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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2005/10/21 [Fri] 01:03:37 » E d i t
10月17日に小泉首相はまた靖国参拝を行いました。その少し前に大阪高裁が違憲判断を下していて、この2つの点に対して、憲法学者のコメントが新聞・雑誌に載っています。そこで、それを挙げて若干のコメントを付けたいと思います。



1.まず大阪高裁判決に対して。


(1) 朝日新聞(9月30日付夕刊)において、浦部法穂・名古屋大大学院教授(憲法)は、

「高裁レベルで憲法判断を出した点で大きな意味を持つ判決だ。踏み込んだ判決だと感じたポイントは2点ある。1つは、公私の区別に関して『あいまいにしていたら公的だ』とした点。2つ目は、信教の自由をめぐる法的利益の侵害についてで、従来の『公権力による強制』だけでなく、『圧迫、干渉を受けない権利』まで認めたことだ。ここまで踏み込んだのなら請求を認めてもよかったのではないかと思う。」


と述べています。

首相が靖国神社に参拝するといっても、私人(一個人)という資格で行うのであれば何ら問題はないのですが、国家機関を担う公人として行うのであれば政教分離違反となります(浦部編「憲法キーワード」58頁~:通説)。そうすると、公的か私的か否かが問題となりますが、「私的行為とあえて明確にせず、曖昧な言動に終始する場合、私的とする判断もできますが、大阪高裁では公的と認定する要素の1つと判断したわけです。

この大阪高裁の判断は、違憲判断を下した福岡地裁平成16年4月7日判決より踏み込んだ判断ですが(判例タイムズ1157号134頁参照)、これは至極当然の判断でしょう。もし曖昧にすれば法の規制を免れることを許せば、簡単に脱法行為を認めてしまうことになるからです。

そして、小泉氏は、内閣の首長である内閣総理大臣の地位にある以上、天皇陛下と同様に公人であって、公の場で行う殆どの行為が公的色彩を帯びてしまうのはある意味、不可避です。そうすると、首相による靖国参拝は、曖昧にしていた場合はもちろん、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまうと考えます。


「請求を認めてもよかったのではないか」という点については、次のような解決策があります。それは、朝日新聞(10月6日付朝刊)において、

「今回のケースで損害があったことが認められれば、憲法判断は必ず必要になる。ただし、損害を認めることにためらいを覚えるのが、現在の下級審の裁判官の一般的な感覚だ。
 内容は違うものの、最高裁は9月、選挙権を行使できなかった外国在住者に1人5千円の損害賠償を認めた。この判決に触れ、『靖国参拝訴訟でも同じように、憲法で保障された権利が侵害された場合、実際の損害額の立証が難しくても認める『名目的損害賠償』の考え方を採れば、論理としては完結したと言える』という最高裁関係者もいる。」


と、しています。
このように「名目的損害賠償」の考え方によれば、大阪高裁のように請求棄却でなく、損害賠償を肯定することができるというわけです。損害賠償を肯定すれば「傍論」だとして違憲判断を無視するような言動も(法的には)できなくなります。
小泉首相による司法権に対する挑発と思えるような靖国参拝・それに伴う言動や、最高裁関係者の示唆もあることですし、今後は、損害賠償を肯定する下級審判例が出る可能性が高くなったといえます。



(2) 日本経済新聞(10月1日付朝刊)において、渋谷秀樹・立教大大学院教授(憲法)は、
「勝訴した方が判決理由の一部を不服として上告するのは難しく、原告が上告しなければ違憲判決が確定する。一方、原告が上告した場合には、大法廷に回付され、歴代首相の靖国参拝を巡る初の憲法判断が示される可能性がある。」という記事に続けて、

「違憲判断が確定すれば、首相の行動を拘束する効果を持つと考えるべきだ。」


と述べています。

このコメントは大阪高裁違憲判決が確定した場合の効力について、コメントしたものだといえます。従来、「違憲判決の効力」は最高裁判所の判決だけを念頭に置いてきましたので(野中「判決の効力」芦部編・講座憲法訴訟第3巻(昭和62年)110頁~参照)、下級審の違憲判決が確定した場合の効力は、殆ど論じていなかったと思われます。
しかし、渋谷教授は、下級審判決であっても、判決である点に変わりがないのですから、確定した以上、最高裁判決と同様に拘束力を認めようとするものだと思います。

今後有力になる見解だと思いますが、もし認めると、どのような事例であっても、論理的には下級審違憲判決が確定すればすべての下級審判決で拘束力を認めることになりますが、それでよいのかというと戸惑いを感じます下級審判決は、今後の同種の事件につき最高裁の判断により覆される可能があるからです(佐藤美由紀「『違憲判決の効力』論の変遷」杏林社会科学研究19巻3号(2003年)参照)。
ただ、おそらく、渋谷教授のご見解は、今回のような事例における下級審判決に限定して主張されているのかもしれません。



(3) 週刊朝日10月21日号(10月11日発売)において、小林節・慶応大教授(憲法)は、

「9月30日に大阪高裁が小泉首相の靖国参拝を『公的参拝』だとして違憲判決を下しました。それをとらえて小泉さんや自民党は『そんなのは傍論である』とか、『私的参拝に決まっているだろう』と反応した。
 これには複線があって、昨年4月に福岡地裁が違憲判決を出しました。その判決の文脈では私的参拝だったら合憲だったので、とたんに『私的だ』と言いだした。でもね、公用車を使って公設の秘書官を連れて、あえて記帳で『内閣総理大臣 小泉純一郎』と書いて、大騒ぎになって記者から公式参拝か私的参拝か聞かれたら『公的とか私的とかいう質問は無意味だ』と。そこまでいったら、国語的常識から言っても法的常識から言っても、これは公式参拝ですよ。
 国家の代表者が戦没者を追悼するというのは正しいことで、平和を願うのもいいことです。しかしそのために特定の宗教施設を国家御用達にするということは、これは宗教差別で政教分離に反するわけです。憲法常識からいったら、耐えられないことですよ。それが違憲判決が出たら、それに対して怒っていると。違憲判決が出て当たり前なんです。」


と、インタビューに答えています。

小林教授も「違憲判決」と言っていますね。それはともかく、小林教授も、(上でも述べていますが)公式参拝は違憲であるという憲法学上の通説に基づいて発言したものです。
例えば、芦部信喜「憲法学3 人権各論(1)増補版」199頁では、

「私は、かつて国家神道の1つの象徴的存在であった宗教団体である靖国神社に少なくとも内閣総理大臣が国民を代表する形で公式参拝を行うことは、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教との深いかかわり合いをもたらす象徴的な意味をもち、政教分離原則の根幹をゆるがすことになるので、『効果』ないし『過度のかかわり合い』の要件に照らし、違憲であると考える」


と論じています。
このように公式参拝が違憲であることを前提として、憲法学上の通説は小泉首相の靖国参拝は公式参拝であって違憲と判断しています、というわけです。憲法学上、圧倒的通説ですし、これ以上、特にここで論じる必要はないでしょう。




2.10月17日に小泉首相が行った靖国参拝について。

10月17日に行った靖国参拝は、昨年までと違って「内閣総理大臣 小泉純一郎」との記帳や、私費による献花料の支払いをせず、昇殿せずに拝殿前で参拝して、参拝後の記者会見や談話も出しませんでした。また、「1人の国民として参拝した。総理大臣の職務として参拝したのではない。」と私的参拝であることを強調しています(日経新聞〔10月17日付夕刊・10月18日付朝刊〕)。

このような事実関係において、朝日新聞(10月17日付夕刊14面)において、浦部法穂・名古屋大大学院教授(憲法)は、

「今回は一般の人と同じ場所で参拝して『私人』の立場を強調したのだろうが、公用車を使い、厳重な警備の中で参拝しており、これまでと本質的には何ら変わらない。首相の立場で、外交問題につながる参拝は、私的な参拝とは言えない。高裁段階で判断が分かれているとはいえ、9月30日には、大阪高裁で違憲判決が出たばかりだ。それを全く無視して首相が参拝を強行するというのは、法治国家ではない。司法判断を軽く扱っている。」


と、しています(ちなみに浦部教授も「違憲判決」と言っていますね)。

細川博之官房長官は、17日の記者会見で、今回の参拝について、高裁判決の影響に関して『たまたま本日の参拝がこうであったということだ。首相の意識に特に変化はない」と語っています。

