FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
06« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»08
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2010/05/05 [Wed] 18:29:42 » E d i t
小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会は平成22年4月27日、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を東京地検特捜部が不起訴(嫌疑不十分)とした処分について、「起訴相当」とする議決をし、公表しました。

東京地検特捜部は今後、再捜査して再び処分を出すことになります。昨年5月に施行された改正検察審査会法では、再捜査の末に再び不起訴としても、それに対して審査会が2度目の「起訴すべきだ」とする議決をすれば、裁判所が指定した弁護士によって強制的に起訴されることになっています(朝日新聞平成22年4月28日付朝刊)。



1.検察審査会で「起訴相当」とした点に触れた記事を幾つか引用します。

(1) 時事通信(2010/04/27-17:39)

小沢氏「起訴相当」を議決=再議決なら強制起訴-陸山会規正法違反事件・検察審

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪で告発され、不起訴処分となった小沢氏について、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。今後、東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
 再び不起訴とされても、2回目の審査で、11人の審査員中8人以上が起訴すべきだと判断すれば、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる。
 検察審は議決書で、「政治資金収支報告書を提出前に確認せず、担当者が真実を記載していると信じて了承した」とする小沢氏の任意聴取での供述について、「極めて不合理、不自然で信用できない」とした。
 土地代金の支払い直後に同会が金融機関から受けた4億円の融資については、融資関係書類に小沢氏が署名しており、金利を支払ってまで銀行融資を受けた点を挙げ、「土地代金の原資を隠すための偽装工作」と断定。陸山会の事務担当者だった衆院議員石川知裕被告(36)らが、絶対権力者の小沢氏に無断で工作をする理由はないと指摘した。
 その上で、「絶大な指揮命令権限を持つ小沢氏の地位と、石川被告らの立場などを総合考慮すれば、共謀共同正犯が成立すると認定できる」と結論付けた。
 さらに、「『秘書に任せていた』と言えば、政治家本人の責任は問われなくていいのか。政治家とカネにまつわる政治不信が高まっている状況下で、市民目線からは許し難い」と言及。「小沢氏を起訴して、裁判で真実と責任の所在を明らかにすることが、善良な市民としての感覚だ」と述べた。(2010/04/27-17:39)」



(2) 時事通信(2010/04/27-16:16)

小沢氏起訴に現実味=結論、なお流動的

 民主党の小沢一郎幹事長を嫌疑不十分で不起訴とした検察の判断を、国民から選ばれた検察審査会のメンバーは不当とみなした。今後、東京地検特捜部が再度不起訴とした場合には、今回と同じ東京第5検察審査会が改めて審査し、強制起訴するかどうかが決まる。小沢氏の起訴が現実味を帯びてきた。
 ただ、審査員の任期は半年間で、3カ月ごとに約半数が交代する。5月以降、同審査会の審査員11人のうち6人が代わることなどから、結論はなお流動的だ。
 昨年の西松建設事件で特捜部は、検察審査会による起訴相当の議決を受け、いったん不起訴とした同社元社長を起訴した。しかし、元社長は、疑いは残るが十分な証拠のない「嫌疑不十分」ではなく、証拠があっても処罰を求めない「起訴猶予」だったため、新たな証拠がなくても、検察官の裁量だけで起訴に転じることができた。
 ある検察幹部は「特捜部が時間をかけて捜査し、上層部が嫌疑不十分と判断した以上、検察の結論が変わることは考えられない」と話す。再捜査の結果、小沢氏の不起訴処分が見直される公算は極めて小さいとみられる。
 2度目の不起訴処分に対する再審査で、起訴相当が再び8人以上なら「起訴議決」となり、小沢氏は強制的に起訴される。8人未満の場合には「起訴議決をするに至らない」と議決し、不起訴のまま終結することになる。(2010/04/27-16:16)」



(3) 時事通信(2010/04/27-22:19)

「想定内」「証拠評価の問題」=起訴可能性に否定的-法務・検察

 検察審査会の起訴相当議決について、法務・検察幹部からは「想定していた」「証拠の評価の問題」などと、冷静な声が聞かれた。今後の再捜査については、「新証拠が見つかる可能性は低く、判断を覆すのは難しい」と、小沢氏起訴の可能性に否定的な見方が大勢を占めた。
 検察首脳の1人は「想定していた」とした上で、「共謀はあるとしても、罪を問えるほどのものなのか。どういう共謀なのか具体的な指摘がないのに、起訴できるという指摘ばかりしている。『小沢氏はけしからん』という気持ちがあるのかもしれない」と話した。
 別の幹部は「われわれは、80%有罪でも20%無罪だと思えば起訴しない。証拠の評価が違うということだ」と淡々とした様子。
 法務省幹部は「内容が粗い。公開の場に引きずり出せというだけではないか」と苦言を呈した。
 小沢氏や起訴された3被告への再聴取については、「任意捜査だから、断られたらそれまで」「事情聴取しても、同じ説明の繰り返しになる」などとする声が上がった。
 中堅幹部は「時間をかけずに不起訴にするのではないか。再び起訴相当の議決がされれば、それは国民の意思だ」との考えを示した。(2010/04/27-22:19)」



(4) 朝日新聞平成22年4月28日付朝刊3面「『起訴相当』識者の声」(一部)

検審の「証拠」おかしい――高井康行氏(弁護士)

 私が参加した司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会では、起訴猶予と嫌疑不十分を分けて考える必要性が指摘された。検察が「証拠があるが起訴しない」と判断した起訴猶予の場合、国民目線で起訴すべきかどうかを考え直す意味はある。しかし、嫌疑不十分は証拠の有無の問題。法律家が「証拠はない」と判断したのに、国民目線で見たら「証拠はある」というのはおかしい。

 小沢氏を共犯者に問う直接的な証拠は、石川知裕衆院議員と池田光智元秘書の供述しかないが、議決書を読んでも、2人の供述内容がどの程度の具体性を持つのかわからないので、証拠価値の判断ができない。

 仮に小沢氏が強制的に起訴されることになれば、政治的な意味も大きい。検察審査会は「これなら、検察審査会が起訴すべきだと判断するのも仕方がない」とわかるような具体的な説明をする必要があるのではないか。」



 イ:これらを見ると、検察審査会の審査では、「市民目線からは許し難い」「(小沢氏を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべき)……これこそが善良な市民としての感覚」などと、自らを「善良」と声高にに称して「市民」の名の下にいわゆる「感情論」むき出しで――証拠裁判主義や無罪推定の原則は頭の中から抜けてしまったまま――起訴相当と判断したことが分かります。

もっとも、決議文は審査員が作成するわけではないので、東京第五検察審査会で補助に就いた、ヤメ検である米澤敏雄弁護士の「作文」の可能性が高いので(後掲<追記>参照)、割り引いて考える必要がありますが(ヤメ検の作文――元検事の見解――にすぎないのに、読売新聞・日経新聞・東京新聞が「市民感覚」を大見出しにしたのは、かなり情けない思いがします)。


 ロ:こうした感情論むき出し、いうなれば「私刑(リンチ)法廷」を求めた起訴判断となると、さすがに法律家集団である検察庁・法務省もついていけません。ですから、「共謀はあるとしても、罪を問えるほどのものなのか。どういう共謀なのか具体的な指摘がないのに、起訴できるという指摘ばかりしている。『小沢氏はけしからん』という気持ちがあるのかもしれない」(検察首脳)、「内容が粗い。公開の場に引きずり出せというだけではないか」(法務省幹部)と、結論だけでなく、決議内容に対しても感情論を諌める形で厳しく批判しています。

検察や法務省側のコメントを言い換えれば、「『共謀』という最も肝心な点の具体的な証拠がないのに、市民感情を振りかざして『うそつき』『小沢氏けしからん』と言ってみても、そんな感情論(=嫌疑刑)は、法と証拠に基づく近代裁判では通用しない」「審査員は、刑事裁判を『公開リンチ』『吊るし上げ集会』と勘違いしているのでは? 刑事裁判は証拠に基づいて犯罪の有無を判断する場であって、市民やマスコミによる吊るし上げの場所でもないし、世間に対する情報公開の場所でもない。これだから裁判の意味さえ理解できていない、暗愚な市民やマスコミは困るんだよね。やれやれ。」ということでしょう。

小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件については、検察庁は証拠がないから不起訴にしたのです。ある検察幹部が述べるように、特捜部が1年も執拗に捜査し、上層部が(証拠がないために)嫌疑不十分と判断した以上、「検察の結論が変わることは考えられない」のです。ですから、高井康行氏(弁護士)が述べるように、「法律家が『証拠はない』と判断したから不起訴になったのに、国民目線で見たら『証拠はある』というのはおかしい」のです。刑事裁判は証拠裁判主義の原則に支配された、法律的な判断をする場なのですから、 市民の感情論で気ままに有罪証拠に仕立てるべきでないのです。


 ハ:自らを「善良」と声高に称する市民は、本当に「善良」なのでしょうか? 

