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2009/09/04 [Fri] 04:16:29 » E d i t
第45回衆院選(定数480)は、民主党が単独過半数をはるかに上回る308議席を獲得し、歴史的な大躍進という結果となり、政権交代となることが決定しました。

民主、自民両党は9月1日の国対委員長会談で、首相指名選挙を行う特別国会を9月16日召集、会期は19日までの4日間とすることで合意しました。16日に衆参両院で首相指名選挙が行われ、鳩山由紀夫代表が新首相に指名される運びとなっています(東京新聞2009年9月2日 朝刊)。



1.まず、なぜ、民主党が圧勝し、自民が歴史的な大敗を喫したのでしょうか? その点に触れた記事を幾つか紹介したいと思います。

(1) 朝日新聞平成21年9月2日付朝刊33面

自民 崩れた足元 首相4人出した「王国」群馬

 民主が圧勝した今回の総選挙。地方でも都市部でも「自民退潮」の流れがはっきりした。何が起きていたのか。「自民王国」群馬と首都圏で探った。

◆細る 地縁血縁頼み

 「期待に応えられない、なんてことも瞬間的には考えました」。投票の1ヵ月前に立候補が決まった「落下傘候補」の民主新顔に、あと約1万2千票まで追い上げられた福田康夫前首相(73)。当選の後、脳裏をよぎった「落選の危機」を吐露した。

 民主の候補が決まる前には「政権を取ろうっていうんだから、いい人を立てなきゃ」とまで言っていた前首相。その様変わりが「自民王国」の衰えを象徴していた。

 福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫と4人の首相。その子どもが今も衆参両院に議席を持ち、小選挙区で自民以外の候補者が当選したのは1回、1議席のみだ。

 ところが今回は、尾身幸次元財務相(76)、笹川尭党総務会長(73)、谷津義男元農水相(75)とベテラン議員が、いずれも30、40代の民主候補に敗北。勝ったのは前首相と、民主が候補を立てなかった小渕優子少子化担当相(35)だけ。

 特に福田氏は地元に顔を見せなくても対立候補の倍の票を得る選挙が当たり前だった。それが一変。選挙終盤、福田氏は「変な風を吹かす、迷惑な輩(やから)」と珍しく語気を荒げ、妻貴代子さんは「見えない風。どうしたらいいか分からない」」と支援者に訴えた。

 だが、支援者は「風」とは思っていなかった。1年前の「突然の政権投げだし」に怒り、「総理を自分から辞めておいて、まだやり残したことがあるなんて」という声がくすぶっていた。

 長く続いた無風選挙は、後援会も衰えさせた。福田事務所を長く仕切ってきた松沢睦元県議(78)は「政治家も応援する人も世代交代の時期に入ってしまった」と嘆く。それでも地縁血縁に頼って電話をかけ、支援企業を回って「決起集会」――という選挙運動のほかに手法は見あたらない。

 投票日前日の29日夕。1区で9選を目指していた尾身氏は選挙事務所で、200人近い後援会員一人ひとりから「確票獲得作戦」と書かれたピンクの紙を受け取っていた。1枚ごとに有権者20人の名前。23年前の2回目の選挙から続けてきた「縁故ローラー作戦」だ。苦戦が伝えられていた尾身氏は堅い握手を繰り返し、決起集会でも800人を前に涙を浮かべて「本当に危ない」と訴えた。

 それでも負けた。地元の商工会長は、決起集会にその理由を見つけた。会場の後方から場違いな若者の嬌声(きょうせい)が響いていたのだ。「あれが今の自民党だよ」

 選挙だけではなく、自民の後ろ盾となっていた「地盤の崩壊」を指摘する声もある。

 「平成の大合併」で県内の市町村は70から36に半減。自民の運動の手足となってきた市町村議員は4割減り、前首相への支持が厚いはずの農業の担い手5万4千人の6割が60歳以上になっていた。 「農村も人間関係が薄くなったし、農協は金も票も出せない組織になった」と地元農協の組合長は言う。

 高崎市では、養蚕の伝統をくむ繊維卸会社が安い輸入品に押されて次々に倒産。「一度変えた方がいい」。経営者がそろえば、話題は自然と政権交代になったという。そこに「子ども手当、農家の補償」と民主が訴え出した。「具体的な手当の話の影響は大きいよ」と福田支援の新井雅博県議(48)。

