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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2009/06/10 [Wed] 23:59:31 » E d i t
栃木県足利市で1990年、女児(当時4つ)が誘拐殺害された「足利事件」で、17年半ぶりに釈放された菅家利和(すがや・としかず)さん(62)は、各報道機関のインタビューに応じています。
6月11日追記:「無知の暴露」について、説明を加えました。)


1.6月10日現在、共同通信、読売新聞、産経新聞、東京新聞がインタビュー記事を掲載しています。

(1) 【共同通信】(2009/06/06 20:17)

「裁判員でも有罪と判断」 釈放の菅家さん単独会見

 1990年の足利事件で再審請求中に釈放された菅家利和さん(62)=無期懲役が確定=が6日、東京都内で共同通信の単独インタビューに応じ「もし自分の一審が裁判員裁判でも、無罪は出なかったのではないか。裁判員は鑑定結果を信じて、有罪と判断しただろう」と述べ、証拠化される鑑定の精度を高める必要性を強調した。

 また「警察や検察がわたしや両親、兄弟に謝罪しなければ、永久に許さない。裁判官も謝ってほしい」と訴え、取り調べの録音・録画(可視化)を導入すれば強引な取り調べを防止できる、との考えも示した。

 菅家さんは「刑務所に収監された時には、一生出られないのではないかと思うこともあった」と服役生活を振り返り「白いご飯がおいしい」とあらためて釈放の喜びを語った。

 その上で「釈放には感激したが、DNA鑑定で無期懲役になり、再鑑定で釈放された」と複雑な心境も吐露した。

 捜査段階の取り調べについて「『おまえだよ』『証拠はある』と怒鳴られ続けた。否認すると髪を引っ張られ、足をけられた。いくら言っても聞いてもらえず『もう駄目だ』とやけになった」と自白に追い込まれた状況を詳述。「今は自白を後悔している。当時は気が小さかった」と述べた。

 確定判決では、菅家さんが90年5月、足利市内のパチンコ店から保育園女児=当時(4)=を近くの河川敷に誘い出し絞殺した、とされている。

2009/06/06 20:17 【共同通信】」



(2) 読売新聞平成21年6月8日付朝刊1面(14版) 

「やってません」13時間 絶望の「自白」  
菅家さん「悲しくて泣いた」

 4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」の容疑者として逮捕されて17年半。今月4日に無期懲役刑の執行が停止され、釈放された菅家(すがや)利和さん(62)が6日夜、読売新聞の単独インタビューに応じ、「自白」の経緯などを明かした。

 暴力的な取り調べを受けたのは逮捕当日だけだったが、その後も「犯行ストーリー」を作り続けてしまったという菅家さん。なぜ「虚偽の自白」に追い込まれたのか。足利事件は、取り調べのあり方について改めて問題を投げかけている。

 「今から考えると自分でも分からないが、話をしないと、調べが前に進まない。早く終わらせたかったんだと思う」

 菅家さんは「自白」の経緯をこう振り返る。

 栃木県警の捜査員が自宅を訪れたのは1991年12月1日午前7時頃。「いきなり上がり込んできて、『子供を殺したな』と迫られ、女の子の写真を示され『謝れ』と言われました」。その日は知人の結婚式だったが、求められるまま警察署に向かった。

 署では「やったんだな」「やってません」といった押し問答が夜まで続いた。体液のDNA鑑定結果などを示されてもすぐには認めなかったが、「日は暮れ、心細くなって、このまま家に帰れないかもしれないと思うようになった」という。

 気持ちが折れてしまったのは、取り調べが始まって約13時間たった午後9時ごろ。「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」

 「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」。容疑を認めたのは、その後だ。後は「何か(話を)作らないと前に進まない」と、報道された内容に想像を交えて、犯行状況を話した。

 「小さい時から、人からものを言われると何も言えなくなってしまう。相手の機嫌を損ねることが嫌い」と自己分析する菅家さんについて、弁護人の佐藤博史弁護士は、「捜査官に納得してもらわないといけない、と迎合的に考える傾向がある」とみる。その上で2007年に富山県氷見市の男性の冤罪(えんざい)が発覚した婦女暴行・同未遂事件との類似性を指摘、心理学者などを交えての事件の検証を訴える。

(2009年6月8日03時14分 読売新聞)」(*6月8日付朝刊30面にも関連記事)


