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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2010/09/07 [Tue] 20:43:09 » E d i t
民主党代表選を巡っては、小沢一郎元民主党幹事長に対して強制起訴があることを前提とした報道が連日、なされています。マスコミは、無罪推定の原則(憲法31条)といった憲法や刑訴法の原則を平然と踏みにじり、検察審査会の決定はまるで「神の啓示」のごとく扱っているのです。

しかしながら、元裁判官や元検察官など法曹関係者からは、検察審査会において強制起訴を認めたことに対して強く批判がなされています。刑事事件に関わったことのある法律関係者の多くが、検察審査会に対して批判的であると言っていいかもしれません。


1.検察審査会とは、検察審査会制度は,検察官が被疑者を起訴しなかったことがよかったのかどうかを選挙権を有する国民の中からくじで選ばれた11人の検察審査員が審査する制度です。この制度は、公訴権の行使に民意を反映させて,その適正を図るために設けられたとされています。

(1) この「民意の反映」が「冷静・公正な思慮に基づく民意」であり、合理的な疑いを入れない程度に有罪と認めるだけの証拠があると判断した結果、起訴すべきだとの結論を出していれば、まだマシなのです。しかし、現実は、単に、感情論に基づいて、思い込みで有罪の証拠があると妄想して有罪視しているだけの結論になっているのではないでしょうか? 客観的に有罪の見込みがないのに起訴すべきと認めてしまっているのではないでしょうか? 

感情的に起訴を認める検察審査会やそれを肯定するマスコミ報道を放置すれば、無罪推定の原則(憲法31条)といった憲法や刑訴法の原則を無視することが普通となり、客観的に有罪の見込みがないのに起訴することが妥当という意識が蔓延しかねません。

そこで、その間違いを正すべく、法律的に間違った内容を展開しているコラム(朝日新聞平成22年6月1日付夕刊6面「窓~論説委員室から」)を引用し、その間違いを厳しく指摘したいと思います。


(2) 朝日新聞平成22年6月1日付夕刊6面「窓~論説委員室から」

99%と51%との間で

 「正直言って、こんな展開になるとは想定していませんでした」。最近、話題が検察審査(しんさ)会に及(およ)ぶと、戸惑(とまど)った表情を見せる法律家や学者が少なくない。

 検察の不起訴(ふきそ)処分をひっくり返し、強制的に裁判にかける権限が審査会に与えられて1年。民意の反映が目的だが、社会の耳目を集めた事件なので、専門家にはやや無理筋と映る「起訴すべきだ」との議決がいくつか出されている。

 「想定外」の背景には起訴や裁判に対する考えの違(ちが)いがあると言っていい。

 「容疑者やその家族にも生活がある。有罪が確実に見込めなければ起訴できない」とする検察。時に重大な過ちもなくはないが、ともあれこの姿勢が有罪率99%という現状をもたらした。

 一方、検察審の議決からは、有罪無罪にかかわらず、法廷(ほうてい)で事実関係を明らかにし、責任の所在を議論することに意義があるとの思いがうかがえる。「51%の確率で有罪が疑われれば起訴」で無罪も多いのが英国流だそうだが、それに通じる面があると指摘(してき)する研究者もいる。

 どちらが正解というものではないだろう。「有罪率99%」が裁判の形骸(けいがい)化などの弊害(へいがい)を生んだのは否めないが、さりとて「51%ルール」はいかにも乱暴で、世の中に受け入れられるとは思えない。

 99%と51%の間を揺(ゆ)れ動きながら、当面はひとつひとつの事件や容疑者に、冷静に向き合うほかない。足して二で割って済ませられないところが、刑事司法の奥(おく)深さでもある。<渡辺雅昭>」


イ:法律家や学者は、マスコミに対しては、ありのままに伝えたりはしません。

 「正直言って、こんな展開になるとは想定していませんでした」。最近、話題が検察審査(しんさ)会に及(およ)ぶと、戸惑(とまど)った表情を見せる法律家や学者が少なくない。
 検察の不起訴(ふきそ)処分をひっくり返し、強制的に裁判にかける権限が審査会に与えられて1年。民意の反映が目的だが、社会の耳目を集めた事件なので、専門家にはやや無理筋と映る「起訴すべきだ」との議決がいくつか出されている。」