誰しもがすぐに想像するはずですが、自ら「善良な市民」と声高に主張する者は、むしろ自分勝手な意見で無理難題や金銭を要求する悪質なクレーマーや、嫉妬心に駆られた行動であるのに正当性を主張して嫌がらせを繰り返すストーカーを思い起こさせるのです。

自らを「善良」と声高に称する市民(人物)に対しては、空恐ろしく感じ、むしろ警戒心を抱く――。これこそが一般人の常識ある感覚であると思うのです。



2.さて、今回の検察審査会の議決のうち最も重要な点は、具体的に何の事実で起訴相当とされたか、です。陸山会事件では、数々の疑惑が報道されましたが、職務権限がないため収賄罪にならない、公訴時効期間が経過しているなど、ほとんどの疑惑が証拠の有無を問わず、法律論(や抽象論)の段階で有罪となり得なかったからです。

一般論として、犯罪事実にあたるような行為をし、その点についての十分な証拠があってこそ、ある人物を起訴できるのですから、「具体的に何の事実で起訴相当とされたか」という点は、法律家であれば、必ず注目する点です。数々の疑惑が報道された陸山会事件ではなおさら大事な点といえるでしょう。

ところが、この最も重要な点について、ここで引用した時事通信だけでなく、他の新聞でも非常に不明確です。おそらく、報道機関の多くの記者は、起訴相当というだけ舞い上がって喜び勇んで記事を書いたのでしょう。仕方がないので、今回の検察審査会の議決の要旨を引用し、「具体的に何の事実で起訴相当とされたか」につき、郷原信郎・名城大学教授が触れているので、それをも引用しておきます。


(1) 毎日新聞 2010年4月28日 東京朝刊

陸山会事件:小沢氏起訴相当 検察審議決要旨

 陸山会の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、小沢一郎民主党幹事長を「起訴相当」とした27日の東京第5検察審査会の議決要旨は次の通り。

 <議決の趣旨>

 不起訴処分は不当であり、起訴を相当とする。

 <議決の理由>

第1 容疑内容の要旨

 小沢氏は資金管理団体である陸山会の代表者であるが、真実は陸山会において04年10月に代金合計3億4264万円を支払い、東京都世田谷区深沢の土地2筆を取得したのに、(1)陸山会会計責任者だった大久保隆規・元公設第1秘書、その職務を補佐していた石川知裕衆院議員と共謀の上、05年3月ごろ、04年分の陸山会の収支報告書に、土地代金の支払いを支出として、土地を資産としてそれぞれ記載しないまま、総務相に提出した(2)大久保元秘書、その職務を補佐していた池田光智・元私設秘書と共謀の上、06年3月ごろ、05年分の陸山会の収支報告書に土地代金分過大の4億1525万4243円を事務所費として支出した旨、資産として土地を05年1月7日に取得した旨それぞれ虚偽の記入をした上、総務相に提出した--ものである。

第2 検察審査会の判断

1 直接的証拠

(1)石川議員の04年分の収支報告書を提出する前に小沢氏に報告・相談等した旨の供述

(2)池田元秘書の05年分の収支報告書を提出する前に小沢氏に説明し、小沢氏の了承を得ている旨の供述

2 小沢氏は、いずれの年の収支報告書についても、その提出前に確認することなく、担当者において収入も支出もすべて真実ありのまま記載していると信じて、了承していた旨の供述をしているが、きわめて不合理・不自然で信用できない。

3 小沢氏が否認していても、以下の状況証拠が認められる。

(1)小沢氏からの4億円を原資として土地を購入した事実を隠ぺいするため銀行への融資申込書や約束手形に小沢氏自らが署名、押印し、陸山会の定期預金を担保に金利(年額約450万円)を支払ってまで銀行融資を受けている等の執拗(しつよう)な偽装工作をしている。

(2)土地代金を全額支払っているのに土地の売り主との間で不動産引き渡し完了確認書(04年10月29日完了)や05年度分の固定資産税を買い主陸山会で負担するとの合意書を取り交わしてまで登記を翌年にずらしている。

(3)前記の諸工作は小沢氏が多額の資金を有していると周囲に疑われ、マスコミ等に騒がれないための手段と推測される。

(4)絶対権力者である小沢氏に無断で、大久保元秘書、石川議員、池田元秘書らが本件のような資金の流れの隠ぺい工作等をする必要も理由もない。

 これらを総合すれば小沢氏、大久保元秘書、石川議員、池田元秘書らの共謀を認定することは可能である。

4 更に共謀に関する諸判例に照らしても、絶大な指揮命令権限を有する小沢氏の地位と大久保元秘書、石川議員、池田元秘書らの立場や前記の状況証拠を総合考慮すれば、小沢氏に共謀共同正犯が成立するとの認定が可能である。

5 政治資金規正法の趣旨・目的は、政治資金の流れを広く国民に公開し、その是非についての判断を国民に任せ、これによって民主政治の健全な発展に寄与することにある。


(1)「秘書に任せていた」と言えば、政治家本人の責任は問われなくてよいのか。

(2)近時、「政治家とカネ」にまつわる政治不信が高まっている状況下にもあり、市民目線からは許し難い。

6 前記1~3のような直接的証拠と状況証拠があって、小沢氏の共謀共同正犯の成立が強く推認され、前記5の法の趣旨・目的・世情等に照らして、本件については、小沢氏を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。

 これこそが善良な市民としての感覚である。

毎日新聞 2010年4月28日 東京朝刊」



(2) THE JOURNAL:NEWS SPIRAL(2010年4月30日 17:50)

郷原信郎:検察審査会の「起訴相当」議決について...とんでもない議決、あぜんとした

4月28日に開催された、コンプライアンス研究センター長定例記者レクで、郷原信郎(ごうはら・のぶお、名城大学コンプライアンス研究センター長)氏は小沢幹事長の政治資金規正法違反事件についての検審「起訴相当」議決について、以下のように発言されています。

その内容を全文掲載いたします。

--------------------------------------------
昨日、陸山会の不動産取得に関連する政治資金規正法違反についての、小沢一郎氏に対する不起訴処分について、東京第5検察審査会で起訴相当という議決が出ました。よく議決書を読んでみると、とんでもない議決です。驚いたというか、あぜんとしたというのが正直なところです。

まず、驚いたのが被疑事実ですが、平成16年の陸山会の収支報告書に、小沢一郎氏から現金で4億円借入をしたのに、それが記載されていなかったということが、今まであれだけ問題にされてきた。この年の収入がその分過少だったということが、石川氏の起訴事実になっているはずですが、それが今回、起訴相当とされた被疑事実に入っていないのです。

