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2009/12/31 [Thu] 05:15:15 » E d i t
天皇の“特例”会見問題(3)~「国事行為」に関する憲法解釈(政府見解・学説)(1)」(2009/12/30 [Wed] 23:41:11)の続きです。


1.天皇の権能についての政府見解を紹介します。政府見解について読む前に、注意するべきことがあります。それは、政府見解は学説とは分類が異なっているということです。

天皇の公的行為が認められるか否かについては、天皇の“特例”会見問題(3)~「国事行為」に関する憲法解釈(政府見解・学説)(1)」(2009/12/30 [Wed] 23:41:11)で触れたように、今までの学説は、天皇に許されるのは「国事行為」と「私的行為」のみであると解する二行為説(二種類説)と、「国事行為」と「私的行為」のほか、その中間に第三の範疇として「公的行為」を認める三行為説(三種類説)の二つに大別できます。

これらは、「国事行為」・「私的行為」・「公的行為」という分類を前提としています。ところが、皇室法の権威である、園部逸夫・元最高裁判事は、「国事行為」「公人行為」「社会的行為」「皇室行為」「私的単独行為」の5つに分類する見解を提唱しています(園田逸夫『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――』(第一法規、平成14年)108頁)。このように、現在の学説は、従来よりも細かい分類を提示しているものが出てきているわけです。

これに対して、政府見解は、天皇の行為を「国事行為」、「公的行為」、「その他の行為」に三分類し、さらに小分類として「その他の行為」の中に「公的性格ないし公的色彩のある行為」と「純然たる私的行為」があるとしているのです(園田逸夫『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――』(第一法規、平成14年)108頁)。

「イ 大森政輔内閣法制局第一部長(平2・4・17衆・内閣委13~14頁)
  「…従来から天皇の行為につきましては、国事行為、公的行為及びその他の行為というふうに三つに大分してきているわけでございますが、そのうちのその他の行為…の中にも、純粋に私的なものと公的性格ないし公的色彩があるものとに区分されるであろうという考えをとっているわけでございます。」

 ロ 大森政輔内閣法制局第一部長(平2・4・19衆・内閣委2~3頁)
  「まず、政府といたしましては従前から天皇の行為についてはいわゆる三分説をとっております。第一分類、これはただいま御指摘になりましたように国事行為でございまして、これはまさに憲法で規定しておりますように、内閣の助言と承認に基づいて行われる行為でございまして、その具体的な範囲は憲法が明確に規定している行為に限られるわけでございます。第二分類は、いわゆる公的行為という言葉であらわされる行為でございます。これは国事行為のように内閣の助言と承認を要するものではございませんが、なお象徴としての地位に基づく行為である、比喩的には、象徴としての地位からにじみ出てくる行為であるとか、あるいは象徴としての立場から国家国民のために行う行為であるというふうによく説明されるわけでございますが、そのような公的行為という用語で表現される一群の行為があるというふうに考えているわけでございます。それ以外の第三分類といたしまして、ただいまお尋ねの中でも挙げられました、皇室の行事というような言葉であらわされるそれ以外のいろいろな行為をなさることがある。これにつきましては、内閣は助言と承認というような形でも関与いたしませんし、また、公的行為におけるような閣議決定あるいは閣議了解というような形でも関与しないのが通常である、そういう一群の行為があるということでございます。」(園田逸夫『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――』(第一法規、平成14年)116頁)


このように、天皇の権能について、学説と政府見解とは分類分けがずれており、あくまでも学説と政府見解は別個のものであるとして理解して読み進める必要があります。



2.天皇の権能に関する政府見解については、現在のところ、園田逸夫・元最高裁判事が著者である「皇室法概論」が最も詳しくて正確なので、それを引用しておきます。

(1)園田逸夫『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――』(第一法規、平成14年)124頁以下 

従来の行為分類の考え方(政府の見解をまとめたもの)



1 国事行為

(1) 根拠
  国事行為は、憲法第3条、第4条、第6条及び第7条に根拠がある。

(2) 地位
  国事行為は、天皇の国家機関としての地位に基づく行為である。
  (関係国会答弁)
 吉村一郎内閣法制局長官(昭50・11・20参・内閣委13頁)
 「わが国の憲法では、…第1条で日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという、〔天皇の…引用者注〕象徴としての地位を規定いたしますと同時に、天皇は、主として第7条でございますが、そのほかにも第3条、第5条、第6条等であらわれておりますように、国事行為というものを行われる国家機関としての地位を持っておられます。」