共同通信でのインタビューでは、「警察や検察がわたしや両親、兄弟に謝罪しなければ、永久に許さない。裁判官も謝ってほしい」と述べており、捜査機関に対する強い憤りとともに、裁判所にも憤りを感じていることを表明している点が特徴的です。ですから、捜査機関側がどれほど真摯な謝罪をするか、最高裁判所長官が謝罪を表明するかどうかが今後の注目すべき点です。

読売新聞でのインタビューでは、「自白」の経緯などを明かしていますし、1面トップで掲載しており、重要なインタビューであるという扱いにはしています。ですが、あまりにもインタビュー内容が少なすぎです。ほんの少しだけしか紙面に掲載しないのであれば、読売新聞はもちろん、菅家さんにとっても意味のない取材であったと感じます。「絶望の自白」という見出しを掲げることで感情論を誘うつもりなのでしょうか。そこで、充実したインタビュー記事を掲載している東京新聞を紹介したいと思います。



2.東京新聞6月10日付

(1) 東京新聞6月10日付朝刊1面

足利事件の菅家さん
 『刑事の怒声、暴力怖かった』 
2009年6月10日 朝刊

 足利事件の再審請求で、17年半ぶりに釈放された菅家利和さん(62)=写真、川柳晶寛撮影=が9日、東京新聞のインタビューに応じ、栃木県警の取り調べに対し、虚偽の「自白」をした経緯を振り返った。髪の毛を引っ張るなど暴力的な調べから自白に追い込まれたが、「やりました」と言った以上、説明しなければならないと考え、架空のストーリーを供述したという。 

■取り調べ全面可視化を

 「おとなしくて、人から何か言われるとしゅんとなる。『そうだろう』と言われると『はい、そうです』とすぐ言っちゃう」。菅家さんは自分の性格をそう分析した。

 一九九一年十二月一日、足利署で朝から取り調べを受けた。何度も「やっていない」と否認したが受け入れられず、夜十時ごろ「やりました」と認めた。「刑事の声が大きくて怖かった。もうどうでもいいやと思ってしまったんです」

 髪を引っ張られたり、足をけったりされた暴力的な取り調べは、逮捕当日のそれぞれ一回ずつだった。容疑を認めると、刑事は「おお、そうか」と喜び、怒鳴らなくなったという。自白の後、刑事の手を握って涙を流したが、「どうにもならないという悔し涙だった」と振り返る。

 足利市内で過去に起きていた二件の幼女殺害事件についても虚偽の自白をした菅家さんは「今は自分が情けない。どうして言っちゃったんだろうと後悔している」と語った。

 釈放を受け、取り調べの全面的な録音・録画を求める声が強まっている。

 菅家さんは「すべて録音・録画すれば今回のことは起きなかった」と全面可視化を求めた。」



(2) 東京新聞6月10日付朝刊24・25面【こちら特報部】

菅家さん 絶え続けた17年  偽の自白…『楽になりたかった』 
2009年6月10日

 一九九〇年に栃木県足利市で女児が殺害された事件の犯人とされ、二〇〇〇年に無期懲役刑が確定。一転、冤罪(えんざい)の可能性が強まり、先日釈放された菅家利和さん(62)。ある日突然の逮捕、言い分を一切聞き入れてもらえない取り調べ…。孤立無援の状況で、虚偽の“自白”に追い込まれていった菅家さんが、「こちら特報部」に、当時の心境を語った。 (出田阿生)

■ドア開けたら「殺したな」

 【栃木県警は事件から1年以上、菅家さんを尾行。DNA型鑑定した体液の型が一致したとして91年12月、逮捕した】

 朝7時ごろ起きると、玄関をどんどんたたく音がする。「警察だ。菅家いるか!」って。ドアを開けたとたん、6人のうち3人がなだれ込んできた。「おまえ、子ども殺したな」と言われ、「殺してなんていませんよ」と否定すると、座った姿勢でひじ鉄を食らわされ、後ろにどーんと倒れた。むかつきましたよ、いきなり何をするんだって。

■髪つかまれ け飛ばされ

 【その日は日曜で、結婚式に出る予定だった】

 「そんなもん、どうでもいい」と怒鳴られた。警察署に連れて行かれて「子どもを殺しただろう」「やっていない」と押し問答を繰り返した。昼をはさんで午後も同じ繰り返し。夕飯後、また繰り返す。どうしても聞き入れてくれない。頭の毛を引っ張られ、け飛ばされた。それぞれ1回。