何が起訴相当な事実とされているかというと、要するに1つは、16年分の収支報告書に土地代金の支払いを支出として記載しなかった。平成16年10月に3億4260万、土地代金として支払ったのを、この年の政治資金収支報告書に記載していなかったという支出の虚偽記入。それと、そこで不動産を取得したことを、この年の収支報告書に記載しなければいけなかったのに、それを記載していない。それから、翌年の収支報告書に、支出をしていないのに、土地を取得した事実はないのに土地を取得したということと、その土地代金を事務所費として支出したということを記載した。これもウソだということ。これが検察審査会が起訴相当とした事実です。

要するに、いろいろ書いてあるけれども、土地の取得の時期が2カ月ずれていた。土地の代金の支払いの時期が2カ月ズレていた。それだけです。それはまったく私も、予想だにしなかったことです。確かに、石川氏の起訴事実の中に、虚偽記入として支出がズレていたということも含まれていたと思います。しかし、まさか、支出の時期が、土地代金の取得時期がズレたのに伴って、代金の支払いの事実が2カ月ほどずれていた、たまたまそれが年度をまたいだということが、虚偽記入でとらえられるとはまったく思っていなかったし、それが、国会議員を起訴に値する事実だとは私には到底思えません。

これは、恐らく、私ならずとも、検察の側も、捜査を進める中で、これだけの事実で起訴するなどということはまったく考えてもいなかったと思います。検察の方も、最初は、4億円の収入の不記載も、それだけだったら身内のお金がぐるぐる回っていたというだけ、単に立替金というだけで、政治資金規制法違反と言っても本当に起訴価値が、処罰価値がないから、そこに水谷建設からの裏金5000万円が原資として含まれているということがあって、初めて4億円の収入の不記載、収入の過尐記載も起訴できる事実に当たる、ということを前提に捜査を進めていたと思います。

ところが、実際には水谷建設からの5000万円の裏献金のことは全然証拠が固まらなかったということで、私はちょっと、それは無茶ではないかと思いましたが、石川議員を4億円の不記載、収入の過尐記載で逮捕し、そして、それについて小沢氏が起訴できるのか、共謀が認められるかどうかということが問題になったけども、結局検察は小沢氏の共謀は認められないという判断だったわけです。もっぱら4億円の収入の不記載ないし過尐記入というところに焦点が当たっていたはずです、検察の処分では。

ところが今回はそれについては全然触れていないで、客観的には確かに時期がズレているから虚偽と言えば言えるだろうという支出の時期のズレ、不動産の取得の時期のズレ、ここだけを起訴すべきだという議決です。これは、いくら何でも政治資金規制法の趣旨目的から考えて、これだけの事実で起訴すべきだと言われても、到底起訴はできないと思いますし、検察の不起訴の結論は変わらないと思います。

再捜査をしたところで新たな証拠が見つかる可能性はほとんどないわけです。ほとんど現時点と同じような証拠を前提にして、再度検察が判断しなければいけないわけですが。既に、検察が組織として証拠が不十分で起訴できないということを決定しているわけです。それを、今回の一回の検審の議決で覆すということはあり得ないと思います。
しかも、起訴相当の議決で被疑事実とされたのは、単なる期ズレの問題です。時期がズレただけの問題です。これで起訴するということはあり得ないと思います。それじゃあ、4億円の収入の不記載、あるいは収入の過少記入という点を併せて起訴することができるかというと、できないと思います。すでに検察がいったん不起訴にして、今回の検察審査会の議決でも起訴相当とされた事実じゃないわけですから、検察がその点も含めて、改めて起訴すべきだと判断する理由はまったくありません。

となると、今回の起訴相当の議決はあっても、再捜査の結果、再び不起訴になる可能性が極めて強い。そうすると、今度もう一回検察審査会に行くわけです、今度は、検察官の説明で、ずれの問題だけではとても起訴なんかすることは考えられないんです、ということをよく検察が検察審査会に説明しなければいけないと思いますが、それでも検察審査会の素人的な判断はまた起訴だという判断になる可能性も相当程度あります。そうなると、今度は起訴強制ということで、指定代理人が選任されて、指定代理人が起訴の手続を取ることになります。これは私の立場から言うのもなんですが、検察にとって大変な事態です。とりわけ特捜部という組織にとっては非常にやっかいな事態、困り果てる事態になると思います。

同じ起訴強制でも明石の歩道橋事故とか、JR西日本の福知山線の脱線事故とはまったく意味が違います。今回は特捜検察の問題、特捜部の問題です。もし起訴強制ということになれば、恐らく関連する証拠は全部指定代理人に提供しなければいけないということになると思います。関連する証拠ということになると、去年の3月の西松建設事件のときの押収した資料から何から全てということになります。いろいろな取り調べの結果、得られた供述調書とか、そういったものも、公判に提出する必要がないと考えられるものも全部、指定代理人に渡さなければいけない。これは当然です。検察官がえり好みするわけにはいかない。

中には、およそ立証には使えないという証拠も、私が推測するに相当あるのではないか。取り調べのやり方に問題があるとか、あるいは前提事実を取り違えているとか、客観的な事実と合っていないとか、膨大な手間暇をかけて捜査してきたことの中にはいろいろなものが含まれているのではないかと思います。その中から指定代理人が公判に提出する証拠を選別していくとすると、従来の検察の常識では考えられないような証拠が出てくる可能性があります。検察にとっては特捜部の事件の強制起訴というのは本当に本来であれば絶対に避けたい事態だと思います。しかし、とは言っても、今回の起訴相当の議決に従って起訴することは、まず不可能だと思います。それをやってしまうと、検察の存在意義自体が問われる事態になってしまうのではないかと思います。

結局、こういう事態に至った経過を全体として振り返ってみると、何と言っても検察の捜査に無理があったということだと思います。その捜査の無理が、こういう形で跳ね返ってきたということだと思います。大がかりな捜査を展開して、捜査をどんどん前に進めようとマスコミが煽ってきたために、世の中に、小沢氏が起訴されないとおかしいという、素人的な、庶民的な不満を生じさせた。そういう状態で事件を検察審査会に持っていけば、市民感覚では、起訴すべきだと、何でこれで不起訴なんだという意見になってしまうということです。しかし、処分するのは検察です。検察が果たしてそんな素人的な感覚だけでまともな処分ができるのだろうか。2回の起訴相当議決で強制起訴ということになれば、検察の処分の問題ではありませんから、別の問題になりますが、今回の起訴相当とされた被疑事実を起訴することは、尐なくとも、検察が行う刑事処分としてはまったく無理だと思います。

それからもう1つ、今回の検察審査会の議決書を見て問題だと思うのは、審査申し立て人が甲となっていて、匿名だということです。なぜ審査申し立て人の名前を記載しないのか。これはまったく理解できないです。これだけの大きな影響が生じる事件の審査を申し立てている人間ですから、自分の名前ぐらい出すのは当たり前だと思います。申立人本人が匿名を仮に希望したとしても、そんな希望は絶対受け入れるべきではないし、最初からそれ前提の審査申立であれば、そんなものは受け付けるべきではなかったと思います。 今日、昼に議員会館で開かれた「司法のあり方を検証する議員連盟」の際にも紹介しましたが、最新号の『アエラ』に「検察幹部批判に逆ギレ」という記事が出ていて、この中に検察幹部の非常に率直なコメントが出ています。非常に興味深く読みました。特に興味深かったのは、今の事件で小沢氏を不起訴にした経過です。4億円の小沢氏から入ったとされるお金の中に、ゼネコンからの裏献金が入っているという新たな証拠を得ることが起訴の条件にしたこと、それがなければ、「単なる形式犯」との弁明が成り立つからだと書いてあります。結局、その条件が充たされなかったから、最初の条件どおり小沢氏は「嫌疑不十分」で不起訴という結論になったと書いてありますが。

