数ある冤罪事件のなかでも、この事件・裁判は特に注目に値するものです。それは、<1>典型的な冤罪事件の特徴をもっていること(別件逮捕などの見込み捜査、不自然な供述の変遷、客観的証拠の乏しさ、証拠の隠蔽・捏造、自白と客観的な証拠との不一致、代用監獄を利用した自白の強要、経験則から逸脱した認定)、<2>戦後直後に起きた事件ではなく、現行刑事訴訟法が定着してから起きた事件であるため、現在の捜査にも妥当すること、<3>重大事件で再審開始が認められる例は極めて少ない現状において(東京新聞平成20年7月14日付夕刊10面)、再審開始を認めた極めてまれな決定だからです。
「布川事件 高裁も再審支持 「自白・目撃証言に疑問」
戦後発生した事件で、無期懲役刑か死刑が確定した後、再審が開始されたのは5件しかなく、いずれも無罪が確定したが、これらは終戦後約10年の間に起きた事件だった。現行刑事訴訟法が定着してから起きた今回の事件で東京高裁が再審開始を認めたことは、捜査のあり方にも問題を投げかけそうだ。」(読売新聞平成20年7月14日付夕刊1面)
1.この「布川事件」の概要と裁判の経過について触れておきます。
「どんな事件か
1967(昭和42)年8月30日の朝、茨城県利根町布川で、ひとり暮らしの玉村象天(しょうてん)さん(当時62歳)が自宅で殺されているのが発見されました。死体は、足首を布で縛られ、口内に布片が詰められており、死因は絞頸による窒息死。机、ロッカー、タンス等に物色のあとが見られました。現場の特徴として、八畳間の床が抜けて畳が落ち込んだところに死体が横たわっており、また、死体には敷布団がかけられ、現場には毛布・掛け布団などが散乱していました。さらに、間仕切りのガラス戸が隣の部屋に倒れ、ガラス数枚が割れており、便所の小窓が開いて、桟が2本取り外されていました。犯人の手がかりもつかめないまま10月に入り、10日に同町出身の桜井昌司さん(当時20歳)が窃盗で、16日に同じく杉山卓男さん(当時21歳)が暴力行為で、それぞれ別件逮捕されました。
桜井さんは、強盗殺人の容疑を否認したのですが、警察官から、「母親が世間を騒がせないようにと言っている」「(当日一緒にいたはずの)兄はアリバイを知らないと話している」などと言われ、「どうにでもなれ」という気持ちになって、逮捕から5日後、警察から突きつけられた容疑事実をそのまま認める形で自白してしまいました。一方、杉山さんは、強盗殺人の容疑は否認したのですが、桜井さんが杉山さんとの共犯を認めた供述調書を見せられた上、警察官から「罪を認めないと死刑になるぞ」などと言われ、10月17日、自白してしまいました。その結果、各十数通の「自白」調書が作成されました。
11月に拘置所に移されて検察の取調べが開始されてから、2人は一転して犯行を否認し、杉山さんは、事件当日のアリバイを詳細に書き出し、検事に必死で「殺しはやっていない」と訴えたところ、その検事は「君の目を見ていると、ウソをついているとは思えない」として否認調書を作ったのです。ところが、杉山さんは、12月1日に警察の留置場(代用監獄)へ送り返され、警察官から「なんで、検察官の前で否認したんだ」と、厳しい取り調べが連日続き、自白してしまいました。12月中旬、杉山さんは検察にまた送られたのですが、検察官は交代していて、別の検察官が、「否認していれば助からないぞ」と死刑を暗示させる脅しを行うなど犯人と決め付けるような取り調べを行い、「自白」してしまいました。一方、桜井さんは、最初の検察官の取り調べでは、その検察官は桜井さんの話を素直に聞いていたのですが、12月6日に警察の留置場(代用監獄)へ送り返され、警察官は、「1回調書を作ったら、いまさら何を言ってもだめだ」などと虚偽を述べながら、連日長時間取り調べを行い、12月中旬、別の検察官が「お前が犯人だ」などと取り調べを行い、結局、2人は再び「自白」に転じてしまいました。そして、12月18日、遊興費欲しさに犯行を行ったとして起訴されました。
裁判の経過
桜井さん、杉山さんは、翌年2月の第1回公判で強盗殺人を否認し、以来一貫して無実を訴えましたが、2年後の1970(昭和45)年10月6日、水戸地裁土浦支部は無期懲役の判決。1973(昭和48)年12月20日東京高裁の控訴棄却判決、1978(昭和53)年7月3日最高裁第二小法廷は、「自白は真実の供述を内容とするものだ」として上告を棄却し、2人は、1996(平成8)年11月の仮釈放まで千葉刑務所に服役し、逮捕から実に29年余の獄中生活を余儀なくされました。
