1.「毎日新聞平成18年11月20付夕刊1面」
「知りたい:移植・生殖医療 「異端」2医師の共通点 独自の道徳観、優先
<2006・チャンネルYou>
病気腎移植を重ねる愛媛県宇和島市の万波誠(まんなみまこと)医師(66)と、「祖母が孫を産む」代理出産を手掛けた長野県下諏訪町の根津八紘(ねつやひろ)医師(64)。地方を舞台に移植医療と生殖医療の最前線で働く“異端の医師”の共通点は。【大場あい、池乗有衣、永山悦子】
◇批判とリスクよそに
「私は目の前にいる患者さんを毎日、精いっぱい診ているだけですから。日本の移植医療をどうするか、死体腎(ドナー)をどうするかなんて考えたこともない」。万波氏は18日、毎日新聞の取材に対し、こう答えた。
万波氏は山口大を卒業後、70年から市立宇和島病院に勤務。腎移植を志して渡米後、77年に同病院で初めて腎移植を手がけた。04年に新設された宇和島徳洲会病院に移ったが、過去約30年間に執刀した移植手術は約600件に上るという。
その間、腎移植に熱心との評判は広まり、万波氏の「カリスマ性」を高めていった。元同僚医師は手術ぶりを「経験に裏打ちされ、正確で無駄がない。病院というより万波先生が信頼のブランドだった」と振り返る。
根津氏が院長を務める「諏訪マタニティークリニック」。不妊治療で苦労する患者の最後の「頼みの綱」とも言われる。全国から1日200人近い患者が訪れ、手掛ける体外受精は年間1200~1300例に上る。
根津氏は信州大を卒業後、医学部助手などを経て76年に開業。不妊治療に取り組み、排卵誘発剤を使った最新の治療法で妊娠した患者の喜ぶ姿に触発された。「何とかしようと続けるうち、いつの間にか不妊症の専門家になっていた」と話す。
2人は、多くの患者に頼られている点が似ている。万波氏の元同僚医師は「堅苦しいネクタイを締めず、一般の医師と違い、接しやすい人柄。何か困った時は夜中でも病院に来る。臨床医としてあるべき姿」と話す。根津医師も患者の間で「面倒見のいい医師」として知られる。
地方での人気が高い一方で、学会などからは「倫理より患者」という姿勢が厳しい批判を浴びている点も共通する。
万波氏や彼を慕う医師らは「捨てられる臓器を生かす第三の移植」として、がんなど病気のため摘出された腎臓の移植手術の意義を力説するが、移植の専門医で作る日本移植学会は疑問視する。移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだし、捨てる臓器なら移植はリスクがあるためだ。
同学会の大島伸一副理事長は「研究的要素の強い治療は学会で是非を問うべきだが、万波氏の姿は見たことがない」と述べ、同学会に所属せず、症例もほとんど公にしない万波氏の密室性に厳しい視線を注ぐ。
根津氏は98年に公表した、第三者提供の卵子を使う「非配偶者間体外受精」が日本産科婦人科学会の指針に反するとして除名された(04年に復帰)ほか、同学会の指針や厚生科学審議会生殖補助医療部会の報告書に反して代理出産を続けている。大西雄太郎・長野県医師会長は「一医師の道徳観だけで進める生殖医療は危険だ」と話すが、根津氏は「倫理観は時代によって変わる」と意に介さない。
「倫理より患者」の論理を食い止める法整備は遅れたままだ。民間シンクタンク・科学技術文明研究所の島(ぬでしま)次郎主任研究員は「日本では、何か問題が表面化した時、その場限りの対策を考えるにとどまってきた。今こそ公的なルールを築くことにエネルギーをかけるべきだ」と指摘する。
毎日新聞 2006年11月20日 東京夕刊」
2.この記事では、万波氏は、過去約30年間に執刀した移植手術は約600件に上り、「経験に裏打ちされ、正確で無駄がない」という技量を誇る医師であり、他方、根津氏は、全国から1日200人近い患者が訪れ、手掛ける体外受精は年間1200~1300例に上るほど信頼されている医師であるとして、
として、公平に紹介しているようにも見えます。「2人は、多くの患者に頼られている点が似ている。……地方での人気が高い一方で、学会などからは「倫理より患者」という姿勢が厳しい批判を浴びている点も共通する。」
しかし、毎日新聞は、「独自の道徳観を優先」とする表題を掲げて、結論として
