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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2006/11/10 [Fri] 18:17:57 » E d i t
教育基本法改正案について、自民党の二階俊博国対委員長は11月9日夜、15日中の採決、16日の衆院通過を提案するなど、政府与党は来週中にも改正案を成立させようとしています(asahi.com:2006年11月09日23時40分)。そこで、教育基本法改正案とはどういうものなのか、きちんと触れてみたいと思います。
朝日新聞(平成18年11月6日付)は、教育再生に関して、11月6日から夕刊で連載を始めています。その連載において、立花隆氏が、教育基本法について論じているので、その記事を紹介したいと思います。なお、立花隆氏は、東京新聞(平成18年11月10付)の「こちら特報部」の「教育基本法改正背後に潜むもの 立花隆氏に聞く」でも、コメントしています。


1.朝日新聞(平成18年11月6日付夕刊1面)の「わたしの教育再生<1>」

普遍的価値持つ基本法  改正論の裏に国家主義

 いま教育が、初等中等教育から大学まで、あまりに多くの問題を抱えているのは事実だ。

 それらの問題はひとつひとつ丹念に慎重に解決していかなければならないが、それらすべてを差し置いて、教育基本法改正問題について述べたい。

 そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとしかいいようがない。

 しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない。

 教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のことだ。急いで改正しなければならない理由はどこにもない。特に教育目的に書かれていることは、人類社会が長きにわたって普遍的価値として認めてきたことだ。

 そこにあるのは、「人格の完成」「平和国家」「真理と正義」「個人の価値」「勤労と責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など、誰も文句のつけようがない目的だ。

 このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようがない。

 政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当たらない。

 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。

 教育基本法はなぜできたのか。制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏は「教育基本法の理論」でこう述べている。先の戦争において、日本が「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。

 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。

 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。

 それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。

 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。(聞き手・中井大助)
    ◆   ◆
 安倍政権が最重要課題として掲げる「教育再生」。日本の教育には何が必要で、どう改革すべきなのか。各界の人たちに語ってもらった。


教育基本法 1947年に施行された「教育の憲法」。政府は今年、改正案を国会に提出し、民主党提出の「日本国教育基本法案」とともに衆院特別委員会で審議が続いている。政府案では、教育の目標として新たに<1>公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う<2>伝統の文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う――などの規定が盛り込まれている。


ノンフィクション作家・評論家  立花隆さん

たちばな・たかし 1940年生まれ。05年から東京大学大学院で特任教授も努める。社会・時事問題から最先端科学まで手広く手がけ、「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」など多数の著書がある。」




2.教育基本法は、法律として異例の前文が付いていますが、全11条のみという簡潔な法律です。

(1) 教育基本法の大まかな構造を示しておくと、

前文・1条・2条→戦後改革の意義と改革を主導する教育理念・目標を法定
3~6条→教育制度の制度原理としての差別禁止原則、義務教育制度、男女共学、学校の公共性と教師の身分保障を規定
7~9条→教育各分野のうち、とりわけ戦前教育で国民教化の道具とされた社会教育・政治教育・宗教教育の戦後教育における意義付けと限界を明示
10条→教育と教育行政を分離し、教育の自律性を保障するため「不当な支配」を禁止し、公選制教育委員会を構想する「直接責任」を規定
11条→教育基本法具体化のための法律制定の必要性を規定して、改めて基本法原理法としての正確を確認


こういう大まかな構造を見ても、「教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のこと」であって、改正する理由が乏しいと思えます。

(2) それなのに、なぜ政府は、未履修問題やいじめ問題に対する具体策を構築しないまま、教育基本法の改正を急ぐのでしょうか? 立花隆氏によると、

「政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当たらない。
 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。
 ……先の戦争において、日本が「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。
 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。
 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。
 それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。……
 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。」


要するに、政府与党の意図は、前文改正を主眼とし、戦前教育で行われていたような「教育を国家の完全な奉仕者」とすることを目論むことで、「個人の人間形成・個人の尊厳のために教育があること」を転倒させる、というわけです。
「教育を国家の完全な奉仕者」とする意図を持つ政府与党の教育基本法改正案であれば、戦前教育の反省の下に制定された教育基本法を自己否定することになってしまうことになります。


(3) では、教育基本法の前文はどのような規定でしょうか?

