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2010/01/04 [Mon] 23:58:52 » E d i t
正月(年の初めを祝う行事が行われる期間)の意味やしきたりについて、皆さんはどれほど知っているでしょうか? 毎日新聞が記事にしていましたので、紹介したいと思います。



1.毎日新聞平成22年1月3日付東京朝刊11面

お正月:意味、知ってる?

 ◇健康、豊作神様に感謝 授かった力で今年もがんばろう

 お正月、どんなふうに過ごしていますか。お年玉はうれしいけど「おこづかいとどう違うの?」と思う子もいるかもしれませんね。お正月の意味やしきたりを親子で話してみませんか。【大和田香織】

 ●お正月と初詣で

 全国の神社のまとめ役、神社本庁(ほんちょう)(東京都渋谷区)の広報センター、石井裕子(ゆうこ)さんによると「一般の人の初(はつ)詣(もう)では、昭和の時代になって広まった風習。お正月は、自宅で年神(としがみ)様をお迎えするのが基本」なのだそうです。年神様とは、豊作の神様であり、ご先祖様のことです。「ふだんは山にいて、皆さんの健康や農作物の実りを見守っていますが、1年の変わり目に山から下りてきます。お正月は、その神様を迎え、新しい魂(たましい)、力を分けてもらう節目です」

 一方、初詣では、ふだん暮らしている地域の守り神、氏神(うじがみ)様へ新年のあいさつに行くこと。商売繁盛(はんじょう)、合格祈願(きがん)、縁結びなど、それぞれ得意分野を持つ有名な神社が各地にありますが、石井さんは「まずは地元の神様へ。お寺でも同じです」と勧めています。

 初詣でに行って「新しいゲームが欲しい」と祈ってきた子もいるのでは? それだけでは神様もあまり真剣に聞いてくれないそうです。まず、最初に、これまで平和に暮らせたことへの感謝、次に今年も平和に元気で過ごせるよう見守ってくださいと祈り、最後に自分の願いを伝えるといいようです。

 お参りの方法にも決まりがあります。鳥居(とりい)のところで軽くおじぎしたら、手水(ちょうず)で手と口を清める。鈴を振っておさい銭を奉納した後、2度お辞儀して2度拍手、最後にもう一度お辞儀をする「二拝二拍手一拝」が基本です。「混雑していて手水を素通りする人を見ますが、一番大切なので忘れずに」と石井さんは話しています。

 ●七草と鏡開き

 7日は「七草(ななくさ)がゆ」。セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)の7種の野草を朝、おかゆにして食べます。それぞれの名前を当てられるかな?

 伝統文化を学ぶ本や催しなどをてがける「こどもの感性研究所」(東京都中野区)の石田繁美(しげみ)さんは「七草の種類は、時代や地域によっても違う」といいます。昔の中国のカレンダーで季節の変わり目に健康や安全を願って行事を行う「節句(せっく)」のほか、1月15日にヒエ、アワなどの穀(こく)類を7種集めておかゆにし、健康や豊作を願う日本古来の風習があり、この二つが結びついたと考えられています。江戸時代に、重要な行事を行う日として幕府が「五節句」を定め、1月7日の「人日(じんじつ)」の節句に七草がゆを食べる形が広まりました。

 11日、お供えした鏡(かがみ)餅を下げて汁粉などを作って食べるのが「鏡開き」。もともとは1月20日に行われていた行事で、食べるときは刃物を使わず手や木づちで割り、「切る」と言わず縁起よく「開く」と言います。飾り方はさまざまですが、江戸時代の浮世絵に描かれた鏡餅にはいまと同じ、ウラジロ、ユズリハの葉などが見られます。「お供えした鏡餅を食べることは、神様と一体感を得る意味があるとの考え方があり、七草がゆは家族の健康や幸せを祈る行事でもあります。行事に込められてきた願いを感じながら、家族で行うのもいいですね」と石田さんは話しています。

 ●お年玉とマナー

 もう分かったと思いますが、お年玉も神様と関係があります。マナーデザイナーの岩下宣子(のりこ)さんは「年神様から授かった力を、家族の中で年上の人から年下の人に分ける意味がありました」。目上から目下に分ける物なので、自分より年上の人や、身分が上の人にあげるものを「お年玉」と呼ぶのは失礼になります。その場合は封筒に「年賀」と書きます。