としているのですから、2医師は「独自の道徳観・倫理観」であるとしてその行動を非難しているのです。では、毎日新聞が「異端」とする、この2医師の「独自の道徳観」は許されないのでしょうか?「『倫理より患者』の論理を食い止める法整備は遅れたままだ。」
(1) 道徳や倫理(社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のこと)は、社会生活を円滑に営む上で必要とされることは確かでしょう。ですから、一般論として、毎日新聞の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者が、道徳や倫理を説くこと自体はおかしなこととは思いません。
しかし、大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、この2医師のように「独自の道徳観」で行動することは許されないとして、「患者より倫理」を優先すべきとして道徳や倫理に基づく法規制を求めるのです。これでは、道徳や倫理を法的に強制することになってしまいますが、道徳や倫理を法的に強制することは、思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するものとして許されないはずです。
(2) 教育基本法改正案の審議において、改正案が教育の目標として20に及ぶ徳目(道徳をあれこれの徳目として列挙すること)を掲げていることから、徳目を法的に強制することにつながり、徳目の強制は思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するという批判がなされています。愛国心教育も、同じく心の問題を強制するのですから、やはり思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するという批判があることは周知のことと思います。
そうすると、毎日新聞は、他の多くの新聞社と同様に、教育基本法での愛国心の強制、日の丸・君が代訴訟において、政府や東京都の対応を憲法19条違反であるとして批判しているのに、2医師に対する憲法19条違反は許されると考えるのは、論理的に矛盾しています。
大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、教育基本法改正案で愛国心・徳目強制も憲法上許されると考えているのでしょうか? 教育基本法改正案に対する自社の対応と矛盾することに気づかないのでしょうか? こういうところにも、新聞社が教育基本法改正案の問題点を十分に理解していない、憲法を十分に理解していないことに気づかされます。
3.この記事では、万波氏を批判する意見を幾つか載せています。
(1) しかし、どんな批判であっても、
というように、絶望的な状況にあることを考えると、どれほど批判できるでしょうか?「透析患者を見ていて、機械につながれ生きている本当につらい生活だと感じた。長いこと透析していると仕事もままならない。へき地に住んでいると、雪など天候で来られなくなる。……
今、日本では、ドナーからの腎提供がない状態で、患者が移植を希望しても絶望的。腎臓を得るまで十五年とも二十年ともいわれ、登録してもしょうがないと登録しない人も多い。登録している何倍もの人が移植を希望しているのが現状。」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…
(2) 批判の1つ目として、まず、
を挙げています。「万波氏や彼を慕う医師らは「捨てられる臓器を生かす第三の移植」として、がんなど病気のため摘出された腎臓の移植手術の意義を力説するが、移植の専門医で作る日本移植学会は疑問視する。移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだし、捨てる臓器なら移植はリスクがあるためだ。」
このような移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだという批判に対しては、
