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この裁判の判決公判が8月20日、福島地裁であり、鈴木信行裁判長は「処置は医療現場で行われていた標準的なものだった」として被告人の「過失」(注意義務違反)を否定し、警察に報告しなかったことは医師法違反罪に当たらないとして、無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡しました。
この判決を受けて、舛添厚生労働大臣は次のようにコメントしています。
「判決を受けて、舛添厚生労働大臣は記者団に対し「行政の長として、個々の司法判断にコメントはできないが、厚生労働省としては今回の判決も参考にしたうえで、医師の声や真実を知りたいと願う家族の声のバランスを取りながら、今後の事故調査のあり方を検討してきたい」と述べました。そのうえで舛添大臣は、医療事故が起きた場合に死因や診療内容などを調査する権限を持つ第三者機関の設置について「よい形で事故の原因究明ができる委員会を作るために、党派を超えて国会で議論し案をまとめていきたい」と述べ、法案化を目指す考えを示しました。」(NHKニュース(8月20日 13時24分))
裁判一般に言えることでありますが、この事件でも、法律的な誤解、法律的な誤解に基づく非難が多く見られました。例えば、この事件に関して、民事事件と勘違いしているのか、患者遺族がこの裁判の訴訟当事者のように理解している者などがいるのです。患者遺族に対して、一部の医療関係者が盛んに誹謗中傷(他の民事事件では、侮辱罪、名誉毀損罪、脅迫罪に当たるような言動もある)を行っているのも、その一種といえます(「中傷される医療被害者〜医療関係者による誹謗中傷の実態(東京新聞平成20年7月27日付「こちら特報部」より)」(2008/07/27 [Sun] 23:59:48)参照)。(もしかしたら、医療関係者は、一般市民よりも法律的知識(社会常識!?)を欠いているのかもしれません。)
そこで、この裁判について検討する前に、最低限知っておくべき法律知識などを説明しておきたいと思います。
(平成20年8月28日付追記:「要求される結果回避可能性の程度」について言及しました。)
「【大野病院事件】 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開で出産した女性が死亡。子どもは助かった。県の調査委員会が医療過誤を認める報告書を公表、これが捜査の端緒となり、県警は06年、子宮に癒着した胎盤をはがす「はく離」を無理に継続し大量出血で死亡させたとして、業務上過失致死などの疑いで執刀した産婦人科医加藤克彦被告を逮捕した。「医療が萎縮(いしゅく)する」と医療界は猛反発、関連学会の抗議声明も相次いだ。第3者の立場で医療死亡事故を究明する国の新組織が検討されるきっかけにもなった。
【癒着胎盤】 母体と胎児をつなぐ胎盤は通常、出産後に子宮からはがれるが、胎盤の絨毛(じゅうもう、細い毛状組織)が子宮筋層に侵入している場合、胎盤が子宮内壁と強く癒着し、胎盤をはがすことが困難となる。出産1万件に1件と言われる疾患で、事前に癒着胎盤の有無や程度を正確に診断することは困難とされ、はがす際には大量出血の危険が伴う。出産経験のある妊婦に多いとされる。」(東京新聞平成20年8月20日付夕刊1面)
(1) 捜査の端緒は、あくまで「県の事故調査委員会が医療過誤を認める報告書を公表」したこと、すなわち、福島県の事故調査委員会の報告書が、加藤医師の処置を「判断ミス」としたためであって、患者遺族が捜査の開始を求めたのではないのです。
また、「加藤医師が手術前、態勢の整った病院に運ぶよう助産師から助言されていたことも公判で明らかになった」(読売新聞平成20年8月21日付朝刊3面)ことから分かるように(=分娩前に、助産師が高高度医療施設への転院を加藤医師に提案したが、加藤医師がそれを断ったようであって、患者側が転院を拒絶したのではない)、転医義務(転送義務)違反を疑う理由があったのですから、患者が死亡したという結果の重大性をも考慮すれば、捜査の必要性があったといえます。
(2) この事件は民事裁判ではなく刑事裁判です。ですから、裁判を起こす、すなわち起訴するのは検察官のみです(刑事訴訟法247条〔国家訴追主義〕)であって、起訴するか否かは、検察官の裁量に委ねられています(刑事訴訟法248条〔起訴便宜主義〕)。ですから、被害者遺族がこの裁判を起こしたわけではないのです。
刑事裁判での訴訟主体は、裁判所・検察官・被告人(弁護人)であって、被害者及び被害者遺族は訴訟当事者ではありません。ですから、患者遺族は、法廷では傍聴席に座るだけであって、参考人として証言する程度しか、訴訟に関与できないのです。