しかし、それでは石川議員は単なる記載ミスで形式犯でも逮捕して起訴していいのでしょうか。同じ国会議員。石川議員だって北海道11区で、11万人を越える有権者の支持を得て当選して、初の通常国会に臨みで議員として活動する予定だった現職の国会議員です。なぜ、ゼネコンからの裏金が含まれていることが小沢氏の起訴の条件にはなっているのに、石川議員の逮捕の条件や起訴の条件にこれがならないのか。非常に不思議です。

要するに、こういう考え方で、自分たちが小沢というターゲットに焦点を当てて捜査を進めていくことしか頭にない、そのための手段であれば、現職の国会議員を逮捕するというのはどういう意味なんだとか、それにふさわしいだけの事実、証拠はあるのかなどほとんど考えないで前のめりに、前のめりに捜査してきたことが、結果的には世の中にいろいろな誤った印象を与えてしまって、これが検察審査会の起訴強制という制度の下で、一気に今度、検察の方にそのとがめが跳ね返ってきてしまった。それが今回の問題だと思います。

ある意味では、JR西日本の山崎前社長の起訴、あの判断は私は絶対に間違いだったと思いますが、あの事件を無理をして8年前の山崎前社長が鉄道本部長だったときにカーブを急にする際にATSを付けなかったと。そのことによってああいう脱線事故、死亡事故が起きることを予見すべきだったという、ちょっとむちゃくちゃな判断をして起訴したことが、結局、この前も、歴代3社長も起訴すべきだという起訴相当の2回の議決が行われることにつながってしまって、検察にとっては非常にやっかいな事態になってしまったわけですが、これとまったく同じ構図だと思います。一連の事件の被疑者の1人について無理な判断をしてしまって、そこのところで何とか決着付けようと思っても、今の制度はそれだけでは済まないわけです。それだけ検察にとって、今の検察審査会制度の下では選択の幅が非常に限られてきているということを改めて認識しないといけないのではないかと思います。

小沢氏を不起訴にした段階で、なぜ不起訴にしたのかということをしっかり説明していれば、それが報道されて、起訴できないことの正しい理由が分かっていたはずです。ところが、検察は、それまでの捜査を正当化するために、負け惜しみ的な説明をした。どっちに転ぶか分からないぐらい微妙な判断で、ぎりぎり不起訴になったんだというような説明をしました。私に言わせれば、現職の国会議員の石川氏の逮捕・起訴に重大な問題があるのであって、小沢氏の方は箸にも棒にもかからないです。そこをはっきり言わないから、結局、検審の審査員にも誤った認識を与えてしまう。なぜ言えないかというと、それは捜査が最初から無茶苦茶だからです。起訴を目指して捜査すること自体が暴走なのに、それをそうだったとは言えないので、世の中に誤解を与える。それが今回のように検察のところに戻ってくるわけです。

ずっと時計の針を戻していくと、西松建設のところまで戻るわけです。そもそもあそこであんな事件に手を付けたから、後に引けなくなってどんどん暴走に次ぐ暴走を重ねていったということも全部反省しなくちゃいけなくなるから、処分の段階で誤った説明をせざるを得ない。結局は、元を正せば西松建設事件で大久保秘書を逮捕したところにすべての原因があるわけです。

そう考えたときに、検察はそもそもなぜこんな制度が導入されてしまったのかということにもう一回思いをいたすべきではないかと思います。なぜかここのところ、その点についてまったく報道されていません。ほとんどの人がそこを認識していません。でも、この検察審査会の起訴強制の制度の導入のきっかけになったのは、2001年に起きた福岡地検の次席検事による捜査情報の漏洩問題です。

この問題についての調査結果の中で総括として、これは法務省の調査結果ですが、こう書かれています。「公訴権の行使や検察運営に関し、民意を反映させることは、検察が独善に陥ることを防ぐとともに、検察に対する国民の信頼と理解を得る上で大きな意義があり、具体的には検察審査会の一定の議決に法的拘束力を与えることにくわえて」、この中でそういう方針を打ち出しているわけです。要するにあの事件は、大地検の次席検事という検察にとって、要職にある検事にとってあるまじき行為です。捜査情報を被疑者側の裁判官の側に漏洩して、それでうまく事件を不起訴にしてまとめてやろうとした。こんな問題が起きたということで検察に対する社会の信頼を決定的に損なわれたそのために検察の権限が一部制約されることになった。その経過を改めて認識し直さないといけないと思います。

ところが、今回は、検察が、特捜部が、がんがん無理な捜査をしていって、それがさすがにもうそれ以上は進めないというところまで行って力尽きた。それを「市民感覚」を追い風にもう一回暴走させる方向に向けて検察審査会の起訴強制という制度が使われようとしているわけです。それは、起訴強制という制度の本来の趣旨にまったく反するものだと思います。

また、起訴、不起訴の判断に関して、検察の場合は黒という確証があったときに起訴するが、検審の判断は白か黒かを公開の法廷で明らかにすべきということで良いのではないかという考え方もあり得ます。刑事司法全体がそういうシステムに変わり、世の中もそれを前提にして動いていくのであれば、それはそれで悪いことじゃないと思います。そうなると、検察という組織がこれまで刑事司法で果たしてきた役割の大部分は失われます。今までの日本の刑事司法はそうじゃなかった。やはり検察が起訴ということに対して一定の責任を持っていたわけです。ですから、検察の判断というのが基本的に正しいという前提で刑事司法のシステムはできているんです。だから、検面調書というのは、その内容が法廷供述と相反したら情況的な保障だけで検面調書証拠能力がある。それは、検察官の面前では本当のことを話すけど法廷では嘘をつく、偽証をするということを刑事訴訟法の規定自体が前提にしているわけです。しかも、検事が立証しようとしていることをずっと否認し続ければいつまでも身柄が拘束できるという、国際的にもほとんど例のないような「人質司法」のシステム。これはみんな検察官のところで適正な捜査が行われ、検察官が適切な事実認定をするという前提で組み立てられているわけです。だから、この間も石川議員が起訴されたと言ったら、当然議員をやめるべきだ、議員辞職勧告決議ということになります。なぜそうなるかというと、これは裁判所の判断ではなく、検察が起訴したということが大きいのだということが前提となっているからです。

ただ、もし検審の起訴相当2回で、検察審査会の議決の強制力で裁判にということであれば、これは検察の問題じゃないから、まだ捜査が裁判で続いているという考え方もできるかもしれないし、そういう方向に持っていくならそれはそれでいいかもしれないです。ただ、私はそうはあってほしくない。やはり、検察の役割をもっと日本の社会は重視すべきだと思っているし、やはり、検察が本当に適正な判断ができる捜査機関であれば、こんなことにはなっていないわけで。だから、改めてこれを何でこんなことになったのかというのを遡って考えてみると、非常に残念なわけです。福岡地検の次席検事が検事にあるまじきこんなことをやった。そして、最近の特捜検察の暴走、それらすべてのとがめが跳ね返ってきているわけです。本当にこんなことをやっていたら検察はおしまいじゃないかと。すごく私は心配しています。世の中全体としては、いろいろな選択肢はあり得ると思います。でも、日本の国で今までやってきたように、検察が刑事司法に責任を持つ方向でまだまだ努力をしようよと、私は言いたいのです。

投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 日時: 2010年4月30日 17:50 | パーマリンク」



 イ:幾つか点に触れていきます。まず1点目。検察審査会は、具体的に何の事実で起訴相当としたか、です。

「要するに、いろいろ書いてあるけれども、土地の取得の時期が2カ月ずれていた。土地の代金の支払いの時期が2カ月ズレていた。それだけです。それはまったく私も、予想だにしなかったことです。確かに、石川氏の起訴事実の中に、虚偽記入として支出がズレていたということも含まれていたと思います。しかし、まさか、支出の時期が、土地代金の取得時期がズレたのに伴って、代金の支払いの事実が2カ月ほどずれていた、たまたまそれが年度をまたいだということが、虚偽記入でとらえられるとはまったく思っていなかったし、それが、国会議員を起訴に値する事実だとは私には到底思えません。

