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1.まずは、報道記事を幾つか。日経新聞の記事は、裁判の論点がうまくまとまっているので、日経新聞のみを紹介しておきます。
(1) 日経新聞平成20年8月20日付夕刊1面
「帝王切開死、産科医に無罪 大野病院事件で福島地裁判決
福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29)が死亡した事件で、福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、手術を執刀し業務上過失致死罪などに問われた産科医、加藤克彦被告(40)に無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。鈴木裁判長は「大量出血の恐れがある癒着胎盤の認識はあったが、胎盤をはがした行為は医学的に問題がない」とミスを否定した。
事件を巡っては、学会などが「標準的医療行為をした医師を警察が逮捕するのは不当」と相次ぎ声明を発表、医師不足が指摘されるなか、特にリスクが高い産科医離れを加速したと非難、注目された。
今回の判決を受け、専門的な医療事故に対する刑事捜査の限界を指摘する声の高まりも予想されるとともに、厚生労働省が臨時国会への提出を目指す「医療版事故調査委員会」設置法案の議論にも影響が出そうだ。
判決によると、加藤被告は04年12月、帝王切開手術で女児を取り出した後、癒着した胎盤を手術用のはさみを使うなどしてはがした。大量出血したため、追加の輸血用血液が届くのを待って子宮を摘出したが、女性は死亡した。
加藤被告が癒着胎盤を予想していたか否かという争点について、鈴木裁判長は「術前は可能性は低いと考えていたが、術中にに手ではがせなくなった段階で癒着胎盤と認識した」と認定。さらに「癒着胎盤をはがすと大量出血するという認識もあった」と予見可能性があったとした。
ただ、はがした行為については、「はがし始めてから癒着胎盤と分かった場合、はがすのを中止して子宮を摘出すべきかどうかは、医学文献などから一義的に判断できない」と認定。「癒着胎盤ならば、中止して子宮を摘出すべきだった」とする検察側主張を退け、被告の医療行為は医師としての注意義務違反ではないと判断した。
判決は、原因が不明な異状死の場合、24時間以内に警察に届け出る義務を課している医師法違反も無罪とした。
県が作成した事故報告書は「術前診断の結果では癒着胎盤を強く疑っておらず、大野病院で手術したことはやむを得ない」としながら、「癒着胎盤の疑いを強く持っていれば、結果として準備血液は不足していた」と指摘していた。」
(2) 日経新聞平成20年8月20日付夕刊19面
「産科医に無罪判決 医療事故 原因究明難しく
福島県大熊町の県立大野病院で2004年に起きた帝王切開手術を巡る医療事故で、福島地裁は20日、執刀した産科医に無罪判決を言い渡した。地域医療で奮闘する医師を逮捕、起訴したことは大きな衝撃を与えたが、刑事捜査で専門的な判断が不可欠な医療事故の原因を究明する難しさが浮き彫りになった。大詰めを迎えている「医療版事故調査委員会」を巡る議論にも波紋を投げかけそうだ。
◆癒着胎盤 予見可能性認める はがす行為、中止義務なし
公判で争点となったのは、業務上過失致死罪などで逮捕、起訴された産科医、加藤克彦被告(40)が<1>術前や術中に癒着胎盤の認識はあったのか(予見可能性)<2>癒着胎盤ならば、はがさないで子宮を摘出するべきだったのか(結果回避義務)――の2点だ。
第二子を妊娠していた女性は04年11月に胎盤が子宮口をふさぐ前置胎盤の疑いで大野病院に入院した。女性は第一子を出産する際も帝王切開手術だった。
判決では予見可能性について「先輩医師や近くの第一子出産の際に手術を担当した医師に癒着胎盤の可能性があると相談したことなどからも、可能性はあると認識していた」としたが、「術前の検査で癒着している可能性は低いと想定していた」と認定した。
ただ、手術中に胎盤をはがせなくなった段階で「臨床的に癒着胎盤であると認識した」と認定、「予見可能性はなかった」という弁護側の主張を退けた。自宅から押収した医学文献などから癒着胎盤をはがすことで大量出血する恐れがあることも認識していると認めた。
そのうえで癒着胎盤を手術用のハサミを使ってはがした行為については、「事前に重い癒着胎盤と分かっていれば、はがさずに子宮ごと摘出すべきだった」としながら、「(今回のように)はがし始めた段階で癒着胎盤であると判明した場合、はがすのを中止して子宮を摘出するか、はがし終わった後に止血をするか(という知見)は確定していない」と判断。
「はがすのを中止しなかった」ことをミスと指摘した検察側の主張を退け、無罪の判決を言い渡した。
警察に24時間以内に届け出をしなかった医師法違反については「女性患者の死亡は、癒着胎盤という疾患を原因とする過失がない診察行為でも避けられなかった結果であり、医師法でいう異状死には当たらない」として、無罪と判断した。」
(3) こうした論理で福島地裁は、産科医の加藤克彦さんに対して無罪判決を下したため、裁判所は弁護側の主張を全面的に認めたようにも思えます。しかし、実は裁判所は、事実関係の大部分については、検察側の主張のまま認定しているのです。ですから、捜査機関側は、つぎのようなコメントをしています。
「公判で議論 意義あった 捜査幹部が強調
大野病院事件の福島地裁判決について、地元の捜査幹部は20日、判決結果に疑問を呈しながらも、公判で議論した意義があった点を強調した。
公判に当たった検察幹部は、判決が女性の死因を大量出血と認定した点を挙げ、「事実関係の大部分は主張が認められた」と話した。ただ、執刀医が取った措置は標準的医療として、過失責任を否定した点には「判決途中までなぜ無罪なのか分からなかった」と感想を述べた。
裁判自体については「医療事故の調査機関設置に向けた動きを加速させた」と振り返った。」(日経新聞平成20年8月21日付朝刊43面)
要するに、この裁判では、業務上過失致死罪につき、<1>術前や術中に癒着胎盤の認識はあったのか(予見可能性)<2>癒着胎盤ならば、はがさないで子宮を摘出するべきだったのか(結果回避義務)――の2点について、事実関係から判断して認められるか否かを争っていたのです。となれば、その事実関係の大部分を認めているのであれば、本来は、「過失あり」となるのが筋です。それなのに、福島地裁は「過失なし」としたのですから、「判決途中までなぜ無罪なのか分からなかった」と述べるのも無理はないのです。
ここまで言えば分かると思いますが、本来は、「過失あり」となる論理だったのに、「過失なし」にしてしまったのですから、(結論の是非は別として)福島地裁判決の論理には無理がありそうだ、と推測できるかと思います。では、判決要旨を紹介します。
(1) 福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨(asahi.comのみ。紙面では未掲載)
「福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨
2008年8月20日14時16分
福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性患者が死亡した事件で、福島地裁が言い渡した無罪判決の理由の要旨は次の通り。
【業務上過失致死】
●死因と行為との因果関係など
鑑定などによると、患者の死因は失血死で、被告の胎盤剥離(はくり)行為と死亡の間には因果関係が認められる。癒着胎盤を無理に剥(は)がすことが、大量出血を引き起こし、母胎死亡の原因となり得ることは、被告が所持していたものを含めた医学書に記載されており、剥離を継続すれば患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった。胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。
●医学的準則と胎盤剥離中止義務について
本件では、癒着胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察官、被告側のいずれからも提示されず、法廷で証言した各医師も言及していない。
証言した医師のうち、C医師のみが検察官の主張と同趣旨の見解を述べている。だが、同医師は腫瘍(しゅよう)が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、鑑定や証言は自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書などの文献に頼ったものであることからすれば、鑑定結果と証言内容を癒着胎盤に関する標準的な医療措置と理解することは相当でない。
他方、D医師、E医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴のみならず、証言内容からもくみとることができ、少なくとも癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際をそのまま表現していると認められる。
そうすると、本件ではD、E両医師の証言などから「剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する」ということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。
検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。
医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。
この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。
また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。
しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。
本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。
【医師法違反】
本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。」
(2) 2008/08/20 18:25 【共同通信】
「大野病院事件判決要旨 福島地裁
福島県立大野病院事件で、産婦人科医加藤克彦被告を無罪とした20日の福島地裁判決の要旨は次の通り。
【出血部位】
胎盤はく離開始後の出血の大部分は、子宮内壁の胎盤はく離部分からの出血と認められる。
はく離中に出血量が増加したと認められる。具体的な出血量は、麻酔記録などから胎盤べん出時の総出血量は2555ミリリットルを超えていないことが、カルテの記載及び助産師の証言などから遅くとも午後3時までに出血量が5000ミリリットルに達したことが認められる。
【因果関係】
鑑定は、死因ははく離時から子宮摘出手術中まで継続した大量出血によりショック状態に陥ったためとしており、死因は出血性ショックによる失血死と認められる。
総出血量の大半が胎盤はく離面からの出血であることからすれば、被告の胎盤はく離行為と死亡には因果関係がある。
【胎盤の癒着】
胎盤は、子宮に胎盤が残存している個所を含む子宮後壁を中心に内子宮口を覆い、子宮前壁に達していた。子宮後壁は相当程度の広さで癒着胎盤があり、少なくとも検察側鑑定で後壁の癒着胎盤と判断した部分から、弁護側鑑定が疑問を呈した部分を除いた部分は癒着していた。
【予見可能性】
手術に至るまでの事実経過に照らすと、被告は手術直前には癒着の可能性は低く、5%に近い数値であるとの認識を持っていたと認められる。
被告は用手はく離中に胎盤と子宮の間に指が入らず、用手はく離が困難な状態に直面した時点で、確定的とまではいえないものの、患者の胎盤が子宮に癒着しているとの認識を持ったと認められる。
癒着胎盤を無理にはがすことが大量出血、ショックを引き起こし、母体死亡の原因となり得ることは被告が所持していたものを含めた医学書に記載されている。従って癒着胎盤と認識した時点においてはく離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、はく離面から大量出血し、ひいては患者の生命に危機が及ぶ恐れがあったことを予見する可能性はあったと解するのが相当である。
【被告の義務】
被告が胎盤が子宮に癒着していることを認識した時点では、ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術などに移行することは可能だった。移行した場合の出血量は相当に少ないであろうということは可能であるから、結果回避可能性があったと解するのが相当である。
検察官は、ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術などに移行することが本件当時の医学的準則で、被告は胎盤はく離を中止する義務があったと主張し、根拠として検察側証人の医師の鑑定を引用する。
弁護人は、用手はく離を開始した後は出血していても胎盤はく離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合に子宮摘出をするのが臨床医学の医療水準だと反論する。
本件では、胎盤はく離を開始後にはく離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察側からも被告側からも示されていない。検察側証人の医師のみが検察官と同じ見解を述べるが、同医師は腫瘍が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しく、主として文献に依拠している。
他方、弁護側証人の医師は臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさがくみ取れ、臨床での癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際を表現していると認められる。
そうすると、弁護側証人の医師の鑑定や証言から、用手はく離を開始した後は、出血をしていても胎盤はく離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血の場合には子宮を摘出することが、臨床上の標準的な医療措置と解するのが相当である。
医師に義務を負わせ、刑罰を科す基準になる医学的準則は、臨床に携わる医師のほとんどがその基準に従っているといえる程度の一般性がなければならない。現場で行われている措置と、一部医学書の内容に食い違いがある場合、容易かつ迅速な治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらし、刑罰が科せられる基準が不明確になるからだ。
検察官は、一部の医学書と検察側証人の鑑定による立証のみで、それを根拠付ける症例を何ら提示していない。
検察官が主張するような、癒着胎盤と認識した以上ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術に移行することが当時の医学的準則だったと認めることはできない。被告が胎盤はく離を中止する義務があったと認めることもできず、注意義務違反にはならない。起訴事実は、その証明がない。
【医師法違反】
医師法21条にいう異状とは、法医学的に見て普通と異なる状態で死亡していると認められる状態にあることで、治療中の疾病で死亡した場合は異状の要件を欠く。本件は癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為によっても避けられなかった結果であり、異状がある場合に該当するとは言えない。起訴事実は証明がない。
2008/08/20 18:25 【共同通信】」
(3) この判決の結論の妥当性はともかく、問題点を幾つか挙げておきます。問題点が重大であるほど、検察側は控訴する可能性が高くなるからです。
イ:1点目。非論理的であるという点です。
「胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。(中略)
検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。(中略)
本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。」(asahi.com)
「被告が胎盤が子宮に癒着していることを認識した時点では、ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術などに移行することは可能だった。移行した場合の出血量は相当に少ないであろうということは可能であるから、結果回避可能性があったと解するのが相当である。
検察官は、ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術などに移行することが本件当時の医学的準則で、被告は胎盤はく離を中止する義務があったと主張し、根拠として検察側証人の医師の鑑定を引用する。(中略)
検察官が主張するような、癒着胎盤と認識した以上ただちに胎盤はく離を中止し子宮摘出手術に移行することが当時の医学的準則だったと認めることはできない。被告が胎盤はく離を中止する義務があったと認めることもできず、注意義務違反にはならない。」(共同通信)
要するに、結果回避可能性があったが、回避措置をしていなくても結果回避義務違反はないという論理です。しかし、このように「回避可能性」と「回避義務」を別個独立に判断すること(「回避可能性・回避義務」分離論)は、妥当なのでしょうか?
