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2009/12/30 [Wed] 23:41:11 » E d i t
「天皇の“特例”会見問題(2):発端と経緯(2)」(2009/12/28 [Mon] 02:26:17)の続きです。


1.「天皇の“特例”会見問題」については、天皇陛下と外国要人との会見は1か月前までに申請を受け付けるという政府内の慣行(いわゆる「(宮内庁の)1ヵ月ルール」)の例外を認めたことは、「天皇の政治利用」になるのか否かが中心的な問題点です。

もっとも、その問題とは別に、民主党の小沢一郎幹事長は12月14日の記者会見で「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念だ」と強調し、会見実現を求めた鳩山由紀夫首相の対応を、天皇の政治利用だとする批判はあたらないと述べたことに対して、マスコミからは「外国要人との会見は、内閣の助言と承認を必要とする国事行為ではなく、公的行為である」などと、強く批判がなされました。そこで、そのマスコミの批判を是非を検討するため、天皇の権能である「国事行為」に関する憲法解釈、その前提として象徴天皇制の考え方について触れていきたいと思います。

(1) まずは、象徴天皇制の考え方について

象徴天皇制の考え方としくみ

 a 天皇の地位と象徴性

 明治憲法の時代、天皇は主権者であり元首でした。私たちは臣民であり赤子(せきし)でした。憲法構造からしても、政治実体からしても、天皇がピラミッドの頂点に立ち、すべての事柄が天皇に帰属していました。全能の「現人神(あらひとがみ)」だったのです。

 しかし憲法1条は、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」と定めています。旧来の神勅に基づく天皇制は、180度転換したのです。つまり、天皇は、国民の意思によってその地位が与えられ、それ以外の例えば天皇の「神聖性」「伝統」などという非合理的な理念によって正統化されてはならないのです。日本国憲法によって改めて天皇という公職がつくられたのです。

 ▼象徴の意味 さらに憲法1条は、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めています。「象徴」とは、抽象的なものを具体的な形になっているものを通じてあらわすことをいいます。例えば、校章を見て「○○大学」だとわかりますね。その場合、この校章は「○○大学」の象徴ですし、また鳩を見て平和という抽象的なことをあらわしますから、「鳩は平和の象徴」ということになります(もっともこの頃は、鳩を見て糞害の象徴だともいえますが)。したがって天皇が日本と日本国民統合の象徴であるというのは、天皇を見て日本という国をあらわすという意味になります(ちょうど富士山を見て日本に帰ってきたな、という感慨を覚えるのと同じ意味です)。

 ▼象徴天皇制 では天皇を象徴とした象徴天皇制とは、どんな憲法上の意味があるのでしょうか。簡単にいえば、天皇は象徴にふさわしい仕事をするだけだといえます。象徴としてふさわしい仕事とは、政治的実権のあるものではなく、形式的・儀礼的なものにすぎません。そこで憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定め、もっぱら形式的・儀礼的な国事行為だけを天皇の仕事であるとしています。しかもこの国事行為は、すべて「内閣の助言と承認」が必要とされるのです(3条)。要するに、天皇は国政にかかわる仕事はできず、憲法6、7条で列挙している国事行為だけを行うのですが、その国事行為もすべて内閣の助言と承認が必要なのです。結局、天皇が自由にできる国家の仕事は一切ないといえます。

 b 国民主権のなかの象徴天皇制

 日本の国家のあり方は、国民主権が原則ですし、象徴天皇制は憲法自身が認めた唯一の例外です。私たちの人権規定よりも先に、天皇を憲法の冒頭で規定しているからといって、天皇は、国民の上に立つことはないのです。そのことは、天皇の地位が国民の総意に基づくこと、天皇制が憲法改正で廃止できることからもうかがい知れます。

 しかし政治実体をみると、天皇はあたかも君主のように扱われているようです。例えば、国会の開会式では、天皇が国会議員よりも高いところから「おことば」を述べ、また裕仁天皇が死去し、明仁天皇即位のときに行われた一連の代替わりの儀式は、国民主権とはずいぶんかけ離れて挙行されました。マスコミも、天皇や皇室に関してはくどいほど敬語を使って報道し、裕仁天皇重体のときなどは天皇報道一色で、コマーシャルすら「自粛」されました。