 お年玉はもともと、お餅だったといいます。絵本やえとにちなんだ虎の置物など、お金以外の品を贈ってもいいそうです。子どもはお返しする必要はありませんが、いただいたら必ずお礼を言いましょう。岩下さんによると、ちょうど良い金額はお小遣いの1カ月分です。でも、たくさんいただいて家の人が気になる場合は、「年賀」としてお菓子などをお返しに送る方法もあります。岩下さんは「お年玉をもらったら、子どもは必ず家の人に話してください。そうしないと、お年玉をくれた人にお父さんやお母さんがお礼を言えません。とても恥ずかしいことです」と話しています。

 岩下さんは「お年玉と同じ意味合いで、歯ブラシや下着なども新品に替えてみては」と提案しています。年神様から授かった新たな力を身近に感じ、今年もがんばろうという気持ちになれるかもしれませんね。

【関連記事】
七草:ハウス内で栽培 収穫作業がピーク--土庄・小豆島農園 /香川
新春七草がゆの集い:無病息災を願い--板橋で来月7日 /東京

毎日新聞 2010年1月3日 東京朝刊




2.この記事では、年の初めの行事のうち、初詣、七草、鏡開き、お年玉、について触れていましたので、その点のみについて、別の解説も引用して触れていきたいと思います。

(1) 初詣について

●お正月と初詣で

 全国の神社のまとめ役、神社本庁(ほんちょう)(東京都渋谷区)の広報センター、石井裕子(ゆうこ)さんによると「一般の人の初(はつ)詣(もう)では、昭和の時代になって広まった風習。お正月は、自宅で年神(としがみ)様をお迎えするのが基本」なのだそうです。年神様とは、豊作の神様であり、ご先祖様のことです。「ふだんは山にいて、皆さんの健康や農作物の実りを見守っていますが、1年の変わり目に山から下りてきます。お正月は、その神様を迎え、新しい魂(たましい)、力を分けてもらう節目です」
 一方、初詣では、ふだん暮らしている地域の守り神、氏神(うじがみ)様へ新年のあいさつに行くこと。商売繁盛(はんじょう)、合格祈願(きがん)、縁結びなど、それぞれ得意分野を持つ有名な神社が各地にありますが、石井さんは「まずは地元の神様へ。お寺でも同じです」と勧めています。
 初詣でに行って「新しいゲームが欲しい」と祈ってきた子もいるのでは? それだけでは神様もあまり真剣に聞いてくれないそうです。まず、最初に、これまで平和に暮らせたことへの感謝、次に今年も平和に元気で過ごせるよう見守ってくださいと祈り、最後に自分の願いを伝えるといいようです。」(毎日新聞)



 イ 神奈川県神社庁 神社Q&A

なぜ初詣(はつもうで)をするの?

 最近では正月三が日の休業という古来の伝統が破られました。若者が町に出るようになって、大人たちもこれに習ったためです。わざわざ年頭の三日間を休みにするのには意味がありました。神や祖先を迎え、おもてなしをするためなのです。そのためには厳重な忌(い)み籠(ごも)りが必要でした。そのお籠(こも)りの日が大晦日(おおみそか)で、この日に一夜飾(いちやかざ)りをしないのにはそうした理由があったわけです。
 三がにち日が過ぎると人々は初詣に出かけました。それは江戸時代に起こった〈恵方(えほう)参り〉に始まったと言われます。その年の最も良い方角にある神社・仏閣にお参りすれば一年間が幸運に満たされると信じたところから出ています。今日では大晦日から元日にかけて参るのを一般としますが、これは江戸以降に始まり定着した形なのでした。」



 ロ 「初詣は氏神さまから」(宗教法人東京都神社庁)