コラムでは、検察審査会に対しては「戸惑う」としていますが、法律家や学者の多くは戸惑うどころか批判的です。

検察審査会に批判的な理由は、単に、コラムに書いているような「専門家にはやや無理筋と映る起訴相当としたから」ではありません。起訴相当とした検察審査会は、証拠不十分なのに起訴すべきだと判断したり、「他に証拠があるはずだ」などと決めつけた挙句、感情的な判断から有罪に違いないとまで判断しているのです。これでは、無罪推定の原則を念頭においた判断ではないばかりか、「証拠裁判主義」(刑訴法317条)に明らかに反してしまいます。刑事裁判の基本原則を無視するまでに、検察審査会がおかしくなってしまったのなら、有害でしかなく、強制起訴を認めるような法改正をするべきではなかったと、深く後悔しているのです。


 ロ:しかし、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、そうした検察審査会に対して肯定的です。

そして、その趣旨に沿った形で、このコラムは、<1>現在の刑事司法は、容疑者の不利益を考慮して慎重な起訴にすべきとしてきたが、検察審査会は、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らか」にすべきとしており、それは「起訴や裁判に対する考えの違い」による、<2>どちらが正解というわけではなく、現在の刑事法の考えである「99%」と、検察審査会の考えである「51%」の間を揺れ動きながら、個別事件ごとに処理するしかなく、それが妥当だ、としているのです。

しかし、99%は日本での有罪率ですが、これに対して、「51%」は、英国での有罪率ではなくて、捜査機関側による起訴する時点の有罪の見込みです。このように、同じ有罪率の問題ではないので、比較できないはずなのに、比較している点で、この論説自体が破綻しています。(英国でも有罪率は51%ではありません。)

間違いだらけのコラムですが、まず、こうした比較を平然としてしまうようなできの悪い学者は、まずいません。こうした間違いを流布しているのは、元々は、政治家です。ですから、この間違いコラムを書いた、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、政治家の受け売りで書いたと思われます。そこで、政治家の説明を引用しておきます。


(3) 政治家の説明

 イ:元自民党参院議員で元検事の「佐々木知子のホームページ」の「日本の刑事司法Q&A」

「Q4.有罪がほとんどないけど、冤罪が多いんじゃないの?

A: たしかに日本の有罪率は例年ほぼ100%、無罪率はコンマ以下、と非常に低いのです。対して英米では有罪率は半分以下だったりするほど。もっともこの基礎数値には被告人自身が有罪を認めた場合(有罪答弁。証拠調べは一切せず量刑に入る)は除外されています。

 そもそも英米と日本では起訴のハードルが大きく異なります。
 英米では51%ルール。つまり有罪になる確率が無罪になる確率を少し上回るだけでいいのです。
 対して、日本では起訴のハードルは有罪と限りなく同じ、つまり「合理的な疑いを容れない程度」に有罪が立証されるだけの証拠があることを必要としています。もともと起訴の時点で篩(ふるい)にかけているのだから、めったなことでは無罪になるはずがない。……と説明すると、「それでは裁判所は要らない」と言われ、苦笑しました。

 なぜ日本では起訴のハードルがこれほど高いのか? 
 おそらくはその背景に日本の社会事情があると考えられます。つまり、起訴されるだけで(その前に、逮捕されるだけで)悪い奴だとのレッテルが貼られ、たとえ無罪になってもそれが消えないために、ハードルが徐々に上がり、実際無罪率が低いためによけいに逮捕・起訴の悪印象が強くなり……これはある意味では悪循環なのかもしれません。

 問題は、「疑わしきは罰せず(被告人の利益に)」の理念が起訴段階で持ち込まれるため、疑わしい者も起訴しないケースが起こることです。実体的真実主義には両面があり、「罪を犯した者を逃さない」理念も含まれていることを忘れてはならないと思うのです。実際、起訴すれば裁判所では証拠調べの結果有罪としたかもしれず、被害者の立場を考えれば、無罪をおそれず起訴に踏み切ることも検察に課せられた重大な使命ではないかと――これは検察時代から私が常々思っていることです。」