 確かに天皇は「特別」な人です。ただ天皇が「特別」なのは、国民主権を前提としたうえで、憲法自体が特に国民とは異なり、天皇の地位を「象徴」と規定している理由からです。したがって、天皇のあり方は、国民主権原理によって制約されます。

 ▼皇室の財産 憲法88条は「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」と規定しています。明治憲法下では、皇室財産と国有財産との区別はあいまいでした。皇室の財産なのか、国家の財産なのか不明のまま、公金は混同されて利用されていました。しかし現憲法は、純然たる皇室の私有財産と認められたもの以外は、すべて固有財産とし、しかもこれを国会の財政監督権のもとに置くことにしたのです。

 では天皇・皇族はどこから収入を得るのでしょうか。皇室経済法によれば、皇族の費用は、内廷費、宮廷費、皇族費の3つに区分されています。

 内廷費とは、天皇、皇后、皇太子家が「日常の経費その他内廷諸経費」にあてるものをいいます。私たちの給与に相当するものです。この内廷費は、国庫から支出されるのですが、皇族の私的財産とされます。宮廷費は、「内廷諸経費以外の宮廷諸費に」あてるものです。これは公金であって、宮内庁の経理管理に属します。皇族費は内廷費を受けない皇族に対し支給されるもので、「皇族としての品位保持」のために支出されます。これは、<1>年額により毎年支出するもの、<2>皇族が初めて独立の生計を営むときに一時金として支出するもの、<3>皇族であった者としての品位保持のために、皇族の身分を離れるときに一時金として支出するもの、というように三種類あります。皇族費も、皇族の私的財産です。

 さらに憲法8条は、「皇室に財産を譲り渡し、又は皇族が、財産を譲り受け、若しくは賜与(しよ)することは、国会の議決に基かなければならない」と規定しています。この規定は、皇族は、私たちとは異なり、他人から自由に資産を受けることも、あるいは、自分の私的財産といえども勝手に処分できないことを定めています。つまり、皇室大好き人間が、巨額の資金を皇族に提供することや、逆に、皇族が皇族以外の人へ巨額の資金を贈与することも禁止されます。かりに皇族の自由な財産移転が認められたら、おそらく皇族は全力で何らかの政治的権力を行使するでしょう。この規定はこれを防止し、皇室への財産供与などを国会の議決にかけることで、皇室の財産法上の行為を統制するのです。

 もっともこの規定を知らず、皇族に「お礼」をした自治体の首長がいました。競輪、競艇の「宮杯」に対する「お礼」ということで、高松宮家は約1億200万円、三笠宮寛仁親王は、約2200万円受け取っていました。年間160万円を超える財産の移転には、国会の議決が必要なのですが、結局、宮内庁は宮家が「預かっていただけ」ということで、すべてを返金することで決着させたようです。 

赤子(せきし):天皇を親とみた場合、国民を子どもととらえる家父長的な天皇観をあらわす用語法。

おことば:天皇が公式に発言すること。特に国会開会式で述べる言葉をさす場合がありますが、天皇の「おことば」を述べる憲法上の根拠規定はありません。天皇は、国事行為だけを行うことができますが、「おことば」は、国事行為を定める7条各号には規定されていません。通説では、非政治的・形式的・儀礼的な「おことば」を国事行為以外の公的行為として認め、その責任は内閣が負うと解しています。しかし、4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」と定めているので、国事行為以外の公的行為を認めない説も有力に唱えられています。

神勅:神のお告げという意味。アマテラスオオミカミ(皇室の祖神)がニニギノミコトを日本につかわしたときに、授けた言葉をさします。神勅天皇制という場合には、天皇の地位は日本固有の神話によって根拠づけられるとする、非合理的な政治神学を意味します。