初詣は氏神さまから

 初詣の歴史と意義 ――初詣は、氏神さまか、その年の恵方にあたる神社にあたる神社にお参りするのが一般的です

 年が明けて、初めて社寺にお参りすることを初詣といいます。神さまに新年のご挨拶を申し上げ、今年一年間の無事と平安を祈願します。
 そもそも初詣は、大晦日の夜から元旦の朝にかけて祈願のために氏神の社に籠る「年籠り(としごもり)」から始まったといわれています。のちに年籠りは、除夜詣と元旦詣に分かれ、現在の初詣の形ができました。
 初詣は、氏神さまか、その年の恵方(えほう)にあたる神社にお参りするのが一般的です。恵方とは、その年の福徳をつかさどる神さまである歳徳神(としとくじん)がおられる吉方位で、恵方の神社に初詣することを、特に「恵方参り」といいます。恵方は干支によって毎年異なり、平成22年は庚の方(かのえのかた)、西南西の方角になります。
 最近では、各地の有名な神社へ初詣をする人たちも増えてきました。明治神宮(東京)、鶴岡八幡宮(鎌倉)、熱田神宮(愛知)、伊勢神宮(三重)、平安神宮(京都)などでは、午前0時の年明け前から多くの人でにぎわいます。また、特有のご神徳で名高い神社にお参りする方も多く、酒造繁栄の松尾大社(京都)、学芸上達の北野天満宮(京都)なども初詣の神社として、人気を集めています。

氏神さまについて ――氏神さまは、それぞれの地域に密着した大事な守り神です

 日本人は、初詣をはじめ、ことあるごとに氏神さまにお参りをしてきました。
 古い時代、氏神さまとは血縁関係にある氏族が共通におまつりする神さまのことで、その氏族の祖先神であったり、氏族にかかわりの深い神さまであったりしました。
 祖先神としては、中臣氏(なかとみし)が天児屋命(あめのこやねのみこと)を、忌部氏(いんべし)が天布刀玉命(あめのふとたまのみこと)をおまつりしています。祖先神以外では、物部氏(もののべし)が神剣に象徴される布都御魂(ふつのみたま)を、さらに奈良時代になると、藤原氏が鹿島や香取、春日の神さまなどを、氏神さまとして信仰するようになりました。
 時代が下ると、その地域の土地をお守りする産土神(うぶすながみ)や鎮守(ちんじゅ)さまとのはっきりした区別がなくなり、これらの神さまを合わせて氏神さまとしておまつりすることが多くなっています。
 氏神さまに対し、その氏神さまを信仰している人々を氏子(うじこ)といいます。氏子は人生儀礼などの際に氏神さまをお参りし、健やかで幸せに暮らせるよう祈願します。
 古い時代の氏子とは、血縁関係にある一族のことを指していましたが、その氏族の土地に暮らし、氏族と一体となって暮らしを営んでいる人々も含めて氏子と称するようになりました。現在ではさらに広義にとらえ、その氏神さまの周辺の地域に居住している人々や、お祭りなどの儀礼に参加する人たち全体を氏子と呼んでいます。」



 ハ 「初詣で(はつもうで)」( [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館)] )

初詣で(はつもうで)

 新年最初に神仏に参詣(さんけい)すること。大晦日(おおみそか)の晩から元日にかけては、村の氏神にこもって起き明かすものであったが、前半は除夜の鐘を聞き、後半は初詣でと、二つを別々の行事に分けたのであろう。恵方(えほう)参りともいって、その年の明きの方(恵方)にある社寺に参詣する例も多く、そこで初日の出を拝む人もある。初詣での済むまでは、途中で人に会ってもことばを交わすものでないといった。現代は社寺や電鉄会社の宣伝も盛んで、有名な社寺に人が集中する傾向がある。社寺では護符(ごふ)、破魔矢(はまや)、だるまなどを準備している。別に、生児の30日目前後の初宮参りのことを初詣でとよぶこともある。

[ 執筆者:井之口章次 ]

<参考文献>
1.民俗学研究所編『年中行事図説』(1975・岩崎美術社)
2.西角井正慶編『年中行事辞典』(1958・東京堂出版)
3.鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(1977・角川書店)」



初詣とは、新年最初に神仏に参詣(さんけい)することですが、本来、「お正月は、自宅で年神(としがみ)様をお迎えするのが基本」で、正月三が日を過ぎてからお参りに出かけたものであったわけです。しかも、そうしたお参りも、「江戸時代に起こった〈恵方(えほう)参り〉に始まった」ものであって、「一般の人の初詣は、昭和の時代になって広まった風習」にすぎず、古来から伝統のある風習ではなかったのです。