このような刑事裁判の訴訟構造や、先に述べた捜査の端緒からすれば、この事件において、患者遺族が処罰を求め被告人を非難したとしても、それは遺族として普通の行為をしているだけであって、そうした遺族を非難することは、まったくの筋違いということになります。もちろん、遺族が「裁判は不要である、死刑にならなければ私が殺してやる」などとカリスマ被害者のような言動をすれば別ですが。
2.医療過誤事件が刑事事件として立件されるようになった背景は、1999年に東京都内の病院で起きた点滴ミス隠し事件などを契機に広がった「医療不信」と、多くの事件で一般化している「犯罪被害者(遺族)の処罰感情」重視の世論です。
「医療不信の広がりは、横浜市大病院で2人の患者を取り違えて手術した事件と、都立広尾病院で誤って主婦に消毒液を点滴して死亡させ、ミスを隠そうとした事件が99年に相次いで起きたことが契機になった。
以後、遺族の処罰感情などを背景に捜査機関が医師個人の責任を問うケースが急増。2002年には東京慈恵医科大付属青戸病院で、経験のない医師3人が難度の高い腹腔(ふくくう)鏡下手術を行って患者を死亡させる事件も起きた。警察庁によると、警察から検察への送致件数は、99年の10件から00年は24件に増え、06年には98件になった。
捜査とは別に、厚生労働省は05年9月、病理解剖学などの医療関係者と法律家で構成される医療版「事故調査委員会」を4都府県でスタートさせた。
こうした状況の中、06年2月に加藤克彦医師が逮捕された。」(「読売新聞平成20年8月20日付夕刊14面)
(1) 「犯罪被害者(遺族)の処罰感情」重視の世論が、近年の厳罰化をもたらしていることは周知の事実です。ですから、この厳罰化の要請が医療過誤事件に及んだだけのことであって、当然の流れとさえいえるものだったのです。
すでに触れたように、隠蔽行為に対しては、捜査機関は厳しい態度を取っているのが通常ですので、1999年に東京都内の病院で起きた点滴ミス隠し事件は、捜査機関側が医療行為に対して監視の目を光らせる契機になったといえます(医師法21条及び虚偽公文書作成・行使罪で、04年4月に最高裁で有罪確定)。そして、2002年におきた「青戸病院事件」については、東京地裁は「医師の基本を忘れた無謀な行為というほかない」として業務上過失致死罪につき有罪判決を出しています。このような医療事件の内容は、捜査機関・裁判所側にも医療不信を高めてしまったといえるのです。
また、加藤克彦医師が約1ヶ月間身柄拘束されたことに、医療界側は反発をしたようです。しかし、通常の刑事事件ではさほど珍しいことはなく、医療行為であっても治外法権ではありません。ですから、一般市民の側からすれば、約1ヶ月間身柄拘束されたことに対して、なぜ非難を向けるのか奇異に感じているといのが素直な感覚でしょう。特に、「逮捕されるような悪人は長期間身柄拘束すべき」という世論からすれば、今回の捜査機関の行為は、何ら非難するものではないといえます。
(2) このブログでは、厳罰化に対しては基本的に批判的な立場ですから、長期間に及ぶ身柄拘束、処罰範囲の拡大傾向に対しては、批判的な立場です。
また、薬害エイズ事件の諸判例(薬害エイズ事件厚生省ルートの東京高判平成17・3・25、ミドリ十字ルートの大阪高判平成14・8・21、帝京大ルートの東京地判平成13・3・28)から明らかなように、行為当時の医学界の認識状況を慎重に見極めながら、被告人の刑事過失の有無を決定するのが現在の裁判所の態度です(医事法判例百選139頁〔町野朔〕)。ですから、今回の事件では、助産師の助言に従って態勢の整った病院に転送するなどといった最善の策をとっていなくても、現在の医療水準では有罪とするのは困難を伴うものでした。
しかし、日本の世論は厳罰化の流れを好ましいとしているのですから、今回の事件は当然の流れといえるものであって、本来、捜査機関に対しては賞賛の声が上がるべきだったのです。また、薬害エイズ事件の諸判例において無罪判決を出した判決(東京地判平成13・3・28)に対して、多くの市民は非難を行っていたのですから、世論は医療事件でも果敢に起訴することを求めていたともいえるのです。
特に、医療事件は、交通事故と異なり、事故か疾患のせいなのか区別がつきにくく、死亡という結果でも医療側にミスがあるとは限らないため、資力と立証能力が乏しい患者にとっては民事責任の追及は困難です。ですから、刑事責任の追及は、(現在のところ)被害患者救済の唯一の道であり、国家権力を背景にした捜査機関が、医療事件につき、積極的に刑事責任追及を始めたことは大歓迎である、とさえいえるのです。
ところが、普段、(ネットなどでは特に)「もっと厳罰化すべき」と唱えている多数の医師たちが、今回の事件につき、一斉に反発したのです。普段は、厳罰化に賛同し、捜査当局がどんなに長期間身柄拘束しようと非難しない読売新聞さえも、「そもそも、医師を逮捕までする必要があったのだろうか。疑問を禁じ得ない」(読売新聞平成20年8月20日付社説)と主張するのです。しかし、それでは、今まで唱えていた「被害者感情」重視・厳罰化の要請は一体どうしたのでしょうか?