という反論があります。臓器を摘出される患者が十分に説明を受けた上で摘出を同意をしているのであれば、自己決定権(憲法13条)を行使した結果ですから、有効な反論であり、(同意があっても使える臓器を摘出することは好ましくないとしても)法的に非難するわけにはいかないでしょう。「 泌尿器科の医者をしていると、腎臓を摘出しなくてはならない患者がいる。今までは捨てていたが、使える可能性がある腎臓があることに気付いた。もちろん、修復して使える場合、元の患者に返すのが大前提。だが、がんの腎臓などで再発率がほとんどなくても家族をがんで亡くした人など、摘出してほしいと望む患者がいる。
腫瘍(しゅよう)が四センチ以下だと再発の可能性が非常に低い。そのような場合で、摘出を強く希望する人に「使える可能性があるが、透析する人に使っていいか」と聞くと、ほとんどの人に「どうぞ」と言われた。」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…)
(3) 次に、
というように、学会で是非を問うべきで、密室的であると非難する批判に対しては、「同学会の大島伸一副理事長は「研究的要素の強い治療は学会で是非を問うべきだが、万波氏の姿は見たことがない」と述べ、同学会に所属せず、症例もほとんど公にしない万波氏の密室性に厳しい視線を注ぐ。」
との反論があります。研究発表のネタとされることは患者として苦痛であり、学会で発表しなかったからといって、密室的と批判することはためにする批判であるように思います。患者側としては、学会での発表を優先するよりも、治療を優先して欲しいと思うはずですから、患者の意見を尊重しない批判のようにも思えます。「がんだった腎を移植した後に長期生着をした人が何人も出てきたら、学会で発表しなくてはと思っていた。病気腎の問題でこれだけ学会などから非難されているので、学会などで指針が出るまでは、やることはできない。それに、病気腎の移植はそう頻繁にない。」 (東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…)
もう1つ反論を挙げておきます。
「「たとえがんになっても、数年でも精いっぱい生きたい」。林さんの決意に、妻は反対しなかった。
林さんは「病気腎移植を受けるかどうかは患者の選択。医学的な検証やルール作りは必要だが、病気腎移植の可能性を閉ざさないでほしい」と訴える。
南宇和郡の女性(48)は十四年前に姉の腎臓を移植したが拒絶反応が出て三年前から透析に戻った。シャントがうまくいかず三年で三個目。それも血管が腫れ上がり次の場所を探さなくてはならない。「透析の針を刺すところもなくなる。左手の次は右、そして足。機械に生かされながら、あと何年生きられるのだろう」
だが、親族からの移植はもう望まないという。一度目の移植の時、臓器提供を申し出た夫の親族から強く非難された。「その人がいいと言ってもその連れ合いや親族が反対する。人間関係のどろどろが見えてしまう本当に嫌な病気」。透析で何年生きられるか不安で、親族が亡くなった時に「ドナー登録していてくれれば、と思う自分がたまらない」と声を落とす。
結婚した娘が次のドナーを申し出るが、娘の家族のことを考えるとできない。
「万波先生が病気腎の方が気持ちが楽と言った気持ちが分かる。親族間だから難しいということもある」」(東京新聞11月15日付朝刊「こちら特報部」:地元『現代の赤ひげ』 苦境・万波医師の評判は…)
透析患者は、今の絶望的な状況を脱却したいからこそ同意するのであり、万波氏はその絶望的な現状を知っているからこそ、病気腎移植を行うのです。患者側は蜘蛛の糸にすがる思いで同意するのであり、万波氏も研究のためとか、人体実験をしたいからでもないのです。万波氏も、病気腎移植ばかりやっているのではなく、その症例は少ないのです。
(追記:テレビ出演した医師のコメントによると、腎がんのあった臓器の移植はさすがに問題だが、それ以外の尿管狭窄、腎動脈瘤、良性腫瘍、ネフローゼがあった腎臓を移植しても、腎臓を受け取る患者の側は問題はなく、むしろそういう臓器を取る患者側に対して問題があるそうです。)
親族間の移植を行うと、親族関係がおかしくなってしまうような現状があることを考えると、移植すべき腎臓が足りないという現状をも合わせて考慮するならば、親族間の移植と比べれば病気腎の方が好ましいとさえいえるのです。こういった現状を無視したような万波氏批判はどれほどの説得力があるというのでしょうか?