「現代は社寺や電鉄会社の宣伝も盛ん」であり、そうした宣伝に影響されてしまった市民が有名な社寺に人が集中して参拝してしまっているのです。現に、毎日新聞平成22年1月3日付記事の写真につけた説明によると、東京・明治神宮の参拝者は、1952(昭和27)年では元日に30万人でしたが、前回の寅年(1998(平成10)年)に三が日で344万人が詰め掛けた状態に変わりました。こうした人数の変化は、「一般の人の初詣は、昭和の時代になって広まった風習」ということの証左といえるでしょう。

「初詣では、ふだん暮らしている地域の守り神、氏神(うじがみ)様へ新年のあいさつに行くこと」が基本であるのに、御利益目当てで初詣に行くということになってしまい、地元の氏神様に対して「最初に、これまで平和に暮らせたことへの感謝、次に今年も平和に元気で過ごせるよう見守ってください」と祈るという、元々の意義は忘れ去られているのが現状であるといえるのかもしれません。



(2) 七草について

●七草と鏡開き

 7日は「七草(ななくさ)がゆ」。セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)の7種の野草を朝、おかゆにして食べます。それぞれの名前を当てられるかな?
 伝統文化を学ぶ本や催しなどをてがける「こどもの感性研究所」(東京都中野区)の石田繁美(しげみ)さんは「七草の種類は、時代や地域によっても違う」といいます。昔の中国のカレンダーで季節の変わり目に健康や安全を願って行事を行う「節句(せっく)」のほか、1月15日にヒエ、アワなどの穀(こく)類を7種集めておかゆにし、健康や豊作を願う日本古来の風習があり、この二つが結びついたと考えられています。江戸時代に、重要な行事を行う日として幕府が「五節句」を定め、1月7日の「人日(じんじつ)」の節句に七草がゆを食べる形が広まりました。
 (中略)七草がゆは家族の健康や幸せを祈る行事でもあります。行事に込められてきた願いを感じながら、家族で行うのもいいですね」と石田さんは話しています。」(毎日新聞)


 

 イ 「七草(ななくさ) [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館) ] 文字色

七草(ななくさ)

 正月7日の朝に粥(かゆ)に入れて食べる7種の野草、もしくはそれを食べて祝う行事。この日、羹(あつもの)にした7種の菜を食べて邪気を避けようとする風は古く中国にあり、おそらくその影響を受けて、わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる。七草の種目は、一般にはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種だとされているが、時代や地域によってかならずしも一定せず、そのうちのいくつかが含まれていればよいと考える所もある。現行の七草の行事では、前の晩に神棚の前にまな板を据え、包丁の背やすりこ木、火鉢、杓子(しゃくし)などで野草をたたき刻んでから神に供え、7日朝それを下げて粥に入れて食べるという所が多い。供え餅(もち)の砕片を加える場合もある。七草をたたくときに、「七草ナズナ、唐土(とうど)の鳥が日本の国に渡らぬ先に、あわせてバタバタ」などと唱え、これは小正月に豊作を祈って行う鳥追い歌の転用だとされるが、意味は未詳である。七草の汁をつけて爪(つめ)を切ると爪のけがをしないという俗信もある。正月7日は古くから人日(じんじつ)ともいわれ、江戸時代には五節供の一つにあてられていた。また、6日から7日にかけては、六日年越、七日正月などともいわれている。七草粥はこの重要な折り目の欠かせない食品で、この行事から正月7日を七草節供とよぶ所もある。なお、この春の七草とは別に、見て楽しむ秋の七草もある。

[ 執筆者:田中宣一 ]」



 ロ 正月(しょうがつ) [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館) ]

「正月の3日間、5日間を、三が日(にち)、五かん日といって、正月のなかの中心的な期間として祝うが、門松を取り払うのは7日、11日、14日などで、門松の立っている間を松の内という。正月はめでたい祭りだという考えが強いため、三が日の間は僧侶(そうりょ)の来訪を嫌い、4日を寺年始として僧が各戸を回る。浄土真宗の濃厚な地帯では、三が日も僧侶の出入りを忌むことがない。6日の晩には若菜迎えがあり、春の七草を刻む。七草は時代によって変動があるが、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種で、とくにナズナを重視する。「七草なずな、唐土(とうど)の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、ストトンストトン」などと唱えながら、七草たたきを行い、7日の朝は七日正月といって、七草粥(がゆ)(餅粥)をつくって一家で祝う。

