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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2009/06/12 [Fri] 23:57:21 » E d i t
臓器移植法については、今国会で改正機運が高まっていますが、今国会での国会議員の議論からすると、「にわか議論」になっているようであり(「臓器移植法改正案の行方~乱立した4案に対する審議は深まらず」(2009/06/09 [Tue] 23:59:49)参照)、訳も分からずに改正してしまいそうで、このまま改正に突き進んでいいのか、躊躇してしまいます。


1.「訳が分からない」と言えば、日本医師会の動きもよく分からないところです。日本医師会と日本移植学会などは、常々臓器移植法改正を要望していたことはともかくとして、つい最近、B案に賛成している早川忠孝・自民党衆議院議員に対して、A案で採決すべきとの決議文を送っていながら、他方で、自民党の勉強会において採決につき慎重な態度を表明しています。

「日本医師会宮崎秀樹、臓器移植患者団体連絡会大久保通方、自由民主党中山太郎、民主党渡部恒三、公明党渡辺孝男、国民新党自見庄三郎の各氏の連名による決議文が届きました。

声明の尊厳を守り、国際規範に準拠し、人道的立場から下記を決議する。

●臓器を「提供する権利」・「提供しない権利」、移植を「受ける権利」・「受けない権利」をそれぞれ保証(ママ)する。脳死を認めない人の権利を保障する。

●小児、成人を問わず、移植によってしか救うことができない多くの生命を救えるよう、国内の臓器提供を増加させる。これによって国際規範を遵守する。

●小児、成人を問わず、被虐待者からの臓器提供を防止する。

●以上を実現するためにA案の成立が不可欠である。(中略)

なお、前述の決議文には、次のような一文が付いております。

「虐待については、現状でも内因性疾患以外の場合は警察に届け出ることが義務づけられており、警察の検視、犯罪捜査により少しでも疑いのある場合は司法解剖が行われ、臓器提供が行われることは絶対にあり得ない。」

大体言葉で、「絶対に」などという文言があるときは眉に唾を付けて読んだ方がいいのですが、これは実に大変な間違いです。
私は、異常死に対する死因究明制度議員連盟の副幹事長を引き受けておりますが、地域によっては異常死の相当部分が単なる心不全として処理されていること、解剖すれば犯罪に起因することが明らかとなったかも知れないのに、解剖もされないまま自然死として処理されているケースがあること等を学びました。」(「衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり」の「臓器移植法改正案について困った展開」(2009-06-12 12:25:30)より、一部引用。)



■移植法改正に日医慎重

 日本医師会(日医)は11日、自民党が開いた臓器移植法の勉強会で、「『脳死を人の死と定義して良いのか』など、国民的にも十分議論を尽くしていない重要な課題が多い」として、拙速な法改正は慎むべきだとの見解を明らかにした。

 日医は07年5月、「本人が意思表示をしていない場合は、年齢にかかわらず遺族の書面による承諾で臓器提供が可能になるような法の改正を要望する」として、国会に提出されている改正A案に近い見解を出していた。」(朝日新聞平成21年6月12日付朝刊37面)



移植法、賛否で苦悩=議員勉強会-自民

 自民党は11日午後、異なる4案が国会で審議中の臓器移植法改正案に関する勉強会を党本部で開いた。同党は採決で党議拘束を外すため、投票の参考にしてもらう狙い。だが、説明を聞いて悩みを深めた議員も少なくなく、法改正の難しさを浮き彫りにした。
 日本医師会の木下勝之常任理事は、子供への臓器移植に道を開くA案とD案を評価しつつも、「国民的にも広く十分な議論を尽くすべきだ」と指摘。日本宗教連盟の斎藤謙次事務局長は「脳死は人の死ではない」と強調。全国交通事故遺族の会の井手政子理事も「拙速に結論を出すべきではない」と述べた。
 提出者の議員も各案を説明。C案の阿部知子氏(社民党)は「臓器提供者側に配慮がないといけない」と強調した。
 勉強会に出席した平沢勝栄氏は「ますます分からなくなった」。松島みどり氏も「国会議員になって9年だが、これほど悩んだことはない」と語り、どの案に賛成するか判断がつきかねていることを認めた。
 一方、自民党の柴山昌彦氏は小坂憲次衆院議院運営委員長と会い、最初の投票でいずれも過半数に達しなければ、上位2案で決選投票を行うよう求めたが、小坂氏は否定的な見解を示した。(2009/06/11-20:44)」(時事通信:2009/06/11-20:44



