FC2ブログ
Because It's There
主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
06« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»08
スポンサーサイト 
--/--/-- [--] --:--:-- » E d i t
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --  * top △ 
2008/08/17 [Sun] 03:04:03 » E d i t
63回目の終戦記念日を迎えた8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列した遺族ら約5800人が戦争犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしました。



1.報道記事を幾つか。

(1) 朝日新聞平成20年8月15日付夕刊(4版)

「戦争の教訓 風化させぬ」 戦没者追悼式 首相、哀悼の意
2008年8月15日12時39分

 63回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。全国各地の遺族や各界の代表ら約6千人が参列し、福田首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れたうえで、「不戦の誓いを新たにする」と述べた。

 戦没者追悼式は正午前に開始。遺族約4600人のほか、天皇、皇后両陛下、衆参両院議長、各政党代表らが参列した。

 式辞で福田首相は「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。犠牲となられたすべての方々に謹んで哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、史実を未来に引き継ぐ」と述べた。加害責任への言及は93年の細川元首相以来続いている。正午に参列者全員が起立して1分間の黙祷(もくとう)。続いて天皇陛下が「おことば」を述べた。

 夫・薫さんが西部ニューギニアで戦死した松永きわ子さん(89)=福井県敦賀市=が遺族を代表して追悼の辞を述べ、「悲惨な戦争の苦悩を身をもって体験した遺族は、悲しい歴史を絶対に繰り返さないことを堅くお誓いいたします」と語った。

 追悼の対象となるのは、旧日本軍、軍属の戦死者(台湾、朝鮮半島出身者も含む)ら約230万人と、空襲で亡くなった民間人約80万人の計310万人。

 参列者は高齢化が進んでいる。10年前に954人(全体の16.5%)だった戦没者の妻は85人(同1.8%)にまで減り、戦没者の親は、3年ぶりにゼロだった。一方、戦没者の子供は同2296人(同39.6%)から3147人(同66.7%)に増え、参列者の世代交代が進んだ。」



(2) 毎日新聞平成20年8月15日付夕刊1面

終戦記念日:無宗教の追悼施設を 河野衆院議長、政府に検討求める

 河野洋平衆院議長は15日、全国戦没者追悼式の「追悼の辞」で、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められている」と述べ、政府に対して、無宗教の新たな戦没者追悼施設の建設が望ましいとの考えを表明した。靖国神社参拝問題を踏まえた発言。新たな追悼施設をめぐっては、福田康夫首相が官房長官当時に主宰した私的懇談会が02年12月、「国立の無宗教の恒久的施設が必要」との報告書を答申。しかし自民党内に慎重論が根強く、棚上げになっている。

 河野氏は、日本と中国、韓国など近隣諸国との関係について「いまだに歴史に背景を持つ未解決の問題がとげとなり、摩擦を引き起こしている」と指摘した。

 日韓両国がともに領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題を念頭に「領土問題についても、お互いに内向きに領有権を声高に主張するばかりでなく、相手側と真摯(しんし)に向き合い、話し合いによる解決を実現することが強く求められている」と訴えた。

 一方、江田五月参院議長は同じく「追悼の辞」で、「先の大戦では、国内外で被害を受けた国民はもとより、わが国の侵略行為と植民地支配で、アジア諸国をはじめ広い地域の人々にも多大な苦しみと悲しみを与えた」と指摘。「深い反省の上に立ち、真に世界から信頼される平和国家を築くことが私たちの責務だ」と強調した。【高本耕太】

毎日新聞 2008年8月15日 東京夕刊」



(3) 朝日新聞平成20年8月15日付夕刊13面(4版)

衆院議長 追悼の辞(要旨)

     ◇

 今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは300万余の犠牲を決して忘れてはならないと思います。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸ふさがれる思いであります。

 戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵のご遺族にとっても同じ悲しみであることを胸に刻まなければなりません。

 私たちが63年前の「決して過ちを繰り返さない」という決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めることこそ、戦没者の御霊を安んずる道であると考えます。