法的には、病気腎移植を受けるかどうかは患者の選択の自由、すなわち、自己決定権(憲法13条)の問題であり、透析患者の絶望的な状況と比較すれば、病気腎移植でもよいという判断を行うことは合理的な判断といえます。
そうだとすると、病気腎移植を受ける患者に対する関係では、患者の同意は合理性のある判断であり、憲法上、万波氏の行動はまったく問題がないのです。
このように病気腎移植を行わざるを得ない実情、憲法上問題のない行動に対して、道徳や倫理で非難を加え、道徳や倫理に基づいて法的に禁止しようとすることを提言することは、妥当でないと考えます。
4.規範意識の欠如が問題となっている現代において、新聞社が道徳や倫理を説くことことで、規範意識を回復することにもつながる可能性もあるのですから、あながち不当な報道とはいえません。
しかし、報道機関の本分は、事実の報道であって、具体的な事実の積み重ねを行うことで、国民に多様な価値観を提示し、国民の室権利に奉仕する機関であるからこそ、報道の自由が憲法上、表現の自由(憲法21条)の1つとして保障されているのです(博多駅TVフィルム提出目命令事件判決:最高裁昭和44年11月26日大法廷決定)。
毎日新聞社の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者が、万波氏や根津氏の行動を「独自の道徳観」であるとして、法的規制を求めることは、道徳観を強制することを国家に要請するものであって、国民の多様な価値観の制約を自ら要求するのですから、国民に多様な価値観を提示する報道機関として自殺行為と思えるのです。
道徳や倫理を振りかざして他人を批判することは容易いことです。道徳や倫理自体、時代や地域・国によって異なるものですから、今の日本の道徳はこういうものだと言われたら、怯まざるを得ないからです。
しかし、万波氏や根津氏は、医療契約に基づく診療義務を履行しているのであり、患者側には自己決定権に基づいてその医療行為を同意しているのです。ですから、その行為を法的に規制することを説くには、医療契約や自己決定権を規制できるほどの要素を掲げる必要があるのです。道徳や倫理といった極めて曖昧な価値観では、医療契約や自己決定権を規制できるほどの要素とはいえないのです。
毎日新聞社の大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、報道機関のあるべき態度を見つめなおし、万波氏や根津氏の行動に潜む憲法上の問題や医療現場の実情をよく調べたうえで記事を書いてほしいと思います。大場あい記者、池乗有衣記者、永山悦子記者は、記者として勉強不足であり、そういった記事を許可した毎日新聞社にも猛省を求めます。
<11月26日追記>
「東京新聞のHP」の記事ですが、患者に対する同意(手続)についての続報です。
「手続き面では「問題なし」 病気腎移植で徳洲会病院
宇和島徳洲会病院の万波誠医師を中心にした病気腎移植問題で、同病院の貞島博通院長は25日、臓器を提供した患者と移植を受けた患者からの聞き取りなどを基に「(説明と同意などの手続き面では)ほとんど問題なかったと判断した」との見解を明らかにした。
東京都内で同日開いた、外部委員を交えた2回目の調査委員会で報告後、報道陣に説明した。
判断の根拠について院長は明らかにしなかったが、詳細は26日に発表するとしている。
貞島院長によると、同病院で実施された計11件の病気腎移植(うち1件は1人が複数回提供)のうち、同病院で腎臓を摘出した5人と、移植手術を受けた10人を対象に、患者の納得が得られていたかどうかについて、弁護士と病院関係者が聞き取り調査を実施した。
その結果、患者1人が「摘出については説明されたが移植に使われることは聞いていない」と答えたが、「大まかに言えば、ほとんど問題ない」と判断したとしている。
ほかの病院で腎臓を摘出された残り5人の患者については、それぞれの病院の調査に判断を委ねるという。
貞島院長は「提供された腎臓が医学的に摘出する必要があったのか、移植するのが妥当だったのかは、今後専門委員会で検討する」と話した。
(共同)
(2006年11月25日 19時50分)」
要するに、宇和島徳洲会病院で実施された計11件の病気腎移植のうち、同病院で腎臓を摘出した5人と、移植手術を受けた10人を対象にして、患者の納得が得られていたかどうかについて聞き取り調査をしたそうです。
そうしたら、臓器を提供した患者と移植を受けた患者の両方に対して、納得できるだけの説明と同意を行っていたため、「(説明と同意などの手続き面では)ほとんど問題なかったと判断した」そうです。こうなると、法律面としては問題がなかったと判断されることになります。もちろん、宇和島徳洲会病院自体の判断ですから、割り引いて判断することになるとしても。
なので、医療手続としては問題視することは困難で、万波氏の行為は犯罪行為と評価することは困難です。しかし、TBをして頂いたブログの医師の方は、犯罪と考えているようです。
「人工透析をしている人には一瞬神様に見えるかもしれないが、1年後に癌で死ぬことになるかもしれないのに、そんな話を患者さんが聞いて納得しているとは到底思えない。インフォームドコンセント(患者説明、同意)を本当に得られているのであろうか?