(3) 行為の限界
  国事行為を行うに当たって、天皇が国政に関与しないのは憲法上当然の要請であり、また、政教分離の原則も当然に適用される。
  国事行為について実質的な決定権を有している内閣が非政治性・非宗教性について十分配慮することになっている。

(4) 国としての関心
  国事行為は、すべて内閣の助言と承認を必要とし、内閣が責任を負う。内閣は閣議決定等により、その責任の所在を明確にしている。

(5) 経費
  国事行為に要する経費は、宮廷費から支弁される。

(6) 具体例、範囲
  憲法が定める天皇が国家機関として行う国事行為は、次の通りである。
  ・国事行為の委任(第4条2項)
  ・内閣総理大臣の任命(第6条1項)
  ・最高裁判所長官の任命(第6条2項)
  ・憲法改正、法律、政令及び条約の公布(第7条1号)
  ・国会の召集(第7条2号)
  ・衆議院の解散(第7条3号)
  ・国会議員の総選挙の施行の公示(第7条4号)
  ・国務大臣その他の官吏の任免及び全権委任状、大使・公使の信任状の認証(第7条5号)
  ・大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証(第7条6号)
  ・栄典の授与(第7条8号)
  ・外国の大使・公使の接受(第7条9号)
  ・儀式の挙行(第7条10号)(新年祝賀の儀、大喪の礼、即位の礼、立太子の礼、皇太子成年式、皇太子結婚式)」



2 公的行為

(1) 根拠
  天皇の公的行為については、憲法上明文の根拠はないが、憲法第1章が定める象徴たる地位にある天皇の行為として当然に認められると解されている。

(2) 地位
  公的行為は、天皇の自然人としての行為であるが、象徴としての地位に基づく行為である。
  公的行為については、象徴としての立場から国家国民のために行う行為といった説明がなされているが、現在では象徴としての地位に基づく行為と定義されるのが一般的である。
  (関係国会答弁)
  工藤敦夫内閣法制局長官(平2・5・17衆・予算委3頁)
  「天皇の行為には国事行為、公的行為及びこれらのいずれにも当たらない行為、こういう3つがあるということでございます。いわゆる天皇の公的行為というのは、憲法に定める国事行為以外の行為で、天皇が象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われるものをいう、こういうことでございます。で、天皇の公的行為、今憲法上の位置づけという御質問でございますが、憲法上明文の根拠はないけれども、そういう意味で象徴たる地位にある天皇の行為、こういうことで当然認められるところである、かようにお答えしてきているところでございます。」

(3) 限界(条件)

 <1>三原則
   公的行為の限界ないし条件については、政府の国会答弁において、第一に、国事行為におけると同様に国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち政治的な意味を持つとかあるいは政治的な影響を持つものが含まれてはならないこと、第二に、その行為が象徴たる性格に反するものであってはならないこと、第三に、その行為について内閣が責任を負うものでなければならないこと、という三原則が確立されている。
  (関係国会答弁)
  イ 田中角栄内閣総理大臣(昭和48・6・28参・内閣委6頁)
   「ただ、公的行為というものが無制限に拡大されてはならないということに対してはこれは私も考え、私は同感でございます。これは二つの方法がございます。二つのことがございます。一つは、憲法の規定に背反するようなことに拡大をされてはならない、これは当然のことでございます。これはもっと具体的に申し上げれば、国政に影響のあるような御行動、これはまあしかし災害地の御視察とか、被災地の御視察とか、またスポーツの振興とか、学術文化の振興とかということは、これは政策的には振興ということになるかもしれませんが、これは第二の理由として、国民全体が統合の象徴としての御行動として、これはもうぜひやっていただきたいという国民ほとんどの、私は国民の願いであるということで、これは憲法に背反したり、憲法に抵触したり―議論の余地のないところでございます。そういう意味で、助言と承認の責任を有する内閣は、いやしくも憲法に背反をするようなというような、そういう無制限に拡大をされることが、その歯どめがないじゃないかというようなことに対しては、これはやはり内閣が責任を持たなければならない問題だと思います。しかし、その他の問題に対しては、国民の合意、象徴としての陛下に対する国民の合意というものでおのずから調和が保てるものでありまして、日本の皇室が憲法上疑義を生ずるような御行動をされるようなおそれは全くない、これは私はそう信じておるのであります。」
  ロ 工藤敦夫内閣法制局長官(平2・5・17衆・予算委3~4頁)
   「それから、若干、限界といいますか、そういう意味のことのお尋ねもあったと思いますが、天皇の公的行為というのは、今申し上げましたような立場で、いわゆる象徴というお立場からの公的性格を有する行為でございます。そういう意味では、国事行為におきますと同様に国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち政治的な意味を持つとかあるいは政治的な影響を持つものが含まれてはならないということ、第三に、その行為につきましては内閣が責任を負うものでなければならない。かようなことであろうと思います。内閣が責任を負うという点につきましては、その行為に係る事務の処理が行政に属すると考えられますので、憲法65条によりまして行政権の主体とされる内閣がそれについて責任を負うべきことであろう、かようにこれまでもお答えしておりますし、お答え申し上げたい、かように思います。」