『脳死を人の死と定義して良い』というのがA案の骨格です。それなのに、A案を支持している日本医師会自らが、脳死を人の死としてよいのかという点につき、「国民的にも十分議論を尽くしていない」と言い出し、しかも、早川議員相手にはA案に賛同するよう仕向けつつ、他方で、自民党の勉強会では採決を抑制するといった相反する行動をとるようでは、日本医師会の主張は信用されなくなります。(なお、決議文に「保証」という誤字があるのは、間が抜けた感じを与えますが、日本医師会は気にしないのでしょうか。)

脳死下での臓器移植は、他者の死亡と「無償の善意」を前提とします。死亡という重大な生命に関わる点はもちろん、「無償の善意」すなわち「好意」という心情さえも法改正で広げるのであれば、臓器移植法を積極的に推進する側は、正しい情報を十分に提供するという説明責任があるはずです。

それなのに、この期に及んで「国民的にも十分議論を尽くしていない」と言い出すなんて、自らの説明責任を果たしていないことを他人の責任に押し付けようしている態度にしか見えません。

また、決議文では、小児に対する虐待については、「警察の検視、犯罪捜査により少しでも疑いのある場合は司法解剖が行われ、臓器提供が行われることは絶対にあり得ない」だなんて、嘘を吐くことは実に困ったものです。早川議員が「異常死に対する死因究明制度議員連盟の副幹事長」として知りえた事実からも分かるように、誰もがわかるような嘘を吐くようでは、臓器移植法改正を望む側にとっても有害になるだけです。

こうした状況下においては、市民の側が、もっと臓器移植や脳死について理解を深める必要があります。臓器移植法改正に関しては、日本医師会の主張は信用されないおそれがあるのですから。そこで、脳死に関して触れた朝日新聞の記事を紹介したいと思います。


2.朝日新聞平成21年5月10日付朝刊9面「オピニオン 耕論」

脳死再定義、あなたはどう考える?


■「脳死は人の死」と定めよう

 脳死後の臓器移植に関する法律を考える時、法律家として大切だと思うのは、提供者となってもいい、あるいは、提供者にはなりたくないという人の意思を、どう考慮するのか、どのような条件を満たせば、提供者から臓器を摘出してもいいのかという点です。

 「脳死は人の死かどうか」という問題について、日本では長らく議論が続き、決着していません。法的に「死」を定義することは、どの時点まで人として法的に保護されるのかを見極めることです。現在の「臓器を提供するときだけ脳死が人の死(それ以外は心臓死が人の死)」という定義は、法的に整合性が取れていません。

 これが、日本の臓器移植法をめぐる最大の問題です。「脳死は一律に人の死」と定めない限り、臓器移植が進むことはないでしょう。

 私は、脳死は、人の生命にとって最も本質的な脳という器官の死であり、脳の細胞が死滅し、脳が元に戻らない形で機能を停止した状態だととらえています。心臓の機能は機械で代替できますが、脳はできません。法的に死を定義する場合、科学的な死の定義に加えて、みとりの時間を大切にするといった文化的な背景も考慮する必要はあると思います。

 しかし、私は、やはり脳死が人の死だと思います。

 また、現在の臓器移植法は、臓器を提供するには、本人があらかじめ意思を書面に記してあることだけでなく、親族の同意も必要とする、過剰な意思の確認を要求しています。逆に本人の意思を尊重していないことにならないでしょうか。

 海外の国々の多くは、本人の意思が表明されていれば、それで臓器提供ができます。一方、本人の意思が不明な場合でも、家族の同意があれば臓器を提供できます。

 通常の治療でも、親族が本人の意向を推定して同意、つまり代諾することがあります。代諾が認められるのは、親族の決定は本人の治療のためであり、本人にとって不利にならないという大前提があるからです。