 ロ:第169回国会・参議院・法務委員会 14号 平成20年06月03日

「○国務大臣(鳩山邦夫君) 度々申し上げておりますように、犯罪のない国、社会をつくる、凶悪犯罪の少ない国家、社会をつくるというのが安全、安心という意味でも国民みんなの願いであろうと思っております。

 そのためには、犯罪を犯した人間が確実に検挙され、犯した犯罪が明らかにされ、教唆した人も共犯者も明らかにされて、正しく裁判を受け、正しく裁かれるということが一番大事なんだろうと思うわけでございまして、それぞれの国は同じような目標を持っておって、独特の、独自の刑事司法制度というんでしょうか、あるいは捜査の方法というんでしょうか、そうしたものをつくり上げているんだろうと思います。

 例えば我が国では、確かに絶対あってはならない冤罪ということを私は度々申し上げておりますが、これは、有罪率が日本は高過ぎるなどということを言う方もいますが、これは、被疑者というか、この人は有罪であるという確信がもう極めて高いものにならなければ起訴はしないと。ところが、イギリス辺りは、五〇%ルールというんでしょうか五一%ルールというんでしょうか、この人が有罪か無罪かという確率でいうならば、有罪の確率の方が幾分高いなというときに起訴して裁判にかけるということが許されていると。これは捜査手法の問題以前の問題として、全く違う司法文化なんだろうと、私はそういうふうにとらえるわけでございまして、そういう意味で、外国でやっているから日本もやればいいという考え方には全くくみする気持ちはありません。

 ただ、木庭健太郎先生のおっしゃることはすべてごもっともでございまして、ちょっと違うところもありますけれども、郷土の先輩の木庭先生のおっしゃることはおおむね全部理解できるわけでして、だから、当面はとにかく間違った取調べが起きないように、自白の任意性や信用性が高まるようにということで公明党さんの御提案はほとんど適正確保の方針に生かしてきていると、こういうふうに考えております。」



 ハ:佐々木知子氏は、日本の起訴のハードルが高いのは、「その背景に日本の社会事情」あり、「起訴されるだけで(その前に、逮捕されるだけで)悪い奴だとのレッテルが貼られ、たとえ無罪になってもそれが消えないために、ハードルが徐々に上がり、実際無罪率が低いためによけいに逮捕・起訴の悪印象が強く」なるとしています。また、鳩山邦夫氏も、日本と英国との違いは、「捜査手法の問題以前の問題として、全く違う司法文化なんだろう」としています。

いずれも、日本と英国との間で、起訴や逮捕を含めた刑事司法に対する意識・社会事情の違いがあるとするものです。ですから、日本の刑事司法と検察審査会の意識の違いは、法制の違いではなく、「起訴や裁判に対する考えの違いによる」という、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員の見解と類似しており、その点で、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、この政治家の見解の受け売りなのだろうと思われます。




2.しかし、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員が間違える根本原因――政治家の見解を検証せずに受け売りをする点もあるでしょうが――「51%」に拘泥しすぎている点にあると思われます。なぜなら、一応、英国が51%の有罪見込みで起訴しているものだと肯定したとしても、英国の有罪率は51%と低いものではないからです。


(1) その統計として、ブルームバーグ・ニュース:2009年3月17日では、次のように記しています。

 「最高裁の資料によると、06年に日本の地裁レベルで起訴の対象となったのは7万5370人。そのうち無罪判決を受けたのは92人に過ぎず、有罪率は99%を超える。米国連邦裁判所のウェブサイトによると、米国は89.7%(07年)、英国は81.3%(同)で日本の検察の特異性がうかがえる。」


また、少し古い統計資料となりますが、昭和58年版・犯罪白書によれば、有罪率につき、殺人事件では、日本99.1%、英国88.0%、強盗事件では日本99.9%、英国88.4%、強姦事件では日本100%、英国78.6%となっています。このように、有罪率は、以前から現在に至るまで、英国でも80%程度まであるのです。


