この「子猫殺し」問題については、多くの人が「おぞましい」と感じ、坂東眞砂子氏を強く非難しています。ですが、一部、「昔はよくあったことだ」として賛同者もいます。これは個々人の独自の倫理観の違いもありますが、「ペットとはどういう存在なのか?」についての理解の差が本質的な問題と思われます。そこで、ペットとはどういう存在なのか?について、法的な観点から論じてみたいと思います。
まず前提として、坂東眞砂子氏の「子猫殺し」は事実なのかどうかです。坂東眞砂子氏のエッセイやコメントを付き合わせると矛盾しているような点が多々あって、フィクションのようにも思えますが、事実で間違いないようです。この点は、(財)日本動物愛護協会が確認済みです。
「(財)日本動物愛護協会が配信する『JSPCA*動物だより*』8月号からの抜粋。
■8月18日日経新聞夕刊「プロムナード」欄への対応について。
★はじめに
8月18日(金)日本経済新聞夕刊「プロムナード」欄に、坂東眞砂子氏(作家)の「子猫殺し」というエッセイが掲載されました。本会としては諸関係機関と情報交換をして参りました。この件に関するこれまでの経緯をお知らせいたします。
★事実確認
本会から、日経新聞に対し以下のことを問い合わせてきました。
・この文章は、ホラー作家の売名行為(フィクション)なのか、真実なのか。
・日経新聞には倫理委員会のような審査機関はないのか。
その結果、次のような回答をいただきました。
・事実である。
・審査機関はあるが、審査を通ってきている。」(「るんた今日もごろんちょなり★」さんの「(財)日本動物愛護協会と坂東眞砂子氏」(9月2日)、「黒猫チックの物語」さんの「日本動物愛護協会のメルマガより」(9月1日)より)
1.では本題に。まずはペットの定義からです。
「動物は、植物に対して、または人間以外の生き物として、この世に生を受けて生存しているものであるが、一般に、野獣、四足獣、哺乳動物などをいうものと考えられている。ペット(pets)はこうした動物のうち、『慈しみをもって飼養される温順な動物(tame animal treated with fondness)』と、アメリカの文献では定義されている。日本語でいえば、ペットは『愛玩動物』を意味するが、動物を飼主の慰めものとし、飼主の都合の良いときだけ飼育する動物であるから、飼主の都合により動物の生命の成り行きも決められ、飽きたときは捨てられることもある。しかし、最近では、これを嫌って、『伴侶動物』という意味でのコンパニオン・アニマル(companion animal)という言葉が用いられることがある。コンパニオン・アニマルとは、地球上に共に生きる動物としてその生命を全うさせることにより、飼主の精神の糧とするために飼育される動物である。」(長谷川貞之「アメリカのペット法事情」法律時報73巻4号(2001年)10頁)
日本の動物愛護法では、虐待し又は遺棄した場合に犯罪として罰せられることになる動物を「愛護動物」と称しています(44条4項)。
第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、五十万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
このように飼主の都合により勝手に動物の生命の成り行きを決めることができないのですから、日本でのペットの定義も「愛玩動物」ではなく、アメリカでの定義や「伴侶動物」と同じかそれに近いものと理解できます。
2.このようなペットは人間、特に飼い主に対してどのような気持ち(感情)を抱いているのでしょうか? ペットすべてを書くことは不可能ですから、ここでは猫のみを紹介してみます。専門的な動物学から説明している、林良博・東京大学大学院農学生命科学研究科教授:監修「イラストでみる猫学」(講談社、2003年)6〜7頁〔執筆担当:新妻昭夫・恵泉女学園大学人文学部教授〕からの引用です。
「食肉目としての特徴
ネコ科の動物は基本的に単独性でなわばりをもつ。なわばりを他固体から防衛するのは、餌となるネズミなどを確保するためである。なわばりの広さは小型のヤマネコ類で1〜数k屐帖弔傍擇屐0焚爾任蓮猫を念頭において、小型のヤマネコ類の社会生態を概観してみよう。
●猫の社会生活
…子供が十分に大きくなると、子別れがはじまる。子どものうち雄つまり息子は、母親のなわばりを出て分散していく。どこかでなわばりをもてたなら幸運だが、多くの固体は放浪のまま野垂れ死にすると考えられる。
一方、子どものうち雌すなわち娘は、母親のなわばりの一部に住みつき、しだいにその外側になわばりを広げていく。しだいに独立していくが、結果として確保されたなわばりは、母親のなわばりと一部重複していることが多い。母親が事故などで死ぬと、そのなわばりを引き継ぐ。
以上のようなことが何世代もくりかえされると、結果はどういうことになるか。容易に想像できるように、雌猫にとって周囲の猫はすべて、母か娘か姉ないし妹、あるいは叔母・伯母と姪という母系の血縁者ばかりとなる。その雌猫たちのなわばりを囲むようになわばりをかまえる雄猫は、どこか遠方からやってきたよそ者であり、それによって近親婚は避けられている。
●猫は飼い主や人間を母親とみなす
先に述べたように、猫の世界に父親というものは存在しない。また雌猫にとって雄猫との接触は一年に一度だけでよい。したがって猫の世界で社会関係とよべる関係は、母娘関係か、それを拡大した母系の社会関係のみである。雄猫も、ほかの固体と関係をもちたいときには、それをまねた行動をとることになる。
また猫が異種である人間と社会関係を結びたい、つまり餌や寝場所あるいは保護を人間からしてもらいたいときには、やはり人間を母親とみなし娘のようにふるまうことになる。というより、猫は他固体とのつきあいかたとして、ほかの方法を知らないのである。
夜遅くに帰宅すると、近所の野良猫がニャーオと鳴きながら近づいてくる。尻尾をぴんと立てながら、足元に擦り寄ってくる。この尻尾を垂直に立てるのは、まだ巣穴のなかで母親の保護を受けていたとき、排泄をうながしてもらうための姿勢と同じである。母親が肛門をなめて刺激し、排泄物を食べて巣穴を清潔に保つのである。つまり尻尾を立てて足元に近寄ってくる猫は、『わたしは子猫です』、だから『餌をください』『保護してください』とアピールしているのである。