 脳死を一律に人の死ということにすれば、臓器移植でも、親族が臓器提供に同意しても本人の不利になりません。なぜなら、本人はすでに死亡しているからです。

 当然ですが、脳死判定や臓器提供を拒否する権利はきちんと担保される必要があります。その場合も、まず「脳死は一律に人の死」と定めた上で、生前に拒否の意思を表明できる仕組みを作る、という考え方に転換すべきです。

 日本ではこれまでに80例以上、世界では何万という脳死移植が実施されています。その実績を、評価すべきです。

 愛する人を失った直後の家族に、臓器提供を持ち出すのは酷な面もあります。

 しかし、臓器移植が根付いているドイツでは、悲しみにうちひしがれ、亡くなった人の思い出に浸っている家族に、臓器提供の話をすることによって、提供を受ける患者に思いをはせるなど社会とのつながりを再確認し、再び前向きに生きていくきっかけを与える効果もあると言われているそうです。

 移植医療が根付けば、それが絵空事ではない社会になるはずです。 (聞き手・大岩ゆり)

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井田良(いだ・まこと)さん 慶應義塾大学法科大学院教授

56年生まれ。78年、慶応大卒、95年、同大教授。専門は刑法、医事法、比較法。著書に「講義刑法学・総論」など。」



■命みとる現場 荒れぬよう

 世界保健機関(WHO)が海外移植の規制に向かっているということで、臓器移植法改正への動きが急です。しかし、今さらWHOを持ち出すまでもありません。それぞれの国には、医療制度のあり方、医師への信頼度、命のみとりの文化の違いなど、良くもあしくもさまざまな要因からくる脳死移植への対応の差があります。その結果として得られた臓器は自国民に還元するのが筋でしょう。

 であればこそ、日本でも83年から14年にわたり国を挙げての論議を闘わせ、97年、現行の移植法が制定されたのです。

 私は当時から、内外の医療現場への取材や法案のウォッチなど、この問題にかかわり続けてきました。法律で脳死を死とすれば脳死状態にある身体から臓器を摘出しても摘出者は殺人罪に問われず、提供臓器も増やすことができます。しかし、臓器の需要のために国民一人ひとりの死生観を踏みにじることへの反対、脳死が発生する集中治療室の密室性による公正な脳死判定への危惧(きぐ)など根強い抵抗があり、長い長い脳死論議にはついに決着がつきませんでした。

 現行法は、この相反する死生観の人びとが、移植で救える人びとを何とか救おうとぎりぎり歩み寄った結果、制定されたのです。すなわち、提供者本人の書面による提供意思表示を絶対の要件として、その人の脳死を死とみなして摘出を許す。つまり、自分の死についての自己決定権を法的に保障したうえでの脳死の容認です。

 移植について「日本は世界に遅れている」という人びとがいますが、現行法は最高の選択であったと思っています。本人の提供意思表示という要件によって、家族に臓器提供を求める執拗(しつよう)な「口説き」がなくなりました。法制定前には、死んでいく我が子との生涯の別れの貴重な時間を口説かれ続けて提供し、悔いの残った人もいたのです。

 現在、国会では改正法案の採決が迫っていますが、脳死を一律に人の死とし、本人の提供意思表示も年齢制限なしに、家族の同意で臓器提供を可能にする案は、以上の経過からも、危険と考えます。

 懸案の子どもの臓器提供については、特例として家族の代諾を許す規定を設けて移植の道を開くことは可能です。ただし、子どもの脳死判定の難しさ、虐待の有無の判別などに専門的かつ厳重な歯止めが必要です。

 今日、世論調査で「臓器提供したい」と答えた方は43.5%だそうです。しかし、いざとなると提供が少ないのは、本人の意思はもちろん、温かく血の通う、まだ生きているようにしか感じられない身内を目の前にして、脳死だからと、とてもメスを入れる気持ちになれない家族が多いからでしょう。可能な限り手が尽くされ、家族も別れを納得し、脳死判定の透明性を確保し、信頼できる態勢が整えられてこそ、臓器提供は着実に増えるのではないでしょうか。