元首:外国に向かって国家を代表する資格のある国家の機関をいいます。明治憲法4条では「天皇ハ国ノ元首」と定めていました。しかし、現憲法では元首の明文規定は存在していません。元首は、外国に向かって国家を代表することが重要な案件ですが、天皇は、外交関係上、形式的・儀礼的に「認証」する国事行為だけが認められているだけです。したがってその意味では、天皇は元首ではありません。外交関係の実質を決定するのが内閣である以上、元首は内閣総理大臣といえなくもないのです。もっとも、実際のうえでは、天皇を元首のように政府・外務省は扱っています。ただ、天皇を元首とした場合には、天皇の実質的権限を与えかねず、そのため通説は、天皇が元首であることを否定しています。」(伊藤雅康=植村勝慶など『現代憲法入門』(一橋出版、2005年)114頁~119頁)



(2) 要するに、天皇を「象徴」と規定した意味は、<1>天皇主権を否定して天皇を象徴という地位に限定し、その地位はあくまでも国民主権によって認めたものであること、<2>天皇を象徴という地位に限定することで、天皇を政治から隔絶させ(政治的中立性の要請)、自由に国家の仕事をさせる行動の自由をなくし、皇室財産を国有財産として皇室経済に対する民主的統制を徹底させることで財産処分の自由をもなくしたこと、にあるのです。

日本国憲法上、たしかに天皇(及び皇族)は「特別」な人ですが、天皇のあり方すべて国民主権原理によって大きな制約を受けるのです。皮肉な見方をすれば、天皇(及び皇族)は、「特別」になった代償として、日本国民ならば誰も有する自由を奪われ、「籠の中の鳥」のような存在となったのです。



2.次に、天皇の権能である「国事行為」に関する憲法解釈について、触れることにします。憲法に関する学術的な書籍であれば、どれにも出ていることですが、通説的な立場でしかも論旨が明快で分かりやすい記述をしている、戸波江二・早稲田大教授(憲法)の書籍を引用することにします。

(1) 戸波江二『憲法(新版)』(ぎょうせい、1998年)75頁以下

天皇の権能

1 天皇の権能の限定

 日本国憲法は、天皇の権能の範囲および行使の方法の両面で、天皇の権能を大幅に限定している。まず、権能範囲については、憲法4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めている。ここにいう「国事に関する行為」と「国政に関する権能」の相違は、ことばのうえからは明確ではない。しかし、憲法が象徴天皇制を採用し、天皇を政治から隔絶しようとしていることを踏まえれば、国政に関する権能とは、国政についての実質的な決定・関与権を意味し、他方で、国事に関する行為(国事行為)とは、実質的な決定権を含まない名目的・儀礼的な行為をいうと解される。すなわち、憲法は、明治憲法下の天皇統治体制を解消するために天皇の政治的な決定権を否定しつつ、象徴としての天皇にふさわしいと考えられる形式的な国家的行為を、憲法に列挙する「国事行為」として天皇の権能に属せしめたのである。

2 内閣の助言と承認

 天皇の権能が国事行為に限定されたこととならんで、天皇の国事行為に対する統制が強化されたことも重要である。憲法3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と定めた。これは、天皇の国事行為はすべて内閣の補佐と責任の下になされるべきこととし、天皇みずからが決定・実施することを否定したものである。

 天皇の国事行為は、憲法6条、7条に列挙されており、そららの行為はいずれも形式的・儀礼的行為と解するのが通説であるが、その理由づけについては厳しい対立がある。とくに、国会の召集(7条2号)、衆議院の解散(7条3号)のように、重要な政治的行為であるにもかかわらず憲法上実質的決定権の所在が明確でないものについて、内閣の助言と承認が当該行為の実質的決定権を含むかどうかが問題となる。この問題は、とりわけ衆議院の解散に関して論議された。(中略)日本国憲法の構造全体との関係では、行政権に位置する天皇が国事行為の権限を有し、それに対して内閣の助言と承認を行うこととされており、このような憲法構造からすれば、天皇の国事行為は実質的決定権を前提としていると解するのが妥当であろう。