そこで餌を与え、満腹した猫をなでてやる。すると雄猫でも雌猫でもしだいに身体を預けてくる。さらに愛撫をつづけていると、ゴロニャンと仰向けになってしまう。腹部という肉体的にもっとも弱い急所をさらけだすのは、犬の場合には『服従姿勢』と解釈されるが、猫は『服従』ということを知らないので、この完全に無防備な状態は、『あなたを母親と思って全面的に信頼しているのですよ』という気持ちの表現と理解すべきだろう。
ネズミや小鳥などを捕まえ、それを飼い主のもとに持ち帰る猫がいる。狩りの腕前を母親に報告しているつもりなのかもしれない。あるいは飼い主を娘にみたて、狩りの獲物とはこういうものだと教える母親の役割を楽しんでいるのかもしれない。いずれにせよ猫が人間との関係を、母子関係に擬していることはまちがいない。」
要するに、動物学的には猫の世界は母系社会であるので、猫が人間との関係は母子関係であり、猫は人間を母親とみなし娘のような気持ち(感情)でふるまうことで、人間と社会関係をもっているのです。
このような猫の特徴・感情を踏まえると、飼い主が、子猫を捨てる又は子猫を殺すことは、飼猫にとって「母親から自分の子どもを捨てられ又は殺される」という感情を抱いていることになります。
今回の「子猫殺し」問題について、「昔の日本では〜」などと言って肯定的に捉える方も少なくありません。しかし、猫の特徴・感情を知った上で、板東氏の「子猫殺し」を倫理的にも肯定的に捉えることができるのでしょうか? 飼猫からすると、母親のように慕っている人間に、大事な子どもを殺されたと感じているのです。自分の倫理観は妥当なのかどうか、よく自問自答して欲しいと思います。
3.2.では動物学の観点による猫と人間との関係を紹介しましたが、法的にはペットはどういう存在なのでしょうか? 「物」か「者(人)」かどうなのか?という問題です。
(1) 法学の伝統的な世界では「人」と「物」を二分しています。人が法と権利の主体となり、物が権利の客体となっていて、「ローマ法以来の伝統」(青木人志「法と動物―ひとつの法学講義」217頁)と言われています。
動物は、この伝統的な二分法に従うと、ペットのようにいくら交流を交わしている動物であっても「物」に分類されます。
(2) しかし、オーストリア(1988年)やドイツ(1990年)では、動物の法的地位の向上のため、民法典に「動物は物ではない」という一文が挿入され、他方で、「動物については、他に規定のないかぎり、物についての規定を準用する」と規定し、単なる「物」とも「人」とも異なる位置づけをしています。
また、フランス刑法では、1994年の改正により、動物虐待罪規定は財産犯罪の章から抜き出して、「その他の規定」の章に規定されることになりました(「直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(中)〜フランスのペット法事情」参照)。フランス刑法でも「物」でも「人」でもない位置づけになっています。
もっとも、1979年6月22日のクレテイユ大審裁判所は、離婚の際に妻にペットの犬の監護権を与え、夫への犬の養育費用請求を認める判決をしています。これは、人間の子どもを巡っての裁判と全く同じような扱いです。
解釈上も、「自然人」「法人」に次ぐ第三の「人」として、動物に法人格を与えよと説く者がいたり、フランス動物法の第一人者のマルゲノーは、保護団体に私訴権が認められていることなどから、動物は既に「人」であると説いています。
このように、フランスでは、動物は、より「人」に近い位置づけにしようとしてきていることが分かります。
現在の欧米人動物観は、「動物保護(animal protection)」から「動物福祉(animal welfare)」へ、すなわち、相手の立場・意向などを考慮することなく上から手を差し伸べる「保護」から、相手の人格・権利などを認めたうえで、手を差し伸べる「福祉」へと変わりました(長谷川貞之・駿河台大学教授「アメリカのペット法事情」法律時報73巻4号14頁)。
このようなことから、動物が「物」から「人」への方向に向かって、法律上、徐々に移動しつつあるというのが世界的潮流であると評価されています(青木人志「法と動物」221頁〜)。法学の伝統的な二分法は実質的には放棄されているといってよいでしょう。
(3) この世界的潮流は日本でも及んでいて、日本法でもペットは「物」と異なった特別扱いをしているのです。
「この大きな世界的潮流は、すでにわが国にも確実に及んでいる。とくに、……平成12年から施行された『動物の愛護及び管理に関する法律』で、旧法(『動物の保護及び管理に関する法律』)で最高3万円の罰金にすぎなかった動物殺傷行為に対して、最高1年の懲役まで科することができるようになったのは、動物虐待関連犯罪の罪責の重大さについての法的評価が、飛躍的に高まったことを意味する。
また、……飼い犬や飼い猫が他人の過失によって死傷した場合、当該動物の客観的な財産価値を超える愛着感情の侵害に対して『慰謝料』の支払いを認めた判決例も複数存在する。慰謝料の請求が『愛犬』や『愛猫』の死傷について認められても、『愛車』や『愛用の机』の毀損についてはふつう認められないから、わが国の法律のこの場面でも、動物(とりわけペットの犬・猫)は特別扱いされていることになる。」(青木人志「法と動物」222頁)
(4) 日本人のペットに対する意識はどうでしょうか? ペットは家族の一員とか社会の一員であるという意識が多数を占めつつありますが(「ペット供養訴訟〜ペットの火葬や霊園の現状」参照)、そのはっきりした表れは、多様なペット墓地の存在であると思います。
東京都町田市真光寺町にある「町田いずみ浄苑」では、ペット専用墓地だけでなく、“Withペット”と名付けて、ペットと一緒に入れるお墓を販売しています。購入者の共通点は、ペットがまさに家族同然、あるいはそれ以上の存在とであり、「一緒のお墓に入りたい」という強い願いをもっているそうです。
