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1.その1つとして毎日新聞のある論説では、「年越し派遣村」を「悲田院(ひでんいん)」に例えています。
(1) 毎日新聞平成21年1月12日付朝刊2面「風知草」(専門編集委員・山田孝男)
「ああ 住宅無情
派遣村の住民は「まじめに働こうとしている人たちか」と口を滑らせた政治家が批判されている。このエピソードで私が残念だ思うのは、この人の資質ではない。派遣切りの非情を問う企てが、共感の一方で反発を生み、国民の相互理解が遠いという現実である。
派遣村は12月31日から正月5日まで東京の日比谷公園で営まれた。報道を見て「どこまでが派遣切りの現実で、どこからが職業的活動家による演出か」と疑うこと自体は、保守反動の恥ずべき邪推ではなく、素朴な疑問というものだろう。
派遣村とは何だったのか。仕掛け人の一人、派遣ユニオン書記長・関根秀一郎(44)の視点から見よう。相談が増えて異変に気づいたユニオンが、全国11ヶ所の拠点で「派遣切りホットライン」を開設したのは昨年11月末のことだ。相談が2日で472件。多くの事例に共通する特徴が3つあった。
<1>自動車部品メーカー
<2>12月末で途中解雇
<3>社員寮も即時退去
である。電話相談の聞き取りから浮かび上がったイメージはこうだ。工場周辺にワンルームマンションが次々建ち、人材派遣業者が借り上げて派遣労働者に貸す。派遣労働者は給料から家賃5万円(北関東の例)天引きされているが、解雇されれば、定職がないからと不動産屋に追い出される――。
大みそかに仕事と住まいを失う人が大勢いると気づいた関根は「ここへ向かえばいいんだという場所をつくれないか、そこに向かえば若干でも暖をとれる、食事がとれる、眠れる場所があるというところをつくれないか」と考えた。
ああそうか、平成の悲田院(ひでんいん)なのか――。関根の話を聞きながらそう思った。古代から中世まで、日本のお寺には貧しい人や病人や孤児を受け入れる悲田院があった。聖徳太子が難波の四天王寺に開いたものが最古という伝承がある。(中略)
「100年に1度の危機」を背景とする派遣切りの最大の特徴は、家まで追い出されてしまったところにある。しかもこの寒さだ。従来、トラブルを抱えて派遣ユニオンの窓口を訪れた派遣労働者は通いであり、寮から追い出されるという問題は起こり得なかった。
関根と湯浅は、派遣村というスクリーンに「派遣切りホームレス急増中」という現実を映し出してみせた。借り上げ不動産を効率的に運用するため、現に居住している者を無慈悲に追い出すということが、そもそも許されるのか。
悲田院の悲は慈悲の悲。田は田んぼ。困っている人に真心を注げば徳が実るという大乗仏教の教えを表している。誤解に基づく相互不信を乗り越え、官民が連携する時だ。 (敬称略)」
(2) この論説も優れているとは思います。前半は「年越し派遣村」が出来た経緯を紹介して正しい理解を説くとともに、後半は、「年越し派遣村」は「平成の悲田院」であるとして、その意義を高く評価していくべきとしたものだからです。
イ:ただ、「誤解に基づく相互不信を乗り越え、官民が連携する時だ」という結論は、あまりにも力強さに欠ける内容です。また、「悲田院」にこだわった余り、まるで企業や行政は、非正規労働者に対して慈悲をかけていくべきだという主張のようであり、慈悲の心があるか否かで処理する問題ではないように思えます。
ロ:毎日新聞の同日の報道では、労働組合は、80年代の労働戦線統一問題で、連合・全労連・全労協の三つの全国組織が分立し、そのしこりで共同行動が難しい状況が続いてきたのに、「派遣村」では「路線の違いを超えて結束した」と報じていたのです。しかし、この論説では、労働組合の存在があったことを触れておらず、まるで関根さんと湯浅さんの所属する団体(とボランティア)のみで「年越し派遣村」を運営していたようであり、問題があります。
「生活危機:年越し派遣村、路線の壁超え結束
連合・全労連・全労協、裏方に徹し成功
◇目の前の一人を救う…「連帯」につながった
東京・日比谷公園を拠点に、仕事と住居を失った派遣労働者らを支援した「年越し派遣村」は、不況に伴う雇用問題の深刻さを強く印象づけ、通常国会の主要テーマに押し上げるなど大きな注目を集めた。企画・運営したのは市民団体や労働組合。労組は非正規社員への関心が薄く「正社員クラブ」と揶揄(やゆ)されることも多いが、路線の違いを超えて結束した。【東海林智】