3 内閣の助言と承認の手続

 内閣の助言と承認は、閣議によって決定される。内閣の助言と承認は「国事に関するすべての行為」(憲法3条)に必要であるとされているが、学説のなかには、他の機関によって実質的決定がなされている場合、たとえば、国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命の場合などには、内閣の助言と承認は不必要であるとする説がある。しかし、内閣の助言と承認が形式的な国事行為に対するものであると解する立場からは、天皇の権能を内閣の下に立たせるという憲法の趣旨を重視すれば、天皇の形式的行為についても、完全な統制を図るために、内閣の助言と承認を要すると解すべきである。

 内閣の助言と承認がすべての国事行為に必要であるとしても、その具体的な手続においては、助言と承認の閣議を簡略にすることは許されると解される。けだし、内閣の助言と承認のねらいは天皇の行為の統制にあり、その統制が十分に行われるのであれば、形式的で煩雑な手続を踏むには及ばないからである。したがって、天皇の国事行為の実質的決定権が内閣にある場合には、実質的決定をなす閣議において、助言と承認のための決定を含めて行うことができると解される。また、「助言と承認」の閣議についても、助言のための閣議と承認のための閣議という2つの閣議は必要ないと解される。

 天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認については、「内閣が、その責任を負ふ」(憲法3条)。天皇の国事行為はすべて内閣の意思に従って行われ、その責任は内閣が負うとともに、天皇はそれについて責任を負わないこととなる。内閣の責任は、憲法66条3項の場合と同様に、国会に対する連帯責任である。なお、天皇が内閣の助言と承認のとおりに行動しなかった場合には、天皇の行為の法的効果は否定されなければならず、あわせて、天皇の責任が問題となろう。

4 天皇の国事行為の内容

 天皇の国事行為は、憲法の列挙されたものにかぎられる。正確にいえば、国事行為とは憲法に列挙された行為のみを指す(憲法4条参照)。国事行為は、憲法6条の2つの任命行為、憲法7条の10の行為があり、さらに、憲法4条2項の国事行為を委任する行為もそれに含めれば、憲法上13の行為がある。

 憲法6条では、内閣総理大臣の任命(1項)、最高裁判所の長たる裁判官の任命(2項)があげられている。いずれも実質的決定権は他の機関にあることが明示されており、任命は形式的行為にすぎない。任命が国事行為とされたのは、天皇に象徴としての地位にふさわしい行為をする機会を与えたものと考えることができる。

 憲法7条では、10の国事行為が列挙されている。そのうちには、国務大臣および法律の定めるその他の吏員の任免、全権委任状および大使・公使の信任状の認証(5号)、恩赦の認証(6号)、批准書および法律の定めるその他の外交文書の認証(8号)のように内閣の決定を認証するもの、外国の大使・公使の接受(9号)、儀式の挙行(10号)のように天皇が事実行為を行うものもあるが、国会の召集(2号)、衆議院の解散(3号)のように重要な政治的行為もあげられている。いずれの行為も実質的決定権の所在に関わらないと解すべきである。以下に、主要な国事行為について概説する。

 <1> 憲法改正・法律・政令および条約の公布(1号)  公布とは、すでに成立した法令の内容を国民に知らせることをいい、法令の効力要件である。公布の時期は、法律については「奏上」から30日以内のうちに(国会66条)、内閣が助言と承認を通じて決定するが、法律の効力発生の時期が内閣の決定に依存することには疑問の余地がある。(中略)

 <2> 国会の召集(2号)  国会の召集とは、国会の会期を開始させるために、議員に国会に集合するように命ずることをいう。国会の召集の実質的決定権は内閣にあると解されているが、その根拠については、7条2号の国事行為に対する内閣の助言と承認に求める説と、臨時会の招集の決定権を内閣に認めている憲法53条を類推する説とがある。

 <3> 衆議院の解散(3号)  解散とは、議員の資格を任期満了前に失わせることをいう。衆議院の解散については、解散権の根拠を本号に求める説(7条説)と、本号は解散の実質的決定権を含まないとする説(69条説ないし制度説)とが対立している。(中略)