この事件は、捜査過程が語るとおり、代用監獄が自白調書作成の手段とされた典型です。そして、裁判所自身が、「現場に残されたものに被告人らと犯行を直接結びつけるものは発見されていない」(東京高裁判決)、「被告人と犯行との結びつきに関し物証等の動かし難い客観的証拠を発見し難い」(最高裁決定)とみとめるとおり、「自白」以外にはまったく直接証拠がありません。しかも、「自白」は現場の客観的状況と矛盾し、また、公判で明らかになった被害者の死亡時刻の枠内からは、逃走のために乗る電車の発車時刻に間に合わないなど、「自白」による犯行は不可能です。裁判所はこれを、形式論理をもてあそぶ手法で退けました。さらに、通行中の姿を「目撃」したとの証言が「はたして当日だったかどうかわからない」などと、核心部分が変転・混乱し、矛盾極まりないことについては、「若干の乱れ」にすぎず「大筋において一貫」しているとして有力な有罪証拠としたのです。
1983(昭和58)年12月23日に、確定判決の被害者の死亡時刻に誤りがあるとする法医学者の鑑定などを新証拠として再審請求(第1次)しましたが、1992(平成4)年に最高裁が棄却を決定しました。2001(平成13)年に別の証拠で第2次再審請求を行い、2005(平成17)年9月、水戸地裁土浦支部は再審開始を決定し、水戸地検が即時抗告していました。」(小田中聰樹ほか「えん罪入門」(日本評論社、2001年)42〜56、111・112頁、読売新聞平成20年7月14日付夕刊23面参照)
(1) こうした事件の概要や裁判の経過だけを読むと、捜査機関は、犯人が発見されない焦りもあったためか、疑問を抱く検察官を交代させてまで、桜井さんや杉山さんを無理やりに強盗殺人の犯人に仕立て上げたことが分かります。
また、裁判所の方も、「自白」以外にはまったく直接証拠がなかったのですが、その「自白」は現場の客観的状況と矛盾するものだったり、通行中の姿を「目撃」したとの証言が「はたして当日だったかどうかわからない」としたままで有罪の証拠にしてしまうなど、無茶苦茶な論理で有罪にしてしまったのです。
(2) こうした捜査・裁判の経過を踏まえて、木谷明元判事(現在、法政大教授)は、次のようなコメントを述べています。
「物証が1つもなく、確定審の判断があまりにもお粗末だったのに、(再審開始に)これほどエネルギーと時間を費やさなくてはいけないのかと思う。」(読売新聞平成20年7月14日付夕刊)
あまりにもお粗末な有罪認定を正すだけのことなのに、再審が認められるまで41年も時間を費やしたのです。お粗末な有罪認定をした数人の裁判官、証拠の隠蔽・捏造や自白強要を行った数人の検察官の責任は、極めて重いのです。
(1) 東京新聞平成20年7月14日付夕刊1面
「布川事件 再審、高裁も認める 自白『事実と矛盾』
2008年7月14日 夕刊
茨城県利根町で一九六七年、男性が殺害され現金が奪われた「布川(ふかわ)事件」で、無期懲役刑が確定した桜井昌司さん(61)と杉山卓男さん(61)=いずれも仮釈放中=の第二次再審請求抗告審で、東京高裁(門野博裁判長)は十四日、再審開始を認める決定をした。検察側の最高裁への特別抗告は憲法違反や判例違反の場合に限られるため、今回の再審決定は維持される可能性が高い。
決定で門野裁判長は、新証拠は再審開始の要件となる「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たると判断。「(無期懲役刑とした)確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じ、同判決の判断を維持することはできない」と結論付けた。
抗告審での最大の争点は、殺害の順序や方法が自白内容と矛盾するかどうか−だった。
「被害者の口にパンツを詰めた後、手で首を絞めた」とする捜査段階の自白内容について、弁護側は「科学的証拠では下着などひも状のもので絞めた後、パンツを詰めたことになる。手で絞めたらのどの軟骨が折れる可能性が高い」と主張。検察側は「弁護側の鑑定書は必ずしも手で絞めたことを否定しない」などと反論していた。
これに対し、門野裁判長は「自白は客観的事実に合致しない。犯行に至る経緯、殺害状況などに著しい変遷があり、捜査官の誘導があったことをうかがわせる」と弁護側主張を認めた。
弁護側は(1)検察側が自白の任意性を証明する証拠とした取り調べの様子を録音したテープは改ざんされた(2)自白では殺害後に便所から脱出したとあるが、実験では不可能だった−とする新証拠を提出。これらについて門野裁判長は「自白テープには中断などが認められ、自白の信用性に影響を及ぼす」とし、目撃証言への疑問を投げ掛けた。