しかし、小泉首相は、17日夕、「今までは総理大臣として特別に昇殿を許されていた。普通の一般の国民と同じようにした。」と説明しています(朝日新聞〔10月18日付朝刊〕)から、ここまで言っている以上、細川長官の記者会見と異なり、小泉首相に意識の変化があったといえるでしょう。そして、今年から参拝方式を一変させたのですから、当然ながら、「昨年までの参拝は違憲の疑いがあった」と示唆する結果になります(日経新聞〔10月18日付朝刊〕参照)。

そうすると、今回の小泉首相の参拝方式により、今までの靖国参拝は、より違憲と判断し易くなったといえます。


従来の参拝はともかく、10月17日靖国参拝は、従来と変えた以上、私的参拝であると判断することも可能です。大阪高裁が違憲と判断した要素をなるべく排除するようにしていますので。

しかし、上で述べたように、「首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう」のですから、10月17日の参拝形式でも公式参拝に当たるという判断がごく自然であると思います。そして、10月17日は、靖国神社の最重要行事である秋季例大祭の初日ですから、その日に参拝することは、客観的にみて宗教的意義が深い行為といえ、その意味でも政教分離原則違反の疑いが濃いといえます。

そうすると、「これまでと本質的に変わらない」という浦部教授のコメントは、憲法学上の多数説の判断を提示したもの、すなわち10月17日の参拝も政教分離原則に違反して違憲であるといえるでしょう。

テーマ:靖国参拝 - ジャンル:政治・経済

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コメント
この記事へのコメント
ご指摘有難うございます
春霞様

当ブログへのご訪問・コメント、有難うございます。

『「違憲判決」でも、憲法学上はおかしくない』とのご意見ですが、個人的にはワタクシはそう思います。
しかし、一般の方々が「違憲判決」という言葉から、どのようなイメージを抱かれるかを考えると、ワタクシは「違憲判決」という言葉を報道で使用することは、控えるべきだと思っています。
しかし、「違憲判断」という表現がしても、受け取る違いがあるのかを考えると、さほどないでしょう、という気持ちはあります。
つまり、「違憲判断」という言葉をマスコミは使用すべし、と思う根拠は、「違憲判決ではない」と反論する人たちに対する配慮をした方が良いと思うのです。
それと、反論しえない状況を作るべきであると思うわけです。

> 少し違うのは、「傍論における憲法判断は、ある要件を備えれば、是認されるとする」のは有力説ではなくて、むしろ憲法学上(たぶん行政学上も)は多数説だと思いますけど。

すみません。恥ずかしいかぎりです。
「傍論」について、ご指摘の通りです。
多数説もしくは、判例であり通説ですね。
ご指摘、有難うございました。
訂正致しました。

これからも、よろしくお願い致します。
2005/10/25 Tue 02:37:56
URL | あいあい亭代表 #2wVHmwyI[ 編集 ]
>あいあい亭代表さん
こちらこそ、コメントありがとうございます。


>反論しえない状況を作るべき

確かに「違憲判決」と書いたことでつまらぬ非難を受けたりしてますね。なるほど、と思います。
ただ、「違憲判決と表記してよい」と主張するのは、法律系ブログとしてのこだわりですね。


>「傍論」について、ご指摘の通りです

些細な指摘で、すみません。ただ、「有力説ではなくて通説・判例である」とすれば、あいあい亭代表さんのご主張が、より強固になると思い、応援のつもりで指摘しました。


>これからも、よろしく

こちらこそ宜しくお願いします。
2005/10/25 Tue 23:34:28
URL | 春霞 #1wIl0x2Y[ 編集 ]
勉強させていただきました。法律には疎く、とんちんかんなことを聞いているのかもしれませんが、質問させてください。

本文中の(2)で、
「勝訴した方が判決理由の一部を不服として上告するのは難しく、」となるのに、「違憲判断が確定すれば、首相の行動を拘束する効果を持つと考えるべきだ。」となっておりますが、首相の立場からすると、自分に不利(行動が拘束される)になったにもかかわらず、上告ができないというのは何やら不合理な気がいたします。

実は、あいあい亭さんのところを読んでからこちらに飛んできたのですが、あいあい亭さんのほうを読むと、(はっきり述べてはいらっしゃらないのですが)「傍論に法的拘束力はない」ように思えます。
素人的には、傍論とはなんぞや?つまり、「傍論に法的拘束力があるのかないのか、はっきりしてくれ」というところに疑問のもやもやがあります。
憲法判断か否かにかかわらず、もし傍論が法的拘束力があるにもかかわらず、上訴や抗告(でしたっけ?)を行えないのなら、裁判官が傍論を使うことによって、自分の判決を最終のものにすることができてしまうので、不合理だと思います。

どうなんでしょうか?お忙しくなければ、ご教授くださいませ。

2005/10/27 Thu 00:19:57
URL | 真実一郎 #Ufm6CJy2[ 編集 ]
>真実一郎さん
はじめまして。コメントありがとうございます。

>首相の立場からすると、自分に不利になった(行動が拘束される)にもかかわらず、上告ができないのは…不合理

>憲法判断か否かにかかわらず…上告を行えないなら、…自分の判決を最終のものにすることができてしまうので、不合理

簡単に結論を言えば、民事訴訟法及び憲法上の通説は不合理だとしていません。
この問題は、民事訴訟法の問題と憲法の問題が重なっているのですが、民事訴訟法上の通説・判例は全く不合理だと考えていませんので、そのせいか、議論としては低調な感じです。

真実一郎さんのご質問を含め、関連する問題点については、いずれこのブログで書く予定です。根拠などはそのときということでご容赦願います。

ところで、「傍論」を気にしているようですが、やはり靖国参拝訴訟の大阪高裁のせいでしょうか? そうだすると、大阪高裁は本当に傍論で憲法判断をしたのでしょうか? 
ちなみに、山口弁護士は、御自分のブログ「弁護士山口貴士大いに語る」で、大阪高裁は傍論で憲法判断をしたわけではないと書いています。
それに、仮に傍論だとしても、近時の最高裁判例からすると損害賠償を肯定することも可能ですから、そうすれば明らかに傍論になりません。
また、あいあい亭代表さんのブログでも書かれていましたが、傍論か否かを気にしている法律の研究者及び実務家は、ごく一部だと思います。
そうすると、真実一郎さんを含め、なぜネット上では「傍論」を気にする方が結構いるのか、戸惑いを感じます。

特に「靖国公式参拝合憲論者」が声高に「不合理性」を主張しているので、多くの法律の研究者は「不合理性主張者」に対して警戒心を抱いている感じがします。真実一郎さんも、「靖国公式参拝合憲論者」なのですか?
2005/10/28 Fri 12:33:58
URL | 春霞 #1wIl0x2Y[ 編集 ]
お返事ありがとうございます。今後、解説があるということで期待しております。

>「傍論」を気にしているようですが、やはり靖国参拝訴訟の大阪高裁のせいでしょうか?
というよりも、こことあいあい亭さんのページのせいですね(笑。知的に面白い。。。ただ、ともに靖国訴訟のことを扱っているページなので、その意味では、少なくともきっかけはおっしゃるとおりです。ただ、今は単純に法律論の方が興味あります。

それと、実は私は判決文の中に「傍論」というサブセクションがあってその下に傍論が述べられているものだとばかり思っていました。こちらの以前の記事を読んで、傍論というのがその後の判例との関係で決まるものだということをはじめて知りました。私と同様の勘違いをしている人は少なくないかもしれません。

>真実一郎さんも、「靖国公式参拝合憲論者」なのですか?