<参考文献>
1.民俗学研究所編『年中行事図説』(1975・岩崎美術社)
2.西角井正慶編『年中行事辞典』(1958・東京堂出版)
3.鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(1977・角川書店)」


無病長寿を願って七草粥を食する行事は、「少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われ」、「1月15日にヒエ、アワなどの穀(こく)類を7種集めておかゆにし、健康や豊作を願う日本古来の風習」のようですから、かなりの伝統のある風習だといえます。

ただ、「江戸時代に、重要な行事を行う日として幕府が「五節句」を定め、1月7日の「人日(じんじつ)」の節句に七草がゆを食べる形が広まりました」ということですから、一般庶民が、1月7日に、七草粥を食する行事となると、さほど古くからある風習ではないわけです。



(3) 鏡開きについて

●七草と鏡開き

 11日、お供えした鏡(かがみ)餅を下げて汁粉などを作って食べるのが「鏡開き」。もともとは1月20日に行われていた行事で、食べるときは刃物を使わず手や木づちで割り、「切る」と言わず縁起よく「開く」と言います。飾り方はさまざまですが、江戸時代の浮世絵に描かれた鏡餅にはいまと同じ、ウラジロ、ユズリハの葉などが見られます。「お供えした鏡餅を食べることは、神様と一体感を得る意味があるとの考え方があり、七草がゆは家族の健康や幸せを祈る行事でもあります。行事に込められてきた願いを感じながら、家族で行うのもいいですね」と石田さんは話しています。」(毎日新聞)



 
 イ 鏡餅(かがみもち) [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館) ]

鏡餅(かがみもち)

 正月用のお供え餅。昔の金属鏡から連想した、丸く平たい形の餅で、祭礼などの供物にも用いられるが、正月に歳神(年神)(としがみ)に供えるものをいうのが一般的である。年の境にあたり、家族各人の霊魂をかたどった餅を捧(ささ)げ、霊の更新を図るのが古意で、身祝いの餅はその伝統をとどめている。三方(さんぼう)にのせ、重ね餅にして飾りたてるのは、蓬莱(ほうらい)(お手掛け、食積(くいつみ)ともいう)の形と合体したためである。普通2個を重ねるが、3個の所もあり、それにダイダイ、イセエビ、干し柿(がき)、昆布、ウラジロなどを添える。1月11日の鏡開きに家人が食べ、あるいは6月1日まで残しておいて歯固めにする例も多い。

[ 執筆者:井之口章次 ]

<参考文献>
1.民俗学研究所編『年中行事図説』(1975・岩崎美術社)
2.西角井正慶編『年中行事辞典』(1958・東京堂出版)
3.鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(1977・角川書店)」



 ロ 鏡開き(かがみびらき) [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館) ]

鏡開き(かがみびらき)

 正月の鏡餅(かがみもち)を下げて食べる儀式。お供え開き、お供えくずし、鏡割りなどともいう。現在は1月11日、以前は20日が一般的であった。徳川の3代将軍家光(いえみつ)の忌日が20日であるため、11日に繰り上げられたという説がある。武家では具足(ぐそく)開きといい、鎧兜(よろいかぶと)に供えた具足餅を下ろして雑煮にして食べた。婦人は鏡台に供えた鏡餅を同様にして食べた。武士は刃柄(はつか)を、婦人は初顔(はつかお)というように、それぞれもっとも重視する道具と二十日(はつか)との語呂(ごろ)合せを祝った。近来は武道の寒稽古(かんげいこ)に引き継がれ、終わった日に鏡餅で汁粉をつくって食べることが多い。鏡餅は刃物で切ることを忌み、手で欠いたり槌(つち)でたたいたりして割る。開くというのは縁起を担いで、めでたいことばを使ったものである。鏡餅は本来、稲作に伴う儀礼で、農耕神としての歳神(年神)(としがみ)への供物であったろう。それを下ろして食べることは、正月の祭りの終わりを意味するものであったはずであるが、暦の混乱のためか、あるいは開くという語感から転じたものか、むしろ仕事始めの意味に解する場合が多く、期日も2日や4日に行う例がある。現在鏡開きの日とされている11日も、商家の仕事始めにあたる蔵開きの日と一致する。

[ 執筆者:井之口章次 ]