 長く自民を支えながら、今回は民主に移った藤岡市議(56)は「補助金の受け皿になった団体の連中が、恩着せがましく『おれたちが先生に口をきいた』と威張る。もう利益誘導の時代じゃない」と言い切り、高崎駅前で民主候補への投票を呼びかけた学生ボランティアの市毛貴之さん(23)は「自民の政治家は見たこともなかった。後援会のような特別な人のためだけに特別な場所で話してきたのではないですか」と言った。

◆前回63→9 激減の首都圏 横綱気分に強い逆風

 首都圏の東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県での自民の負け方はさらにひどかった。71ある小選挙区で勝ったのは9選挙区のみ。前回は63選挙区だったから、まるでオセロゲームだ。その理由を選挙の一線にいた地元の党幹部はどう考えているのか。

 「安倍、福田、麻生と総裁が入れ替わり、失言や失態が相次いだのが大きいが、自民支持者が確実に減っているのも確か。支持してくれる団体の意見が党本部に届くような仕組みや議論も不十分だった」

 こんな見方をしている神奈川県連の竹内英明幹事長に、東京都連の平沢勝栄総務会長の考えも近い。

 「民主への『風』じゃない。自民のおごり、慢心。寝ていても応援してもらえるという横綱気分だ」。麻生総裁ら党幹部の責任追及となるとさらに語気が強まる。「居心地のいい会合ばかり行くから勘違いする。そんな所で反応はいいと言っても仕方ない」

 一方、15の小選挙区で全敗した埼玉県連の滝瀬副次幹事長は「首相交代、後期高齢者医療制度への批判を聞いた」。さらに、メディアでも街頭でも連日「政権交代」のオンパレード。「政権交代を前提にこれまでの支持組織の中にも自民と民主両方に軸足を置くところが出てきた。流れは止めようもなかった」と振り返る。

 最も厳しいのは、都議選で自民が敗北を喫していた石原慎太郎都知事だった。

 「ある意味、自業自得。自業自得のゆえんは、何と言っても年金。何も片づいていないじゃないか。任期も終わっていない知事にちょっと人気が出ると、宮崎まで行って大恥をかく。総理を含めて党が軽蔑(けいべつ)されましたな」」



(2) 毎日新聞平成21年9月3日付東京夕刊2面

早い話が:負けたわけ、負けるわけ=金子秀敏

 衆院選投票日の朝刊の見出しは「きょう政権選択」(毎日)、「政権選択 きょう投票」(朝日)、「政権選択の日」(読売)だった。

 同じ新聞に自民党の広告が掲載されている。「日本を壊すな」という大見出し。「偏った教育の日教組」「特定の労働組合の思想」「この国を守りぬく決意」などの文字が並んでいた。「政権選択」ではなく「体制選択」である。「日の丸か、赤旗か」という踏み絵である。このへんの勘違いが、自民党の敗因のひとつではないのか。

 自民党は1955年11月に結成された。その9カ月前の総選挙で右派社会党と左派社会党が議席の3分の1を獲得して、合併した。当時の鳩山一郎首相(民主党)が目指す憲法改正、再軍備を阻止できる数である。政権をとるなら議席の2分の1を目標とするはずだが、社会党が目標としたのは3分の1という抵抗野党の座だった。

 ところが、民主党の三木武吉は議席数ではなく得票率の変化に注目した。民主党と自由党に分かれた保守陣営全体の得票率が70%を割ったのである。帝国議会以来初めてだった(河上民雄「勝者と敗者の近現代史」かまくら春秋社)。革新陣営の社会党が三十数%。保守陣営の民主党、自由党も三十数%。ドングリのせいくらべの保革3極構造では、社会党が比較第1党になり革新政権ができる。東西冷戦が始まっていた。体制の危機だと直感した三木は「保守合同」を提唱し、民主党と自由党は合併した。

 6割の票をとる保守党と3割の革新党が争う体制ができた。保守が常に勝つ。事実、これまで自民党は衆院で比較第1党の座を譲らなかった。

 だが、保革2極構造のもとで行われる総選挙は、保守か革新かの「体制選択」選挙だった。「政権選択」の機能を果たしたのは、自民党総裁選だった。国民の手の届かない密室の談合で、派閥ボスが政権を決めた。