 【夜中になり、菅家さんは「やりました」と“自白”する。刑事のひざが涙でぐっしょり濡(ぬ)れた】

 とにかく怒鳴られて怖かった。イライラして、もうどうでもいいやという気持ちになった。早く楽になりたかった。刑務所とか死刑とか、家族のことも全然頭に上らなかった。なぜそんな心境になったか分からないけど、刑事の手を握り締めた。涙が止まらなかったのは悔しかったから。認めたら、刑事の態度が穏やかになってほっとした。

■現場検証 想像で話合わせ

 【犯人にしか分からない犯行の詳細や遺体の遺棄場所などをどうやって供述したのか】

 現場検証のとき、遺体を捨てた場所が分からない。「ここです」とでたらめを言うと、警察は「違う、もう少し先だ」と言う。「そうかもしれない」と話を合わせた。合掌して、心の中で殺された女の子に「おじさんはやってないよ」と念じた。

 やりましたと言った以上、どう説明しようかと考え続けた。一生懸命想像して話を作った。ムラムラとして恥ずかしいことを夢想した後、女の子の首を絞めたことにした。女の子が裸だったことも、警察で「これが別に捨ててあった衣類だ」と見せられて初めて知った。それも、後から付け加えて供述した。

 【別の女児殺害事件2件(栃木県警が再逮捕後にいずれも不起訴)についても“自白”した。このうち、1件は被害者の遺体がリュックに入れられていた】

 警察から聞いて、リュックをごみ箱から拾った話を作った。そうしないと、取り調べに答えられない。1日中調べられるから苦しくて、何でもいいから早く終わらせたくて。自分の性格は、小さいときからおとなしくて、反論ができない。人さまに「そうだろう」と言われると「はい、そうです」と言ってしまう。

 【菅家さんは裁判が始まってから、犯行を否認したり、また認めたりすることを繰り返した。これも不自然だとされた】

 やっていないと言いたかったけど、刑事が傍聴していると思うと怖くて。(第6回公判で)否認したのは、その日は傍聴席に刑事がいない気がしたから。でも、その後また「どうせ聞いてもらえない」とあきらめて、認めてしまったりした。論告求刑で検察官が「極刑にしてほしい」という女の子の両親の言葉を読んだ。初めて死刑になる可能性に気付いて、「とんでもない」と思った。

 【求刑公判の後、見知らぬ人から手紙が来た】

 その人は支援者で、1カ月後に面会に来た。私のことを「信じる」と言ってくれたんですよ。家族も言わなかったのに…。それで強くなれた。やっていないと言おう、と思えた。

■同房受刑者に殴られ骨折

 【刑務所生活は過酷を極めた。それでも菅家さんは弁護士に「不自由はない」と話していた】

 6人部屋に入ったら、同じ房に悪いやつがいて「1週間で全部覚えろ」と言う。布団のたたみ方やトイレ掃除、食器の洗い方…。うまくできず、殴られて肋骨(ろっこつ)が折れた。水を張った洗面器に顔を漬けられ、殺されると思った。急所をけられ、他人の小便や大便を食えとも言われた。医務室の先生に「やられたか」と聞かれたけど、最初は「何もされてません」と答えた。弁護士の先生には言わなかった。言ったら、殺されてしまうと思ったから。

 【獄中の17年半を経て、これからやりたいこと】

 私が捕まったショックで父親は死んでしまったし、母親も2年前に亡くなってしまった。逮捕されるまで、交通違反も含め、一度も警察の世話になったことはない。警察は市民の味方だとずっと思っていた。

 今までの人生は返ってこないけど、これからは冤罪で困っている人たちを支援したい。自分も支援してくれる人たちがいたから、ここまでやってこられた。取り調べの録音・録画があれば、今回のようなことは起きなかったと思う。DNA型鑑定も、逮捕の時だけ使うのではなく、冤罪だと主張する人に再鑑定する制度を法律でつくってほしい。

   ◇◇◇

 菅家さんは現在、住まいが決まっておらず、一時的に足利事件弁護団の主任弁護人、佐藤博史弁護士の自宅に滞在している。最近はレンタルビデオ店に行き、大好きな寅(とら)さんが出ている「男はつらいよ」と、時代劇「必殺仕事人」を借りた。佐藤弁護士と本屋に行った時は、レジで店員から「菅家さんですね、おめでとうございます!」と握手を求められたという。