「回避可能性」があるということは、行為者に無理なく、回避措置を求めることが可能ということであって、だからこそ、当然に、行為者に「回避義務」が発生するのです。ですから、 「福島県立大野病院事件(上):福島地裁平成20年8月20日判決は、「結果回避義務違反なし」として産科医に無罪判決」(2008/08/21 [Thu] 23:59:41)で触れたように、「回避可能性があれば結果回避義務があるのは当然である」と理解されているのです。
「「このように、過失すなわち「注意義務」違反とは、結果の予見可能性があり、結果回避行為が可能であるのに結果を予見せず、または、予見しても適切な結果行為を行わずに結果を発生させたことであるといえよう。そして、予見可能性があれば予見義務があるのは当然であり、回避可能性があれば結果回避義務があるのは当然であるから、結局、過失とは結果の予見可能性があるのに結果回避行為をとらなかったことを意味することになる。それは、事故が起きたとき、何をすればこの結果は回避できたか(結果回避行為)、そのような結果回避措置を当時の具体的状況のもとで行為者に要求できたか(予見可能性)という常識的判断過程に対応するものといえよう。」(西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)239頁)
ところが、福島地裁は、回避可能性があるとしているのに、回避措置をしなくても結果回避義務違反を否定しているのですから、過失犯の「注意義務」論に関して非論理的な判示をしているのです。論理的には、<a「回避可能性がなく、結果回避義務違反もない」とするか、<b>「回避可能性があり、結果回避義務違反もあった」のどちらかの論理を取るべきでした。福島地裁はどちらの論理も採用しなかったのですし、結論を左右する論理展開ですから、検察側としては(おそらく、高裁、最高裁も)、この論理(「回避可能性・回避義務」分離論)は、受け入れがたいものと思われます。
ロ:2点目。医師法21条の解釈につき、最高裁判決と不整合である点です。
「【医師法違反】
本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。」(asahi.com)
「【医師法違反】
医師法21条にいう異状とは、法医学的に見て普通と異なる状態で死亡していると認められる状態にあることで、治療中の疾病で死亡した場合は異状の要件を欠く。本件は癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為によっても避けられなかった結果であり、異状がある場合に該当するとは言えない。起訴事実は証明がない。」(共同通信)
(イ) 医師法21条は、「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。」と規定してます。この医師法21条の解釈については、1999(平成11)年に起きた東京都立広尾病院の医療ミス事件の裁判に関する最高裁平成16年04月13日判決が出ていますので、下級審はこの最高裁の判断に従わなければなりません。
最高裁平成16年04月13日判決の判決要旨は次のようなものです。
「1 医師法21条にいう死体の「検案」とは,医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することをいい,当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かを問わない。
2 死体を検案して異状を認めた医師は,自己がその死因等につき診療行為における業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも,医師法21条の届出義務を負うとすることは,憲法38条1項に違反しない。」
そして、この医師法21条による「届出義務」の前提である「異状」性は、一般に、法医学的な意味での異状性をいうと解されているので、犯罪の被害による死亡であることが疑われる場合は、正に「異状」性が認められることになります(最高裁判所判例解説・刑事篇(平成16年度)199頁)。
要するに、最高裁平成16年04月13日判決によると、医師法21条は、診断中の患者が死亡した場合にも届出義務を負い、自己が医療過誤として「業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも」、届出義務を負うとしているのです。届出義務の範囲が広範囲である点については、「医療の透明性の確保と医療安全の向上のためには、届出の基準はわかりやすく、その範囲は広いほうが望ましい」(出河雅彦「紛争解決と再発防止に資する医療事故調査の課題」判例タイムズ1271号(2008年8月15日号)64頁、岩瀬博太郎「日本の死因究明制度が異状死届出に及ぼした影響―法医学の観点から―」判例タイムズ1238号(2007年7月1日号)15頁も同旨。)という理由を挙げることができます。
1994(平成6)に日本法医学会が「異状死ガイドライン」をまとめ、その中で診療行為に関連した死亡については「注射・麻酔・手術・検査・分娩などあらゆる診療行為中、または診療行為の比較的直後における予期しない死亡」について届出が必要としており、「過誤や過失の有無を問わない」との断り書きもあったのです。ですから、「04年に出た最高裁判決が結果的にガイドラインを認めた」と理解することができるのです(田辺功『ドキュメント医療危機』(朝日新聞社、2007年)84頁)。最高裁からすれば、「医療界側が自発的に提示した『異状死ガイドライン』に従ったのだから、医療界側は文句を言えるはずがない」と言いたいところでしょう。
ところが、現在、医師法21条については、医療界側からの批判が強く、改正論議もなされています。しかし、先進国でも同様の規定があることを考えれば、比較法的に言って一概に不合理とは言えません。
「米国では、医師に医療事故関連のものも含めて異状死を監察医(捜査権限がある。)に報告する義務を課している州もあるが、そもそも同国では、基本的に医療過誤が刑事事件として扱われることがないため、自己不在拒否特権との関係が問題になることはないようである。
なお、医療過誤が刑事事件になることがあるドイツでは、ほとんどの州において医師に不自然死(医療事故によるものも基本的には除かれない。)についての警察への届出義務を課しているが、この届出義務に罰則を付けるかどうか、また、当該医師が刑事責任を問われるおそれがある場合の例外規定をもうけるかは州によって異なっているようである。」(最高裁判所判例解説・刑事篇(平成16年度)221頁)
この最高裁平成16年04月13日判決の法解釈からすれば、今回の事件の場合、医療過誤のおそれはあったといえるのですから(福島地裁も、予見可能性と回避可能性はあったとしているくらいです)、まず、医師法21条の「届出」が必要だったと判断できるかと思います。
ところが、福島地裁判決は、「治療中の疾病で死亡した場合は異状の要件を欠く」として、治療中の患者の死亡を除外しており、また、「本件は癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為によっても避けられなかった結果であり、異状がある場合に該当するとは言えない」として、医療過誤のおそれがある場合をも除外しているのです。これでは、先に述べた最高裁平成16年04月13日判決による医師法21条の解釈を明らかに限定しており、不整合になってしまっています。仮に、福島地裁の解釈が妥当だとしても、最高裁の法解釈と不整合となっている判断を座視することは問題である、といわざるを得ません。
(ロ) また、刑罰は行為規範の性質を有するのですから、「届出義務」があるか否かの判断は、その行為当時に判明する事実を基礎にしなければなりません。ところが、福島地裁判決は、「過失なき診療行為によっても避けられなかった結果」という事後的に過失がなかったと判明した場合に、「異状がある場合に該当するとは言えない」としており、事後的な事情で以って「異状に該当しない」としており、行為規範性に反する基準を示しているのです。
確かに、結果的に過失がなかった場合には、処罰に値しないという判断も可能です。しかし、過失の有無は、事後的・裁判時に判断できるものであって、届出時たる行為時において、過失の有無を正確に判断するのは困難です。また、福島地裁判決によれば、過失がなかったと軽信して届出をしなかった場合、仮に過失の事実があったときにも届出義務の故意を欠いて責任を阻却することになりかねませんが、それは妥当なものとはいえません。
ハ:3点目。注意義務違反の程度及び立証の程度を限定した点です。
「医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。
この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。
また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。
しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。」
要するに、福島地裁は、注意義務違反の程度について、「刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない」としています。
一般論としては、医師に診療上の過失(注意義務違反)があったか否かについては、判例上、次のように考えられています。
「医療関係者は、人の生命および健康を管理すべき業務(医業)の性質に照らして危険防止のために実験上必要とされる最善の注意を求められる(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)が、ここでいう最善の注意の内容は、実施された処置が治療時のいわゆる臨床医学の医療水準に照らして適当であたか否かである(最判昭和57年3月30日判時1039号66頁)。
医療水準は、問題となっている治療法を実施することが医師に義務づけられるかという問題である。これについては、治療にあたった医師が当該領域を専門とする医師であるかどうか、医療機関の環境的・地理的要因なども考慮に入れつつ、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸事情から個別に判断されることになる(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)。地域の基幹病院と位置づけられる診療機関は、高度な医療行為を提供する義務があり、逆に、小さな診療所などは、そこでなしうることを見極め、早めに患者を転送することが医師の義務とされる(最判平成9年2月25日民集51巻2号502頁、最判平成15年11月11日民集57巻10号1466頁)。
何らかの理由により医療水準に従った医療行為をなしえない医療機関は、患者を実施可能な医療機関に転送することが義務づけられる(転送義務)。
このように、医療機関の規模・性質に応じた治療義務の段階的な構造は、先進医療が一般的に、高度研究医療機関――基幹的医療機関――一般的な診療機関という順で定着していくという仮説に立脚しているが、これは基本的に厚生労働省の政策である医療機関の役割分担の推進とも一致している。」手島豊『医事法入門(第2版)』(有斐閣アルマ、2008年)(163頁)
要するに、判例(及び通説)は「過失」の判断基準については、医療水準論を採用しているわけです。こうした医療水準論は、多くは民事事件での判例ですが、刑事事件での「過失」の判断基準でも区別することなく使用されているのが現状です(大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法(第2版)第11巻』(青林書院、2002年)97頁参照)。
ところが、福島地裁判決の場合、「ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない」としており、すでに確立している「過失」の判断基準を限定しているように思えます。特に、福島地裁は、「刑罰を科する基準となり得る医学的準則」としており、民事上の過失よりも、刑事上の過失のほうを厳格にする意図であることが明らかです。確かに、「刑事上の過失は民事の過失よりも厳格である」との主張もありますから、福島地裁判決は、そうした主張を採用したのだと思えます。(おそらく、「刑事上の過失と民事上の過失が異なる」ことを明示した、初めての裁判例だと思われます。)
しかし、刑事の証明基準が民事のよりも高度である(例えば、民事では過失と結果との因果関係が認められても、刑事では認めることが困難なことが多い)ことは確かですが、「刑事上の過失は民事の過失よりも厳格である」ことを明確に認めた判例は見当たらないのです(佐伯仁志「医療安全に関する刑事司法の現状」ジュリスト1323号(2006年11月15日号)28頁)。また、福島地裁によると、すでに確立している「過失」の判断基準について、刑事事件では変更することを意図しているわけですが、その変更する根拠、どこまで基準を変更するのか、民事での最高裁判断と矛盾することもまた不整合といえるのではないか、など多くの疑問があります。
次に、立証の程度についても疑問があります。すなわち、福島地裁は、立証の程度につき、「検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠」だとしています。
刑事事件では、無罪推定の原則より、挙証責任を負っているのは検察官であり、「相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠」だとして、立証の負担を重くするのは妥当な態度とはいえます。しかし、「より適切な方法が他にあることを立証しなければならず」という点まではどうなのでしょうか。
過失(注意義務)の有無は、事故が起きたとき、何をすればこの結果は回避できたか(結果回避行為)、そのような結果回避措置を当時の具体的状況のもとで行為者に要求できたか(予見可能性)を問題としているのであって(西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)239頁)、回避可能性とは別個に、「より適切な方法が他にあることを立証しなければ」ならないことまで要求してはいないように思えるのです。
現に、検察側は、結果回避可能性について、立証を行い、福島地裁も、「胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当」だと認めているのですから、十分に立証を尽くしているはずなのです。このように、福島地裁が示した立証の程度は、捜査機関にとって今後の捜査・起訴に支障をきたしてしまうように思えます。
ニ:福島地裁には、このような問題点がある以上、検察側としては控訴する理由が十分にあるといえます。もし、控訴しなければ、医師法21条違反になるか否かにつき、最高裁判決と福島地裁判決のどちらで判断していくのか、捜査機関だけでなく医師側としても判断不能になってしまいますから、控訴しなければならない、とさえ言えるかもしれません。(もし、控訴する場合には、日本の医療界は非協力的ですから、検察側は、海外の症例・海外の医師に証言を求めることになるでしょう。そうなると、公判において、海外と日本の医療水準の違いが明らかになってくる可能性があります。)
3.新聞紙面での判例解説を幾つか紹介しておきます。社説と異なり、記者の解説は、福島地裁判決に対して好意的であるとは言えません。論調に応じて、二分しておくことにします。
(1) 医師と患者・遺族の対立構造を解消する仕組みづくりを目指すべきとするもの。
イ:朝日新聞平成20年8月20日付夕刊1面「解説」
「医療行為 評価に課題
医療の中で「やってはいけないこと」や「やったほうがよいこと」は、過去の治療経験や臨床試験から導き出される。だが、データ不足や患者を二分して異なる治療法の効果を比べる試験が難しい分野があり、医師の裁量に委ねられることは少なくない。
大野病院事件の争点となった、胎盤をはがすという手術中の行為は、こうした「グレーゾーン」に入る問題と言える。このため、公判での検察、弁護側双方の証人の主張は真っ向から対立。判決は、産科治療の専門家である弁護側証人の意見を重く見た。
ただ、大野病院事件は、医療側の最初の事故評価が捜査に着手させたことも事実だ。福島県の事故調査委員会は「剥離(はくり)困難の時点で剥離をやめ、子宮摘出にただちに進むべきだった」と報告書で判断の誤りを指摘した。だが、裁判所は、子宮摘出への移行の可能性を示しつつも、「剥離を継続することが今の標準的な医療だ」と認定した。
大野病院事件を機に、医療事故の原因を調べる「医療版事故調査委員会」創設に向けた検討が本格化した。医学的に当を得ない事故評価や鑑定に基づく刑事介入をなくしたい、という思いが事故調推進派にはある。その一方で、第三者機関が医療事故の調査を行い、「重大な過失」は警察に通知するという厚生労働省案に対して、「警察通知の範囲があいまいで受け入れられない」との反対論も根強い。
医療版事故調がどのような形でまとまるにせよ、医療行為の評価には透明性と専門性の確保が欠かせないことを今回の事件は示している。 (編集委員・出河雅彦)」
ロ:日経新聞平成20年8月20日付夕刊1面「解説」
「医療事故解明 仕組みづくり急務
医師が業務上過失致死罪に問われた事件で、大野病院の事件ほど医師が衝撃を受けた例はない。患者が死亡した2004年から、産科医が逮捕された06年にかけては、医師不足が顕在化し、医療現場の閉塞(へいそく)感が急速に強まった時期だったからだ。
福祉地裁の無罪判決は医師側の反発を背景に「現場の判断ミス」の立証に高いハードルを課したといえる。ただカルテ改ざんなどで原因究明をうやむやにしたり再発防止の取り組みを怠ってきたりしたことが司法の介入を招いたのも事実。医療側自らが厳しい姿勢で真相を解明する仕組みづくりが求められる。
04年4月に新臨床研修がスタートし、医学部卒業生がほぼ自動的に大学医局に所属する制度が一変、06年4月に2年間の研修を終えた一期生の多くは医局を素通りした。医局離れは産婦人科などで顕著で、急速な人手不足に陥った。
産科医はこうした展望の見えない医療現場にいた。しかも実質的に地域の産婦人科医療を一手に引き受け、休む間もない「一人医長」だった。首都圏の30代の女性産婦人科医によると逮捕後、同期の産婦人科医が次々と現場から離れたという。
一方、肉親を亡くした側からすれば「真相が分からず悔しい」との思いは容易に解消されない。医療版事故調査委員会の議論は、医師の一部に医療行為への業務上過失罪の不適用を求める声があり、まとまらない。
事件を教訓に、医療現場の労働環境の改善や医師と患者・遺族の対立構造を解消する方向に持っていけるかどうか。医師側、患者側双方の知恵が問われている。」
ハ:毎日新聞平成20年8月20日付夕刊1面
「「医療の責任追及」に影響
地方の産科という医師不足が最も著しい現場で起きた大野病院事件は、「医療崩壊」の象徴として、医療界からかつてない注目を集めてきた。福島地裁は、争点になった胎盤はく離継続の判断に過失はなかったと結論付けたが、リスクを抱えた手術に取り組む多くの医師にとっては、逮捕、起訴自体が衝撃的だった。今回の無罪で警察・検察の捜査への批判も強まるとみられ、医療事故の真相解明と責任追及の在り方を巡る議論に大きな影響を与えそうだ。
産科医が減り続けている原因は、勤務の過酷さに加え、訴訟リスクの高さにあると言われる。大野病院には加藤医師以外の産科医がおらず、しかも事件になったのは非常にまれな症例だ。医師側が「通常の医療行為で患者が死亡しても刑事責任を問われるなら、医療は成り立たない」と危機感を持ったのは当然とも言える。一方、患者としては、病院側の対応に納得がいかなければ、真相解明を司法に頼るしかない。「代替手段がない以上、医療事故に捜査当局の介入も必要だ」と被害者側は訴え、当局もそれに応えざるを得ない。
医療行為の責任追及については、警察・検察内部にも「本来は専門家が判断すべきだ」との声がある。国は事件を契機に、医療の専門家を中心とした死因究明の第三者機関「医療安全調査委員会」の設置をめぐる議論を進めた。刑事訴追が医療の萎縮(いしゅく)や医師不足を招くのは、医師と患者双方にとって不幸だ。互いが納得できる制度の整備が急がれる。【清水健二、松本惇】」
(2) 医療行為不処罰を認めたものではないなど、医療側に冷静さを求めるもの。
イ:読売新聞平成20年8月20日付夕刊1面「解説」
「逮捕の衝撃 産科医離れ
無罪判決を受け、日本産婦人科学会が歓迎する声明を出すなど、医療界は安堵(あんど)している。
執刀医逮捕は、医療界に衝撃を与えた。読売新聞が2007年秋に行った調査では、06年4月以降に出産の取り扱いを休止した病院は全国で少なくとも127か所に上り、1年半で約1割減った。リスクの高い患者が、拠点病院に紹介される傾向も強まった。
判決は、医療にリスクが伴うことを強調。医師の過失を問うには「より適切な方法が他にあることを具体的に立証しなければならない」と高いハードルを課した。とは言え、「医療行為による事故で刑事責任を問うべきではない」とする<医師側の論理>にお墨付きを与えたわけではない。
遺族は病院側の説明に不信感を募らせている。公判では、助産婦が被告に態勢の整った病院で手術するよう勧めたり、先輩医師が手術の危険性を指摘したりした事実が明らかになった。
