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「長野県下諏訪町の根津八紘医師が行った代理出産と、愛媛県宇和島市の万波誠医師らが行った病気腎移植。この2つの問題を事例として、新しい医療の問題や医療倫理について、日本学術会議の分科会が討議。先月末、医学会全体の意見をまとめる組織づくりを柱とする提言をまとめた。 (片山夏子)
代理出産と移植。2つは懸け離れた問題のようだが、第三者の体を使う医療ということは共通する。分科会の大島伸一委員長(日本移植学会前副理事長)は、「医学の進歩で、治療に第三者がかかわってくるなど複雑な問題が絡み、単に医療技術の問題だけではなくなってきた」と話す。
提言は、この2つを例に、新しい医療技術を適用する際に「独特の価値観を持つ一部の医師が、学会の見解に従わず社会問題に発展している」と指摘。さらに、患者や家族、市民の中でも価値観が異なることを挙げる。その上で、新しい医療が社会に受け入れられるためには、医療界だけでなく社会の総意を反映できる仕組みが必要とした。」(東京新聞平成20年8月11日付朝刊)
この分科会の委員長は、大島伸一・日本移植学会前副理事長です。
要するに、大島伸一・日本移植学会前副理事長は、日本移植学会を利用した「修復腎移植禁止の見解」に飽き足らず、今度は日本学術会議を藁人形として、代理出産と修復腎移植の全面禁止をもくろんでいるようなのです。こうした動向について、東京新聞平成20年8月11日付朝刊「こちら特報部」が記事にしていましたので、紹介したいと思います。
「代理出産、病気腎移植「医学の範囲超え」 社会合意まとめる組織を 日本学術会議提言
長野県下諏訪町の根津八紘医師が行った代理出産と、愛媛県宇和島市の万波誠医師らが行った病気腎移植。この2つの問題を事例として、新しい医療の問題や医療倫理について、日本学術会議の分科会が討議。先月末、医学会全体の意見をまとめる組織づくりを柱とする提言をまとめた。 (片山夏子)
◆「まず医学会の意見統一」
代理出産と移植。2つは懸け離れた問題のようだが、第三者の体を使う医療ということは共通する。分科会の大島伸一委員長(日本移植学会前副理事長)は、「医学の進歩で、治療に第三者がかかわってくるなど複雑な問題が絡み、単に医療技術の問題だけではなくなってきた」と話す。
提言は、この2つを例に、新しい医療技術を適用する際に「独特の価値観を持つ一部の医師が、学会の見解に従わず社会問題に発展している」と指摘。さらに、患者や家族、市民の中でも価値観が異なることを挙げる。その上で、新しい医療が社会に受け入れられるためには、医療界だけでなく社会の総意を反映できる仕組みが必要とした。
大島氏は「40年前の和田心臓移植のとき、医学会が何もせず、医療不信を生んだ。その反省に立ち、医療事故などを積極的に調査・開示し、見解を示してきた」と振り返る。従来、医療技術の適用の判断は、提供者側に委ねられてきた。だが、医学の進歩で「代理出産で生まれた子どもの権利など医学の範囲を超える問題が出てきた」。
さらに、「学会が見解を出しても収まらなくなってきた。特に病気腎移植は異様。学会が見解を出した後、政治家まで出てきた。倫理や社会にかかわる問題は別として、医学的には専門家として譲れない」と指摘する。
分科会の幹事で、岩手医科大泌尿器科の藤岡知昭教授は「学会内も一枚岩じゃない。例えば、病気腎移植についても、泌尿器医の中で意見が分かれる事例もある。学会の見解も、それでいいのかという意見もある。学会全体の意見をどこで担保するかが問題」と学会の問題点を指摘。
「(学会側も万波医師側も)どちらも確固たる研究論文が無く、根拠が弱い。この状態で議論しても決着がつかない。結局は、新たに臨床研究をするしかないのではないか」とも話した。
