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「9・11」は、米同時多発テロがあった日です。執行命令は福田康夫首相が辞任を表明した9月1日以降とみられ、あえて9月11日追悼式・鎮魂の日に死刑を執行し命を奪ったのですから、現日本政府にとっては、「9・11」は無関係な他国の出来事・他人事のようです。
1.報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成20年9月11日付夕刊1面(4版)
「3人の死刑を執行 政治空白期 異例の実施
法務省は11日、死刑囚3人について死刑を執行した、と発表した。8月の内閣改造で保岡法相が就任して以来初めて。首相が退任を表明し、後任の自民党総裁の選出が続く「政治的空白期」に異例の死刑執行となった。これで確定死刑囚は102人になる。
法相は記者会見で「法治国家の秩序を守る責任者として粛々と職務を遂行する」と述べ、政治的な情勢と無関係に執行していく姿勢を示した。
鳩山前法相は2カ月に1度という過去にないペースで執行したが、保岡法相も福田改造内閣で就任してから1カ月あまりという短期間で執行した。保岡氏は、森内閣時代にも法相で、00年11月に3人の死刑を執行している。
法務省によると、執行されたのは、万谷義幸(68)、平野勇(61)、山本峰照(68)の3死刑囚。万谷、山本の両死刑囚は大阪拘置所で、平野死刑囚は東京拘置所で執行された。
万谷死刑囚は、強盗殺人罪で無期懲役刑を受け、刑務所から仮出所中の87年から88年にかけて、大阪市内で女子短大生(当時19)ら若い女性3人を次々と襲い、そのうち1人を刺殺した。
山本死刑囚は神戸市東灘区で04年7月、いとこ夫婦を刺殺し、現金や腕時計を奪った。平野死刑囚は94年、栃木県市貝町で牧場経営者夫婦を殺害、金品を奪い、証拠を隠すために夫婦宅に放火した。」
(2) 朝日新聞平成20年9月11日付夕刊13面(4版)
「3人死刑執行 保岡法相「粛々と」 首相退陣は「関係ない」
退陣を表明している福田内閣の保岡法相が11日、死刑を執行した。確定死刑囚が100人を超えるなか、前任の鳩山前法相はペースを従来より速めて在任1年間で13人を執行。午前11時から記者会見を開いて自ら執行を発表した保岡法相は「大臣によっていろいろ執行のあり方が変わるということがあってはならない」と強調した。
会見で保岡法相は、3人の死刑囚の犯罪事実を説明して「誤りなきを確認し、法秩序を守る責任者として執行した」と語った。首相が退陣を表明し、自民党総裁選が行われている中で執行したことについては「粛々と職務を遂行する立場と存じている」「全く関係ありません。純粋に法的な手順に沿って対応している」と淡々と述べた。
刑事訴訟法は、確定から6ヶ月以内に法相が執行を命令するよう定めている。しかし実際は、07年までの10年間に執行された死刑囚は平均して8年間、拘置所に収容されてきた。確定判決から執行までの時期は、万谷義幸死刑囚が約6年8ヶ月、山本峰照死刑囚が約2年5ヶ月、平野勇死刑囚が約1年11ヶ月だった。
鳩山前法相は2ヶ月に1度のペースで死刑を執行。一時は止まっていた執行が93年に再開されて以降、1人の法相のもとでの執行としては長勢元法相の10人を上回り、最多だった。また、6月に執行した連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤元死刑囚は確定から2年4ヶ月で、従来より大幅に短縮された。
今回の執行について、作家の吉岡忍さんは「法相は『粛々』と言うが、それだけでは済まない。更生や贖罪(しょくざい)とはどういうことかを自分の言葉で語り、死刑制度について問題提起をしないといけない。語らないままでは、再発防止につながらない」と批判。「政治のドタバタの時期の執行は、命を軽くしてしまう」と危機感を示した。
また、死刑に詳しい菊田幸一・明治大名誉教授は「ハイペースで死刑執行が続く異常事態だ。保岡氏は就任から約1ヶ月しかたっておらず、死刑囚の記録を十分に精査したとは思えない。増えていく死刑確定囚を機械的に処理して増やさないようにするという行政的な判断が優先されている」と語った。」