(2) このように、いくら英国の捜査機関側の判断としては、51%の有罪見込みでの起訴であるとしても、51%有罪率という裁判結果になっているわけでもないのです。51%の有罪見込みであるといっても、あくまでも捜査機関というプロによる合理的な判断ですから、実際上は、51%の有罪見込みでの起訴ではなく、有罪率が51%まで低くて済む方がおかしいのです。

99%は日本での有罪率ですが、これに対して、「51%」は、英国での有罪率ではなくて、捜査機関側による起訴する時点の有罪の見込みです。同じ有罪率の問題を比較しているわけでもなく、英国でも80%の程度の有罪率なのですから、99%と51%とを比較していること自体が、間違っているのです。

渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、英国での捜査のプロの判断としての「51%」を持ち出すことによって、法律の素人である検察審査会の判断――「51%」程度の有罪率まで至るのかさえも疑問ですが――も妥当であると結論付けるのですから、完全に間違っているのです。

このようなことから、このコラムの趣旨である、<2>どちらが正解というわけではなく、現在の刑事法の考えである「99%」と、検察審査会の考えである「51%」の間を揺れ動きながら、個別事件ごとに処理するしかなく、それが妥当だという点は、間違いということになります。




3.このコラムは、<1>現在の刑事司法は、容疑者の不利益を考慮して慎重な起訴にすべきとしてきたが、検察審査会は、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らか」にすべきとしており、それは「起訴や裁判に対する考えの違い」による、としています。


(1) しかし、この点も、間違っています。すなわち、昭和58年版・犯罪白書において指摘しているように、「有罪率は各国における刑事司法の法制の在り方によって影響されるところが大きい」のであって、法制度から離れた、文化の違いや「起訴や裁判に対する考え」の違いではないのです。

英国と日本の刑事司法の法制の違いとして、最も重要な点は憲法規定の有無によるのです。すなわち、英国では51%の有罪見込みで起訴できるとしても、日本では51%の見込みといった低い予測での起訴ができない(高い有罪率にならざるを得ない)のは、憲法上の制約があるためです。

まず、その点についてふれた文献を引用しておきます。

第1 はじめに

 司法制度改革が議論されつつあるので,イギリスの刑事司法制度の中から参考になりそうな事項を,大別して二つほど話題として提供させていただくが,本日私が申し上げることは,単なる私見であり,検察の意見ではないことを,あらかじめお断りしておきたい。

 話題の第1点目は,「イギリスでは,非法律家が刑事裁判における事実認定権を独占していることを前提として,予断を排除し公正な裁判を確保するために,理論的に考え得るあらゆる方策を講じている。」ということである。これは更に二つの論点に分けられる。一つは,「報道規制」であり,他の一つは,「事実審理と判決手続の分離及び前者における性格証拠の排除」である。

 第2点目は,「イギリスでは,逮捕後の被疑者の取調べは時間的に極めて限定されている上,弁護人の取調立会が可能であり,また,一定の犯罪については取調状況の録音が義務づけられているが,それらが可能なのは,刑事実体法の作り方や国家賠償制度等が,日本とはかなり異なるからだ。」ということである。(中略)

第3 被疑者の取調べ及び捜査の可視化と実体法(中略)

6 国家賠償制度

  我が国では皆が訴追側の責任事項と思いこみ,捜査という段階で密室で行っている証拠集めの作業のうちのかなりの部分を,イギリスでは,弁護側が主張責任や挙証責任を負担しながら,公開の法廷で行っているため,当然のことながら,無罪率は高くなるが,イギリスでは,単なる無罪事件については,刑事補償とか国家賠償のごときものは,全くない。不法行為の一形態として,「悪意訴追」というのはあるが,まさに悪意がなければ賠償は認められないのが判例であるから,イギリスでは,我々日本の検察官のように無罪判決を気にする必要がない。そこで,敗訴する可能性よりも勝訴する可能性のほうが高ければ,起訴できる。イギリス検察庁は,検察官行為規範のなかで,その点を明示している。 」((仙台地方検察庁検事正・倉田靖司「イギリスの刑事司法制度に見られる幾つかの特徴について(要旨)」より抜粋)