 <4> 国会議員の総選挙の公示(4号)  ここにいう国会議員の総選挙とは、衆議院の任期満了または解散によって行われる総選挙、および、参議院議員の通常選挙をいう。選挙の期日の公示は、総選挙については選挙期日に少なくとも12日前に、通常選挙については選挙期日の少なくとも17日前になされなければならず(公選法31条・32条)、その範囲内で、内閣は公示の時期について助言と承認を行うことになる。なお、選挙の施行期日を決定する権限についてては明文の規定はなく、実例では内閣が決定しているが、各議院が決定することも憲法上可能であろう。

 <5> 栄典の授与(7号)  栄典とは、特定人の栄誉を表彰するために与えられる特別の地位をいう。明治憲法時代には、爵・位・勲章・褒章等の栄典があったが、日本国憲法では、栄典の世襲を禁じたことにともない、爵は廃止された。その他の栄典については、当初は文化勲章令による文化勲章、褒章条例による褒章条例があったが、政府は、1955年に褒章条例を政令で改正した。これらの措置は、いずれも法律に基づかずに国民に利益を与える措置であり、授与の実質的決定権については憲法に規定がない。栄典授与は伝統的には君主の権能とされてきたが、それを行政権が引き継いでいるとみなし、さらに、「行政権は内閣に属する」とする憲法65条が条文上の根拠となると解して、内閣に実質的決定権を認めるのが妥当であろう。

 <6> 外国の大使・公使の接受(9号)  ここにいう接受とは、外国の大使・公使を接見する儀礼的な行為と解される。接受という場合、外国の外交使節の提供する信任状を受け、アグレマンを与えることを指す場合もあるが、そのような実質的権能は「外交関係を処理する」(憲法73条2号)内閣に属すると解される。しかし、実例によれば、外国元首の信任状では天皇が名宛人とされており、天皇が元首であるかの外観を呈している。

 <7> 儀式の挙行(10号)  ここにいう儀式とは、国家的性格をもつ儀式をいい、私的な行事を含まない。即位の礼(皇室典範24条)、大喪の礼(同25条)などのほか、祭日・記念日の天皇主宰の式典、外国の要人を招待する公式の晩餐会などもここにいう儀式にあたる。これらの儀式は宗教色をもつことは許されない(憲法20条3項)。したがって、宗教的な行事は、私的な儀式としてのみ許される。」



(2) 要するに、天皇の権能は、憲法が列挙する「国事行為」に限定され、その行使も内閣の意思(=閣議決定)に従って行われるため、天皇には一切の政治的決定権がなく、その天皇の行為の責任は内閣が負うのです。言い換えれば、憲法4条により、天皇の国事行為は、はじめから非政治的・儀礼的であるであることが定められているのですが、そのような国事行為自体が、さらに内閣の助言と承認によって拘束させることで、天皇の政治からの隔離が強調されているのです(樋口=佐藤=中村=浦部『注釈日本国憲法上巻』(青林書院、昭和59年)85頁)。これが象徴天皇制に対する現憲法の考え方であるわけです。

もちろん、天皇が内閣の助言と承認に絶対的に拘束される以上、「内閣の助言と承認」は、閣議によって決定し天皇に申し出るだけであって、内閣から天皇への申し出という「助言」を行い、天皇からの提案に対して内閣の同意という「承認」をするのではありません。

もっとも、国会の召集(7条2号)、衆議院の解散(7条3号)のような行為は、重要な政治的行為ですから、「国事行為」すべて非政治的・儀礼的な行為というわけではありません。また、外国の大使・公使と接見すること(9号)は、儀礼的な「事実行為」に過ぎないとされてはいますが、国際情勢によってはある国の大使・公使と面会すること自体が政治性を帯びており、特に、(文言解釈上、「外国の大使・公使の接受(9号)」の中に外国要人との会見を含むかどうかは別として)外国要人との会見となれば、政治性を帯びてしまうのは必然です。

