考えるべき」であり、嫌疑不十分(捜査と証拠評価の専門家である検察官が、有罪とするだけの証拠がないとしたもの。証拠不十分。)の場合は、検察審査会の審査の対象から除外すべきだとする考えを説いています。

これは、説明するまでもなく、小沢氏は、検察庁が証拠不十分であるとして「不起訴と言ったことについて、いわば素人が良い、悪いと言う今の仕組みが果たしていいのか」どうかと述べ、証拠不十分での不起訴は、検察審査会の審査対象を限定する必要があるのではないかとした、小沢氏の見解と同一の考えです。

このように同一の考えなのですから、おそらくは、小沢一郎氏は、(明示はしてはいませんが)高井康行弁護士や秋山賢三弁護士へのインタビュー記事を読んで、それを引用したのでしょう。検察審査会の改正に携わった者が小沢氏と同一の見解を採っているのですから、報道機関が小沢氏の発言を問題視するのか不思議ですし、小沢氏の発言に対して、朝日新聞平成22年9月4日付朝刊1面は、「『不見識だ』驚く法曹界」という見出しも、「虚偽の見出し」というべきです。



(2) 高井康行弁護士は、証拠不十分の起訴は、検察審査会の審査対象から除外すべきという見解の理由として、次の点を挙げています。

 「起訴猶予は証拠もあって有罪は間違いないものの、被害者との示談が成立しているなどの様々な事情を考慮して起訴しないと検察官が判断したものです。だから、「市民感情に照らして、不起訴処分は社会正義に反する」と審査員が判断して起訴相当と議決することは間違いないでしょう。

 しかし、嫌疑不十分は捜査と証拠評価の専門家である検察官が、有罪とするだけの証拠がないとしたものです。検察審査会が「市民目線で見れば証拠はある」「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」として起訴するようになれば、社会的反響の大きい事件は、たとえ有罪の確証が薄くてもどんどん起訴され、裁判でようやく無罪になるということになりかねません。」


我が国は、1876(明示9)年6月、改定律例318条に「凡ソ罪ヲ断スルには証ニ依ル」と定め、証拠裁判主義の採用を明示し、刑訴法317条も「事実の認定は、証拠による」と定め、証拠裁判主義を採用しています。このように、刑事裁判は、証拠裁判主義(証拠に基づいて犯罪の有無を判断する場なのです。

それなのに、検察官が「証拠」がないと判断して不起訴にしたのにも関わらず、「市民目線で見れば証拠はある」と証拠を作り出してしまうことは、明治以来の「証拠裁判主義」を危うくするものです。

もちろん、いくら検察審査会の市民が証拠を作り出したとしても、「犯罪事実を認定する裁判所の判断基準がそれに乗って変わるかというのは全く無関係の問題」(平成22年の憲法記念日に当たっての竹崎最高裁長官の発言)ですから、いくらどんどん強制起訴をしたからといって、有罪認定が緩和されるわけではないので、無罪もまた多数生じることになるだけなのです。



(3) 秋山賢三弁護士は、起訴は重大な人権侵害であり、冤罪の増加を危惧しています。高井康行弁護士は、実質的には同様の考えを採用しており、高井弁護士の見解の根幹にあるように思われます。

 「起訴は本来、人権を侵害する行為ですから、証拠の有無は慎重に判断されねばなりません。安易に起訴されるようになると、とんでもない人権侵害につながりかねません。(中略)
 起訴されれば、物心ともに大きな負担がかかり、社会的な制裁も受ける。だから、検察官は捜査を重ね、証拠を吟味し、有罪の確証を得た上で起訴してきた。それが検察官の職業倫理でもあります。今後も抑制的に、正しく公訴権が運用されるのか。私は、不適切な方向に振れていくのではないかと懸念しています。」

 
 イ:マスコミ報道を見ていると、断罪したいと考える事件を念頭に、慎重な起訴を捨て去り、どんどん起訴することを求めているようです。まるで、刑事裁判を「世間に対する情報公開の場所」と同じように考え、「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」と考えているようです。

しかし、緩和された起訴・恣意的な起訴は、断罪したいと考える事件だけでなく、すべての事件に及ぶのです。このままだと、徐々に起訴の基準が緩和され、正しく公訴権が運用されない事件が増加し、冤罪が増加するように思えるのです。私たちは、冤罪が増加する社会を望んでいるのでしょうか。都合良く、「私や私の家族だけは訴追されない」と考えているのでしょうか。