■「DNA鑑定で観念」 裁判で知った

 今回の再鑑定で否定されたDNA型鑑定が証拠になっていることを菅家さんが知ったのは、裁判が始まってから。「取り調べで、DNA型鑑定の決定的証拠を突きつけられて観念した」というもっともらしい話も、菅家さんの認識とは異なる。

 菅家さんは釈放後に出演したテレビ番組で、司会者に「こうして女の子の首を絞めて…」と虚偽の自白内容を説明した。佐藤弁護士は「実際は自白をさせられた場面を再現しただけだが、スタジオには『やはり真犯人か』と緊張感が漂った。弁護士も誤解しそうになるほど“完ぺきな自白”をしてしまう。だけど、ちゃんと話を聞けば誤解だと分かるんです」と話す。

 佐藤弁護士は言う。「冤罪の結果、女の子たちを殺した真犯人が逃げている。このおそろしい事実をどう考えるか」

<デスクメモ>

 真犯人だけが知る「秘密の暴露」は、捜査の決め手だとされる。だが菅家さんの話を聞けば、誘導でつくられた秘密が存在するとわかる。だから自白調書を読むときは、真犯人なのに知らない「無知の暴露」にこそ着目すべきだという人もいる。冤罪に向き合う姿勢を問う言葉ともいえるだろう。 (充)」

(*「足利事件の経緯」年表は省略。)



62歳、生活厳しく 刑事補償・国家賠償の道も

 菅家さんにとって喫緊の課題といえば、生活費の確保だ。

 現在62歳。職を得るのは容易ではない。また拘置・服役中は年金保険料を納められなかったことから、今後の生活は決して平たんな道のりではない。

 憲法に基づく刑事補償法は刑事裁判や再審で無罪になった人に対し、逮捕後の拘置、服役期間に応じて国に保障を請求できると定める。補償額は検察・警察と裁判所の故意・過失、精神的・肉体的苦痛などを考慮して、一日当たり千円以上1万2500円以下の範囲で支払われる。

 しかし、菅家さんはまだ再審開始決定が出ていないため、無罪が確定していないことから請求はできない。

 財団法人・法曹会の調べでは、2003年から07年までの5年間で、補償決定を受けたのは259人。一人当たりの一日平均の補償額は1万円程度。仮にこの金額を菅家さんに当てはめれば、6千万円強が支払われる。

 これとは別に、逮捕や起訴が違法だとして、国家賠償法による損害賠償請求も可能とみられる。」



(3) 菅家さんの話を読むと、警察は、頭の毛を引っ張り、け飛ばして虚偽の自白をさせ、その後は、警察が手持ちの証拠とつじつまが合うように、供述を作成してしていることが分かります。

「現場検証のとき、遺体を捨てた場所が分からない。『ここです』とでたらめを言うと、警察は『違う、もう少し先だ』と言う。『そうかもしれない』と話を合わせた。」


取り調べ過程を全面的に可視化すれば、警察が自白を誘導してるか否かが明白になります。捜査機関は、もっともらしい理由をつけて取り調べの全面可視化を拒否していますが、本音のところは、全面可視化をされると、自白を誘導している場面を録音・録画されてしまって、虚偽の自白を強要していることがわかってしまうからであるといえます。

本当に真犯人であり、違法捜査をしていないのであれば、取り調べの全面可視化は少しも恐れることはありません。日本の捜査機関は、多くの事件において、捜査機関にとって都合のいいような供述を誘導することが多々見られるため、全面可視化となれば、こうした従来からの捜査手法を取ることができなくなってしまうとして、抵抗している面があると思います。

捜査官の個人的な資質の違いや凶悪事件かどうかにより差異はあるとしても、菅家さんのように虚偽の自白を誘導されることは、決して珍しいことではないのです。珍しいことではないがゆえに、多くの裁判官も、捜査機関による自白の誘導はいわば日常茶飯事であるとして、少しも意に介さないわけです。


(4) 記事中では「無知の暴露」について触れているので、いくらか説明しておきます。

<デスクメモ>

 真犯人だけが知る「秘密の暴露」は、捜査の決め手だとされる。だが菅家さんの話を聞けば、誘導でつくられた秘密が存在するとわかる。だから自白調書を読むときは、真犯人なのに知らない「無知の暴露」にこそ着目すべきだという人もいる。冤罪に向き合う姿勢を問う言葉ともいえるだろう。 (充)」