(3) 読売新聞平成20年9月11日付夕刊18面(4版)「解説」
「法相交代しても死刑執行の流れ
保岡法相が就任してからわずか1か月で、3人の死刑が執行された。鳩山邦夫・前法相の在任中、2か月に1度の早いペースで死刑執行が繰り返されたが、法相交代後も、法務省が執行を着々と進める姿勢であることが明確になった。
今回執行された平野勇死刑囚は、最高裁で死刑が確定してから約1年11か月での執行。前回、宮崎勤元死刑囚が確定してから約2年4か月での早期執行で注目されたが、これよりもさらに早い執行となった。
また、山本峰照死刑囚の1審は、裁判員制度に向けて裁判迅速化のために導入された「期日間整理手続き」が適用され、わずか2か月で終了。同手続きを経て初めて死刑判決を受けたケースだったうえ、本人が控訴を取り下げたことで死刑が確定した。
保岡法相は、前回法相を務めた2000年にも、5か月間の短い任期で3人の死刑執行を命令。今回の執行を発表した記者会見では、「大臣によって執行の在り方が変わるということは、あってはならない」と述べた。首相の退陣表明が執行時期を早めたのではないかとの質問には、「純粋に法的な手順に沿っており、影響はない」とした。
今年に入っての死刑執行は13人となり、一けた台かゼロで推移した1977年以降では、突出して多い。来年5月に裁判員制度が始まると、迅速な審理で死刑判決に至り、しかも早期に執行されるケースが増えていく可能性がある。 (田中史生)」
今回の執行は、「本年10月には、自由権規約に関する第5回政府報告書が自由権規約委員会によって審査される」にも関わらず行われたものですから「国際社会の死刑廃止の潮流に対し敵対するもの」であって、「死刑をめぐる日本政府のこうした態度は、極めて厳しい追及を受ける」可能性があります(アムネスティ・インターナショナル日本「日本支部声明 : 死刑執行抗議声明」(2008年9月11日))といえます。
イ:1点目。
「鳩山前法相は2カ月に1度という過去にないペースで執行したが、保岡法相も福田改造内閣で就任してから1カ月あまりという短期間で執行した。保岡氏は、森内閣時代にも法相で、00年11月に3人の死刑を執行している。」
保岡氏は就任から約1ヶ月しかたっていません。法務省の側で精査はしているのでしょうが、保岡氏自身はどれほど十分に精査したというのでしょうか。「死刑囚の記録を十分に精査したとは思えない」状況です。
ロ:2点目。
「法務省は11日、死刑囚3人について死刑を執行した、と発表した。8月の内閣改造で保岡法相が就任して以来初めて。首相が退任を表明し、後任の自民党総裁の選出が続く「政治的空白期」に異例の死刑執行となった。これで確定死刑囚は102人になる。
法相は記者会見で「法治国家の秩序を守る責任者として粛々と職務を遂行する」と述べ、政治的な情勢と無関係に執行していく姿勢を示した。」
福田首相はすでに辞任表明をしており、(法律上は首相としての任期は残っているに)ぶら下がり取材も拒否し続けるなど国民へ情報を伝えることを怠り(最近、少し復活したが、福田首相の“主観的”には「拒否していない」とのこと。)、不正転売された汚染米の被害についての調査指示も遅滞するなど、事実上、首相としての役割を放棄してしています。現在、与党議員が盛んに行っているのは、経済対策などそっちのけで、全員で自民党総裁選ごっこを繰り広げているのです。(総裁選ごっこを繰り広げている間に、いつの間にか、日本は、米印原子力協定の承認を協議する原子力供給国グループ(NSG、日本など45カ国)の臨時総会において、核拡散防止条約(NPT)非加盟のインドを輸出規制の「例外扱い」とすることを承認してしまっていた。外務省が勝手に……。)
このように、内閣の機能はほぼ停止しており、「後任の自民党総裁の選出が続く『政治的空白期』」にあるのです。こうした内閣の下において、死刑を執行することには疑問を感じます。作家の吉岡忍さんが述べるように、「政治のドタバタの時期の執行は、命を軽くしてしまう」ように思えるのです。
ハ:3点目。