 ところが前回と今回の総選挙では自民党と民主党の対決になった。民主党は自民党からの離党者が中心だから、保守2極構造だ。おまけに東西冷戦も終わっている。国民に「体制選択」を問うのは時代錯誤だ。

 すでに前回の郵政選挙は、政策を問う政権選択選挙だった。だから鮮明な政策を掲げた自民党が圧勝したではないか。それなのに今回、自民党は保守合同時代の体制選択選挙に逆行した。負けるわけだ。(専門編集委員)

毎日新聞 2009年9月3日 東京夕刊」



(3) 東京新聞平成21年9月2日付朝刊15面「言いたい放談」

日本は変わる――石井彰

 「歴史が動いた。日本は変わる」。長崎2区当選の民主党・福田衣里子さんの喜びの声が、衆院選特番を見て心に残った。

 有権者は自公政権にはっきりNOを突きつけ政権交代を選んだ。このことの意味を田原総一朗氏のように「民主党が勝ち過ぎたのは気持ち悪い」などと、トンチンカンな評価をしてはならない。田原氏だけでなく「郵政選挙から振り子が反対に触れただけ」などと、過小評価する人も多い。だが今回の結果にはとても大きな意味がある。

 日本は有権者が意識して選んだ政権交代が長期間なかった。そのため「長い物に巻かれろ」「寄らば大樹の陰」と、大勢順応意識が根深く刻まれていた。それは変化を恐れ文句は言いつつも、決して大勢には逆らわない行動規範となる。この意識と行動が、多くの世襲候補を当選させる結果ともなってきた。

 ある報道によれば、世襲候補133人中当選者は75人。世襲議員が議席に占める割合は15.6%(前回24.6%)と大幅に低下した。また女性議員が54人(前回43人)に増えたことも大きな意味がある。もちろん小泉進次郎氏などの世襲議員が当選したり、女性議員の数もまだまだ少ない。

 でも確かに「歴史が動いた。日本は変わる」のだ。政権交代を選んだ日本人の心の変化を指摘する番組がなかったことが、残念でならない。 (放送作家)」



 イ:福田康夫議員は、「変な風が吹いていただけ」と思っていたようですが、支持者や有権者とよく接している平沢勝栄議員などは、「民主への風」とは思っていなかったことがわかります。

福田康夫氏の「突然の政権投げだし」に対しては、支持者さえも肯定していないのです。「『総理を自分から辞めておいて、まだやり残したことがあるなんて』という声がくすぶっていた」わけですから。福田康夫氏は、何をしたいために国会議員でいるのでしょうか? まったく不可思議です。

自民党が壊滅的な敗北となった首都圏では、なるべくして敗北したことがよく分かります。<1>「政治家も応援する人も世代交代の時期に入ってしまった」のに、旧態のままで変われなかったこと、<2>「平成の大合併」で県内の市町村は70から36に半減した結果、「自民の運動の手足となってきた市町村議員は4割減り」、「農村も人間関係が薄くなったし、農協は金も票も出せない組織になった」結果、こうした
自民の後ろ盾となっていた「地盤」が「崩壊」してしまったこと、<3>減少した支持者のなか、「支持してくれる団体の意見が党本部に届くような仕組みや議論も不十分」になってしまったこと、が挙げられています。

このように、この4年間は、自民党の支持者を減らすような政策・仕組みを実施してきたのですから、自民党が歴史的な敗北するのも当たり前だったのです。

特に、自民党が解決を約束していたはずの年金問題も、まだ未解決のままです。ただ金を巻き上げられたままで、きちんと年金が払われない方が多数いるのですし、払われたとしても、将来得る金額も生活できないほどの僅少なのですから、国民の側からすれば、今の年金制度・運営は単なる「ぼったくり」です。石原慎太郎都知事が述べるように、自民党の壊滅的な敗北は、「ある意味、自業自得」だったのです。


 ロ:自民党は、敗北するのも当たり前の政策・仕組みを実施してきて、いざ敗北が現実化しそうになると、焦って行動したことといえば、「痛々しい自民党の意見広告」でした。

 「衆院選投票日の朝刊の見出しは「きょう政権選択」(毎日)、「政権選択 きょう投票」(朝日)、「政権選択の日」(読売)だった。

 同じ新聞に自民党の広告が掲載されている。「日本を壊すな」という大見出し。「偏った教育の日教組」「特定の労働組合の思想」「この国を守りぬく決意」などの文字が並んでいた。「政権選択」ではなく「体制選択」である。「日の丸か、赤旗か」という踏み絵である。このへんの勘違いが、自民党の敗因のひとつではないのか。」(毎日新聞)


「日の丸か、赤旗か」という踏み絵は、時代錯誤すぎて実に痛々しい思いがします。「民主党は自民党からの離党者が中心だから、保守2極構造」ですし、「おまけに東西冷戦も終わっている」のですから、勘違いも甚だしいのです。こんな痛々しい自民党の意見広告について、一体誰がOKを出したのでしょうか?