二〇〇五年の水戸地裁土浦支部は「下着で絞められ、自白は捜査官に誘導された可能性がある」として、「自白の信用性に多大な疑問が生じた」と判断し再審開始を決定。検察側が「誘導など不当な取り調べを示す証拠はない。自白は客観証拠とも合い、信用性は高い」と即時抗告していた。
決定は誠に遺憾
東京高検の鈴木和宏次席検事のコメント 当庁の主張が認められず、誠に遺憾だ。決定の内容を十分検討し、最高検察庁とも協議の上、適切に対処したい。」
「【布川事件】 1967年8月30日、茨城県利根町布川の大工玉村象天(しょうてん)さん=当時(62)=が自宅で首を絞められて殺害された。桜井昌司さん(61)と杉山卓男さん(61)が殺害と現金約10万円の強奪を自白。強盗殺人罪で起訴された。水戸地裁土浦支部は70年、いずれも無期懲役の判決。最高裁が78年に上告を棄却、刑が確定した。83年の再審請求は退けられた。2人は96年に仮釈放され、2001年に第2次再審請求。土浦支部は05年、再審開始を決定していた。」
この記事では、1点注目しておきます。
「検察側の最高裁への特別抗告は憲法違反や判例違反の場合に限られるため、今回の再審決定は維持される可能性が高い。」(正確には、特別抗告は、「『原則として』憲法違反や判例違反の場合に限られる」。)
法律上は、検察側が特別抗告すれば審理は最高裁に移り、他方で、断念すると再審が開始されることにはなりますが、特別抗告をしても認められない可能性が高いわけです。検察側が無意味なあがきする可能性はありますが、今回の東京高裁決定は決定的なものだといえるのです。
(2) 日経新聞平成20年7月14日付夕刊23面
「41年の訴え届く 「冤罪晴らす力になれば」 2人が歓声
冤罪(えんざい)を訴え続けて41年、再審への扉が再び開かれた――。「布川事件」の再審開始を認めた14日午前の東京高裁決定を受け、桜井昌司さん(61)と杉山卓男さん(61)は、「やった」「勝ったぞ」と歓声を上げ、指でVサインをつくった。
2人は東京・霞が関の弁護士会館で開かれた報告集会に出席。桜井さんは「ただただうれしい。私たちの決定がすべての冤罪を晴らす力になれば」と力を込めると、会場を埋めた約200人の支援者から大きな拍手がわき起こった。
杉山さんは「早く無罪が確定するよう頑張る。ただ冤罪の有無を判断する裁判所がしっかりしていればこんなに長くはかからなかった」と語り、自白を強要した捜査当局だけでなく、裁判所にも不満をあらわにした。」
この記事でも1点、注目しておきます。
「杉山さんは「早く無罪が確定するよう頑張る。ただ冤罪の有無を判断する裁判所がしっかりしていればこんなに長くはかからなかった」と語り、自白を強要した捜査当局だけでなく、裁判所にも不満をあらわにした。」
冤罪の元凶は捜査当局ですが、裁判所も同様に責任を問われるべきです。木谷明元判事が、「物証が1つもなく、確定審の判断があまりにもお粗末」と酷評するほど、あまりにも杜撰な有罪認定だったのであり、第1次再審請求にかかわった裁判所も、杜撰な有罪認定を疑問視しなかったのですから。
(3) 布川事件の第二次再審請求抗告審・決定要旨(共同通信:2008/07/14 11:58)
「再審決定要旨 布川事件
布川事件の再審開始をめぐる即時抗告審で、14日の東京高裁決定の要旨は次の通り。
【原決定の判断】
桜井昌司さん、杉山卓男さんの元被告が提出した新証拠には新規性、明白性が認められ、無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した場合に当たるとして、再審開始を決定した原決定の判断は正当として是認できる。
確定判決の根拠(証拠構造)は(1)犯行に接着した時間帯と場所で2人が目撃されていること(2)2人が捜査段階で自白し、その自白が信用できること−の2点である。
主な新証拠は近隣女性の捜査段階の供述調書など5点で、いずれも新規性があり、確定判決の証拠構造に動揺を与える。なお5点のうち3点は、今回の再審請求審で検察側があらたに開示した。
(1)犯行に近い時間に被害者方付近で男2人を目撃したという近隣女性の供述は十分に信用できるが、容姿や着衣が当時の2人のものとは異なり、杉山さんと面識があったのに識別していない。男2人が桜井さんらとする別の目撃証言の信用性に重大な疑問を提起する。
(2)木村康千葉大名誉教授の意見書などによると、被害者の頸部が手で絞められた(扼頸)かどうかは不明だが、ひもなどで絞められた(絞頸)可能性は高く、口の中に下着が押し込まれたのは、絞頸などの行為によって被害者が意識を失ってからと考えるのが相当で、自白は事実に反する。