こうなると、結局は、「自分に及ばない他人事だったから厳罰化を主張したのであって、自分に累が及ぶとなると別である」とか、「医療界が報道機関に対して一斉に非難しており、無罪判決も出てしまったため、医療界におもねる必要があるので、(読売としては)厳罰化の要請は一時黙っておく」というものであって、「厳罰化の要請」は単なる感情論であって自分勝手な言い分にすぎない、と思えるのです。
3.検察側は、業務上過失致死罪(刑法211条1項後段)と医師法21条違反の罪で起訴しました。起訴事実に関わる規定を引用しておきます。業務上過失致死罪は過失犯であり、医師法21条違反の罪は故意犯です。
「(故意)
刑法第三十八条
1 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
(業務上過失致死傷等)
刑法第二百十一条
1 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。
医師法第二十一条 医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。 」
(1) 業務上過失致死罪は過失犯です。
現行刑法は、犯罪行為は故意によるものが原則であることを明らかに、故意のない行為の処罰は例外です。このように、法律上は、過失犯処罰は例外ですが、交通事故が多発するようになり、業務上過失致死傷罪を中心として、犯罪現象としては窃盗罪についで2番目に多い発生率を占める状態であり、事実上は例外とはいえません。(なお、民事責任としては、債務不履行責任〔民法415条〕と不法行為責任(一般不法行為〔民法709条〕・使用者責任〔民法715条〕を根拠に損害賠償を請求できます。これらの責任については、過失責任は例外ではありません。)
刑法211条によれば、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者」が構成要件です。その実質的内容は、不注意により結果を発生させたことです。すなわち、過失とは、「注意義務」に反することをいうのです。
例えば、ある神社で初詣客が多数見込まれ、その雑踏によって転倒者が続出し多数の負傷者・死者が出ることが予想される場合、あらかじめ警備員を配置し、参拝客を安全に誘導するなどの対策が講じられるべきである。にもかかわらず、なんの措置も講じないで死傷者が出た場合には過失責任が問われて当然です。そこでは、事故の発生することを予見する義務とこの予見に対応して結果を回避する措置を講じる義務に違反することが過失です(最決昭和42・5・25刑集21巻4号584頁=弥彦神社事件)。
こうして、過失すなわち「注意義務」違反の内容については、次のように説明されています。
「このように、過失すなわち「注意義務」違反とは、結果の予見可能性があり、結果回避行為が可能であるのに結果を予見せず、または、予見しても適切な結果行為を行わずに結果を発生させたことであるといえよう。そして、予見可能性があれば予見義務があるのは当然であり、回避可能性があれば結果回避義務があるのは当然であるから、結局、過失とは結果の予見可能性があるのに結果回避行為をとらなかったことを意味することになる。それは、事故が起きたとき、何をすればこの結果は回避できたか(結果回避行為)、そのような結果回避措置を当時の具体的状況のもとで行為者に要求できたか(予見可能性)という常識的判断過程に対応するものといえよう。」(西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)239頁)
要するに、「注意義務」違反とは、<1>予見可能性・予見義務、<2>回避可能性・回避義務を内容とし、これらに違反する場合が「過失」となるわけです。
(2) 予見可能性と結果回避可能性について、もう少し詳しく説明を加えておきます。
イ:予見可能性については、次の2点を指摘しておきます。
<1>予見可能性の対象は、何が起きるか分からないという抽象的な結果では足りず、他方で、結果に至る具体的な因果経過の詳細を要求するのは困難なので、「特定の構成要件的結果及びその結果の発生に至る因果関係の基本的部分」で足りると解するのが判例・通説です(札幌高判昭和51・3・18=北大電気メス事件)。
また、<2>予見可能性は特定の構成要件的結果を対象とした具体的なものでなければなりません。自己の行為から「何か起きるかもしれない」という不特定な抽象的予見可能性では足りないのです。それゆえ、前例のない危険や未知の危険に対する予見可能性は否定されることになります。また、結果発生の確率が低いからといって、予見を困難にするわけではなく、予見可能性がないということにはなりません。例えば、宝くじに当たるのは稀であっても、宝くじに当たるかもしれないことは予見可能であることと同様です(西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)247頁〜250頁)。
ロ:結果回避可能性については、予見に応じた適切な結果回避行為をとれば結果を生じなかったであろう場合に認められます。したがって、結果を予見し適切な回避行為を行ったが、その時点では、結果回避可能性がなかった場合には、当然に過失が否定されることになります。
例えば、自動車運転者が、夜間、時速約40キロメートルで走行中、事故と同じ車線を反対側から無灯火で走行してきた車を約8メートルの距離で視認し、とっさに急ブレーキをかけたが間に合わず衝突して相手方運転者を死亡させた場合、事前に徐行義務もなく、前方を注視していても、より早く発見できたわけではないから前方注視義務違反もありません。それゆえ、予見可能となった時点での適切な回避行為は急ブレーキをかけることですが、それでも回避不可能であるときは、当然過失は否定されることになるのです(最判平成4・7・10判時1430号145頁。同旨の裁判例として、千葉地判平成7・7・26判時1566号149頁。西田典之『刑法総論』(弘文堂、平成18年)252頁〜253頁)。