医療界は患者の声に耳を傾け、より安全・安心な医療の確立に向け、冷静な議論をする必要がある。(福島支局 藤原健作)」
ロ:河北新報2008年08月21日木曜日【解説】
「◎医療事件立証難しさ露呈
【解説】大野病院事件で加藤克彦被告(40)を無罪とした20日の福島地裁判決は、弁護側主張に全面的に沿ったものではなく、検察側立証の不十分さを指摘した内容だ。医学界の協力がない中では、高度な専門性が問われる医療事件の立証の困難さが浮き彫りになった。
最大の争点だった胎盤剥離(はくり)継続の判断について、判決は「直ちに子宮摘出に移るべきだった」との検察側主張を「一部の医学書と検察側鑑定による立証のみで、臨床症例は何ら示していない」と否定した。
立件への反対を明確に表明した医学界の後押しもあり、弁護側は周産期や病理の権威と目される研究者を次々と証人に立てて反証した。
一方で検察側は周産期の専門家を証人に立てられず、十分な立証ができなかった。象徴的なのが、剥離でのクーパー(医療用はさみ)使用の是非だ。冒頭陳述では過失の柱だったが、捜査段階で使用に否定的だった検察側証人が公判で証言を翻し、検察側は結局、論告で過失から外した。
主張に沿う鑑定や証人を十分に集められなかった検察側は立証不足と批判を受けるが、立件に反発して高い壁を築いた医学界はどうだったか。
捜査段階で福島県警は周産期学会の幹部に鑑定を依頼したが、多忙を理由に断られた。この幹部は公判で弁護側証人として出廷し、「診断は慎重で間違いはない」と証言した。もし捜査段階で同様の鑑定があれば立件されなかった可能性もある。医師擁護で結束した医学界だが、無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要だったのではないか。
事件化で加藤被告1人が責任を背負ったが、背景には産婦人科医が大幅に不足する厳しい現実がある。インターネット上で見られた医師の反応は「有罪ならば、産婦人科医のなり手がいなくなる」と検察批判に向いたが、地域の周産期医療が抱える問題を置き去りしてきたことこそが、疲弊しながらも最前線で診療に当たる医師の反発を招いたとも言える。(福島総局・熊谷吉信)
2008年08月21日木曜日」
4.識者の見解も幾つか引用しておきます。
(1) 医事法学者及び弁護士の立場から。
イ:日経新聞平成20年8月20日付夕刊18面「識者の見方」
「◆医療界むしろ大きな責任を負う
樋口範雄・東大教授(医事法)の話 問題の根底は医療事故という悲劇を日本の社会が犯罪か否かでしか取り扱えない現状にあるはずだ。医師と遺族、医療界と司法が対立するのではなく、協調して真相究明と再発防止に取り組む仕組みが必要だという認識を再確認するきっかけになればよい。
過失の立証が不十分とした判決は検察に厳しい内容だが、医療界にとっては勝利ではなく、むしろ大きな責任を負ったといえる。医療版事故調査委員会の議論の行方に注目したい。」
ロ:日経新聞平成20年8月21日付朝刊43面
「「医療界全体で反省し教訓に」
医療訴訟に詳しい鈴木利広弁護士は今回の事件について、「発生直後に医療事故を報告し、調査する制度があれば、もっと詳しい分析ができたはずだ」と指摘する。届け出があれば、警察が検察に対する供述に頼らず、正式に解剖して、発生直後の状況に基づいた判断を下せたからだ。
今回の捜査のきっかけとなった県の事故報告書は「結果として準備血液は不足していた」と指摘したが、事実関係の調査体制は十分でなかった。鈴木弁護士は「発生時から医療界がもっと全面的に協力すべきだった」として、医療事故調の必要性を痛感。「今回の事件を警察、検察の捜査ミスにするのではなく、中立的な分析を拒んできた医療界全体の問題として反省し、教訓にしてほしい」と求めている。」
ハ:毎日新聞平成20年8月21日付朝刊3面「クローズアップ2008」
「◇再発防止へ綿密な検証を−−加藤良夫・南山大法科大学院教授(医事法)の話
医療事故で刑事責任が問われることに医療界に不安や反発の声があり、その中で冷静で率直な同僚間の評価(ピアレビュー)は期待しにくい。しかし、再発防止のための教訓はあるはずで、司法手続きが確定した後、しっかり検証作業をしてみるべきではないか。また、無罪判決が出たからといって産科医療の未来が明るくなったわけではない。国は産科医等が安全で質の高い医療を提供できる環境を早急に整備すべきだ。」
ニ:読売新聞平成20年8月20日付夕刊15面
「◆予測された判決
甲斐克則・早稲田大法科大学院教授(刑法、医事法)の話 「予測された判決。医療事故で刑事責任を問うには重大な過失がなければならないが、癒着胎盤は発症の可能性が極めて低く、一人の医師がその場で対応を判断するのは難しい。今回の判決により、医師が治療現場で委縮せずに自己の責任で判断できるようになるのではないか」
◆第三者機関必要
「医療問題弁護団」代表鈴木利広弁護士の話 「事実認定で専門家の意見が対立し、無罪判決が予想された。物証が乏しいため、警察は逮捕して供述を得ようと思ったのだろう。一方で、医療界が協力しなかったため、捜査当局が情報を得られなった可能性もある。第三者機関を作り、専門医も真相究明に協力することで、事実を巡る争いはなくなるだろう」」
概ね妥当ですが、1点だけ言及しておきます。甲斐克則・早稲田大法科大学院教授は、「医療事故で刑事責任を問うには重大な過失がなければならない」と述べています。刑事責任の謙抑性という観点から業務上の過失を「重大な過失」に限定する見解です。しかし、刑法211条は「業務」と「重過失」を分けている以上、こうした限定は解釈論を超えており、単なる立法論です。こうした独自の立場から、「予測された判決」と述べても全く無意味です。
(2) 医師の立場から。
イ:毎日新聞平成20年8月21日付朝刊3面「クローズアップ2008」
「◇第三者機関が専門的調査を−−岡井崇・昭和大教授、日本産科婦人科学会常務理事の話
非常に悲しい事件で、遺族の思いは察するに余りある。しかし実地の医療の難しさを理解できない警察、検察がこの問題を調べたことは問題だった。亡くならずに済む方法はなかったのかという遺族の疑問は、専門家中心の第三者機関でなければ晴らすことはできない。ネット上では一部の医師が遺族の方を中傷する心ない発言をした。誤った行為であり、学会を含め多くの医師の見解ではない。」
ロ:読売新聞平成20年8月20日付夕刊15面
「◆民事で争うべき
産科を巡る訴訟に詳しい産婦人科医の我妻尭(たかし)さんの話 「今回の事件は医師が逮捕されたから全国的に大騒ぎになったが、もともと刑事責任を問うのはなじまない。医師の責任は民事訴訟で争われるべきだ。無罪判決は医師の立場としては良かったと思うが、遺族側は納得できないのではないか」」
ハ:毎日新聞平成20年8月21日付東京朝刊27面
「◇専門家の手で究明−−日本医師会の木下勝之常任理事の話
妥当な判決で、医療事故の原因究明は専門家で行うべきだ。今後も同じように不幸な事件が起きてもおかしくない。厚生労働省による第三者機関「医療安全調査委員会」の設置を支援していきたい。患者と真摯(しんし)に向き合い、溝を埋める努力をしていく。」
岡井崇・日本産科婦人科学会常務理事は、「ネット上では一部の医師が遺族の方を中傷する心ない発言をした。誤った行為であり、学会を含め多くの医師の見解ではない。」と述べています。この発言は良心的で常識的な医師がいると安心すると同時に、日本産科婦人科学会の声明として出して欲しいと思います。
産婦人科医の我妻尭(たかし)さんは、「もともと刑事責任を問うのはなじまない。医師の責任は民事訴訟で争われるべきだ」と述べています。一般的には裁量の幅が広い医療行為については、基本的に刑事責任を問うことは困難であるとはいえ、「なじまない」というのは法律的には説明困難です。現状のまま刑事責任をまったく認めないとしてしまえば、今後は、「民事訴訟」が増大し、医師と患者の対立が熾烈化することになりますが、それでもいいのでしょうか。
(3) 患者遺族の立場から。
イ:日経新聞平成20年8月20日付夕刊18面「識者の見方」
「◆県・病院の対応 不信感強めた
勝村久司・中央社会保険医療協議会委員の話 産科医がバラバラに一人ずつ置かれる状況は問題があると言われながら、医療界は医師が逮捕されるまで本気で改善しようとしてこなかった。事故後の福島県や病院の対応は真相を知りたいという遺族の思いに応えるものではなく不信感を強めた。
医療界は「無罪で良かった」ではなく、事故から学び、事故を起こさない体制づくりの真摯(しんし)な取り組みが求められる。」
ロ:読売新聞平成20年8月20日付夕刊15面
「◆教訓受け止めて
「医療過誤原告の会」会長で、二女を医療過誤で亡くした宮脇正和さん(58)の話 「被害者側が医師に望むのは事実の公表で、その教訓が安全対策につながる。今回の裁判は医療への捜査当局の関与に注目が集まってしまい、無罪判決によって医療界が教訓を謙虚に受け止められなくなるのではないかと心配している。国が設置を目指している医療安全調査委員会(仮称)による原因究明が望ましい」」
ハ:毎日新聞2008年8月21日地方版(福島)
「◇「医療体質の問題隠れてしまった」−−出産時に次女亡くした幕田さん
出産時の医療ミスが原因で次女を亡くしたとして、県立医大付属病院を相手に損害賠償請求訴訟を起こしている福島市の幕田智広さん(42)は「逮捕によって医療界の反発が起き、医療の体質の問題が隠れてしまった。癒着胎盤ばかり焦点が当たったが、別の医師からのアドバイスなど、悲惨な結果を回避する機会はあったはず。医療界は専門性をかさに責任免れしているように見える」と話した。その上で、「無罪の結果だけをとらえず、死に至ったプロセスを今後の医療に反映してほしい。医療が萎縮したといわれるが、医師は患者の生命を保証するプロ。逮捕よりもまず、知識と技能不足で患者を死なせることを恐れるべきだ」と語った。【今井美津子】」
ニ:毎日新聞平成20年8月21日付東京朝刊27面
「◇適切医療と言えず−−産科医療裁判の経験がある中央社会保険医療協議会の勝村久司委員の話
加藤医師は減給1カ月処分も受けており、刑事責任は別にしても医療行為が適切だったとは言えない。県が事故調査報告を作成する際に遺族から聞き取りをしないなど、遺族対応も不十分だった。今回の事故を全面的に正当化してしまうと、重大な事故隠しなどにつながりかねず、関係者は反省すべき点は反省してほしい。」
勝村久司さんの肩書きは、日経新聞でも毎日新聞でも、「中央社会保険医療協議会委員」となっています。この肩書きで表記したことで、「また、毎日新聞は誤魔化している」などと中傷している方がいました(モトケンさんのブログでのコメント欄参照)。そうすると、日経新聞に対しても「誤魔化している」と非難するのでしょうか。ネットでの毎日新聞への根拠の乏しい中傷には呆れます。
「医療過誤原告の会」会長の宮脇正和さんは、「今回の裁判は医療への捜査当局の関与に注目が集まってしまい、無罪判決によって医療界が教訓を謙虚に受け止められなくなるのではないか」と述べています。医療過誤が起きないための方策、いかに患者との対立を緩和するかとう方向への動きをするのか、注目する必要があります。まずは、患者に対する犯罪ともいえるような言動を慎むことから、始めてほしいものです。そうした言動は、より医師と患者の対立を激化させてしまうのですから。
5.大野病院事件前から主張されていた意見ですが、この福島地裁判決後、さらに「医療過誤に対して刑事責任の追及を否定すべきである」との意見が多く出るものと予想されます。
(1) そこで、「医療過誤に対する刑事責任の追及はやめるべきか?」について、触れておくことにします。
「医療過誤に対する刑事責任の追及はやめるべきか
……医療過誤に対する刑事責任の追及は不当であり、やめるべきでる、という声が、医療関係者の中で増えてきているように思えわれるので、よく挙げられている論拠を紹介しながら、筆者の考えを述べたいと思う。
医療過誤に対する刑事責任の追及に否定的な理由として、まず、第1に、医療関係者の処罰は、医療事故の防止に効果がない、という意見がある。確かに、医療事故の再発防止のために、刑事責任の追及が果たす役割は、2次的なものであって、過大視すべきではない。しかし、事故防止のために刑法がどのような役割を果たすべきか、という問題は、医療過誤に限らず過失犯一般に問題になることであって、過失犯処罰は事故防止に役立たないから過失犯一般を廃止すべきだ、と主張するのであればともかく、医療事故の分野に限って処罰が有効でないから、刑事責任の追及をやめるべきだと主張しても、なぜ医療事故の分野が他の分野と比べて特別なのかが説明されなければ、説得力がないように思われる。
第2に、医療過誤に対して刑事責任を追及すると、医師が危険な治療を避けるようになり、萎縮医療に陥る、という意見もある。しかし、当然のことながら、危険の大きい手術を行った結果患者が死亡したからといって直ちに刑事責任が肯定されるわけではない。それが必要な医療行為であって、医療の基準に合致した適切なものであれば、正当な医療行為として違法性が阻却されるはずである。また、実際上も、訴追されている事例のほとんどは医療関係者による単純ミスの事例であり、医療の萎縮につながるような事例、すなわち、リスクの高い治療に取り組んだがために医師が刑事責任を追及された、という事例が、どれだけあるか不明である。患者の取違えや薬の量の間違えについて刑事責任を追及したからといって、萎縮医療につながるとはいえないであろう。
仮に萎縮医療につながるおそれのある不適切な訴追事例があったとしても、その具体的事例について訴追の当否が論じられるべきであって、1つの事例に関する刑事訴追が妥当でないからといって、医療過誤に対する刑事責任の追及全体が適当でないということにはならない。
第3に、個人責任を追及する刑事処罰は、組織的な医療行為に対する責任の在り方に適応していない、という批判である。先ほど述べたように、現在の刑法には、組織的な責任を追及する点で限界があるのは確かであるが、それは医療過誤に特有の問題ではない。企業犯罪などは、多かれ少なかれそのような面があるが、だからといって個人に対する刑事責任の追及をやめてしまえ、というのは乱暴な議論であろう。組織的な責任の追及に限界があるのであれば、業務主処罰(両罰規定)を過失犯にも導入するなどの方法で対処すべきであって、組織的な責任の追及にも限界があるから、個人の責任の追及もやめてしまえ、ということにはならないように思われる。
第4は、アメリカにおいては医療過誤は刑事処罰の対象ではない、という理由である。もっとも、レフラー教授が紹介されたように、最近では、アメリカでも刑事責任の追及が増えてきていると言われている。そうはいっても、我が国と比べればアメリカで医療過誤について刑事責任が追及される事例はかなり少ないことは確かである。しかし、アメリカでは、免許取消しなどの行政処分が厳しいこと、民事で制裁的損害賠償を含めた高額の損害賠償責任が存在していることなど、刑罰以外の多様な制裁手段が活発に用いられている点で、我が国と単純に比較することはできない。後で述べるように、我が国でも、刑罰以外の制裁手段を今以上に活用することは考えられるであろう。
第5は、刑事責任を追及すると、医療関係者が自己保身に走るため、事故原因の解明が困難になる、という理由である。事故原因の解明と再発防止のために、刑事責任の追及を放棄することがどうしても必要なのであれば、そのような政策を採ることも考えられなくはない。しかし、事故原因の解明のために刑事責任の追及を放棄することが本当に不可欠なのかは不明である。また、刑事責任の追及を放棄しても、民事の賠償責任まで免責することはできないし、技能の未熟な医師に対する行政処分を免除することもできないであろうから、刑事責任の追及を放棄するだけで本当に原因解明が容易になるのか、やはり責任逃れは起こるのではないか、という疑問もある。刑事責任の追及を放棄することによって、原因究明が多少容易になるといった程度のメリットしかないのであれば、原因究明のために刑事責任の追及を放棄するという選択が、被害者や国民に受け入れられるかは疑問である。
第6は、捜査機関は医療の専門知識がないので真相の解明が期待できない、医療事故専門の調査機関を設けて専門的な立場から調査する必要がある、というものである。この指摘にはもっともな点があり、この点の改善のためには、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の発展が期待される。しかし、原因究明のための調査を捜査機関以外の専門機関が行うかどうかという問題と、調査の結果、医療関係者に過失が認められた場合に、刑事責任の追及を行うかどうかの問題は、別個の問題である。
以上のように、刑事責任の追及を否定する意見には、十分に説得的なものはないように思われる。」(佐伯仁志「医療安全に関する刑事司法の現状」ジュリスト1323号(2006年11月15日号)29頁以下)
このように、医療過誤に対して刑事責任の追及を否定することは、実際上、困難であろうと思います。法律関係者にも色々と議論はありますが、医療過誤に対して刑事責任の追及を否定する立場は、多数説になりえないと理解しておくべきです。法律関係者だけでなく、国民世論自体が「医療過誤に対して刑事責任の追及を否定」するといった「治外法権」規定に同意するとは思えません。(米国でも医療過誤は刑事事件になっているわけですし、ドイツでも同様です。ヴォルフガング・アイゼンメンガー他「医療過誤──ドイツにおける医学的・法的側面に関する論評」判例タイムズ1267号55頁以下によると、ドイツでは、あらゆる医療行為は傷害罪(故意犯)の構成要件に該当するとして、判断していくとのこと。)
医療関係者は、医療過誤に対して刑事責任の追及を否定することを求めるといった無意味なことを止めて、刑事責任の追及を受けないだけの医療行為をするとの気概をもって、医療安全に努めてほしいと思います。
(2) もちろん、佐伯仁志・東京大学教授も「現状のままでいいと考えているわけではない」としています。そこで、今後の在り方として、次のように述べています。
「今後の在り方
医療事故の処理において必要なことは、原因の究明と再発防止の実施、被害者やその遺族の被害回復、適切な責任追及の3つである。3本の柱はいずれも不可欠なものであり、原因の究明と再発防止ができれば、責任追及はどうでもよい、というわけにはいかない、と筆者は考えている。しかし、責任の追及は、必ず刑事責任の追及でなければならない、ということではない。先ほど触れたアメリカの例から学ぶべきことは、刑事以外の制裁手段をもっと活用することである。
我が国の制裁制度の特色は、刑罰に依存しすぎていることであり、これは、医療過誤の問題に限ったことではない。最近、このような傾向への反省が見られるようになり、専門機関が調査をして、行政制裁を重視して、悪質な事例に限って刑事責任を追及する、ということが行われるようになっている。独占禁止法や金融商品取引法(旧証券取引法)の分野がその例である。将来的には、医療事故の調査と行政処分を行う、証券取引等監視委員会のような専門組織を厚労省に設置することも検討されてよいと思う。
医療過誤に対する刑事責任の追及が妥当かどうかを一般的・抽象的に論じるのは、あまり意味のあることではない。今後必要なことは、個別の事案について、刑事責任の追及が妥当であったかどうかを法律家と医療専門家が共同で検証していくことだと思われる。」(佐伯仁志「医療安全に関する刑事司法の現状」ジュリスト1323号(2006年11月15日号31頁)
医療版事故調査委員会の議論は、医師関係者の一部に医療行為への業務上過失罪の不適用を求める声があるため、まとまらない状態です。 しかし、医療過誤に対する刑事責任の追及を否定する立法は殆ど不可能なのですから、医療関係者も、「医療過誤に対する刑事責任の追及が妥当かどうかを一般的・抽象的に論じるのは、あまり意味のあることではない」ことを認識するべきだと思うのです。
もはや発想を切り替えて、医療版事故調査委員会といった刑事責任に頼らない組織の創設へ向けて、冷静になって対応してほしいと思います。刑事責任以外の責任追及が十分に機能することで、おのずと刑事責任の追及が減少していくと思われますし、医師と患者の対立構造が続くことは誰にとっても不毛だからです。
このところ重罰化、厳罰化が叫ばれ、刑事責任追及の範囲が拡大、寛容というものを喪失してしまい息苦しい世になっていくばかりです。
なお、日頃、厳罰を叫んでいる人間が、この事件に限って無罪を叫ぶということには賛同できません。
また、遺族が刑罰を望むから刑罰を科すというのも賛同できません。そんなことをしたら、近代司法は崩壊してしまいます。それに、刑罰の目的は更生であって、応報ではありません。
刑罰というのは残念ながら、必要悪といわざる得ませんが、今の日本のように度が過ぎる厳罰、重罰は露骨な人権侵害であることを心すべきです。
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で、敢えて筋を外しての印象を。
私の読み落としかも知れませんが、当該医師が“回避可能性があるのに、回避措置を取らなかった”理由は、危機回避の選択が“子宮全摘”しかなかったから、(子宮を残してあげたいとの)善意によりリスク(100%ではない)を冒した、との推測にとらわれてしまうのですが、公判で敢えてリスクを冒した理由は述べられていますでしょうか?