「そもそも考えてみれば、今までは人間とペットが同じ墓で眠るといった発想自体もなかったのだろう。法律的にも常識的としても、墓地といえば人間の事しか想定していないのだ。しかし現実は『ペットと一緒のお墓に入りたい』という人たちが増えていることを、この霊園が如実に証明している。」(須磨章「編集委員の眼:『物』から『者』への狭間で」ペット六法 第2版(用語解説・資料編)(誠文堂新光社、2006年)118頁)
ペット専用墓地だけでなく、“Withペット”と名付けて、ペットと一緒に入れるお墓の存在は、ペットに対して、死後も共に一緒にいたいという、まさに人と同様の意識をもっているといえるのです。日本人の意識は明らかに変わってきているわけです。
4.板東眞砂子氏は雌猫3匹を放し飼いにして自由な交尾・繁殖に任せ、その結果、産まれた子猫を直ちに、自宅の隣の崖、すなわち「家と同様緑に覆われた、高さ15〜20mほどのもので、その下には小さな空地がある」(女性セブン9月14日号47頁:追記参照)場所に投げ落としたのです。
(1) この行為だと「すぐには死なないと思う。だからこそ放り投げられてけがをしたら息絶える瞬間までずっと苦しむ」(女性セブン)ことから、残虐な行為であることには異論がないと思います。
動物愛護論研究会編「改正動物愛護管理法Q&A」(2006年、大成出版社)167頁によれば、動物虐待罪における「虐待」とは、動物の被る「苦痛」と、これに人間側の「目的」ないし「必要性」等の事情を加えて総合的に判断するとし、具体的には、動物の被る肉体的・心理的「苦痛」の種類・程度、方法の相当性等の客観的要素と、人間の側の事情、特に目的・必要性等の主観的要素を十分に考慮し、社会通念に従って総合的に判断すべきものとしています。
長尾美夏子ほか「ペットの法律相談〔改訂版〕」(青林書院)185頁によれば、動物虐待罪に当たる具体的に問題となった例として、「団地の8階から犬を投げ下ろして殺害した」ことが挙がっていました。
そうすると、坂東眞砂子氏の子猫殺しは、即死することなく長時間苦痛を与えて殺害するものであって、崖から投げ殺すというあまりに不相当な方法による殺害ですし、法令上、飼い主による殺害自体を予定していないのですから、(日本で行えば)「みだりに殺し」にあたり、動物虐待罪(44条1項)に当たることは、当然といえるでしょう。
(2) 子猫殺しも賛成できないが、猫への不妊手術にも抵抗があるという方もいるかと思います。ですが、日本においては、どういった判断が適切なのか、既に国が基準を示しているのです。
環境省は、動物愛護法に基づく基準である、「家庭動物等の飼育及び保管に関する基準」(平成14年5月28日環境省告示第37号〔改正:平成18年1月20日環境省告示第24号〕)を出しています。
家庭動物等の飼育及び保管に関する基準(抜粋)
第一 一般原則
1 家庭動物等の所有者または占有者(以下「所有者等」という)は、命あるものである家庭動物等の適正な飼養保管に責任を負う者として、動物の生態、習性及び生理を理解し、愛情を持って家庭動物等を取り扱うとともに、その所有者は家庭動物等を終生飼養するよう努めること。
第六 ねこの飼育及び保管に関する基準
1 ねこの所有者等は、周辺環境に応じた適切な飼養及び保管を行うことにより人に迷惑を及ぼすことのないよう努めること。
2 ねこの所有者等は、ねこの疾病の感染防止、不慮の事故防止等ねこの健康と安全の保持の観点から、屋内飼養に努めるものとし、屋内飼養以外の方法により飼養する場合にあっては、屋外の疾病の感染、不慮の事故防止に十分な配慮を行うこと。
3 ねこの所有者は、繁殖制限に係る共通基準によるほか、屋内飼養によらない場合にあっては、原則として、去勢手術、不妊手術等繁殖制限の措置を行うよう努めること。
4 ねこの所有者、やむを得ずねこを継続して飼育することができなくなった場合には、適正に飼育することのできる者に当該ねこを譲渡するように努め、新たな飼育者を見いだすことができない場合に限り、都道府県等に引取りを求めること。
*動物愛護管理法7条4項「環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、動物の飼養及び保管に関しよるべき基準を定めることができる」に基づいて定められた基準である(「改正動物愛護管理法Q&A」21頁)
要するに、猫の飼い主は終生飼養が求められており、飼い方としては原則として屋内飼養であり、放し飼いにする場合には、飼い主は繁殖のコントロールができないので、原則として不妊手術が求められているのです。
「原則」と規定して例外を認めているのは、「非常に都市部から山村なりという、人間が疎の場合もあるでしょうし、ねこも疎の場合」を考慮してのことです(【神田動物愛護管理室長】:中央環境審議会動物愛護部会(第3回会議録)。社会に迷惑をかけない場合であれば、例外もあるということであり、飼い主の都合(例えば、板東氏の理屈である「生き物の豊穣性を犠牲にしてはいけない」)で例外を認めているわけではないのです。
そして、猫を飼育できなくなった場合には、原則として譲渡するように努め、飼い主を見つけられなかった場合に限り、都道府県等への引取りを求めることとしています。当然ながら、飼い主自らが猫を殺害することを否定しています。譲渡と都道府県への引き取りだけ予定した規定だからです(反対解釈)。
坂東眞砂子氏は「現代日本におけるペットに対する過剰なまでの熱愛状態」(週刊朝日9月8日号156頁〜)を批判し、そのことを子猫殺しを正当化する理由の1つとしているようです。確かに過剰な面もないとはいえません。
しかし、日本では、法令により、原則室内飼養であり、放し飼いする場合には不妊手術が求められているのです。不妊手術は、過剰なペットブームのせいではないのです。
これに対して、坂東眞砂子氏は、もし日本で同じ事をすれば、安易に子猫殺しをしていて終生飼養の原則に違反し、室内飼養の原則に違反し、不妊手術の原則にも違反することになります。
