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2009/12/26 [Sat] 15:59:38 » E d i t
政府は平成21年12月11日午前、中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席国家副主席が12月14日に来日し、天皇陛下や鳩山首相と会談すると発表しました。天皇陛下と外国要人との会見は1か月前までに申請を受け付けるという政府内の慣行を外れた特例的措置で、「日中関係は政治的に重要」とする鳩山首相の指示に基づき、最終的に宮内庁が受け入れました。

宮内庁の羽毛田信吾長官は12月11日午後、記者団に対し、「憲法下の陛下の基本的なあり方にもかかわる」と、天皇の政治利用の観点から懸念を表明したことを発端として、天皇陛下の会見は政治問題と化して多くの論議を呼び、政府内からも、「やめていいのであればやめた方がいい」(渡辺周総務副大臣(民主党)が12月13日のテレビ朝日の番組で)との動揺した意見まで出ました。しかし、結局は予定通り、天皇陛下は12月15日午前、皇居・宮殿「竹の間」で、中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席と会見しました。

この「天皇の“特例”会見問題」については、「天皇の政治利用」か否か、すなわち、天皇陛下と外国要人との会見は1か月前までに申請を受け付けるという政府内の慣行(いわゆる「(宮内庁の)1ヵ月ルール」)の例外を認めたことは、「天皇の政治利用」になるのか否かが議論になりました。その議論の中心は憲法解釈論議ですので、「天皇の特例会見問題」に関して、憲法学の議論を中心として論じてみたいと思います。



この問題について、1面トップに置き、多くの紙面をとって取り上げたのは、在京新聞では、朝日新聞と東京新聞だけでした。産経新聞は1面で大きく取り上げたものの、関連記事はごくわずかでしたし、毎日新聞は13版では2面扱いにし、14版でかろうじて1面に小さめの記事を掲載(毎日新聞の記者は問題の所在がよく分からなかったが、他紙の早刷りを読んで1面に持ってくる問題であると理解したと思われる。)する体たらくでした。そこで、より充実していた朝日新聞の記事を中心に引用しておきます。


1.まずは、中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席が天皇陛下と会見すると発表した記事と、会見した記事を。

(1)朝日新聞平成21年12月12日朝刊1面(14版)

天皇会見、首相が特例要請 期限後に宮内庁へ
2009年12月11日22時54分

 岡田克也外相は11日の記者会見で、中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席が天皇陛下と会見することを明らかにした。15日午前の予定。宮内庁は陛下の体調への負担と相手国への公平性の観点から、外国要人との会見は1カ月前までに打診するよう外務省に求めていたが、今回の打診は1カ月を切った11月26日。官邸側からは今月7日と10日に「首相の指示。日中関係の重要性にかんがみて」と強い要請があったという。宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官は11日午後、急きょ報道陣への経緯説明の場を設け、憲法下の象徴天皇のあり方にかかわる問題との懸念を表明した。

◆経緯への懸念表明 宮内庁長官

 習氏の日本滞在は当初予定より1日短い14~16日で、14日午後に鳩山由紀夫首相と会談し、同日夜には首相主催の晩餐(ばんさん)会に出席する。

 外務省関係者によると、中国側から日中間のハイレベル交流の一環として、今年初めから「国家指導者」の来日を打診されていた。10月ごろに習氏のことであると中国側から説明を受け、あわせて天皇陛下との会見を希望していることも伝えられていた。

 中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席は1998年に副主席として来日した際、天皇と会見している。このため、中国政府は、胡氏の有力な後継候補とされる習氏にも同様の対応を求めた。外務省は中国政府に対して、この「1カ月ルール」を説明。日程を早急に連絡するよう繰り返し申し入れてきたが、中国側からの具体的な日程連絡が遅れたという。

 一方、宮内庁の羽毛田長官によると、外務省から宮内庁に初めて内々の打診があったのは11月26日。宮内庁はルールに照らし「応じかねる」と27日に返答したという。

 その後、12月7日に平野博文官房長官から羽毛田長官に電話で要請があった。断ると10日に再度電話で「総理の指示を受けての要請だ。ルールも分かるが、日中関係の重要性にかんがみてぜひお願いする」と強く要請を受けたという。