 <2> 国政に関する権能を有しないこと
    憲法第4条第1項の規定は、国家機関としての天皇は、憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関与する権能を全く持たない旨を定めるものであるが、この規定には、一般に天皇の行為により事実上においても国政の動向に影響を及ぼすようなことがあってはならないという趣旨を含むものと解されている。
  (関係国会答弁)
  イ 吉国一郎内閣法制局長官(昭50・11・20参・内閣委13頁)
   「およそ天皇は、憲法第4条第1項で言っておりますように国政に関する権能を有せられないわけでございますので、およそ天皇の行動があらゆる行動を通じて国政に対して影響を及ぼすようなことがあってはならないということは当然でございます。国事行為につきましては、すべて内閣の助言と承認によって、内閣が実質的に意思を決定するということによってその点は守られておりますが、いわゆる公的行為あるいは学者の準国事行為と申しますものにつきましては、そのような憲法上の規定はございませんけれども、当然、皇室に関する国家事務として補佐をいたします第一次的には宮内庁、第二次的には宮内庁を包摂をいたします総理府、内閣総理大臣の機関としての総理府、それから最終的には国政全般に対して責任を負っておりますところの内閣が天皇の公的行為についていささかも国政に影響を及ぼすようなことがあってはならないということについて十分に慎重な配慮をいたしておるということでございます」
  ロ 大出峻郎内閣法制局第一部長(昭63・5・26参・決算委6頁)
   「憲法第4条第1項でございますが、ここでは、天皇は国政に関する権能を有しないという趣旨の規定が設けられております。直接にはこの規定は、国家機関としての天皇は、憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関与する権能を全く持たない旨を定めるものでございますが、この規定の趣旨には、一般に天皇の行為によりまして事実上においても国政の動向に影響を及ぼすようなことがあってはならない、こういう趣旨を含むものとして解されてきているところであります。」

 <3> 内閣が責任をとること
    公的行為が憲法の趣旨に従って行われるようにいろいろ配慮するのが行政の責任であり、第一次的に宮内庁、第二次的に総理府(現在は内閣府)、最終的に内閣が責任を負うこととされている。
  (関係国会答弁)
  イ 角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委9頁・11頁)
   「…私的行為についても、天皇が全く個人として天皇が御意思どおりで動くのではなくて、やはり広い意味の行政の一部として天皇のお世話をすると申しますか、公的行為なり私的行為というものが憲法の趣旨に従って行われるようにいろいろ配慮する、そういうものが行政の責任であろうと思います。このことは、御承知かと思いますが、宮内庁法の皇室関係の国家事務あるいは先ほどもお話が出ておりましたけれども、その上の総理府、さらには最終的には内閣の責任と言う形で行政組織の上でもそれぞれの機関が事務を分担して、そして天皇の公的行為なり、あるいは私的行為について行政の責任を尽くしているということに相なるわけでございます。」
   「まず、第一の〔公的行為についての…引用者注〕責任の問題でございますが、実は、もうたびたびの御質問でございますからはっきり申し上げますが、内閣が最終的な責任を持つということなんでございます。ただ先生の御設例が、天皇の御意思を無視してもと言われますので、非常に私答えにくくて、先ほど来ちょっとあいまいな答弁をいたしていたわけでございますが、その辺は御了承願いたいと思います。法律的には内閣が最終責任を持つということでございます。」
  ロ 工藤敦夫内閣法制局長官(平2・5・17衆・予算委3頁)
   「天皇の公的行為というのは今申し上げましたように国事行為ではございませんので、国事行為の場合にはいわゆる憲法に言う内閣の助言と承認が必要であるということになっておりますが、天皇の公的行為の場合にはそこで言う内閣の助言と承認は必要ではない。また、あくまで天皇の御意思をもとと行われるべきものではございますが、当然内閣としても、これが憲法の趣旨に沿って行われる、かように配慮することがその責任であると考えております。」