<参考文献>
1.民俗学研究所編『年中行事図説』(1975・岩崎美術社)
2.西角井正慶編『年中行事辞典』(1958・東京堂出版)
3.鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(1977・角川書店)」


鏡餅は、「年の境にあたり、家族各人の霊魂をかたどった餅を捧(ささ)げ、霊の更新を図るのが古意」で、「お供えした鏡餅を食べることは、神様と一体感を得る意味がある」わけですから、ある意味、神道的な説明になじむ意味合いがあるあるわけです。

この風習も古来からあるようですが、「以前は20日が一般的であった」のに、現在は1月11日に行われるようになったのは、「徳川の3代将軍家光(いえみつ)の忌日が20日であるため、11日に繰り上げられた」ようです。もし、江戸時代に日程が変えられてしまったのだとする説が正しい場合には、1月11日に、鏡開きをするという行事は、さほど古い風習ではないといえそうです。



(4) お年玉について

●お年玉とマナー

 もう分かったと思いますが、お年玉も神様と関係があります。マナーデザイナーの岩下宣子(のりこ)さんは「年神様から授かった力を、家族の中で年上の人から年下の人に分ける意味がありました」。目上から目下に分ける物なので、自分より年上の人や、身分が上の人にあげるものを「お年玉」と呼ぶのは失礼になります。その場合は封筒に「年賀」と書きます。
 お年玉はもともと、お餅だったといいます。絵本やえとにちなんだ虎の置物など、お金以外の品を贈ってもいいそうです。子どもはお返しする必要はありませんが、いただいたら必ずお礼を言いましょう。岩下さんによると、ちょうど良い金額はお小遣いの1カ月分です。でも、たくさんいただいて家の人が気になる場合は、「年賀」としてお菓子などをお返しに送る方法もあります。岩下さんは「お年玉をもらったら、子どもは必ず家の人に話してください。そうしないと、お年玉をくれた人にお父さんやお母さんがお礼を言えません。とても恥ずかしいことです」と話しています。
 岩下さんは「お年玉と同じ意味合いで、歯ブラシや下着なども新品に替えてみては」と提案しています。年神様から授かった新たな力を身近に感じ、今年もがんばろうという気持ちになれるかもしれませんね。」(毎日新聞)



 イ 神奈川県神社庁 神社Q&A

お年玉の意味は?

 正月には子供たちがお年玉を頂きます。今日ではお金ですが、本来は〈歳魂(としたま)〉つまり「年初の霊力(れいりょく)」のことでした。ですから一家の主(あるじ)が家人や使用人たちに与えるところに意味がありました。科学万能の今日では信じられぬという方もあるかも知れません。しかし古人はこのような時期に努めて霊力を得ようとしたのでした。お祭に神輿(みこし)を担(かつ)ぎ山車(だし)を引くのは、御祭神のお力の高まりを期待し、その恩頼(みたまのふゆ)に預(あず)かろうとするためでした。お盆に祖先を祭るのは地獄から帰った亡者(もうじゃ)を労(ねぎら)うのではなく、子孫を祝福するために訪れた祖先の霊力を讃(たた)え、これに与(あず)かろうとしたためなのです。同様にお年玉には年の初めに霊力を分けていただく、という意味があったわけです。」



 ロ 「コラム 『身近な神様』」(埼玉県の神社のHP)

まあ~るいお餅は神様からのお年玉

 子供の頃、お正月といえば祖父母や両親・親戚のおじさん・おばさんからもらうお年玉が楽しみでした。前の年より少し多目に包んであるとそれだけ成長が認められたような気がして少し誇らしく感じたものです。
 それにしてもお正月にもらうお小遣いを「お年玉」と呼ぶのはなぜでしょうか。
 東北のある地方では最近まで「お年玉」と言えば神様からいただく餅のことを指していました。年の暮れになると各家庭では円形の小さな餅をいくつも作り年神様のお供えにしました。お供えが終わるとその餅を神様からいただいたものとして子供達に配ったのです。
かつては日本各地で似たようなことが行われていました。お年玉の「玉」は「霊(たま)」「魂(たま)」と同じです。神様にお供えしたお餅は尊い霊力に触れたことで、普通の餅とは違う強い力を持つ「お年玉」になりました。だからこそ、そのお餅を食べることで新年もつつがなく過ごすことができると考えられたのです。
 餅はいつしかお金に代わってしまいました。もらう立場の人間はいつの間にか渡す立場になり、親戚の子供の人数を指折り数えながら、すこし渋い顔になったりしています。それでも単なるお小遣いではない「お年玉」に大人たちの魂を添えて・未来の大人たち″へ渡してあげましょう。」



