1.asahi.com:マイタウン・神奈川(2008年10月11日)
「横浜事件 再審開始判断31日に
2008年10月11日
戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の罪に問われた雑誌「改造」元編集部員の遺族による第4次再審請求の弁護団に10日、横浜地裁から31日に再審開始するか否かの決定をするとの通知があった。第3次請求の免訴確定から半年余り。遺族側の関係者らは、決定理由で地裁が実質的な「無罪判断」を示すかどうかに注目している。
この編集部員は、故小野康人さん。小野さんは、42年に雑誌「改造」に発表された政治学者、故細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」の校正を担当。当時の神奈川県警はこの論文が「共産主義の啓蒙(けいもう)だ」として、43年5月に小野さんを治安維持法違反容疑で逮捕。
敗戦直後の45年9月に横浜地裁で有罪判決を受け、翌月に治安維持法が廃止されて大赦を受けた。59年に51歳で亡くなった。
1次、2次の再審請求では小野さんの妻が請求人となったが、95年に他界した。その後は小野さんの次男(62)と長女(59)が請求している。
4次の弁護団はこれまで、共産党再建のための謀議とされた、富山県泊町(現・朝日町)の会合(泊会議)を「編集者の慰労会に過ぎず、事件は『でっちあげ』だ」などと主張している。
大川隆司弁護団長は「まずは開始決定の理由で実質的に無罪の判断が示されるよう、注目している」とコメントした。
(長野佑介)
◆キーワード・横浜事件◆ 戦時下の1942年から45年にかけ中央公論や改造社、朝日新聞などの言論・出版関係者ら約60人が「共産主義を宣伝した」などとして治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。約30人が起訴され、45年8〜9月に有罪判決を受けた。その後、拷問をしたとして元特高警察官3人が有罪となった。
元被告や遺族は86年以降、4度の再審請求を申し立て。1次、2次はいずれも棄却。3次は請求が認められたが、06年2月の横浜地裁の再審判決は「治安維持法が廃止になっている」として、有罪、無罪の判断をせずに裁判手続きを打ち切る「免訴」を言い渡し、今年3月に確定した。」
第3次再審請求では、治安維持法廃止を理由に有罪無罪の判断に踏み込まない免訴判決が確定しています(「横浜事件:最高裁は免訴判決で確定(上)〜言論弾圧に加担した司法の戦争責任を何ら清算せず」(2008/03/16 [Sun] 06:18:35)、「横浜事件:最高裁は免訴判決で確定(中)〜免訴判決を妥当とした最高裁判決を妄信し礼賛するのは止めるべきでは?」(2008/03/25 [Tue] 05:07:13)参照)。
このため、第4次で再審が始まったとしても、最高裁に従い、同じ結論となる可能性が高いことから、「再審開始決定の理由で実質的に無罪の判断が示されるかどうか」が注目されています。この「横浜事件」第4次再審請求について、東京新聞「こちら特報部」で記事にしていましたので、紹介しておきたいと思います。
「戦時下最大の言論弾圧 横浜事件 第4次再審開始の可否 31日に判断
2008年10月28日
戦時下最大の言論弾圧とされる横浜事件で、事実上最後の請求となる第4次再審開始の可否が31日、横浜地裁で決まる。同事件では、特高警察のでっち上げを検察と裁判所が追認し、4人が拷問死した。関係者が「司法の戦争責任を追及する最後のチャンス」と訴える再審請求。共謀罪新設の動きやビラ配りなど微罪逮捕が繰り返される中、言論弾圧の危機感は現在に通じる。 (横浜支局・中沢穣)
◆遺族「過去の過ち、今どう考える」
「横浜事件は60年以上前のカビの生えた話ではない。過去の過ちを今、どう考えるのか。1986年の第1次再審請求以来、司法がその責任を全く認めなかったことに問題の本質がある」
再審請求人の斉藤信子さん(59)は横浜事件の意義をこう強調する。父親の改造社元編集部員、故小野康人さんは敗戦直後の1945年9月、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。第1次再審請求に加わった母貞さんが95年に死亡した後、長女の斉藤さんがその遺志を引き継いだ。
「母は、第1次請求で簡単に再審が認められ無罪になると思っていた。片付いているべき問題が片付いていないという思いだったと思う」
第1次請求棄却の理由は「裁判記録が焼却され審理できない」。横浜地裁が敗戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)の追及を免れるため、裁判所中庭で書類を燃やし隠ぺい工作を図ったからだ。