「刑事訴訟法は、確定から6ヶ月以内に法相が執行を命令するよう定めている。しかし実際は、07年までの10年間に執行された死刑囚は平均して8年間、拘置所に収容されてきた。確定判決から執行までの時期は、万谷義幸死刑囚が約6年8ヶ月、山本峰照死刑囚が約2年5ヶ月、平野勇死刑囚が約1年11ヶ月だった。」(朝日新聞)
「死刑が執行されたのは、万谷死刑囚(大阪拘置所)のほか、ともに強盗殺人罪などが確定した山本峰照死刑囚(68)(同)と平野勇死刑囚(61)(東京拘置所)。死刑確定から執行までの期間は、平野死刑囚が約1年11か月、山本死刑囚が約2年5か月で、過去10年間の平均期間の約8年に比べると短期間での執行。山本死刑囚は殺人罪での初公判からわずか約2年8か月の執行で、これは近年では最速とみられる。(中略)
山本死刑囚は2004年7月、いとこ夫婦に借金を断られ2人を包丁で刺殺し、約5万円を奪うなどした。神戸地裁の公判では、迅速化のため事前に争点を整理する「期日間整理手続き」を適用。06年3月、初公判から約2か月で、死刑判決を言い渡した。弁護側は控訴したが、本人が取り下げ、死刑が確定した。」(読売新聞平成20年9月11日付夕刊1面)
従来の「約8年」という期間は、拘置所の経験に基づく判断で死刑囚が死を迎えるために必要な時間と言われていました。しかし、6月17日の処刑では死刑確定から2〜3年の死刑囚への執行を行い、今回では死刑確定から1〜2年というごく短期間での処刑もなされてしまったのです。このような時間的必要性を無視した対応は、執行の著しい残虐性が表れているように思えます。
また、山本死刑囚の場合、「初公判から約2か月で、死刑判決を言い渡した。弁護側は控訴したが、本人が取り下げ、死刑が確定」しました。1審では「期日間整理手続き」を適用していたとはいえ、控訴審以降は通常の形の裁判が可能だったのですが、本人が控訴を取り下げてしまいました。
本人自身が、控訴審以降の、裁判を受ける権利を放棄しているとはいえ、1審が「期日間整理手続き」を適用したために極めて短期間の審理だったのですから、控訴審以降で、1審での審理の不十分さを補う審判を行うべきだったのです。ですから、公平な裁判(憲法37条)という理念からすれば、本人による控訴取り下げを容易に認めるべきではなかったのですし、結果として、裁判において実質的に充実した防御権を行使できていたのか、事案の真相が解明できたのかどうか(刑事訴訟法1条)、疑問に感じます。
ニ:4点目。
「従来と同様に今回の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然の執行となった。今回の執行でも、執行後に昨年12月の執行以来5回目となる死刑囚の氏名及び罪状の公開が行われた。しかしそれ以外の情報は一切公開されていない。死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていない。」(アムネスティ・インターナショナル日本「日本支部声明 : 死刑執行抗議声明」(2008年9月11日))
いつも同じなのですが、今回の執行も、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然の執行を行っています。これでは、「死刑囚の人権も人格」に配慮したものとはいえません。
死刑囚の人権・人格を抹殺する究極の行為が死刑執行です。いかなる人物であっても基本的人権を尊重するのが現行憲法の在り方なのですから、せめて本人や家族を含めた事前の予告を行うべきであり、それ以前に、死刑と言う刑罰自体が相容れないものというべきです。
2.今回の死刑執行について、被害者遺族と「死刑廃止を推進する議員連盟」などのコメントを引用しておきます。
(1) 朝日新聞平成20年9月11日付夕刊13面(4版)
「「制度ある以上 執行すべきだ」 被害者遺族
平野勇死刑囚に殺害された伏見真之助さん(当時72)・松栄さん(同68)夫妻の長女・渡辺早月さん(60)=埼玉県戸田市=は「思ったよりは早かった。事件から15年ぐらいたつ。父母は残虐な殺され方をしたので死刑の早期執行を望んでいた。しかし、死刑になったからといって、父母はかえってこない。淡々と受け止めている」と話した。