(2) 渡辺雅昭・朝日新聞論説委員によると、検察審査会の考えは、刑事裁判を「世間に対する情報公開の場所」と同じように考え、検察審査会は、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らか」にすべきとしています。

しかし、刑事裁判を「世間に対する情報公開の場所」と同じように考え、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らか」にすべきと考えば、多くの無罪判決がでることになりますが、そのような有罪の見込みない起訴は、日本国憲法17条及び40条によって認められないのです。

「日本国憲法

第17条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」



 イ:最高裁判例(最判昭和53年10月20日判決民集32巻7号1367頁)によれば、検察官の行為も(憲法17条に基づく)国家賠償法1条の対象となります。ただし、無罪判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留、公訴提起・追行、起訴後の勾留が違法となるわけではありませんが、<1>逮捕・勾留は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限りは適法であり、<2>起訴・公訴追行時の検察官の心証は、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば適法といえるとしています(桜井=橋本「行政法」(第2版)(弘文堂、平成21年)380頁以下)。

このように、長年刑事裁判での事実認定を行ってきたという、検察官というプロによって、「各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑」があれば適法となるわけです。

とすれば、検察審査会の審査員は、法律の素人がごくわずかな資料と審査時間で判断を行うのですから、元々、「合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑」があるといえるか、相当に疑問です。

しかも、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らかする」べき、すなわち、有罪の見込みがないのに起訴相当して、強制起訴となれば、およそ、「各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑」があるとはいえず、当然に違法な起訴と判断され、国家賠償責任が生じることは確実です。

このように、国家賠償責任が発生することが確実といえる違法な起訴は、憲法17条に反するものであって、認めるわけはいかないのです。


 ロ:また、無実になった者は、憲法40条により国に対して刑事補償を受ける権利がある以上、無罪となる者の増加は、多額の税金が投下されることになって、他の市民の経済的負担として跳ね返ってくるのです。

もし、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らかする」べきと考えると、有罪の見込みがない起訴が多数なされることになりますが、それは、無意味に刑事補償を増加させるだけです。それは、明らかに憲法40条の存在を無視した考えであって、不当というべきです。憲法40条は拘禁された者を救済する規定であって、「金を払えば、どんな起訴でもできる」という人権を抑圧する規定ではないのですから。

ですから、検察庁が証拠を吟味して慎重な起訴を行うのは、憲法40条に適合するものであって妥当な判断なのであって、「有罪の疑いがある以上、国民の前で有罪か無罪か明らかにすべきだ」とするマスコミの考え自体が、憲法40条に反するのです。


 ハ:このように、英国では51%の有罪見込みでも起訴できるとしても、日本では51%の見込みといった低い予測での起訴ができない(高い有罪率にならざるを得ない)のは、憲法17条及び40条が存在するためであって、「起訴や裁判に対する考えの違いによる」のではないのです。

したがって、このコラムは、<1>現在の刑事司法は、容疑者の不利益を考慮して慎重な起訴にすべきとしてきたが、検察審査会は、「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らか」にすべきとしており、それは起訴や裁判に対する考えの違いによる、としていますが、間違っていることになります。



3.最後に。

(1) 渡辺雅昭・朝日新聞論説委員が是認するような「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らかする」という刑事裁判を可能にするためには、最低限度、2点の法対応が必要です。

すなわち、<1>憲法17条及び40条を削除する憲法改正を行い、さらに、(判例法理を無意味にするため)国家賠償法を改正して、裁判官及び検察官の行為に対する責任は問わないとすること、<2>英国と同様の報道規制を行うことです。