こうした「痛々しい自民党の意見広告」は、各新聞社に日々掲載されていたのですから、相当の出費です。「こんな痛々しい意見広告しかできなくなったのか。それも多額の費用がかかるのに、(おそらく掲載を認めた)執行部が常軌を逸した行動をしても、歯止めをかける者もいなくなった」と、かえって多くの有権者はもちろん、健全な保守層までも自民党を見放すことを促進してしまったように思えます。



2.麻生太郎首相は、衆議院解散時、40日間という長い(事実上の)選挙期間を設けたのは、投票日までに自民党への支持が回復すると見込んでいたのでしょう。しかし、有権者は投票先を(民主から自民に)変える可能性はあったのでしょうか? 1つ記事を紹介しておきます。

(1) 東京新聞平成21年9月1日付朝刊26面「水平線」

静かな怒り

 「選挙区内が静かなんだよ」。政権交代実現という歴史的な選挙となった衆院選の取材で、自民、民主双方の陣営幹部からこんな言葉を聞いた。ある自民関係者は「公示前から投票先を(民主に)決めちゃった人が多いからじゃないかな」と分析してみせた。

 前回の“小泉郵政選挙”の盛り上がりとは雰囲気が違った。麻生太郎首相や民主幹部らの演説では、冷静に訴えを聞く有権者の姿が目立った。

 選挙中盤、世論調査の結果から報道各社が「民主圧倒的優位」を報じた。ここでも選挙区の有権者の反応から「そんなに差が開いているとは思えない」と首をかしげる自民幹部は少なくなかった。

 世論調査の結果についてある選挙関係者は「それほど、自民のこの4年間に国民が怒っていたということだろう」と指摘した。自民に対して怒る一方、景気の先行きも不透明な中で、国民の間に民主への過度な期待はないようにも思える。

 30日の昼すぎに投票に行った投票所では有権者の長い列ができていた。有権者は静かに怒り政権交代を選んだ。その怒りとともに政権を託された民主の責任は重いし、自民にも反発を受け止めて再起する責任がある。 (小川直人)」




(2) 「選挙区内が静か」で、「前回の“小泉郵政選挙”の盛り上がりとは雰囲気が違った」いました。ある自民関係者が述べるように、この4年間のうちに、自民党を見捨てることを決めてしまい、「公示前から投票先を(民主に)決めちゃった人が多い」というのが真相といえそうです。

麻生太郎首相の見込みとは異なり、40日間の選挙期間があっても、有権者は投票先を(民主から自民に)変える可能性はなかったように思えます。

選挙中盤、世論調査の結果から報道各社が「民主圧倒的優位」を報じましたが、「そんなに差が開いているとは思えない」と首をかしげる自民幹部は少なくなかったようです。しかし、少なくとも民主党幹部は、選挙公示前から「民主圧勝」を予測していたはずです。一例を挙げておきます。

2009年9月2日発行の「日弁連速報」(№175)には、「新たな活動領域・注目されています! 政策担当秘書」と題した、政策担当秘書への募集を行う記事が掲載されています。分かりやすく言えば、民主党から日本弁護士連合会に対して、政策担当秘書として弁護士を募集する依頼をしてきたわけです。

速報ニュース紙であるとは言え、記事内容の原案は相当前に完成していることは誰もが予測できるわけですから、8月30日の投開票前であることはもちろん、おそらく選挙公示日前の段階で、民主党(の幹部)は、日本弁護士連合会に対して、圧勝を前提とした募集をかけていたといえるのです。

自民党幹部は歴史的敗北を予測していなかったかのでしょうか? それとも自民党幹部は歴史的敗北を予測できていても、地方組織にはその予測を伝えていなかったのでしょうか? 予測できていたのであれば、「痛々しい意見広告」は止めて、もっと効果的な選挙運動をするべきでした。