さらに「平野(死刑囚)は前に殺人を犯していたが、死刑にはならず、再び社会に戻ることを許してしまった。父母はそのために犠牲の盾になったと考えている。死刑制度が存在する以上、国は法律に基づいて死刑執行をすべきだ。犯した罪に応じて相応の報いを受けるということを社会に示すことができる」と語った。」
被害者遺族の嘆きは様々であり、誰にもその心情を真に理解できるとはいえなくても、きめ細かい支援や心情へのケアがいまだ不十分です。加害者の死刑を望むしかないような状況から脱却できるような、多くの手立てが必要なように思います。
ただ、殺人罪の法定刑(刑法199条)は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」であって、死刑のみではないため、殺人を犯したとしても、必ず死刑になるわけではありません。社会復帰した後、再び殺人を犯すことになったことは、本人こそが最も責められるべきものとはいえ、刑務所での矯正教育が不十分であって更生できておらず、社会復帰後の生活が困難であることも一因であったといえるのです。
(2) 東京新聞平成20年9月12日付朝刊26面
「「機械的」と抗議 死刑執行受け廃止議連
今年4回目の死刑執行を受けて「死刑廃止を推進する議員連盟」事務局長の保坂展人議員(社民)は11日、衆院議員会館で会見し「今年に入って13人の死刑が執行された。規則的、機械的に2ヶ月に1回、執行が続くことに危機感を持っている」と話した。
保坂氏は来年5月から始まる裁判員制度についても触れ、「裁判員は、数日間で死刑についての判断を迫られることになる。死刑制度を含めて本当にそれで良いのか、国会で審議する必要がある。解散・総選挙の直前という政治空白の瞬間、国会で議論ができない時期を突いて死刑を執行したことに強く抗議したい」と訴えた。
■日弁連も「遺憾」
死刑執行を受け、日弁連の宮崎誠会長は11日、「日弁連は死刑制度の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行うまでの間、執行停止を法務省に再三要請してきた。今回の執行は、そうした議論を一切行うことなく、いたずらに執行を急ぐもので、誠に遺憾だ」との声明を出した。」
「政治的空白期」であり、「国会で議論ができない時期」であっても、規則的・機械的に執行してしまったことは、死刑執行が法務省主導でなされているように思えます。
刑訴法475条1項は、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と規定しています。この刑事訴訟法475条の趣旨は、死刑が人の命を奪う極刑であって、一旦執行されると回復が不可能であることから、その執行手続を特に慎重にするため、法務の最高責任者である法務大臣の命令を要するとしたのです。そうすると、法務省主導のままに規則的・機械的に執行命令を出してしまうことは、わざわざ「法務大臣の命令による」と規定した刑訴法475条の趣旨に反するように思うのです。
裁判員制度の実施が迫ってきていますが、現在の規定のままでは、「裁判員は、数日間で死刑についての判断を迫られる」ことになります。国会において、死刑制度を含めて、その妥当性を議論し始めているのですから、行政の立場とすれば、その国会での決着を待つのが適切な対応というべきだと思えるのです(裁判員制度の実施時期からして何年も待たせるわけではない)。憲法41条は「国会は、国権の最高機関」と定めているのですから。
3.「東アジアを見ても、韓国では10年間、台湾では2年半の間死刑執行は行われておらず、中国でも近年執行数は激減している。さらに米国でも死刑執行は抑制傾向にある。日本が死刑執行を促進していることは、国際社会には異様な状態にあると映っている」((アムネスティ・インターナショナル日本「日本支部声明 : 死刑執行抗議声明」(2008年9月11日))と指摘されています。
(1) こうした異様な状態を取り続けられる背景は、日本の世論の8割が死刑制度維持に賛成しているという、いわば「異常な支持」にあるのですが、その点につき、次のような分析がなされています。
「■日本の死刑に見る「沈黙」の文化と社会的死