 わが国と近隣諸国との関係において歴史に背景を持つ未解決の問題がとげとなり、摩擦を引き起こしている現状を考えるとき、私は政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置について真剣に検討を進めること、領土問題についても、お互いに内向きに領有権を声高に主張するばかりでなく、相手側と真摯(しんし)に向き合い、話し合いによる解決を実現していくことが強く求められていると考えます。

 私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下ですべての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目ざして微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼のことばといたします。」




2.今年の8月15日の特徴として、まず、首相の靖国神社参拝を巡る喧騒が生じなかったことです。

(1) 朝日新聞平成20年8月15日付夕刊1面

3閣僚が靖国参拝 小泉・安倍両氏も
2008年8月15日13時35分

 東京・九段北の靖国神社には15日、太田農林水産相が午前7時40分過ぎ、保岡法相が同11時前、野田消費者行政担当相が午後1時過ぎに訪れて参拝した。また小泉元首相が午前8時過ぎ、安倍前首相も同10時半前に参拝した。

 福田首相はこれまで「(終戦記念日の)過去の行動を見てください」と述べており、中国や韓国などとの関係を重視する立場から参拝しなかった。首相は政府主催の全国戦没者追悼式出席に先立ち、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れた。

 町村官房長官は同日の記者会見で、自らは参拝しないとした上で、閣僚の参拝について「私的な立場で参拝される方がいらっしゃると聞いている。各大臣の見識に委ねるべき性格のものだ」と語った。

 野田氏は参拝前、会見で「子供の頃から家族と行くのが習慣。公人、私人と分けることが難しいが、私人ということになるのかもしれない」と語ったが、「国務大臣野田聖子」と記帳。太田氏は参拝後、「衆院議員太田誠一と記帳してきた」と会見で述べた。

 一方、保岡法相は、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=島村宜伸・元文相)の一員として参拝した。同会では副大臣や政務官らを含む計53人が集団で神社を訪れ、日本遺族会会長の古賀誠・自民党選対委員長や同副会長の尾辻秀久元厚生労働相らが加わった。

 太田、保岡、野田3氏以外の閣僚は、参拝を見送る見通しだ。昨年の終戦記念日に安倍前内閣で靖国神社に参拝したのは、高市早苗内閣府特命担当相の1人だった。」




(2) 8月15日、東京・九段の靖国神社では、昨年より1万3000人少ない15万2000人(神社発表)が戦没者へ祈りをささげました(毎日新聞)。昨年、安倍首相(当時)が参拝せず、今年も首相が参拝しなかったとはいえ、この減少ぶりはどうしたというのでしょうか。真に追悼の意図で参拝していたのであれば、減少しないはずです。そうすると、おそらくは、今年は、戦没者を追悼するのではなく、単に8月15日の喧騒に野次馬として参加していた人が、喧騒がないとして興味をなくしたために、減ってしまったということなのでしょう。

中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」が、国会議員らによって「反日だ」との批判を受けて、一時上映を取りやめることになりました。このように、日本社会で靖国神社に関心が集まったようにみえても、その騒動は、一部の野次馬が、靖国神社をネタにして騒いだだけで靖国神社へ行く気もなかった、といえそうです。


引用した記事にも出ているように、福田首相は靖国神社に参拝しなったのですが、福田内閣の3閣僚がこの日参拝し、小泉元首相や安倍前首相も参拝したのですから、騒動になる要素はありました。しかし、それでも政界は静かなままだったのです。

 「終戦記念日には恒例となった『みんなで靖国神社に参拝する国家議員の会』の集団参拝。昨年、15日参拝を見送った安倍首相(当時)の姿勢について、会長の島村宣伸元文相は「頼りない」と痛烈に批判した。しかし、同じように参拝を見送った福田首相に対して、今年の島村氏は「人それぞれ宗教観は違うわけですから、これは自由でいいのではないか」と歯切れが悪かった。」(朝日新聞平成20年8月16日付朝刊4面)