他方で、民主党幹部(小沢一郎氏)は、圧勝を予測しながら、(慢心した選挙運動をしないよう)あえて地方組織には伝えていなかったと予測できます。いずれにしても、新聞報道での民主党幹部の言動は、(記者が間抜けなのか、あえて読者を騙しているのか不明ですが)本音の民主党幹部の態度とは違っているようです。

なお、政策担当秘書は、議員の立法活動・政策立案活動を補佐することを職務としています。ですから、民主党が政策担当秘書として弁護士を、多数募集しているということは、自民党と異なり、本気で官僚の言いなりにならない活動を目指しているといえるでしょう。




3.最後に。

(1) まず、自民党の「知恵」の終焉を惜しむ記事を紹介しておきます。

自民党という「知恵」の終焉

朝日新聞コラムニスト・早野透

 自民党が、がらがらと崩れた。1955年以来政権をほぼ担い続け、戦後の繁栄を築き、なにはともあれ平和を守ってきたのに、あわれ力尽きた。巨大な荒城になるのか、いずれ新芽がふくのか。いまは目を閉じて、わが日本を牽引(けんいん)してきた政権政党の知恵の終焉を惜しみたい。

 8月6日、麻生太郎首相は就任して初めて選挙区の飯塚市にお国入りした。数々の失言やブレ、麻生おろし。それでも7千人が演説会場に集まった。麻生はつぶやいた。「ふるさとは温かいな」

 30日、麻生は勝てた。だが、全国の自民党は無残な焦土と化した。(中略)

 かくも見捨てられてしまうなんて、自民党の栄光の歴史を知るものには、あまりに悲しい。自民党はなぜこんなことになってしまったのか。
 
 かつて自民党は、絶妙なリーダー交代をしてきた。「待ちの政治」の佐藤栄作が飽きられると「今太閤」の田中角栄に、その田中が金権スキャンダルで倒れると、「神に祈る気持ち」で下した椎名(悦三郎)裁定でクリーン三木武夫にバトンタッチ。人心をつかむ見事さに、当時、田中番記者だった私は舌を巻いた。

 それにくらべ、ここ3代の首相交代は無残だった。「美しい国へ」の安倍晋三は腸の持病でもろくも倒れ、「私は違うんです」の福田康夫は突然の政権投げ出し、KY麻生は1日でも長く首相でいたかったのか、解散を求める声を拒んで、あげくのはて「土砂降りで出て行く雨宿り」。吉田茂の旧家は没落の仕儀となる。

 この3代の顛末(てんまつ)に見られるのは、みんな自分勝手、人心への心くばりがないことだった。自民党は唯一の国民政党だったのに、国民から離れてしまえばただの権力亡者の群れになってしまう。

 かつて自民党はふところの深い政党だった。開発の親玉のように思われる田中角栄は、老人医療無料化を実施、5万円年金を達成、「福祉元年」といわれた。あのころみんな「今日よりは明日はよくなるのだ」と信じていた。

 竹下登は「社会党の要求を3年後に自民党が実現する。それが55年体制だ」と言っていた。ゴルバチョフが「日本はもっとも成功した社会主義国家」とほめたゆえんである。

 それをみごとに壊したのが小泉純一郎の5年の政権である。

 「高齢者医療制度、どういう名前をつけようか、終末より後期のほうがいい、末期より後期のほうがいいと思ったんだけどね」

 という小泉の今回の応援演説は、高齢者をさらに逆なでした。生活保護の母子加算カットはかつての自民党ならもちろんやらなかった。こんどのマニフェストで麻生は「行き過ぎた市場原理主義との決別」を唱えたけれど、遅かった。(中略)

 自民党は「憲法改正」を党是に掲げながら、なんだかんだいって憲法を守ってきた。

 麻生の祖父吉田茂は、占領軍の押し付け憲法論には「私の経験からいって、必ずしも同感できない」と述べ、9条改正の必要は認めがたいと明言していた。「米軍を番犬と考えればいい。エサ代は向こう持ちだよ」としれっとしていた。

 中曽根康弘は憲法改正論のドンだったけれども、首相のときはペルシャ湾への掃海艇派遣を後藤田正晴官房長官に諭されて断念する見識は備えていた。

 宮沢喜一は「非自民」の細川護熙(もりひろ)に政権を奪われたとき、番記者たちにこう言い残した。

 「二度と戦争をしちゃいけないんです。憲法は変えないほうがいい。あれは翻訳です。日本語じゃない。それでも憲法は変えちゃいかん」(中略)