 救急医の不足、過酷な労働等で救急医療の現場は疲弊混乱しています。その中で法律で一律に脳死は人の死とするなら、早々と治療を打ち切る流れが加速するのは目に見えています。臓器移植も大切ですが、年に100万人超の日本人が死んでいる今、命のみとりの現場が荒れぬように守ることも大切だと考えます。 (聞き手・都丸修一)

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中島(なかじま)みちさん ノンフェクション作家

31年生まれ。70年、がん手術を機に、医と法の問題を取材。著書に「脳死と臓器移植法」「『尊厳死』に尊厳はあるか」など。94年菊池寛賞。」



■臓器提供の現場 直視せよ

 私たち救急医が脳死判定をする本当の意味は、臓器提供とは本来まったく関係ないものです。あくまで患者さんを救命できるかどうか診断するためのものです。それ以上治療しても救えないことを家族にお伝えするなかで、本人に生前の意思があり、家族が同じ意向をお持ちの場合、臓器提供することがあるということでしかありません。私たちが脳死判定をするのは臓器提供のためではないのです。

 そうした日常的な診断、治療のためにする脳死の診断は、医学的な根拠に基づいて進められています。これに対し、臓器移植法に基づく脳死判定は、この脳死診断より厳しい手順や検査項目で進める形式が定められています。医学的に不必要な規制も多いように感じます。従って法的脳死判定は、日常的に行われる脳死診断より手順が複雑で、提供施設に過剰な負担がかかっているといえます。

 また、本人の臓器提供の意思が書面で残されていても、この法的な脳死判定の前に、「臨床的脳死診断」と呼ばれる手続きが必要です。これは、家族の同意の前に、念のために一部のテストを除いて脳死の診断をするものです。

 そうした不必要と思える手順の多さから、臨床的脳死診断から臓器摘出術を終えるまで平均45時間もかかっています。法的脳死判定は少なくとも2人の医師がかかりきりになります。看護師なども必要で、過去の経験では日常の救急医療業務に大きな支障をきたす施設も多くありました。こうした施設の負担軽減策を、法改正をきっかけに政府に進めて欲しいと思います。

 臓器提供を増やしたいという意見もあると聞きますが、提供数だけが増えるようにしても、いまの体制では十分に対応できないのが心配です。私は臓器移植ネットワークで提供施設支援の仕事も手伝っていますが、医師と提供者側を仲介するコーディネーターはいまでも足りません。提供数が増えても、十分な提供を支える体制を整えなければ、不適切な提供事例が生じる恐れもあり、臓器移植の信頼を失うことにもなります。

 提供者への悲嘆のケアにも力を入れて欲しいと思います。提供者の家族は、その経験を胸に生き続けることになります。そのような家族の心のケアは、日本で移植医療を進めていくうえで、最も重要なポイントであると考えます。

 一方、終末期の患者の治療で家族の対応は変わってきているように感じます。医療への知識や関心が高まっているためか、医師任せでなく、不必要な治療をしないで欲しいと申し出る家族も少なくありません。

 こうした中、脳死は臓器提供時を除けば、いまだに位置づけがはっきりしていません。日本救急医学会は「脳死は人の死」であり、社会倫理学的なものでなく、純粋に医学的問題だという提言を06年にしています。

 また、小児の脳死判定は、特に乳幼児の場合が難しいのは確かです。脳死判定に各施設が精通するよう、力を入れることも必要でしょう。子どもの臓器提供については、虐待児問題への懸念があるようですが、現在でも、少しでも異常があれば児童相談所や警察に届けています。本来、脳死判定と臓器提供とは別の議論が必要だと思ってます。 (聞き手・服部尚)

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横田裕行(よこた・ひろゆき)さん 日本医科大高度救命救急センター長