死刑を支える文化を考えるとき、日本のそれは米国と対極にあるように思える。ハワイ大学のジョンソン教授(社会学)は、「日本ほどきわめて秘密裏に国家が人を殺している国はない」と言い、世論における死刑支持率の高さを、特に戦後の国家による「密行主義」の加速と、メディアを含めた国民の「沈黙」によるところが大きいと分析している。
これを裏付けるような出来事を、最近、私も体験した。ある講義で一人の学生が、欧州と比較して日本のマスメディアは、残酷な写真や情報を掲載することが少なく、安心して見ることができるので優れていると発言した。私は、死刑を事例にとって疑問を呈した。私たちは、「殺す」刑罰の残酷さを知らないし、知らされてもいない。だからこそ、国際的にみても、犯罪率が低く殺人が少ないことで知られるこの国で、死刑判決や処刑が急増するという矛盾した事態に陥っているのではないか。報道に配慮は必要だが、残酷な状況を伝えないことは、私たちの知る権利を侵害するとも考えられないか、と。同学生は400人余りを前に、躊躇せず、堂々と答えた。
「私は、知りたくありません」
悪ぶるでもなく、あまりに率直な反応に、私は言葉を失った。さらに、同講義のコメント紙のなかにも「知りたくない」という同種の意見が複数見受けられ、困惑した。
しかし、考えてみると、こういった集団的反応こそ、ジョンソンが指摘する、密行行政と沈黙の文化の現われなのだと納得がいった。「知りたくない」というのは「関わりたくない」という意思表示でもある。死刑に関する私たちの沈黙は、最近の犯罪報道における「理解できない」「不可解」といった言説ともつながっているように思う。こういった社会集団的姿勢が、マスメディアの表象(犯罪者を悪魔のように描くことなど)と深く関わっていることが、欧米のメディア研究で明らかになっているが、日本の場合は、それに加えて、死刑に関する沈黙(報道しないこと)が、死刑制度への無関心を維持させているといえるかもしれない。
もう1つ、日本特有としてあげられるのが、社会的抹殺だ。死刑は処刑によって殺すことが刑罰だ。しかし、ジョンソンは、日本の死刑囚は2度殺されると言う。絞首刑で「物理的」に殺す以前に、社会との接点をほぼ完全に断ち、極度な管理と規律によって確定囚を「社会的」に抹殺しているのだと。」(坂上 香 (映画監督・津田塾大学准教授)「ふたつの『死刑』制度――日米の「殺す」文化を考え直す」世界2008年9月号176頁以下)
米国では、「1973年以降120人余りの死刑囚が冤罪で釈放され、冤罪に関する報道も多く、死刑に関する社会調査も豊富」(世界2008年9月号174頁)であって、「日本との比にならないほど公開されている」(世界2008年9月号174頁)のです。
これに対して、日本の世論は、死刑の残虐性を「知りたくない」「関わりたくない」という態度で避けているからこそ、死刑制度存続を支持しているといえるのです。法務省が死刑の刑場を頑なに(メディアに)公開しないなど、「密行主義」により死刑を実施しているのも理由があるわけです。
米国では重大事件の場合は陪審員が何日も拘束されて審理するのに(世界2008年9月号175頁)、日本では裁判員制度が実施されれば、たった3日程度で審理が終了し、市民自ら「殺す」という刑罰を科すかどうかを決定しなければならないのです。死刑の残虐性を「知りたくない」「関わりたくない」というままで。しかし、これはどうにも不合理であるように思えるのです。
(2) 最後に、映画監督で津田塾大学准教授の坂上香さんの論説の最後の部分を引用して、まとめとしておきたいと思います。
「■「殺す」文化をを手放す
つまるところ、死刑や終身刑をどうするかは、私たちの文化そのものを考え直すことだ。「殺す」文化が希望を奪う文化だとしたら、「生き直す」文化とは、失った希望を新に創り出す文化だと思う。ただし、失ったものが、取り返しのつかない命である場合、それはたやすいことではない。
では、私たちは、加害者の死を望む遺族を前にして、何ができるだろう。
明確な答えはない。しかし、彼らに銃やナイフを渡したり、私たちが代わりにそれらを手に取ることではないだろう。「死んで償ってもらうしかない」「加害者と同じ空気を吸いたくない」といった声を受け止めたうえで、「死」にしがみ続けなくてもいい状況を、当事者らと共に、辛抱強く、作っていくしかないのではないか。そのためには、司法のみならず、多分野に亘る長期的かつ柔軟な、きめ細かい支援やケアを考える必要がある。