 <4> 象徴たる性格に反しないこと
    象徴たる性格に反しないという点について、それをさらに敷衍した説明はなされていない。

 <5> 非宗教性
    公的行為については、非宗教性も要請されている。

(4) 国としての関心
  前記「限界」の項の「内閣の責任」参照。

(5) 費用
  公的行為については、宮廷費で賄うこととされている。

(6) 具体例、範囲
  次のようなものが公的行為と考えられる。
   ・外国訪問
   ・地方行幸(全国植樹祭、国民体育大会、豊かな海づくり大会、災害見舞い、戦後50年に当たっての行幸など)
   ・都内行幸(国会開会式、全国戦没者追悼式、国賓歓迎行事など)
   ・儀式・行事(認証官任命式、新年一般参賀、天皇誕生日一般参賀、天皇誕生日祝賀、講書始の儀、歌会始の儀、園遊会、勲章・褒章受章者等の拝謁、国賓の「御会見」、国賓の宮中晩餐など)
   ・名誉総裁就任(東京オリンピック、札幌冬季オリンピック)
  公的行為に関する政府の過去の答弁を振り返ってみると、「象徴としての地位を反映しての公的な行為」(吉国一郎内閣法制局長官(昭49・2・20衆・外務委16頁)、「公的な色彩が強い…公的行為」(角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委12頁))、「象徴…という御地位からにじみ出てくると申しますか、それに基づくところの公的な御行動」(角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・18衆・内閣委20頁))、「象徴たる地位に伴っておやりになる公的な行為」(真田秀夫内閣法制局次長(昭50・6・18衆・内閣委16頁))、「天皇の公的行為というのは、憲法に定める国事行為以外の行為で、天皇が象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われるもの」(工藤敦夫内閣法制局長官(平2・5・17衆・予算委3頁)といった定義が見られる。
  天皇の行為の公私の区別については、「おのずからそこに公的な色彩が強いか、あるいは純然たる私的なものにとどまるかということで、そこにはいろいろ濃淡の差異がございますから、画然と分けられるものではない」(吉国一郎内悪法制局長官(昭49・2・20衆・外務委16頁))、「天皇が何しろ象徴としての地位を持っておられる、ほとんどある意味では公的な御存在でございますから、そういう意味において公的、私的の区別が非常につきにくいということは避けられない」(角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委11~12頁))、「公的行為の範囲…をこれこれのものであるというふうにはっきり決めるということは、きわめて困難であろう」(角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・18衆・内閣委21頁))といったように、画然と分けられるものではないという答弁がなされている。
  (関係国会答弁)
  イ 吉国一郎内閣法制局長官(昭49・2・20衆・外務委16頁)
   「ただいま御指摘のように、憲法上、天皇の国家機関としての御行為は、憲法の定める国事行為に限るということでございまして、憲法第4条第2項、第6条及び第7条に定める国事行為を行わせられるだけであるということは、御指摘のとおりでございます。ところが、天皇は自然人としていろいろ御行動になるわけでございます。その天皇が自然人として御行動になる場合に、天皇は、申すまでもなく憲法第1条によって、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるという地位を持っておられます。したがって、天皇が自然人として御行動になる場合に、その象徴としての立場で御行動になる場合と、全くそれを離れて私人として御行動になる場合とございます。したがって、天皇の御行為としては、憲法上の国事行為、それから象徴としての地位を反映しての公的な行為、それから全く純然たる私的な行為、この三種類があげられると思います。ただ、公的な行為と私的な行為との差別というものは、おのずからそこに公的な色彩が強いか、あるいは純然たる私的なものにとどまるかということで、そこにはいろいろ濃淡の差異がございますから、画然と分けられるものではないと思いますが、理論的に分ければその三つの御行為があるということでございます。」
   「その御行為自体については憲法は触れておりませんけれども、憲法第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるということを規定しているところから、おのずからそういうような理論が生まれるわけでございます。」
  ロ 角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委12頁)
   「私どもは、公的行為の概念というものは、三分説をとることが最も素直な法律的な説明であるということだけを申し上げているのでありまして、…それから、小林さんその他の二分説等を引用されての御質問がございましたので、それにも若干触れておきますが、実は学者の中には二分説がございます。言いかえれば、国事行為と私的行為以外は認めないという説でございます。しかしこの説は、いろんな考え方がございまして、たとえば天皇が国会の開会式に御出席になる、それを例として申し上げますと、そういうものは国事行為である、そっちの方へ入れてしまえという議論がございます。これは7条の10号の「儀式を行ふこと。」で読むわけでございます。これは現在の国会法の規定から言っても、また、そもそも国会の考え方から言っても、国会の開会式というものは国会が主催されるものであって、天皇がそこに出席されるのは、明らかにお客として呼ばれるということでございますから、10号の「儀式を行ふこと。」で読むのは、私は無理ではないかと思います。それから、私的行為の中に入れてしまえという議論も、先ほども御指摘がありましたけれども、確かにそういう説もあります。しかし私どもは、天皇が大相撲をごらんにおいでになるというのと、国会の開会式を一緒にするのはやはりおかしいじゃないだろうか。ニュアンスの差かもしれませんけれども、やはり前者については私的な色彩が濃い、後者については公的な色彩が強いのじゃないかというふうに考えて、公的行為という概念を考えているわけであります。さらにまた最後に、およそそういうことはやっちゃいけないという説もあります。これも確かに一つの説だろうと思いますけれども、しかし現実に、国会の開会式においでになる、…全国戦没者の追悼式においでになる、そういうものをやっちゃいけないというのも、これまた非常に不自然な話ではないか。かれこれそういうことを考え合わせまして、私どもは当然、憲法の解釈として公的行為という概念が認められるべきであるということを申し上げているわけでございます。」