教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法 の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


この趣旨は、

「・ 憲法には前文があるが、法律には前文を付さないことが通例である。
・ しかし、教育基本法は、新しい教育理念を宣明する教育宣言であり、その他の教育法令の根拠法となるべき性格をもつこと、また日本国憲法と関連して教育上の基本原則を明示し、憲法の精神を徹底するとともに、教育本来の目的の達成を期して制定されたことなど、極めて重要な法律であるという認識から、本法制定の由来と目的を明らかにし、法の基調をなしている主義と理想とを宣言するために、特に前文がおかれたものである。



(2) 第2項は、本法を貫く精神、すなわち従来の教育の弊害への反省にたった新しい教育の基調を示し、その普及徹底を図ることを強調するもの。
・ 「個人の尊厳を重んじ」
これは、「個人の尊厳を重んじ(る人間の育成)」と続くのではなく、「個人の尊厳を重んじ(る基礎の上に教育を行う)」という文脈で理解するものとされている。
この規定は、戦前の教育が国家のために奉仕するものとされ、「皇国民の錬成」が主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたことを踏まえて、いかなる境遇や身分にあろうとも、すべての個人が、他をもって代えることが出来ない人間として有する人格の尊厳が重んじられるものであって、その基礎の上に教育がなされなければならないことを示すものである。
・ 「真理と平和を希求する人間の育成」
戦前の教育においては、国家に有用のもののみが真理とされ、真理のための真理の追求が軽視されてきた弊害があったことから、それを改め、教育本来の道に立ち返ることを意図したもの。
・ 「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」
文化の意味や価値自体は普遍的であるが、このような普遍的価値に照らしながら形成された文化が、結果として文化形成主体の個性や属する国民性などに由来する個性を豊かにもつ文化となることを示す。



(3) 第3項は、憲法の精神を受け、新しい教育の目的の達成を目指すという、教育基本法制定の目的及び趣旨を示している。」(文部科学省の「教育基本法資料室」より)」


要するに、「前文は、簡潔に日本国憲法との一体性を明示し、個人の尊厳と平和主義を鮮明にすることによって、戦前教育への反省を示し、戦後教育の基本を定めるという法目的を規定している」のです(獨協大学・市川須美子「教育基本法の構造と裁判規範としての役割」日本教育法学会編・法律時報増刊 教育基本法改正批判71頁)。

教育基本法は、26条(教育を受ける権利)や23条(学問の自由)だけでなく、14条(法の下の平等)・24条(両性の平等)・20条(信教の自由・政教分離原則)・15条(公務員の全体の奉仕者性)・9条(戦争の放棄)といった個別規定とも密接な関連性を有しています。

憲法と一体的に構想された教育基本法は、個別の憲法条項とも内容的に密接な関連性があることから、教育基本法を改正することは、実質的な憲法改正となる、改憲の先取りであると、危惧されるわけです。それも、戦前教育に戻すおそれがあるのであれば、教育における個人の尊厳を軽視することにつながるため、政府与党案を危険視することは当然といえるのです。




<追記>

教育基本法については、毎日新聞も朝刊においてインタビュー記事を掲載しています。ご覧下さい。
「教育基本法改正を聞く:田村哲夫、渋谷教育学園渋谷中・高校長」(11月3日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:佐藤学・東京大学大学院教授」(11月4日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:行田稔彦、和光・和光鶴川小学校長」(11月5日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:佐藤学・東京大学大学院教授」(11月7日付大阪朝刊)
「教育基本法改正を聞く:八木秀次・高崎経済大教授」(11月7日付東京朝刊)
「教育基本法改正を聞く:広木克行・神戸大教授」(11月10日付東京朝刊)

テーマ:教育基本法 - ジャンル:政治・経済

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