結果回避可能性が必要だとしても、どの程度のものが要求されるかについては議論があります。判例は、「回避することが可能であったという事実については、合理的な疑いを容れる余地がある」(最判平成15・1・24判時1806号157頁)とか、「確実」(最判平成4・7・10判時1430号145頁)といった文言を使い、高度の結果回避可能性を要求しています(山口厚編『ケース&プロブレム刑法総論』(弘文堂、2004年)29頁以下〔小林憲太郎〕)。これに対して、学説としては、通説は判例と同じく、高度の結果回避可能性を要求していますが、判例・通説と逆に、「結果を回避し得ないことが確実でない限り、処罰してよい」とする危険増加理論も有力に主張されています。もっとも、危険増加理論に対しては、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に違反するという批判がなされています。
なお、従来、「信頼の原則」という法理により被告人の注意義務違反を、したがって過失犯の成立を否定していた事案(最判昭和48・5・22刑集27巻5号1077頁)について、最高裁平成15年1月24日判決(判時1806号157頁、判タ1110号134頁)は、信頼の原則を適用せずに、結果回避可能性の欠如により過失犯の成立を否定しています。昭和48年判決との整合性につき、議論がありますが、過失犯の成否につき、(結果回避義務違反の有無でなく)結果回避可能性の判断を重視する傾向にあることは確かだと言えます。
(3) 注意すべきなのは判例の傾向です。結果発生の予見可能性について、それが高度のものであることを必ずしも要求しない判例の立場では(例えば、ホテルニュージャパン事件の最決平成5・11・25)、予見可能性は肯定しやすいため、処罰範囲を限定するうえでは、結果回避可能性・結果回避義務違反の存否をめぐる判断が重要なものになっています(刑法判例百選1〔第6版〕55頁)。
業務上上過失致死罪に関しては、公判で争点となったのは、被告人である産科医加藤克彦さんが<1>術前や術中に癒着胎盤の認識はあったのか(予見可能性)<2>癒着胎盤ならば、はがさないで子宮を摘出するべきだったのか(結果回避義務)――の2点でした(日経新聞平成20年8月20日付夕刊19面)。これらの検討に当たっては、上記の「過失判断基準」を前提にして行うことになるわけです。
4.なお、医療界からは、「医療事故に刑法を適用するべきではない」との趣旨の主張(加藤克彦医師を支援している上昌広・東大医科学研究所特任准教授の主張)があります。
(1) しかし、刑法211条を見ると分かるように、医療行為について「業務」性を否定する文言はありませんし、医師は刑法の適用除外とするような「身分犯」規定もありません。また、刑事訴訟法において医師といった医療関係者の逮捕要件を限定した規定もありません。もし、捜査機関が、勝手に医療事故については刑法を適用しない旨の運用をすると、なぜ、他の「業務」では刑法が適用されるのか、医療行為だけ特権的地位を得るのは不平等であるとの批判を受けてしまいます。
ですから、法の一般性や法適用の平等(憲法14条)からすれば、医療行為についてのみ刑事責任の追及を否定することは不可能なのです。(医療界が、業務上過失致死傷罪規定の削除を求めるのなら別ですが、公平を図るために自動車運転過失致死傷罪も削除することになるでしょう。)
確かに、福島県立大野病院の医療事故で医師を逮捕、起訴した判断について、検察幹部らは「捜査で初めて明らかになった部分もある」と評価する一方、医療界からの激しい反発は「想定外だった」と戸惑いを見せています(日経新聞平成20年8月20日付夕刊18面)。しかし、それでも、検察幹部らは、「悪質な事故隠しなどがあれば、独自に捜査して起訴することに変わりはない」(日経新聞平成20年8月20日付夕刊18面)と述べています。現行法からすれば、この検察幹部らの発言はごく当然の発言なのです。
もっとも、刑法などを改正して、医療事故に関しては、業務上過失致死罪の適用を除外するような規定を設けることも考えられます。しかし、医療行為のみを適用除外とする規定は、他の「業務」と異なり、医療行為という「業務」のみ特権的な立場を付与するものですから、平等原則(憲法14条:法の下の平等)に反するので、まず認めることは困難です。
このように、「医療事故に刑法を適用するべきではない」との趣旨の主張は、現行法のみならず、憲法上も認められないのです。
(2) 「医療事故に刑法を適用するべきではない」との趣旨の主張の奥底には、「医療行為は多少のミスをしても刑事訴追されない」という、特権意識があったのだと思えます。だからこそ、刑事裁判となったことに対して、医療界は猛反発し、過度ともいえる萎縮を生じているのでしょう。「医療過誤訴訟が医療崩壊の原因である」と。
しかし、他に、危険を伴う業務を行っている者たちはもちろん、一般市民の多くは、「医師たちは、同じ業務であっても、いかなる根拠で医療行為のみを聖域にしろと主張するのか。現在の日本社会において、なぜ、医師たちのみ、刑事訴追の免責を受ける貴族のような特権を認めろというのか。患者及び患者遺族は、医療過誤の民事裁判で勝訴することは困難なのに、裁判を起こすことさえも、『医師貴族様』から文句を言われるのか」と不快に思っているのです。
医療関係者が「医療事故に刑法を適用するべきではない」との趣旨の主張を声高に唱え、患者遺族に対して盛んに誹謗中傷を行っている現状を見ると、「医療界の一部は、他の業務者や一般市民の冷ややかな感情をいまだに理解しようとしてしない」と、思えてならないのです。
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http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/st20080820.mp3
父親、兄が開業医である勝谷誠彦氏の話は、とても参考になります。 (因みに同氏は、医師を目指しながら、灘中、灘高から早稲田にしか入れなかった“落ちこぼれ”)
URL | rice_shower #UXr/yv2Y[ 編集 ]
丁寧なご挨拶、ありがとうございます。
色々とご迷惑を受けているご様子、心を痛めております。
誹謗中傷するのでなく、建設的な意見へ精力を振り向けて欲しいと感じます。
こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。
非公開ですので、修正した形で引用します。
>医師だけが無罪を求めるのも困ったものですが、医療崩壊はもっと困るでしょうから、今の医療界の動きは、裁判所も恫喝されているようなものです
医療側は相当な危機感であるとしても、「無罪にしないと産科医絶滅だ」という感じですから、仰るとおり、恫喝に近いですね。冤罪事件でも、多くの方がこれだけの意欲で取り組んで欲しいものです。特に、冤罪で死刑判決が出ている事件では。