「目から火が出るかと思った」。貞さんは棄却を知った時の怒りと驚がくをこう表現したという。「裁判所は自分たちの隠ぺい工作を恥ずかしげもなくさらけ出した。この良識の欠如。母には『後には引けない』という強い決意があり、私はその姿に打たれました」
康人さんは斉藤さんが9歳の時、51歳で亡くなった。事件を知ったのは3年後、中学に入ったばかりだった。貞さんが「もう言ってもいいころかな」と話し始め、父の口述書を手渡された。
口述書は、有罪判決を受けた元被告が戦後に特別公務員暴行傷害罪で特高警察を告訴した際に提出したもの。苛烈(かれつ)を極めた拷問を詳述している。
<「髪の毛を一本一本引き抜いてやる」と言い、私の髪の毛を握ってぐいぐいと引っ張り、額を床に打ち付け、靴で腰を蹴(け)るのです。一方、杉田(拷問した警察官)は木刀でがんがん腰を打ち、「お前の1人や2人を殺すのは朝飯前だ。お前は、小林多喜二がどうして死んだか知っているか」と絶叫しながら、約1時間にわたって袋だたきにし、私はとうとう気絶してしまいました>
「私の記憶に残る父はお酒とお風呂が好きでのんきな人。その父がこんな経験をしていたと知り、本当にショックだった」と振り返る。貞さんは斉藤さんに「戦争とはこういう時代。渦中にある人は何もできない」と話したという。
◆司法の戦争責任追及 「最後のチャンス」
逮捕者が60人以上に及び、全体像をつかみくい横浜事件だが、特高が最初に描いた構図はシンプルだった。雑誌「改造」に掲載された社会評論家細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」が「共産主義を宣伝した」として、その前段階として富山県朝日町泊の旅館で開かれた宴会(いわゆる「泊会議」)が「共産党再建準備会」であり、「論文の検閲対策などを謀議した」とした。
第4次再審請求では、新証拠で「拷問による自白」に加えて、論文は共産主義とは関係なく、「泊会議」も単なる宴会にすぎなかったと主張する。事件の虚構性を明確にし、特高がでっち上げた構図を正面から否定するもので、歴史的な評価に沿った内容といえる。
■「有罪の背景に裁判官の怠慢」
「当時の法律に照らしても、論文の中身や会合の性格についてきちんと証拠を評価すれば、有罪判決はあり得なかった。背景には裁判官の怠慢があった」
第4次再審請求の大川隆司弁護団長はこう説明し、「横浜事件は特高が拷問で自白させ、架空の構図を作り上げたという側面が強調され、その構図を丸のみした裁判所の責任はほとんど追及されなかった」と指摘する。
しかし、第4次請求は仮に再審が始まっても、無罪判決は極めて難しい状況だ。
1、2次は請求が棄却され、3次は再審が開始されたものの、治安維持法がすでに廃止されていることなどを理由に有罪・無罪の判断を下さずに裁判を打ち切る「免訴」判決が今年3月、最高裁で確定した。第4次請求も、3次と同様に免訴となる可能性が大きい。
このため、第4次請求では、再審開始の決定時に、裁判所が「無罪とするべき理由がある」と踏み込んだ理由を示すかが焦点とされる。弁護団では、「実質無罪」の再審開始決定を刑事補償請求につなげたい考えだ。
同事件の再審請求は4次までで、次の再審請求の動きはない。元被告も全員が他界した。大川弁護士は「ドイツではナチス時代の司法を見直す運動が60年代にあった。日本でも司法がいかに戦争に加担したかを見直すべきだ」とし、「31日は実質的な『無罪』を勝ち取る最後の機会になる可能性もある」と話す。
◆「言論統制 けじめつけよ」
1980年代の国家秘密法案や最近の人権擁護法案、共謀罪新設の動きなど、矢継ぎ早に自由な言論を縛る恐れのある基盤がつくられつつある。一方で、微罪事件で長期間拘束される事態も進行する。
長年、横浜事件にかかわってきた元日本ジャーナリスト会議代表委員の橋本進さん(81)は「当時の治安維持法と変わらない」と指摘した上で、こう強調した。
「日本での言論の自由は極めて危ない状況にあり、言論統制を再現させないためには、過去の言論統制をあいまいなまま終わらせてはいけない。横浜事件は、言論の自由確立のための運動だ」
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【横浜事件】 神奈川県警察部特高課(当時)による戦争中の大規模な言論弾圧事件の総称。「共産主義を宣伝した」などとして、雑誌編集者や新聞記者など60人以上が治安維持法違反容疑で逮捕され、拷問によって4人が獄死、1人が保釈直後に死亡。雑誌「改造」「中央公論」は廃刊になった。30人以上が起訴され、ほとんどが終戦直後に執行猶予付き有罪判決を受けた。