合憲か違憲か判断する能力がないという意味ではそうは言えないと思いますが、心情的には首相には参拝してほしいと思っている方ですね。

恐らく私の頓珍漢な質問を多少リファインするなら、(傍論というキーワードは忘れて)渋谷教授のコメントをどう解釈するか、という疑問に成ると思います。傍論を忘れても、(一般人にとっては)春霞さんに要約引用していただいた疑問は残ると思います。
2005/10/30 Sun 04:56:59
URL | 真実一郎 #Ufm6CJy2[ 編集 ]
>真実一郎さん
>知的に面白い
>今は単純に法律論の方が興味あります

傍論に限らず、法律論は面白いですよ!(←個人的には思ってます) このブログでいくらかでも知的な満足が得られるといいのですが。

>判決文の中に「傍論」というサブセクションがあって

普通、そういう判決文はないですね。むしろ、そんな判決文があったらぜひ教えて欲しいです。

>心情的には首相には参拝してほしい

そういう気持ちは分かります。法律論は別として。
心情的には(参拝形式を軽視する)首相よりも天皇陛下に参拝して欲しいです。むしろ首相による靖国参拝がなければ、天皇陛下による参拝が実現しやすいかな、とは思っているのですが…。

>恐らく私の頓珍漢な質問を
>渋谷教授のコメントをどう解釈するか

全然、頓珍漢ではないと思います。
渋谷教授のコメントは…真意がよく分からないですね。色々調べては見たのですが。渋谷教授がどこかで論文を書くか、誰かが直接渋谷教授に聞くしか真意が分からないかもしれません(汗)。
2005/11/02 Wed 00:29:07
URL | 春霞 #1wIl0x2Y[ 編集 ]
公的と私的の区分条件は何でしょうか?
「違憲判決」という見出しは間違いか?
というエントリのコメントから誘導されてこちらへ書きます。
#表現中の(笑)は、文章を和らげるためにつけただけで、特に他意はありませんのでご了承願います。

昨年の小泉靖国参拝は公的だ、とブログ主様は断言されまして、その理由はここに記載されているとのこと。
読んでみましたが、今ひとつはっきりわかりません。(笑)

>>しかし、上で述べたように、「首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう」
とおっしゃいますが、その「上」に書いてあることでわかる公私の基準は・・・
浦部教授
>>公私の区別に関して『あいまいにしていたら公的だ』とした点
>>私的行為とあえて明確にせず、曖昧な言動に終始する場合、私的とする判断もできますが、大阪高裁では公的と認定する要素の1つと判断したわけです。
小林教授
>>公用車を使って公設の秘書官を連れて、あえて記帳で『内閣総理大臣 小泉純一郎』と書いて、大騒ぎになって記者から公式参拝か私的参拝か聞かれたら『公的とか私的とかいう質問は無意味だ』と。そこまでいったら、国語的常識から言っても法的常識から言っても、これは公式参拝
・・・くらい。昨年のケースでは、浦部説に対しては事前に「私的」であることのアナウンスを行い、小林説に対しては記帳しないという対策(笑)を立てていますので、同列には扱えないと思われますが、同列とする法律論的に正しい根拠がありましたらお知らせください。(笑)

>>小泉氏は、内閣の首長である内閣総理大臣の地位にある以上、天皇陛下と同様に公人であって、公の場で行う殆どの行為が公的色彩を帯びてしまうのはある意味、不可避です。そうすると、首相による靖国参拝は、曖昧にしていた場合はもちろん、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまうと考えます。
これは、ブログ主様の意見でしょうが、法律論的根拠がわかりません。語開陳願いたいです。(笑)
「法律的に正しい」というのがどのレベルなのかはわかりませんが、「公的と私的の区分条件を設定し、それぞれの参拝のありかたを照らし合わせ、判定する」程度の検証がなければ、第三者から見て評価のしようがなく、はなはだ「いいかげん」だと思いますので、今後もこの類の話題ではご検討をお願いしたいところです。(笑)

>>首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう
から派生する疑問で、「では伊勢参拝は?」というのを散見しますよね?
よろしければご意見をうかがいたい。

さらに、まず首相参拝は違憲だとして、「それでも参拝した場合の法律論的意義」についてもできればご意見をうかがいたい。
2006/01/22 Sun 02:13:50
URL | 高田明 #-[ 編集 ]
>高田明さん
>公的参拝か私的参拝かの区別条件は何でしょうか?

その点は、手持ちの文献では自治研究81巻9号、ジュリスト1222号、ジュリスト1287号に出ていますので(探せばもっとあると思います)、それをお読み下さい。ただ、文献名を見て分かるかもしれませんが、この問題は行政法と憲法に関わるので、行政法と憲法の知識が必要となります。そうすると、行政法、国家補償法、憲法という書名の著書をある程度読んでいないと、自治研究やジュリストを読んでもさっぱり分からないと思います。当然ながら、その文献に出ている判例の理解も必要になりますので、その判例についての最高裁判所調査官解説や行政法判例百選・憲法判例百選・重要判例解説も一通りでも読む必要があります。
私としては通常の労力ですが、もし高田明さんが法律についてあまり知らないのでしたら、非常に大変だと思います。頑張って下さい。

仮に、公的参拝と私的参拝の区別条件についてここで答えても、高田明さんの場合、結局は「報道の仕方」についての答えを求めているので、もうお答えすることはないと思います。
2006/01/23 Mon 01:41:21
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
このエントリにおけるコメントはメディア論ではありません
>>その点は、
(中略)
>>それをお読み下さい。
「首相による靖国参拝は、曖昧にしていた場合はもちろん、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう」という結論がそこに見出せるのですね。
#例示された教授たちの見解で、個別の条件設定がなされているのが不自然になりますので、ちょいと不思議ですが・・・
暇があったらあたってみましょ。

>>仮に、公的参拝と私的参拝の区別条件についてここで答えても、高田明さんの場合、結局は「報道の仕方」についての答えを求めているので、もうお答えすることはない
「ので」の前が、後の説明になっていません。(ロジックの体をなしていない)
そのうえ、何をもって「結局は」以下の判断ができるのか、不思議です。
#実際は、このコメントタイトルに書いたとおりです。
さておき、結論自体はブログ主様の自由ですので受け入れます。
#別コメントで、「頭が下がる」とまで評していただいた割には、ずいぶんな態度だとは思いますが。

ところで、公的参拝と私的参拝の区別条件以外の質問については、どうします?

何かを論じるのであれば、「だから」「しかし」等の接続語は、ロジカルに有意義なものでなければなりません。
>>上で述べたように、「首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう」のですから、
(上で述べた)「ように」と書きながら、実際には説明していないのは、ロジック構築能力を疑われる一因となります。
#説明してあるのであれば、問われて「文献を読め」とはかかないでしょうから、ね。

今後のご研鑽を期待します。
2006/01/23 Mon 10:56:35
URL | 高田明 #-[ 編集 ]
「首相の立場で、外交問題につながる参拝は、私的な参拝とは言えない。」←浦部教授の見解。

「国家の代表者が戦没者を追悼するというのは正しいことで、平和を願うのもいいことです。しかしそのために特定の宗教施設を国家御用達にするということは、これは宗教差別で政教分離に反するわけです。」←
小林教授の見解。

実際に書いてあるのに、きちんと文章を読んでいない人が「説明していない」と批判するのは読解力を疑われる一因となります。

あとは公人の権利の制約についての議論はこれも相当の学術的蓄積がありますんで、ある程度勉強してください。つまらない揚げ足をとりたくてうずうずしているような人につっこまれないような議論を一から展開するのは不可能ではありませんが、非常にストレスフルな作業であり、ブログで無理です。春霞さんは基本的に丁寧に説明される方だと思われますが、それはあくまで彼の善意です。

あなたがもう少し好人物であればもしかすれば、あえて啓蒙の為に時間を割いて応えて下さることもありましょうが、相手を不愉快にさせたり困惑させる言辞を弄しておいて、応答せよ、と迫るのはあつかましいだけです。というか僕ならあなたのような人はすぐにアク禁ですがね。
2006/01/23 Mon 13:44:48
URL | しまうま #-[ 編集 ]
>しまうまさん
>つっこまれないような議論を一から展開するのは不可能ではありませんが
書いてもいいのですが、何度も書いても法律論と離れた話で反論してきたりして建設的な議論でないので、終わりにしました。

>僕なら…すぐにアク禁です
普通ならそうするのでしょうね。きっと。とりあえず、プロフィールの箇所に注意事項を追加しました。
今後のためにも、ある意味得がたい経験をさせてもらいました。しまうまさんというまともな人がこのブログを読んでいることを知ったことも、良かったです。他のエントリーでのコメントと併せてのお返事で失礼しますが、ここ数日間、お疲れ様でした。
2006/01/23 Mon 23:06:59
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
しまうまさん、高田宛ですね?
>>実際に書いてあるのに
まず、
>>「首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝となってしまう
に対するコメントは、過去の小泉参拝限定の話ではありません。
#ブログ主様ご主張の趣旨からいっても、ね。
(しまうまさんの引用した)「書いてあること」は上記結論の十分条件だ、と両教授は主張はしていないのです。
単純に、「A級戦犯を分祀し、外交問題につながらない参拝は合憲」「別の戦没者慰霊施設をつくり、特定の宗教施設を国家御用達にしない参拝は合憲」でしょ。
#私のみならず、両教授の言説まで曲げてしまうとは、たいしたものです。