家庭を持たないし、女性を妊娠させた経験も無く、無知なのですが、出産時におけるinformed consentに、このような可能性(母体を守る為、子宮全摘も有り得る)も告知されるものなのでしょうか?
「善意ゆえに罰せられたのでは、やってられない」というのが、無罪を支持する医師らの思いではないのかと。
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
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> しかし、このように「回避可能性」と「回避義務」を別個独立に判断すること(「回避可能性・回避義務」分離論)は、妥当なのでしょうか?
妥当です。
回避可能性は、回避義務の前提であり、回避可能性があるならば当然回避義務も発生する、というところまではそのとおりです。
しかし、「回避義務がある」とされたことが、直ちに「回避義務 “違反”」と評価されるわけではありません。
そこに大きな誤解があるように思います。
本件では、裁判所は、死因が胎盤剥離面からの大量出血であったという鑑定を前提に、胎盤を剥離しなければ、その大量出血は生じなかったのだから、「胎盤剥離をしないことによって失血死は回避できた可能性がある」という意味で回避可能性はあった(ゼロではなかった)と認定しています。
この判示部分では、「どうにかすれば失血死は避けられた」という可能性を認めたにすぎず、「具体的にどうすべきだったのか」までは触れられていません。
そして、(わざわざ申し上げるまでもないことですが)刑事訴訟では、検察の主張した訴因について立証がなされたかどうかが問われます。
検察が設定した訴因は、「帝王切開を受けた女性の致死的な出血多量を回避できた可能性」だけではありません。それは前提に過ぎません。
訴因のキモは、「癒着胎盤と判明した段階で直ちに胎盤剥離を中止し、子宮全摘に切り替えるべきだった」というものです。
裁判所は、そのような義務を基礎づけるためには、臨床例が必要であるとして、そのような事例を一切提示していない以上、検察の主張する具体的な回避義務は、「ぼく(けんさつ)のかんがえたすごいしゅじゅつ」でしかないとして、加藤医師の「回避義務違反」を否定したのです。
裁判所が認めた「回避可能性」とは、トウモロコシ畑に作った3D迷路が、スタートからゴールまでちゃんと道順が繋がっているという事実を元に、「この迷路はクリアできる可能性はあった」と認定したようなものです。
この迷路のゴールは、AとBの2つがありました。被告人は、Aを目指して必死で走りましたが、途中で迷ったりしたこともあり、途中でAを目指すことを断念し、Bに向かいました。結局、制限時間の5分以内にはゴールできませんでした。
検察は、最初からBを目指してを最短ルートで走り抜ければ、スタートからゴールまで約4分で着いたはずだ、だから被告人には「初めからBを目指すべきだったのに、うかつにもAを目指し、結果として制限時間に間に合わなかった。だから過失がある」と主張しました。
しかし、裁判所は、「そのような義務があると主張するのなら、初めからBを目指す挑戦者が一般的だというケースを複数提示しないと。そうでないなら、『一般的な挑戦者が果たすべき注意義務』に違反したという根拠がないではないか」と指摘しました。
「回避可能性」の判断と、「回避義務 “違反”」の判断とが別個独立に行われるのがむしろ当然であることは、この例でご理解いただけるでしょうか?
このような裁判例が現にあります。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=6582&hanreiKbn=03
------------------------
被告人が前方注視義務を尽くしておれば,本件事故は当然回避できたであろうし,また,前方注視義務を怠れば本件のような事故が起きるであろうことも容易に予見し得たところである。
------------------------
→ 予見可能性を肯定
------------------------
被告人は,罹患していた睡眠時無呼吸症候群に,当日の身体的・精神的悪条件が重なって,予兆なく急激に睡眠状態に陥っていたため,前方注視義務も履行できない状態にあったとの「合理的な疑い」を払拭することができず,被告人に前方注視義務違反の過失を認めることはできない。
------------------------
→ 予見義務を否定
明らかに「別個独立」に判断しています。
>私は、今回の事件では無罪判決を支持します。
なるほど。こちらは、まだ1審段階なので、結論の妥当性は留保のままにしています。結論の妥当性よりも、エントリーで触れたようにこの判決には問題点が多々あるので、そちらの方が気になっています。
>このところ重罰化、厳罰化が叫ばれ、刑事責任追及の範囲が拡大、寛容というものを喪失してしまい息苦しい世になっていくばかりです。
この事件も、厳罰化の要請の一貫なのでしょうが、いいのだろうかという気にさせられますね。いいさんと同様に、このブログに集う方の多くは、厳罰化傾向に批判的ですから、余計にそう感じるのでしょうけど。
>なお、日頃、厳罰を叫んでいる人間が、この事件に限って無罪を叫ぶということには賛同できません。
そうそう! 「普段述べている厳罰化はどうしたの???」と、結構呆れてます。ですので、「福島県立大野病院(下)」のエントリーでは、その点を皮肉っています。
非公開コメントの方が述べていましたが、医療界側の恫喝に恐れをなしたのでしょうね、きっと(^^ゞ
「大野病院事件が裁判になったのはマスコミのせい」といった批判もあるようですから、マスコミ批判で溜飲を下げることができて、お得なのかもしれません。
2006年08月31日当時のfuka_fukaさんのコメントによると、「弁護士です。まだまだ駆け出しに属するペーペー」だそうですね。未経験というのは初々しくていいですね〜。
>「回避可能性」の判断と、「回避義務 “違反”」の判断とが別個独立に行われるのがむしろ当然であることは、この例でご理解いただけるでしょうか?
福島地裁判決をなぞっただけの説明は無意味ですし、事例及び説明は分かりにくいです。元々、一般的に通用していない事例を持ち出しても、学問上、通用しませんから、そうした事例で妥当性を判断するのは、難しいと思います。
>→ 予見可能性を肯定
>→ 予見義務を否定
>明らかに「別個独立」に判断しています
ユニークな判例情報をありがとうございます。予見可能性に関する裁判例を示したということは、さすがに、大野病院事件のように、回避可能性を肯定して、回避義務を否定した裁判例は見当たらないようですね。予見可能性肯定・予見義務違反を否定とする裁判例、回避可能性肯定、回避義務違反を否定とする裁判例は、ほとんどないことはよくご存知だと思います。
なお、1つ裁判例があったからといって、それを根拠に「別個独立」なのだと主張することは、誤解を招くのでよいことではありません。特に、過失犯に関する裁判例は、どの要件を欠くとするのか問題のあるものが少なくないので、即断できないことはよくご存知だと思います。
>要するに、結果回避可能性があったが、回避措置をしていなくても結果回避義務違反はないという論理です。しかし、このように「回避可能性」と「回避義務」を別個独立に判断すること(「回避可能性・回避義務」分離論)は、妥当なのでしょうか?
法律用語として違うのですから、当然別の概念です。
私は、両者は密接に関連するが理論上も実務上も分けて考えられていると理解しています。
回避可能性は事実認定の問題ですが、回避義務は回避可能性を前提とする法的評価の問題です。
春霞さんは、「信頼の原則」をどのように理解されてますか?
「信頼の原則」は結果回避義務の制限理論である、という考え方があるのをご存知ですよね。
当然、回避可能性の存在を前提にして回避義務を制限しようという考え方です。
もちろん大野病院事件の判決は信頼の原則の適用場面ではありませんけど、回避可能性のある特定の状況における回避義務の存否の判断という意味で同様に理解することができます。
繰り返しますが、結果回避可能性と結果回避義務は、別個独立に判断することが妥当なのではなく必要なのです。
ただ、今回は回避可能性と回避義務の関係については異論があります。
最判昭和48年05月22日
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=26965&hanreiKbn=01
によると
「原判決は、被告人の本件交差点直前における徐行義務は、交差点内における円滑な通行の不可欠の前提をなし、交差点内における衝突事故と直結するものということができ、被告人が徐行して交差点に臨んでいれば当然本件事故を十分回避しえたものと判断されるから、その徐行義務違反が直接事故の一因となつていることはとうてい否定しがたく、この場合に信頼の原則を適用して被告人の過失を否定すべき理由は存在しない、というのである。
たしかに、被告人が右判示のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかつたか、少なくとも本件事故とは異なる事故になつていたであろうと思われる。問題は、被告人にそのような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する右判示の当否について考えることとする。」とし、結果として注意義務を否定して過失を認めておりません。
小林健太郎「信頼の原則と結果回避可能性」8頁
http://nels.nii.ac.jp/els/110000987135.pdf?id=ART0001165554&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1219716559&cp=
においても「最高裁は、少なくともこの二つの判決(引用者注:上記判決と最判平成15年1月24日判タ1110号134頁)を見る限り、まず‘始交通法に定める義務の違反を特定したうえで、△りにそれを守ったとすれば事故を回避し得たかを判断し、この点が否定的に解されれば直ちに過失を否定するが、たとえ肯定的に解されても他者の適切な振舞いを信頼してよい場合には、なお注意義務違反が否定される、言い換えれば右道路交通法上の義務が注意義務を構成しない余地がある、と考えているようである」と指摘されています。
もちろん、西田先生のような考え方がありうることに異論はありませんが、少なくとも最高裁はそのような考え方を採用していないように思います。
URL | ろくろくび #-[ 編集 ]
とりあえずお読みくださり、その上でもう一度この裁判について書いていただきたいと思います。
周産期医療の崩壊を食い止める会HP
http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi
なお、検察の主張する通りの処置、すなわち癒着胎盤と判断してすぐに子宮を取る手術をしたケースがあったそうですが、出血多量で妊婦さんはなくなっています。
ある産婦人科医のひとりごと
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/
URL | 崩壊を眺めるもの #mQop/nM.[ 編集 ]
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>この医事法学的議論に付いて行くのは甚だ困難でして
医事法の分野はかなり難しいです。例えば、医事法の手島豊教授の「医事法入門」には、アメリカの医事法研究者が直面する困難として、「医事法を深く研究すればするほど、研究者自身のアイデンティティが法学に属するのか医学・自然科学に属するのか不明確になってくる」(同11頁)点が挙がっています。かなり意訳すれば、医事法は、法律と医療の両方の知識が求められるので、その深みにハマると自分がどっちを専門にしていたか分からなくなるほど、訳が分からなくなってしまうわけです。専門家でさえ、訳が分からなくなるのですから、一般市民ならば尚更です。
私にとっては、医事法に属する問題(代理出産など)に触れることは、批判コメントが押し寄せるという困った事態になることでもあります。はっきりと遠慮なく書くせいでもあるのですが(汗)。
今回は、賛否問わず、現時点で非公開コメントも4つあって、ちょっとした人気になっているようです。(光市事件での懲戒請求問題ほどではないですが。) 特に、今回の非公開コメントへの返事は、非公開の趣旨に反しないようにどう答えるかが難しく、ちょっと悩みの種です。そちらを何とかしてからでないと思い、申し訳ないのですが、幾つかのコメントを未承認のままにしています。
他にも、ある医師ブログは、こちらのブログに言及した内容のエントリーでTBをなさったようです。その医師ブログではきっと盛り上がっているのでしょう。ただ、TB規制をしていないのに、こちらのブログに反映していないのです。ときどきそうした事態になるのは、困ったものです。
>危機回避の選択が“子宮全摘”しかなかったから、(子宮を残してあげたいとの)善意によりリスク(100%ではない)を冒した、との推測にとらわれてしまうのですが、公判で敢えてリスクを冒した理由は述べられていますでしょうか?