大島氏は、代理出産について「技術的にできるか否かではなく、してもいいかどうかという問題だ。生まれてくる子どもの権利など医療の範囲を超えた問題があり、生命倫理や法律など、さまざまな観点から社会で議論されるべきだ」とする。移植については、生体間移植で親族のどこまでを認めるかなども医療を超えた問題だとする。
「さまざまな立場の人の入った組織がオープンに議論することが必要だが、まずは医学会全体を統括する組織が必要」。大島氏は提言の柱となっている新組織の意義を解説。さらに続ける。
「遺伝子レベルの医療技術も進み、社会や文化など価値観も変わってきた。多様化する価値観の中で、医学会は原点に戻り、科学的根拠に基づき医療技術の安全性や効果を検証して社会に提示していくしかない。最終的には、学会外部の組織で社会的な合意が形成されていく仕組みが必要だ」」
2.全部読むと、大島伸一氏が特異な持論を悪びれることなく展開していることが分かりますし、大島氏の強い意向によって日本学術会議での新組織が設置されたものだということが、十分に推測できるものとなっています。
(1) 大島氏の特異な持論は、問題点の宝庫です。
「代理出産と移植。2つは懸け離れた問題のようだが、第三者の体を使う医療ということは共通する。分科会の大島伸一委員長(日本移植学会前副理事長)は、「医学の進歩で、治療に第三者がかかわってくるなど複雑な問題が絡み、単に医療技術の問題だけではなくなってきた」と話す。
提言は、この2つを例に、新しい医療技術を適用する際に「独特の価値観を持つ一部の医師が、学会の見解に従わず社会問題に発展している」と指摘。さらに、患者や家族、市民の中でも価値観が異なることを挙げる。その上で、新しい医療が社会に受け入れられるためには、医療界だけでなく社会の総意を反映できる仕組みが必要とした。(中略)
分科会の幹事で、岩手医科大泌尿器科の藤岡知昭教授は「学会内も一枚岩じゃない。例えば、病気腎移植についても、泌尿器医の中で意見が分かれる事例もある。学会の見解も、それでいいのかという意見もある。学会全体の意見をどこで担保するかが問題」と学会の問題点を指摘。
「(学会側も万波医師側も)どちらも確固たる研究論文が無く、根拠が弱い。この状態で議論しても決着がつかない。結局は、新たに臨床研究をするしかないのではないか」とも話した。」
大島氏は、依然として「修復腎移植は絶対禁忌」という認識の下で、「修復腎移植は全面禁止」という学会の見解が妥当だと持論を展開しています。
しかし、これに対しては、分科会の幹事で、岩手医科大泌尿器科の藤岡知昭教授も「学会内も一枚岩じゃない。例えば、病気腎移植についても、泌尿器医の中で意見が分かれる事例もある。学会の見解も、それでいいのかという意見もある。」として、大島氏の見解に批判的なのです。要するに、移植医であって泌尿器科について知識の欠いた大島氏の判断は、泌尿器科医から見れば意見が異なってくるのであって、しかも、それだけでなく、万波医師たちの実施以前から、修復腎移植は問題なく行われてきたのだから、いまさら修復腎移植禁止とした学会の見解は合理性がないのではないか、と批判的なのです。
「「修復腎移植を考える超党派の会」の第3・4回の会合を紹介〜デビッド・ニコル教授(豪州)は“レストア腎移植はすでに確立された医療”と明言!」(2008/04/05 [Sat] 17:06:08)でも触れたように、オーストラリアでは、通常医療としてすでに小径腎がんを修復するレストア腎移植50例ほどを実施しており、イタリア、EU(欧州連合)諸国では、担がん臓器の積極的な運用を目指しているのが実態なのです。米国では、ドナー(臓器提供者)拡大策として、高齢者の方や感染症のあるドナーの活用、ドナーへの経済的な支援、より適合性を高めるためのドナー交換などが進められています。このように、世界の移植医療では、レストア腎移植は確立された医療という位置づけがなされているのです。
大島氏が依然として「修復腎移植は絶対禁忌」という認識でいることは、世界の移植医療からすれば、遅れた医療を妄信しているにすぎないのです。
