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2008/11/13 [Thu] 23:13:48 » E d i t
日本経済新聞は、平成20年9月10(水)付朝刊から、「判決60年 文書に見る東京裁判」という連載を開始し、先日、連載を終えたようです。


東京裁判、全記録明らかに 国立公文書館が整理完了

 日中戦争、太平洋戦争の政府、軍指導者を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)判決から今年11月で60年を迎えるにあたり、国立公文書館(東京・千代田)は所蔵する裁判記録(和文)の整理とマイクロフィルム化を完了した。

 同裁判全文書のマイクロ化は初めて。法廷に提出された被告尋問書や軍の機密文書などの書証の閲覧や検索、複写が可能になった。(07:00)」 (日経新聞2008年9月10日)


このように裁判全文書の閲覧や検索、複写が可能になったため、連載記事が可能となったのです。この連載記事の最後にまとめとして、「裁判記録を読んで」(上・下)という記事を掲載していました。これは、田母神氏の“日本の侵略行為正当化”論文を理解するうえで参考になると思い、紹介したいと思います。



1.日経新聞平成20年11月11日付朝刊42面「判決60年 文書にみる東京裁判」

裁判記録を読んで(上)――作家・保阪正康

「政治」から「歴史」の教訓へ 資料をもとに問い直す

 日本経済新聞は国立公文書館の東京裁判文書を、昭和史に関して多くの著作のある作家の半藤一利、保阪正康両氏とともに検討会を開いて分析してきた。検討会は昨年9月から今年7月の間、月1回行い、両氏から受けた多くの助言が連載記事に生かされている。ほぼ1年にわたって文書を読み込んだ感想を保阪氏に代表して寄稿してもらった。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決が下されてから60年の時日が流れた。この間、ともすれば東京裁判は「政治」の次元で論じられてきた感がある。

 東京裁判史観、事後法による復讐(ふくしゅう)裁判、といった語などはその例になるだろう。その一方で、日本軍国主義を悪玉に据えての全面的な肯定論もあった。こうした政治的見解に共通しているのは、東京裁判の内実を精密に検証することを避けていた姿勢だった。

 「まず解釈ありき」で史実をつなぎ合わせていたのである。

 60年という節目は、そのような「政治」の解釈から「歴史」としての教訓をくみとる段階へと移行していくときにあたっている。折りしも、国立公文書館では、法廷に提出された約4千の書証や論告、最終弁論、判決文などの文書を含めて計6千を超える資料が目録として整理され、一般にも公開されるに至っている。こうした歴史的資料にはこれまでの解釈をくつがえす文書や新たに見直しが迫られる記録も含まれていることが容易に想像された。

  □   ■

 本紙の一連の記事は結果的にこのことを裏付けた。実際に私は、作家の半藤一利氏や日本経済新聞の井上亮編集委員とともに、この1年にわたり、目録のすべてに目を通し、必要と思われる資料はその都度取り寄せて検証を続けてきた。私自身そこで幾つかのことに気づかされた。

 たとえば、日本はポツダム宣言受諾時に戦犯裁判を想定して重要書類を焼却するよう行政機構や軍事機構の末端にまで通達をだしたが、このために被告たちが弁明しても、証拠となる文書がないという事態が起こっている。文書を焼却したとの証明書が法廷に数多く提出されているのは、日本の軍事、政治指導者たちの無責任さを露呈していることになった。

 検察側は多くの証人から証言を集める一方で、証拠文書の入手に努めたことがうかがえる。そういう文書のなかには、本紙でも紹介していたが、「大東亜共栄圏における土地処分案」のように、北米大陸の一部や中米諸国まで支配下に置いての総督府構想まで含まれている。軍事指導者たちの妄想じみた幾つかの文書に目を通すとその錯誤に改めて驚かされるのだ。

 逆に判事団が却下した文書のなかには、戦勝国にとって不都合と思われるがゆえに黙殺されたものもある。原爆投下についての反証などがそうであろう。

  □   ■

 こうした歴史的資料をもとに改めて史実を整理し、その事実関係を精査する必要がある。同時に、東京裁判は歴史的にはどういう意味をもっていたのかを問うていかなければならない。私たちは、新たな資料が教えている判事団、検事団、弁護団の思惑を超えての深みのある理解をもたなければならないのだ。

 そのことが東京裁判を「歴史」へ移行させて見つめるという意味になるのだが、さしあたり2点を指摘しておきたい。第一に、判決とは別に法廷記録は日本の軍事指導者の無定見を浮き彫りにしていることだ。第二に日本は、20世紀後半に権利と責任を与えられたのである。裁いた側は、この裁判のときにもオランダはインドネシア、フランスはベトナム支配を画策していた。20世紀後半には、アメリカはベトナム戦争の本質を見誤った。