今では猫の飼い主の7割〜9割が室内飼いにしています(「ペットフード工業会」の調査による)。動物愛護団体などによる啓蒙の成果であり、日本人が犬猫を飼うことで自然と変化した意識の成果といえるでしょう。
このように、日本の市民が法令を知ることなく、法令を遵守した行為を行っているのに、坂東眞砂子氏は、「日本におけるペットに対する過剰な熱愛」のせいだと、明らかに誤った認識を表明し続けているのです。
「★坂東氏の文章責任
・物議をかもすことを目的とした確信的な文章である。
・個人的な見解は自由だが、生命の尊厳を冒し、次代を担う青少年の健全な育成に悪影響を与える内容である。
★日経新聞の掲載責任
・社会の木鐸として良識に欠ける。
・動物愛護に関する社会的風潮(法制化等)の高まりに逆行する。」((財)日本動物愛護協会が配信する『JSPCA*動物だより*』8月号)
ですから、日本動物愛護協会が、生命の尊厳を冒涜し、動物愛護に関する社会的風潮(法制化等)の高まりに逆行すると抗議することは、ごく当然のことなのです。
坂東眞砂子氏は、明らかな法令違反行為や犯罪行為を行っているのに、間違った認識で正当し、法令を遵守している日本の市民の方が間違っていると言い続けることは、法を定める意味を無意味にしてしまい、日本の市民に法を軽視する意識を植えつけるものであって、危険な言動であるといえるのです。
5.再び、ペットはどういう存在なのか? という本題に戻ります。
現在日本では犬が1306万頭、猫が1209万頭で合計2515万頭が飼われています(平成17年度ペットフード工業会の調査)。それにひきかえ、子供(15歳未満)の数は、昨年より18万人少ない1747万人です(総務省が平成18年5月4日発表した推計人口(4月1日現在))。
このように、日本では、ペットは子供の数を大きく上回っており、まさにペットは子供同然という時代になっています。
「犬や猫は『物』ではないが、ヒトを表す『者』でもない。人間と同じような権利を与え義務を課すことはできない。人間社会の中でそれぞれの生き物としての個性を発揮しながら、うまく共生できるように考える役目は人間の方にある。時代の趨勢の中で、『物』から『者』へ近づきつつあるペットたちを、法律的にも、そして倫理的にもどう考えていくべきなのか…。
まさに空白の“第三の領域”を私たちの意識の変化に合わせながら、より良く埋めていくことが大切なのではないだろうか。そのことが、“動物愛護”とはどんなことなのかを考えていくことにもつながると思えるのだ。」(須磨章「編集委員の眼:『物』から『者』への狭間で」ペット六法 第2版(用語解説・資料編)(誠文堂新光社、2006年)119頁)
世界的にも日本においても、法律はおろか市民の意識としても、動物はすでに「物」と「者」との狭間にあります。動物、特にペットは弱い立場にいるのですから、人間の側が弱者を慈しむような気持ちで、共生できるように人間の側から歩み寄ってペットに接するべきではないでしょうか。
「動物の保護と管理に関する法律」から、平成12年の改正により「動物の愛護と管理に関する法律」へと名称を変更しました。「保護」から「愛護」へと変わったのは、動物を物から命ある仲間への意識の高まりを求めるという意味が込められています。「福祉」ではなく「愛護」としたのは、少しは立場の平等さが感じられるからです。
坂東眞砂子氏を非難することは、昔の日本が子猫を間引きをしていた歴史を否定するものだとか、坂東眞砂子氏の言い分にも何らかの理があるのでないかという方もいるでしょう。しかし、動物は命ある仲間なのですから、動物の尊厳の保障に努めるよう、人間の側が意識を変えるべきなのです。
ペットは、空白の“第三の領域”にいる存在なのです。その空白の“第三の領域”を「物」扱いして無意味にしてしまうのでなく、動物の尊厳に配慮して、より良く埋めていくべきなのです。すでに埋めていくべき方向性は決まっているのです。
週刊朝日9月8日号155頁において、坂東眞砂子氏は「あのエッセイは、現代社会の多くの問題を孕んだものだと思っています。そのひとつは、愛玩物として生物を『所有』する人間の傲慢さです」と述べています。しかし、子猫殺しは、子猫を「所有物」として飼い主の都合により意のままに命を奪うものであって、まさしく坂東眞砂子氏の行為こそ、生物を『所有』する人間の傲慢さを示した太古の典型例なのです。
その意味で、空白の“第三の領域”を「物」扱いして、動物の尊厳が軽視された太古の昔に戻そうとする「坂東眞砂子氏の言い分」には、決して同意してはならないのです。
<追記>
1.女性セブン9月14日号(46・47頁)(8月31日発売)の一部引用
「子猫を殺す崖 現地報告 タヒチ住民大ブーイング
“子猫殺し”――そう題した短いエッセーが大きな波紋を呼んでいる。そして、日本のみならず、これを執筆した作家・坂東眞砂子さん(48才)が暮らすタヒチでも、住民たちの間で彼女が書いている内容に対し反論の声が高まっているという。“猫の生”を尊重したいから、子猫を殺す――この論理をどうとらえればいいのか。彼女がいいたかったことは何なのか、現地と国内二元取材で検証する。
最近では野良猫をふやさないために、行政が中心となって猫の避妊手術を啓発し、手術費用も一部助成するところもふえている。そんな中で著名作家が新聞に寄せたエッセーが大きな話題となっている。
『子猫殺し』――そんな衝撃的なタイトルがつけられたエッセーは、8月18日付日本経済新聞夕刊に掲載された。筆者は……作家・坂東眞砂子さん(48才)だ。……
彼女の理論を要約すると、性交したい、子供をつくりたいと願う“生”に対する動物欲求を人間が奪うのは傲慢である。そしてあわれな野良猫を増やさないためには生まれた子供は殺したほうがいいというものだ。
掲載直後に読者から“不愉快”“気分が悪い”“日経新聞の見識を疑う”など抗議や苦情の連絡などが寄せられ始め、『1357件(8月28日現在)にのぼる』(日経新聞広報)という。
論争を巻き起こしている坂東さん本人が猫と住んでいるのは、日本から約8000km離れた島・タヒチ(フランス領ポリネシア)だ。」
「落とされても即死しない?