このように、天皇の権能としての「国事行為」には、元々、政治的な行為が含まれているのです。特に、明文にない「公的行為」という論理で、天皇の権能を拡大すればもっと政治的な行為が拡大します。しかし、「国事行為」は内閣の意思(=閣議決定)に従って行われるため、「国事行為」の実質的決定権が内閣に帰属し、内閣が責任を負うという論理によって、天皇自身は政治的な行為をしていないとみなしているわけです。正直なところ、嘘くさい理屈なのですが、政治的中立性が要請される象徴天皇制としながらも、政治的な行為を行わせているという矛盾が根本原因なのですから、仕方がないのかもしれません。




3.小沢民主党幹事長の12月14日の会見に対しては、マスコミからは「外国要人との会見は、内閣の助言と承認を必要とする国事行為ではなく、公的行為である」などと批判をしていました。その「公的行為」は、憲法上どのように評価され、政府はどのように運用しているのでしょうか。

(1)まずは、「公的行為」の具体例と「公的行為」に対する政府の運用を紹介しておきます。

 「日本国憲法は、天皇を「日本国」および「日本国民統合」の「象徴」とする(1条)とともに、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(4条1項)ことを明示している。そして、天皇の国事行為には、「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(3条)ものとし、天皇の国事行為は、内閣総理大臣と最高裁判所長官の任命権(6条)およびその他列挙された事項(7条)になっている。

 天皇は私的な個人としての地位を有しており、避暑や避寒、生物学研究のための採集、相撲見物など私的行為は、法の特別の規定をまつことなく当然行いうるものである。そして、私的行為は、公金(宮廷費)ではなく、内廷費(御手元金)でまかなわれることになる。問題は、憲法で規定された国事行為以外に公的行為を行いうるか否かである。公的行為の実例として、(イ)外国元首と親書親電の交換、(ロ)外国公式訪問、(ハ)外国の国家儀式への参列、(ニ)国会開会式への出席と「おことば」の朗読、(ホ)国民体育大会、植樹祭などの各種大会・祭への出席、(ヘ)園遊会、正月の一般参賀などの公的行事、(ト)国内巡幸、(チ)謁見、(リ)内奏がある。これらの公的行為は、国内巡幸が昭和21年2月19日から、国会開会式への出席と「おことば」の朗読が昭和22年6月23日の第1回国会開会式から、正月の一般参賀が昭和23年から、園遊会が昭和28年から行われている。

 これらの行為に対する政府部内の行政解釈は昭和22年3月頃定められた。それによると、皇室には憲法上認められた公的な性格とそうでない私的な性格とがあり、「後者から生ずる私的事項についてもそれが国民統合の象徴たる天皇の地位の保持に影響の深いものである場合には、その私的事項が適切に行われるよう国がお世話はすべきである」ということから、「祭祀・私的財産の管理などは純然たる私的事項であり、公務員の関与を許さないものと取り扱ったが、行幸・謁見・国内巡幸・皇太子の教育などは広義の国家事務として宮内庁職員の手により、かつ、宮廷費をもって処理することとした」のである。また、このような公的事務に対する内閣の責任の負い方は、天皇が国事行為をなす場合の助言と承認の閣議決定とは異なり、行政の最高機関としての内閣が宮内庁の上級機関として、その方針あるいは重要事項を決定するという意味の閣議決定がなされ、内閣はその方針または重要事項に関する限り一般的な責任を負うものとされている。いずれにしろ、憲法運用の実際は、「国事行為以外にも天皇の公的行為は存在し、これら公的行為は国政に関する権能でない限り、また、内閣の責任の下においてなされる限り、天皇が行ないうるもの」と解されているのである。」(「第1講 天皇の公的行為と私的行為」(中村睦男『憲法30講(新版)』(青林書院、1999年)3頁以下)


 イ 政府の運用は、「国事行為」と「公的行為」とは明文の有無という点で違いがありますが、意味合いは異なる「閣議決定」であっても、国事行為と同様に公的行為も「閣議決定」がなされ内閣が責任を負うという形で、「国事行為」と「公的行為」を統制しているわけです。