 東京裁判で裁かれた日本は、自省をもとに戦勝国の汚れた手を批判する権利、その犠牲になったアジアの国々への支援を表明する責任をもった。しかしこの権利と責任を放棄したことが、東京裁判を「歴史」の位置に刻むことができなかった因である。それゆえに東京裁判を新資料のもと20世紀の教訓とする論が待たれているのである。」




2.日経新聞平成20年11月12日付朝刊38面「判決60年 文書にみる東京裁判」

裁判記録を読んで(下)――編集委員・井上亮

史観より資産とするとき 資料こそ歴史の基本

 国立公文書館に所蔵されている東京裁判資料「A級極東国際軍事裁判記録(和文)」の総分量は約5万8千ページにも及ぶ。口供書などは1枚にびっしりと書き込まれており、平均すると文書1枚は文庫本1ページの7-8割。大まかに換算すれば、裁判資料は300ページの文庫本100冊以上に相当することになる。

 これでも公文書館に収められている裁判資料の一部にすぎない。同じ記録の英文資料、裁判速記録、弁護側の準備資料、さらに多くのBC級裁判資料もある。未開拓の巨大な資料の大陸がいくつもある。まさに第一級の歴史資産だ。

   □   ■

 長年、法務省の書庫に眠っていた裁判資料が公文書館に移管されたのは1999年。完全な公開に10年近くかかったが、これは同館の責任ではない。職員はわずか42人しかおらず、そのすべてが裁判資料の整理、マイクロフィルム化に専念できたわけではない。

 職員2千人以上の米国の国立公文書館と比較すると、公文書に対する国家としての意識の差はあまりにも大きい。歴史的公文書が60年もたたなければ日の目を見ない国で、正しい歴史分析が可能だろうか。公文書に関する歴史認識の低さは、終戦時に陸海軍が一切の重要書類の焼却を命じた事実にもみられる。このため東京裁判ではかえって被告に不利な状況になった。

 復員庁第二復員局(旧海軍関係)職員として東京裁判の弁護活動にたずさわり、裁判資料収集にも尽力した豊田隈雄元海軍大佐は著書「戦争裁判余禄」で「本当にバカなことで、国の重要資材の破棄にも等しいことである。証拠をなくしたからといって相手国の追及を逃れられるものではない。ドイツでは重要書類はすべて完全に残されていた」と嘆いている。

 その愚は繰り返さないと言い切れるだろうか。問題となった航空幕僚長論文にみられる「東京裁判史観」」の否定を掲げ、過去の侵略すべてを認めない歴史観は、国が正しい裁判資料の整理、公開を怠り、国民もそこから目をそらしてきた結果の産物といえなくもない。

 たしかに、歴史上前例のないナチスの犯罪を裁くためのニュルンベルグ裁判で“創設”された「平和に対する罪」「共同謀議」という鋳型を無理やり日本に当てはめた裁判であった。しかし、この裁判は本当に日本人の近現代史観を縛ってきたのだろうか。

 満州事変の謀略や数々の虐殺事件など、日本が知らされていなかった事実が明らかになった一方、張作霖爆殺事件から一貫した軍閥の侵略謀議があったとしたり、日ソ中立条約の背景には日本の侵略意図があったとするなど無理のある歴史解釈がみられる。ただ、戦後の昭和史研究ではそれらは否定されており、現在、裁判の史観を丸ごと受け入れている日本人はほとんどいないだろう。

   □   ■

 東京裁判を全否定することで、戦前の日本の全肯定につなげようとする極端な論がある。これは裁判を利用した「裏返しの東京裁判史観」にほかならない。裁判を否定しても歴史は変わらない。それよりも歴史解明の材料の1つとして、冷静に見つめていくべきではないだろうか。

 「戦争裁判余禄」には東京裁判終了後間もない時期、昭和天皇がかつての侍従武官に語った言葉が紹介されている。

 「戦争裁判の永久平和の理想追求の大きな流れを軽視し、今度の裁判の直接の反響のみを見てはならない。真剣まじめに深く自ら反省するところがなくてはならない」  (おわり)」