世界中のハネムーナーの憧れといわれ、画家ゴーギャンが半生を過ごし、海と山に囲まれた島々の美しさは他に類を見ないといわれるタヒチ。公用語はフランス語だが、古くから暮らす住民たちは、豊かな自然と共生しながら生きている。日本人も観光関係の仕事を中心に、多く暮らしている。特に国際空港のあるパペーテ市は、タヒチの中心地で、タヒチに暮らす日本人の7割が拠点をおいている。
タヒチに坂東さんが移り住んできたのは、8年ほど前。
'90に出会ってから遠距離恋愛を続けていたフランス人芸術家、ジャンクロード・ミッシェル氏(62才)と暮らすためだった。『ふたりが暮らす家はパペーテ市から車で約1時間半、島の東側、海沿いの場所にあります。彼自身が造ったその家は木々に囲まれ、通りからは見えない場所にある。まさに、自然の中で暮らしているわけです」(タヒチ在住ジャーナリスト)
坂東さんはあまり街に出かけることもなく、ほとんどはこのふたりの家で、ペットの猫や犬たちとすごしているという。
『だからでしょうか、現地の日本人コミュニティーに加わることも少なく、交流は少ない。8年間住んでいて、日本人会の忘年会に出席したのも、去年が初めてだった」(日本人住民)
現地の日本人たちにとって、坂東さんはちょっと距離感のある存在だという。
それが今回の“猫問題”でさらに広がったという。
『もちろん日本の報道はすぐこちらにも伝わりますからね。彼女はエッセーで、タヒチという土地柄で動物の死に慣れた、とか、タヒチでは普通のことなどといった書き方をしていますが、そんなことはありません。タヒチに住んでいても“子猫殺し”をしている人なんてきいたことはない。ここでは最近犬の毒殺事件が何件かあり、タヒチ中で大きな話題になっているほど。タヒチの人々は自然を愛し、生き物を大切に生きている。ペットに避妊手術を受けさせる人もとても多く、むしろ日本より進んでいるくらい。正直いって、彼女の発言には、みな首をかしげているんです』(前出・住民)
坂東さんがエッセーで書いている“自宅の隣の崖”は、家と同様緑に覆われた、高さ15〜20mほどのもので、その下には小さな空地がある。彼女が生まれたばかりの子猫を投げ捨てているのはここなのか。
『タヒチではどんな土地でも基本的に緑に覆われていますから、体の柔らかい子猫なら、落とされても、すぐには死なないと思う。だからこそ放り投げられてけがをしたら息絶える瞬間までずっと苦しむわけで、そんな残酷なことはありません』(前出・ジャーナリスト)
坂東さんがこの天国のような美しい島で、長い間考えた末に思いついた、ペットの“生”を尊重するための最善の方法というのがこれなのか。」
「生まれたものには生きる権利
日本国内では、日経読者のみならず、識者もまじえて大きな論争にエスカレートしている。
本誌にも、著名人を含め多くの人が意見を寄せている。
●国文学者・作家 田中貴子さん
(略)
●『猫の病院』院長で獣医の玉野恵美さん
私が避妊手術の必要性を説く場合、こういう。“人からえさをもらう状況であれば、動物も人の暮らしに歩み寄らないといけない”。少々乱暴ですが、自然のままに子供をつくってみんなが幸せになれるわけではないと。
●日本動物愛護協会 吉野功事務局次長
日経新聞を通じて、事実関係の確認を正式にお願いするつもり。フランスの刑法に抵触する可能性もあるし彼女の論理にも矛盾がある。猫の生のために、というが、産んだ子の命を奪われたその猫がパニックになる可能性もある。飼い猫の生の充実も疑問。
●捨て猫防止協会 太田成江代表
(略)
●畑正憲(ムツゴロウ)氏
命についての倫理観は人それぞれだから、私は反論はしない。ただ、私は殺さない。いままでも生まれた動物の子供たちは全部生かしてきた。お金がいくらかかっても全部生かす。あと気になるのは殺し方だ。
目があかないうちにすぐしめ殺されるならまだいいが、崖から放り投げられた子猫が何時間か苦しむのは耐えられない。
●歌人 寒川猫持氏
避妊手術と、生まれた子猫を殺すことが同じなどおかしい。一度生まれたものには生きる権利がある。その権利を奪う傲慢を考えてほしい。
●デヴィ・スカルノ夫人
(略)
*
日経新聞を通じて坂東さんに取材を申し込んだが、『取材を取りつぐことはできないが、さまざまなご意見は真摯に受けとめたい』とのことだった。
坂東さんは今回の騒動についてある雑誌で、“私は子猫殺しが正しいとはいっていない。動物に対し避妊手術をする権利も殺す権利も人間にはない、といいたかっただけ”といった内容の反論を載せている。
飼い主の都合を押し付ける安易なペットブームに警鐘をならすというのが彼女の真意だとしても、いかなるメッセージも子猫を放り投げる理由にはならないのではないか。」
*太字部分は記事のまま再現。
「体の柔らかい子猫なら、落とされても、すぐには死なないと思う。だからこそ放り投げられてけがをしたら息絶える瞬間までずっと苦しむわけで、そんな残酷なことはありません」との記事を読むと、つくづくむごい行為だと感じます。畑正憲(ムツゴロウ)氏が危惧したとおりの結果でした。
猫は、ある程度高いところから落ちても大丈夫ですが、5階〜10階から落ちると死亡するそうですから、高さ15〜20mの崖では、やはり助からないでしょうね……。
「タヒチという土地柄で動物の死に慣れた、とか、タヒチでは普通のことなどといった書き方をしていますが、そんなことはありません」というコメントを読むと、坂東眞砂子氏は、死骸を少し見ただけで「動物の死に慣れた」と感じているように思います。一般人と物事の受け取り方が大きくずれているのです。
要するに、一般人より著しく感受性が強すぎる、行き過ぎた思い込みをしやすいタイプのように思います。ですから、坂東眞砂子氏の言い分をそのまま受け取ると、虚言癖があるのではないかとか、「独りよがりの二重人格者」(東京新聞平成18年9月3日付投書より)といった評価をしてしまうように思えます。