  ハ 角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・18衆・内閣委20頁)
   「確かに国事行為以外には、いわゆる私的行為しか認められないという二分説があるわけでございますが、私どもとしては、天皇は、いま申し上げた国家機関として行為をされる場合には、この憲法の定める国事行為しかなさらないわけでございますけれども、それ以外に自然人としての天皇というものの行為があるはずである、これは現に、私的行為を認めておられる方も、その私的行為は、まさに自然人としての行為であるという前提に立ってこういうものを認めておられるわけでありますから、その点について、自然人としての天皇の行為が憲法に書いてないからと言って、そのこと自体が否定されるという考え方はないと思います。ただ、そういたしますと、自然人としての天皇の行為の中にいろいろなものがあるわけでございます。そこから説が分かれてくるわけでございますが、私どもとしては、自然人としてのいろいろな御行動の中に、やはり天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるという御地位からにじみ出てくると申しますか、それに基づくところの公的な御行動というものが認められるという考え方に立つわけであります。これは純然たる一私人としての御行動と明らかに認識において区別されるのではないかということを私どもは前提としているわけであります。そこで、憲法上の国事行為以外に自然人として天皇が行動される場合、やはり公的な色彩を帯びたものと、片方において純然たる個人としての私的行為、この二つに区別されるということになるわけでございますので、その前の方のものをいわゆる公的行為として、憲法はそういうことを規定してはございませんけれども禁止してはいない、こういうのが私どもの考え方でございます。」
  ニ 真田秀夫内閣法制局次長(昭50・6・18衆・内閣委16頁)
   「陛下のなされる行為には、…われわれから説明している従来の説明ぶりに従いますと、まず国事行為としての憲法に定めた一連の行為、それから全くの私人としての御行為も当然考えられるわけですが、この二通りだけかと申しますと、そうではなくて、中間的と申しますが、象徴たる地位に伴っておやりになる公的な行為というものが考えられるというふうに申しておりまして、この三種類でございまして、今秋予定されております御訪米も、もちろん憲法に列挙してあります国事行為ではない、さればといって純粋の私的行為とも申されませんので、数年前にヨーロッパに行かれましたときと同じように公的行為、学者によっては準国事行為と言っておる人もおりますけれども、そういう種類の範疇に属する御行為だろうと思います。そこで、…天皇のそういう御行為についてのもっとはっきりした法律の規定をつくったらどうだというお話でございますが、何と申しましても、陛下の事実上の行為でございますので、特に法律がなければならぬという性質のものではない、これはおわかりいただけるだろうと思います。」
  ホ 角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委11~12頁)
   「それから、公的行為の範囲というものがあいまいではないかという御指摘、また、できるだけ狭く解釈する方が憲法の趣旨に合うのではないかという御指摘でございますが、確かに公的行為の範囲というものが、私的行為の範囲との間で若干不分明であるということは私も認めます。これはやはり天皇が何しろ象徴としての地位を持っておられる、ほとんどある意味では公的な御存在でございますから、そういう意味において公的、私的の区別が非常につきにくいということは避けられないと思います。お言葉を返すようですが、全く純粋の私人の場合にはそれは区別ができても、天皇の場合にはその区別がよりつけにくいということは、これは御理解願えると思います。それから、できるだけ狭くということでございますが、これは私、できるだけ狭くということに直ちに御同意申し上げられませんけれども、…政治的な意味とかあるいは政治的な影響とかそういうものが、天皇が公的行為をされる場合にあってはならないということは、これは全くそのとおりだと思います。ですから、そういう意味において、公的行為というものを厳重に考えるということ、言いかえれば、私的行為の場合以上にそういう問題について神経質と申しますか、慎重に考えるということは、これは必要だろうと思います。」
  ヘ 角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・18衆・内閣委21頁) 
  「公的行為の範囲あるいは公的行為の限界という問題を御提起になり、さらにそれを具体的に列挙せよという御質問の趣旨だろうと思いますが、その前に、ちょっと一言申し上げておきたいと思いますけれども、公的行為というものは、天皇の自然人としての行為のうち公的色彩を帯びている行為というのが、私どもの一つの定義であります。つけ加えて申し上げれば、先ほど来申し上げたように、天皇が象徴としての地位をお持ちである以上、そこに公的な色彩の行為があるだろう、こういうことを申し上げているわけであります。これは類型としてこういう種類の行為が公的行為だということは、列示することは可能であります。ただし、その範囲をこれこれのものであるというふうにはっきり決めるということは、きわめて困難であろうと思います。」」