(1) 2つの記事に共通していることは、重要書類を軽視した旧日本軍に対する批判です。

 「たとえば、日本はポツダム宣言受諾時に戦犯裁判を想定して重要書類を焼却するよう行政機構や軍事機構の末端にまで通達をだしたが、このために被告たちが弁明しても、証拠となる文書がないという事態が起こっている。文書を焼却したとの証明書が法廷に数多く提出されているのは、日本の軍事、政治指導者たちの無責任さを露呈していることになった。
 検察側は多くの証人から証言を集める一方で、証拠文書の入手に努めたことがうかがえる。そういう文書のなかには、本紙でも紹介していたが、「大東亜共栄圏における土地処分案」のように、北米大陸の一部や中米諸国まで支配下に置いての総督府構想まで含まれている。軍事指導者たちの妄想じみた幾つかの文書に目を通すとその錯誤に改めて驚かされるのだ。」(日経新聞平成20年11月11日付朝刊42面)

 「職員2千人以上の米国の国立公文書館と比較すると、公文書に対する国家としての意識の差はあまりにも大きい。歴史的公文書が60年もたたなければ日の目を見ない国で、正しい歴史分析が可能だろうか。公文書に関する歴史認識の低さは、終戦時に陸海軍が一切の重要書類の焼却を命じた事実にもみられる。このため東京裁判ではかえって被告に不利な状況になった。
 復員庁第二復員局(旧海軍関係)職員として東京裁判の弁護活動にたずさわり、裁判資料収集にも尽力した豊田隈雄元海軍大佐は著書「戦争裁判余禄」で「本当にバカなことで、国の重要資材の破棄にも等しいことである。証拠をなくしたからといって相手国の追及を逃れられるものではない。ドイツでは重要書類はすべて完全に残されていた」と嘆いている。」(日経新聞平成20年11月12日付朝刊38面)


重要書類を焼却したところで、責任追及を逃れることはできず、かえって不利益に推定されるだけです。戦犯裁判を想定していたのであれば、「重要書類は焼却されており、証拠文書がないから無罪である」という幼稚な言い逃れをするのではなく、証拠資料をもって、正当性を主張するべきだったのです。

ある意味、旧憲法下では、政府が裁判に対して介入し、その結果、政府に有利な判決を得てきた癖(=司法権軽視の姿勢)が身についていたから、こうした無定見な行動に出たように思えます。東京裁判でも、証拠資料を隠滅すれば、いつもの日本での裁判と同様に結論を左右できると舐めきっていたのでしょうから。

こうした裁判に対する姿勢以外にも、問題があります。すなわち、いくら重要書類を焼却しても、侵略行為があったなど歴史的事実が消え去るわけではないのです。また、公文書の破棄は、「国の重要資材の破棄にも等しい」ことが少しも理解できていなかったのです。過去の歴史的事実に対する反省のなさ、公文書に対する歴史認識の低さが、重要書類の破棄という行動に走らせたように思います。

旧憲法下での、司法権軽視の姿勢、過去の歴史的事実への軽視、公文書に対する軽視の姿勢は、今の政府、自衛隊では見直されているのでしょうか。しかし、田母神氏は、今年4月に、空自のイラクでの活動を違憲と判断した名古屋高裁の判決について、お笑い芸人の言葉を引いて「『そんなの関係ねぇ』という状況だ」と記者会見で話しており、司法権軽視の姿勢は受け継がれてしまっているのです。



(2) 田母神氏の論文も、確かな証拠を軽視したものであり、旧日本軍と全く変わりません。

 「その愚は繰り返さないと言い切れるだろうか。問題となった航空幕僚長論文にみられる「東京裁判史観」」の否定を掲げ、過去の侵略すべてを認めない歴史観は、国が正しい裁判資料の整理、公開を怠り、国民もそこから目をそらしてきた結果の産物といえなくもない。(中略)
 東京裁判を全否定することで、戦前の日本の全肯定につなげようとする極端な論がある。これは裁判を利用した「裏返しの東京裁判史観」にほかならない。裁判を否定しても歴史は変わらない。それよりも歴史解明の材料の1つとして、冷静に見つめていくべきではないだろうか。」(日経新聞平成20年11月12日付朝刊38面)


田母神氏は、都合よく史実をつなぎ合わせ、怪しげな資料を基にして「陰謀史観」を信じ込んでしまっているのです。重要な証拠に対する軽視の姿勢が、結局は、過去の侵略すべてを認めない歴史観へ繋がり、歴史認識の軽視に繋がっているように思えるのです。

東京裁判の検察側が集めた証拠資料には、「『大東亜共栄圏における土地処分案』のように、北米大陸の一部や中米諸国まで支配下に置いての総督府構想」まで含まれていました。作家の保阪正康さんは、こうした「軍事指導者たちの妄想じみた幾つかの文書に目を通すとその錯誤に改めて驚かされる」と評しています。「陰謀史観」を信じた田母神氏の態度は、旧日本軍が抱いていた妄想と相通じるものがあるのかもしれません。