>>読解力を疑われる一因となります
しまうまさんに疑われるのは、一向に構いません。

>>あなたがもう少し好人物であれば
悪口をいうのに相手を明確にしないのは、小心者のすることです。
私が「好人物でない」との評ですが、私は自分の議論態度を相手に合わせていますので、(無理かもしれませんが)自省してみることをお勧めします。
>>相手を不愉快にさせたり困惑させる言辞を弄しておいて
しまうまさんの意識では、私に対する最初のコメント(2006/01/17(火) 13:21:30)も、相手を不愉快にさせたり困惑させる言辞ではないのでしょうねぇ・・・
#ブログ主様も、これを放置し、まともに相手の名前さえいわずに悪口を書き、あげく「粘着君」だのというレッテルはりさえも許容するのですから、似たような態度と私は判断し、それなりにあわせただけのこと。
2006/01/24 Tue 08:56:22
URL | 高田明 #-[ 編集 ]
まだ続けるの?
本当に読解力のない人だねえ。

「首相による靖国参拝は、どう工夫をしても殆どすべてに近く公的参拝」

だから春霞さんも、首相が憲法に抵触しない追悼の方法、参拝方法が「ありうる」ことは否定してないでしょ。首相のある行為が政治的に何の影響もない、ということはありうるけど、仮にあるとしてもそれはごく限られており、私的な行為として認められる余地が非常に狭い(ほとんどない)、という憲法上の通説に従った常識的な書き方をしてるの。両教授もそれに明らかに沿って書いてる。春霞さんの議論とどこか食い違いがありますか?

それに僕が外交問題につながらない(もっというと政治的でない)靖国参拝をいつ否定したのかね。特定の宗教施設を国家御用達にしない参拝も違憲などとどこに書いたね。国語力って大事ですね、ほんとうに。揚げ足取り以下だもの。

というか、いい加減法律論的に無意味な「つっかかり」は止めて欲しいんね。そもそも君に憲法学の教授のコメントの趣旨を読解するだけの法学的素養なんてないのになぜ俺様解釈に、そんなに自信満々なのか謎なんだけど。

というか、もうこれ削除対象でしょ。完全に議論する雰囲気ではなくなってる。君ももう恥ずかしいから止めなさい。といっても、どれだけ頓珍漢な議論を繰り広げてるのか、分かってないんだろうから、自分からは止められないんだろうな。

春霞さん、最初の信念を曲げるのはおいやでしょうが、削除を勧めます。
2006/01/24 Tue 11:13:10
URL | しまうま #-[ 編集 ]
>しまうまさん:削除のこと
>もうこれ削除対象でしょ。完全に議論する雰囲気ではなくなってる
>春霞さん、最初の信念を曲げるのはおいやでしょうが、削除を勧めます。
ご忠告ありがとうございます。削除しないのは、信念というほどではないです(汗)。正直、早いうちに削除しておけばよかったのですね。結局、高田明さんはアクセス禁止にしました(もし、まだ書いてくるようなら、他の方法もとります)。
今後の反省のために、高田明さんのコメントは削除せずに残しておくことにしました。

今後は荒らし対策は素早く行うつもりですので、今後は、しまうまさんのお手を煩わせることはないと思います。長い間、ありがとうございました。あと、これからもコメントなど宜しくお願いします。
2006/01/25 Wed 23:56:55
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006/01/26 Thu 11:55:50
| #[ 編集 ]
首相の靖国参拝
 首相の靖国参拝、憲法の政教分離原則に違反するか!
 
 参拝行為が、憲法の禁止する国家機関(当然、首相もはいる)の「宗教的活動」に当たるかどうか!? 微妙ですね!論者・立場によって、それに該当するという立場もあれば、該当しないという立場の人もいるでしょう。
 さらに、首相には、個人としての立場もあります。憲法は「何人」にも「信教の自由」を認めています。 上レスを見てみますと高田さんが排除されているようですが、反対の立場の人の見解・論拠にも耳を傾けて、その立場をも理解した上で、議論して、説明して行くのが適切ではないかと考えました。 
2006/01/27 Fri 19:32:43
URL | Gくん #-[ 編集 ]
>非公開コメントの方へ
ご紹介ありがとうございます。大変ためになりました。
もしかしたら、メールの方がいいことがあるかもしれません。
気が向いたときにでも、また差し支えなければですが、非公開の形で
メールアドレスを書き込んで頂ければ、メールを送ります。
2006/01/28 Sat 00:27:24
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
>Gくんさん
はじめまして、コメントありがとうございます。

>参拝行為が、憲法の禁止する国家機関(当然、首相もはいる)の
>「宗教的活動」に当たるかどうか!? 微妙ですね!
このエントリーにおいて、3人の憲法学者が違憲と書いているのをお読みになりましたか?
小林教授は小泉首相の靖国参拝について「違憲判決が出て当たり前」とまで書いていますが。首相の靖国公式参拝は違憲とするのが憲法学上の通説ですし、小泉首相の靖国参拝はいずれも違憲とするのがおそらく通説で、その通説が妥当だと考えています。
憲法学者である小林教授が違憲と考えるのが「当たり前」とまで言っている、おそらく殆どの憲法学者が「違憲と考えるのが当たり前」と考えている問題について、「微妙」だとお考えになる法的な理由について、ぜひとも教えて下さい。ただ、申し訳ありませんが、このブログは法律論を論じる場ですので法的根拠に限らせて頂きます。

>論者・立場によって、それに該当するという立場もあれば、該当しない
>という立場の人もいる
違憲とするのが通説と書いているように、合憲という少数説があることを意識して書いていますが……。

>さらに、首相には、個人としての立場もあります。
>憲法は「何人」にも「信教の自由」を認めています。
このエントリーの中で「首相が靖国神社に参拝するといっても、私人(一個人)という資格で行うのであれば何ら問題はないのですが、国家機関を担う公人として行うのであれば政教分離違反となります(浦部編「憲法キーワード」58頁~:通説)。」と書いていますが…。

憲法は「何人」にも「信教の自由」を認めていることは知っています。しかし、信教の自由は、もちろん、人権は無制約ではないことをご存知でしょうか? 人権相互の衝突調整のためや社会公共の観点からの規制などにより人権は制約を受けるのです。だから、もちろん「首相の信教の自由」も制約を受けます。
そうなると、日本国憲法は、政教分離原則を定めている(憲法20条1項後段・3項、89条)のですから、「首相の信教の自由」も政教分離原則に抵触しないように行使しなければなりません。ようするに、「首相の信教の自由」も政教分離原則による制約を受けるわけですね。
そして、肝心なことは、ここで問題となっているのは、公式参拝、すなわち行政機関としての参拝を問題としているのです。そうすると、国側に対して憲法が政教分離原則という責務を課しているのですから、行政機関としての首相は、政教分離原則を遵守しなければならない法的義務を負っている以上、法的義務に違反しない形の参拝でなければならないのです。

特に、明治憲法下において、神社神道を優遇する反面、他の宗教は激しく弾圧(宗教施設の爆破・不敬罪による処罰など)されたりするとともに(大江志乃夫「靖国神社」(岩波新書)39頁~)、神社神道に与えられた国教的地位とその教義は国家主義や軍国主義の精神的な支柱となりました。このような沿革・戦時中の反省をふまえて、日本国憲法は憲法20条1項後段・3項、憲法89条を規定し、「国家と宗教との厳格な分離を明確にするために規定を置いている」(芦部信喜「憲法学」121頁)のです。いうなれば、国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに、政教分離原則の主眼があったわけですね。その「国家神道…の象徴」(三浦朱門監修「靖国神社 正しく理解するために」10頁〔海竜社〕)が靖国神社だったのですから、特に靖国神社と国家とのかかわりを否定しなければ、日本国憲法が政教分離規定を設けた意義を全く失ってしまうとさえいえるのです。

首相は内閣という合議体の「首長」として、国務大臣の任免権や行政各部を指揮するという大きな権限を有し、国を代表する立場にいます。そうすると、大きな権限を有する国の代表者が公然と靖国参拝する…。これこそ、日本国憲法における政教分離原則が最も忌むべき「国と靖国神社とのかかわり」だといえるのではないですか? 首相が公然と靖国神社に参拝することを認めたら、もはや政教分離原則は全く無意味なものになったとさえいえるでしょう。日本国憲法の政教分離原則は「国家と神社神道とのかかわりを特に否定することに主眼があった」のですから。