 羽毛田長官は「このルールの肝心なところは相手国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけずにやってきた点だ。『ぜひルールを尊重してほしい』と官房長官に申し上げた」と強調。「現憲法下の天皇のお務めのあり方や役割といった基本的なことがらにかかわることだ」と述べた。

 天皇の政治的利用につながりかねないとの懸念を持っているのかとの質問に「大きく言えばそういうことでしょう」「陛下のお務めのありよう、役割について非常に懸念することになるのではないか」と述べ、「今後二度とあってほしくないというのが私の切なる願いだ」と異例の「訴え」を展開した。

 要請を最終的に受け入れたことについては「宮内庁も内閣の一翼を占める政府機関である以上、官房長官の指示には従うべき立場」とし、「誠に心苦しい思い。大変異例だが、陛下にお願いすることにした」と述べた。

 これに対し、鳩山首相は記者団に「1カ月ルールというのは存じ上げてはいた。しかし、1カ月を数日間切ればしゃくし定規でダメだということで、果たして本当に諸外国との国際的な親善の意味で正しいのか。私から官房長官に指示し、(陛下の体調と)両立できる解決はないかと申した」と説明。「政治利用という言葉は当たらないと考えている」と述べた。」



【1ヵ月ルール】 羽毛田長官によると、「1ヵ月ルール」は1995年ごろから慣例としてあった。日程調整に支障をきたすと高齢で多忙の陛下に負担をかけるためで、「陛下をお守りするためのルール」と説明する。とりわけ陛下が前立腺がんの摘出手術を受けた翌年の2004年からはより厳格な徹底を要請。外務省に文書で通知していた。それ以降、1ヵ月を切ってから会見の要請があったことはこれまでなかった。唯一の例外は2005年、タイの上院議長との会見。打診は1日遅れだったが、同国がスマトラ沖地震とインド洋津波の被害を受けた事情があり、会見を引き受けた。」



慣例変更 慎重さ必要

 鳩山内閣が、天皇が外国要人と会う際に宮内庁が守ってきた慣例を破った。「脱官僚依存」の立場からは問題ないのかもしれない。ただ、「天皇の政治利用」を封じるために積み重ねてきた慣例を変えれば天皇制の重大な変質につながりかねず、より慎重かつ厳密な対応が求められる。

 鳩山内閣は発足以来、政治主導を推進しようと、戦後政治のルールを見直してきた。宮内庁の羽毛田信吾長官が主張する外務省と宮内庁の申し合わせ「1ヵ月ルール」も見直しの対象になるのだろう。

 ただ、歴代政権は、戦前の反省から、天皇の言動に関与することを禁欲的に自制してきた。1ヵ月ルールもその延長戦上にある。首相官邸と宮内庁が日程調整などをする際には官僚OBの官房副長官が仲介し、フィルター役を務めてきた。鳩山首相が「政治主導」の観点から、宮内庁に任せてきた領域にまで踏み込むとしたら、判断の根拠を説明し、新たな透明・公正なルール作りをする必要がある。

 疑問が残るのは、鳩山首相が会見を要請した時期が遅かった点だ。訪中を控えた民主党の小沢一郎幹事長らに配慮したとしたら、政治の領域に天皇を巻き込むことになる。天皇の公務には内閣が責任を負う以上、明確に説明する義務がある。(有馬央記)」




(2) 読売新聞平成21年12月19日付朝刊13面「解説スペシャル」(一部引用)