 ロ;いくら都合よく「私や私の家族だけは訴追されない」と考えたとしても、刑事裁判を「世間に対する情報公開の場所」と同じように考え、「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」と考えれば、どんどん起訴され、無罪になる者は出てくるのです。しかし、そのような有罪の見込みない起訴は、日本国憲法は予定していないのです。

「日本国憲法第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」


無実になった者は、憲法40条により国に対して刑事補償を受ける権利がある以上、無罪となる者の増加は、多額の税金が投下されることになって、他の市民の経済的負担として跳ね返ってくるのです。

もし、「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」と考えると、有罪の見込みがない起訴が多数なされることになりますが、それは、無意味に刑事補償を増加させるだけです。それは、明らかに憲法40条の存在を無視した考えであって、不当というべきです。憲法40条は拘禁された者を救済する規定であって、「金を払えば、どんな起訴でもできる」という人権を抑圧する規定ではないのですから。

ですから、検察庁が証拠を吟味して慎重な起訴を行うのは、憲法40条に適合するものであって妥当な判断なのであって、「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」とするマスコミの考え自体が、憲法40条に反するのです。




3.asahi.com:WEBマガジン・法と経済のジャーナル(2010年8月11日付)

証券取引等監視委・佐渡委員長インタビュー

検察の不調の原因は? 検察は法執行機関の要として構造的、組織的な犯罪摘発のコーディネーターになるべき


■検察審査会と検察捜査

 ――さて、検察審査会の問題です。明石歩道橋事故、JR西日本福知山線事故で相次いで検察審査会の強制起訴が発動されました。小沢事件でも1回目の起訴議決があった。検審の強制起訴は、裁判員裁判と同じ「司法への国民参加」の思想で導入されました。しかし、いざ導入してみたらその破壊力はすさまじい。JR事故では、歴代3社長が刑事被告人になりましたが、従来の検察の訴追の判断基準ではあり得なかったことです。小沢事件でも1回目の起訴相当が出ただけで政界に激震が走った。インパクトは裁判員裁判の比ではない。制度改革にかかわった多くの人たちにとっても、想定外だったのではないでしょうか

 「JR西日本の事故では、検審の前に、神戸地検が、事故の8年前に安全担当部長だった山崎正夫社長(当時)を業務上過失致死傷罪で起訴した。歴代社長はその共犯に問われた。8年間、列車は毎日走り続けていて事故は起きなかった。その間、危険を認識しながら放置していたといえるのだろうか。事故の直接の原因は運転手の重大な過失であることが明白だから、検察としても公訴の維持は相当の困難が予想されるね」


 ――あの事件は、2008年暮れまで最高検では間違いなく消極意見が有力でした。現場の神戸地検を管轄する大阪高検が「あれだけの大事故なのに誰も刑事責任を問わないのは理不尽だ」と訴追に積極的で、最高検を説得して強制捜査に踏み切り山崎氏を訴追した。検察部内では非公式ではあるが、いまだに「あれは無理な起訴だったのではないか」との声がある。検審の強制起訴の前提になった山崎事件でさえそういう状況ですから、検審起訴事件の方も、検事役の弁護士さんは公判維持に苦労するのではないでしょうか。

 「裁判員制度も検察審査会の強制起訴も、部分、部分でその改革の方向は間違っていない。しかし、刑事司法全体で見ると、おかしな方向に向かっている。従来の刑事司法の根幹部分を壊しているように思う。そのつけは大きいよ」

 「検察が不起訴にする。その処分に国民の不満がたまる。不満は検察審査会に向かう。検審が起訴議決し、指定弁護士が公判維持する。そういうケースが増えてくると検察審査会は検察にとって代わってどんどん大きな存在になるかもしれない。それだからといって、検察が起訴・不起訴の判断基準を変えるわけにはいかないだろう」

 「ただ、起訴猶予の運用は、これまでに比べ確実に硬直化するだろうね。公訴権の運用が二分されるような事態だ。いずれにしても、強制起訴された事件にどのような判決が出るのか、見ものだ。その時、方向が決まる」


 ――小沢事件は、検審の審査員11人全員が起訴に票を投じたと一部で報道されました。事実なら、検察に対し「政治的判断で不起訴にした」との疑いを突きつけた形です。反対に、村木事件は、起訴してはいけないものを起訴した疑いが指摘されている。検察に対する国民の不信が高まると、不起訴に対する審査だけでなく、いっそ起訴判断そのものに、国民に参加してもらった方がいいのではないか、という話になりかねない。米国の大陪審のようなシステムですね。しかし、大陪審のルーツの英国では、大陪審ではうまくないというので1940年代に廃止され、米国でも採用する州が減っているらしい。歴史的にみると成功した制度とはいえないという意見もあります。