>ネット右翼みたいな非常識な医師が増えているのは日本人の劣化によって起きていること
>罪に問うことで責任を明確にすることは悪いことではないと思いますが、それなら裁判官も過失があったら罪に問うべきでは? 冤罪による死刑は裁判官の業務上過失致死とか。
厳しいお話ですが、冤罪死刑の最大の責任者は裁判所です。責任を感じる裁判官もいるようですが、冤罪死刑を出した裁判官は、ほとんどといって良いほど謝罪もしないですから。
>医療行為に限っては、行政処分や民事賠償を厳しくすることで刑事処分の対象にしないのも一つの方法です。もちろん、カルテの改竄や証拠隠滅などは、厳罰で。ネット等での誹謗中傷や個人情報の無断開示なども同様に刑事処分ありです。
仰るとおりですね。十数年間、日米の医療と法の比較研究を行ってきたロバート・レフラー教授は、次のようなことを述べています。
「日本の医療界は、専門家の自己規制や同僚審査は歴史的に盛んではなく、重大な医療過誤 をした医師に対し行政的制裁が科されることも極めてまれだった。民事訴訟システムも、最近まで、概して大部分の医師の注意を引かない程度の働きしかしてこなった。……適切な公的責任追及手段がないために、警察と検察は代役を務めて、自分たちの自由になる法令を駆使したのです。……今世紀最初の数年の注目jを集めたいくつかの事件における刑事訴追は、明らかに、厚生労働省と医療専門家に対する一種の『目覚まし』役として有効であった。」(レフラー(三瀬朋子訳)「医療安全と法の日米比較」ジュリスト1323号(2006年)17頁)
行政処分や民事賠償を十分に機能させることで、「目覚まし」としての刑事処分は後退していただくのが、最も妥当なあり方なのだと思います。
>刑事罰より有効な方法を探るべきです。例えば、医療訴訟において医師側に立証責任を負わせるとか、過失があったら罰金や、過失点数により、免停、免許取消の他に、期間を決めて研修医として働かせるとか
なるほど。確かに、刑事罰を課して有罪となっても、罰金か執行猶予ですし、真相の究明に繋がるわけではないですし。刑罰よりも、十分に技能研修などを受け、再出発してもらうのが誰にとってもいいことです。医療過誤が発生して行政処分を受けた場合には、再教育制度があるのですが、もっと積極的に活用するのも手かもしれません。
素人の患者と専門家の医師との医療訴訟ですから、どうしても患者側に分が悪いですし、証拠は医師側にあるのですから、仰るとおり、立証責任の緩和が必要です。立証責任については、医療機関側の不作為と患者の死亡との因果関係については、幾らか緩和しています(最高裁平成12年2月25日判決、同平成12年9月22日判決)。
>「今更研修などできるか」というような不遜な人は辞めて貰えると有難いです
……(^^ゞ
>難しいテーマで結論が見えないのですが
とりあえず、このエントリーと、「福島県立大野病院事件(下):福島地裁平成20年8月20日判決への評価〜医療過誤に対する刑事責任の追及はやめるべきか?」(http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1347.html)で、方向性は分かるのではないかと思います。
>父親、兄が開業医である勝谷誠彦氏の話は、とても参考になります
情報ありがとうございます。なるほど、勝谷さんはこういう説明をしているわけですね。勝谷さんも、毎日新聞批判とはね。医療界側の主張をそのまま述べている感じです。
ただ、一部の医師がマスコミ批判はおろか、遺族への誹謗中傷をしているなかで、いまさらマスコミ批判をしても、どうかなと思いますが。現状では、マスコミ批判も行き過ぎてる感じですから。
妊婦の「たらい回し」は、最初はどのマスコミも言ってましたけど、今はどこのマスコミも理解したため、言わなくなってます。問題の根本は、医療費が払えなくなってきている市民が増えてしまい、妊婦健診で払う費用がない点です。ですから、舛添厚労相は、次のような発言をしているわけです。
「妊婦健診の支援拡充検討 舛添氏、09年度実施へ
舛添要一厚生労働相は22日の記者会見で、少子化対策の一環として、妊婦が医療機関で受ける妊婦健診の公費負担拡充や、妊婦が数十万円の出産費用を事前に準備する必要がなくなるような制度改革に取り組む意向を表明した。来年4月からの実施を目指す。
舛添氏は「出産費用についての心配をなくし、誰もが安心して妊娠できる仕組みをつくりたい」と述べた。
妊婦健診は妊娠初期から出産までに約14回実施することが望ましいとされている。費用は1回当たり数千−1万数千円で、公費負担が認められる回数は、地方自治体によって異なるものの、全国平均で5回分程度という。舛添氏は「14回分なら完ぺきだが、必要な回数を(公費で)受けられるようにしたい」と強調した。
また出産費用は現在、保険の適用外で全額が自己負担。原則的には妊婦や家族がお金を事前に準備して医療機関に支払う必要がある。妊婦が健康保険に加入していれば、出産後に出産育児一時金の形で35万円が支給される。舛添氏は、一時金が医療機関に直接支払われる仕組みへの変更を検討する意向を明らかにした。
2008/08/22 12:36 【共同通信】」
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082201000332.html
かなり気になった点を1つ。勝谷さんは、医療訴訟は、弁護士が儲かるから起こすなんて言ってますけど、違いますね。一般の民事事件の原告勝訴率は、80%を越えているのですが、医療訴訟ではここ10数年間30〜40%なのです(藤田裕『患者・家族のための医療訴訟実践手続きマニュアル』166頁)。勝訴するといっても説明義務違反でのものが少なくないのですが、その勝訴では多くて100万円なのです。双方とも医療の専門家を繰り出しての訴訟になるので、費用も時間もかかるのに、勝訴は難しく、患者側にとって真相は良く分からないまま、となることが多いのです。医療訴訟は、儲かるから増えているのではなく、泣き寝入りしていた患者が権利主張するようになったからでしょうね。もちろん、モンスターみたいな患者が増えたことも確かですが。
の直後に
>患者遺族に対して盛んに誹謗中傷を行っている現状を見ると、
という記述を併置することは
あたかも、前者を主張するものが後者をも主張しているかのような印象を与える。これは誘導であり、是認しがたい。 撤回を求める。