どのような報道規制となるかについては、1つ文献を引用しておきます。

1 報道規制

  イギリスでは,犯罪報道は,昔から判例法(コモン・ロー)によって,また,最近では判例法を条文化したContempt of Court Act 1981によって,厳しく規制されている。すなわち,犯罪被害の発生事実のみを報道することは自由だが,被疑者が特定されると,その時点から裁判が終結するまでの間に公表できるのは,被疑者・被告人の人定事項,罪名,公開の法廷(予備審問を除く)に提出された主張及び証拠程度に限られ,その範囲を超えて公表し,それが裁判手続における司法の進行を著しく妨げ,又は害する実質的危険を生じさせると,裁判所侮辱罪(contempt of court)に当たり,故意・過失が無くても,最高2年の拘禁刑に処せられる。この犯罪は,厳格責任犯罪(strict liability offence)と呼ばれるタイプの犯罪の典型例である。なお,抗弁(defence)が認められており,①公表したときに裁判が進行中であることを知らず,進行中であると疑う理由さえなかったこと,又は②公表する記事の中に問題となる部分が含まれていることを知らなかったし,含まれている可能性があると疑う理由さえなかったことを,被告人(すなわちメディア関係者)側が立証したときには,無罪とするとされている。

 日本では,被疑者が逮捕されると,「◯◯歳の男性を騙して×××万円を貢がせたあげく殺して死体を山中に捨てた△△歳の女が今日逮捕されました。」などと言いながら手錠をかけられて連行される姿(最近はモザイクをかけているが)を放送したり,否認しているとか認めているとか,動機は何だったかとか,犯行の方法はどうだったかとか,まだ謝らないとか,留置場の食事は全部食べたとか,一斉に放送し,学者や弁護士,更には弁護人のコメントを放送したりするが,イギリスでは,そのようなことは,許されない。新聞・雑誌も同様である。」(仙台地方検察庁検事正・倉田靖司「イギリスの刑事司法制度に見られる幾つかの特徴について(要旨)」より抜粋)


いままでの日本の報道は、「◯◯歳の男性を騙して×××万円を貢がせたあげく殺して死体を山中に捨てた△△歳の女が今日逮捕されました。」などと言いながら手錠をかけられて連行される姿を放送したり,否認しているか否か、動機は何か,犯行の方法は何か、謝罪したか否か、学者や弁護士、弁護人のコメントを報道してきました。

しかし、英国と同様の刑事裁判を実現するためには、これらすべて報道できなくなるわけです。もちろん、ここまで規制するということは、無罪推定の原則に反したり、証拠裁判主義に反するような報道もできません。ある意味、日本の報道の仕方を全部否定することに等しいように思われます。

日本の報道機関は、無罪推定の原則(憲法31条)といった憲法や刑訴法の原則を平然と踏みにじっているのですから、英国の報道に倣うことなんて到底無理なのでしょうが。



(2) 渡辺雅昭・朝日新聞論説委員のコラムを読むと分かるように、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は法律の素人です。法律の素人であることを自覚しているのであれば、法律論を展開するのであれば、慎重に行うべきだったのです。

しかし、おそらく、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、ご自分では十分な法律知識を有していると誤信しているのでしょう。ですから、ちょっと聞きかじった怪しげな法律知識を元にして、独自の意見を書いたために、ひどく間違ったコラムになってしまったのです。例えれば、医師でない者が、自分勝手な医療知識を振りかざして、勝手に心臓手術を行ってしまったようなものです。失敗するのは当然でした。

渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、コラムの最後に、次のようなことを書いています。

 「99%と51%の間を揺(ゆ)れ動きながら、当面はひとつひとつの事件や容疑者に、冷静に向き合うほかない。足して二で割って済ませられないところが、刑事司法の奥(おく)深さでもある。」


ご自分では、洒落たことを書いたと思っているのでしょう。しかし、渡辺雅昭・朝日新聞論説委員が是認するような「有罪無罪にかかわらず、法廷で事実関係を明らかする」という刑事裁判は、日本国憲法上、許されないのですから、「99%と51%の間を揺れ動」くような刑事司法は、日本ではあり得ないのです。コラムの最後の部分もまた、完全な間違いです。

渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、「刑事司法の奥深さでもある」だなんて、知ったかぶりをしていないで、憲法を含めた刑事司法の法規制について、学ぶことこそがまず大事であるように思います。渡辺雅昭・朝日新聞論説委員は、乏しい法的知識に基づき、ろくな検証もしないまま、思い込みでコラムを書くから間違えるのです。法律の素人を騙すような、デタラメな法律論を展開することは止めるべきです


テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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