 「どういうものになるかは別にして、検察はどんどん公判専従的になっていく。ただ、政治腐敗や経済秩序にかかわるような大事件は常に起きるから、特捜検察的な機能を備えた捜査機関は必要だ。特別な目的の捜査機関をつくろうということになるのではないか。そういう形で特捜がやってきたものを補完することになる。検事出身者としては、そうなる前に捜査部門の人材拡充を図り、国民の期待に応える特捜検察を維持し、さらに飛躍してもらいたい」


 ――特別目的の捜査機関というと、政官界やマフィアの組織的な不正を摘発する米・FBIのタスクフォース・チームのようなイメージですか。

 「スキームの作り方はいろいろあるだろう。いずれにしろ、検察がいまのような構造にはまり込むと、これまでやってきた特捜機能は果たせないことは間違いないのではないか」
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佐渡 賢一(さど・けんいち)
 1946(昭和21)年9月生まれ。63歳。北海道旭川市出身。早稲田大法学部在学中の68年に司法試験に合格。69年4月、司法修習生。71年、検事任官。大阪地検を振り出しに、函館地検、横浜地検、仙台法務局(訟務検事)、東京地検八王子支部を経て82年3月に最初の東京地検特捜部入り。宇都宮地検を経て87年3月に東京地検刑事部。88年3月から再び特捜部。91年4月、特捜部副部長。94年4月、東京高検検事。95年4月、同特別公判部長。97年4月、東京地検刑事部長。98年6月、最高検検事。99年7月、秋田地検検事正。2000年6月、最高検検事。01年4月、東京地検次席検事。02年10月、京都地検検事正。04年1月、大阪地検検事正。05年4月、札幌高検検事長。06年5月、福岡高検検事長。07年7月に退任し、証券取引等監視委員会委員長に就任。今に至る。」



(1) 証券取引等監視委・佐渡賢一委員長は、「裁判員制度も検察審査会の強制起訴も、部分、部分でその改革の方向は間違っていない。しかし、刑事司法全体で見ると、おかしな方向に向かっている。従来の刑事司法の根幹部分を壊しているように思う。そのつけは大きいよ」と述べています。

要するに、市民の意思を尊重しようという改革の目的は妥当であるが、検察審査会の強制起訴などの法改正は、従来の刑事司法の根幹部分、すなわち、予断に基づかない慎重な捜査、証拠を吟味した慎重な起訴、証拠を十分に精査したうえでの公判審理、といった点(「精密司法」とも呼ばれます)を壊してしまう方向へ進んでいると、危惧感を明瞭にしているのです。

ですから、佐渡賢一委員長は、明示してはいませんが、検察審査会で強制起訴を認めたことに対して批判的な見解であり、法律知識のない素人の市民が、安易に強制起訴ができるようになった現行検察審査会法は妥当でないとする考えとさほど変わりがないのです。


(2) 佐渡賢一委員長は、「いずれにしても、強制起訴された事件にどのような判決が出るのか、見ものだ。その時、方向が決まる」と述べています。
 

 「JR西日本の事故では、検審の前に、神戸地検が、事故の8年前に安全担当部長だった山崎正夫社長(当時)を業務上過失致死傷罪で起訴した。歴代社長はその共犯に問われた。8年間、列車は毎日走り続けていて事故は起きなかった。その間、危険を認識しながら放置していたといえるのだろうか。事故の直接の原因は運転手の重大な過失であることが明白だから、検察としても公訴の維持は相当の困難が予想されるね」


佐渡賢一委員長は、強制起訴された事件であるJR西日本の事故は、業務上過失致死傷罪に問われてても「過失」があったとは判断できないので、無罪になる可能性が高いと述べているのですから、強制起訴された事件に無罪判決が出ると予想しているのです。先に述べた、秋山賢三弁護士も同様の見解でしょう。

ですから、検察審査会の強制起訴を全面的に肯定し、JR西日本の事故における歴代社長を有罪視した報道機関はと世論としては、<1>冷静さを取り戻し、無罪判決に対して反省する結果、処罰以外の多様な対策を考慮する社会へ変わるのか、それとも、<2>感情論が蔓延し有罪認定を緩めるべきだと裁判所を断罪し、嫌疑刑(疑わしいだけで処罰する)復活という異常な社会へ突き進むのか、「方向が決まる」としているのです。