>>医療関係者が「医療事故に刑法を適用するべきではない」との趣旨の主張を声高に唱え、
の直後に
>>患者遺族に対して盛んに誹謗中傷を行っている現状を見ると、
>という記述を併置することは
>あたかも、前者を主張するものが後者をも主張しているかのような印象を与える。これは誘導であり、是認しがたい。 撤回を求める。
エントリーの最後部分に書いている、「医療関係者が『医療事故に刑法を適用するべきではない』との趣旨の主張を声高に唱え、患者遺族に対して盛んに誹謗中傷を行っている現状を見ると、『医療界の一部は、他の業務者や一般市民の冷ややかな感情をいまだに理解しようとしてしない』と、思えてならないのです。」の箇所に異議があるとのことですね。
この意味を説明しておきます。
前段部分の、「医療関係者が『医療事故に刑法を適用するべきではない』との趣旨の主張を(一般社会に向けて)声高に唱え」ることは、一般社会において、医療行為のみ特権を認めることになるのではないかとの危惧を抱くわけです。
また、中段部分は、「(医療関係者が)患者遺族に対して盛んに誹謗中傷を行っている現状」からすると、裁判を受ける権利(憲法32条)として訴訟を起こしているのに、訴訟になったら、患者はよってたかって誹謗中傷を受けるのかと、恐ろしさを感じているのです。中には、誹謗中傷どころか、侮辱や名誉毀損といった犯罪行為にまで行っている者もいるのです。
一般市民にとっては、医師たちが過重労働・医療訴訟の増加で疲弊状態にあるため、擁護したいと思っていても、この2つの事実(前段・中段)は、「医療関係者は、犯罪すべて治外法権のようにやりたい放題にさせろと言うのだろうか」という疑念を生じてしまっています。
ですから、2つの事実(前段・中段)は、市民の間に擁護する意識を失わせていることを分かっているのか、『医療界の一部は、他の業務者や一般市民の冷ややかな感情をいまだに理解しようとしてしない』(後段)のではないか、との締めにつなげているわけです。
撤回要求さんが仰るように、「併置?」というか、2つの文章(事実)を「並列」させているのであって、「あたかも、前者を主張するものが後者をも主張している」という文章構造・文章運びになっていません。上記の説明からも明らかだと思います。2つの事実は別個の意味合いがあるのですから。
>あたかも、前者を主張するものが後者をも主張しているかのような印象を与える。これは誘導であり、是認しがたい。 撤回を求める
撤回要求さんの「印象」のみで、撤回を求めているわけですね。その「印象」のみが正しい文章読解なのでしょうか。「印象」を受けたから、その感覚に基づいて「誘導」であると感じて、その「撤回」を求めている……。あまりも、ご自分の感覚のみに依存した撤回要求ではないでしょうか。
医療行為刑事責任否定説を主張する方と、誹謗中傷している方とは一部重なっていることは確かだと思います。重なり合っている方がいる現実があり、撤回要求さんは「誹謗中傷は絶対に許されない」と明言するわけでもないのですから、私に、「撤回」を求めてもあまり説得力がないように思えます。
それに、なぜ、HNが「撤回要求」なのですか? 真摯に撤回を要求したいのであれば、もっと真っ当なHNにするべきではないでしょうか。
| #[ 編集 ]
>「医療行為は多少のミスをしても刑事訴追されない」という、
>特権意識があったのだと思えます。
ちがいます。医療行為がもつ本質的な不確実性が理由です。
医療行為には、以下のような特徴があります。
1.「最善の医療行為」を行っても患者が救えない場合がある。
2.医療リソースの限界から「最善の医療行為」を行えない場合がある。
3.治療を行う時点では「何が最善の医療行為か」を確定できないケースがある
(多くのケースで事後であれば「何が最善であったか」は判断できる)。
これらの理由で患者が救えなかった場合であっても、多くのケースで
「医療事故」「過失」として処罰・賠償が行われている実態があります。
今回の大野病院の事件などが典型例です(検察の「すみやかに子宮摘出に
うつっていれば助かったはず」など,事後だから言えることです)。
上昌広准教授たちは、これらについて、刑法による処罰をするべきでないと
主張しています。患者の取り違えなどのミスについても免責せよなどとは
主張されていません。
URL | tanaka #t50BOgd.[ 編集 ]
非公開ですので、コメントを修正して引用します。
>私は、医療は大切なインフラの一つだと思っています
>その観点からは、医療業務を刑法の適用除外とするという議論に対しても、医師個人の問題(ひいては医師に特権を与えるのかなど)というよりは、いかにして私達国民のインフラの1つである「医療」を守るかという問題と捉えています。
>なお、刑事免責の議論に関しては判断を保留しています
医療業務への刑事責任の追及は、医事法判例百選を見ますと、最高裁昭和28年12月22日判決(刑集7巻13号2608頁)が最も古いものです。その判例を含め、業務上過失致死傷罪が問われた事件は(2002年の時点で)137件あることが紹介されています(大コンメンタール刑法第11巻97頁以下)。このように、従来から、医療行為について刑事責任が問われ続けているのであって、いまさら騒ぐことではないのです。どんな業務であっても、処罰に値する行為には処罰することで、法秩序を維持するのが法治国家としての基本的な立場だといえるかと思います。
確かに、「医療は私達の大切なインフラの一つ」です。誰にとっても。
「インフラストラクチャー[infrastructure] (三省堂「大辞林 第二版」より)
生産や生活の基盤を形成する構造物。ダム・道路・港湾・発電所・通信施設などの産業基盤、および学校・病院・公園などの社会福祉・環境施設がこれに該当する。」
では、他のインフラについても刑法の適用除外にするのでなければ、平等原則違反(憲法14条)のおそれがありますが、そう考えるつもりでしょうか。例えば、原発は「大切なインフラ」だからとして、事故が起きて放射能漏れを起こして多数人が死亡した場合も、刑法の適用除外にしよう……という意見に、全面賛同するような豪気な方は、なかなかいないのではないでしょうか。
「刑法の適用除外」と「刑事免責」とでは、法的な意味が違います。なので、医療者が、法的な意味の違いを正確に理解したうえで、「刑事免責」を主張しているのか不明です。「医療行為への刑事免責の是非」は、多くの医療者が法的な意味を理解しつつ、「刑事免責」を主張し始めてから、議論すればよいかなと思っています。ですから、「判断を保留」のままでいいと思います。