 ロ もっとも、実際上、「首相官邸と宮内庁が日程調整などをする際には官僚OBの官房副長官が仲介」(朝日新聞平成21年12月12日朝刊1面(14版))する形で運用しているように、一方的な閣議決定で決定するわけではありません(「天皇の“特例”会見問題(1):発端と経緯(1)~「例外のない規則はない」のだから、「1ヵ月ルール」の例外を認めてもいいのでは?」(2009/12/26 [Sat] 15:59:38))。

また、大相撲観戦は昭和天皇の時代には私的行為でしたが現在は公的行為に変わり、病気治療は私費なのですが、宮家のがん治療で費用がかさんだせいか、今ではがん治療は公費になっているようです。何を公的行為か私的行為かの判断を含め、こうした「基準を決めるのは宮内庁」(東京新聞平成21年12月17日付朝刊「こちら特報部」より)であって、閣議決定で明瞭に決定してはいないようです。

 ハ このように、公的な行為が広く行われ、天皇の権能行使は原則として「閣議決定」によるとし、その責任は内閣が負うとしているのに、多くの公的な行為が内閣が明瞭な基準で決定することなく、宮内庁の裁量のまま、公的な行為の判断・実施がなし崩し的行われているのが、現状です。



(2) では、「公的行為」につき、学説はどう理解しているのでしょうか?

 イ 戸波江二『憲法(新版)』(ぎょうせい、1998年)82頁以下

天皇の公的行為

 天皇は、憲法の定める国事行為を行うほか、当然に私人としての行為(私的行為)を行うことができる。ところが、さらに、天皇は、たとえば、国会の開会式に参列して「おことば」を述べ、外国元首と親書を交換し、外国を公式に訪問するなど、純然たる私的行為でもなく、また国事行為にもあてはまらない行為を実際に行っている。そこで、それらの公的な行為の憲法的評価が問題となる。

 まず、これらの行為を私的行為とみなす説がある。しかし、これらの行為が実際に公的性格を帯びていることは否定できず、また、それを私的行為とみなすと、天皇がこれらの行為を自由に行うことができることになり、不当な結論をもたらす。次に、これらの行為を国事行為に含めて解釈する説がある。たとえば、国会開会式で「おことば」を賜る行為を「儀式を行ふこと」(7条10号)に含め、外国元首との親書交換を「外交文書の認証」や「外国の大使・公使の接受」(同条8号・9号)に含めるなどである。しかし、この説には、憲法の定める国事行為がその文言以上に拡張されることになり、あるいは、公式外国訪問のように国事行為のどれにもあてはまらない行為についての説明がつかないという問題がある。また、国事行為に密着に関連する行為にかぎって準国事行為として認めるという説もあるが、何をもって密接に関連するかが不明確であるという問題がある。そこで、天皇の行為について私的行為と国事行為の二種類しか認めないという立場を貫き、かつ国事行為の意義を厳格に解釈して、天皇のこれらの行為を違憲とする説も有力である。

 これに対して、学説の多数は、私的行為・国事行為の他に、天皇に許される公的な行為があり、前述の行為はそのような公的行為として合憲になると解している。公的行為を是認する論拠には、若干ニュアンスの異なった2つの見解がある。1つは、天皇という人間が象徴としての地位に置かれた以上、天皇が「象徴としての行為」として一定の公的行為を行うことは憲法上是認されるとする説であり、他の1つは、天皇もまた知事や市長と同様に一種の「公人」であり、知事や市長が種々の式典に社交的・儀礼的に参列することが是認されるように、天皇にも公的行為を認めることができるとする説である。いずれにせよ、天皇が、政治に関係しない一定の事実行為について、内閣の直接または間接(宮内庁を通じて)の補佐と責任の下で行うことを是認する。しかし、この説に対しては、「儀式を行ふこと」のような事実行為をも国事行為としている憲法の趣旨からして、そのほかに公的行為を認める余地はないのではないか、また、公的行為に対して内閣のコントロールが及ぶとする憲法上の根拠が存在しないのではないか、などの批判がある。