引用した箇所は除いて、ここまで書いたことは、憲法学のどの書籍でも明確に書いているとまではいえないのですが、憲法学者の共通認識と考えていいと思います。このエントリーで引用したように、小林教授が「違憲判決が出て当たり前」と言い、芦部教授が「政教分離原則の根幹をゆるがすことになる」と書いているのは、この共通認識があるからです。
このような認識を基礎として、首相の靖国参拝の合憲性について、行政法や憲法の見地から、解釈論を展開していくことになります。この解釈論については、憲法論の方は、目的効果基準により判断するのが判例で、その基準にあてはめて判断するわけです。そのあてはめについては、このエントリーでは、芦部教授の記述を引用して、違憲であると判断しているというわけです。
少し付け足すと、愛媛県が靖国神社に玉串料を奉納した行為について違憲と判断した愛媛玉串料判決(最高裁平成9年4月2日大法廷判決)と比較しても、「事務所で行われる少額の金銭の受け渡しよりも、実際に国家機関が足を運び本殿で参拝をする方が、一般人に対し宗教的印象を強く与え、影響も大きい」(木村「自治研究」81巻9号154頁)ので、愛媛玉串料判決を前提とする限り、愛媛玉串料判決以上に、首相の靖国公式参拝を違憲としないのは困難なのです。「愛媛玉串料判決で合憲という反対意見を書いた可部裁判官ですら、…参拝行為を行っていないという事実を、愛媛県の行為が違憲でないことの重要な根拠」としているのです(木村「自治研究」81巻9号154頁)。

また、小泉首相は首相に就任する前は他の議員から誘われても「面倒くさいから」靖国参拝に行かず(週刊現代2005年12月24日号28頁)、首相になったら突然参拝したそうです。これこそ、首相だからこそ参拝に行った、すなわち、小泉首相は「首相という行政機関として靖国公式参拝をした」、という証であると考えます。そして、既に述べたように首相の靖国公式参拝は違憲とするのが憲法学上の通説です。

このようなことから、(小泉)首相に個人としての立場があるからとか、(小泉)首相に信教の自由があるからといって、(小泉)首相が問題なく公然と靖国神社参拝ができるわけではないのです。ご理解頂けましたでしょうか? 

正直思うのですが、元々「面倒くさいから」行かなかった人(小泉首相)に、参拝をしてもらったところで、戦争で一命をなげうった戦死者の霊が慰められるとは、とても思えないのです。心から祈りを捧げてくれる人に参拝して欲しいのではないですか? Gくんさんはどう思いますか?


>上レスを見てみますと高田さんが排除されているようですが、反対の立場の人の
>見解・論拠にも耳を傾けて、その立場をも理解した上で、議論して、
>説明して行くのが適切ではないかと考えました。
法律論であれば、時間があればお答えします。しかし、法律論ではない「報道の仕方」には答えませんと何度も書いたにもかかわらず、高田さんは「報道の仕方」を論じることを執拗に求めてきました。これは<注意事項>違反ですし、なにより荒らし行為もあると判断しましたので、仕方なく、アクセス禁止としました。ご理解頂けましたでしょうか?
メディア論云々だけでなく、高田さんの見解・論拠にはもう何度も充分に答えていると思っています。もちろん、しまうまさんに答えて頂いた点も多いですが。

コメントは大歓迎ですし、否定的なコメントも構いません。しかし、公開のブログなのですから、私だけでなく、ここを読む不特定多数の方に不快な思いをさせないような書き方をすることもまた、必要かと思います。どうでしょうか?
2006/01/28 Sat 01:16:32
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
首相の靖国参拝、憲法の政教分離原則に違反するか!2
 コメントありがとうございます。
国の機関は、「宗教的活動」をしてはならない。 の文理解釈と判例の立場で述べます。

 首相の宗教施設への参拝行為を、便宜以下のように分けて説明します。

1 公式参拝 
 なお、「公式参拝」とは、首相が内閣の機関決定を経て、内閣の代表として参拝したものとします。
 
 イ 玉串料等を国家予算から支出
 ロ 判断基準  目的効果基準
 (過去の判例等から、明らかに「違憲」が予想される)

 イ 公金支出ナシ
 ロ 判断基準  目的効果基準(最高裁判決が出ていないので、不明)
 この「目的効果基準」そのものが、アイマイで自明の結論が出ません。現時点では、違憲・合憲の議論は、「水掛け論」と考えます。
 ただし、知事等の公職にある者の宗教施設への参拝行為を、憲法に違反しない旨の最高裁判決アリ。

2 公的参拝
 公的・私的を明言しない現在の参拝は、これに該当するものと思われる。
 
 イ 公金支出ナシ(公金を支出すれば問題アリ)
 ロ 判断基準  目的効果基準か?それに準ずるもの。
(これも最高裁判決が、出ていないので不明)

3 私的参拝
 私的・公的の線引きは、難しいが、
 例えば、公務時間外に個人として参拝したものが、そうと考える。私的立場は「一切ない」といえば、議論になりませんね。

 イ 公金支出(もちろんナシ)
 ロ 判断基準  「公共の福祉」
 首相個人(何人)にも、「信教の自由」があるから、「公共の福祉」程度(公人という立場を考えればこれより、やや厳格に解してもよいか!)の制限を受ければ足りると考えます。

結語)最高裁の判断が、出ていない以上、学会の「通説」や自己の立場を主張しても意味がないと考えます。 ですから、何とも言えない「微妙」だといいました。
2006/01/30 Mon 23:28:38
URL | Gくん #-[ 編集 ]
>Gくんさん:「微妙」のこと
> 首相の宗教施設への参拝行為を、便宜以下のように分けて説明します。
>1 公式参拝 
>2 公的参拝
>3 私的参拝
公式参拝と公的参拝を分けるのは興味深いですね。法律系の論文だと通常はそういう区分をしていないので。Gくんさん独自の区分でしょうか?

>なお、「公式参拝」とは、首相が内閣の機関決定を経て、
>内閣の代表として参拝したものとします。
こういう「公式参拝」の定義もあるのでしょうけど、最高裁平成7年2月22日大法廷判決(ロッキード事件)は、「機関決定」(閣議決定のことですね?)がなくても首相の権限を認めているので、Gくんさんによる「公式参拝」の定義は、平成7年最高裁判決と整合性に欠ける定義かと思います(自治研究81巻9号136頁参照)。

>この「目的効果基準」そのものが、アイマイで自明の結論が出ません。
アイマイさは否定できないですね。ただ、この程度のアイマイさは、法律論としては普通かなと思います。自明の結論がでるような基準なんてまずないです。法解釈とはそういうものなのですが…。

>例えば、公務時間外に個人として参拝したものが、そうと考える。
観念的には公務時間外の行為はあるでしょう。しかし、小泉首相は自ら「24時間首相である」と述べているように、現実的には「公務時間外」の行為は殆どないでしょうね。現実に基づいた解釈の方が適切だと思います。

>結語)最高裁の判断が、出ていない以上、学会の「通説」や自己の立場を
>主張しても意味がないと考えます。
>ですから、何とも言えない「微妙」だといいました。
首相の靖国参拝について、合憲の理由があるからではなく、最高裁判決が出ていないから「微妙」としたわけですね。
もちろん、最高裁判決がでればはっきりすることは確かです。しかし、最高裁の判断が出ていない場合でも、国側は「微妙」だとして保留にしたり、合憲と扱うわけにはいきません。公務員は憲法尊重擁護義務(憲法99条)があるから、違憲の行為はできないからです。
そうすると、最高裁が出ていない問題については、内閣法制局とかも判断するのでしょうけど、(内閣法制局自身も)憲法学者の意見が参考になるわけですから、学者の意見は国側の行動指針を示唆することになり、その通説は最も行動指針として妥当といえるわけです。
このように「学会の…主張」は、最高裁の判断が出ていないからこそ、意味があるわけですね。

まして、目的効果基準という基準があるのですから、首相の靖国参拝行為について「その基準では判断できず不明」という憲法学者は皆無でしょうね。
このようなことから、最高裁の判断が出ていないから「微妙」だとか、「学会の…主張…(は)意味がない」とか、「違憲・合憲の議論は、『水掛け論』である」とかの理解は、法律論としては妥当でないと思います。むしろ、政治論としての主張な感じですが、法解釈をしているのに、政治論を説いてもあまり意味が気がします。