これは、恐らく、私ならずとも、検察の側も、捜査を進める中で、これだけの事実で起訴するなどということはまったく考えてもいなかったと思います。検察の方も、最初は、4億円の収入の不記載も、それだけだったら身内のお金がぐるぐる回っていたというだけ、単に立替金というだけで、政治資金規制法違反と言っても本当に起訴価値が、処罰価値がないから、そこに水谷建設からの裏金5000万円が原資として含まれているということがあって、初めて4億円の収入の不記載、収入の過尐記載も起訴できる事実に当たる、ということを前提に捜査を進めていたと思います。」


要するに、検察審査会は、実際の取引日(代金支払日)と登記日がずれていたことで「虚偽記入」と判断し、犯罪事実があると判断したわけです。政治資金規正法上は、一日でもずれていたら「虚偽記入」すべきとも考えられます。しかし、あくまで不動産取引である以上、不動産取引での常識にそった取引であれば、違法と判断することは困難です。不動産取引での常識を処罰すれば、その影響は甚大なものになってしまうからです(常識を処罰するのであれば、明示の事前告知が必要でしょう)。

「コメント欄」でコメント主が触れている点ですが、「年末の登記を避けて年度替わりに登記するのは不動産取引の常識であって、税務上も問題ないはずで、04年10月の取引で05年1月の登記ですから、印鑑証明の有効期間内(3ヶ月)の登記であって、取引日と登記日がずれてもそう不自然さはない」のです(小沢「陸山会」土地取引疑惑は的外れ・定期預金担保、登記遅れは業界の常識[ゲンダイ]も参照)。

このように、登記遅れは不動産業界の常識であれば、小沢一郎・民主党幹事長と元秘書らとの共謀があろうとなかろうと、処罰に値する犯罪事実があるとはいえません。今回の検察審査会では、審査員の誰もが不動産業界の常識を知る者がおらず、第5検審で補助に就いた米澤敏雄弁護士も不動産業界の常識を知らなかったようです。


 ロ:2点目。郷原信郎弁護士も、検察庁は起訴するか否かを予測しています。

「ところが今回はそれについては全然触れていないで、客観的には確かに時期がズレているから虚偽と言えば言えるだろうという支出の時期のズレ、不動産の取得の時期のズレ、ここだけを起訴すべきだという議決です。これは、いくら何でも政治資金規制法の趣旨目的から考えて、これだけの事実で起訴すべきだと言われても、到底起訴はできないと思いますし、検察の不起訴の結論は変わらないと思います。

再捜査をしたところで新たな証拠が見つかる可能性はほとんどないわけです。ほとんど現時点と同じような証拠を前提にして、再度検察が判断しなければいけないわけですが。既に、検察が組織として証拠が不十分で起訴できないということを決定しているわけです。それを、今回の一回の検審の議決で覆すということはあり得ないと思います。
しかも、起訴相当の議決で被疑事実とされたのは、単なる期ズレの問題です。時期がズレただけの問題です。これで起訴するということはあり得ないと思います。それじゃあ、4億円の収入の不記載、あるいは収入の過少記入という点を併せて起訴することができるかというと、できないと思います。すでに検察がいったん不起訴にして、今回の検察審査会の議決でも起訴相当とされた事実じゃないわけですから、検察がその点も含めて、改めて起訴すべきだと判断する理由はまったくありません。」


郷原信郎弁護士も、検察幹部や法務省幹部と同様に、不起訴の結論は変わらないと述べています。検察庁は、 元々、「支出の時期のズレ、不動産の取得の時期のズレ」だけの部分で起訴できると考えていなかったのですから、「支出の時期のズレ、不動産の取得の時期のズレ」だけを起訴すべきだという議決をしても起訴することはあり得ないということです。


 ハ:3点目。なぜ、検察審査会が間違った判断をしたのか、どうかです。

「要するに、こういう考え方で、自分たちが小沢というターゲットに焦点を当てて捜査を進めていくことしか頭にない、そのための手段であれば、現職の国会議員を逮捕するというのはどういう意味なんだとか、それにふさわしいだけの事実、証拠はあるのかなどほとんど考えないで前のめりに、前のめりに捜査してきたことが、結果的には世の中にいろいろな誤った印象を与えてしまって、これが検察審査会の起訴強制という制度の下で、一気に今度、検察の方にそのとがめが跳ね返ってきてしまった。それが今回の問題だと思います。(中略)

小沢氏を不起訴にした段階で、なぜ不起訴にしたのかということをしっかり説明していれば、それが報道されて、起訴できないことの正しい理由が分かっていたはずです。ところが、検察は、それまでの捜査を正当化するために、負け惜しみ的な説明をした。どっちに転ぶか分からないぐらい微妙な判断で、ぎりぎり不起訴になったんだというような説明をしました。私に言わせれば、現職の国会議員の石川氏の逮捕・起訴に重大な問題があるのであって、小沢氏の方は箸にも棒にもかからないです。そこをはっきり言わないから、結局、検審の審査員にも誤った認識を与えてしまう。なぜ言えないかというと、それは捜査が最初から無茶苦茶だからです。起訴を目指して捜査すること自体が暴走なのに、それをそうだったとは言えないので、世の中に誤解を与える。それが今回のように検察のところに戻ってくるわけです。」


要するに、小沢氏を不起訴にした段階において、検察庁が「負け惜しみ的な説明」をしないで、なぜ不起訴にしたのかということを正確に説明を行えばよかったのです。そして、報道機関が、「負け惜しみ的な説明」に影響されることなく、冷静公平な視点で報道していれば、誰も誤解しないですんだ面があるのです。「起訴=有罪」報道どころか、小沢氏に対しては「嫌疑不十分の不起訴=有罪」報道にまで至ってしまうのですから、常軌を逸しています。

もちろん、検察庁やマスコミの責任に押し付けるのも公平ではありません。虎の威を借る狐のように、検察庁の情報を垂れ流すマスコミに影響されることは仕方がない面はあるといえ、市民は自ら報道が正しいのかどうか、その真偽を見抜き、判断するべきなのです(メディア・リテラシー)。


 

3.最後に。

(1) 市民が常に意識していなければならないのは、検察審査会の判断が冤罪事件の発端となった事件のことです。即ち、兵庫県の知的障害児施設で園児が水死体で見つかった「甲山(かぶとやま)事件」です。

神戸地方検察庁が一度山田悦子さんを逮捕したのですが、嫌疑不十分で釈放、不起訴処分を発表していました。それで止まっていれば被害は少なかったのですが、その1年後に神戸検察審査会が「不起訴は不当」の決議を出したため、再捜査も始まり、事件から4年後、山田さんへの再逮捕、起訴に至ったわけです。結局、甲山事件では、逮捕から25年以上もの歳月を費やして無罪が確定したのです。(詳しい経緯については、「冤罪甲山事件」さんの「甲山事件・裁判」や、を是非ご覧下さい。)

甲山事件では、検察審査会は捜査機関側に利用された事実が判明しています。

利用された検察審査会

 神戸地検の不起訴処分に対し、S君の遺族(その代理人弁護士は元地検尼崎支部に勤務していた元検事である)は検察審査会への申立てを行い、検察審査会はこの問題を職権で審査することとした。そして、兵庫県警は捜査主任・高橋亨警部、山田さんから虚偽自白を得た西宮署刑事官・山崎清麿警視、虚偽自白のとき立会いしていた田中勇郎刑事、繊維鑑定の技官等の警察官を検察審査会に証人として出席させて審査員に警察の考える事件像をプレゼンテーションするとともに、警察協力者としての甲山学園職員3名と遺族を証人として審査会に出席させ、山田さんが犯人であると審査員説得にあたらせたのである。これに対し、山田さん本人や山田さんの支援者としての学園職員は誰一人として検察審査会に呼ばれなかった。