まだ1審判決段階であるため、控訴する可能性もあるのですから、1審段階の公判記録に分け入って検討することは避けています。申し訳ありません。
ただ、通常は、どの女性患者も子宮を残すことを望みますので、そうした殆どの女性患者の要望に応えることについて、「善意」と評価することは抵抗があります。もっとも、積極的に子宮をとることを述べる医師がいることも事実であり、そうした医師にとっては「善意」と評価するのでしょうけど。
>家庭を持たないし、女性を妊娠させた経験も無く、無知なのですが
ぜひパートナーを持つなりして、産婦人科で一緒に説明を聞き、入院病棟に通う機会をもつと、少しでも実態がわかってくると思います。さらには、治療を受けられるのか不安に慄きながら、産婦人科のある医院を転々とすると、色々な産婦人科医に出会えますし、様々な患者の様子も分かります。もちろん女性ならば、当事者として実体験するわけですが、男性にとってはまさに異質の世界でしょう。
そうそう! 入院病棟では、不安な状態にある女性患者に対して、理不尽な物言いをする夫と見られる男性にも出会えるはずです。産科医療の現状につき、どうこう言う以前に、「医師でない男性のうち、かなりの人が、産科医療を舐めているんじゃないか」と感じられるかと思います。
>出産時におけるinformed consentに、このような可能性(母体を守る為、子宮全摘も有り得る)も告知されるものなのでしょうか?
出産時、他には子宮筋腫核手術などにおいても、大量出血(による死亡)を止めるために子宮を摘出する可能性があることを、説明しているようです。もちろん、どんな出産でも同じなのか、すべての子宮筋腫核手術でも同じなのか、どの産科医でも同じなのか、は分かりませんが。
先の、行き先がAだろうとBだろうとその先は一緒のCかも知れないという発想はどうしてないのかな。
大野事件の後に、有名な東京のある大病院で、スタッフも輸血も揃ったところで、ブログ主の言う回避処置をしたが結局結果は同じだったと言う例を知らないんだね。
URL | 結論 #-[ 編集 ]
予見可能性だとか、回避義務だとか、最高裁判例だとか、たしかに、法律的にはそうでしょう。
しかし、めちゃくちゃな判決も多々あることは、法律家ならご存じでしょう。
それが、判例だと言われれば、やはり、法律家だけの世界です。
手術で出血する可能性、死亡する可能性は必ずあります。
回避する可能性は、後になって言えば沢山あります。(後出しじゃんけん)
医療はそうやって反省しながら発達してきたのです。
手術中に数分で決定しろと言うのなら、裁判も即決で、三審制でなく判決を下し、間違いならば、業務上の過失に問われるべきです。
医療は罪に問うなと言うのではありません。医療と法律の違いに絶望しただけです。
せいぜい、JBMに従います。
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以上の点、宜しくお願いします。
今回は、公開で投稿させて頂きます。ブログ汚しにならないと良いのですが、ご指導頂ければ幸いです。
改めて、CBニュースの判決要旨と、刑法総論の基本書(とくに過失論と違法性阻却の辺り)を繰り返し読んで整理してみました。
その上で、春霞さんが疑問視される論点『「回避可能性・回避義務」分離論は、妥当なのか?』を今一度よく考えてみました。
自分の頭の中の整理のために少し前置き(?)を書かせて頂くと・・・
今回の裁判例は、新過失論を取っていると思われますが、この場合、過失行為とは基準行為からずれた行為を意味することになり、なすべきことをなさなかった点に過失犯処罰の根拠があることになります。
そして、当該医師が、胎盤と子宮の間に指が入らず、用手剥離が困難な状態に直面した際に当該医師が「確定的とはいえないものの、癒着胎盤の認識をもった」時点で、胎盤剥奪行為を中止せず続けた行為は、基準行為(本件当時の医学的準則)から逸脱しているとは認められませんでした。すなわち、当該行為は、注意義務違反にはあたらず、過失行為であるとは認められませんでした。
* * *
しかし、ここで二つの疑問が湧きますが、下記のような回答が考えられるのではないでしょうか?
■疑問1:「結果予見可能性(結果予見義務)と結果回避可能性は認められたのに、過失行為ではない」というのは、矛盾していないか?
医療行為は、医療侵襲を伴うので患者の生命や身体に対する危険性があることは自明である。ゆえに、たとえ当該医療行為が正当な行為であっても(基準行為から逸脱しておらず落度がなかったとしても)「危険性」がないとは限らない。
■疑問2(春霞さんご指摘の点):「結果回避可能性は認められたのに、結果回避義務はない」というのは、矛盾していないか?
まず、医療侵襲の正当化の実質的根拠は、「患者の優越利益の存在」にある。(利益衡量説)
しかし、医療行為の結果を正確に予測することは困難であり、当該事例についても「胎盤癒着を中止した場合」と、「継続した場合」の、どちらの方が患者の利益が優越するのかについて、正確な予測は困難であった。
当時の医療水準では、(i)当該行為の結果に、患者の優越利益が存在する可能性(大量出血死を招かず、子宮も温存できる可能性)もあれば、(ii)患者の優越利益が存在しない可能性(子宮温存したところで、大量出血を招き出血ショック死する可能性)もあり、また、(iii)胎盤剥離中止と継続のどちらを選んでも結果は変わらない可能性(胎盤剥奪を中止したところで出血をコントロールできずに大量出血する可能性)もないとは言えなかった。
医療行為の場合は、医療侵襲の違法性が阻却される場合があるので、当該行為に注意義務違反があったのか(結果回避義務の有無)を問うには、「患者の利益衡量の判断」を行わねばならない。(つまり、「利益侵害(結果)の回避可能性」の検討だけでは不十分。)
患者の利益を衡量するには、当該医療行為に危険があるというだけでなく、当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしなければ、判断できない。
つまり、当該医療行為の結果回避義務違反を証明するには、結果回避可能性が有るだけでは不十分であり、当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにした上で、より適切な方法が他にあること(「患者の優越利益の存在」)を立証しなければならない。
そして、このような立証をするには、少なくとも、相当数の根拠となる臨床症例、あるいは対比すべき類似性のある臨床症例の提示が必要不可欠である。
しかし、検察側はそれを提示していないので、「当該医療行為を中止した場合の患者の優越利益の存在」は、立証不十分である。ゆえに、医療侵襲を伴う当該医療行為の正当化(違法性阻却)の実質的根拠を否定する十分な証明はなされなかった。
…と判断されたのではなかろうかと思ったのですが…。
判例には(あまり)ない解釈なのかもしれませんが、(法律の素人ではありますが)刑法総論の基本書とつきあわせてみて、上記のような論理(?)で今回の判決要旨には矛盾や瑕疵を感じませんでしたが、如何でしょうか…?
もし、ご批判やご指導頂ければ幸甚です。
URL | ぽにょ #l.rsoaag[ 編集 ]
| #[ 編集 ]
私も、医師の刑事責任を問うのは無理があるのではないかと漠然と感じていました。薬害エイズ事件の医師ですら無罪でしたから。
検察が、どんな戦略をもって起訴を行ったのかと不思議に思っていました。
>捜査の端緒は、あくまで「県の事故調査委員会が医療過誤を認める報告書を公表」したこと、すなわち、福島県の事故調査委員会の報告書が、加藤医師の処置を「判断ミス」としたためであって、患者遺族が捜査の開始を求めたのではないのです。
公的な報告書の中で医師の過失が明確に認定され、減給処分まで受けているのです。
予断を持たずにこの報告書を読めば、警察・検察が事件性ありと判断して、医師を逮捕し起訴したことも不当とまでは言えないと思います。
この報告書に対しては疑問も提示されていますが、仮に、遺族への補償のために存在しない過失を認定したとしたら、保険金詐欺に等しい犯罪行為でしょう。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/08/o-o-e4ec.html
裁判所の判断は、県の報告書には影響されませんでしたが、無罪といっても、臓器などの証拠が保全されていない中で、検察側の立証が不十分だったに過ぎないということではないでしょうか?
被告人の医師には同情すべき点も多く、心情的には無罪でよかったと思いますが、この事件のよって、全ての医療行為について刑事免責すべきという意見には賛成できません。
例えば、「点滴作り置き事件」は、その後、どうなったのでしょうか?
警察の介入が嫌だと言うなら、医療界が自ら調査し、真実を明らかにする責任があると思います。
刑事手続は、一般の人には関心が薄く、自分や家族、友人には関係ないと思っている人が多数だと思います。
今回の事件をきっかけに、不必要な逮捕や長期の勾留は、人権侵害というだけでなく、事件の真相を明らかにすることに役立たないということを、多くの人が考えてくれることを期待します。
URL | もみじ #jnRiruIs[ 編集 ]
非公開ですので、コメントを修正して引用します。
>>本来は、「過失あり」となるのが筋です
>という点は、疑問です。
過失の成立要件の有無のうち、「事実関係の大部分を認めているのであれば」、殆どの要件を満たしているのだから、「本来は、『過失あり』となるのが筋」だということです。特に、「福島県立大野病院事件(上)」で論じたように、予見可能性と回避可能性が過失の主要な要素ですから、そこまで認めていれば通常は過失を認定できる以上、「本来は、『過失あり』となるのが筋」だろうということです。
>法律の素人なので、確認したいのですが、「(何らかの損害の)予見可能性があるならば、必ず結果回避義務が生じる」という訳ではない、という理解でいいのでしょうか?
「福島県立大野病院事件(上)」で論じたように、結果予見可能性と、結果回避義務とは別個の要件です。また、判例の立場では(例えば、ホテルニュージャパン事件の最決平成5・11・25)、予見可能性は肯定しやすいため、処罰範囲を限定するうえでは、結果回避可能性・結果回避義務違反の存否をめぐる判断が重要なものになっています(刑法判例百選1〔第6版〕55頁)。このように、結果予見可能性と、結果回避義務とが別個であるからこその判例だといえるのです。
ですので、「(何らかの損害の)予見可能性があるならば、必ず結果回避義務が生じる」という判断にはなりません。
>春霞さんは、「信頼の原則」をどのように理解されてますか?
>「信頼の原則」は結果回避義務の制限理論である、という考え方があるのをご存知ですよね。
信頼の原則とは、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をすることを信頼するのが相当な場合には、たとい被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対して責任を負わない」として過失犯の成立を否定する原則をいいます。
信頼の原則の位置づけについて理解していないと仰るようですね。文献を引用しておきます。
「信頼の原則を過失犯の体系においてどのように位置づけるかが問題となる。旧過失論においては、予見可能性を失わせるか、極めて低いものとする事情であり過失責任を否定する根拠として理解することになるが(内藤1147頁以下、山口207頁以下、曾根196頁、前田348頁、松宮・刑事過失論の研究47頁以下)、新過失論においては、予見可能性があっても許された危険としての行為の違法性を阻却する根拠として理解されることになる(藤木244頁以下、大塚220頁以下、福田128頁以下)。」(西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)256頁)
従来、「信頼の原則」という法理により被告人の注意義務違反を、したがって過失犯の成立を否定していた事案(最判昭和48・5・22刑集27巻5号1077頁)について、最高裁平成15年1月24日判決(判時1806号157頁、判タ1110号134頁)は、信頼の原則を適用せずに、結果回避可能性の欠如により過失犯の成立を否定しています。昭和48年判決との整合性につき、議論がありますが、過失犯の成否につき、(結果回避義務違反の有無でなく)結果回避可能性の判断を重視する傾向にあることは確かだと言えます。
この文献や判例状況で分かるように、20年前は、「『信頼の原則』は結果回避義務の制限理論である」という考えが資格試験受験生の主流だったかもしれませんが、現在は、そうした考えは引用さえもなされなくなっている状況であって、判例も変化しています。ですから、いまさらそうした考えがあると言われても、なんだかな〜と思います。
そういえば、20年前というと、片岡先生の「過失の認定」という名著が出た頃だったはずです。モトケンさんのコメントを読んで、昔のほのぼのした学説状況が懐かしくなりました。当時、優秀な学生さんは、過失犯に関しては、学説ごっこに興じている基本書を馬鹿にして、こうした実務本も読んだと聞いています。モトケンさんも、もちろん読んでますよね?
相変わらず、モトケンさんは調べて書かないな〜と感じましたが(それがウリなのでしょうね)、このブログはきちんと調べてから、書くブログなのです。素人さんなら間違いを丁寧に説明しますけど、弁護士という立場を背景にした間違い発言は、多くの方に誤解をもたらしますから、コメントはご遠慮願います。ご自分のブログでのみご発言ください。
ただ、「医師」というHNでは「ななし」と同じく特定性がないですが。
>沢山の記事、解説、コメントを読んで、医療と法律の違いの大きさにびっくりしました。
>予見可能性だとか、回避義務だとか、最高裁判例だとか、たしかに、法律的にはそうでしょう
どうやら、ここで書いたことは殆ど目にしたことはなかったようですね。「福島県立大野病院事件(上)」では、必要となる基本的な法律的知識を紹介しましたが、今まで誰もそうしたことをしていなかったことが問題だと思います。
医療界側が積極的に知る努力をべきなのか、それとも法律界の側が積極的に説明する努力をするべきだったのかは判断しがたいですが、少なくとも、伝える能力のある法律界の側が、誰も説明していなかったことは怠慢であり、非難されるべきだと思います。
なお、ここで書いたことは、医療訴訟に限るものではなく、過失犯の成立についての一般的な説明です。ですから、これらの説明が、個別の医療訴訟についての結論に直結するものでないことに注意して下さい。
>回避する可能性は、後になって言えば沢山あります。(後出しじゃんけん)
>医療はそうやって反省しながら発達してきたのです。
>手術中に数分で決定しろと言うのなら、裁判も即決で、三審制でなく判決を下し、間違いならば、業務上の過失に問われるべきです。
医療者側からは、いつも「後出しじゃんけん」だという批判がありますね。医療事故が起きてからの裁判ですから、時系列的には事後的に判断せざるを得ないことは確かです。しかし、裁判では、事後的にみて、行為時の妥当性を判断しているのです。これは、医療訴訟に限らず、刑事・民事問わずすべての裁判で同じです。なので、「後出しじゃんけん」という批判自体が失当です。もちろん、すべての裁判は茶番だというのであれば別ですが。
なお、判例が求めているのは「医療水準論」ですから、あらゆる回避可能性を要求しているわけではありません。
>せいぜい、JBMに従います
「判例に基づいた医療」(Judgment Based Medicine)とか、「防衛医療」をするしかないということですね。しかし、不思議に思うのは、その「判例」をどれだけ知っているのでしょうか?
ごく基本的・必要不可欠な法律知識しか書いていないのに、医師さんは、「医療と法律の違いの大きさにびっくり」したわけですよね? どういう「判例」があるのか、その判例についてどう法的に評価されているのか、殆ど知らないのではないですか?
基礎的な法律知識がなければ、一般的に言って、基礎的な法律知識を前提とした「判例」を正しく理解することは不可能です。1つの判例の評価にしても、多数存在して判断が分かれるのですし、下級審判例となれば、錯綜したものも多く、(色々割り引いて考えなければならず)正しい理解は難しくなります。特に、業務上過失致死傷罪といった過失犯の場合は、明文上、「具体的な注意義務」が明記されていないので、判例上、成立要件の検討が揺れ動いているのです。
こうした事情があるうえに、大野病院事件判決後に至るまで、基礎的な法律知識を知らないままだったのに、どうして「判例に基づいた医療」などができるのか、不思議でなりません。
「判例に基づいた医療」「防衛医療」などと述べて、萎縮医療を唱える方がいますが、その方たちは、本当に「判例」を知っているのでしょうか? そうした雑音に耳を傾けずに、まずはその「判例」について正しく理解をすることから始めるべきだと思います。例えば、医療問題に詳しい、真っ当な弁護士や研究者にお願いして、教えてもらうのが一番よいのではないでしょうか? 知らずに判例批判をしても無意味です。
丁寧なご回答をありがとうございますm(__)m
1.