なお、大島氏は、代理出産と修復腎移植を「例に」して、「独特の価値観を持つ一部の医師が、学会の見解に従わず社会問題に発展している」としていますが、遅れた医療を妄信したまま、一部の医師を「独特の価値観を持つ」などと誹謗中傷しているのです。
(2) 大島氏の発言で最も問題だと感じたのが次の点です。
「さらに、「学会が見解を出しても収まらなくなってきた。特に病気腎移植は異様。学会が見解を出した後、政治家まで出てきた。倫理や社会にかかわる問題は別として、医学的には専門家として譲れない」と指摘する。」
臓器移植法は10年以上、改正されないままですし、臓器移植提供者も数少なく、臓器移植を待ちながら死亡していく患者が数多いというのが現実です。腎臓移植に関しては待機年数が16年という異常な事態になっているのです。
こうした現状を変えるためには、臓器移植法のみならず、臓器提供者の提供意思を生かせる態勢を整えることが不可欠であり、行政・国会側は、このような全体的な移植医療体制を整えなければなりません。こう指摘すると明らかなように、極めて深刻なドナー不足解消のためには、発想の転換が求められ、多方面にわたる立法整備が必要となるのですから、修復腎移植の妥当性を含めて、立法を担当者する国会議員が深く関わることは、国民主権の下では、当然の行動です。
ところが、驚くべきことに、大島氏は、「特に病気腎移植は異様。学会が見解を出した後、政治家まで出てきた。倫理や社会にかかわる問題は別として、医学的には専門家として譲れない」として、移植医療に関しては専門家たる医師の専権であるとして、政治家の排除を公然と主張するのです。しかし、国民から選ばれていない医師が、なぜ、国民から選ばれた政治家(国家議員)を排除できるのでしょうか? 専門家たる医師の意見は参考に値するとしても、立法権限のある国会、その議院に属する国会議員を排除する根拠は全くありません。
腎臓移植までに16年も待つという極めて深刻なドナー不足の現状においては、生存権(憲法25条)を侵害されているとさえいえるのですから、修復腎移植を含めて臓器移植問題を解決することは、直ちに解決すべき国(政府及び国会)の義務であるとさえいるのです。こうした生存権保障に関して最終的な責任を負っているのは、政府及び国会であって、医師ではないのです。
このようなことから、大島伸一氏が政治家の排除を公然と主張したことは、国民主権原理、生存権(憲法25条)に反する言動であって、極めて妥当でないというべきです。大島氏が病気腎移植(+政治家排除)と代理出産禁止を目的とした新組織設置をもくろんでいることは、修復腎移植の超党派議連を含むすべての国会議員へケンカを売っているに等しい言動です。国会議員は、大島伸一氏の言動に対して対抗措置をとるべきではないでしょうか。
(3) 大島氏の発言を読むと、大島氏は代理出産問題について言及しているにもかかわらず、その問題点を元々良く分かってないのではないか、と疑問に感じます。
「大島氏は「40年前の和田心臓移植のとき、医学会が何もせず、医療不信を生んだ。その反省に立ち、医療事故などを積極的に調査・開示し、見解を示してきた」と振り返る。従来、医療技術の適用の判断は、提供者側に委ねられてきた。だが、医学の進歩で「代理出産で生まれた子どもの権利など医学の範囲を超える問題が出てきた」。(中略)
大島氏は、代理出産について「技術的にできるか否かではなく、してもいいかどうかという問題だ。生まれてくる子どもの権利など医療の範囲を超えた問題があり、生命倫理や法律など、さまざまな観点から社会で議論されるべきだ」とする。移植については、生体間移植で親族のどこまでを認めるかなども医療を超えた問題だとする。」
医療行為については医師は専門家ですが、医療以外の分野に関しては医師は素人同然です。ですから、代理出産に関して、医師たちに「生まれてくる子どもの権利など医療の範囲を超えた問題」を判断する能力はありません。「生まれてくる子どもの権利」は、法律論そのものなのですから、医師がどうやって適切な判断を下せるというのでしょうか。素人談義のために新組織を設置するのは、無駄に過ぎないように思うのです。