ぜひちゃんと捜査して、事件の解明をし、病気腎を移植しなくてもいいように、このような被害者が出ないように、移植の制度の整備を急いで欲しい。」(「自律神経免疫療法(刺絡療法、爪もみ)で癌と闘う(若葉クリニック)」さんの「腎臓移植について」(2006-11-25 12:19:47)
警察による捜査を求めているようですが、是非が微妙な問題なので、警察が積極的な介入を行うことは適切なことであるとは思えません。医療過誤一般について、多くの医師は警察の介入を好ましくないと思っているようですから、この問題についても警察の介入は好ましくないと思うはずです。しかし、この医師の方は多くの医師と異なり警察介入を好ましいと思うのでしょうか?
この問題についてだけ、警察介入を求めるという趣旨かもしれませんが、公平性の観点から、警察介入を求めるとこの問題に限らず、移植医療一般について警察介入がなされる切っ掛けになりかねません。それでも、警察介入を望むというのであれば、そういう考えもまた1つの考えとして尊重に値しますが。
もう1つ。
と断じています。しかし、患者の側の意見としては、様々でしょう。私なら納得しますが、納得できないという方もいるはずです。医師の立場であってもそれぞれによるはずです。やはり患者の自己決定に委ねられた問題で、「納得するはずがない」なんて一方的な決め付けはできないと思います。「人工透析をしている人には一瞬神様に見えるかもしれないが、1年後に癌で死ぬことになるかもしれないのに、そんな話を患者さんが聞いて納得しているとは到底思えない。」
私は医学や憲法などの知識は無いに等しく、全くの無知なのですが……
それ故、代理出産や病腎移植を行う医師たちが、異端なのか正しいのかなどはわかりません。
よって、毎日新聞の報道が間違ったものなのか、私自身には判断できません。
しかし医師らが患者たちに慕われ、確かな実績をあげているというのは、事実のようです。
法律論や医学論のように、しっかりした根拠を持っては語れませんが、2人の医師は多く患者たちの命を助けたり、病気を治しているわけで……
私は医者の仕事は、金儲けでも名声を得ることでもなく、ただ「患者と向き合う」ことだと思っています。
きちんと患者に向き合い、患者を救うために頑張る医者たちの姿は、人間として純粋に尊敬します。
倫理や道徳といった論点も結構ですが、「医師として、彼らはどうなのか」といった論点も必要かと思いました。
無論、彼らが人命を踏みにじったなどという問題があれば、「道徳、倫理」という言葉が生きてくるのでしょうが。
しかしこの場合、やはり適当な書き方とは言えず、憲法や医学方面の勉強不足と言われても仕方ないと思います。
長文、失礼致しました。
URL | 鞍縞 #-[ 編集 ]
私が代理出産に関心を持ったのは、数年前の根津医師に対するマスコミの強烈なバッシングに矛盾を感じたことが契機でした。
最初は「試験管で人を製造するなんて」程度の阿呆な感覚でしたが、根津医師の主張を読んで報道は真実を伝えていないことに気付きました。
昔、発表当時「気味の悪いこと」と非難されたという減胎手術も今となっては認める方針となっています。
産科婦人科学会を除名された原因となった非配偶者間体外受精も、棚上げ状態の矛盾だらけの2003年の法案ですら認めています。
こうした問題を直視せずに放置する学会や司法・行政・立法の不作為と、ゴシップに明け暮れるマスコミの姿勢こそ糾弾されるべきと思います。
「医は人術」であり仁術であって欲しいし、それと真剣に向き合えば必然的に医療の進歩に繋がると思います。
毎日新聞の論調には大きな問題を感じますが、今回の万波医師の件も確かに根津医師の場合と似た展開に発展するのだろうと思っています。
特に、両者に共通の問題点として、日本人のボランティアに対する理解や問題意識の浅さと社会基盤の問題があると思います。
>道徳や倫理を振りかざして他人を批判することは容易
そうなんです、それが憲法に保障された思想良心の自由の侵害に抵触することに気付いていない人が、余りに多いように思います。
そればかりか、代理出産は胎児の人格を蹂躙していると言う人までいまして。
代理母は真実の母で無いので胎児が混乱する、胎児にとって良くない環境だ、胎児にも人格があるのだ、親のエゴを押し付けるなというのです。
確かに、代理出産を胎児は選択できないと言う主張は、将来問題を生じる可能性があります。
しかし、それは、道徳や倫理を振りかざす人達こそが、社会の中で差別意識を醸造するからではないでしょうか?
