FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
09« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»11
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2009/12/24 [Thu] 04:06:04 » E d i t
今年も12月24日・クリスマスイブになりました。皆さんは、どのように過ごされるのでしょうか?

クリスマスというとサンタクロースを連想される方が多いと思います。そのサンタクロース (Santa Claus) は、クリスマスの前の夜に良い子のもとへプレゼントを持って訪れるという人物です。このサンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教(主教)、キリスト教の教父聖ニコラオス(ニコラウス)がモデルであるとされています。

「「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。」(「サンタクロース」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))より引用)



1.このようにサンタクロースのモデルはいたのでしょう。では、サンタクロース自身は、本当にいるのでしょうか?

「サンタクロースっているんでしょうか?」という質問を書いた手紙を送った子どもに対して、100年ほど前、1897年9月21日付・ニューヨーク・サン新聞は、この子どもへの返事を「社説」で書いています。そこで、この社説は古典のようになって今での繰り返し掲載されるほどになっているそうです。そこで、この著名な社説を紹介したいと思います。

なお、この社説を書いたのは、フランシス・ファーセラス・チャーチ(Francis Pharcellus Church)(1839~1906)という同社の記者です。この人物に対して、当時の編集長は、回想録に「人間生活のあらゆる面について、深い洞察力と鋭い感受性を備えた人物だった」と書いています(中村妙子(翻訳)『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社、〔改装版〕版2000年)の「あとがき」より引用)。

(1) この社説の出だしは、次のようになっています(前掲『サンタクロースっているんでしょうか?』より引用(なお、読みやすさのため一部漢字に変換した))。

サンタクロースっているんでしょうか?

 ニューヨーク・サン新聞社に、このたび、次のような手紙が届きました。早速、社説で取り上げて、お返事したいと思います。この手紙の差出人が、こんなに大切な質問をするほど、私たちを信頼してくださったことを、貴社一同、大変嬉しく思っております。

 記者さま、あたしは8つです。
 あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」って言っている子がいます。
 パパに聞いてみたら、「サン新聞に、問い合わせてごらん。新聞社で、サンタクロースがいるというのなら、そりゃもう、確かにいるんだろうよ。」と、言いました。
 ですから、お願いです。教えてください。サンタクロースって、本当にいるんでしょうか?
      バージニア=オハンロン    ニューヨーク市 西95丁目115番地」」



(2) この子どもの素朴な質問に対して、1897年9月21日付・ニューヨーク・サン新聞は、次のように返事を書いています(「サンタクロースはいるんだ(原題:Yes, Virginia, There is a Santa Claus)」(青空文庫収録、ニューヨーク・サン誌社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)、翻訳者:大久保ゆうより引用)。


 「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。

 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。

 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。

 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって? ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。

 サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」


サンタクロースは、誰も、見たり触ったり話したりしたことはありません。ですが、目に見えなくても愛や思いやりの心はあるように、目に見えるものがすべてではないのです。目に見えないものであっても、大事なことについては「ある」と信じることが大切であることを、この社説は説いています。

目に目ないものを「ある」と信じるという意味では、神を信じることと似ています。

人は、他人から見られていないと、ついつい悪いことをしてしまいがちです。人前では立派に見える人、常識的だと思われている人が、誰からも見られていないと、社会的なルールを破ったり、人が後で知ったら悲しんだり怒ったりするようなことをすることがあります。誰かに見られているときには、まともでいられるのですが、誰も自分を見ていないと思ってしまうと、「魔が差す」ということがあり得るわけです。

しかし、神様と言う第三者を信じ意識しているのであれば、違ってきます。たとえ回りに人が独りもいなくても、誰か人間を超えた方の視線が、ちゃんと自分の行いを見て知っているのだと考えることは、人が見ていなくても、自分の行いを正す助けになります。「誰も見ていなくても、神は知っているのだ」と考えるのです。もし、「神様が見ている」と考えることが難しければ、あなた自身の心の中にある「良心の目が見ている」と考えてもよいでしょう。信じる何かを持っている人は、誰も見ている人がいなくても、自分の良心に従った行動ができることにつながっていくのだと思います(富田正樹『信じる気持ち――はじめてのキリスト教』(日本キリスト教教団出版局、2007年)94頁以下参照)。

目に見えないサンタクロースを――特に幼少の頃――信じることは、人生にとって有意義なことであるように思います。




2.ニューヨーク・サン新聞の社説について、最近、朝日新聞のコラムでも取り上げていましたので、紹介しておきます。これには、その後のバージニア・オハンロンさんとニューヨーク・サン新聞について触れています。