 いまや後藤田も宮沢もなし。ハト派の雄、河野洋平もまた政界を去った。北朝鮮の脅威に対して核武装論を鬱勃(うつぼつ)とする。日本の安全を、抜け目なくしたたかな自民党の知恵に託してきたのも限界なのか。

 総じていえば、自民党は「柔構造」だった。田中角栄が「総合病院」と言ったように、あらゆる人材を備えていた。派閥がトップリーダーを鍛え上げた。気概のある官僚が次々政治に出た。やくざだった浜田幸一から東大法学部でトップを争った岸信介までいた。政官業の癒着は、ロッキード事件やリクルート事件などの大疑獄を引き起こした。それでも巨悪のすごみというべきか、自民党戦国史は大河ドラマのように人々を惹きつけた。

 だが、世の中が進んでIT時代になると、いつのまにか、政治家も官僚も小粒なサラリーマン風になり、天下りやわたりで税金をむさぼる役人が跋扈(ばっこ)した。いささか志のある官僚は民主党に走った。

 かつての自民党は教養があった。前尾繁三郎の『政の心』を読めば、漢字の語源から「政治」を説き起こして深いものがある。

 坂田道太(みちた)はゲーテの詩句を愛唱した。井出一太郎は、類まれな歌人だった。

 いま一つましな政治を将来し店仕舞せむと思ひて久しき

 そんなふうに政治を真率に考えていた。テレビ人気で票をかすめとろうとなどというさもしい気持ちはさらさらなかった。

 消費税の生みの親、山中貞則は中国の戦地で4年過ごした。議員になって太平洋の戦跡を訪ねて『慟哭(どうこく)』という歌集を残した。

 戦友(とも)よ戦友よ許させ給へ生き残りわが弔ふを受けさせ給へ

 自民党に戦争体験者がいたころは、雄渾(ゆうこん)な政党だった。そのことに国民は自民党を信頼し続けた。

 だが、麻生に至って、漢字も読めないKY首相が誕生した。私には、実は、このことが自民党の大敗北の決定的要因だったと思えてならない。 (敬称略)」(週刊朝日2009年9月11日増大号122頁以下)


 イ:かつての自民党は、国民の気持ちを掴むのが上手で、良くも悪くも、国民の声を忠実に聞く「御用聞き」でありました。しかも、竹下登氏が「社会党の要求を3年後に自民党が実現する」と述べていたことからも分かるように、良い政策であれば節操なく取り入れるほど柔軟であって、「日本はもっとも成功した社会主義国家」(ゴルバチョフ)だったのです。

それなのに、「それをみごとに壊したのが小泉純一郎の5年の政権」だったのです。市場原理を重視する小泉改革により「社会主義国家」であった日本を否定してしまえば、自民党を支持する国民がいなくなるのは当然でしょう。(ちなみに、自民党は、民主党の政策を社会主義などと批判していましたが、「自民党自らが社会主義的な政策を実施してきたことが分からないのか」と失笑を禁じえません。)


 ロ:指摘されて気づいた方も多いとは思いますが、「自民党は『憲法改正』を党是に掲げながら、なんだかんだいって憲法を守ってきた」のです。

麻生の祖父吉田茂氏は、憲法9条改正の必要は認めがたいと明言し、「米軍を番犬と考えればいい。エサ代は向こう持ちだよ」としれっとしていたそうです。また、中曽根康弘氏は、憲法改正論を唱えながらも、「首相のときはペルシャ湾への掃海艇派遣を後藤田正晴官房長官に諭されて断念する見識は備えていた」のです。

要するに、憲法改正論を唱えるのは単なる建前であって、現実には憲法を遵守してきたわけです。それは、思想的に右よりの立場、左よりの立場の双方を取り込むための方便であったともいえるのでしょうが、現実論として何が大事かという見識は持っていた結果と思われます。

ところが、今の自民党は、「北朝鮮の脅威に対して核武装論を鬱勃(うつぼつ)とする」といった点など、「右翼イデオロギー政党か」と思わせる主張を、強く押し出してしまっています。特に、安倍元首相の場合は、腸が弱く、政権を投げ出すほど虚弱でありながら、好戦的な姿勢をとることには、(口だけが好戦的であって行動が伴わないために)一層ひ弱さを感じます。