日本動物愛護協会の吉野功事務局次長さんが、「猫の生のために、というが、産んだ子の命を奪われたその猫がパニックになる可能性もある」と指摘していますが、まずパニックになっているでしょう。ところが、坂東眞砂子氏はそれに気づいていないかのようです。きっと、行き過ぎた思い込みをしているために、飼猫を自分の思い込んだようにしか見ておらず、飼猫の様子を客観的に観察できていない、と推測しています。おそらく結果として、通常の飼い主と比較すると、飼い主という意識が希薄なのでしょう。
感受性が強すぎたり、行き過ぎた思い込みをしやすいタイプそれ自体は別に構わないのですし、そのような性格が小説には大いに役立っているのでしょうが、子猫殺しを正当化するような思い込みを抱き、実行するとなると、別問題です。
どんな醜悪な考えでも思うことだけでは、思想の自由(憲法19条)で保障され、フィクションであれば、それを発言しても表現の自由(21条)で保障されています。しかし、犯罪行為を実行することは許されないのです。坂東眞砂子氏が処罰されようとされまいと、失われてしまった子犬子猫の命は戻ってきません。不幸なのは、坂東眞砂子氏に飼われている犬猫です。
2.すでに週刊ポスト(9月8日号〔8月25日発売〕)、AERA(9月4日号)、週刊朝日(9月8日号)においても坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題について記事があります。
週刊ポストにおける記事への評論は、「黒猫亭日乗」さんの「2006年8月29日 (火曜日):「週刊ポスト」擁護論の不審」を、週刊朝日(9月8日号)における記事への評論は、「黒猫亭日乗」さんの「2006年8月30日 (水曜日):「週刊朝日」所有の傲慢」をご覧下さい。
AERA(9月4日号)の記事に対する評論については、「りんどう畑」さんの「August 30, 2006:仔猫殺し作家コラムの考察(3) 」をご覧下さい。
どの評論も論理矛盾を明確に指摘していますし、坂東眞砂子氏の真意にも言及しています。大変秀逸です。ぜひご覧下さい。
3.坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題についてのまとめサイトとしては、ご存知のこととは思いますが、「鬼畜子猫殺し坂東眞砂子―ニュー速用まとめwiki」さんをご覧下さい。どういう情報が出ているのか全て分かるようになっています。コメントを書く欄はあり、わずかですが、そのコメントが実質的には評論になっています。
坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題が広がる切っ掛けを作ったのは、「きっこのブログ」さんと毎日新聞の記事でしょう。毎日新聞は、動物愛護活動に熱心な方たちの働き掛けにより、問題意識が分かり、記事にしたようです(某ブログによる)。
「地域猫の作り方」さんの「子猫殺し」は、いち早く8月18日に記事にしていますので、かなり影響力があったと思います。「地域猫の作り方」さんは、「「子猫殺し」騒動の波紋」(8月25日)において、坂東眞砂子氏に非難が殺到したことについて「たいへんな啓蒙効果」「結果的にたいへん大きな応援をもらったみたいな気がする」と述べています。報道機関、小池環境相の会見、市民の反応に勇気付けられたようです。
<9月3日追記>
この問題に関する最近の評論を。週刊金曜日2006年9月1日号です。風速計というコラムで、石坂 啓氏が「赤ちゃん猫を拾う」という表題で書いています。最新号ですので、こちらでの引用は止めておきますが、心を揺さぶられる文章だと思います。
<9月4日追記>
「崖からの子猫大量投げ殺し」賛成派の立場の代表格が、「てるてる日記」さんです。こちらから賛成派のブログにたどることが可能です。9月3日現在、4つほどのエントリーがあります。
高知新聞に寄せた坂東氏のコメントへの評論については、「書店員が本につっこむブログ」さんの「仔猫、続」(8月30日)をご覧下さい。「自分の生の実感のために、殺すために、飼っていると、一連の主張からはそのように読み取れてしまう。」と指摘しています。こういう見方は、この方だけでなく結構見かけますね。
URL | るんたぱぱ #-[ 編集 ]
メルマガ公表のおかげで、日本動物愛護協会はどのように考えているのかが、分かりました。ありがとうございます。
「子猫殺し」問題では、一番の被害者は坂東氏の飼猫・子猫です。ならば、当然ながら動物学の見地からの判断が必要となります。そして、子猫殺しという行動に出ている以上、その法的評価の問題が生じます。この2点の検討は不可欠です。「子猫殺し」問題(下)では、その点を明確にして論じてみました。
>いろいろな方のご意見とても参考になりました
坂東氏が雑誌によせた反論については、色々な方が評論を加えています。中でも秀逸なものについて、リンクして見ました。
URL | 黒猫チックの物語 #-[ 編集 ]
6月頃、コメントを書かせていただいたことのあるRです。
私は猫が大好きです。
7月1日のエントリーは他人事ではなく思っておりました。
ですから、感情的になってしまう部分は大いにあるかと思うのですが…
本来、色々な意見に耳を傾けるべきなのでしょうが、今の私にはそれすらままなりません。
暗澹たる気持ちに読み進めることができないのです。
私はその作家のことは全く知りませんでした。
もし仮に、以前からその作家のファンであったとして、一つの死生観として好意的に、いや、そこまでいかないとしても、容認できるかというと…やはり私にとってはそういう問題ではないです。
すみません、揶揄するような物言いになってしまいました。
感情論になりますが、初出の記事の文体そのものが私にとってはショックでした。
どうしても、偉そうに聞こえてしまって。
これは彼女を知らないからなんでしょうか?