作家の村薫さんが、「あまりに長すぎた自民党政治は誰の目にも終わりに近づいていて社会は完全に停滞している」(東京新聞平成20年8月12日付夕刊11面「社会時評」)と断言していることからも分かるように、次期衆院選では自民党衆院議員の多くが落選の危機にあり、特に小泉チルドレンは例外なく絶滅なのです。ここまで危機的な状況にあり、政権交代を前面に掲げて迫る民主党を前にすれば、自民党は、歴史認識にかかわる問題で論戦をかわす余裕がないのです(朝日新聞8月16日付4面)。

昨年の敗戦記念日(終戦記念日)では、河野衆院議長は、追悼の辞で「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解を表明し、危機感を示したのですが(「62回目の終戦記念日~河野衆院議長追悼の辞“日本国憲法こそ、新しいレジーム”」(2007/08/18 [Sat] 13:55:45)参照)、今年はそうした危機感を表明する必要性は全くありません。事態はまるで変わってしまいました。

もちろん、靖国神社を巡る問題は消え去ったわけではないのですが。


なお、今の一部の参拝者は真に追悼の意図で参拝しているのではなく、意思表明の場であったり、他人に迷惑をかけるなど行動も悪質になってきているようです。恒例となっている東京新聞の「『8・15靖国』ルポ」(平成20年8月16日付)から、一例を挙げておきます(「どこの国であろうと国旗を粗末に扱ってはならない」と注意した男性(日本人)一人に対して、右翼と思しき人が多数人で取り囲んで、男性の洋服・髪を引っ張る騒動もあったようです)。

11時 1930年生まれという男が記者に「おまえ、左翼だろ。平和だなんだって、騒いでりゃ嬉(うれ)しいんだろ。中国に遠慮しちゃってさ」とからむ。参拝者の列が中門鳥居までつながる。」(東京新聞平成20年8月16日付26面「こちら特報部」)




(3) 福田首相は、就任後は、小泉氏が一辺倒とも言えるほど重視した日米同盟だけでなく、アジア外交とも結びつけて動こうとする「共鳴外交」を提唱し、5月には太平洋を地中海のような「内海」と見立て、連携を呼びかけるアジア外交ビジョンも発表しています。また、福田康夫首相が官房長官当時に主宰した私的懇談会が02年12月、「国立の無宗教の恒久的施設が必要」との報告書を答申していたのです。

しかし、「国立の無宗教の恒久的施設が必要」との報告書は、靖国神社の存在を重視する自民党議員らの反発があって、「棚上げになっている」(毎日新聞)状態です。本来、棚上げ状態を解消しようと、靖国を含む歴史問題や領土問題に「政治的英知と決断力」を発揮するべきなのですが、そのような意気込みは、首相には伺えません(朝日新聞8月16日付4面)。

「わが国と近隣諸国との関係において歴史に背景を持つ未解決の問題がとげとなり、摩擦を引き起こしている現状を考えるとき、私は政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置について真剣に検討を進めること、領土問題についても、お互いに内向きに領有権を声高に主張するばかりでなく、相手側と真摯(しんし)に向き合い、話し合いによる解決を実現していくことが強く求められていると考えます。」(衆院議長の追悼の辞)


河野衆院議長の追悼の辞は、靖国神社を巡る国内の議論が停滞しているなか、停滞していても近隣諸国との摩擦解消には繋がらないのだから、解決に向けて動き出すべきだと促したものといえるのです。




3.今年の8月15日の特徴として、東条英機元首相の手記について言及したコラムが散見したことです。1つを挙げておきます。

(1) 読売新聞平成20年8月15日付「編集手帳」

「「マサノリ キヨコ フタリヘ」という手紙に父は書いている。〈ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ〉。お父さんは神様になってお前たちを見守っているのだから、と

◆特攻隊員の最後の言葉を収めた知覧特攻平和会館編「いつまでも、いつまでもお元気で」(草思社)の一編である。終戦の年5月に戦死した久野正信中佐29歳、子供たちはカタカナがやっと読める年ごろだろう