「かつての自民党は教養があった」のです。ところが、自民党最後の首相といえる麻生太郎氏は、失言を繰り返し、ろくに漢字も読めないほど知識・教養が欠如しています。

最近の4年間だけでなく、それ以前から徐々に、かつての自民党が国民に支持されてきた様々な要素を、次々と捨て去ってきたのです。これでは、自民党の「知恵」が終焉するのも、必然というべきです。



(2) 今後、最低でも4年間は、自民党と公明党は野党のままです。民主党がよほどの失政をしない限り、おそらく、8年間は、民主党政権が続くと予測していた方が賢明であるのでしょう。

惨敗の自民 『4年間』耐える覚悟を
2009年9月1日

 今や第一党は自民の二・六倍近い勢力へ膨張した民主党。十六年前の再現は絶望的な状況だ。加えて四年前の衆院選で圧勝した自民の政権がそうしたように、民主の政権が早いうちに衆院を解散することは想定しにくい。

 つまり自民は今後四年間の野党暮らしを覚悟せねばならない。問題はそれに耐えられるかどうかである。議席の激減で政党助成金が減額される。財界からの献金も極端に細るに違いない。選挙に費やした借金返済もあろう。

 再起を誓う落選組への手当てをどうするか。失職する多数の議員秘書らの処遇も無視できまい。

 つらいのは金銭問題だけではない。九三年の下野当時ですら、官僚による「野党扱い」に議員たちから悲鳴や愚痴が漏れたものだ。

 「党の再生」「解党的出直し」は言うにやすく行うに難い。長年の与党に慣れた体質には過酷な日々が待ち受ける。

 辞める麻生氏の後継総裁選びは九月下旬になるようだ。党内には“自滅”に導いた有力者らが辛うじて勝ち残ったり、比例との重複立候補で救済されたりしたことに複雑な空気があるとも聞く。再スタートを誤れば、空中分解のリスクもささやかれている。」(東京新聞平成21年9月1日付【社説】


衆議院選挙で、自民党側で当選したのは、森喜朗元首相、福田元首相、安倍元首相、町村信孝氏、古河誠氏、菅義偉氏などの派閥の領袖クラスなどであり、若手・中堅議員は軒並み落選してしまったのですから、人材的に、自民党は変わりようがないのです。

自民党総裁選挙は、「9月18日告示-28日投票」という極めて悠長な日程で実施し、今月中旬の特別国会での首相指名選挙では、麻生氏を首相指名選挙の候補とするようです。地方党員、組織の声に耳を傾けるのは重要であるとしても、1ヵ月近くかけるほどの余裕があるでしょうか? 総裁を辞任した党首を首相に推挙するというのは、「余りにお粗末ではないか」(読売新聞平成21年9月2日付「社説」)と、思わないのでしょうか? こうした点からも分かるように、衆議院選挙での歴史的大敗後も、自民党はさらに消滅への道を勢いをつけて転がり続けているのです。

自民党の現状を考慮すると、民主党がよほどの失政をしない限り、4年後の衆議院選挙後、自民党は、議席を半減させるのは必至であり、もしかしたら、消滅に危機に陥るほど議席を失ってしまうかもしれません。4年後の衆議院選挙後には、多くの新聞記事で、自民党の消滅について感慨にひたる内容を掲載することになりそうな予感がしています。

  

テーマ:衆議院選挙 - ジャンル:政治・経済

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リーダーも熱狂もないまま揺れたポピュリズム選挙  私は日本社会に広がる「リーダーなきポピュリズム」が今回の結果を生んだと見ています。 「ポピュリズム」はメディアでは、「大衆迎合」とか「衆愚政治」などと言われますが、ここでは「ある問題を、主として否定する?...
2009/09/04(金) 15:37:42 | 来栖宥子★午後のアダージォ
~おすすめ誕生日プレゼント~ 浜田幸一 千葉県富津市出身。81歳烈 驪 傷害事件を起こすなどし、以後、さまざまな非行を重ねて 「木更津のダニ」との悪名をとった。 この渾名は当時の地元の新聞記事でも用いられている。 2...
2009/09/04(金) 19:28:14 | 有名人誕生日&誕生日プレゼント
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