「1か月」慣行 昭和天皇時代から

 宮内庁によると、天皇陛下との会見を希望する場合、1か月前までに申請するという慣行は、昭和天皇の時代からあったという。

 陛下の即位後も「目安」として引き継がれたが、実際は期限を過ぎた要請がしばしばあり、同庁は、ほかの予定を先延ばしするするなど可能な限り受け入れてきた。

 陛下も、皇太子時代からの行事にそのまま出席を続ける一方、外国要人との会見に頻繁に臨まれていた。しかし、急な会見が入るとただでさえ多忙な日程の調整に大きな支障をきたすため、同庁は1995年3月、1か月ルールを文書化、申請窓口の外務省に伝えた。ところが、その後も年に数件、1か月未満の申請があり、徹底できないでいた。

 陛下が前立腺がんの手術を受けた翌年の2004年2月、70歳を迎えられたこともあり、同庁はルール厳守を外務省に文書で求め、以降守られてきた。」



 イ:人と会う場合、事前に日時と場所を伝え、日程を調整しあうなどの連絡を取り合うのが普通のことです。まして、天皇陛下との会見を希望する場合、かなり前に申請する必要があるということ自体は予測できるといえます。

「1ヵ月ルール」は「昭和天皇の時代からあった」慣行だったようで、「1995年3月、1か月ルールを文書化」し、慣行も目に見える形(内規化)となったわけです。ただ、その1995年ごろからの慣行も、それ以前と同様、「年に数件、1か月未満の申請があり、徹底できない」状態だったのです。

その後、「2004年2月」以降は、「1ヵ月ルールは」厳しくなったとはいえ、2005年、打診が1日遅れの場合も、タイの上院議長との会見は認めていたわけです。このように、「1ヵ月ルール」は例外を認めてきた経緯があるルールだったのです。言い換えれば、「1ヵ月ルール」も所詮は1つの規則にすぎず、「例外のない規則はない」という格言通りであったわけです。そうすると、「1ヵ月ルール」の例外を認めたとして強く非難する理由はないというべきです。

記事中で触れられているように、元々、「1ヵ月ルール」は、高齢で多忙の天皇陛下に負担をかけることを軽減するためであって、「天皇の政治利用」を阻止するためのルールではありません。ですから、今回、「1ヵ月ルール」の例外を認めたからといって、――負担軽減違反となり得たとしても――「天皇の政治利用」に直結するはずがないのです。簡単にいれば、「1ヵ月ルール」の例外事例となったことで、高齢で多忙の天皇陛下に負担をかける可能性がありましたが、単に通常の日程調整が遅れてしまっただけの話なのです。


 ロ:もっとよく考えると、本当に「1ヵ月ルール」違反だったのでしょうか? 「1ヵ月ルール」違反だとされている今回の経緯を見ると、「1ヵ月ルール」の例外を認めたわけではないという理解も可能なように思えます。

「外務省関係者によると、中国側から日中間のハイレベル交流の一環として、今年初めから「国家指導者」の来日を打診されていた10月ごろに習氏のことであると中国側から説明を受け、あわせて天皇陛下との会見を希望していることも伝えられていた

 中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席は1998年に副主席として来日した際、天皇と会見している。このため、中国政府は、胡氏の有力な後継候補とされる習氏にも同様の対応を求めた。外務省は中国政府に対して、この「1カ月ルール」を説明。日程を早急に連絡するよう繰り返し申し入れてきたが、中国側からの具体的な日程連絡が遅れたという。

 一方、宮内庁の羽毛田長官によると、外務省から宮内庁に初めて内々の打診があったのは11月26日。宮内庁はルールに照らし「応じかねる」と27日に返答したという。」(朝日新聞平成21年12月12日朝刊1面(14版)


「外務省から宮内庁に初めて内々の打診があったのは11月26日」ですから、宮内庁の認識を基準にすれば、12月14日の会見は「1ヵ月ルール」違反です。しかし、外務省に対しては、「今年初めから「国家指導者」の来日を打診されていた」のであり、「10月ごろに習氏のことであると中国側から説明を受け、あわせて天皇陛下との会見を希望していることも伝えられていた」のですから、外務省の認識を基準にすれば――日程は明確ではないとしても――「1ヵ月ルール」違反とはいえません。

では、どちらの認識を基準にするべきでしょうか? 