いくらか触れましたが、目的効果基準の語句を除き、全体として法律系の論文や憲法学の著書にはない区分・判断が結構あるので、大変興味深いです。
これはGくんさん独自の論理なのでしょうか? 仮に、他のどなたかが書いているのでしたら、差し支えなければぜひそのお名前かサイトを教えて下さい。
2006/02/01 Wed 23:53:11
URL | 春霞 #sDTYwMDk[ 編集 ]
首相・閣僚の靖国参拝
コメントありがとうございます。
1 区分の件ですが、従来の78年の政府見解による区分を参照しました。ただし、この見解は、閣議決定などを経ない参拝を直ちに「私的な立場」のものとしていました。  
 この首相が閣議などの機関決定を経ない職務行為があることは、当然でもあり、承知しています。
 その後、85年の政府見解で、このことも考慮に入れて、首相単独で公的な資格と公言して参拝を実施したことは周知のとおりです。

2 私が、この区分を持ち出したのは区分自体に意味があるわけではなく、この区分に対応して判断「基準」がそれによって変動する(つまり、立場によってスライドする)ことを説明したかったからです。
 前述1の「公式参拝」なら、“当然”に目的効果基準により判断される。
 前述2の「公的参拝」なら、“態様”により、裁判所によって「職務行為」だと判断されれば、上記と同様に目的効果基準により判断され(政府はこの参拝でも憲法に違反しないと考えています。 私見も最高裁でも違憲ではないとの結論が出るものと解します)、

 逆に「私的な立場」のものと判断されれば(ご存知のように下級裁では、公的・私的両方の判断がありますね!)裁判所により政教分離規定(目的効果基準)により判断されることはないでしょう。
前述3の「私的参拝」と同様になり、首相の個人としての「信教の自由」をどのような基準で判断するかの問題となるでしょう。しかし、裁判所は、政教分離規定が制度的保証であることを理由に原告の請求を棄却するだけで、憲法判断自体はしないことが現実的で多数の地裁はそのようにしています。
 私見は判例がないのでわかりませんが「公共の福祉」程度(公人であることを考えれば、一般人よりはこの程度を厳しくしてもよいことは前述のとおり)の判断基準になるのではないかとのことは前述3のとおりです。

3 最後に、このことは「永田町ローバ(11)靖国問題と政治(上)(下)」 「北海道に住む国家公務員日記」等のプログを、参考に考えてみました。
ご参照下さい。
2006/02/06 Mon 21:12:16
URL | Gくん #-[ 編集 ]
上の2つの記事をざっと見てみましたが、「公的」と「公式」の区別なんてしてました?と言うわけで、「公式」と「公的」の区別が法律論的に為されている資料をご提示下さいませ。

その区分に法律的な根拠がないならば「この区分に対応して判断「基準」がそれによって変動する(つまり、立場によってスライドする)」という説も法律論的な根拠がないことになりますね。
2006/02/07 Tue 01:39:03
URL | しまうま #-[ 編集 ]
>Gくんさん
お返事が遅れてすみません。

>1 区分の件ですが、従来の78年の政府見解による区分を参照しました。
78年(昭和53年)の政府見解(内閣総理大臣等の靖国神社参拝についての政府統一見解)ですか! 渋いですね~。私もこの政府見解全文を読み返してみました。今の政府もこの政府見解を主張してますね。
例えば大阪高裁平成17年9月30日判決での国側の主張は、
「ア 内閣総理大臣の地位にある者であっても,私人として憲法上信教の自由が保障されているので,私人の立場で神社,仏閣等に参拝することは自由である。そして,神社,仏閣等への参拝は,宗教心の表れとして,すぐれて私的な性格を有するものであり,特に政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか,玉ぐし料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り,参拝は私人の立場での行動と見るべきである。
(ア) 本件各参拝は,いずれも閣議決定等によりこれを政府の行事として実施することが決定されたものではなく,献花代は被控訴人小泉の私費により賄われており,玉ぐし料等の経費が公費で支出された事実はない。…」
としていて殆ど同じですね。

>2 私が、この区分を持ち出したのは区分自体に意味があるわけではなく、
>この区分に対応して判断「基準」がそれによって変動する(つまり、
>立場によってスライドする)ことを説明したかったからです。
公式・公的・私的で違いがあるのではないかという意図は分かります。78年の政府見解や教えてくださったサイトでは公式・公的の区別はしていないで、どうやらGくんさんのオリジナルなのですね。色々考えてみること自体は大変、いいことだと思います。ただ、このような3つの区分に対応して判断基準が変動するという説明は、憲法論という法律論のレベルでは、評価されることはないとは思いますけど…(汗)。

以前のコメントで触れていた公金支出の点も少し。
政府見解や「永田町ローバー…」を読むと公金支出の有無が政教分離原則違反の有無に関して重要なポイントのようにも判断できますね。しかし、公金支出があれば憲法89条(公金支出の禁止)違反にもなるというだけで、公金支出の有無はさほど重要ではないと思います。

>最後に、このことは「永田町ローバ(11)靖国問題と政治(上)(下)」 
>「北海道に住む国家公務員日記」等のプログを、参考に考えてみました。
ありがとうございます。拝見させて頂きました。
「永田町ローバー(11)靖国問題と政治(上)(下)」は、はじめて知りました。この市民記者さんの悩みが現れていて面白かったです。…ただ、記者さん自ら「感想を述べるだけである」と書いているように、正確な理解には…ん~、ならないような…(汗)。色々法律書を読んで書いているようですけどね。
例えば、「…制度的保障という。これが後に意味をもってくる。」なんて(上)で書いてますけど、昭和の時代の頃で終わった議論なので、今さら「意味をもってくる」はないんじゃないかと思いますし。
(下)で、厳格分離説を貫くと「今度は肝心の信教の自由がおびやかされる」なんて、記述もちょっとね。判断基準と具体的な事情によって結論が左右されるので、誤解しているような…。フランスと日本の違いもありますし。あくまで「感想」ですから、これくらいで。
「北海道に住む国家公務員日記」さんの方は、TBを受けたこともあって前から知っていましたが、教えて頂いてありがとうございます。
2006/02/09 Thu 02:05:42
URL | 春霞 #3vA9g2rM[ 編集 ]
>しまうまさんやその他の方
特にしまうまさんだけに対してというわけではないのですが。

コメント欄でのコメントのやり取り、大歓迎です。
私がコメントしなくても、遠慮することなくどんどんコメントして構いません。
2006/02/09 Thu 03:03:35
URL | 春霞 #3vA9g2rM[ 編集 ]
首相の靖国参拝 コメント#4
感想ありがとうございます。
第1
区分けの問題で誤解を招いたようですね。 「公式参拝」とか「公的参拝」とかは、元々マスコミの造語で明確な定義あるわけではありません。 それが、次の1、2の区分けの“命名”のし方で誤解を招いたようですね!
簡単なことです! 裁判例の「国側の主張」を参考にし、参拝の態様を「純公的から純私的」まで、理論的な可能性を考慮し分類したまでです。 
先に 1 公式参拝     (明確「公的参拝」と称してもよい。下記説明参照)
    2 公「的」参拝   (この態様が1番重要で、議論にもなり、実際訴訟にもなっている。 「アイマイ参拝」と称してもよい)
    3 私的参拝     と表現しました。