春霞様はどうお考えになりますか?
勿論、私は人工妊娠中絶賛同者でもパーソン論信奉者でもフェミニズム信奉者でもありませんし、マザー・テレサの主張には頷きます。
しかし、道徳や倫理を振りかざして他人を批判したり、法規制を求める主張には異議を唱えますし、無責任な偽善を感じずに居られません。
医療に限った話ではありませんが、重要な事は今医療現場で実際に起こっている問題に真摯に向き合って、常に改善策を官民一体となって模索し続ける事と思います。
URL | Canon #-[ 編集 ]
>私は医者の仕事は、金儲けでも名声を得ることでもなく、ただ「患者と
>向き合う」ことだと思っています。
>倫理や道徳といった論点も結構ですが、「医師として、彼らはどうなのか」
>といった論点も必要かと思いました。
医師の本分は、患者の病気を治すため、精一杯治療すること、「患者と向き合う」ことなのでしょう。
だから、病腎移植も、「多くの患者を慢性透析の苦痛から開放する新しい道を開いた」かどうか、そこが肝心なことかと思います。「医師としての本分を尽くしたのかどうか」です。
病腎移植の是非についての倫理観は、かなり難しいです。医師が書いているブログ「徒然なるままに」さんが、広島大学医学部名誉教授・難波紘二先生(血液病理学専門)の論説を引用しています。これは、11月14日(火)中国新聞33面において、「病気腎移植は生命倫理に反するか」と題した論説です。一部引用します。
http://blog.m3.com/turedure/20061115/1
「本当に、この「病腎移植」は生命倫理に違反しているのだろうか。……
「ガンのあった臓器を移植したら、ガンが移るのではないか」というのが、素朴な疑問だろう。しかし、ガンは伝染病ではない。遺伝子病だ。
だから、仮にガンそのものを他人に移植しても移植は成功しない。私の病理学的予測では、強力な免疫抑制剤サイクロスポリンを使用していても、レシピエントに移植腎に由来するガンの再発や転移はないはずである。……
病気の臓器を移植に用いた例は、肝臓にはいくつもある。特に遺伝子病で起こる「アミロイドーシス肝」などは、本人には有害無益の存在だが、この遺伝子をもたない人に移植すれば、自然に元の健康な肝臓に戻る。いわゆる「ドミノ移植」がこれだ。
腎臓の場合も、動脈瘤や結石症は患者の代謝異常や生活習慣に起因している。その素因や生活習慣のないレシピエントに移植してやれば、肝臓と同様に正常に機能するようになる。……
偶然の機会から生まれる、思いがけない大発見を「セレンディビティ」という。臨床検査体制が完全に管理され、検査ミスが起こらないような高次機能病院では、こういう「大発見」は起こらない。
病腎移植は、ゴミ箱行きになるしかなかった腎臓を活かして使い、多くの患者を慢性透析の苦痛と煩わしさから開放する新しい道を開いた、と私は考える。これは健康腎の摘出による「生体腎移植」ではなく、「臓器移植法」などの現行法規に触れる点はまったくない。
医師と腎摘出される患者の間にインフォームド・コンセントがあり、医師とその腎臓を移植されるレシピエントの間に同様の同意がある限り、「病腎移植」の医療行為に生命倫理、医療倫理に反するものは何も無いというべきだろう。」
道徳倫理を論点としたとしても、医師という専門家にとって、病腎移植に対する医学的な倫理観は微妙なようです。道徳や倫理で物事を解決することは難しいですね。
個人的には、「セレンディビティ」の芽を摘んでしまうようなことは好ましくないと思います。
>この記事は、またかと思って捨て置いたのですが、春霞様の明快な論説
>に促されてやっと全文を読みました。
道徳倫理は個々人の主観で言い切ることができるので、「道徳倫理に反する」と言い易いです。しかし、報道機関が道徳倫理を強調し、それを根拠に法的規制を要求するとなると、あまりに問題です。夕刊ですが、1面トップで「独特の道徳観優先」という見出しを大書きしていたので、取り上げることにしました。
>春霞様はどうお考えになりますか?