派遣村誕生のきっかけは、08年12月4日に都内で開かれた労働者派遣法の抜本改正を求める集会。労組のナショナルセンターである連合や全労連、全労協の三つの全国組織に加入する労組や弁護士グループが主催し、2000人以上が参加して政府の派遣法改正案の問題点を訴えた。集会後、労働弁護団の棗(なつめ)一郎弁護士らが「労働者の生存権すら脅かされる状況なのに、集会だけでいいのか。目の前の一人を救う活動が必要だ」と支援を労組などに呼び掛け、派遣村が実現した。(中略)
労組幹部同士がささいな活動方法を巡ってぶつかりそうになる場面もあった。全国組織の幹部は「1700人ものボランティアが集まり全国から注目を集めている。正規も非正規も働く者の連帯が大事だと思った」と振り返る。湯浅氏は「労組と市民が手を組んで行動を起こしたことに意味があった。次につなげたい」と話した。
毎日新聞 2009年1月12日 東京朝刊」(毎日新聞平成21年1月12日付朝刊26面)
ハ:そこで、この毎日新聞の論説より優れていると思われるのが朝日新聞のコラムニスト・早野透さんの論説です。その論説を紹介したいと思います。
「派遣村とカムイ伝 巧みにお上を揺さぶる戦略
お正月、みんなのだんらんのとき、ひとりぼっちは寂しい。それも職を失い、住む所もないなんて。大みそかから1月5日まで、東京都心の日比谷公園で、派遣切り、期間工切りの労働者にテントと「あったかい食事」を用意した市民ボランティアたちの「年越し派遣村」は、そくそくとして胸をうつ光景だった。
「派遣村」の村長は、「反貧困」のNPOリーダー湯浅誠さん。集まった村民500人、テントが足りない。厚生労働省に掛け合って講堂を開放させた。私は「派遣村」に通って、どこかで見た光景だなと感じた。そして思い当たった、白土三平(しらと・さんぺい)の劇画「カムイ伝」だ、農民正助や忍者カムイが自由を求めて闘った百姓一揆、あれとそっくりだ、と。
白土三平は、劇画「忍者武芸帳」が人気を呼び、次いで「カムイ伝」で江戸時代の身分社会で虐げられる下層民の物語を描いてブームとなる。1960年代後半、日本は大学紛争など若者に反乱の空気が満ちているころだった。
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いまふと考えれば、現代企業は、正社員と非正規雇用に二分され、非正規雇用はさらに、期間工、パート、アルバイト、請負、派遣、日雇い派遣の労働者に細分化されている。江戸時代の、士農工商、士も下級藩士あり傘張り浪人あり、農も本百姓あり下人あり、さらに人間扱いされない人びとありの階層社会とさして変わらないように思える。
「年越し派遣村」には、暮れにクビ、寮も追い出され公園のトイレで3晩を過ごした人、解雇ショックで記憶喪失、駅のテレビで「日比谷」だけが耳に残ってたどり着いた人、飛び降り自殺しようとして警察から送り込まれた人、結核を病んだ人など、さまざま集まってきた。
もし、これらの人もばらばらだったら、そのへんに気の毒な人がいるねということで終わっていただろう。「派遣村」は、それを1つにたばねて、「可視化」した。メディアが追いかける。政治や行政も見ぬふりできなくさせる戦略だった。
「カムイ伝」の若者正助は掟(おきて)を破って読み書きを学び、それを村の若者たちに教えた。庄屋の不正文書を読めるようになり、領主の搾取がわかる。正助は若者をたばね、たくみにお上を揺さぶりながら、新田開発、綿栽培や養蚕に乗り出す。
「派遣村」の村民があふれそうになったとき、湯浅さん、派遣ユニオンの関根秀一郎さん、弁護士の棗(なつめ)一郎さんらは、日比谷公園の目と鼻の先の厚生労働省に向かった。玄関は閉じられ、警備員しかいない。「死者が出てからでは遅い。講堂を開放してほしい」と申入書を読み上げて、1時間立ち続ける。 「夕方までに返答を」と。
「カムイ伝」の正助の盟友苔丸(こけまる)は百姓を率い、奉行に立ち向かう。「マユの自由売買をみとめよ。年貢は公平に」と要求書を読み上げ、「夕方まで待とう。1秒遅れても蔵屋を襲い、城下に突入するぞ」。
「派遣村」の湯浅さんらは、大村秀章厚労副大臣を窓口に政治ルートに働きかける。政府も放っておけず、その夜、講堂には村民のふとんが並んだ。単独だったら窓口であしらわれる生活保護を集団で申請して、みんな認めさせた。いつの世にも、正助や苔丸がいるんだなあ。
「カムイ伝」の正助は、「おらはみんななかよくしてるだ。身分なんて上のやつらが作ったものさ。人間はみな同じさ」と、百姓とさらなる下層民の連携を図る。正助の恋人ナナはその出身である。だが、支配体制は術策を弄(ろう)しデマを流し、階層を分断し対立感情をあおる。