再度、その真意を説明・補足します。 
 上記1 争いようのない“明確な”公的参拝という意味で、「的」の字を使わず「公式参拝」という言葉を使いました。他意はありません。
      下記2ロで示す政府見解(内閣法制局長官の説明)は、閣議決定の有無が公私の判断基準となる、としています(ジュリスト「憲法の争点」新版、国家と宗教111頁大石眞)。
      ただし、この区分は理論的にはありえても、国側が閣議決定まで経てこの1の参拝を実施することは、現実にはないでしょう。 
したがって、実益のある区分としては、次の2と3の区分の態様が問題となるだけだと思慮します。 特に次の2の形態は、議論
になります!
    2 公的・私的が、“不明”な参拝を、単に「公“的”参拝」と称しました(現在の首相の参拝は、この区分でしょう)。
      「北海道の国家公務員」氏も、その論考「靖国参拝問題と公人の宗教行為」の7で、この靖国参拝問題を「グレーゾーン」だ
と表現されておられる。      
      この2の参拝の態様が、「公的」か「私的」を最終的に判断するのは、裁判所です。
     イ 裁判所が、「公的」と判断すれば、1と同様の基準で法的評価をします。
     ロ 逆に、「私的」と判断されれば、3と同様の基準で法的評価をします。
       つまり、全然難しくありません。 この「アイマイ参拝」(グレーゾーン)は、容易に公的・私的の判断が付かないので最終的には
裁判所が、決めるということです。 
         ちなみに、政府は、前述「78年の政府見解」に基づき、「本件参拝は、閣議決定などにより政府の行事として実施すること
が決定されたものではなく、・・・(中略)・・・私人の立場での行動とみるべきである」との主張を、各地の裁判所において「国
側の主張」として行っています。 まさに、この区分がいわゆる「争点」になって原告・被告が争っているのです。
政府は、当然主張の前提理論としてこの区分のし方を念頭に「国の主張」を行っていると解することができるからです(国とし
ては、この主張をするのが一番得策。これ以上の防御方法はないと考えます)。 それゆえ、各地の裁判所において、判で押
したように上記主張を行っているのでしょう。もしそうでないなら、私としては国からパテント料をもらって売り付けたいぐらいです。
    3 文字通り、「私的参拝」です。
   
以上のように、各地の裁判所では原告・被告(国側)双方が、この2の区分の法的態様をめぐって、丁々発止の議論・弁論をし、相手側の理論の弱点を突く最有力の主張をし合い、自己の勝訴判決を得ようと努力しています。 私の見解は、まさにその各地の裁判所で展開されている裁判の「被告国の主張」と同趣旨のことを述べているにすぎません。いや、そんな大それた事は申しません。その「受け売り」にすぎません。具体例は、最高裁のホームページで「靖国」で検索すれば判決文は出てきます。ご参照下さい。

第2
「公金支出」の件
これは、明らかに認識不足(言いすぎかな!お許し下さい)があろうかと推測します。
愛媛「県」(主体は県、私の区分でいえば1)が、靖国神社に玉串料等を奉納した件について違憲判決(下記 注)が出ています。

これが、なぜ違憲判決が出たか! 様々な理由・原因があると思います。各人、その評価も異なるものと思います。主な原因は、3つあると思慮します。
1 憲法20条3項、同89条が重畳的に適用され違憲とされました。
 結論から申しますと、最高裁としては、この奉納行為が、両条文に違反する(疑いがある)ので「悪質」と考えたのではないかと推測します。両条文に違反があったと判断されれば、違憲判決を受けた方も言い訳ができないということもあります(理由 下記ハ参照)。
イ 私は始め、89条(公金支出)の方で違憲判決が出たのかなと思いました。しかし、そうではなく両条文の重畳適用なんですね。なぜかな!と考えました。宗教団体への玉串料の支出は、当然公金(税金)の支出で89条該当ですね(もっとも「意見」の方では、89条一点において、違憲と判断すべきとの見解もあります・園部判事)。
最高裁は、玉串料の“奉納行為”を、“宗教的行為”と解し、憲法(20条3項)の禁止する「宗教的活動」にも当たるとしたわけです。
つまり、この“奉納”は、ご周知のとおり単なる「公金の支出」に該当するだけでなく、態様によっては“宗教的行為”ともされ得ることを最高裁自ら判示しました。
  ロ それともう一つ、玉串料を公金で支出することは、従来(78年、85年)からの政府見解も、玉串料の支出をすれば、「私的立場のものではない」と自ら述べ、最高裁としても政府が「先行自白」した形になり、違憲判決を出しやすいという事情もありそうです。
  ハ 以上のように公金支出は、重要な「メルクマール」とされているのです! 「北海道の国家公務員」氏も、前掲「論考」の8で、「公金を使ったらアウトだということだ。公金を使っておいて“公的行為”でないということは、通常ありえない」と述べられておられる。正当な解釈と言えよう。
注)最高裁判決平9.4.2 平4(行ツ)156(愛媛県玉串料訴訟)

第3
その余は、当方の主張・見解では、ありません。ご本人相手でないご批判は控えた方がよろしいかと思慮いたしました。これは法的主張ではないので欄外に記しておきます。                                                         
最後に、まとめて主張したいのですが繰り返しになりますので、私の前のコメント3回(特に2回目 首相の靖国参拝・・・2)を併せてお読み下さい。いささかも主張は変わっておりません。                                                以上
2006/02/11 Sat 21:33:59
URL | Gくん #-[ 編集 ]
追記
すぐ上、改行等編集が乱れてしまいました。脱字等はないようです。斟酌してお読み下さい。
2006/02/11 Sat 23:34:32
URL | Gくん #-[ 編集 ]
>Gくんさん:そろそろ議論は尽きた感じですね
>下記2ロで示す政府見解(内閣法制局長官の説明)は、閣議決定の有無が
>公私の判断基準となる、としています(ジュリスト「憲法の争点」新版、
>国家と宗教111頁大石眞)。
しかし、憲法の争点(新版)111頁には、「内閣法制局長官の説明では、閣僚の場合、玉串料の出所と閣議決定の有無が公私の判断基準となる」と書いて、Gくんさんの説明では、「玉串料の出所」の部分が抜けてますけど。
国会会議録や文献を探したのですが、憲法の争点(新版)111頁の記述と同じ「内閣法制局長官の説明」はありませんでした。それと、政府見解も「閣僚の場合、玉串料の出所と閣議決定の有無が公私の判断基準となる」としたものもありませんでした。もちろん、「政府見解(内閣法制局長官の説明)は、閣議決定の有無が公私の判断基準となる」としたものもありませんでした。
また、いわゆる靖国懇の報告書では、公式参拝とは「内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格(内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格)で行う参拝のことであり、したがって、閣議決定などは特に必要ではないと考える」としているので(ジュリスト848号111頁)、Gくんさんが挙げる政府見解(内閣法制局の説明)は、この報告書と明らかに矛盾してしまうので、靖国懇報告書以降は、あり得ない政府見解です。

要するに、「政府見解(内閣法制局長官の説明)は、閣議決定の有無が公私の判断基準となる」という説明は、過去、現在において存在しない政府見解だと思います。もちろん、Gくんさんが挙げた政府見解は、最近の国会でも政府見解として主張されていません。

あと、憲法の争点(新版)111頁の記述ですが、大石眞国学院大学助教授(当時)は、昭和53年10月17日の政府統一見解を読み違えていると思います。(もしかしたら師匠である小嶋和司教授の命を受けてワザと……というのは深読みしすぎでしょうけど。小嶋教授は数少ない公式参拝合憲説で、憲法の争点(増補)から(新版)を刊行する際に、同じ項目の執筆者を弟子に変更していて、なかなかスゴイものがありました。)
もしかしたら、法制局はどこかで私的な発言としてでも、過去に説明していたかもしれませんが、現在ではあり得ない政府見解ですから、もはや過去の説明を探す意味はないですが。
元々、憲法の争点(新版)は昭和60年9月出版で、内容的にも大石助教授(当時)の論文は古いので、今では使いづらい論文だと思います。

>「公金支出」の件
>以上のように公金支出は、重要な「メルクマール」とされているのです!
津地鎮祭事件判決(最高裁昭和52年7月13日大法廷判決)、箕面忠魂碑事件判決(最高裁平成5年2月16日判決)、愛媛玉串料事件判決(最高裁平成9年4月2日大法廷判決)はいずれも公金が支出されていますが、違憲判断が出たのは愛媛玉串料事件判決だけですから、判例上、公金支出が重要な「メルクマール」にはなっていません。
判例多数説は目的効果基準を判断基準として採用していて、公金支出は目的効果基準と別個の要件とはしていませんし、目的効果基準にあてはめる際の1要素であっても重視はしていません。ですので、判例多数説からは、公金支出が重要な「メルクマール」とするのは論理的に無理があります。
目的効果基準をとらずに、公金支出が重要な「メルクマール」だというのなら、ありうる考えです。園田元判事の意見が似ている考えですが、園田説は批判が多く誰も採用していないので、残念ながら無視した方が賢明かと。