 その結果、検察審査会の決議書は以下の荒唐無稽な事件像を開陳することになった。「以上の各資料に基づき審査会議16回、小委員会4回、証人調8人を実施し慎重審査した結果被疑者に対し、容疑十分と判断した。然し被疑者の単独犯行と断定するには躊躇し、他に共犯者が存在する疑いを強くしている。即ち本件は複数人の犯行で被疑者は主犯若しくは従犯で、共犯者に対する捜査不十分と思料し表記の通り議決した。 付言 本件審査の対象外であるが当審査会は被疑者と相勤者であった某の行動について重大な関心を持っている。即ち」として、10点相勤者が疑わしい点を挙げているが、いずれも立証されていないかまたは単なる思い込みでしかない事実、誤った事実等々である。この検察審査会の議決書にみられる誤った事件像は、それをプレゼンテーションした兵庫県警が持っていた事件像であり、ひいては再捜査後の検察庁が兵庫県警と共有した事件像でもある。

 1976(昭和51)年10月28日、検察審査会は不起訴相当の議決をした。それを受けた当時の別所汪太郎神戸地検検事正が逢坂貞夫検事を主任検事として、再捜査を指示したことにより、甲山えん罪事件は後戻りすることなく、誤った道へと突き進むことになった。」(上野勝・山田悦子編著「甲山事件 えん罪のつくられ方」(現代人文社、2008年)12頁以下


検察審査会が冤罪事件の発端を開いたことは確かですが、甲山事件において審査員が山田さんに対して真摯に謝罪し、金銭的な償いをしたという事実は見当たりません(少なくとも、冤罪被害者の書籍である「甲山事件 えん罪のつくられ方」には出ていません)。審査員は、自ら犯した罪について責任を負うことをしないのです。

今回では、ヤメ検の影響はあるとしても、実際の捜査機関に利用されたどうかは明らかになっていません。ただ、今回の検察審査会では、自ら「善良」を振りかざし、「市民感覚」を葵の御紋のように強調しており、感情論むき出しで起訴相当と判断しているところからすると、検察庁による「負け惜しみ説明」に影響されたことは明らかでしょう。

この感情論の満ちた決議文からすれば、審査員の頭の中には、冤罪甲山事件に思いを致したことはなかったようです。甲山事件を熟知していれば、自らの「罪」に責任を感じ、感情論を振りかざして起訴相当と判断するはずがないからです。他人に対して執拗に責任追及を求めるくせに、いざ自分の犯した罪については謝罪も反省もしない――。これが「善良」な「市民」の姿であるようです。



(2) どんなに「善良」と称する「市民」が感情論をむき出しにしようとも、無罪推定の原則があり、証拠に基づいて判断する日本の裁判では通用しません。日本は、北朝鮮や中国とは違うのです。裁判の有罪無罪の判断については、「善良」と称する「市民」の感情論に左右されないことを、最高裁長官は明言しています。

 イ:東京新聞2010年5月3日 朝刊

「最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官は、三日の憲法記念日を前に記者会見し、まもなく施行一年を迎える裁判員制度について「どの事件でも裁判員が誠実、積極的に職責を果たし、良いスタートが切れた」と評価し、裁判員を務めた人々らに感謝を述べた。(中略)

 また、兵庫県明石市の花火大会事故や尼崎JR脱線事故での強制起訴につながった検察審査会の権限強化については「検察官の起訴独占主義を見直した制度だが、有罪と認定する裁判所の判断とは全く無関係。『検審(の起訴)だからこの程度でも有罪』という問題ではない」と述べ、裁判所の判断基準は従来と変わらないとの考えを強調した。」



 ロ:asahi.com(2010年5月3日4時37分)

〈憲法記念日 竹崎最高裁長官、会見の主なやりとり〉
2010年5月3日4時37分

 憲法記念日の会見で、竹崎博允最高裁長官との一問一答(一部略)は次の通り。(中略)

 ――裁判員制度と同時に改正された検察審査会制度で、早くも2件が強制起訴された。裁判所としてどう取り組んでいくのか。

 検察審査会はあくまで起訴の基準をどうするかであって、今まで(検察が起訴を独占する)起訴便宜主義で運営されてきたのを違った形で国民の感覚を反映させられないかというのが検察審査会制度。しかし、有罪、犯罪事実を認定する裁判所の判断基準がそれに乗って変わるかというのは全く無関係の問題だと思っている。これは検察審査会が起訴した事件だから、この程度で有罪にしてもいいという問題とは違う。」


要するに、最高裁長官は、「検察審査会の権限強化は、検察官の起訴独占主義を見直しただけの話であって、有罪認定まで素人談議をするわけじゃない。素人による起訴可能という判断では有罪に至る保証が非常に乏しい、素人判断で起訴したところで、法と証拠に基づく裁判で有罪にまずなりえないことを十分に理解するべき」というわけです。

分かりやすく言い換えれば、検察審査会は、起訴の基準、しかも検察と異なった起訴の基準を示すものにすぎないのですから、有罪視することは絶対に止めるべきであり、また、検察審査会の判断を政治利用(=前原国交相が述べるような「小沢氏に辞任を求めること」)に使ってはいけないということです。

この最高裁長官の発言は、「起訴=有罪」報道どころか、「検察審査会の起訴相当=有罪」扱いしている状況にまでエスカレートしている報道・政治家・世論に苦言を呈したものともいえます。この最高裁長官の発言を聞いて、報道機関は猛省するべきでしょう。



(3) ここで2人の識者の見解を紹介しておきます。作家の高村薫さんは、とうとう「壊れて」しまったようです。

 イ:朝日新聞平成22年4月28日付朝刊3面「『起訴相当』 識者の声」

道義的責任 見過ごせぬ――高村薫氏(作家)

 市民感覚で言うと、「起訴相当」の判断は心情的に賛成できる。検察というプロには事件を法廷へ持ち込んで審理してもらいたかったし、敗戦覚悟で闘ってほしかった。今後、実際に起訴まで至れば、闇に葬られかけていたものが少しはわかるかもしれない。

 ただ、同じ政治資金規正法の問題なのに、鳩山首相が不起訴相当で、小沢幹事長が起訴相当と判断が分かれた差がよくわからない。検察審査会はいま、行き場のない感情をすくい上げる場になっているようにみえる。法律の素人である審査員に難しい判断を迫っているようにもみえる。

 政治家には法的責任とは別に道義的責任があるが、日本ではその責任をきっちりとる政治家がほとんどいない。「秘書がやりました」などと責任転嫁ができないよう規正法を見直すべきだ。法律を不備なままにした私たち有権者の怠慢も問われている。」



 ロ:東京新聞平成22年5月5日付朝刊23面「本音のコラム」

羨望の怖さ――斉藤学(さいとう・さとる)

 検察審査会が民主党・小沢一郎幹事長を起訴相当とした。この審査会は選挙人名簿から無作為に選出された11人だそうで、だから「民意の反映」になるという。それが全員一致とは空恐ろしい。古代ギリシャの都市国家アテネを衰退させた陶片追放を思わせる。検察情報を垂れ流すマスコミに洗脳され、権力者や成り金は必ず悪人と信じこんでいる「無力な善人」たちの羨望(せんぼう)は怖い。

 20世紀前半の英国で活躍した精神分析家メラニー・クラインは「羨望こそ諸悪の王」と述べている。著書『羨望と感謝』の冒頭にはエンヴィ(羨望)という英語が「他人の持ち物を横目で睨(にら)む」というラテン語に由来すると記されている。

 乳児は母乳を貪(むさぼ)りながら、宝物をもたらす乳房をわがものにすることをたくらむ。患者は治療者が自分に向ける関心を貪りつつ、治療者の「良いもの」を羨(うらや)み、わが身の不足を嘆く。治療とは乳児的な羨望に満ちた姿勢(ポジション)から抜け出させることだ。