ということですので、代理出産反対論に対して逐一反論しておくことにします。
>代理母は真実の母で無いので胎児が混乱する
真実の母と偽者の母の区別なんてあるのか疑問です。生みの親、育ての親という言い方がありますが、親であることには変わりません。
代理出産は、一般的な出産とは異なることは確かですが、「異なっていても親子であること」を親は子どもに丁寧に説明してあげればよいのです。言い換えると、物事を丁寧に説明してあげられる(と努力する)人が、代理出産を選択すればよいのです。
混乱するかもしれないと恐れて、説明する努力ができない、言わば、未熟な精神状態をよしとする人なら、代理出産を選ばなければ良いだけであって、人格の完成を目指し、きちんと説明できる(と努力する)人に対しても、代理出産禁止することは、おかしなことだと思います。
>胎児にとって良くない環境だ
代理母が胎児をきちんと育てれば、良い環境で育てたといえます。環境の良し悪しは、判断が困難で主観的な問題のように思えます。
>胎児にも人格があるのだ
胎児も人の萌芽として尊重に値します。代理出産は、胎児の育成・出産を他人に代わってもらうだけですから、通常、胎児を実験材料にするのではなく、人身売買の意図で行うのではないので、人の萌芽としての尊重を損なうものではありません。
なお、法律論としては、人格の形成は出生後になされることを予定していますから、胎児一般に人と同等の人格があるのか、疑問に思います。
人格の点は、パーソン論と関係する問題ですから、「胎児に人格がある」ことを前提とする理由は、理由として微妙に思います。
>親のエゴを押し付けるな
自分の子どもを残したい、配偶者との子どもを残したいと思うことは、人としての愛情の発露であり、本能です。人間だけでなく、生物が子孫を残すことは根源的な本能といえると思います。代理出産も、愛情の発露や本能を達成するための一方法です。
代理出産は、ある意味エゴなのでしょう。しかし、このエゴは子孫を残すという愛情の発露や本能に基づくのですから、人として生物として「許されるエゴ」といえると思います。
もっとも、エゴというのは感情論ですから、代理出産を制約する論拠になりえないと思いますが。
>代理出産を胎児は選択できない
代理出産どころか、元々、子どもは親自体を選ぶことができないのです。親さえ選べないのですから、代理出産を選べないのは当然であって(「大は小をかねる」という論理です)、不合理なことではありません。
肝心なのは、生まれた後の養育です。子どもにとっては、仕方なく子を産んだ家よりも、代理出産という手段をとってまで心から子を望んだ家で養育される方が好ましいのです。産むことも大変ですが、育て方で子どもの一生を変えてしまうので、産むことよりも育てる方がずっと大変で責任重大なことなのですから。
>道徳や倫理を振りかざす人達こそが、社会の中で差別意識を醸造する
>からではないでしょうか?
仰るとおりだと思います。道徳や倫理は時代や地域によって異なり、普遍的な道徳倫理というものはありません。現在の日本では、憲法13条により、多様な価値観を保障しているのですから、「代理出産は道徳や倫理に反する」と強調することは、個人の価値観の押し付けにつながり、憲法13条の趣旨と合致しませんし、倫理を名目とした差別をもたらしかねないのです。
>道徳や倫理を振りかざして他人を批判したり、法規制を求める主張には
>異議を唱えますし、無責任な偽善を感じずに居られません。
仰るとおりです。
先端医療に対する感覚的な違和感は、理解できます。生命に関わるのによく分からない世界なのですから。
ですが、新しい問題について、道徳や倫理という不明確な抽象論で規制を求めるのではなく、実情を調べた上で具体論で議論すべきです。
>私は人工妊娠中絶賛同者でもパーソン論信奉者でもフェミニズム信奉者
>でもありません
パーソン論もご存知でしたか。Canonさんは色々と詳しいですね。私はどうも法律論を中心として、そこから広げて考えていく感じになっていますが(汗)。
>医療に限った話ではありませんが、重要な事は今医療現場で実際に起こって
>いる問題に真摯に向き合って、常に改善策を官民一体となって模索し続ける
そうですね。実情を調べた上で対応してほしいです。……とはいえ。実情を無視する、実情を知っても適切な改善策をとらない、なんてことを繰り返しているのが日本の官僚や政治ですし、大勢に流されやすい国民性ですから。なかなか真っ当な意見が通らないですね。
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