読売新聞によると、外務省が(外国向けには)申請窓口なのであって、(外国に対しては)宮内庁が知るかどうかは省庁間という内向きの調整問題にすぎないというべきですから、外務省が会見希望の有無を知っていたかどうか、外務省の認識を基準にするのが妥当と考えます。そうすると、外務省の認識を基準とするのであれば、「1ヵ月ルール」は遵守できていたといえるのです。

宮内庁長官は、打診が遅れた外務省に対して抗議をすることは当然であるとしても、鳩山内閣に対して――官庁間の調整不備や中国に対して日程につき、内閣が積極的に乗り出さなかった(=不作為)との非難はありうるとしても――「(宮内庁の)1ヵ月ルール」違反の非難を向けるのは筋違いであるように思われます。


 ハ:ほとんどの市民は、この記事のような内容を見聞きして初めて、「宮内庁には1ヵ月ルールがある」ことを知り、驚いたのではないでしょうか。日米密約と同様に、行政はまた、国民に何ら知らせることなく、またしても勝手にルールを設けてしまい、しかも、ルールとして厳密になったのは2004年からであって、たった5年しか経過していない厳密ルールなのに、勝手に「慣例だ、慣例だ」とほざいるのか、と――

一般論として、国民に対して秘密裏に「ルール」を設け運用しておきながら、問題なってから、「ルール」違反だと言うのは妥当ではありません。「ルール」は事前に公表していてはじめて予見でき、「ルール」違反を問題視できるのですから。

天皇陛下は国民の象徴たる地位にあり、天皇の政治利用を阻止するのであれば、天皇陛下の活動はもちろん、「宮内庁のルール」であろうとなかろうと天皇制についての「ルール」はすべて公開する必要があります。昭和天皇の当時からずっと秘密裏にルールを維持してきた政府・行政――ルール創設当時はともかく、大半は自民党政権に対する批判となりますが――に対して、秘密裏な「1ヵ月ルール」を設け運用してきたこと自体への批判も向けるべきです。



(3) 朝日新聞平成21年12月12日付朝刊2面(14版)

会見要請 党の意向?

 「二度とあってほしくない」。中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席と天皇との会見が、首相官邸側の意向によって慣例を破ってセットされたことについて、宮内庁の羽毛田信吾長官(67)が厳しい言葉で批判する異例の事態となった。鳩山由紀夫首相は取り合わないが、憲法上の天皇の役割にからむ問題だけに、影響は尾を引きそうだ。

◆中国、小沢氏に打診 首相、天皇政治利用否定

 首相官邸と宮内庁の異例の対立のきっかけは、宮内庁の「1ヵ月ルール」だった。

 天皇と海外要人との会見の申し入れは少なくとも1ヵ月前までに行う――。2003年、天皇が前立腺がん手術を受けたのをきっかけに、厳格な適用を外務省に文書で要請していた。習副主席と天皇の会見は、ルールでは実現しないはずだったが、首相官邸は2回にわたる宮内庁の拒否を押し切って、会見を実現させる。

 羽毛田氏によると、外務省からの最初の打診は先月26日。来日予定は今月14日。1ヵ月ルールに照らし、「応じかねる」と打ち返した。

 事態はこれから動き始める。今月7日、首相が平野博文官房長官に伝えた。「何とかこれ、できないだろうか。非常に重要なんだけど」

 首相の意向を受け、平野氏が羽毛田氏に電話を入れた。

 「日中関係において非常に重要な人物だ。天皇陛下のお体のことがあるから、許す範囲で面会できるようにやってもらいたい」

 政権交代前は、宮内庁とのやりとりは官邸事務方の役割だった。05年4月に長官に就任した羽毛田氏は、旧厚生省出身。官邸事務方の要とも言える主席内閣参事官の経験もある。政官の役割分担に通じた羽毛田氏にとって、官房長官からの直接の電話は、「政治の圧力」と受け止めたとみられる。ただちに「ぜひ(ルールを)尊重して頂きたい」と反論したという。