55年生まれ。80年、日本医科大卒。同大教授。長く、臓器移植や災害治療の支援に取り組んできた。」

(*「あなたが脳死と判例されたら、臓器提供をしたいですか?」「脳死での臓器提供で、本人の意思が確認できない場合、どうすべきですか?」、「各国・地域の臓器提供者数」「現行の臓器移植法と各改正案の違い」についての図表は、省略。「脳死を巡る議論」について簡単な説明についても、省略。)



(1) この3者の見解を読んでどう思ったでしょうか? 中島みちさんさんや横田裕行さんのご主張を読めば、臓器移植法を改正したとしても、ドナー・レシピエント双方が幸福になるような臓器移植としつつ、臓器移植を増加させることは、現実的には、多くの態勢整備が不可欠であることがよく分かると思います。

中島みちさんさんや横田裕行さんのご主張と異なり、井田教授のご主張を読む場合には、注意が必要です。すなわち、井田教授は、「『脳死は一律に人の死』と定めない限り、臓器移植が進むことはない」と述べていますが、中島みちさんや横田裕行さんのご主張を読めば、現実的には、「脳死を一律に死」と定めたとしても、臓器移植が進む保障は何もないと、直ちに理解できるのではないでしょうか。要するに、井田教授が述べていることは、現実と懸け離れた抽象論としての「法律論(立法論)」であって、現実論ではないのです。

法律論としては、「脳死を一律に人の死」だとすることは、法的な論理としてはすっきりしたものになります。また、「通常の治療でも、親族が本人の意向を推定して同意、つまり代諾すること」があるのですから、「本人の意思が不明な場合でも、家族の同意があれば臓器を提供できます」という「推定的な同意」で認められるという論理も、法的な論理としては可能です。なぜなら、法益侵害行為の時点では同意が得られていませんが、諸般の事情から同意が得られることが高い蓋然性で推定されることを「推定的同意」を呼び、違法性阻却事由として、(脳死者からの臓器摘出は殺人罪にならずに)適法化する理論があるからです。

このように、井田教授にとっては、臓器移植法はあくまでも、どういう法律を規定すれば、「脳死状態にある身体から臓器を摘出しても摘出者は、刑法上、殺人罪(刑法199条)に問われずに済むか」という観点からの議論であって、現実的に、提供臓器を増やすことができるか、という話ではないのです。



(2) 臓器移植問題も医療行為の一種ですから、患者の同意(インフォームド・コンセント)、言い換えれば、ドナー・レシピエント双方(ご家族も含む)の自己決定権(憲法13条)を保障することが最も大切なことです。ですから、臓器移植法改正の賛否を問わず、自己決定権をいかに保障するかを考えなければなりません。

例えば、「日本弁護士連合会」の「会長声明集 Subject:2009-05-07 臓器移植法改正案に対する会長声明」には、その自己決定権について、明確に記されています。

臓器移植法改正案に対する会長声明

臓器移植法改正案が国会で審議されている。また、すでに提出されている改正三案の他に、臓器提供患者の年齢制限を撤廃すると共に、15歳未満の子どもからの臓器提供は家族の同意に加え、子ども虐待等につき病院の倫理委員会など第三者機関の判断を必要とする内容の改正案を作り、一本化を図る動きがあると報道されている。

これら改正案が浮上してきた背景としては、移植法が施行されてから10年以上が経過したにも拘わらず脳死臓器移植例が増加しないこと、現行法では子どもからの脳死段階での臓器摘出・移植が認められないことに加え、外国への渡航移植を禁止する国際移植学会のイスタンブール宣言やこれを追認する世界保健機関(WHO)の決議を控えていることが挙げられる。

しかし、脳死を一律に人の死とする改正、本人の自己決定を否定する改正は認められない。すでに当連合会は、脳死を人の死と捉えることが社会の共通認識には至っていないが、熟慮の結果、脳死状態になったら臓器を他者に提供したいと考える者の意思(自己決定)は尊重されるべきだとの結論に達した現行法の制定経緯を十分に踏まえ改正案について議論すべきこと、現行法制定後、特に子どもにおいて脳死以後も長期に生存する症例が多数存する事実が明らかになってきたこと、それらの情報を国民に対し正確に提供し社会全体のコンセンサスとして「脳死が人の死かどうか」を決すべきこと等を指摘したが、遺憾ながら今日に至るまで、当連合会の意見に関しての真摯な議論は何らなされていない。