同時に、加害者に対しては、更生の観点から刑務所や社会の不備を検証し、刑務所内外の対応策の可能性を探らなくてはならない。深刻な犯罪に対して私たちが考え、取り組むべき課題は実に多い。しかし、「死刑」の存在は、それらを見えなくする。
ガーランドは、「文化」は決して不動ではなく、変わりゆくものだと捉える。事実、日本では歴史的に、窃盗から殺人に至るまで、あらゆる犯罪に対して死刑を科し、大量処刑や公開処刑はあたり前だった。しかし、平安時代には、世界に先駆けて、事実上死刑を廃止していた時期がある。近年では、1989年11月からの3年間、執行が行われなかった。言いかえると、欧州諸国が率先して死刑を廃止してきたように、日本も「死刑のない社会」を作ることができるはずだ。
何より、私たちは「殺人」についてまだ何も理解できていない。加害者を殺してしまえば、疑問を解く回路が閉ざされてしまう。なぜ人が人を殺すのか、どうすれば殺さずにすむのか、そして、国家や私たちが、なぜこれほどまでに、「加害者を殺すこと」にしがみつくのか――。
死刑を「しかたない」と諦めるのではなく、私たち自身が「殺す」という選択肢を手放す時期がきていると思う。」(世界2008年9月号180頁以下)
まず無理だろう。
どこの国も軍隊を持っているし、軍隊を持っていなくて警察はある。
殺す文化を捨てるというのであれば、殺す兵器は当然放棄せねばならない。警棒をだめだろう。
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世界は死刑廃止へと向っています。
諸外国の例を見ても死刑は犯罪の抑止にはなりません。
死刑制度の存続に固持し続けたところで、国際社会から残虐で野蛮な国と見られるだけで、日本にとってマイナスになるだけのように思います。
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>>「殺す」文化を手放す
>まず無理だろう。
>どこの国も軍隊を持っているし、軍隊を持っていなくて警察はある。
>殺す文化を捨てるというのであれば、殺す兵器は当然放棄せねばならない。
「殺す」文化というのは、刑罰として死刑制度を認めることを意味します。ですので、考えの方向性がずれています。
>警棒をだめだろう。
警棒は、客観的には傷害行為としての危険性にとどまりますから、結果的に死亡しても傷害致死罪でしょう。通常は、「殺す」ための武器に当たらないでしょうね。
また、警棒を使用する者が警察官ならば、容疑者に対して「殺意」という殺人罪の主観面を満たすことは考え難いです。主観的にも「殺す」という判断は難しいですね。
<9月19日付追記>
「死刑制度とは『文化』である」と指摘しているは、ニューヨーク大学のガーランド教授(社会学)なのです。「処罰とは、犯罪統制の手段であると同時に、その社会特有の価値観や先入観を反映する。死という究極の刑罰である死刑もまた、無意識のうちに私たちの思考回路や生活と深くつなっているが、現代の死刑の特徴は、その象徴性だという」(世界2008年9月号173頁)とのことです。
「死刑制度とは『文化』である」との説明は、ガーランド教授の考えであり、それが普遍性を持つかどうかは別の話です。
>死刑制度の存続に固持し続けたところで、国際社会から残虐で野蛮な国と見られるだけで、日本にとってマイナスになるだけのように思います
エントリーでも触れましたが、本年10月には、自由権規約に関する第5回政府報告書が自由権規約委員会によって審査されます。それなのに、相次いで死刑を執行するのですから、日本は条約遵守をする気がないのか、自由人権規約委員会において諸外国を納得させる説明はできないだろうに、と不思議でなりません。憲法前文で「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と明記していることが、恥ずかしくなります。
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