 平野氏は認めていないが、羽毛田氏によると、10日に改めて平野氏から電話があった。「首相の指示を受けての要請だ」。羽毛田氏は折れた。「宮内庁も内閣の一翼を占める政府機関。指示には従うべき立場だ」

 1ヵ月ルールについて首相は11日、「数日間足りなければ、しゃくし定規でダメだということで、果たして諸外国との国際的な神前の意味で正しいことなのか」。柔軟な運用が必要だとの主張だ。

 しかし、羽毛田氏にとって、単なるルールの問題ではない。11日、記者団に「国の政治的案件に天皇陛下を打開役に(起用する)ということになったら、憲法上の陛下のありようとは大きく違うことになる」。「天皇の政治利用」につながりかねないとの危機感をあらわにした。国の大小や重要性に差をつけない皇室の国際親善は、政府の外交とは異なるとの考えも強調した。

 確かに、首相の言動を追うと、「国際親善」という動機に疑問が出てくる。首相が平野氏に指示したのは、「数日間足りない」どころか、習氏来日のわずか1週間。

 背後にかいま見えるのが民主党の影だ。4日には訪中を控えた民主党の小沢一郎幹事長が首相官邸で首相と会談している。

 首相は11日、「小沢幹事長から話があったわけではありません」と関与を明確に否定した。ただ、民主党幹部によると、中国側の党側への打診は早かった。中国側が小沢氏らに、天皇との会見を希望していると伝えてきたのは11月後半。同月20日には、中国の楊潔チ(ヤンチエチー)外相が国会内の党幹事長室に小沢氏を訪ね、習氏の来日予定を説明した。

 今月7日には山岡賢次国会対策委員長が中国公使に頼み込まれ、鳩山首相や平野長官らに会見を要請する電話をしたとされる。9日には、崔天凱(ツォイ・ティエンカイ)中国大使が国会内の党幹事長室を訪問し、小沢氏に「何とかして福主席を陛下と会わせてほしい」と懇願したという。平野氏が羽毛田氏に2度目の会見要請の電話を入れたのは翌10日だった。

 政府関係者は「首相は9日ごろには会見ができないことを納得していたはずだ」と証言する。党側の意向が官邸を動かした――との推測だ。」



◆中国「ポスト胡へ追い風」

 「日本政府から外交ルートを通じて、99%実現が難しいと言われていただけに、大変喜ばしい。鳩山政権が中日関係を重視していることの表れだろう」。あきらめかけていた習副主席と天皇陛下との会見が実現することを中国外務省関係者は歓迎している。

 日中関係筋によると、両国政府が習氏訪日について本格的な実務協議を始めたのは11月に入ってから。中国政府は日本側に対し、鳩山首相だけでなく天皇との会見を望んでいた。しかし、毎年12月には来年の経済運営方針を決める中央経済工作会議があり、習氏を含む指導部メンバーは必ず参加する。その日時が確定しなかったため、会見日程が決められなかったとされる。

 中国にとっても天皇は特別な存在だ。1949年の建国以降、中国の指導者として初めて天皇と会見したのが、78年に訪日した当時の小平副首相。胡錦濤(フー・チンタオ)・国家主席も、国家副主席になったばかりの98年に訪日した際、天皇の会見している。

 習氏は2007年の共産党大会で、最高指導部である政治局常務委員に抜擢(ばってき)され、翌08年3月には国家副主席に就任。党総書記、国家主席である胡氏の最有力後継候補となった。このまま順当にいけば、次の党大会が開かれる12年から10年間にわたり、中国の最高指導者を務めることになる。

 ただ、9月にあった共産党中央委員会の全体会議では、次期最高指導者になるための重要なステップとされる党中央軍事委員会副主席への選出が見送られた。習氏は党常務委員になって2年余りで「実績がまだ足りず、時期尚早」(党関係者)と判断されたとみられ、実績づくりが求められている。