 違憲説は、天皇の権能を限定している憲法の趣旨に忠実な解釈であるが、象徴の地位に置かれた天皇が、一定の公的色彩を帯びた行為を行うことはある意味では不可避であり、従来からその種の行為に対する国民の暗黙の了解も存在していることを考慮すれば、それらの行為をすべて違憲と解することは困難である。しかし、天皇の公的な行為を是認する根拠として、国事行為の意義を拡大する説にも相当の理由があるが、多数説のように公的行為の存在を率直に認めつつ、その内容・範囲を限定して解するのが穏当であるように思われる。すなわち、天皇が公的行為として行うことに十分な理由がある行為で、しかも、宗教色・政治色のない事実行為について、内閣の補佐と責任の下でのみ行われなければならないと解するのが妥当である。いずれにせよ、内閣は、天皇の公的行為の実施・不実施の決定を通じて、天皇を政治的に利用することがあってはならない。

*天皇の公式会合での発言  1992年の中国訪問など、天皇が戦争相手国の訪問等にあたって歓迎晩餐会の際に述べる「答辞」が話題になる。そこでの天皇のおことばは、憲法上は、内閣の補佐と責任の下で述べられるものであり、天皇自身のおことばと解すべきではない。」


 ロ:憲法は、象徴天皇制に関する憲法の理念より天皇の権能を「国事行為」に限定している以上、公的な行為はできる限り「国事行為」に含めていく考えを採るか、あるいはより憲法の趣旨に忠実な解釈をするのであれば、公的行為はすべて違憲であるという考えを採るのが筋です。

しかし、公的な行為は多くあるので、「国事行為」に入りきれませんし、天皇が公的な行為をすることにつき、多くの国民の暗黙の了解があることから、公的な行為をすべて違憲とするのは困難です。ある意味、現状追認をしているだけなのですが、多数説は開き直って「公的行為」の存在を率直に認め、「公的行為」にも内閣のコントロールを及ぼして内閣が責任を負うとすることで、合憲的な理解をするわけです。

そして、多数説は、(a)天皇が公的行為として行うことに十分な理由がある行為で、(b)宗教色・政治色のない事実行為に限り、(c)内閣の補佐と責任の下でのみ行われなければならない、という条件を満たした範囲に公的行為を限定すると解しているのです。これが現在の学説の到達点です。

 ハ:しかし、実際上、政府は、この条件を満たした運用をしているわけではありません。例えば、新天皇の即位に関しては、宗教的儀式として「大嘗祭(だいじょうさい)」、国事行為として「即位の礼」が行われ、大嘗祭の費用を公費(宮廷費)で賄ったため、政教分離違反のはずです(野中=中村=高橋=高見『憲法1(第4版)』(有斐閣、平成18年)133頁参照)。要するに、宗教色でない事実行為に限るという条件を満たすことができていないのです。

企業視察や展覧会などのイベント視察は、営利目的のために天皇を利用しているともいえます。しかし、公的行為を限定するための条件としては、営利目的でないことは含まれていませんし、こうした視察が「天皇が公的行為として行うことに十分な理由がある行為」なのかどうか、疑問があります。

このように多数説は、建前としては公的行為を限定するとしてはいるものの、実際上は限定されていませんし、内閣のコントロールを行うという建前も、宮内庁の裁量のまま、公的な行為の判断・実施がなし崩し的行われているのが、現状です。

多数説のように、天皇の「公的行為」の存在を率直に認めるのであれば、そうした公的行為を行う「公的存在」である以上、天皇の存在自身は政治的な存在であって、その行為は政治的な意味合いを帯びてしまうことも、率直に認めるべきであろうかと思います。ですから、ある意味、公的行為を認めて、その公的行為を拡大すればするほど、公的行為が天皇の政治的利用となることは、不可避であるように思われるのです。こうした認識を踏まえたうえで、天皇の権能に対して、内閣の実効的なコントロールを行うべきなのです。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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