「無知の暴露」と呼んでいるのは、多くの冤罪事件で供述証拠の信用性の鑑定を手掛けている浜田寿美男・奈良女子大学文学部教授(心理学)です。

取調官は、捜査情報を持っていますが事件の全容が分かっている訳ではありません。ですから、無実を人を逮捕してしまった場合、事件について知らない者同士が、推測で言い合うわけですから、いたるところに辻褄が合わない部分がでてきます。

しかし、取調官は、逮捕した相手を犯人だと思い込んでいるわけで、ですから、事件につき、謎を解明するような「秘密の暴露」や「やりました」という自白を得ようとして、足利事件のように暴行に及ぶほど躍起になって尋問を行うのです。

そして、ずっと否認していた相手が「やりました」と答えると、やっと落ちたかとほっとすると同時に、犯人であると確信するわけです。ただ、冷静になってよく考えれば、客観的な証拠によって犯人性が証明できたわけではないのですから、確信を持つ根拠はないのです。これを浜田教授は、「証拠なき確信」と呼んでいます。

「証拠なき確信」を抱いてるからこそ、捜査情報で分かっている情報と矛盾する供述に対しては、「そんなはずはないだろう。嘘をつくな」と強引に供述の修正を行うのです。足利事件でも、同様のことがあり、菅家さんは、「現場検証のとき、遺体を捨てた場所が分からない。『ここです』とでたらめを言うと、警察は『違う、もう少し先だ』と言う。『そうかもしれない』と話を合わせた。」と述べています。

「証拠なき確信」によって責められる側としては、犯人でないと言っても絶対納得してもらえず、暴行や耳元で怒鳴られるといった取り調べを避けるため、自分が犯人だったらどうだろうと、想像しながら必死になって答えていくしかなくなります。いわば、取調官相手に「犯人を演じる」わけです。

無実の者が問われるまま訳も分からずに犯人を演じ、(事件の全容を知らずに)捜査情報をもった取調官がサポートするように模索しながら、二人三脚で調書を作っていくのですが、二人とも事件の全容を知らないのですから、当然ながら、いたる所に辻褄の合わない点が出てきます。これを浜田教授は「無知の暴露」と呼んでいます。

真犯人なら当然知っているはずのことを知らないがゆえに、想像で語ったことが図らずも嘘になります。この嘘こそ、実は語っている人が事件について無知であることを暴露するものなのです。虚偽の自白から、この「無知」を見つけ出せば、冤罪を明らかにする有力な証拠になると、浜田教授は述べています(「無実の人がなぜ「自白」するのか?」冤罪File2009年6月号54頁以下)。

足利事件でも、自白調書によると、遺体遺棄現場の渡良瀬川河川敷のアシの中を、懐中電灯もなく女児を連れて暗がりの中を移動したことになっています。しかし、事件の発生時とほぼ同じ時間帯に、遺体遺棄現場の渡良瀬川河川敷のアシの中を足利事件の弁護団や支援者と歩いた、東京新聞の記者は、懐中電灯なしで移動することは困難であるとして、「菅家利和さんの自白にリアリティーは感じられなかった」と述べています(東京新聞平成21年6月5日付朝刊1面(12版)【解説】)。足利事件の自白調書には、DNA型鑑定の再鑑定がなかったとしても、「無知の暴露」があったのです。

自白調書にどんなに「無知の暴露」が存在しようとも、取調官や検察、そして救いがたいことに裁判所も(過失か故意かは不明ですが)、自白調書を証拠として採用して、無実の者を有罪にしてしまうのです。




3.最後に。

菅家さんは「すべて録音・録画すれば今回のことは起きなかった」と全面可視化を求めています。確かにその通りでしょう。全面可視化しない限り、菅家さんのような事例は、今でも生じていることであって、今後も決してなくなることはありません。

ただ、残念ながら、自民党や公明党は、冤罪防止に消極的であるので、現政権下では、取り調べの全面可視化は不可能です。ですから、冤罪を防止したいのであれば、取り調べの全面可視化に賛成している野党への政権交代が大事であるわけです。

司法権や行政権が自ら改善する兆しがない場合、国民による選挙により、国民の代表者たる国会議員を変更し、立法権によって改善を図るしかないわけです。こうした意味でも、今度の総選挙は重要な意味をもっています。

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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2009/10/23 Fri 16:21:50
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2009/06/12(金) 13:39:21 | ?
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2009/06/12(金) 15:25:10 | ? ?
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