 党関係者によると、習氏は最近、胡主席の代理決裁をすることが増え、軍の業務にも関与している。訪中した要人との会談の多さも群を抜く。今回の訪日を通じて内外で権威を高めたい習氏にとって、胡氏の前例を踏襲する形での天皇との会見は「ポスト胡への追い風」(党関係者)とみられる。(北京=峯村健司)」


 イ:この記事を見ると、日程調整が遅れた理由が分かります。

「中国政府は日本側に対し、鳩山首相だけでなく天皇との会見を望んでいた。しかし、毎年12月には来年の経済運営方針を決める中央経済工作会議があり、習氏を含む指導部メンバーは必ず参加する。その日時が確定しなかったため、会見日程が決められなかったとされる。」


日中間で無用な揉め事を生じさせた小泉政権下の在り方を改善し、中国側の事情に配慮することは必要なことです。「1ヵ月ルール」を遵守するのであれば、来日予定期間を広くとっておき、会見をすることを予定して、天皇陛下の予定を組んでおけばよかった話にすぎないように思えます。


 ロ:次の2点は、重要なポイントです。

「背後にかいま見えるのが民主党の影だ。4日には訪中を控えた民主党の小沢一郎幹事長が首相官邸で首相と会談している。
 首相は11日、「小沢幹事長から話があったわけではありません」と関与を明確に否定した。ただ、民主党幹部によると、中国側の党側への打診は早かった。中国側が小沢氏らに、天皇との会見を希望していると伝えてきたのは11月後半。同月20日には、中国の楊潔チ(ヤンチエチー)外相が国会内の党幹事長室に小沢氏を訪ね、習氏の来日予定を説明した。
 今月7日には山岡賢次国会対策委員長が中国公使に頼み込まれ、鳩山首相や平野長官らに会見を要請する電話をしたとされる。9日には、崔天凱(ツォイ・ティエンカイ)中国大使が国会内の党幹事長室を訪問し、小沢氏に「何とかして福主席を陛下と会わせてほしい」と懇願したという。平野氏が羽毛田氏に2度目の会見要請の電話を入れたのは翌10日だった。」


「中国にとっても天皇は特別な存在だ。1949年の建国以降、中国の指導者として初めて天皇と会見したのが、78年に訪日した当時の小平副首相。胡錦濤(フー・チンタオ)・国家主席も、国家副主席になったばかりの98年に訪日した際、天皇の会見している。
 習氏は2007年の共産党大会で、最高指導部である政治局常務委員に抜擢(ばってき)され、翌08年3月には国家副主席に就任。党総書記、国家主席である胡氏の最有力後継候補となった。このまま順当にいけば、次の党大会が開かれる12年から10年間にわたり、中国の最高指導者を務めることになる。」


「11月20日には、中国の楊潔チ(ヤンチエチー)外相」が、「12月7日には中国公使」が、「12月9日には、崔天凱(ツォイ・ティエンカイ)中国大使」が、何人かの民主党の幹部に対して会見実現ための行動を起こしたことが分かります。後で触れるように、中国側は、中曽根元首相や、福田康夫元首相に対しても会見が実現するように要請したようです。おそらく非公式には、中国側は、もっと多くの関係者を通じて要請してきたと予測できます。このように、中国側は、公には中国側のすべての外交関係者を使い、日本における(政治家関係の面で与野党問わず)あらゆるチャンネルを通じて、天皇陛下との会見が実現するように手を打ってきたことが分かります。

また、「中国にとっても天皇は特別な存在」です。「中国の指導者として初めて天皇と会見したのが、78年に訪日した当時の小平副首相」であり、「胡錦濤(フー・チンタオ)・国家主席も、国家副主席になったばかりの98年に訪日した際、天皇の会見している」ことから分かるように、中国の指導者にとって天皇陛下に会見する場合、「副首相」や「副主席」の段階で会見することに大きな意義があるようです。