3.最後に、田母神氏の参考人招致を受けての、毎日新聞の編集委員による論説を紹介しておきます。

(1) 毎日新聞 2008年11月12日 東京朝刊2面

前空幕長論文問題:参考人招致 お粗末な「愛国」への執着=政治部編集委員・古賀攻

 田母神俊雄・前航空幕僚長が再評価を試みた旧日本陸軍について、第3代防衛大学校長を務めた猪木正道氏は、1928年の張作霖爆殺事件から「無法者集団に化していった」と容赦なく指弾している(「軍国日本の興亡」)。

 動機が愛国であれば何をしても許されるほど軍紀が腐敗した結果、日本は「強い酒に酔っ払ったように」「自爆戦争」に突入したというのが、猪木氏の総括である。

 これに対し、田母神氏は日中戦争での日本が「引きずりこまれた被害者」であり、太平洋戦争は「アメリカに仕掛けられた罠(わな)」と正反対の主張を展開した。史実に即した精緻(せいち)な論理ではなく、都合のいい見解を方々から寄せ集めた印象を受ける。

 歴史家でもない田母神氏がなぜ独善的な歴史観を振り回すのか。疑問を解くカギは「愛国心」にあるようだ。同氏は航空自衛隊の隊内機関誌などで「自虐史観」を執拗(しつよう)に批判し、「自衛隊が歴史教育を正す」「国を愛する心を持つことは国家安全保障の基盤」とつづっている。

 国防を任務とする自衛隊活動の根底に愛国心を位置づけるのは当然だろう。しかし、だからといって、過去の歴史も愛するに足るものでなければならないというのは、逆立ちした発想だ。

 11日の参考人質疑で田母神氏は「びっくりしたのは、日本の国はいい国だったと言ったら解任されたことだ」と不満を口にした。今回の更迭劇は、田母神論文が日本の対アジア外交政策に重大な支障をきたしかねないという政治判断であるのに、同氏は国会招致の段階にいたってもそれを理解しようとしなかった。実力組織の要職にあった人物としてお粗末過ぎる。

 侵略の歴史を無理やり美化しなければ、健全な愛国心がはぐくまれないと考えるのは、日本人の成熟を過小評価するものだ。偏狭なナショナリズムの追求は、着実に上向いてきた自衛隊への信頼感を損なう効果しか生まない。

 ただし、政界を含めて歴史の美化に同調する勢力がいることもまた事実だ。独りよがりの愛国心と、自衛隊の組織運営とが安易に結びついてはいないか、戦前の教訓を踏まえてこの際、総点検する必要がある。

 今年7月に提出された防衛省改革会議の報告書は、自衛隊が文民統制を「ほぼ内面化した」と評価している。しかし、田母神氏が防衛相からの辞職要求を拒否するほどに増長したのは、文民統制上、二重の汚点として記憶されるべきだ。

毎日新聞 2008年11月12日 東京朝刊」




(2) 愛国心を持つこと自体は少しも悪いことではありません。しかし、田母神氏のように、「国を愛する心を持つことは国家安全保障の基盤」であるとして「愛国心」を強調するあまり、「陰謀史観」に満ちた歪んだ歴史認識を信じ込んでしまい、論理的思考力に欠けた主張を繰り広げ、挙句、田母神氏が、元首相の名を出してまで「防衛相からの辞職要求を拒否するほどに増長」してしまうのでは、それこそ、旧日本軍と何ら変わりません。

◇「間違い認めたことになる」

 田母神(たもがみ)俊雄前空幕長(60)は10月31日に航空幕僚監部付に更迭され、併せて辞表の提出を求められたにもかかわらず、拒否し続けた。「辞めたら間違いを認めることになる」が理由だった。

 浜田靖一防衛相や増田好平防衛事務次官らと押し問答が続く最中、田母神氏は「私の考えは理解されている」として唐突に元首相2人の名前を挙げた。

 増田氏は、元首相らの支援があるかのような田母神氏の姿勢に身構えた。発言を伝え聞いた自衛隊首脳は「武人のすることじゃない」と激怒したという。ただ、政界との関係が焦点化しないよう、やりとりは封印された。

 関係者によると、田母神氏が口にした一人は森喜朗元首相だという。森氏の地元、空自小松基地(石川県)に勤務したことで接点はあった。空自幹部は「森さんは歴代の小松基地幹部と親交がある。田母神さんの空幕長就任時にも森さんから祝い酒が届いた」と話す。