そもそも、臓器移植が増加しないから増やすために人の死の概念を変更するというのは本末転倒である。子どもが移植を受けられない現状は検討すべき重要な課題であるが、子どもの脳死診断に限界があるとする専門家の指摘も含め、脳死に関する正確な情報提供が不可欠である。また、最近では心臓移植しか助かる方法がないとされた乳児の拡張型心筋症に新しい治療法が開発されたことも報告されている。現行法は、脳死の判定から数日で社会通念の死としての三徴候死(脈拍・自発呼吸・瞳孔反射の停止)になる脳死を前提にしているが、長期脳死(30日以上心停止に至らないケース)が存在することなどから、脳死の概念についても再検討すべきである。

よって当連合会は、現段階で、脳死を一律に人の死とする改正及び本人の自己決定を否定し、15歳未満の子どもの脳死につき家族の同意と倫理委員会等の判断をもって臓器摘出を認める改正を行なうことを到底認めることはできない。

2009年(平成21年)5月7日

日本弁護士連合会
会長 宮 誠」


生命倫理学でも、自己決定が基調になるべきだと考えられており、(a)自律尊重原理、(b)無危害原理、(c)仁恵原理、(d)正義原理、という相対的に独立したこの4つの原理を基礎として考えるということで一致しています(今井道夫・札幌医科大学医学部教授著「生命倫理学入門〔第2版〕(2005年、産業図書)3・11頁~)。臓器移植問題に関しても、いかにして自己決定権・自立尊重原理を確保するかが、最も大切なことであるといえるわけです。



(3) 自己決定権の保障が特に重要になるのは、子どもの場合です。子供にも自己決定権(憲法13条)が保障されることは当然ですが、子供は、いまだ発展段階にある存在ですから、子供の保護が必要であると同時に、子供の年齢及び成熟度によっては意思表明が難しい場合もあることに注意を払わなければならないからです。

1994年に我が国が批准した「児童の権利に関する条約」では、12条1項で「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」と明記しています。さらには、24条1項では「締約国は、到達可能な最高水準の健康を享受すること並びに病気の治療及び健康の回復のための便宜を与えられることについての児童の権利を認める。締約国は、いかなる児童もこのような保健サービスを利用する権利が奪われないことを確保するために努力する。」と明記しています。

児童の権利に関する条約12条1項、24条1項からすれば、子供の臓器移植に関しても保障を及ぼすべきです。そのため、この条約に従えば、「本人の意思表示と家族の承諾が必要条件」(日本看護科学学会、2001年)、子どもの権利を守り、子どもの意志表明を擁護する立場から「小児の人権を守る立場からは自己決定権を明示するチャイルド・ドナーカードの推進が望ましい」(日本小児科学会、2003年)、「子どもの意思表明を守るべき」(森岡・杉本、2001年、森岡、2000年)とする見解は、妥当な見解であるといえます。

日本小児看護学会は、子供の自己決定権を尊重する観点から、平成16年8月24日に、「臓器移植法改正に関する日本小児看護学会の見解」という表題での「臓器移植法改正に関する日本小児看護学会の見解」を表明しています。提言部分を引用しておきます。

Ⅱ.提言

 本学会は、子どもと家族の看護に関わる多くの看護職の意見、および関係者の意見をもとに子どもの臓器移植に関する検討を重ねた。これまでの検討に基づき日本小児看護学会は、子どもの臓器移植が行われる場合には、ドナー、レシピエント双方の子どもの権利を守る立場から「Ⅰ.現状と問題点」で述べた問題を解決し、以下に述べる体制と法の整備を強く求める。