このように、「中国にとっても天皇は特別な存在」で、あらゆる手を尽くしてきている中国に対して、もし「1ヵ月ルール」を盾にして、天皇陛下と習近平国家副主席との会見を拒絶した場合には、メンツを非常に大切にする中国のメンツが丸つぶれとなりました。そうなれば、メンツを非常に大切にする中国のことですから、日中で拭い難い傷を残すことになって、より大きな政治問題となってしまったはずです。言い換えれば、「1ヵ月ルール」の例外を認めなかった場合には、かえって天皇陛下を大きな政治問題に巻き込むことになり、「天皇の非政治性」が危うくなりかけたのです。

今回の事例に関して、「1ヵ月ルール」の例外を認めることの弊害と、「1ヵ月ルール」の例外を否定して天皇陛下との会見を拒絶することで巻き起こる大きな政治問題と、どちらが内閣として妥当な判断だったのでしょうか。広い視点からよく考えれば、「天皇の非政治性」のためにはどちらが妥当だったのか、(日中間で無用な争いを生じさせた小泉元首相や安倍元首相を除き)誰にでも分かる判断ではないかと思われます。

なお、羽毛田宮内庁長官は、12月11日、記者団に「国の政治的案件に天皇陛下を打開役に(起用する)ということになったら、憲法上の陛下のありようとは大きく違うことになる」と述べています。中国の指導者にとって天皇陛下と会見する場合、「副首相」や「副主席」の段階で会見することは珍しいことではないのですから、今回の事例に関して、羽毛田宮内庁長官の言い分は的外れというべきです。




2.次に、天皇陛下が中国の習近平国家副主席と会見されたという記事です。

(1) 東京新聞平成21年12月15日付夕刊

陛下、習副主席と会見
2009年12月15日 夕刊

 天皇陛下は十五日午前、中国の習近平国家副主席と皇居・宮殿で会見された。この会見は、一カ月前までに申請するとのルールに反し官邸側が宮内庁を押し切って実現した。

 習副主席は予定より十分早い午前十時三十五分、宮殿南車寄せに到着。宮内庁の河村武和式部官長が出迎える予定だったが、早めの到着で式部官長は間に合わず、代わって出迎えた肥塚隆式部副長と笑顔で握手。その後は緊張した面持ちで宮殿内へ。陛下が車寄せで出迎えるのは各国の元首に限られる。

 会見は午前十一時から「竹の間」で行われ、習副主席は陛下と二十五分ほど懇談した。

 同席した河村式部官長によると、陛下は「今回の訪日によって両国間の理解と友好関係が増進することを希望しています」と歓迎。さらに昨年の四川大地震の復興状況を尋ねた。習副主席は「復興は順調に進み、三年の予定が二年で復興しそうです」と語り、日本の政府や人々から受けた支援に感謝。「今回このような形で会見ができ、心から感謝します」と述べた。

 陛下と習副主席の間では、陛下の訪中時の話題や黄河の水量の減少と森林伐採との関係、低炭素社会の実現などについてやりとりが続き、習副主席は最後にあらためて会見の実現に感謝した。

 習副主席は胡錦濤国家主席の最有力後継候補とされ、陛下との会見ルールに基づかないものの、官邸サイドが「日中関係の重要さ」「重要な人物」などとして宮内庁に会見の設定を要請、認めさせた経緯がある。


◆特例会見波紋で 首相「大変残念」

 鳩山由紀夫首相は十五日午前、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見をめぐる対応が波紋を広げていることについて「習氏がおいでいただいている最中にこういう状況になったのは大変残念。国民を挙げて、(中国の)将来のリーダーになられる可能性が高い人をもっと喜びの中でお迎えすべきではないか」と述べ、不快感を示した。」


(2) 「習副主席は予定より十分早い午前十時三十五分、宮殿南車寄せに到着。宮内庁の河村武和式部官長が出迎える予定だったが、早めの到着で式部官長は間に合わず、代わって出迎えた肥塚隆式部副長と笑顔で握手」とのことです。予定より早い時間に「宮殿南車寄せに到着」したという些細な点にすぎないのですが――特に意図なく単に早く着いただけかも知れませんが――、天皇陛下と会見することへの中国側の意気込みが感じられるエピソードといえそうです。