なにしろ現段階では、その作家さんの反論なる記事も、目を通しかねる状況なので、賛成派の方にも反対派の方にも意見を言える立場ではないのですが…。実は春霞さまのエントリーの全てにも目を通しきれていない状況なんです。
物か者か?あたりでダウンしてしまいました。
落ち着いたら読ませていただきます。
何がなんだか分からないコメント、申し訳ありませんでした。
どうにも気持ちがおさまらず。
URL | R #-[ 編集 ]
メルマガ、特にメルマガの形式まで引用してありましたから、信頼性が増しました。大変参考になりました。
>奥が深いなと感じます
色々と問題点がありますが、特に法律論については詳しく論じています。子猫殺しは犯罪行為である点が、一番問題ですから。
…ただ、週刊現代での「坂東氏による反論」を読むと、ご自分で述べているように「ビョーキ」のようです。なので、哀れな方という思いもありますが、命を失う子猫・子猫を失う飼い猫の方が可哀想です。
>暗澹たる気持ちに読み進めることができないのです
暗澹たる気持ち、おぞましい、嫌悪感を感じる、といった気持ちが素直な感情だと思います。新聞投書・多くのブログでそういったことを書いていました。
>感情論になりますが、初出の記事の文体そのものが私にとっては
>ショックでした。
>どうしても、偉そうに聞こえてしまって。
偉そうに聞こえる、……ですか。気にしていませんでしたが、言われてみればそうかもしれませんね。そういうところも反発を受ける原因かも。
>現段階では、その作家さんの反論なる記事も、目を通しかねる状況なので
>実は春霞さまのエントリーの全てにも目を通しきれていない状況なんです
>物か者か?あたりでダウンしてしまいました
ゆっくりとで構いません。「作家さんの反論」は……アエラでの反論を読んで納得する方もいるようですが、う〜ん、どうでしょうね。
いくつか反論を雑誌に寄せていますが、週刊現代での「坂東氏の反論」を読めば足りるように思います。
週刊現代での「坂東氏の反論」はこのブログでも取り上げる予定ですが、↓に全文、出ています。「鬼畜子猫殺し坂東眞砂子―ニュー速用まとめwiki」です。
http://news.80.kg/index.php?%B5%B4%C3%DC%BB%D2%C7%AD%BB%A6%A4%B7%BA%E4%C5%EC%E2%C3%BA%BD%BB%D2
エントリーとの趣旨とは異なるので恐縮なのですが。司法関係を軸に、多岐に豊富な知識をお持ちの春霞様
ならご存じのことかと思い、おじゃましました。
すでにご存じのこととは思いますが。週刊文春において、特別寄稿として東野圭吾が坂東眞砂子を擁護しています。
結構な長文で(私には)、詭弁、論理のすりかえ、作為的な推論等、さまざまなレトリックを駆使した、私のようなふつうのおじさんが一度や二度読んだくらいでは、まるめこまれそうな悪意に満ちた文章です。
そのなかのセンテンスに
「最初から飼わなければいいのではないか。
彼女のエッセイを読んだ人はまずそう思うに違いない。
ここで私は再び自分の猫を見ながら考える。
こいつをもし私が飼わなければどうなっていたか。
彼の道は次の三つしかなかった。
・死ぬ
・野良猫となり害獣扱いされる
・誰かに飼われる
野良猫を害獣扱いするとはかぎらない、という人がいるかもしれない。
しかし今の社会は害獣扱いするという方針で統一されている。
だから環境省も、地域猫(野良猫のことを環境省ではこう呼ぶらしい)について、
里親を探すなどの対策をしているのだ。」
という行があります。 「環境省は野良猫を害獣扱いするという方針で統一されている。」って本当なんですか?
法的な根拠ってあるんでしょうか。あるいは、通達でもでたんでしょうか。
それとやはり「環境省が地域猫について、里親探しなどの対策をしているのだ。」って本当なんでしょうか?
環境省・動物愛護管理基本指針が改訂されるような話を耳にしていたので、そうなったのかなって思いまして。
どうも法律のことは苦手でして。遠い昔、法学部に籍があったこともあるんですが、亜法(阿呆)学部政治学科だったもんで。
私の真意としては、これがガセネタであるならここを突破口に出版社等に厳重な抗議を申し入れなければと考えている次第です。 坂東のエッセイを契機とし、猫の命の重さが大きくとりあげられ、地域猫活動の核心である避妊去勢への理解が深まったと思える、こんにちのこの地平を一ミリたりとも後退させてはなりません。
坂東の虐待の事実は許し難いものですが、エッセイそのものは誰が目にも論理的破綻をきたしているのは明らかで、賛同するものは猫嫌い、変質者、純粋に坂東文学の世界を愛する方達の一部くらいのものです。
それにくらべて、東野圭吾の文章は、坂東のエッセイを非難した人たちさえも、からめとってしまうような危険に満ちている、そんな気がするのです。お忙しいことと思いますが、できますればなにとぞよろしくお願い致します。
URL | 無学なおじさん #-[ 編集 ]
>「環境省は野良猫を害獣扱いするという方針で統一されている。」って
>本当なんですか?
>法的な根拠ってあるんでしょうか。あるいは、通達でもでたんでしょうか。
まずご質問に答える前に。
「害獣」というと、普通はネズミですね。ネズミを食べる(野良)猫も、東野氏は「害獣扱い」したわけです。ならば、ネズミは誰が退治してくれるのだろうと、しばし悩みました……。
…私の悩みはともかく、「害獣扱い」という意味は、捕獲して隔離し、処分(殺害)する対象になっている獣ということだと思います。
さて。
野良猫は、害獣扱いして隔離し殺害されるのでしょうか?
結論からいえば、野良猫は害獣でなく殺害してはいけません。生命尊重を図るために、動物愛護法44条は「愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する」と規定し、猫は飼猫・野良猫問わず、「愛護動物」に含まれます(44条4項1号)ので、害獣扱いは動物愛護法44条に反してできないからです。
「動物たちを守る会ケルビム」さんが環境省に対して問い合わせてをしていて↓のような回答を得ています。
http://cherubims.ciao.jp/activities/chiikineko/law.html
「野良猫の法律的な立場はどのようなものでしょうか?
環境省動物愛護管理室に尋ねてみたところ以下のような回答をいただきました。
「猫は飼い猫・ノラネコに関わらず法律で守られている愛護動物であり、 みだりに殺したり傷つけたりすることはできません。」
ここで指す”愛護動物”とは、『動物の愛護及び管理に関する法律』(第5章第27条4)により「牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、猫、家ウサギ、にわとり、家バト、あひる、その他人が占有している動物で哺乳類・鳥類・爬虫類に属するもの」と定められています。」
捕獲についても、「野良猫はすべて捕獲する」なんて、動物愛護法や「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」でも、規定していません。保健所に聞けば分かりますが、野良猫だからって捕獲することはしていません。
ですから、「『環境省は野良猫を害獣扱いするという方針で統一されている。』って本当」ではなく、野良猫を害獣扱いするような「法的な根拠」はありませんし、そんな「通達」もありません。
東野氏は、「今の社会は害獣扱いするという方針で統一されている」と書いていますが、害獣扱いは、すでに触れた動物愛護法44条や、動物の命をみだりに殺してはならないという基本原則を定めた、動物愛護法2条に抵触し、許されません。
>それとやはり「環境省が地域猫について、里親探しなどの対策をしている
>のだ。」って本当なんでしょうか?