◆数日前の新聞記事に目を落とす。東条英機元首相が終戦直前に綴(つづ)ったという手記に、国民を「無気魂」(=だらしない)と批判した一節があった

◆〈オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセン…〉。血を吐くように書き残した父の、おそらくは泣き腫らした目で幾度も読み返しただろう子の、手紙の形はとらずとも、父子と同じ悲しみに耐えた数限りない人々の、どこが「無気魂」か。そういう指導者のもとで遂行された戦争である

◆うそか本当か、B29と聞いて「そんな軟らかい鉛筆があるの?」と尋ねる若い人もいると聞く。語り継がねばならない。悲しい手紙が二度と書かれることのないように。

(2008年8月15日02時21分 読売新聞)」




(2) 読売新聞平成20年8月15日付「編集手帳」で言及している、東条元首相の手記についての記事を紹介しておきます。これは、東条英機元首相が終戦直前の1945年8月10日から14日にかけて書いた手記が国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されていたことが、日経新聞平成20年8月12日朝刊の報道で明らかになった、というものです。

  イ:日経新聞平成20年8月12日付朝刊1面

東条元首相、終戦直前の手記みつかる 責任転嫁の言葉も

 太平洋戦争開戦時の首相、東条英機陸軍大将が終戦直前の1945年8月10日から14日の間に書き残した手記が国立公文書館(東京・千代田)に所蔵されていることが分かった。手記では終戦に反発し、ポツダム宣言受諾に至る背景として「国政指導者及び国民の無気魂」を挙げるなど責任を転嫁、軍人の論理に固執する考えが見られた。

 東条元首相の手記はA級戦犯被告として巣鴨拘置所で書かれたものがあったが、終戦間際の手記の存在が明らかになったのは初めて。

 手記は政府が8月9日にポツダム宣言の受諾を決め、翌10日に首相官邸で開かれた首相経験者などで構成する重臣会議の質疑内容から始まっている。手記には「屈辱和平、屈辱降伏」「新爆弾に脅(おび)えソ連の参戦に腰を抜かし」などと、当時の鈴木貫太郎首相ら政府指導者を批判する言葉がつづられている。しかし、昭和天皇への奏上で「御裁断を経て外交上の手続を了せる以上別に所見を有せしも最早これを申し上げ、御聖明を乱すは恐懼(きょうく)に堪えざる」と終戦の決定を受け入れたと記している。

 最後に秘書官だった部下への伝言があり、「死をもっておわび申上ぐる」「敵の法廷に立つごときは日本人として採らざるところ」として、自決する覚悟を述べている。東条元首相は45年9月に自殺を図ったが一命をとりとめ、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けて48年12月に処刑された。

 手記は東京裁判で東条の弁護人だった清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した裁判資料の中にあった。99年に同省から公文書館に移管されていた。直筆の鉛筆書きだったが、判読しやすいよう和文タイプで書き直したものとされている。」



  ロ:日経新聞平成20年8月12日付朝刊34面

軍人の論理に固執 東条元首相手記  狭い視野・甘い認識 露呈

 国立公文書館に所蔵されていた東条英機元首相の手記はポツダム宣言受諾を巡って政府中枢が揺れていた時期に書かれていた。軍人の論理に固執して終戦に強く反発するものの、天皇の裁可を経たことで受け入れる心情がつづられている。戦争は「自存自衛と東亜の安定が目的」としており、後に東京裁判で主張した論理も垣間見える。

 東条元首相は「メモ魔」といわれたほどきちょうめんな性格で、東京裁判の法廷でも常にメモを取っていた。そのメモなどをもとにして裁判では長大な口述書が提出されている。

 また後年、A級戦犯として巣鴨拘置所で書かれた「獄中記」の存在も明らかになっている。

 これらの「メモ」に記されているのは「大東亜戦争は自存自衛、アジア解放が目的の戦争」という主張と開戦に至る経緯、戦争を指導した首相在任時のことが中心だった。

 今回明らかになった終戦直前の手記にも同様の主張が述べられているが、終戦を前にした生々しい感情はこれまでの文書には記されていなかった。手記が書かれた時期は沖縄戦に敗北後、原爆投下、ソ連の参戦が続く絶望的な状況だった。陸軍上層部も表面的には本土決戦を呼号していたが、「一度大勝利を挙げてからの講和」という認識だった。