 故白川静氏によれば羨望とは「涎(よだれ)を垂らすこと」望とは「巫女(みこ)の目の隈取(くまど)り」。古代中国の王たちは巫女たちの目を並べて他国の領土をわがものにするために観望した。

 涎を垂らしながら他者の持ち物を羨み、奪取をたくらむとは卑しい。日本社会がこんな劣情に支配され続けているのを確認しなければならないのは残念だ。 (精神科医)」



「陶片追放(とうへんついほう)

古代ギリシアのアテネで行なわれた僭主の出現を防ぐための市民投票。危険人物の名を陶片に記入して秘密投票し、六〇〇〇票を越えた者は一〇年間の国外追放とした。ostracism(英)。

陶片に記入して投票したことから陶片追放といわれる。

本来の目的は、市民の不満を煽り立てて利用し非合法的に政権を握る独裁者、いわゆる「僭主」の出現防止にあった。しかし、この制度は本来の目的を失い、悪用されるようになる。例えば、実績を挙げた者が嫉妬により投票され、政争で相手を陥れるために誹謗が煽り立てて宣伝されるということも起こった。結果として、多くの優秀な人間や市民のために尽力した人間が追放されるに至った。」(陶片追放―はてなキーワード



 ハ:作家の高村薫さんの「検察というプロには事件を法廷へ持ち込んで審理してもらいたかったし、敗戦覚悟で闘ってほしかった」「今後、実際に起訴まで至れば、闇に葬られかけていたものが少しはわかるかもしれない」という発言には、心底、失望しました。

刑事裁判は、被告人の社会的地位・名誉・財産を全て喪失しかねないものであって、人生を大きく左右してしまうのであり、また、公訴提起は、被告人を訴訟へ強制的に参加させられる負担が生じます。

ですから、起訴するか否かは慎重になすべきなのであり、犯罪の嫌疑がないが不十分なままで起訴した場合、その起訴は無効である、といった議論が生じるのです(不当な起訴に対しては、公訴の提起そのものが無効であるとして公訴棄却の判決(刑訴法338条4号)により手続を打ち切るという、いわゆる「公訴権濫用論」)。

それなのに、高村薫さんは、「敗戦」=無罪覚悟で公訴提起することを求めるのですから、およそ刑事裁判について理解に欠けているとしか思えません。また、刑事裁判・民事裁判問わず、証拠以上のものは法廷に出てこないのですから、実際に起訴まで至ったとしても、「闇に葬られかけていたものが少しはわかる」ことにならないのです。高村薫さんは刑事裁判どころか、訴訟手続全般についてまで理解が欠けているようです。(「敗戦」=無罪覚悟での起訴を平気でやっていいというのであれば、多くの者が無罪判決が出されることになる以上、起訴されたとしても社会的抹殺に繋がる日本社会を変えるべきであり、起訴されても社会的・道義的責任を負わせるべきではありません。高村薫さんは、論理的な思考が欠けてしまったようです。)

また、高村薫さんは「『秘書がやりました』などと責任転嫁ができないよう規正法を見直すべき」としています。しかし、もし規正法を見直すとなると、どのような措置が必要になるか本当に分かったうえで発言しているのでしょうか? 今回の事件は、政治資金収支報告書(部分単式簿記会計)という会計処理の問題ですから、会計の専門知識を必要としない議員に責任を問うにはそれだけの措置(それに伴う費用補償)が必要となりますし、すでに述べたように不動産取引の慣例にも関係する問題です。気軽に見直しなんてできないのです。

高村薫さんは、今まで、刑事物の小説を書き、裁判員制度を含む法律制度について評論を書いていますが、法律論について学ぶことなく、法律論がよく分からないまま、かなり背伸びをして書き散らしていたわけです。どうやら、高村薫さんは、法律論に何ら考察をすることなく感情的に間違った発言を繰り返す、単なる「感情屋」にすぎなかったようです。。(法律論を知らなくても、法的なセンスがあればよかったのですが、高村薫さんは法的センスがなかったようです。残念ながら。高村薫さんの評論(特に法律が絡む評論)は一切信用できないので、高村薫さんの評論を引用することは止めることにします。)


 ニ:高村薫さんと比較して、斉藤学さんのコラムは大変辛辣ですが、共感できます。今回の検察審査会は、検察や検察情報を垂れ流し煽り立てるマスコミ報道に影響され、証拠もないのに、起訴相当という「陶片追放」を全員一致で行ってしまったからです。(「hajime's Home Page」さんの「陶片追放」も参照)。

小沢一郎氏は、偽メール問題で民主党の支持率が一桁台に下がった状態から民主党を建て直し、議論ばかりで選挙民に向き合ってこなかった「お子ちゃま議員」集団を大人に叩き直し、政権交代へと導いた立役者であることは、異論がないところでしょう。これ以外の点は、評価が分かれるでしょうが、起訴すべき犯罪事実があるのか否かは、あくまで法的問題であることを思い返し、個々人の政治的なスタンスと離れて判断するべきです。

特に、マスコミ報道に煽られ、「権力者や成り金は必ず悪人と信じこんで」追放に手を貸すことは問題です。「陶片追放」を繰り返せば、民主主義社会を破壊に導くことは歴史が証明しています。

政権交代後、マスコミ報道は、自民党政権時代の腐敗と利権にまみれた世界に戻したいと思えるほど、混迷に満ちています(他にも、マスコミは、普天間基地問題にしても自民党と同じく沖縄に苦痛を与え続けるほうがいいというつもりでしょうか?)。しかし、どういう報道をしようとも、刑事裁判は、「市民感覚」で感情的に判断するものではなく、法と証拠に基づき、無罪推定の原則が支配する世界であることを、市民自ら自覚していくべきなのです。

追記:自民党政権時代でよかったこといえば、自民党政権では検察庁に対して制約を加えていたことから、検察が良くも悪くも暴走しなかった点でしょう。自民党政権末期そして民主党政権下では、検察に対する抑制がなくなったため、暴走しまくっているようです。)



<追記>

インフォシーク・ニュースに東京第5検察審査会で補助に就いた弁護士が明らかになっていたので引用しておきます。

検察審査会の敵意むき出し 議決文の陰にヤメ険弁護士 (ゲンダイネット)

 小沢事件の不起訴処分の当否を審査した「東京第5検察審査会」(検審)の「起訴相当」議決文にはブッタマげた。

「これこそが善良な市民の感覚」「絶対権力者である被疑者」など感情むき出しの文言ばかり。

 法律にド素人の一般市民が審査員とはいえ、あまりに高飛車で敵意と悪意に満ち満ちていたからだ。

 検審には本来、審査員の「暴走」に歯止めを掛けるサポート役がいる。審査員に法律解釈や事実関係の説明をしたり、議決文の作成を手伝ったりする補助弁護士だ。第5検審で補助に就いたのは、米澤敏雄弁護士(73・麻生総合法律事務所HPから)だった。

「米澤氏は61年に検事に任官し、5年後に裁判官に転身。岐阜地裁や静岡地裁の所長を務め、東芝ココム規制違反事件やリクルート裁判も扱ったベテランです。90年の平和相互銀行不正融資事件の判決文では、特別背任罪に問われた元監査役に対し『邪道な行為』とキツイ言葉で断じている。第5検審の議決文にも米澤氏が関わっているのは間違いない」(司法記者)

 米澤氏は裁判官を退官後、大東文化大法科大学院教授を経て、昨年4月に都内の「麻生総合法律事務所」に勤務。この事務所が3月に都内で開いた創立40周年祝賀会には、自民党の谷垣禎一総裁や、タレントのみのもんたが来賓で出席している。政財界に顔が利くようだ。

 事務所を訪ねると、「(米澤氏は)10日まで連休中」(関係者)。

 検審の権限が強まった以上、こうした弁護士が国民に説明くらいすべきだろう。

(日刊ゲンダイ2010年5月1日掲載)