>過失の成立要件の有無のうち、「事実関係の大部分を認めているのであれば」、殆どの要件を満たしているのだから、「本来は、『過失あり』となるのが筋」だということです。
個人的には、今回の判決は、「検察側の主張する事実の大部分が認定されても、その事実に具体性がないので立証にならない」と指摘されていたように思われました。
つまり、「検察側の主張する事実は、過失の成立要件にはなっていなかった」という事を指摘した判決に見えました。
(具体的には、現在ご承認待ちの「2008/08/27 Wed 03:22:56」の投稿ように見えたためでした。)
2.結果予見可能性と、結果回避義務の件
ご説明ありがとうございます。
春霞さんの問題意識を「結果予見可能性と結果回避義務が個別に判断されていること」であると誤読していた事に気づきましたm(__)mすみません。
問題にされていらっしゃたのは、「結果回避可能性と結果回避義務が別個に判断されていること」の方だったのですね。
お手を煩わせてしまい、本当にすみません。
でも、判例を挙げてご説明頂き、とても参考になりました。ありがとうざいます。
3.
「回避可能性有りだが、回避義務なし」という今回の裁判の判断については、現在ご承認待ちの「2008/08/27 Wed 03:22:56」で投稿させて頂きました通りで自分なりには納得がいったのですが、あのような理解ではダメでしょうか…?
(法律のど素人で、裁判例などをちゃんと読んだことはないので、自分なりにはすっきり納得がいったものの、それが全くの見当外れなのではないかと言う不安があります…(汗。)
もしご意見をお聞かせ願えれば幸いです。
URL | ぽにょ #l.rsoaag[ 編集 ]
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知り合いの産科医からの紹介で、訪問させていただきました。元医療従事者です。
これほど冷静沈着に、時にはきっぱりと辛口で、一般人にも、また、誤解している医師の方にも分かりやすく説明されているブログに出会ったことがありません。
あなたの主張に賛同することばかりです。
私としては、あなたのような方に今回の大野病院事件の裁判長であって欲しかったと思います。
正直なところ、「大野病院の医師の無罪を信じ支援します」的な医師のブログばかりでうんざりしていました。
いくらでも今回の死亡事故を回避できる機会があったのに、誰のアドバイスも聞くことなく、システムからくる事故ではなく、独りよがりの判断で行ったことが全て裏目に出て事故に繋がったことが明らかになっても盲目的に無罪を主張する方々を見て、これでは、日本の医療界は、安全な方向とは反対に進んで行ってしまうと失望感を感じておりました。
無罪判決後の医師のブログの「おめでとうございます」の嵐・・・・。
単純に喜んで良いことではないのに・・・と思いました。
こういう判決では、多くの国民は納得いかないと思いますし、日本の医療に不安さえ感じます。
無罪判決を受けた加藤医師が、「裁判所はきちんと判断をしてくれ、ほっとした。現場復帰したい」とコメントをされていますが、検察側の「なぜ無罪なのかと思うほど事実関係について主張が認められた」ことを考えれば、この発言は、結果だけを見てのコメントのように思えてなりません。
反省がなければ、また同じことを繰り返す心配もあります。
検察は、控訴するかどうかの判断をする際には、誰に遠慮することもなく正義を貫いて欲しいと思います。
産科学会、産科医会も、安全な医療が行われるように、「萎縮医療」のことを言うのではなく、「慎重に医療を行うことの大切さ」をこの裁判から学び、生かしてただきたいと思います。
URL | sanka #FqTu9.sQ[ 編集 ]
>春霞さん、はじめまして。春霞さんのブログにはいつも勉強させていただいております。
ありがとうございます。判例評釈は、このブログの本分と言えるものですから、このブログらしい内容といえます。ただ、法律家であれば誰もが同じことを書くと思われる程度のものであって、別に過激な内容ではないと思うのですが、コメントが多数寄せられています。
>ただ、今回は回避可能性と回避義務の関係については異論があります
>最判昭和48年05月22日
>最判平成15年1月24日判タ1110号134頁
>西田先生のような考え方がありうることに異論はありませんが、少なくとも最高裁はそのような考え方を採用していないように思います
従来、「信頼の原則」という法理により被告人の注意義務違反を、したがって過失犯の成立を否定していた事案(最判昭和48・5・22刑集27巻5号1077頁)について、最高裁平成15年1月24日判決(判時1806号157頁、判タ1110号134頁)は、信頼の原則を適用せずに、結果回避可能性の欠如により過失犯の成立を否定しているわけです。
そのため、昭和48年判決と平成15年判決につき、どうやって整合性を付けるべきか、学者は頭を悩ませているわけですね。ご紹介いただいた、小林・立教大准教授の論文でも、色々と説明しているわけです。
ただ思うのは、従来、「信頼の原則」という法理により被告人の注意義務違反を、したがって過失犯の成立を否定していた事案につき、結果回避可能性が欠けるとしてしまったのですから、実際上も、「信頼の原則」を使うことはなくなったわけです。
小林・立教大准教授のように、苦労して、「信頼の原則」を使う場所を結果回避義務違反にしようと考えること可能でしょう。しかし、今や、「信頼の原則」を使う場所につき、結果回避義務にする見解は殆どなくなりましたから、無駄な苦労のように思えます。最高裁調査官はよく勉強しているので、最近の学説傾向を巧みに取り入れたのかもしれません。
特に、「信頼の原則」は、「どの程度、相手を信頼できるのか」という曖昧な論証を要するという難しさがあるのも難点なのです。近年では、信頼の原則を適用する裁判例はほとんどないのは、その点があるのだろうと思います(単に検察官が、「信頼の原則」の適用があるのを訴追しないだけではない)。
「信頼の原則」の理論は、終わりつつあるようにも感じますが、最高裁は、西田教授のような考えなのか否かはっきりしないように思えます。少なくとも、過失犯の成否につき、(結果回避義務違反の有無でなく)結果回避可能性の判断を重視する傾向にある、と考える程度でいいのではないでしょうか。
過失犯の説明については、基本的には、西田典之教授の書籍による説明に依拠しています。それは、過失犯につき、最も明快に説明しているものであり、また、ごく最近に発行された書籍であって、最新の学説状況を示すことができるからです。
私の説明は、全般的にも、明快に伝えることを優先しているため、色々と異論もあるとは思います。ここでの説明を参考にして、色々と考えていって欲しいと思います。
先日はコメントならびにTBをいただきありがとうございました。
下記にTBをさせていただきましたところ、このような数字がでてきましたので、何かのお役に立てばとご報告にきました。(たぶんあまり役に立たないとは思いますが
)
◇2008/8/24−2008/8/29まで
* sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com(コチラ)・・・112 件
* blog.m3.com (TB3件いたしました)・・・72 件
* law-med.net(関わりがないのに何故?)・・・ 61 件
国立大学法人からのアクセスが多いことに驚きました。また、上記最後のlaw-med.netはなんだか曲者なのでは?と感じております。検索したら「ログイン」ページしか見当たりませんでした。勝手に押しかけ読み逃げし地下活動でしょうか。なんとも不気味な法律家と医療従事者(医師のみ?)の方々ですね。
前田雅英刑法総論第4版268ページに引用されてますが。
URL | モトケン #Y17400wE[ 編集 ]
>ここにこの裁判の前後半内容を聞き取ったサイトがあります。都合の悪いことも書いてあります。
>とりあえずお読みくださり、その上でもう一度この裁判について書いていただきたいと思います。
このエントリーで行っているのは、「判決文」自体の法的問題点の検討と、医療行為への刑事責任追及の是非です。裁判所が示した「判決文」自体の法的問題点の検討をしているのに、なぜ、公判記録を読むことを求めるのか意図が分かりません。「公判記録」には「判決文」は出ていないのですから。
崩壊を眺めるものさんは、判決文の法的検討は行ったのですか? ただ「無罪が出て嬉しい」というだけではないのですよね? もちろん。
>検察の主張する通りの処置、すなわち癒着胎盤と判断してすぐに子宮を取る手術をしたケースがあったそうですが、出血多量で妊婦さんはなくなっています
朝日新聞平成20年8月21日付朝刊2面掲載の記事ですね。もちろん、指摘を受けるまでもなく知っています。購入していますから。
>こじつけもいいところだ。どうしても、有罪にしたいんだね、ブログ主は
法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容です。どこに「こじつけ」があるのかご指摘下さい。
>先の、行き先がAだろうとBだろうとその先は一緒のCかも知れないという発想はどうしてないのかな
なんですか、その論理は? 結論が無罪なんだから論理はどうでもいいとでも? 法律学はまず論理が大事です。とくに刑事的制裁である刑罰は、人権に対する制約の度合いが大きいため、厳密でなければなりません。法律学のイロハなどどうでもいい、論理を放棄した感情論で物事を決することを望むのであれば、北朝鮮にでも行って下さい。
>大野事件の後に、有名な東京のある大病院で、スタッフも輸血も揃ったところで、ブログ主の言う回避処置をしたが結局結果は同じだったと言う例を知らないんだね
朝日新聞平成20年8月21日付朝刊2面掲載の記事ですね。もちろん、指摘を受けるまでもなく知っています。「有名な東京のある大病院」などと言ってみても、新聞を読んで初めて知った事例ですよね? 医療関係者の一部は、散々、報道機関を馬鹿にしておいて、朝日新聞の報道で初めてこの事例を知ったのですよね? 結構、情けないとは思いませんか?
おお! お得意の「揚げ足取り」コメントですね。モトケンさんの本領発揮です。
>>現在は、そうした考えは引用さえもなされなくなっている状況であって、
>前田雅英刑法総論第4版268ページに引用されてますが。
なるほど〜。「ボクだって調べて書いているよ〜」と言いたいわけですね。確かにちょっとは調べたようですね。失礼しました。
前田雅英「刑法総論講義(第4版)」は、2006(平成18)年発行ですから、一見「新しい本」のようにも思えます。しかし、初版は1988(昭和63)年発行であって(20年前!)、その頃の学説状況を引きずって書いているわけです。その当時の資格試験受験生向けに書いているわけですから。
しかも、引用している学説は、まだ過失犯の要件がはっきりしていない頃の、藤木英雄「刑法講義総論」(1975(昭和50)年)です。30年以上前の学説ですよね?
改訂しているのだから、「新しい本」だと言いたいかもしれません。しかし、改訂すれば「新しい本」だというのは無理があります。例えば、大塚仁「刑法概説(総論)」(第3版増補版)は2005(平成17)年発行ですが、大塚先生の本を「新しい本!」だとは誰も言いません。
刑法学の歴史を振り返るのであれば、20年前、30年前発行の書籍を提示するのも結構なことだとは思います。例えば、刑法学者である、牧野英一先生、木村亀二先生、小野清一郎先生、滝川幸辰先生7人について、その基本思想を時代の流れに沿って比較検討した、中山研一先生の「刑法の基本思想」(1979年一粒社刊)は、(かなり昔に読んだものですが)実に楽しい本でした。モトケンさんも、中山研一先生の「刑法の基本思想」ぐらいは、当然、購入して読んでますよね?
しかし、大きな進展を遂げている過失犯の議論においては、いまさら20〜30年前の書籍を提示しても意味がないのです。モトケンさんは、あまり過失犯について勉強していないようです。
モトケンさんの頭は、20年前の学説で止まっているようですから、ご自分のブログで、ちょっと法律的な香りをちりばめて、面白おかしく書いているほうがいいと思います。そのおかげか、多くの方のコメントが賑わって、法律談義らしきものを行って楽しんでいるようですから。
ただ、前にも書いたように、このブログでのコメントはお止め下さい。あまりにも痛々しい感じがします。
<9月24日追記>
プロキシサーバーを介してアクセスしてきてますね。法律家を名乗っておいて、法律の議論をしているのにも関わらず、そうした行為に及ぶのは感心しません。正々堂々と法律論ができないならば、弁護士を辞めなさい。もっとも、他人に勝手に「モトケン」名義を使用されたというのであれば別ですが。
>日本の刑事裁判の99%が有罪判決であることに対して、医療者は、法医学や精神医学などによって反証を行える立場にありながら、今まで何らかの(大々的な)行動をとってきたかというと、まるで聞いたことがありません。
>にも関わらず、自分たちが罪に問われると、法医学ではなく、医療崩壊という圧力(サボタージュ)で無罪にしようとしています。こんなことは日本社会にとって何の利益にもなりません。
医療者は医学的な見地から客観的に検証できるのですから、刑事裁判において、ある意味、弁護士よりも、できることは大きいのです。判決が確定してから、再審を請求してもほとんど認められないのですから、特に公判中での協力が大事です。例えば、近藤昭二「誰も知らない『死刑』の裏側」(二見書房、2008年)60頁には、次のような記述があります。
「免田氏はこうもいっている、『34年半の獄窓生活で私が直接手をにぎって死刑台に見送った人は70人くらい。そのなかで、日頃話を聞いて8人は無実だと確信した。もうひとりは無実を訴えながら聞き入れられないまま、獄中の病室で死んだ』
このような現実のなかで、現在も何人もの死刑確定囚が、獄中から再審請求を行っている。」
他人の場合は、こうした状況に対して積極的な行動に出ることなく見過ごしています。それなのに、「自分たちが罪に問われると、法医学ではなく、医療崩壊という圧力(サボタージュ)」をしているという批判をしたくなるのは、実に同感です。
>医療者も起訴されたら、99%は有罪になってもらった上で、医学的な根拠があるなら冤罪事件として根本的な解決を図るべきです。そうすることこそが社会にとって有益といえるのでは?
医療訴訟に詳しい鈴木利広弁護士は、「発生時から医療界がもっと全面的に協力すべきだった」とし、さらに、「今回の事件を警察、検察の捜査ミスにするのではなく、中立的な分析を拒んできた医療界全体の問題として反省し、教訓にしてほしい」(日経新聞平成20年8月21日付朝刊43面)と述べています。
今回のような刑事事件がなくても、それ以前から、自律的な懲戒制度の創設など、医療界側ができることは多くあったのにやってこなかったのです。だからこそ、こうして捜査機関による介入を許してしまうのです。捜査機関やこのブログに文句をぶちまける元気があるのなら、「まず、自らできることをやれ」と言いたいですね。(一部の医療者は、このブログのエントリーに賛同されているのが救いですが)
>当該行為は、注意義務違反にはあたらず、過失行為であるとは認められませんでした
現在の通説・判例によれば、犯罪とは、「構成要件に該当する違法で有責な行為である」と定義されています。それゆえ犯罪の成立要件は、<1>構成要件該当性、<2>違法性、<3>有責性または責任であり、しかも、<1>→<2>→<3>の順番で段階的に判断されることになっています。そして、<3>の有責性では、刑法38条1項の故意・過失の存否の判断と38条3項と39条などの責任阻却の判断を行います。
福島地裁判決は、結果回避義務違反がないとしたわけですが、それは<1>構成要件該当性、<2>違法性は満たすが、<3>責任が欠けるとして無罪したということになります。新過失論とか旧過失論とはあまり関係ありません。
>医療行為の場合は、医療侵襲の違法性が阻却される場合があるので、当該行為に注意義務違反があったのか(結果回避義務の有無)を問うには、「患者の利益衡量の判断」を行わねばならない。(つまり、「利益侵害(結果)の回避可能性」の検討だけでは不十分。)
<2>違法性と<3>有責性または責任は別個に考えなければなりません。違法性の判断は、原則として客観的な要素に基づく判断であり、有責性の判断は、行為者の主観を考慮するものですから、認定が不明確になる要素を含んでいるので、裁判官の判断の適正さを担保するため、厳密に区別しなければならないからです。
ぽにょさんの場合、「利益衡量の判断」という<2>違法性と、結果回避義務違反の有無という<3>有責性または責任を混ぜて判断しているので、「禁じ手の論理」で説明しています。こうした説明では、使うことはできません。
>上記のような論理(?)で今回の判決要旨には矛盾や瑕疵を感じませんでしたが、如何でしょうか…?