 しかし、手記には「(日本は)持てる力を十二分に発揮していない」と、なお戦争継続が可能と信じている記述がある。裁判対策として「論旨明快」に書かれたものではなく、本音がもろに出ているだけに、戦争を指導した人物の視野の狭さと認識の甘さがよく分かる文書といえる。」

(*東条元首相の手記の抜粋は省略)



  ハ:日経新聞平成20年8月12日付朝刊34面

敗戦責任追及 神経とがらせ

 「東條英機と天皇の時代」の著書がある作家、保阪正康氏の話 敗戦直前の東條英機の心境を具体的に裏付ける手記はなかっただけに、きわめて資料としての価値は高い。しかも本音が正直に語られている。敗戦を恐れて、その後の責任追及に神経をとがらせていることがわかる。

 敗戦の理由を政治指導者や国民の「無気魂」に押しつけているところは、軍人としての枠を一歩も踏みでていないといえるであろう。東条のこの強気によって戦争が継続したら米軍による徹底した破壊攻撃、ソ連軍の北海道上陸と続き、その惨禍は計り知れなかった。それだけにこうした東条のような非理性的な考え方を抑えた昭和天皇や鈴木貫太郎首相たちのポツダム宣言受諾への道筋は改めて重く受け止める必要がある。」



  ニ:読売新聞平成20年8月12日付夕刊18面

東条元首相の終戦直前手記見つかる…14日に自殺決意記す

 東条英機元首相が、太平洋戦争の終結直前の1945年8月10~14日に書いた手記が、国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されていることがわかった。

 手記には、終戦に反発する東条元首相の「本音」が散見され、研究者は「歴史的に価値ある資料」としている。

 同館によると、手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎氏が法務省へ寄贈した資料の一部。鉛筆書きの肉筆メモのほか、60年代に和文タイプで打ち直された資料がある。法務省が99年度に同館へ移し、昨年から一般公開の扱いとなった。

 8月10日の手記では、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり、幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」(かな部分は原文ではカタカナ)と、重臣が集まった懇談会での自身の発言要旨を記録。

 13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している。

 終戦前日の14日には、「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自らの死を決意している。東条元首相は終戦後の9月11日に拳銃自殺を図り、一命を取り留めた。

 昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「終戦直前の手記が公になるのは初めてで、価値がある。終戦間際の揺れる思いがよく分かり、戦況の不利を国民や当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。終戦直前まで、東条は軍人として戦争継続をあきらめていなかったことは意外だった」としている。

 また、東条元首相に関する著書があるノンフィクション作家の佐藤早苗さんは「東京裁判中の手記は明らかにされていたが、終戦前のものは聞いたことがない。感情をあらわにした表現もあり、当時の政府幹部が終戦に傾いていくのを、裏切られたような気持ちで見つめていたのではないか」と話している。

           ◇

 東条英機 1884~1948。軍人、政治家。関東軍参謀長、近衛内閣陸相などを歴任。太平洋戦争開戦時の首相で、戦況が不利になり、44年7月に辞職。戦後はA級戦犯として、極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれ、絞首刑となった。

(2008年8月12日13時42分 読売新聞)」




(3) 「敗戦の理由を政治指導者や国民の『無気魂』に押しつけている」(作家の保阪正康さんの話)といった、「戦況の不利を国民や当時の指導者のせいにする本音」(作家の半藤一利さんの話)、「沖縄戦に敗北後、原爆投下、ソ連の参戦が続く絶望的な状況」であったのに、東条元首相の手記には「(日本は)持てる力を十二分に発揮していない」と、なお戦争継続が可能と信じている、非理性的な記述さえあるのです。「戦争を指導した人物の視野の狭さと認識の甘さ」がよく出ている手記でありました。