(1) 朝日新聞平成21年12月19日付朝刊8面「風」

「サンタはいる」答えた新聞  ニューヨーク・立野純二

 19世紀末、ニューヨークに住む8歳の少女が地元の新聞社に1通の手紙を送った。

 「友だちがサンタクロースなんていないと言います。本当のことを教えてください。サンタはいるんでしょうか」

 それを受け取った「ニューヨーク・サン」紙の編集局は本物の社説で答えた。

 「サンタはいるよ。愛や思いやりの心があるようにちゃんといる」「サンタがいなかったら、子どもらしい心も、詩を楽しむ心も、人を好きになる心もなくなってしまう」「真実は子どもにも大人の目にも見えないものなんだよ」

 少女の名前は、バージニア・オハンロン。のちに教師に成長し、学校の校長先生になって、1971年に亡くなるまで、恵まれない子どもたちの救済に尽くした。

 彼女の名を冠した奨学金制度が今月、ニューヨークのアッパーウエスト地区にある小さな私立学校にできた。貧しい家庭の優秀な子に授業料を支援するという。その校舎は、バージニアがかつて住み手紙をしたためた、れんが造りの4階建ての家にあった。

 校長のジャネット・ロッターさん(53)は「何かの運命と思った」と私に静かに語った。71年設立の同校は、不動産高騰が続く市内で入居先を転々とし、現在地近くに22年前に移った。その後、バージニアの物語を初めて本で読んだ。彼女の手紙に記された住所から、その場所が学校の向いの廃屋だと気づいた。

 学校の支援者らと息長く資金を集め、外壁だけを保存して再建し、07年に入居した。近代的な校内に往時の面影はない。だが、ここで学ぶ110人の児童の心には「目には見えずとも大切なもの」が生き続けていると校長は言う。

 「デパートで会ったサンタのひげをひっぱったら、取れちゃった。でも、サンタはいないとは思わない。クリスマスになると、わくわくするのはサンタのおかげ。見えなくても、わたしの胸の中にちゃんといる」。作文の授業で、10歳の少女はそうつづった。

 米ジャーナリズム史上最も有名な社説と呼ばれる、バージニアへの返信を掲載したサン紙は半世紀前に消えた。同じ名前と精神を看板に02年に設立された新聞社も、経済危機のあおりで昨年解散した。

 少女の心の扉を開き、百年の時を超えて人々の想像力のともしびを燃やし続ける一遍の記事を生み出す力が今、私たちの新聞にあるだろうか。

 「時代が違いますからねえ」。校長は熟考してから、言った。「メールや携帯電話は広まったけれど、人間らしい対話は乏しいような気がします」

 サンタはいる。そう書ける新聞でありたい、と思う。」



(2) バージニアさんが1971年に81歳で亡くなったとき、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、「サンタの友だちバージニア」という見出しで彼女に一文を捧げ、「アメリカのジャーナリズムにおいて、もっとも有名な社説が書かれる切っ掛けとなった、かつての少女」と記してその死を悼んだそうです(前掲『サンタクロースっているんでしょうか?』の「あとがき」より引用)。こうした追悼文が出たほど、バージニアさんとサン紙の社説は、米国では大切にされているわけです。

これに対して、日本の新聞社の社説はどうでしょうか? これほどの社説はあったのでしょうか?

このコラムを書いた記者は、「少女の心の扉を開き、百年の時を超えて人々の想像力のともしびを燃やし続ける一遍の記事」を生み出す力をもつ新聞社(記者)でありたい、としています。クリスマスなのですから、一記者のそうした夢と希望を肯定的に評価したいと思います。



なお、毎年、クリスマスにちなんだテーマでエントリーを書いています。ぜひご覧下さい。

<1>「サンタクロースの法律問題」(2005/12/23 [Fri] 01:05:07)
<2>「クリスマス・キャロル~スクルージは拝金主義者で悪人なのか?」(2006/12/24 [Sun] 16:25:12)
<3>「アラブ首長国連邦・ドバイでのクリスマス風景」(2007/12/24 [Mon] 00:01:54)
<4>「寒しこの夜」(2008/12/24 [Wed] 05:17:15)



テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

論評 *  TB: 1  *  CM: 0  * top △ 
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/tb.php/1975-8e7af41e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
つるさんのプログの X'mas 短編競作企画 の作品を読ませていただいて、とっても楽しそうだったので、初参加させていただきました。ブラック・クリスマスですけど、能天気な曲とのコントラストってことで・・・。過去クリスマスショート・ショートも引っ張りだしてアッ?...
2009/12/28(月) 20:11:57 | 虎犇秘宝館
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。