[ 2010年5月4日10時00分 ] 」


これを見ると、米澤敏雄弁護士は元裁判官であり、自民党側の影響が強い人物と分かります。ただ、元裁判官の割にはあまりに稚拙な決議文には驚きでした。元々、能力のなかったのか、疾患より法的な能力を失ったのか不明ですが。


テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

諸法 *  TB: 5  *  CM: 4  * top △ 
コメント
この記事へのコメント
トラバありがとうございました。
明快な説明にうんうんとうなずきながら読ませていただきました。

今回は本来なら市民がポピュリズムに暴走するのをおさえるべき補助の弁護士が、一緒になって暴走を煽って、その役目を果たさなかったことが原因ではないかと推測されますね。
そうなると今後、補助の弁護士の政治的中立性が「司法の在り方を考える議員連盟」でとりあげられるような気がします。
しかし補助の弁護士が政治的に中立かというのは大変難しい問題だと思います。
民主党寄りでも自民党寄りでもない考え方の持ち主を選ぶって、まさか思想調査をするわけにはいかないし・・
もっとも法律家としての矜恃があるなら、たとえ個人的に自民党側で小沢さんが嫌いであっても、それと法律評価は切り離して行うことができるはずですが。

裁判を専門家のみに全て独占させるのではなく、一部市民も参加すること自体は決してマイナス面ばかりではないと思いますが、常に綱渡り的な要素がありますね

2010/05/06 Thu 00:39:49
URL | 秋原葉月 #449pMq2M[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/05/15 Sat 15:02:45
| #[ 編集 ]
>非公開コメントの方:2010/05/15 Sat 15:02:45
お返事が遅くなって申し訳ありません。
お久しぶりですね! お元気でしたでしょうか?
非公開コメントですので、いくらか修正した形で引用します。


>米澤敏雄弁護士は元裁判官だそうですが、「元裁判官の割にはあまりに稚拙な決議文」であるとしても、別にアルツハイマーというわけでもないでしょう。

米澤敏雄弁護士に対しては、密かに、アルツハイマーを患っているのではないかと疑っています。というのは、あの攻撃的・感情的、しかも稚拙な決議文は、攻撃的・感情的な行動に出るという、アルツハイマーの症状を彷彿とさせるからです。

今、司法書士業界では、アルツハイマーを巡って深刻な問題が生じています。それは、司法書士自身がアルツハイマーを患い、無茶苦茶な事件処理をしてしまっている例が激増しているのです。依頼人がアルツハイマーの場合も問題なのですが、深刻なのは、司法書士自身がアルツハイマーである場合です。

もちろん、後々、他の司法書士が後始末を行うことになります。しかし、元々、個人事務所の形態で業務を行っている司法書士が多く、そうすると、後始末をしようとしても、事件の経緯を知る者がそのアルツハイマーの司法書士以外おらず、困り果てることが少なくないそうです。

司法書士業界では、問題が大きくなってきたようですが(まだ報道されていないはず)、弁護士業界も同じことがおき始めています。感情的・攻撃的な応対をし、訴訟などで無茶苦茶な主張を平気で言い始めてしまうのです。もちろん、事件処理も無茶苦茶になり、回りが非常に困ってしまいます。(弁護士の場合、他の弁護士が「後始末」を行っているような話はまだ出ていないようです。)

司法書士や弁護士はその資格に期限がないことも一因かもしれませんが、主な原因としては、学習意欲がない者や、自信過剰で自ら律する意識がない者が、アルツハイマーの自覚症状のないまま、仕事を続けてしまっていることにあります。

60代半ばでアルツハイマーの症状が出てきた弁護士もいます。ですから、米澤敏雄弁護士のように73歳ともなれば、もし治療を開始していなければ相当に深刻になっているはずです。

アルツハイマーの症状の程度によっては、できる仕事もあるでしょう。アルツハイマーだからといって、一切の仕事を断ち切らせることは、一種の差別に当たります。とはいえ、どの程度の仕事まで認めるのか難しい面があります。ただ、今回の件で言えば、検察審査会の結果は社会的影響力が大きい以上、補助弁護士の職務に就くべきではなかったように思います。

少なくとも、(法律家などに聞けば、決議文が感情的で稚拙な内容であることはすぐに分かるのですから、)アルツハイマー症状が現れた文章であると理解できれば、「市民感覚の現れ」だとか大騒ぎするべきではなかったのです。家族にアルツハイマー症状の患者がいる記者もいるでしょうに、決議文をそのまま鵜呑みにする、マスコミには困ったものです。


>前にも触れたことがあるのですが、日本で一番法律を知らないのが裁判官ではないでしょうか?

裁判官は、裁判所職員に守られて裁判官としての職務を行います。少しでも攻撃的と思える一般市民からの電話・応対は、裁判所の職員が行い、裁判官は一切しないからです。弁護士が、相手方のみならず、依頼人からの暴力を受けることがあるのとは大違いです。

過保護に育った裁判官は、いわば生の深刻な社会と隔絶したまま、非常識を基礎として法律を使う以上、「日本で一番法律を知らないのが裁判官」と揶揄できそうです。「日本で一番法律を知らない」のであれば、検察審査会の補助として決議に関わることは止めてほしいところです。二度と悪夢は見たくないので。
2010/05/20 Thu 01:32:09
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
責任を取ることはないでしょう。
>甲山事件において審査員が山田さんに対して真摯に謝罪し、金銭的な償いをしたという事実は見当たりません(少なくとも、冤罪被害者の書籍である「甲山事件 えん罪のつくられ方」には出ていません)。審査員は、自ら犯した罪について責任を負うことをしないのです。

結果的に無罪になったからといって法的責任が生じるわけではない。裁判は有罪か無罪かを争うものだから、無罪判決もあり得る。それを前提にして起訴を行うのである。無罪判決が出た場合、検察官や有罪判決を出した下級審の裁判官に一律に責任があるといえるだろうか。冤罪だからといって、格段の事情でもない限り、審査員はもとより裁判官、裁判員、検察官に法的責任は生じ得ないというのが通例ではないだろうか。

ネットで引っ張ってきた行政法の最高裁判例ですが、
「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。」

これを審査員に当てはめれば、審査員の責任が肯定されるためには、当該審査員が違法又は不当な目的をもつて審査をしたなど、審査員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である、といえるようです。

本件をみると、1審だけでも7年も審理している。簡単に不起訴妥当と見極められるなら、本件はさっさと無罪判決が下されてしかるべきだろう。それだけ不起訴妥当性の判断が難しかったことを物語っている。

そもそも推定無罪なのだから、冤罪というなら有罪判決が確定していないとならないが、本件では最終的には無罪だ。よって冤罪とは言わない。これを冤罪というなら、なるほど推定無罪という意識が市民に浸透していないのも頷ける話だ。
2010/05/21 Fri 12:55:27
URL | YO!! #-[ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/tb.php/2062-a57cf6bb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
昨日このエントリーを書きましたが、やはり大急ぎで書くといけませんね。色々と不足してるところがあって、自分の納得いかないエントリーに...
2010/05/06(木) 00:40:28 | Afternoon Cafe
  これは今日2本めの記事です。 最新の記事(10個)のコーナーはヨコの欄に。 *印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。 28日、検察審査会が小沢一郎氏に「起訴相当」の議決を出した のだが・・・。  その審査に参加していた弁護士に...
2010/05/06(木) 13:31:34 | 日本がアブナイ!
最新の記事(10個)のコーナーはヨコの欄に。 *印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。  27日に、検察審査会が、小沢一郎氏に関して「起訴相当」の 決議を出してから、2日が立ったのだが・・・。  mew的に、ちょっと意外だった、butほ?...
2010/05/06(木) 13:35:27 | 日本がアブナイ!
民主党の看板政策(脱官僚依存・政治主導)が揺らいでいる
2010/08/07(土) 10:48:01 | 来栖宥子★午後のアダージォ
管理人の承認後に表示されます
2012/06/13(水) 00:21:58 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。