子どもの権利の問題は、生殖補助医療が行われたことから、すなわち、日本では、AID(非配偶者間人工授精)が、1949年に慶応大学病院で実施されたころから問題となっているのですから、最近のことではないのです。いかに大島氏が法律問題に疎いいことが如実に分かります。
結局は、「代理出産で生まれた子どもの権利など医学の範囲を超える問題が出てきた」と述べているのは、学会の威光に反する行動をとる人物が憎らしいというだけで、闇雲に代理出産を禁止する意図なのだと推測できるのです。
なお、大島氏は、「和田心臓移植のとき、医学会が何もせず医療不信を生んだ」と述べていますが、不正確です。医学会は「何もせず」ではなく、むしろ和田移植をかばう様相であり、和田移植は問題であると強く非難したのが病理医です。これに対して、修復腎移植問題については、移植学会が非難するのに対して、病理医側は賛同しているのですから、過去の反省を踏まえれば、何が妥当であるのか、明らかであるように思います。
3.大島氏がいくら画策しようとも、代理出産を含めた生殖補助医療の立法化については、野田消費者行政相を含めた超党派の勉強会は、選択の自由を保障するという憲法の基本に忠実ですから、代理出産に関しては容認する方向で立法化がなされるとは思います。
これに対して、修復腎移植に関してはどうでしょうか?
修復腎移植に関する超党派議連の活動は、今のところ動きがないようです。大島伸一氏が、代理出産と修復腎移植を全面禁止するようなもくろみを図っている以上、修復腎移植容認側も何らかのアクションを起こすべき時期に来ているのかもしれません。
医者はほかの人よりすぐれているから結うことを聞けということなのか?
少なくとも日本は国民が主役、医者それも中央の医者に権限を託した覚えはない。
医学の進歩は東京や大阪でなされるものなの?宇和島はだめなら福岡は?岡山はどうなの高松なら?
国会議員を排除して医学を私物化する試みは断固阻止です。
司法の判断はどうなのでしょう。
報道は勝ち馬に乗るだけなところが多いからなあ。
>学会というものは、法的にどのような特権を持っているのでしょう
例えば、日本学術会議は、政府による諮問に対して答申し、政府に勧告し、要望・声明・提言・報告ができます(日本学術会議会則2条)。簡単に言えば、単に声を上げることができるというだけで、政府に対する強制力はありません。
特に、大島氏が所属している「日本移植学会」は、「有限責任中間法人」にすぎません。この「中間法人」は中間法人法に基づく団体で、町内会、同窓会、サークル程度の仲良し集団を法人化した、というだけのことです。そんな仲良し団体程度に、政府や国民に対する強制力はありません。
このように、学会や日本学術会議には何も「特権」はないのです。
>少なくとも日本は国民が主役、医者それも中央の医者に権限を託した覚えはない。
>国会議員を排除して医学を私物化する試みは断固阻止です。
大島氏は、当然、国会議員を排除できると思っているようですが、その主張には何にも法的根拠がありません。臓器移植法改正にしても、法律の制定・法改正権限があるのは、権力分立制の下では、国会だけです。移植医がいくら移植につき専門家だと主張してみても、国民主権・議会制民主主義の下では、最終的な決定権があるのは、国民から選ばれた国会議員だけです。
>司法の判断はどうなのでしょう
裁判所は、医療につき専門家の意見を尊重することはあっても、最終的に判断を行うのはあくまで裁判官です。裁判では、医療訴訟であっても証人として出てくる医師の意見は参考意見にしか過ぎないのです。
>報道は勝ち馬に乗るだけなところが多いからなあ
報道の方向性はなかなか分かりませんね。
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