ぽにょさんの場合、<2>違法性と<3>有責性または責任を混ぜて判断しているので、「禁じ手の論理」で説明しています。残念ながら、「禁じ手の論理」では、「今回の判決要旨には矛盾や瑕疵」がないと説明できたことになりません。
このブログを紹介したとのご連絡、ありがとうございます。
コメントが多数来ていますが、全く迷惑には思っていませんので、お気になさらないで下さい。これからも宜しくお願いします。
コメントありがとうございます。
>福島地裁判決は、結果回避義務違反がないとしたわけですが、それは<1>構成要件該当性、<2>違法性は満たすが、<3>責任が欠けるとして無罪したということになります。
法律の素人からの素朴な疑問なのですが、必ずそのように言えるのでしょうか…?
(<1>構成要件該当性、<2>違法性、<3>有責性という3つの刑法原理があることは承知の上での疑問なのですが…)
今回の判決は、「結果回避義務を構成要件として重視した(と私には思われた)【※】」という前提で、
<1>「構成要件」を満たさない
<2>「違法性」を満たさない。
<3>(検察側が主張する中止義務違反にあたる「義務」の証明がないので)、責任も無い。
という判断なのだろうと私は思っておりました。
法律から詳しいから方から見ると、そのような可能性は殆ど有り得ないということなのでしょうか…?
>ぽにょさんの場合、「利益衡量の判断」という<2>違法性と、結果回避義務違反の有無という<3>有責性または責任を混ぜて判断しているので、「禁じ手の論理」で説明しています。こうした説明では、使うことはできません。
上述の前提【※】では(春霞さんは、その前提に異論があるかもしれませんが)、結果回避義務違反の有無は、<1>の構成要件該当性の話になります。
つまり、上述の【※】の前提では、「<1>の構成要件該当性と<2>の違法性の話を混ぜている」というご指摘ならば当たると思います。
ただ、<1>構成要件該当性と<2>違法性は、別の刑法原理ではありますが、構成要件は「違法な行為の類型」なので、実務上はこの二つを分けて判断せねばならないような場面は少ないのではないでしょうか。
この二つを厳密に分けて判断せねばならない場面があるとすれば、それは既存の法律を作った時には想定しなかった事態が生じるなどして、「既存の法律で禁じられている行為ではないが(違法な行為として類型化はされていないが)、違法性があると判断されるべき行為」についてではないか(今回の裁判には当たらないのではないか)と思います。
(既存の法律で禁じられていない行為ならば、たとえ違法性ありと判断されても、犯罪は成立しないでしょうが。)
<1>構成要件該当性と<2>違法性は、厳密には分けて考えねばならないのかもしれませんが、今回の裁判の事例については、「<1>医療水準には達している(過失がない)のに、<2>違法性がある」という判断であれば、矛盾を感じると思ったのです。また、逆に「<2>違法性は認められないが、(1)医療水準から逸脱している(過失ある)」という判断であれば、矛盾を感じると思われました。そして、被害者や国民などの法律の素人の多くも、そのような判断には矛盾を感じるのではないでしょうか。
(なお、加罰的違法性という概念自体は承知であり、それに疑問はありません。念の為。)
* * *
上記【※】の前提の件になりますが、もし「今回の判決が、これまでの通説とは異なり、結果回避義務を構成要件として重視したものである」可能性があるならば、今回の判決は春霞さんが仰るように「非論理的」とまで評されてしまうようなものなのでしょうか…?
>論理的には、<a「回避可能性がなく、結果回避義務違反もない」とするか、<b>「回避可能性があり、結果回避義務違反もあった」のどちらかの論理を取るべきでした。
上記の文だけを読めば、「結果回避可能性は<1>の構成要件該当性の問題であり、結果回避義務は<3>の有責性の問題である」とするならば、上記の文章は、「構成要件該当性」と「有責性」の問題を混ぜて判断しているように見えてしまいます…。ただし、「回避可能性があれば結果回避義務があるのは当然である」という命題はどのような論理で正当化されるのかを知らない者から見た限りにおいては、ですが。
そこで、素朴な疑問が生じるのですが、「(医療行為を含む)あらゆる行為の過失判断」という議論領域おいて「結果回避可能性があれば結果回避義務があるのは当然である」という命題は、どのような論理で正当化されるのでしょうか?
(判例ではそう解釈されている」という説明以外で、論理的に説明可能でしょうか?
URL | ぽにょ #l.rsoaag[ 編集 ]
「結果回避義務を構成要件として重視する」というのは、これまでの判例上通例とはいえないのかもしれませんが、「医療侵襲の違法性は阻却する事があるような医療行為上の過失判断」に関して言えば、矛盾や瑕疵を感じませんでした。また、「結果回避可能性があれば、結果回避義務があるのは当然」という考え方は、違法性が阻却されることのある業務行為を対象とした場合には、論理矛盾が生じるのではないかと思われました。
…という事を書いておりました。
医療も素人なので、例として卑近な事例しか直ぐには挙げられませんが、ご容赦下さい。
私の身内は、視力が低下していたのを暫く放置していました(そしてそれを家族にすら怖くて話さずにいた)が、眼鏡を買い替える機会に決心して眼科を訪れ、そこで眼底出血であるとの診断がなされました。
ちなみに高血圧であるという自覚もありましたが、極端な病院嫌い(というか、とても怖がりで、病気であると診断されることを恐れる人でした。そして、「医師といっても人間だから間違いもするだろう。だから、余程の事がない限り、病院にはあまり行きたくない」という人でした。)そのため、高血圧の治療も行わずにいました。(家族は病院に行くよう何度も進めましたが…。こんな事になるならば、引っ張ってでも病院に連れてゆくべきだったと、反省しています。)
眼底出血についての説明は、以下リンク先にある通りです。なお、眼底出血の原因としてよくあるものの一つに、「高血圧などの全身病による網膜出血」があります。
http://homepage2.nifty.com/KatoEyeClinic/FdsHem.htm
医師からは「内科で、高血圧に対する治療」と、「眼科で、血管の出血部位にレーザーを当てるという治療」を並行して行うという説明があり、さらに後者の治療については「視力が著しく低下する恐れがある」という説明がありました。
そして、「新しく血管が生えてくるが、新生血管として毛細血管が生えてくるので、出血がしやすくなる。毛細血管が生えないようにするために、レーザーで焼く」という事でした。さらに「新しい毛細血管が、眼球の黒目の部分まで生えてくる可能性があり、その場合は緑内障という失明の危険性のある病気に繋がる恐れがある。このようなレーザー治療を行った場合と行わなかった場合のメリットとデメリットを比較すれば、メリットの方が上回るのではないかと思われる」というような説明でした。
出血に伴う網膜のむくみが引けば視力も回復すると言われましたが、むくんだ状態が長期間持続すると視力の回復は難しくなるそうです。そして身内の場合は視力の低下を感じて直ぐに病院を訪れず数ヶ月放置していたので、視力回復は難しいかもしれないとのことでした。「それでも、むくみが納まれば、少しは視力が回復するかもしれない」とは言われましたが、あくまで可能性であり、以前のような視力に回復することはあまり期待できないのだろうなぁ…という印象を受ました。いずれにせよ、確実な予測は難しいのだろうと感じました。
一番よいのは、網膜のむくみが引いた後に、以前のような視力が回復すること、そして、レーザー治療を受けなかったとしても、緑内障が併発しないことです。
でも、緑内障併発ひいては失明のリスクを考えると、レーザー治療をしないのも怖い。
しかし、レーザー治療をすれば、以前のような視力が回復する可能性は更に低くなるのだろうというジレンマがありました。
レーザー治療を受ける場合と受けない場合とで、どちらが私の身内にとってよりよい結果となるのか…。
視力が回復する確率や、緑内障が併発する確率などについて、過去の臨床例の統計があれば参考にはなりますが、個体差もありますし、身内は外れ値という可能性もありますので、「絶対」という事はまずありません。残念ながら、未来の結果から遡って、現在問われている選択肢を判断することは出来ません。
レーザー治療を行うという選択には、「視力が著しく低下するかもしれないという予測」があり、「レーザー治療を受けずに、むくみが引くのを待ったら視力が回復するかもしれない」という可能性もあります(可能性の大小は別として)。つまり、「視力の著しい低下」という結果予見可能性も、結果回避可能性もあります。
そして「視力の著しい低下」という結果が生じた時、もし、「予見可能性あり」+「結果回避可能性あり(そして、結果回避義務が当然ある)」として過失行為が認められるのだとすれば、「過失あり」の行為となってしまうのですよね…?
一方、レーザー治療を行わないという選択には、「緑内障が併発し失明するかもしれないという予測」があり、「レーザー治療を行えば、緑内障が併発しないだろう」という可能性もあります(可能性の大小は別として)。つまり、「緑内障が併発し失明する」という結果予見可能性と、結果回避可能性があります。
このまま緑内障が併発しなければ良いのですが、緑内障が併発するという残念な結果が生じた時には、もし、「予見可能性あり」+「結果回避可能性あり(そして、結果回避義務が当然ある)」として過失行為が認められるのだとすれば、「過失有り」という事になってしまうのですよね…?
つまり、どちらを選択しても、「過失有り」となってしまうように思われます。
過失行為を回避したければ、ほかの選択肢を、たとえば、「緑内障の併発と著しい視力の低下のどちらも回避できるような、どんな危険性もない別の治療を行う(もし、そんな素晴らしい治療法が確立されていればですが)」か、もしくは、「治療を断わる」以外に方法はなくなってしまうのではないでしょうか?
また、身内の場合は、とくに珍しい症例でもないようでしたが、珍しい症例の場合や、咄嗟の判断を要求される場合には、「どのような治療が患者の利益になるのか」という判断は、もっと難しくなるのではないでしょうか?
勿論、医療現場で悪い結果が生じた時に、批判的に検討する姿勢は大事だと思います。そうすることで医学の進歩はあるように思います。医療を受ける者の立場からも尚更、そのようにあって欲しいと願います。
しかし、刑事罰の判断においては、何が医師の落度として刑事罰を与えられるべきなのかについては、同じような姿勢で考えてもよいものなのかどうか、私には疑問です。
そして、「大野福島事件の医師が、刑事裁判では無罪を主張しているからといって、必ずしも、今回の事例について自分の医療行為を批判的に検討したりしていないとは限らない」と私は思います。
(余談ですが、身内は、米国かどこかでは、レーザー治療以外の治療法があることをインターネット上で見つけたと言っていました。視力が著しく低下したままであることにも、実際の生活の中で色々不便があり、段々にショックが大きくなっていたようです。
しかし、主治医には、そのような別の治療を受けられないか相談するつもりも、別の医師に相談してセカンド・オピニオンを聞くつもりもないと言っていました。不安はあるけれども基本的には今の主治医を信用しているから、少なくとも今のところは、そのような事を言わずに信じて、主治医の治療を受けると言っていました。口ではそう言いつつも、暫くはもっと他によい治療法方があるのではないかと悩んでいたようですが、最近は網膜の腫れもひいてきたという明るい状況が少し訪れたので、今も殆ど見えてはいないそうですが、視力回復の希望を少しでも再び持てるようになったせいか、あまり悩まなくなったそうです。)
URL | ぽにょ #l.rsoaag[ 編集 ]
2008/08/31 Sun 03:48:49のコメント:
×加罰的違法性
○可罰的違法性
2008/08/31 Sun 04:25:37のコメント:
×つまり、どちらを選択しても、「過失有り」となってしまいます。
○つまり、どちらを選択しても、「過失有り」となる可能性があります。(前者は著しい視力の低下が起きた場合、後者は緑内障が併発した場合には)
×「どのような治療が患者の利益になるのか」という判断は、もっと難しくなるのではないでしょうか?
○「どのような治療が患者の利益をより優越させることになるのか」という判断は、もっと難しくなるのではないでしょうか?
URL | ぽにょ #l.rsoaag[ 編集 ]
>これほど冷静沈着に、時にはきっぱりと辛口で、一般人にも、また、誤解している医師の方にも分かりやすく説明されているブログに出会ったことがありません
ありがとうございます。こうして誰かが法律論について、一般向けに説明することは意義あることだと思います。
>私としては、あなたのような方に今回の大野病院事件の裁判長であって欲しかったと思います
ありがとうございます。
民事事件では、東京地裁や大阪地裁などに「医療集中部」といった専門訴訟部があります。刑事事件でも「医療集中部」というものを作ったほうがいいのでしょうね。
「法律のひろば」2008年7月号35頁以下に「医療集中部における実務の現状と課題」という論文があり、「東京地裁に医療集中部が設けられてから7年が経過し、医療事件の審理の基本型は固まってきている」とありますから、刑事事件でも参考になるとは思います。
>無罪判決後の医師のブログの「おめでとうございます」の嵐・・・・。
>単純に喜んで良いことではないのに・・・と思いました
>無罪判決を受けた加藤医師が、「裁判所はきちんと判断をしてくれ、ほっとした。現場復帰したい」とコメントをされていますが、検察側の「なぜ無罪なのかと思うほど事実関係について主張が認められた」ことを考えれば、この発言は、結果だけを見てのコメントのように思えてなりません
そうですよね。福島地裁判決は、検察側主張の事実の大部分を認めているのですから、加藤医師は、判決文の途中はあまり聞いていなかったのでしょう。そう手放しに喜べないはずなのですが。判決公判の開始早々、「主文、被告人は無罪」と告げられて、それ以降はもう頭は真っ白だったのかもしれません。
ただ、裁判所は判決の最後の当たりで、民事の過失よりも刑事の過失の方を厳しくし、さらに立証の程度も重くするという基準を打ち出しておいて、証拠不十分だとして過失がなかったとしたのです。ここまで配慮すれば、無罪になるよね〜という感じです。ちょっと、異様な感じですね。
>検察は、控訴するかどうかの判断をする際には、誰に遠慮することもなく正義を貫いて欲しいと思います
検察は控訴を断念しましたね。最高裁との整合性とか、法解釈の統一性とかどうするのかと思いますが。新しい証拠がないという点はありますが、「医療崩壊」運動に負けたのでしょう。
>公的な報告書の中で医師の過失が明確に認定され、減給処分まで受けているのです。
>予断を持たずにこの報告書を読めば、警察・検察が事件性ありと判断して、医師を逮捕し起訴したことも不当とまでは言えないと思います。
仰るとおりだと思います。無罪となったことで、ネットでは「医師を逮捕し起訴したことも不当」だと述べているコメントもあるようですね。
死亡と言う重大な結果が生じている事件においては、一般的に言えば、証拠が乏しければ、逮捕して聞き出すことが必要となるのですから、身柄拘束してその間に取調べを行うこともあり得ます。
今回の事件では、証拠が乏しいばかりか、医療界が捜査に非協力であったのですから、医療界側への不信感もあったはずです。捜査期間側の捜査・起訴を非難するのは難しいと思います。
>裁判所の判断は、県の報告書には影響されませんでしたが、無罪といっても、臓器などの証拠が保全されていない中で、検察側の立証が不十分だったに過ぎないということではないでしょうか?
仰るとおりです。福島地裁判決は、刑事の過失は民事の過失よりも厳しいとし、立証の程度も重くし、その上で証拠不十分だったとしたのですから、無罪になりますよね。さすがに。
>被告人の医師には同情すべき点も多く、心情的には無罪でよかったと思いますが、この事件のよって、全ての医療行為について刑事免責すべきという意見には賛成できません。
>例えば、「点滴作り置き事件」は、その後、どうなったのでしょうか?