一揆の首謀者はさらし首。悪辣(あくらつ)な奉行は「フフフ、刑死すれば義民。裏切った英雄は三文の値打ちもない」と正助を生かしたまま、舌を抜いてしゃべれないようにして釈放、「なぜお前だけが助かった」と味方だった百姓に殺させる。
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「派遣村」に、これまでソリのあわない連合、全労連、全労協の3つの労組団体も参加した。かつての連合会長の笹森清さんは喜んで、「こんな虐げられる社会をだれがつくったか。イデオロギーを捨てて力をあわせよう」と語った。全国ユニオン会長の鴨桃代さんは「私はうろうろするだけ」といいながらみんなの接着剤の役割を果たした。
いったいだれが正社員と非正規労働者の区別をつくったか。クビ切りは非正規だけじゃない、いよいよ正社員におよぶ。お互いに対立しているときじゃないんだよ。
「カムイ伝」の正助は「みんなが力をあわせることは、人に頼ることじゃない。めいめいが自分のやることに責任と自信をもたなきゃならない」と人々を励ました。
そしていまの世、アメリカ初のアフリカ系大統領オバマ氏もまた就任演説で言っているではないか。
「経済の衰弱は、一部の者の強欲さと無責任の結果だった」 「不朽の精神を確かめるときだ。すべての人は平等かつ自由で、幸福を最大限に追求する機会に値すると」 「いま私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ」と。」
(1) 非正規労働問題を語る場合、小林多喜二氏の「蟹工船」とともに、白土三平氏の劇画「カムイ伝」が持ち出されることがあります。ですから、「年越し派遣村」に関しても、早野透さんが「カムイ伝」を連想させることはかなり自然なことといえます。
そうであるとしても、「カムイ伝」になぞらえて論を進めていく運びは秀逸です。今回の「年越し派遣村」の行動を見れば、「いつの世にも、正助や苔丸がいるんだなあ」という感慨を覚えるのも、ごく自然であるようの思えます。
(2) 一部の評論家は、正社員の解雇要件を緩和しようと主張し、他方で、一部の市民は、非正規労働者が「派遣切り」に遭い、職も住まいも失う状況であっても「自己責任である」と突き放すような主張をしています。
しかし、正社員と非正規労働者が対立することで利益を得るのは誰かを考えれば、こうした対立を煽るような意見は拒絶しなくてはいけません。(正社員の解雇要件を緩和し解雇が容易になっても、今でも不当解雇が多数ある以上、非正規労働者の雇用が増える保証はありません。より失業しやすくなった人が増えるだけのことであって、失業者が大量に街にあふれるだけなのですから。)
「「カムイ伝」の正助は、「おらはみんななかよくしてるだ。身分なんて上のやつらが作ったものさ。人間はみな同じさ」と、百姓とさらなる下層民の連携を図る。正助の恋人ナナはその出身である。だが、支配体制は術策を弄(ろう)しデマを流し、階層を分断し対立感情をあおる。
一揆の首謀者はさらし首。悪辣(あくらつ)な奉行は「フフフ、刑死すれば義民。裏切った英雄は三文の値打ちもない」と正助を生かしたまま、舌を抜いてしゃべれないようにして釈放、「なぜお前だけが助かった」と味方だった百姓に殺させる。(中略)
いったいだれが正社員と非正規労働者の区別をつくったか。クビ切りは非正規だけじゃない、いよいよ正社員におよぶ。お互いに対立しているときじゃないんだよ。
「カムイ伝」の正助は「みんなが力をあわせることは、人に頼ることじゃない。めいめいが自分のやることに責任と自信をもたなきゃならない」と人々を励ました。
そしていまの世、アメリカ初のアフリカ系大統領オバマ氏もまた就任演説で言っているではないか。
「経済の衰弱は、一部の者の強欲さと無責任の結果だった」 「不朽の精神を確かめるときだ。すべての人は平等かつ自由で、幸福を最大限に追求する機会に値すると」 「いま私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ」と。」
正規・非正規労働者誰であろうとも、「すべての人は平等かつ自由で、幸福を最大限に追求する機会に値する」のです。これ以上、「強欲な一部の者」の声に惑わされることなく、力を合わせるときなのです。
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