1.臓器の提供および移植には子ども自身の意思確認をすること

 会員のアンケートでは、ドナー、レシピエント双方の子どもの権利を守るためには「子ども自身の同意を得る必要がある」と回答(複数回答)したのは285(90.8%)であり、「保護者の同意が必要」は287(91.4%)であった。【資料-5-1.図1】また、意思決定や意思表明ができない乳児や年少幼児の場合、法的には保護者の意思決定が本人に代わる意思決定(代替の意思決定)として重視される。(略)その場合「子どもの最善の利益」と言う概念が重要になる(後藤,2003)。しかし、臓器提供の意思を確認できない子どもからの臓器提供をした場合、臓器提供が本人の意思を反映したものであったかどうかという事に関して、その後保護者が長い間苦しみ続けることが体験者の手記など(杉本,2003;日本小児科学会,2001)にみられている。

 本学会は、子どもの臓器移植が行われる場合には、ドナー、レシピエントともに子ども自身の理解に合わせた十分な説明のもとに意思確認をすることを原則とし、意思確認が困難な子どもの場合は保護者の代諾によることもあり得るとする。いずれの場合も、子どもの権利の擁護に関するアドボケーターの関与と第三者による厳正な審査が行われることを前提とする。また、本学会はそのために子どもの意思確認の方法と判断基準について、日常の子どもの看護から事例検討を積み重ね、ガイドラインの作成に繋がる活動を目指す。

2.子どもの権利擁護のための擁護者(アドボケーター)および第三者の関与

 子どもからの臓器提供が、仮に保護者からの同意のみで行われる場合には、被虐待児や重度の障害児からの臓器提供の危険性が危惧されている。子どもの虐待事例が急増している現在、虐待事例の除外のための客観的評価を行うのはもとより、子どもの権利擁護のために子どもの利益の代弁者としてのアドボケーターと、移植に関わらない第三者の審査が求められる。会員のアンケートでは、子どもの権利を守るために子ども自身の意思確認の他に、第三者機関による子どもの権利擁護のための審査が必要との回答が237(75.5%)であった。【資料-5-1.図1】本学会は子どもの臓器移植が行われる場合には、臓器提供から移植への一連のプロセスにおいて、子どもの権利の擁護者(アドボケーター)として小児専門看護師あるいは子どもの専門家が関与し、移植に関わらない看護職を含む倫理委員会などの第三者が子どもの人権擁護の立場から審査を行うことを求める。小児専門看護師とは修士レベルで小児看護実践の知識・技術の教育を受け、個人・家族または集団の権利を守るために、倫理的な問題や葛藤の解決をはかる(倫理調整)役割を持つ看護師である。

 また、倫理審査にあたる第三者は、問題がある場合にはそのプロセスを一時停止し解決に導く権限をもつことが望ましい。

3.十分な看護人員の配置と小児専門看護師の配置

 臓器提供の判断がされる場は、ICU(集中治療室)であることが多い。ICU はその特殊性から、短期間、集中的に治療が行われる場であり、突然に亡くなる子どもを看取る場にふさわしい環境を整えにくく、さらに子どもを看取る家族を支えるための医療者との信頼関係に時間をかけて築きにくい場である。一方で小児集中治療に関わる医師、看護師ともに、ICU という環境においても子どもと家族が穏やかな別れの時を迎えられるよう、できるかぎりのケアをしたいと願っている。このような状況にある家族を支え看護するには、子どもの集中的なケアを担当する看護師の他に十分に家族の話を聞き、支えるための時間と専門的知識、技術を持つ看護師が必要であり、現状の人員配置では不十分である。

 さらに、臓器移植を受ける子どもの看護においては、術前術後の急性期における集中的な看護ケアが必要なことはもとより、その後も薬を服用し続けながら成長・発達して社会の中で生活していく子どもを支援する看護には、専門的な知識と技術が求められる。

 また、小児専門看護師は2で述べたアドボケーターとしての役割を担うことが可能であり、本学会は臓器移植がおこなわれる施設に、子どもの権利を擁護する立場からの子どもの利益の代弁者として小児専門看護師および十分な看護の人員を配置することを求める。