>「医療は私達の大切なインフラの一つ」と考えるので、ネット上において、受け入れれがたい自称医師の放言等が目に付くことがあっても、医療問題への方策に対する考えに、ほとんど影響させるつもりはありません
「ほうげん 【放言】 (三省堂「大辞林 第二版」より)
思ったままを言い放つこと。また、不用意になされる無責任な発言。放語。」
「中傷される医療被害者〜医療関係者による誹謗中傷の実態(東京新聞平成20年7月27日付「こちら特報部」より) 」(http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1296.html)で触れましたが、一部の医療者の発言は、「無責任な発言」どころか、侮辱、名誉毀損、脅迫という犯罪行為です。こうした犯罪行為について、コメント欄をみると分かりますが、「一部にすぎない」として容認する姿勢を示すのです。犯罪行為を許しあう意識は、法治国家においては到底認めることはできません。
医療問題において大事なことは、医療者と患者との対立構造を解消することです。私が改めて言うまでもないほど、当然のことですが。しかし、医療者の一部とはいえ、犯罪行為のような発言を繰り返し、それを容認する意識がある状態では、対立構造の解消どころか、激化するばかりです。
「対立構造」の激化をもたらしているのに、「医療問題への方策に対する考えに影響することは殆どない」という判断は、妥当なものとはいえません。
ご回答ありがとうございます。
今回、公開にさせて頂きました。
>従来から、医療行為について刑事責任が問われ続けているのであって、いまさら騒ぐことではないのです。
この点についてですが、情報化社会となり情報にアクセスしやすくなった事に加え、訴訟件数も多くなって次第に身近に感じるようになった方達が騒いでいるのではないでしょうか?
実際に、情報アクセスといった面だけではなく、訴訟件数も増えているようです。
一般書籍ですみませんが、『医療事故の法律相談 補訂版』(学陽書房)によると、「1審裁判所の「新受件数」、「既済件数」(判決率及び認容率)及び「未済数」は1970年以来最高裁から統計が公表されて」おり、「これによると新受件数は、1970年に102件だったのが、80年に310件、90年に352件、00年に791件と、70年代及び90年代に急増、80年代は微増傾向にあったとはいえ、約30年間で8倍に増加」「その一方で既成件数も70年に25件、80年に176件、90年に330件、00年に691件と、27倍に増加」、「未済件数は、70年に308件であったものが、80年に1215件、90年1225件、00年1926件と、6倍」になっているとの事です。
>どんな業務であっても、処罰に値する行為には処罰することで、法秩序を維持するのが法治国家としての基本的な立場だといえるかと思います。
私も基本的にはそう思います。
ただ、「処罰に値するかどうか」という価値判断の所で、問題になっている気がします。
>では、他のインフラについても刑法の適用除外にするのでなければ、平等原則違反(憲法14条)のおそれがありますが、そう考えるつもりでしょうか。
インフラのお話をしたのは、そのような意味では勿論ありません。
私の関心は、医師の要求を発端にしたものではなく、医師のロジックが科学哲学のロジックに類似している点が多々ある事、そして、司法のロジック(最近かじりかけたばかり)が、それとどうかみ合うのか(もしくはどのような点でかみ合わないのか)に興味を抱いたのがキッカケでした。
何かどうにもかみ合わないものを感じたのですが、残念ながら、私の頭では整理できませんでした。
そんな折、杏林大割り箸訴訟の判決文を読む機会があり(判決文というものを読んだのはそれが初めてでした)、その思いを強くしました。
医療は私たちのインフラでもあるので、尚更、双方のロジックの比較検討に関心を持ちました。
(誤解を恐れずにいえば、医師が騒いでいようがいまいが、医師が何を要求していようがいまいが、それらと、上記の私の関心とは関係しません。)
それで、同じような関心をもって論じる法曹家や法律に詳しい方がいらっしゃらないものかとネット上で探していた所でして、上掲のコメントをさせて頂いた次第です。
私の言葉が拙かったために、何か誤解を生じさせてしまったようです。
URL | ぽにょ #-[ 編集 ]
>ちがいます。医療行為がもつ本質的な不確実性が理由です。
>医療行為には、以下のような特徴があります。
>1.「最善の医療行為」を行っても患者が救えない場合がある。
>2.医療リソースの限界から「最善の医療行為」を行えない場合がある。
>3.治療を行う時点では「何が最善の医療行為か」を確定できないケースがある
(多くのケースで事後であれば「何が最善であったか」は判断できる)。
確かに、患者という生体の反応が多様ですし、医療そのものが完全でなく不確実な要素をもっているので、一定の診療を実施したからといって、常に所期の結果に至るとは限りません。これが医療が不確実性の中での決断の連続であると言われる理由です。ですから、医師に広く判断の自由を認め、臨機応変に処置を実施しながら患者の状況に対応することを認めるほうが医師としての義務を尽くすことができるといえ、「医療の裁量性」が言われているわけです。
ただし、常にすべての事項について医師に制約のない判断・処置などの自由を認めるものではなく、医療水準という枠つまり複数の処置、方法、順序などの組み合わせの中から、療法の選択がその範囲内でなされているかで、注意義務違反があったか否かを判断しているのです(稲垣喬『医事訴訟入門(第2版)』62頁以下)。民事事件、刑事事件問わず。
tanakaさんは、「医療の不確実性」まで述べていますが、医療水準論という枠があることを欠落させており、非常に問題です。しかも、「医療の不確実性」は、医療一般に言えるため、刑事事件・民事事件とで変わらないものですから、刑法による処罰をのみ否定する理由にはなっていません。
>上昌広准教授たちは、これらについて、刑法による処罰をするべきでないと主張しています。
本当に「免責」の意味ですか? 「刑法規定の不適用」と「刑事免責」の違いが分かっていますか? 「刑法規定の不適用」の意味であるとしても、<1>医療にも刑法の適用があるか、<2>適用があるとしても、その処罰範囲・要件は何かを検討するのが論理な順序です。論理の順序が分かっているのですか?