3 その他の行為

  天皇の私人としての行為であり、その中に、公的性格ないし色彩を有する行為と、そうした性格を有しない純然たる私的行為があるとされる。
  (関係国会答弁)
  イ 大森政輔内閣法制局第一部長(平2・4・17衆・内閣委13~14頁)
   「その他の行為…の中にも、純粋に私的なものと公的性格ないし公的色彩があるものとに区分されるであろうという考えをとっているわけでございます。そこで、しからばその公的性格ないし公的色彩というものはどのような意味であるかということがお尋ねのポイントであろうと思いますが、それを天皇及び皇族の行為に限定して申し上げますと、天皇及び皇族のある行為がその行為の趣旨、性格等からして純粋に私的な行為にとどまらず、国として、ここが要点でございますが、国としてその行為を行うことについて関心を持ち、人的または物的側面からその援助をするのが相当と認められる側面を有することを公的性格がある、ないし公的色彩があると言っているわけでございます。」
  ロ 大森政輔内閣法制局第一部長(平2・4・19衆・内閣委3頁) 
   「このたび行われようとしております大嘗祭、これは準備委員会の検討結果で詳しく書かれておりますように、皇室の行事として行われるということでございます。それには公的性格があるという結論に達しているわけでございますが、若干その理由をもう一度詳しく申し上げます。先ほど宮内庁次長から答弁いたしましたように、大嘗祭と申しますのは、収穫儀礼に根差したものであり、伝統的皇位継承儀礼という性質を持つのでございます。その中核と申しますのは、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣を感謝されるとともに、国家国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であるというふうに意義づけられております。したがって、この趣旨、形式等からいたしまして、宗教上の儀式としての性格を有することは否定することができない。また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることになじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である。このように書いているわけでございます。したがいまして、国事行為として行わない、皇室の行事として行うというわけでございますが、先ほど申し上げましたいわゆる第三分類に当たる行為〔その他の行為…引用者注〕の中にも、純然たる私的な性格を持つ行為と公的性格ないし色彩を有する行為と、これは小分類でございますが、二つの性格を有するものがあるのだということでございまして、この大嘗祭につきましては、皇位が世襲であることに伴う一世一度の重要な伝統的皇位継承儀式である、したがいまして、皇位の世襲制をとる我が憲法のもとにおきましては、その儀式について国としても深い関心を持ち、人的、物的な側面からその挙行を可能にする手だてを講ずることは当然であるというふうに考えられるわけであります。このような意味において、公的な性格があるという結論に達した次第でございます。」