 先に「6.マンパワーの問題」で指摘したとおり、子どもの臓器摘出および臓器移植が行われる医療機関には、十分な看護の人員配置が行われなければ、安全かつ国民が納得できる子どもの移植医療が行われることは保障できない。本学会は、十分な看護の人員の配置と、小児専門看護師の配置を含めた看護体制の充実を子どもの移植医療の必要条件として求める。

 一方、現在の我が国の看護教育においては、このような専門的能力を育成する教育が十分とは言えないのが現状である。日本小児看護学会は、子どもの権利を擁護する立場からの卒後教育支援活動を強化するとともに、子どもの臓器移植に関わる看護師の教育の機会を提供するなどの教育活動の取り組みを検討する。

4.脳死診断基準、被虐待児脳死例の排除基準の整備

 子どもの脳死診断基準には、脳死と診断された子どもの長期生存例の説明など課題があることが指摘されている(杉本,2003;日本小児科学会,2003)。さらに、脳死と診断された子どもの約1割以上が、虐待かその疑いが原因であることが報告されている(日本小児科学会,2004)。これらのことから、子どもからの臓器提供にはこの脳死診断基準に関する検討を続けること、および虐待事例を排除するための基準の整備など、脳死診断を巡る医学的問題を解決することが重要である。

5.生命と死に関する学校教育および社会(家庭も含む)教育の充実

 アンケートでは、日本の社会全体の傾向として人の生命や死について親子で話し合う土壌がないことを指摘し、この現状から子どもと家族の十分な理解と意思に基づいて臓器提供や移植が行われることは難しく、子どもの臓器移植は課題が多いとする意見があった。 さらに、子どもの自己の生命や死に関して意思決定する能力を高め、サポートするための方策として、90.2%が子どもへの「生と死の教育」が必要と回答し(複数回答)、同様に「移植に関する教育」は75.2%、教育を担当する職種として「子ども専門の移植コーディネーターの養成」は82.5%が必要と回答していた【資料-5-3-図2】。これらの教育の場として家庭と学校がいずれも90%以上選択されている【資料-5-4-表7】が、学校教育、家庭教育ともに「生と死」に関する教育が十分に行われていない現状がある。これらの現状を踏まえ、子どもからおとなまで、学校教育、家庭教育、マスコミ等を含むさまざまの教育の機会を利用し、「生と死」についての教育体制を充実することを求める。日本小児看護学会は、子どもの健やかな成長・発達、健康、生命や死に関わる専門職として、子どもへの「生と死」の教育への貢献を課題とし、取り組みを検討する。

6.基準の明確化と開示

 日本小児看護学会は、子どもの臓器移植が行われる場合にはこれまで提言で述べた条件が整えられることはもとより、その一連のプロセスにおいて全ての基準が明確に定められ、国民に開示されることを前提と考える。」


これらを読めば、子供の置かれている状況を踏まえた上で、子供の自己決定権を具体的に確保することがどれほど大変なことか、よく理解できるのではないかと思います。




3.自己決定権の尊重を基本とした、現行臓器移植法と異なり、臓器移植法改正案のうち、A案のように本人の意思がない場合にも臓器提供を認めることは、「自己決定権」の尊重を弱めるものです。もし、A案を採決するのであれば、法的にも、「自己決定権」の尊重を弱めるだけの合理的な根拠と十分な条件整備が必要となるはずです。

そして、法改正をすると同時に、現実論として臓器移植を増加させるためには、具体的にどのような態勢整備を必要とするのかをも考え、直ちに実施することが求められます。特に、子供の臓器移植の場合には、「臓器移植法改正に関する日本小児看護学会の見解」を読めば分かるように、慎重さが求められます。

臓器移植改正問題に関しては、「臓器移植患者団体連絡会や日本移植学会は、間違った情報を流し、印象操作をしている」といった批判もなされています。ドナー・レシピエント双方にとって命が関わる問題である以上、そうした批判を受けないように正しい情報を提供し、感情的な反論や短絡的な批判は避けるべきではないかと思うのです。

テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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2009/06/28(日) 23:52:29 | Ż??
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