 森氏は12月の懸賞論文授賞式に招待されていたが、今回の騒ぎでキャンセルした。森氏は、近隣諸国の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」(95年)の取りまとめに自民党幹事長としてかかわった。

 森氏周辺は「田母神氏との思想的なつながりはまったくない」と強調しており、田母神氏は自己の主張を正当化するために元首相の名前を利用し、抵抗したとみられる。」(毎日新聞 2008年11月9日 東京朝刊1面「読む政治」欄)



第3代防衛大学校長を務めた猪木正道氏は、「動機が愛国であれば何をしても許されるほど軍紀が腐敗した結果、日本は『強い酒に酔っ払ったように』『自爆戦争』に突入した」と総括しています。猪木正道氏が総括しているように、田母神氏の主張は、「強い酒に酔っ払った」まま主張しているかのような内容です。



(3) 旧日本軍の場合は、「統帥権の干犯である」を主張して、軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動しました。これに対し、田母神氏の場合は、「自衛官にも言論の自由がある」「言論統制はおかしい」と繰り返し発言しており、言論の自由の保障という現行憲法を逆手にとって、自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動したのですから、やはり旧日本軍と変わらない態度なのです。

前空幕長―「言論の自由」のはき違え

 事態の深刻さが、そして何が問われているかが理解できていない。航空自衛隊の田母神(たもがみ)前幕僚長を招いての参院の参考人質疑は、そんな懸念を強く抱かせるものだった。

 田母神氏は「自衛官にも言論の自由がある」「言論統制はおかしい」と繰り返し発言した。自衛隊のトップにまでのぼり詰めた空将が、こんな認識の持ち主だった。

 戦後の日本は、軍部の独走が国を破滅させた過去を反省し、その上に立って平和国家としての歩みを進めてきた。自衛隊という形で再び実力組織を持つことになった際も、厳格な文民統制の下に置くこと、そして旧日本軍とは隔絶された新しい組織とすることが大原則であった。

 憲法9条に違反するという反対論も根強かったなかで、国民の信頼を築いてきたのは、この原則からの逸脱を厳しく戒めてきた自衛官たちの半世紀におよぶ努力の結果である。

 自衛隊のトップにいた人が、こうした基本原則や過去の反省、努力の積み重ねを突き崩しておいて、なお「言論の自由」を言いつのる神経を疑う。

 むろん、自衛官にも言論の自由はある。だが、政府の命令で軍事力を行使する組織の一員である以上、相応の制約が課されるのは当然ではないか。 」(朝日新聞平成20年11月12日付「社説」)


「事態の深刻さが、そして何が問われているかが理解できていない」ほど思考力のない者が自衛隊のトップに上り詰めたこと、政治家の名を出してまで辞任に抵抗した態度、文民統制をも無視した形で言論の自由(憲法21条)を振りかざしたことをも考慮すれば、田母神氏の論文問題は、相当に根の深い問題であるように思います。



<11月14日追記>

今回の論文について政府は、自衛隊法46条の「隊員としてふさわしくない行為」に当たる可能性があったとみています。論文は直接の政治活動ではないが、自衛隊幹部は立場上、「文民統制(シビリアンコントロール)にわずかな誤解も与えないよう、発言により慎重さが必要」(政府高官)と判断したからです(毎日新聞 2008年11月12日 東京朝刊)。ですから、本来、田母神氏に対しては、懲戒処分が可能だったのです。

ただし、一般の国家公務員の懲戒処分では、手続きは大臣に一任されるのですが、自衛隊員は、自衛隊法施行規則で定められた「審理」手続きを受けることが可能です。その場合どれだけ日数がかかるかというと、例えば、「防衛省によると、03~07年度に処分された航空自衛隊員は計605人」で、「3分の1は軽微な交通違反だが、処分手続き開始から決定まで平均54日かかった」(毎日新聞 2008年11月12日 東京朝刊)。とのことです。このように、田母神氏に対して、迅速な処分ができないことから、定年期限(空将の定年は最大6カ月延長でき、同氏の定年期限は来年1月21日)までに、懲戒処分を終えることができないことから、懲戒手続きをしなかったようです。

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2013/06/10 Mon 10:19:00
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今まで徒然に書いてきましたので、自分なりに問題点をちょっと整理してみようと思います。 【田母神論文の検証】 あんな程度の文章で300万...
2008/11/14(金) 14:51:10 | Afternoon Cafe
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