環境省は、捨て猫犬を半減にしようという素案は出しています。↓は、ヤフーニュースの記事です。(「JANJAN」の記事にも出ています)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060629-00000063-kyodo-soci
「捨てイヌ・ネコを半減へ 引き取りやすく、環境省
捨てイヌ・ネコを半減します−。環境省は29日、年間42万匹(2004年度)に上る、自治体が引き取るイヌ・ネコを、飼いたいと希望する人への譲渡を推進したり、ペット業者に説明義務を負わせて安易な販売を抑制したりして、今後10年間で半減する方針を打ち出した。
動物愛護管理基本指針の素案に盛り込み、中央環境審議会の部会に提出した。パブリックコメント(意見公募)を経た後、早ければ9月の答申となる見通し。
素案では、今後10年間の施策の具体的項目として、自治体が不妊去勢措置を助成したり、捨てイヌの情報をデータベース化してインターネット上で公開、希望者が好きな個体を選べることで譲渡を推進するなどとしている。
(共同通信) - 6月29日10時37分更新」
また、↓の「日本動物愛護協会」のサイトをみると、地域猫活動においては、里親探しも行っているそうです。
http://www.jspca.or.jp/hp/cat.htm
「5.里親探し
人なれしている子や、若齢の子は里親探しの活動をしましょう。」
別に地域猫だから、里親探しをするわけでなく、動物愛護団体は、通常、猫全般について里親探しをしています。
地域猫活動は、東京都といった行政と連携した活動でもあります。↓「NPOねこだすけ」さんのサイトです。
http://www.asahi-net.or.jp/~jz6m-dmn/nekodasuke/nekofact_tiikineko.html
このような素案、動物愛護団体による活動はありますが、「環境省が地域猫について、里親探しなどの対策をしている」といった情報は、どこにも見当たりません。
どこにも見当たらない情報について、坂東氏が「環境省が地域猫について、里親探しなどの対策をしているのだ。」と断言しているのかよく分かりません。
ただし。坂東氏は、地域住民で管理している「地域猫」と管理者のいない「野良猫」を混同していますから、おそらく、「環境省は、捨て猫犬を半減にしようという素案を出している」という情報を、地域猫にも当てはまると誤解して、書いたのだと思います。
もしかしたら、東野氏は「環境省が地域猫について、里親探しなどの対策をしている」という極秘情報を得ているのかもしれません。…考え難いですけど。
>私の真意としては、これがガセネタであるならここを突破口に出版社等に
>厳重な抗議を申し入れなければと考えている次第です
ごく常識的に動物愛護法を理解し、一般市民が調べて知りうる情報からすれば、東野氏が言っていることは「ガセネタ」です。
東野氏のことは疎いのですが、東野氏はよく「ガセネタ」を言ったり書いたりする人なんでしょうか? もしそうなら、抗議しても「いつものガネタです」と言われてしまいそうですね(汗)
>東野圭吾の文章は、坂東のエッセイを非難した人たちさえも、
>からめとってしまうような危険に満ちている、そんな気がするのです
東野氏の文章でどれほど納得させられてしまうのか分かりません。
東野ファンの一人である「ひともんじゅ−日々変人三昧」さんは、次のように書いています。↓
http://blog.goo.ne.jp/yosi-usagi/e/acfde8707790e858602fba50142f590a
「寄稿の意見はどことなく苦しく、趣旨がはっきりしない。
結論ありきの中で、無理やり
こじつけた文章のような気もする。
坂東氏は「尊敬する友人」であるようなので、
むやみに批判できない(したくない?)
というのも、あったのだろうか。
結論として、東野氏が坂東氏を擁護しても、
現実味が感じられないのである。」
このように、東野氏の文章で納得しない方が多いといいのですが。
法的な野良猫の規定や位置づけ、それに愛護動物のこともよくわかりました。
私は法律に疎いとは先般、紹介させていただいたとおりですが、心情による判断が多く、ときとして
あやまった考えにとらわれてしまうことがしばしばあります。
私の庭には野良猫が粗相をすることがあります。私は野良猫の境遇に思いをはせるとき、これくらいのこと別にいいじゃんと思いますが、近隣には、野良猫を害獣であると断言している人が多くいて、そのことを悲しく思う、と同時に害獣なのかなと考えてしまうこともありなのです。そうではないと確信しているのですが。確信が足りないでしょうね。野良猫の法的な位置づけを知ることは、確信を深める上でとても有益であると思いました。
お忙しい中、レスをいただいたことを重ねて感謝いたします。ありがとうございました。ではまた。
URL | 無学なおじさん #-[ 編集 ]
例外的に、野良猫が害獣扱いされる場合があります。それは生態系に害を及ぼす場合です。例えば、沖縄本島北部に生息するヤンバルクイナが野生化した猫に捕食されているので、ヤンバルクイナの絶滅を防ぐため、野生化した猫を捕獲しています。
もっとも、捕獲した猫は動物愛護団体に引き取られていますので、殺処分にするということではありませんが。
>私の庭には野良猫が粗相をすることがあります
>私は野良猫の境遇に思いをはせるとき、これくらいのこと別にいいじゃん
>近隣には、野良猫を害獣であると断言している人が多くいて
野良猫(飼猫もいるかも)による、庭への排泄やマーキングなどで悩む方はかなりいますね。これは猫の習性・本能なのですし、飼い主が捨てたから野良猫になってしまったわけで、本をただせば人間のせいでもあります。なので、「無学なおじさん」さんのように、「これくらいのこと別に」と思ってくれるといいのですが。
ですが、大事な物に汚されたり、嫌と思う気持ちは生じてしまうことは確かです。
「猫害 対策」と検索すれば、幾つか対策は出てくると思います。ご存知のこととは思います。↓は「楽天市場」での猫よけグッズです。
http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&f=O&g=0&v=3&p=1&e=0&s=0&oid=000&k=0&sitem=%C7%AD%A4%E8%A4%B1+%C7%AD%B7%E2%C2%E0+%C7%AD%C2%E0%BC%A3&x=0
どんな猫害対策を行う場合も、野良猫も命あるものであること、野良猫への虐待・捕獲処分は犯罪であることを忘れずにいてほしいと思います。
>ではまた。
ぜひまた。気軽にコメントして下さい。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