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■横浜事件の主な経過
1942年7月 細川嘉六氏が「改造」に論文を掲載
9月 警視庁が細川氏を逮捕
43−45年 神奈川県警特高課が出版社員ら60人を逮捕
45年8月 終戦。9月末までに多くの被告が横浜地裁で有罪判決
10月 治安維持法廃止。審理中の被告は免訴に
49年2月 元特高警官3人が特別公務員暴行傷害罪で実刑判決(52年4月に3人の有罪確定、直後に特赦)
86年7月 第1次再審請求(最高裁で91年に棄却)
94年7月 第2次再審請求(最高裁で2000年に棄却)
98年8月 第3次再審請求
2002年3月 第4次再審請求
03年4月 横浜地裁が第3次請求の再審開始を決定
05年3月 東京高裁が検察側の即時抗告を棄却。再審開始決定
06年2月 第3次請求で横浜地裁が免訴判決
08年3月 第3次請求の免訴判決が最高裁で確定
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<デスクメモ>
小林多喜二は昭和8年2月20日に警視庁築地署に治安維持法違反容疑で逮捕され、即日死んだ。享年29。拷問で全身がどす黒く膨れ上がっていたが、解剖もされなかった。75年後、「蟹工船」が売れる時代に表現弾圧の風を強く感じる。微罪逮捕はもちろん裁判員制度にも。不気味な暗示だ。 (充)」
(1) 幾つかの点に触れていきます。1点目。
「「横浜事件は60年以上前のカビの生えた話ではない。過去の過ちを今、どう考えるのか。1986年の第1次再審請求以来、司法がその責任を全く認めなかったことに問題の本質がある」
再審請求人の斉藤信子さん(59)は横浜事件の意義をこう強調する。父親の改造社元編集部員、故小野康人さんは敗戦直後の1945年9月、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。第1次再審請求に加わった母貞さんが95年に死亡した後、長女の斉藤さんがその遺志を引き継いだ。
「母は、第1次請求で簡単に再審が認められ無罪になると思っていた。片付いているべき問題が片付いていないという思いだったと思う」
第1次請求棄却の理由は「裁判記録が焼却され審理できない」。横浜地裁が敗戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)の追及を免れるため、裁判所中庭で書類を燃やし隠ぺい工作を図ったからだ。
「目から火が出るかと思った」。貞さんは棄却を知った時の怒りと驚がくをこう表現したという。「裁判所は自分たちの隠ぺい工作を恥ずかしげもなくさらけ出した。この良識の欠如。母には『後には引けない』という強い決意があり、私はその姿に打たれました」
横浜地裁が敗戦直後、裁判所が自ら人権蹂躙の証拠を隠滅して、「連合国軍総司令部(GHQ)の追及を免れるため、裁判所中庭で書類(裁判や捜査の記録)を燃やし隠ぺい工作を図った」のです。
このように裁判所自ら証拠隠滅を行っておきながら、「第1次請求棄却の理由は『裁判記録が焼却され審理できない』」としたのですから、この無責任ぶりには、「後には引けない」という思いになるのは当然です。
捏造された犯罪(冤罪)により、逮捕者は60人以上、4人が獄死するほどの拷問が行われたのにもかかわらず、裁判所は、(占領軍に発覚する前に)敗戦直後の1回の公判で有罪としたのです。このような徹底した言論弾圧に加担した「司法の戦争責任」について、現行憲法下の裁判所、特に最高裁判所はいかに清算する意思を示すのかどうか(謝罪するか)、「第1次再審請求以来、司法がその責任を全く認めなかったことに問題の本質がある」事件だったのです。
(2) 2点目。
「第4次請求は仮に再審が始まっても、無罪判決は極めて難しい状況だ。
1、2次は請求が棄却され、3次は再審が開始されたものの、治安維持法がすでに廃止されていることなどを理由に有罪・無罪の判断を下さずに裁判を打ち切る「免訴」判決が今年3月、最高裁で確定した。第4次請求も、3次と同様に免訴となる可能性が大きい。
このため、第4次請求では、再審開始の決定時に、裁判所が「無罪とするべき理由がある」と踏み込んだ理由を示すかが焦点とされる。弁護団では、「実質無罪」の再審開始決定を刑事補償請求につなげたい考えだ。
同事件の再審請求は4次までで、次の再審請求の動きはない。元被告も全員が他界した。大川弁護士は「ドイツではナチス時代の司法を見直す運動が60年代にあった。日本でも司法がいかに戦争に加担したかを見直すべきだ」とし、「31日は実質的な『無罪』を勝ち取る最後の機会になる可能性もある」と話す。」