 ハ 正月(しょうがつ) [ Yahoo!百科事典・日本大百科全書(小学館) ]

 「お年玉というのは本来、家族の一人一人が自分の霊になぞらえた餅を出して並べておき、年神の霊威に触れて霊力を更新しようとするものであった。身祝いの餅というのは、その流れをくむものである。しかし年神の霊威は物理的な存在でない。分家の者が本家に挨拶に行くと、本家の主人が年神の代役になって餅を与える。こういうことから、目上の者が目下の者に与える餅その他を年玉というようになり、やがて金銭の形に統一されてきた。

<参考文献>
1.民俗学研究所編『年中行事図説』(1975・岩崎美術社)
2.西角井正慶編『年中行事辞典』(1958・東京堂出版)
3.鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(1977・角川書店)」


お年玉は、本来は〈歳魂(としたま)〉つまり「年初の霊力(れいりょく)」のことであり、神様にお供えしたお餅は尊い霊力に触れたことで、普通の餅とは違う強い力を持つ「お年玉」になったわけです。このように、普通の餅とは違う強い力を持つお餅を配り、「そのお餅を食べることで新年もつつがなく過ごすことができる」というのが「お年玉」を配る風習の意味だったわけです。

こうした霊力を更新する、霊力を分けていただくという意味があってこその「お年玉」であったのに、その意味合いが忘れ去られ、「目上の者が目下の者に与える餅その他を年玉」というようになり、「餅はいつしかお金に代わって」しまったわけです。今では、年の初めに大人が子供に対して単にお小遣いを与えるだけのものになってしまったのが現状です。




3.こうして正月の意味を調べてみると、元々は霊力と深い関係のある、ある意味、神道的な説明になじむ風習でした。しかし、初詣のように意外と伝統の浅い風習であったり、江戸幕府の意向で日程が変わってしまったり、お年玉のように本来の意味合いが忘れられてしまったものさえあります。

そうすると、正月の行事全般が神道的な意味合いに影響されている以上、神道以外の宗教を信仰する人々にとっては行うこと自体がなじまないといえます。しかも、お年玉のように、本来の意味合いと異なるものになってしまったとなると、単に多くの人々が世間一般に流されて実施しているだけのものにすぎず、単なる惰性にすぎないとさえいえます。

本来の意味合いと離れた風習に変わってしまったのが現状ですから、市民の意識次第で変化することもあるでしょうし、将来、誰も行わなくなってしまうかもしれません。新興宗教にとびつく人々は増えている半面、神道に親しみを感じる方が多いとは思えませんので、そうなると、正月の行事の意義を確かめることもなくなるでしょう。

しかし、今後も、正月の行事一般について、今後も様々に変化しながら、惰性のように日本の市民の間で実施されていくのでしょう。何も考えることなく意味合いも知らないまま、惰性で実施することは気楽かもしれませんが、惰性で実施するだけの行事で良いのかどうか、――惰性であっても「押し付け」になっていないかどうかも含めて――考え直してみるべきであるように思います。


 「正月は、家族とともにある。数日間、家族の顔を見るためだけに日本人は陸と空に行列をなす。でも、この民族大移動、年々、細くなっている気がする。
    ■
 「家族を持つなんて考えられない」「外では正月なのか」。東京・代々木の「官製派遣村」で年越しした人々は、口々に言った。家族や地域、会社から切り離された人を大量に生んだ00年代の日本。そんな国の顔つきを、年始に見つめ直してみる。」(朝日新聞平成22年1月4日付夕刊「素粒子」)


今の日本では、正月の意味どころか、正月を感じられない人々も多くいるのです。自民党政権下で徹底的に破壊された雇用状況・社会保障状況のままでは、正月の行事は一部の者だけが惰性的に行うだけのものになってしまうかもしれません。

 

テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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?ź?Ĥ?ξ?
2010/02/09(火) 14:55:12 | ?ź
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