鳩山由紀夫首相は、「習氏がおいでいただいている最中にこういう状況になったのは大変残念。国民を挙げて、(中国の)将来のリーダーになられる可能性が高い人をもっと喜びの中でお迎えすべきではないか」と述べ、不快感を示しています。

天皇の政治利用か否かどうか、国民の間で議論することは否定するべきことではありません。ですが、来日直前に、宮内庁の羽毛田信吾長官が“内幕暴露”記者会見を行い、「天皇の政治利用である」として「天皇の特例会見問題」を政治問題化することの発端となったことは、鳩山首相が述べるように、妥当ではなかったように思うのです。

会見前の“内幕暴露”記者会見は、日本国民の間に会見批判を行う者を増やすことになるだけでなく、相手である中国に対して非常に礼を失した行動です。天皇陛下と外国要人の会見がまさに「外交」であるにも関わらず、「1ヵ月ルール」さえ守れれば、外国に対する非礼を行っても構わないというのは(日本国の内閣の面目を失い、ひいては天皇陛下の面目をも失うものであって)常軌を逸しているとしか思えません。

議論するなら会見後、少なくとも天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見を行った後で、宮内庁の羽毛田信吾長官は“内幕暴露”記者会見をするべきでした。




テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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コメント
この記事へのコメント
内規は内規であって絶対ではない
そもそも内規は自民党の政権時に作られた物だし、法的拘束力を持たない物なので時の政権が弾力的運用を求めても問題はないと思う。 それが人道的に逸脱した様な状況でないのであれば・・

今回一番私が問題だったと思うのは、外国の大使を迎える直前に裏事情をベラベラと喋った宮内庁長官だと思う。 こんな事は大使が帰られてからオフレコやれば良かった話です。

自分が話した内容が外交問題に発展する可能性を秘めている事をもちっと考えるべきだと思いますね。
2010/01/06 Wed 11:54:52
URL | 迷い猫 #HfMzn2gY[ 編集 ]
>迷い猫さん(2010/01/06 Wed 11:54:52)
いつもコメントありがとうございます。
迷い猫さんには、たびたびコメントを頂いていたのに、切実になってしまった私事により、コメントへのお返事ができておらず、大変申し訳ありません。


>内規は内規であって絶対ではない
>法的拘束力を持たない物なので

内規というのは、「ある団体の内部にだけ通用するきまり」のことですから、外国に対して「内規があるから(会見は)ダメ」と言うほうが、法律論として無理筋なんですよね。それなのに、「1ヵ月ルール」を絶対視する憲法学者(東大の長谷部氏)がいるのは、(憲法学者は法律論を知らないのだろうかと)少々驚きました。せめて「1ヵ月ルール」を法律化して「法的拘束力」を持たせるなら、多少は意味合いが異なるのでしょうけど。


>今回一番私が問題だったと思うのは、外国の大使を迎える直前に裏事情をベラベラと喋った宮内庁長官だと思う
>こんな事は大使が帰られてからオフレコやれば良かった話

同感です。
天皇陛下の政治的中立性を守るのが職務であり、その職務を忠実に実行するのであれば、外国を巻き込んでの政治問題にならないよう、宮内庁長官は、会見前に、暴露記者会見をするべきではありませんでした。


>自分が話した内容が外交問題に発展する可能性を秘めている事をもちっと考えるべきだと思いますね。

宮内庁の性質上(=天皇制の非政治性を貫く立場)、そして、外国要人の会見は極めて政治的であることから、宮内庁長官は、発言は極めて慎重であるべきなのですが、羽毛田氏は、何か勘違いしているように思います。きっと、羽毛田氏は、 「考え」て発言したつもりなのでしょうけど。宮内庁内部では、誰も長官の会見を止める人がいなかったのか、不思議に感じます。
2010/01/07 Thu 01:35:47
URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集 ]
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