(1) 公的性格ないし公的色彩のある行為
 <1> 具体例
    次の行為が公的性格ないし公的色彩を有する行為と考えられる。
     ・地方行幸(即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀など)
     ・都内行幸(福祉施設訪問、企業視察など)
     ・儀式・行事の主宰(大喪儀、大嘗祭、皇族喪儀、天皇が私的な立場で公的な立場にある者にある者に対して行う午餐など)
     ・御進講を受ける行為

 <2> 経費
    公的性格ないし公的色彩のある行為に要する経費は、宮廷費(一部は宮内庁費)から支弁される。

(2) 純然たる私的行為
 <1> 具体例
    次の行為が純然たる私的行為と考えられる。
     ・地方行幸(私的旅行、神宮参拝など)
     ・都内行幸(音楽会、美術展の私的な鑑賞、大相撲)
     ・宮中祭祀
     ・日常の生活(研究など)
 <2> 経費
    純然たる私的行為に要する経費は、内廷費で賄われる。
   (関係国会答弁)私的行為の限界
   角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・18衆・内閣委21頁)
   「さらに、もう一つつけ加えさせていただきますと、公的行為と私的行為ということを私どもは区別しておりますけれども、実は私的行為であれば、天皇は全く何をされてもいいというわけでは決してないと思います。いま申し上げたような、公的行為についての三つの限界といいますか基準というものは、私的行為についても、程度の差こそあれ、同じように該当するものだと思います。天皇が個人として政治的ないろいろな御行動に出られる、そういうことは万一ないと思いますけれども、もしそういうことがあれば、やはりそれはおやめになっていただくわけですから、そういう意味においては、実は公的行為という概念を設けることによって、直ちに政治的なものといいうふうに結びつくわけではなく、私的行為についても同じような配慮が必要であるということも申し上げておきたいと思います。」



(2)イ こうしてみると分かるように、政府見解は、三種類に分類する見解は採ってはいるものの、要するに、「純然たる私的行為」だけを内廷費で賄っているわけで、これに対して、「国事行為、公的行為、公的色彩のある行為」はすべて公費で賄っており、これら3つの行為はすべていわば「公的な行為」なわけです。

ただ、こうして幾つかの分類に分けてはいるものの、天皇の行為の公私の区別については、天皇は公的な存在ですので「公的、私的の区別が非常につきにくい」(角田礼次郎内閣法制局第一部長(昭50・3・14衆・内閣委11~12頁))のであって「画然と分けられるものではない」(吉国一郎内悪法制局長官(昭49・2・20衆・外務委16頁))のです。このような政府答弁から分かるように、天皇の行為は、私的な行為であっても「公的な行為」になりやすいわけです。

確かに、天皇の行為の場合、公私の区別は困難であるという理屈は分かります。しかし、例えば、「純然たる私的行為」として、園田・元最高裁判所判事の書籍では、純然たる私的行為として「大相撲」観戦が入っていますが、昭和天皇の時代には私的行為であっても、現在は公的行為に変わっているようなのです(東京新聞平成21年12月17日付朝刊「こちら特報部」より)。このように、公私の区別が困難であるという言い訳をしつつ、結局は宮内庁が恣意的に決定・運用してしまっているようにも思えるのです。


 ロ 公的行為の限界(条件)として、(a)国事行為におけると同様に国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち政治的な意味を持つとかあるいは政治的な影響を持つものが含まれてはならない、(b)その行為が象徴たる性格に反するものであってはならないこと、(c)その行為について内閣が責任を負うものでなければならないこと、という三原則が確立されているとしています。

多数説は、(a)天皇が公的行為として行うことに十分な理由がある行為で、(b)宗教色・政治色のない事実行為に限り、(c)内閣の補佐と責任の下でのみ行われなければならない、という条件を満たした範囲に公的行為を限定しています。この多数説と政府見解を比較すると、政府見解には、(a)の条件がなく、(b)の条件のうち「宗教色のない事実行為に限る」という点がないことが分かります。