しかしながら、なぜ、過去の日本はこうした視野が狭く、非理性的で認識の甘い人物を指導者として選んでしまったのでしょうか。

指導者以前の問題として、なぜ、日本は世界中を相手に戦争を始めてしまったのでしょうか。作家の半藤一利さんは、次のように述べています。

「『国力をかえりみず、世界中を相手に戦うことになったのはなぜか』という疑問には、『日本は満州事変以来、次から次へと間違った選択をした。軍部の独走だけでなく、政治も世論も誤った』と静かに語る。」(毎日新聞平成20年8月16日付夕刊4面「ブロードキャスト」(荻野祥三))


外交・防衛、経済政策、社会福祉など、日本の将来に対して、私たちはまた「間違った選択」をしてきたのではないでしょうか。「世論」はまた、非理性的で視野が狭い者(小泉元首相、カリスマ被害者など)の言動に対して、賛同していたりしているのではないでしょうか。マスメディアが簡単に「国民的人気」などと評している政治家の言動に惑わされているのではないでしょうか。それよりもまず、自らを振り返ってみた場合、非理性的で視野の狭い言動を行ってきていないでしょうか。

日本の戦争体験及び東条元首相の手記の内容は、現代にも通じる問題意識が含まれており、自戒すべきことが多いように思うのです。


テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

政治問題 *  TB: 3  *  CM: 2  * top △ 
コメント
この記事へのコメント
>一にして追悼できる追悼施設の設置について

またまた箱物行政か。
九段会館で追悼式しているのだからそれで十分でしょう。
2008/08/19 Tue 09:40:26
URL | YO!! #-[ 編集 ]
>YO!!さん:2008/08/19 Tue 09:40:26
コメントありがとうございます。


>>一にして追悼できる追悼施設の設置について
>またまた箱物行政か。

YO!!さんは、大阪府が(東京に張り合うために作った)大型建造物を想像しているのでしょう。しかし、追悼施設として予定しているのは、「施設は大型の建造物ではなく、むしろ住民が気楽に散策できるような明るい公園風のスペースで、かなり大規模な集会ないし式典ができるような広場が在り、その一角に追悼・平和祈念にふさわしい何らかの施設」です。

「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の報告書をご覧下さい。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/


>九段会館で追悼式しているのだからそれで十分でしょう。

なぜ、新たな施設をつくる必要があるのか、についても、「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の報告書に出ています。

すなわち、「戦争と平和」に関する戦前の日本の来し方について、また、戦後の国際的な平和のための諸活動の行く末について、戦後の日本はこれまで国内外に対して必ずしも十分なメッセージを発してきませんでした。そこで、過去の歴史から学んだ教訓を礎として、死没者を追悼し、不戦の誓いを新たにして平和を祈念する「象徴的施設を国家として正式につくる意味がある」のです。また、「何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる施設」であるべきという点もあります。
2008/08/20 Wed 23:32:10
URL | 春霞 #5oClkA7g[ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/tb.php/1331-a3c39636
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
皇国日本がアジアへの侵略戦争である第二次世界大戦に敗北して63年目の敗戦記念日。皇国日本のその国家的過ちがなければ命を落とさずにす...
2008/08/17(日) 22:05:20 | 村野瀬玲奈の秘書課広報室
そうか、そうだったのか...。 自分の思考を自分のものとして持ち続けるために、自分の思考を国家に利用されないために、D_Amonさんのところ...
2008/08/17(日) 22:05:46 | 村野瀬玲奈の秘書課広報室
 逆に言うと、その時の国民全員が「敗戦」と思っていて、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪いよなぁ、。国民にとっては終わってホッとで「終戦記念日」でも良いんじゃないの。  なんでこ?...
2008/08/18(月) 07:16:53 | 雑談日記(徒然なるままに、。)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。