我々は、どちらの社会を望んでいるのでしょうか。




<平成22年9月5・6日付追記>

 イ:小沢一郎氏が、検察審査会の審査対象のあり方について考えるを述べることは、「検察審査会への圧力として作用することは明らか」と批判する方もいるようです。しかし、この批判は妥当でしょうか。検討しておきます。


 ロ:検察審査会も市民が審査員であるとはいえ、行政組織の1つです。小沢一郎氏は国会議員ですから、議院の一員として、行政組織が適正妥当になされているかチェックを行うことは、国政調査権(憲法62条)の一環として妥当なものです。そして、もし、内閣総理大臣に就任すれば、憲法72条により、行政各部を指揮監督するするのが職務なのですから、行政組織のあり方につき、聖域してしまう方が、憲法72条に反するものであって、妥当ではありません。

すでに述べたように、検察審査会法の問題点が明らかになっている以上、何らの法改正が必要とされているのですから、法改正の方向性について述べることは、立法(憲法41条)に携わる国会議員の職務というべきです。

そもそも何人にも表現の自由(憲法21条)が保障されている以上、口頭で批判したからといって、「検察審査会への圧力として作用することは明らか」なんて、表現の自由を没却しかねません。ましてや、小沢氏は、刑事訴追を受ける可能性があるのですから、容疑を受けた者の防御権(憲法31条参照)の一種として、検察審査会のあり方を批判する権利を有するというべきです。

検察審査会は、法改正により強制起訴が可能となりました。起訴は、本来人権侵害行為なのですから、そうした「人権侵害行為」を行使する国家の機関(検察審査会)は、批判にさらされて当然というべきです。国家権力をチェックするのは、国民主権下では当然な行為なのですから。より強い権限を有する者・機関に対しては、より監視や批判が向けられるのは、憲法を含め法制度として通常のことです。強制起訴という強い権限を付与されながら、批判は受けないなんて、都合がよすぎます。

このように、(直接、審査員と接触するといった行為に出たわけでもないので)小沢一郎氏が、検察審査会の審査対象のあり方について考えるを述べることは、「検察審査会への圧力として作用する」わけではなく、憲法上、何ら問題はないと考えます。


 ハ:不思議に思うのですが、マスコミ報道の側には何も問題はないのでしょうか。

新聞、テレビ、雑誌すべてのマスコミが、検察審査会での強制起訴があることを前提として、連日、異常なほどの小沢批判報道を繰り広げています。まるで、常軌を逸した報道を繰り広げた、母子が死亡した「光市事件」報道のようです。

常軌を逸したような「検察審査会での強制起訴があることを前提」にした報道の方こそ、検察審査会への圧力になっているのではないでしょうか。常軌を逸した報道を繰り広げるため、いまだに補助弁護士が選任されていないのです。報道機関には報道の自由が保障されるとはいえ、度が過ぎた権利行使は許されないのです。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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2010/09/06 Mon 11:02:22
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ:2010/09/06 Mon 11:02:22
コメントありがとうございます。
非公開コメントですので、修正した形で引用します。


>検察審査会制度がおかしいのは、素人が審査することなどにあります。
>例えば、裁判所で弁護士会など、専門家によって審査するべきではないでしょうか。

検察審査会では、感情的な発言が多く、事務局のいうままに結論を出すというのが通常のようです。担当した事務局が歪んでしまうと、おかしな結論が出てしまうわけです。

現行法のように強制起訴まで認めるのであれば、仰るように、専門家を審査員に含めるべきでしょうね。どちらにせよ、強制起訴を認める規定を削除した方がいいでしょう。


>起訴できなかったことだけを審査するのも変な話で、推定無罪の原則を無視している
>どうせなら、起訴されたものに対しても異議の申し立てができる、大陪審のような制度にした方が、意義がある

仰る通りです。「大陪審」のようにした方がいいですね。

アメリカなどの陪審制(小陪審)の良さは、裁判官の判断では有罪になってしまうものを無罪にできる点にあると言われています。要するに、市民の判断が、冤罪防止に働くわけです。これに対して、検察審査会は、冤罪防止ではなく、市民感情による「私刑(リンチ)」をもたらしかねません。

ただ、どんな制度にしようとも、日本の市民やマスコミには無罪推定の原則を遵守しようという意識がない点が問題です。刑事裁判の大原則を守れないのであれば、裁判員制度のように裁判官という監視付きなどでなければ、市民に刑事司法に関わらせることを止めるしかないように思います。
2010/09/08 Wed 22:58:19
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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2010/10/05 Tue 00:42:38
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