「公的行為というものが無制限に拡大されてはならない」との政府答弁があるにしても、実際上は限定されることなく、条件が緩い政府の運用は条件が緩いことが原因となって――自民党政権下では、安易に天皇の政治利用をしたかったからでしょうが――、「公的な行為」が拡大してきたわけです。やはり、拡大しすぎた「公的な行為」について、限定・歯止めを加える必要があるように思えます。



 
3.最後に、戦後、天皇の行為に関して政治との関係が問題となった事例を紹介しておきます。

(ア) 天皇の政治的行為ではないかとされた事例

 a 沖縄の将来に関する天皇のメッセージ問題
  これは、昭和54年雑誌「世界」4月号に掲載された記事を契機に問題化した事例であり、記事の内容は、昭和22年9月、新憲法下において、昭和天皇が沖縄を含めた琉球列島のアメリカによる長期占領の継続を希望し、その気持ちを宮内庁御用掛を通じて連合軍総司令部に伝えたというものであった。
  本事例は、旧憲法体制から新憲法体制への移行期に関する事例であり、論点としては、そもそもそうした事実があったのか、あるいは「天皇メッセージ」が天皇の意思によるものなのか天皇の周辺の者の意思によるものなのか(それであれば天皇の政治利用になる)、「天皇メッセージ」が実際に政治的影響力を持つものであったのか、ということがあるが、「天皇メッセージ」を裏付ける資料がない等事実関係の確認はできていない。

 b 増原防衛庁長官内奏問題
  昭和48年5月26日、増原恵吉防衛庁長官は、認証官任命式に際し所管の防衛問題についても内奏を行い、内奏の後、同長官は記者団に昭和天皇の防衛問題についての発言に触れ、「防衛二法の審議を前に勇気づけられました」と語ったと言われている。この防衛庁長官の発言に関し、昭和天皇の発言じたいが天皇の国政関与ではないか、また、防衛庁長官の天皇の政治利用ではないかということが国会で問題になった。
  政府は、昭和天皇の発言として報道されている内容につき、発言じたいを否定したが、当時の政治情勢と相まって「天皇の国政関与」が論点の一つとなった。また、「天皇の政治利用」についても政府は否定したが、誤解を生むような状態を起こした責任を痛感し辞職するという政治責任を防衛庁長官がとり、事態は終息に向かった。

(イ) 天皇の政治利用ではないかとされた事例

 a 外国訪問
  天皇の外国訪問は、言わば政治の次元を超えた国と国、国民と国民との友好親善をもたらすものであるとされるが、時に政治的な意味合いをその中に読み込まれることがあり(両国間にある懸案や緊張状態を訪問により収めることを目的としたり、特定の国益のための訪問であると理解されることがある)、昭和天皇訪米(昭和50)、天皇訪中(平4)などについては、政治利用ではないかとの議論がなされた。

 b 外国交際の場における天皇の「おことば」
  外国交際の場における天皇の「おことば」が政治との関係で話題になったのは、天皇の「おことば」が戦争に対する謝罪なのかどうかということについてであった。例としては、宮中晩餐会での「おことば」(米国フォード大統領のための晩餐会(昭和49)、英国エリザベス女王王配のための晩餐会(昭和50)、韓国全斗煥大統領夫人のための晩餐会(昭和59)等)及び外国訪問時の「おことば」(昭和天皇訪米(昭和50)、天皇訪英(平10)があるが、天皇の「おことば」は、外国交際に係る儀礼の範囲内の行為であり、政治的な意味を有しないよう配慮された内容の「おことば」とされている。」(園田逸夫『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――』(第一法規、平成14年)223頁以下)


このような事例から分かるように、天皇の政治的行為ではないかとされた事例・天皇の政治利用ではないかとされた事例は、以前からかなり多くあることが分かります。「自民党政権下では、盛んに「皇室外交」を行わせ、都合よく「天皇の政治利用」をしてきたわけです。その意味で、自民党は民主党を批判する資格はありません。

今回の「天皇の特例会見」事例は、後者の天皇の政治利用ではないかとされた事例の一例となるのでしょう。しかし、仮に「1ヵ月ルール」違反が政治利用になったとされた事例と評価したとしても、単に1ヵ月前に日程調整をしないで外国要人と会見することになっただけであって、増原防衛庁長官内奏問題はもちろん、天皇を外国へ訪問させた挙句、政治的な発言をさせたといった、従来、自民党政権下で行ってきた政治利用の方が、「天皇の政治利用」の程度が濃厚でえげつないように思えるのです。


テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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