>警察の介入が嫌だと言うなら、医療界が自ら調査し、真実を明らかにする責任があると思います。
警察側の動きなどの動向としては、次のように報道されています。
「セラチア菌のDNA一致 伊賀・点滴事件
中日新聞2008年8月12日 夕刊
三重県伊賀市の整形外科診療所「谷本整形」で点滴を受けた患者29人が体調を崩した事件で、死亡した無職市川満智子さん(73)=同市島ケ原=の血液から検出されたセラチア菌のDNAの型が、点滴の残留液などから採取されたものと一致したことが県警の調べで分かった。
県警は、市川さんは院内感染が原因で死亡した可能性がさらに強まったとして、容疑を業務上過失傷害から業務上過失致死傷に切り替えて立件する方針。
市川さんは15人の被害者が出た6月9日、鎮痛剤とビタミン剤を調合した点滴を受け、10日に自宅で亡くなっているのが見つかった。その後、県の検査で9日の患者のうち6人の血液と、点滴の残留液や消毒綿の容器から検出されたセラチア菌のDNAの型が一致し、院内感染があったことが確認された。県警は民間の検査機関に委託して、市川さんから検出したDNAについても照合作業を進めていた。
一方、市川さんの死因は、ほかの入院患者の多くがセラチア菌が原因で発症した「敗血症」ではなかったことも分かった。
しかし、県警は点滴の投与で体調が急変し、院内感染が死亡につながったとみており、汚染された点滴液の投与と死亡との因果関係についてさらに捜査を進める。
セラチア菌 空気中にも広く分布する腸内細菌の一種。流し台など湿った場所に多く存在することから生活環境菌とも呼ばれる。毒性は弱く健康な人が発症することはまれだが、高齢者やがん患者、手術後の患者など免疫力が低下した人に感染すると、敗血症や肺炎を引き起こす。」
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008081202000322.html?ref=related
「谷本整形が改善報告=点滴患者死亡事件−三重
三重県伊賀市の診療所「谷本整形」で点滴を受けた患者が体調不良を訴え、うち女性1人が死亡した事件で、同診療所の谷本広道院長は29日、伊賀保健所に院内感染対策などを盛り込んだ改善報告書を提出した。県は立ち入り調査などで問題がないことが確認できれば、診療自粛要請を解く方針。(時事通信:2008/08/29-10:48)」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008082900316
警察の動きはあるようですが、医療界側はどうでしょうね?
>刑事手続は、一般の人には関心が薄く、自分や家族、友人には関係ないと思っている人が多数だと思います。
>今回の事件をきっかけに、不必要な逮捕や長期の勾留は、人権侵害というだけでなく、事件の真相を明らかにすることに役立たないということを、多くの人が考えてくれることを期待します
医療界側は、身内といえる医師が逮捕されたために「不当な逮捕」だと、問題視しました。身内であるか否かに関わらず、逮捕の必要性があるのかどうか問題視する意識をもってほしいと思います。特に、医療界側には。
>下記にTBをさせていただきましたところ、このような数字がでてきましたので、何かのお役に立てばとご報告にきました
ありがとうございます。アクセス解析できる仕組みにはしていますが、嫌がらせコメントを除いて、ほとんど解析結果を見ていないので、助かります。
>sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com(コチラ)・・・112 件
結構な反響があったのですね。良いことばかりだったのかは、分かりませんが、個人的には、cafe ownerさんを知ることができてよかったと思っています。
>国立大学法人からのアクセスが多いことに驚きました
「国立大学法人からのアクセス」ということは、一応、仕事として閲覧している、ということなのでしょう。この事件は、それほどまでに気になっているんですね〜。cafe ownerさんのブログは、かなり高く評価されているようです。
>上記最後のlaw-med.netはなんだか曲者なのでは?と感じております。
おそらく、名義の類似性から「Med_Law」というHNの方のHPではないでしょうか。「楽なログ・紙々の黄昏」さんの「筋違いの戯れ言」(http://ruhiginoue.exblog.jp/8146770/)というエントリーにも、そのHNでのコメントがあります。
「Med_Law」さんは、医師のブログでは有名な方のようで、医療者のようです。多少、法律的なコメントも残しているのですが、結構、間違っているので、法律の初学者程度の法的知識しかないようです。法律的な考え方自体が、よく分かっていないのだと思います。もちろん、法律家ではないはずです。
>なんとも不気味な法律家と医療従事者(医師のみ?)の方々ですね。
ははは。確かに不気味です。
ところで、私のブログは、裁判所はもちろん、弁護士であってもおかしなことを言っていれば、手心を加えることなく批判しますので、どれほど法律家が見ているのか不明です。ブログランキングといったことにも不参加ですし。ですから、多くは、学生さんや、法律関係と無関係な一般の方がばかりだと思います。「sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com」からのリンクでそちらにお伺いしている方は、法律家以外の方が多いと思います。
その割には裁判所の判断とも違いますし,このブログにコメントされている複数の法律家の方々の意見とも異なっていますね(笑)
URL | TBN #-[ 編集 ]
色々考えたということは分かりますし、法律学について勉強なされたこと自体は良いことだと思いますが……。もっとはっきり書けばよかったですね。「禁じ手の論理」で説明しているからダメだとしたのは、ぽにょさんの論理は、刑法理論上はもちろん、法解釈の基本に反しており、論外だということです。
>2008/08/28 Thu 03:08:44
>医療侵襲の正当化の実質的根拠は、「患者の優越利益の存在」にある。(利益衡量説)
>医療行為の場合は、医療侵襲の違法性が阻却される場合があるので、当該行為に注意義務違反があったのか(結果回避義務の有無)を問うには、「患者の利益衡量の判断」を行わねばならない
これ自体が明らかに間違っています。医療行為は違法性阻却ですが、医療行為が違法性を阻却する要件は決まっています。その要件をなぜ無視するのですか? 要件を無視しておいて、勝手に「患者の利益衡量の判断」を取り出すのは非論理的です。違法性阻却事由としての「医療行為」がある以上、その検討と無関係に、医療行為の違法性阻却を判断することはできません。
医療行為がその違法性阻却の要件を満たすときは、違法性を欠くという効果が生じます。それに対して、回避義務は過失の要件であり、その要件を欠く場合は、責任阻却です。なぜ、勝手に「結果回避義務の有無」の判断に、違法性の問題である「患者の利益衡量の判断」を取り込むことができるのでしょうか? 「患者の利益衡量の判断」は、回避義務の要件となるのですか? 取り込んだ場合の効果はどうなるのですか? 勝手に要件効果を組み合わせてみても、それはぽにょさんが勝手に創設しているだけであって、法律論としては全く通用しません。
要件も効果も異なる法律論について、混ぜることを認めるのであれば、要件と効果を定める意味がありません。別個の法律論を、勝手に要件効果をまぜこぜにできることを認めてしまえば、論理により成り立っている法律学・法解釈はなきに等しいのです。だから「ぽにょさんの論理は、法解釈の基本に反しており、論外だ」ということなのです。
>>福島地裁判決は、結果回避義務違反がないとしたわけですが、それは<1>構成要件該当性、<2>違法性は満たすが、<3>責任が欠けるとして無罪したということになります。
>法律の素人からの素朴な疑問なのですが、必ずそのように言えるのでしょうか…?
構成要件的過失を認めるか否かの議論はありますが、通常、こう考えられています(西田典之「刑法総論」59頁)。
>今回の判決は、「結果回避義務を構成要件として重視した(と私には思われた)【※】」という前提で
福島地裁判決が、過失を責任要素のみならず、主観的構成要件要素としても認めているのか不明ですし、特に、「結果回避義務を構成要件として重視した」というのは、根拠のない想像にすぎないのでは? 根拠のない個人的な想像で推論していくのは妥当ではありません。元々、元々、結果回避義務を主観的構成要件要素なのか否か議論は、今回の事案にはまったく影響しません。
><1>「構成要件」を満たさない
><2>「違法性」を満たさない。
><3>(検察側が主張する中止義務違反にあたる「義務」の証明がないので)、責任も無い。
>という判断なのだろうと私は思っておりました。
>法律から詳しいから方から見ると、そのような可能性は殆ど有り得ないということなのでしょうか…?
判決要旨をみても分かるように、大野病院事件では、違法性阻却はありませんので、「『違法性』を満たさない」の部分は、明らかに間違いです。もし、結果回避義務を含む「過失」を構成要件要素でもあると考えるのであれば、「構成要件要素としての過失」と「責任要素としての過失」を欠くということになりますが、違法性を欠くことになりません。こうした構成要件的過失とするのは、説明の便宜だけのことで、今回の事案の処理にはまったく影響しません。
>上述の前提【※】では(春霞さんは、その前提に異論があるかもしれませんが)、結果回避義務違反の有無は、<1>の構成要件該当性の話になります。
>つまり、上述の【※】の前提では、「<1>の構成要件該当性と<2>の違法性の話を混ぜている」というご指摘ならば当たると思います。
>ただ、<1>構成要件該当性と<2>違法性は、別の刑法原理ではありますが、構成要件は「違法な行為の類型」なので、実務上はこの二つを分けて判断せねばならないような場面は少ないのではないでしょうか。
「過失」について、責任要素のみならず、構成要件要素としたとしても、性質は責任のままです。ところが、ぽにょさんは、「違法」要素と「責任」要素を混ぜ込んで判断してしまっています。しかし、違法と責任を区別するのが、近代刑法理論の立場(客観的違法論といいます)ですので、ぽにょさんの説明は間違った論理なのです。
すでに述べたように、ぽにょさんの説明は、要件も効果も異なる法律論について、勝手に混ぜているために、法解釈の基本に反しており、論外であることが最もマズイ点です。
>上記の文だけを読めば、「結果回避可能性は<1>の構成要件該当性の問題であり、結果回避義務は<3>の有責性の問題である」とするならば、上記の文章は、「構成要件該当性」と「有責性」の問題を混ぜて判断しているように見えてしまいます…。
結果回避可能性も結果回避義務はいずれも責任要素であり、<3>の有責性の問題です。というより、「結果回避可能性は<1>の構成要件該当性の問題であり、結果回避義務は<3>の有責性の問題」とする見解自体、ありません。
>医療も素人なので、例として卑近な事例しか直ぐには挙げられませんが、ご容赦下さい
色々と書いて下さったこと自体、大変だったとは思います。ですが、この事例は、何か犯罪が成立しているのでしょうか? もし、業務上過失致死傷罪を問題にするのであれば、「致傷結果」が必要です。「致傷結果」が生じていなければ、そもそも過失犯自体が問題になりません。
まず何よりも、業務上過失致死傷罪を問題とするのであれば、その構成要件該当性を検討するのが先決です。単に過失と思われる部分を取り出して、論じてみても意味のあることではありません。
なお、私がこのエントリーで行っているのは、福島地裁判決の法的問題点のみを取り出して検討しているのであって、構成要件該当性、違法性、有責性をすべて検討しているのではありません。
>>法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容です。
>その割には裁判所の判断とも違いますし,このブログにコメントされている複数の法律家の方々の意見とも異なっていますね(笑)
あら〜。法律の素人さんですね。きっと高校生かな? 実に微笑ましいコメントです。判例評釈って知らないんだな〜。
でもね〜。法律の素人さんでは、コメント欄だけ読んだだけでは全く内容を理解できないですし、特に、このエントリーを理解するのはまず無理です。まずは、大学生か専門学校生など、将来のための勉強をしましょうね。
なお、意味なく煽るだけのコメントは、未承認のままにしていますので、ご了承下さい。
了解しました!具体的には「あら〜。法律の素人さんですね。きっと高校生かな?」みたいなコメントはしなければよいのですね!
・・・と冗談はさておき、春霞さんはご自分の意見の分が悪くなってくると無駄に相手を罵倒なさる癖があるようですね。法律家としては品位に欠く対応ではないですか?
>判例評釈って知らないんだな〜。
回答になってませんねぇ。この記事が判例評釈なんだろうということは理解しますが。。
仕方ないので、もう一度分かり易く書きます。
「裁判所の判断とも、コメント欄の複数の法律家と思しき方の意見とも、おそらくは検察の判断とも異なった、春霞さん独自の見解を『法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容』と主張される根拠は何ですか?」
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>仕方ないので、もう一度分かり易く書きます。
>「裁判所の判断とも、コメント欄の複数の法律家と思しき方の意見とも、おそらくは検察の判断とも異なった、春霞さん独自の見解を『法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容』と主張される根拠は何ですか?」
【評釈】 (三省堂「大辞林 第二版」より)とは、「文章・詩歌・俳句などを解釈し批評すること。また、それをした文。」のことです。だから、「判例評釈を知らないのだろうか」と書いたのです。最高裁判例などに照らして、福島地裁判決を解釈し批評したのですから、福島地裁判決と異なるのは当然です。こんなことをわざわざ書かないと分からないのでしょうか?
「法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容だ」というのは、「過失論や福島地裁判決の問題点は、現在の学説及び最高裁判例を前提にすれば、法律家であれば誰でも指摘できる程度の内容だ」という意味です。
「大野病院事件(上)」で示した基本的な法律知識は、現在の学説及び判例です。その基本的な法律知識を前提にして「大野病院事件(下)」で福島地裁判決を検討したまでのことです。判例評釈を仕事として行ったことがある者であれば、さほど難しい検討・結論ではありません。
もちろん、当然のことですが学者によって、いささか説明の仕方が異なりますが、それは些細なことにすぎません。
これも当然のことなのですが、「法律家であれば誰でも同じことを書く」という場合の「法律家」とは、現在の学説及び最高裁判例に基づいて検討する法律家に限られます。判例評釈をする場合には、その礼儀作法として「現在の学説及び最高裁判例に照らし、丹念に文献を参照したうえで検討する」ものだからです。
コメント欄でズレが出ていたのは、「回避可能性と回避義務の関係」ですが、30年前の学説と現在の学説とのズレ、判例の理解の仕方のズレが原因です。30年前の学説が正しいのだと今言われても「勝手にどうぞ」という感じですし、判例の理解は、調べれば分かりますが別にオリジナルなものではありません。
福島地裁判決の問題点として挙げた点のうち、コメント欄で指摘を受けていない点は、真っ当な法律家であれば、大体同じようなことを触れていると思います。もし、違うことを書いている方がいれば、そのお名前を挙げて下さい。
以上のように、TBNさんご自身が判例評釈とはどういうものか分かっていれば、問うまでなく、また、こちらが答えるほどの内容でもないのですが。
要するに
「裁判所の判断とも、コメント欄の複数の法律家と思しき方の意見とも、おそらくは検察の判断とも異なった、春霞さん独自の見解を『法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容』と主張される根拠は何ですか?」
に対する回答としては
1.上記の「法律家」とは「現在の学説及び最高裁判例に基づいて検討する」「真っ当な法律家」のことである。
2.検察,裁判所,およびコメント欄の複数の法律家と思しき方はこの定義における「法律家」には該当しない。
3.したがって、彼らの判断と春霞さんの判断が違ったとしても『法律家であれば誰でも同じことを書くはずといえる程度の内容』との主張に誤りは無い
ということで宜しいでしょうか?
URL | TBN #-[ 編集 ]
法律論を展開する場合に必ずなすべきことは、複数の文献や判例を調べることです。研究者だけでなく、それは法学部の学生でさえも、必須のことです。このように、「文献や判例を調べること」は、判例評釈に限らず、法律学においてはごくごく基本的な作業なのであって、「法律学のイロハ」といえるものです。
しかし、紙媒体において判例評釈を行ったことがある者を除いて、ネット上で法律家と称している方の多くは、「文献や判例を調べること」を殆どしていません。「文献や判例を調べること」なく書いているので、デタラメも多く、良くて単なる法律漫談にすぎません。ですから、ネット上の法律家の発言は、紙媒体では引用されず、学問的・実務的にも全く無価値にすぎないというのが現状です。
こうした現状からすれば、私が判例評釈として念頭においているものは、紙媒体での判例評釈だけです。このブログで行っていることは、紙媒体での評釈・文献を多数引用して客観的な信頼性を担保し、一般市民にとって出来る限り「使える内容」を提示しているものなのです。
このブログにも、「文献や判例を調べること」を殆どすることなく、批判してくる自称弁護士もいます。しかし、そうした批判は、すでに述べたように学問的・実務的に全く無価値なのですから、元々念頭においていないのです。
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