>1 憲法20条3項、同89条が重畳的に適用され違憲とされました。
> 結論から申しますと、最高裁としては、この奉納行為が、両条文に
>違反する(疑いがある)ので「悪質」と考えたのではないかと推測します。
>両条文に違反があったと判断されれば、違憲判決を受けた方も言い訳
>ができない
憲法20条3項と89条は両方とも政教分離原則の規定ですから、両条文に違反するからといって、「悪質」になったりしません。特に、複数の条文に違反すると悪質になって、違憲となる……。そういう法解釈はないですね。
「両条文に違反があったと判断されれば、違憲判決を受けた」政府は「言い訳ができない」と考えることはないはずです。条文1つでも違憲であれば、違憲の行為はできないのですから。1つなら軽い違憲、2つなら言い訳できない悪質な違憲、なんて評価は、法律論としてあり得ません。

>これが、なぜ違憲判決が出たか! 様々な理由・原因があると思います。
>各人、その評価も異なるものと思います。主な原因は、3つあると
>思慮します。
Gくんさんオリジナルの考えは面白いですね。ただ、憲法学者は誰もそのような評価をしていませんが……。

>最後に、まとめて主張したいのですが
>いささかも主張は変わっておりません。             
いやもう充分に主張は分かりました。それと、別にGくんさんの考えを改めさせようという意思は全くありません。自己の考えをもつことは大変いいことだと思います。
このブログでGくんさんがオリジナルの説を書いているので、私なりに評価をしてお返事を書いています。そのお返事の中で、Gくんさんの見解には、憲法学者が誰も主張していない部分がいくつかあります、などと書いているだけです。

>ご本人相手でないご批判は控えた方がよろしいかと
「永田町ローバー…」の記事を書いた方は、市民記者を名乗っており、一応サイトとしてもメディア扱い(公的なもの)できると思います。そのような公的な存在については、大いに批判対象となるべき存在でしょう。
公的な存在について批判を行うことは、民主主義社会においては健全なことです。ですから、批判を控えるつもりはありません。もちろん、批判ばかりするわけではありませんが。

元々このブログは、社会問題について法的に正しいのかを検証することを目的としています。そうすると、(一応)メディアが社会問題について法律的に間違っていることを流布しているのであれば、ブログの記事として当然に取り扱うべき対象だと考えています。

批判をしたのは、信頼できない記事であることを示すためです。私は文献を調べて書いていますが、法律問題についてはネットでブログなどで情報を探しても、(最高裁やごく一部のサイトを除き)正しい理解を得られることはあまりないと言いたかっただけです。新聞の方がまだマシです。
正しい理解のためには、まずは文献を読むことをお勧めします。特にできる限り新しい文献を、です。
2006/02/16 Thu 00:18:22
URL | 春霞 #3vA9g2rM[ 編集 ]
首相の靖国参拝 コメント#5
第1
事実誤認じゃないですか! 政府は、今でも各地のどの裁判所でも、下記「政府見解」を主張していますよ!
以下、引用(これは、大阪地裁平16.5.13)。

エ 安倍晋太郎内閣官房長官は,昭和53年10月,内閣総理大臣等の靖國神社参拝について,
(ア) 内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にあるものであっても,私人として憲法上信教の自由が保障されていることから,私人の立場で神社・仏閣等に参拝することは自由であり,特に,政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか,玉ぐし料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り,私人の立場での行動と見るべきである,    引用ここまで(以下省略)

第2
上記引用でもわかりますように、政府見解でも、玉串料等の「公費支出」(憲法89条)は、アウト(メルクマール)となっています。
これは、なぜなんでしょうか? 考えたらすぐわかります。
1 裁判所は、憲法20条3項の“単なる”政教分離違反であるならば、政教分離原則は、いわゆる制度的保障であるから、原告の主張する「信教の自由」は侵害されていない、として憲法判断をしなくても原告敗訴の判決をすることができます。つまり、この場合最高裁の判例上、裁判所としては、正面から「違憲判決」をすることができません。判断しても「傍論」とならざるをえません。
2 しかし、公金支出(89条)があれば、原告は同時に、国に代位して損害賠償代位請求もしていますから、裁判所によって違法な公費支出(89条違反)と認定されれば、違法な公金支出として「国庫への返還を命じる判決」を正面からすることができます。つまり1のように「傍論」で違憲を論じる必要はなく、正面から「違憲判決」を下せるのです。
ですから、公金支出は、政府見解(内閣法制局という憲法解釈のプロがします)でも、「ヤバイ」となっているのです。

 最後に、私も政教一致・政教融合は危惧しています。しかし、完全分離を主張するのではなく、どこかで線引きをして、政教融合になることの歯止めをすべきだとは、考えています。その「線引き」が難しいですね!
2006/02/17 Fri 20:59:58
URL | Gくん #-[ 編集 ]
追記(補正) コメント#5第2の 2
国の方の違法な公金支出については、住民訴訟の制度(地方自治法242条の2第1項)がありません。(釈明[法律の不知として]させて下さい) ですから、この点、愛媛県の玉串料支出のように第1審から訴訟ベースに乗せることができません。しかし、結論は異なりません。
以上から、ご指摘を受ける前に、「前述コメント#5の第2」の2 を以下のように補正させて下さい。

2 しかし、公金支出(玉串料等)があれば、原告としては憲法20条3項違反を主張すると同時に、上告理由(民訴法312条1項参照)として憲法89条にも違反する旨を主張して、それが最高裁判所によって違法な公費支出(89条違反)と認定されれば、20条3項だけの違反と異なり(政教分離は制度的保障にすぎない。個人の信教の自由は侵害していない)、 愛媛県訴訟のように憲法89条違反もあったとして正面から「違憲判決」ができます。つまり1のように「傍論」で違憲を論じる必要はなく、正面から「違憲判決」を下せるのです。
ですから、公金支出は、政府見解(内閣法制局という憲法解釈のプロがします)でも、「ヤバイ」となっているのです。

2006/02/19 Sun 22:15:30
URL | Gくん #-[ 編集 ]
>Gくんさん:首相の靖国参拝 コメント#5(追記も含めて)
>事実誤認じゃないですか! 政府は、今でも各地のどの裁判所でも、
>下記「政府見解」を主張していますよ!
>以下、引用(これは、大阪地裁平16.5.13)。
えーと。私もコメントの中で同様の判例を引用していますから、知っています。この政府見解の意味については、靖国懇報告書と併せて理解なされるといいと思います。

>愛媛県訴訟のように憲法89条違反もあったとして正面から
>「違憲判決」ができます。つまり1のように「傍論」で違憲を論じる
>必要はなく、正面から「違憲判決」を下せるのです。
公金支出の有無は、違憲となる公式参拝か否かの基準として、重要な「メルクマール」だと、Gくんさんは論じていたはずですが…。傍論で違憲判断できるのか、正面から違憲判断できるのかの重要な「メルクマール」のことだったのですか?
それに、「正面から違憲判決を下す」ということは、損害賠償を認めた判決であるはずです。利益侵害ありと認めずに、憲法89条違反だけで「正面から違憲判決を下す」ことは極めて難しいと思います…(汗)。国相手の訴訟なのですよ。

<2月22日追記>
>その「線引き」が難しいですね!
私もそう思います。具体的な事案での線引きは難しいです。そして裁判で線引きして判決が確定しても、政教分離原則に関わる事案では、敗訴勝訴問わず、不満爆発の方が多い気がします。
2006/02/21 Tue 23:00:53
URL | 春霞 #3vA9g2rM[ 編集 ]
最高裁
いきなり、すみません。
本日23日、最高裁でこの問題の判決があったそうです。妥当な判決(テレビでの首相のコメント)とのこと。
判決原文を見ていないので、感想できませんが、原審の判断のとおり”人権侵害はない”(政教分離は、制度的保障との判例法理からすれば当然の結果)との理由だそうです。
 本日の判決は、この問題初の最高裁判決、次2回目(の最判)が出ればこの問題の最高裁の立場は、はっきり確定するでしょう!
2006/06/23 Fri 22:47:29
URL | Gくん #-[ 編集 ]
>Gくんさん:最高裁のこと
>本日23日、最高裁でこの問題の判決があったそうです
情報ありがとうございます。新聞記事をみました。

>本日の判決は、この問題初の最高裁判決、次2回目(の最判)が出れば
>この問題の最高裁の立場は、はっきり確定するでしょう!
最高裁は憲法判断をしていないので、この首相の靖国参拝問題は確定しないままですね。時間があったらこの問題についてエントリーを書くことがあるかもしれませんが。
2006/06/24 Sat 23:44:14
URL | 春霞 #3vA9g2rM[ 編集 ]
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