tanakaさんは、「医療の不確実性」の段階までの論理のみを主張しているのですから(=医療水準論による限定がない)、「これらについて、刑法による処罰をするべきでないと主張して」いるのであれば、それこそ「すべての医療行為を不処罰にすることを主張している」ことになってしまっています。論理的には。もっと論理をつめておくべきです。
>患者の取り違えなどのミスについても免責せよなどとは主張されていません
近時の裁判例では、「患者の取り違えなど」の単純ミスの処罰がほとんどで、こうした単純ミスにつき、刑事処罰する事例が増加しています(医事法学23号(日本評論社、2008年)10頁〔日山〕)。「患者の取り違えなどの単純ミスは、現在のようにどんどん刑事処罰してよい」と主張していると理解してよいのですね?
>>従来から、医療行為について刑事責任が問われ続けているのであって、いまさら騒ぐことではないのです。
>この点についてですが、情報化社会となり情報にアクセスしやすくなった事に加え、訴訟件数も多くなって次第に身近に感じるようになった方達が騒いでいるのではないでしょうか?
色々と推測はできるでしょうが、加藤克彦医師の支援者であり、刑事罰不適用を唱えている上昌広・東大准教授は「本田宏編『医療崩壊はこうすれば防げる!」において、次のようにのべていますから、ぽにょさんの推測とは異なるようです。
すなわち、「そもそも医療が刑事処分の対象とされるようになったのは、近年のことである」とし、「流れが変わったのは、1999年以降」であり、「この年、世間の注目を集めた2つの大きな医療事故が立て続きに起き、これが契機になったと思われる」(163頁)としています。その医療事故とは、1つは患者の取り違えをした横浜市立大学病院の事件であり、都立広尾病院で看護師が点滴薬と消毒薬を取り違えて準備し、他の看護師がそれを患者に注入して死亡した事件で、医師法21条違反で起訴された点です。その後、2004年に都立広尾病院事件で、最高裁判決は病院長は医師法21条で有罪となりました。
要するに、医師法21条で処罰されるようになったことから、医療行為について刑事責任が問われるようになったと主張しているのです。
もっとも、あるブログによると、1999(平成11)年から2004(平成16年)の間、正式起訴はわずか20件であって、略式起訴を含めても79件しかない我が国の医療過誤刑事の実務とのことですから、少しも刑事罰は多くなっていません。ですから、一部医療関係者は、事実誤認したうえで「騒いでいる」だけなのですが。
>実際に、情報アクセスといった面だけではなく、訴訟件数も増えているようです。
>『医療事故の法律相談 補訂版』(学陽書房)によると
『医療事故の法律相談 補訂版』(学陽書房)にでているのは、民事事件の訴訟件数です。民事事件が増えているからといって、刑事事件が増えているのを問題視するのは、ちょっと理屈が通らないように思います。
医療訴訟は増えていることは確かですが、現在、年間1000件前後で推移して固定化していますし、医療訴訟の増加に対応するため、2001年4月、東京、大阪の両地方裁判所において、医療訴訟(民事事件)を集中的に取り扱う医療集中部が新たに設けられ、その後、千葉、名古屋、福岡、埼玉、横浜の各地裁にも順次拡充されています。このように、医療事件を集中的に扱っているので審理期間も従来よりだいぶ短縮されました(藤田裕「患者・家族のための医療訴訟実践手続きマニュアル」98頁)。
この『医療事故の法律相談 補訂版』(学陽書房)以降、医療訴訟の現状はだいぶ変わってしまったように思えます。『医療事故の法律相談 補訂版』(学陽書房)以降に出版された書籍や最高裁判所のHPなどをご覧下さい。
>ただ、「処罰に値するかどうか」という価値判断の所で、問題になっている気がします。
法秩序の維持の観点で「処罰に値するかどうか」ということで、個人的な価値判断ではありません。死亡事件は、命の重さからして個人の尊厳(憲法13条)を害するものであって、基本的に、処罰に値するものです。
消防士が火事を消し止められずに焼死者が出たら「殺人消防士」として逮捕。
警察官が人質立てこもり事件を解決できずに死者が出たら「殺人警官」として逮捕。
ライフセーバーが溺れている者を救えなかったら「ライフキラー」として逮捕。
そんな、「スーパーマンじゃないと生きていけないような世界」がやってきそうで怖いですね。
そしてなり手がいなくなる…と。
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