刑事補償法25条(免訴又は公訴棄却の場合における補償) 1項は、「刑事訴訟法の規定による免訴又は公訴棄却の裁判を受けた者は、もし免訴又は公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由があるときは、国に対して、抑留若しくは拘禁による補償又は刑の執行若しくは拘置による補償を請求することができる。」と規定し、2項において「前項の規定による補償については、無罪の裁判を受けた者の補償に関する規定を準用する。補償決定の公示についても同様である。」と規定します。
つまり、免訴の裁判を受けた者は、もし免訴の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の判決を受けるべきものと認められる充分な事由がある場合に限り、無罪判決を受けた者と同様の刑事補償を請求することができるのです。すなわち、免訴判決があれば直ちに刑事補償ができるわけでなく、「免訴の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の判決を受けるべきものと認められる充分な事由があるとき」という条件が必要なのです。
こうした条件があるのかどうかが重要であり、そのため、第4次請求では、再審開始の決定時に、裁判所が「無罪とするべき理由がある」と踏み込んだ理由を示すかが焦点となっているのです。もし示していれば、「実質無罪」という評価ができるとともに、「『実質無罪』の再審開始決定を刑事補償請求につなげ」ることが可能になるわけです。
「同事件の再審請求は4次までで、次の再審請求の動きはない」のです。そのため、実質的な「無罪」の判断をするのかどうか、また、徹底した言論弾圧に加担した「司法の戦争責任」について、裁判所が判断を示すのかどうか、が注目されています。
それにしましても、言語に絶する拷問ですね。「墨と紅ガラとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている」とは、多喜二の遺体に現れた拷問の跡ですが、「お前は、小林多喜二がどうして死んだか知っているか」と云って特高は小野康人さんを拷問し、横浜地裁は証拠を隠ぺいした・・・、そして免訴、です。
今度こそ「無罪」を祈らないではいられません。
死刑のカテゴリーへのTB、感謝しています。執行の嵐が吹き荒れていますね。今回の執行は問題点多く、死刑制度の破綻を露呈しています。国連自由権規約委員会の最終意見書、死刑の問題も従軍慰安婦の問題も、至極真っ当な勧告をしているわけですが、それに対して、叩き返すといいますか、恥ずべき行為で返すのが日本政府です。言葉もありません。
>それにしましても、言語に絶する拷問ですね。「墨と紅ガラとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている」とは、多喜二の遺体に現れた拷問の跡ですが、「お前は、小林多喜二がどうして死んだか知っているか」
全く酷い拷問です。こうしたことを平気で行っていた特高、そして有罪とした裁判所の責任があることを、再審では是非、明示してほしいです。
>今回の執行は問題点多く、死刑制度の破綻を露呈しています。
もはや冤罪の可能性があっても執行してしまう、という方向になってしまったのかもしれません。裁判所の責任はもちろんありますが、構わずに執行の署名を求める法務省、そして訳もわからずに署名してしまう森法相にも。無茶苦茶になってきた感じです。
>国連自由権規約委員会の最終意見書、死刑の問題も従軍慰安婦の問題も、至極真っ当な勧告をしているわけですが、それに対して、叩き返すといいますか、恥ずべき行為で返すのが日本政府です。言葉もありません。
同感です。実に真っ当な内容ですが、きっと日本政府は勧告に従った対応をしないのでしょうね、きっと。
自由権規約委員会の「最終意見書」については、やっとエントリーにしました。「国連の自由権規約委員会が「最終見解」を公表〜合計34項目にも及ぶ詳細な評価・勧告」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1540.html
かなり広範囲に及んでいる勧告であることが分かり、日本の人権保障の状況の酷さについては、国際社会から厳しい目が向けられていることは明らかなようです。
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