(3)被害者方のガラス戸の衝撃実験に基づく鑑定結果も、2人の犯行隠ぺい工作として外したとか、けって破損させたという自白が客観的事実に反することを示す。
(4)茨城県警による鑑定書は、被害者の周辺で発見された毛髪はいずれも2人のものとは類似しないというもので、自白に裏付けがない。
(5)桜井さんの自白を録音したテープについて、中断などが認められるというもので、取調官の誘導をうかがわせる。
【新旧証拠を総合しての確定判決検討】
2人を犯行に近接した時間と場所で目撃したという状況証拠の中で最も重要な位置を占める目撃証言は、重要部分に変遷が見られ、薄暗い時間帯の一瞬の目撃で、人物を見誤る可能性がある。これに対し、新証拠である近隣女性の供述は信用でき、この女性の息子の供述も同じ。2人を見たとする供述の信用性には重大な疑問がある。
【自白について】
犯行に至る経緯、殺害、金品奪取の状況、犯行隠ぺいや逃走後の状況についての自白には著しい変遷があり、2人の自白の違いも顕著。金品を奪った際のロッカーの開け方、財布を発見した場所、金の分配など、供述は次々に変更されている。逃走の際にガラス戸を外して隠ぺい工作をしたというが、現場の状況と懸け離れている。実際体験していないことを繰り返し追及されて供述の変遷を重ねたとみられる。
自白の内容は重要部分で客観的証拠と整合しない部分が多い。新証拠では絞頸の可能性が高いことが明らかになっており、「扼頸で死亡させた」とする自白は事実に反する可能性が高い。新証拠によれば口の中に押し込まれた下着は頸部圧迫で意識喪失後に押し込まれたとみられ、「先に押し込んで扼頸に及んだ」との供述は事実と合わない。殺害状況の自白はあまりに迫真性に欠ける。
新証拠によれば8畳間と4畳間のガラス戸が破損したのは、被害者と犯人が格闘する過程で力が加わったためとみられる。「犯行後に泥棒と見せ掛けるため工作した」との供述は客観的状況に反する。
指紋、毛髪が発見されていないことも自白の信用性を疑わせる。いわゆる秘密の暴露もない。2人は捜査段階で自白したが、次々と変遷するような不完全な内容だった。拘置支所から再び警察署に身柄を移すなど虚偽自白を誘発しやすい環境に置いたのは問題だ。新旧証拠を総合すると自白には重大な疑問があり、信用性はない。
新旧証拠によると、確定判決の判断を維持することはできない。目撃状況と自白、という重要な2点で証拠が揺らいでいる以上、そのほかの点を判断するまでもなく、有罪の確定判決には合理的疑いが生じている。
この新証拠が確定審における審理中に提出されていれば有罪認定には合理的疑いが生じていたというべきである。検察官の抗告は理由がないので棄却する。
2008/07/14 11:58 【共同通信】」
イ:判決要旨を見ると、捜査機関側の問題点がよく現れています。まずは、「証拠の隠蔽」です。この証拠隠蔽は、検察官は、公平な裁判に寄与するという意識に欠けている証拠でもあります。
「確定判決の根拠(証拠構造)は(1)犯行に接着した時間帯と場所で2人が目撃されていること(2)2人が捜査段階で自白し、その自白が信用できること−の2点である。
主な新証拠は近隣女性の捜査段階の供述調書など5点で、いずれも新規性があり、確定判決の証拠構造に動揺を与える。なお5点のうち3点は、今回の再審請求審で検察側があらたに開示した。
(1)犯行に近い時間に被害者方付近で男2人を目撃したという近隣女性の供述は十分に信用できるが、容姿や着衣が当時の2人のものとは異なり、杉山さんと面識があったのに識別していない。男2人が桜井さんらとする別の目撃証言の信用性に重大な疑問を提起する。
(2)木村康千葉大名誉教授の意見書などによると、被害者の頸部が手で絞められた(扼頸)かどうかは不明だが、ひもなどで絞められた(絞頸)可能性は高く、口の中に下着が押し込まれたのは、絞頸などの行為によって被害者が意識を失ってからと考えるのが相当で、自白は事実に反する。
(3)被害者方のガラス戸の衝撃実験に基づく鑑定結果も、2人の犯行隠ぺい工作として外したとか、けって破損させたという自白が客観的事実に反することを示す。
(4)茨城県警による鑑定書は、被害者の周辺で発見された毛髪はいずれも2人のものとは類似しないというもので、自白に裏付けがない。
(5)桜井さんの自白を録音したテープについて、中断などが認められるというもので、取調官の誘導をうかがわせる。」
回の再審請求審で検察側があらたに開示したのは、(1)(4)(5)です。(1)の別の目撃証言が証拠として出ていただけでも、有罪認定は難しかったように思われます。次の記事を見ると、検察側が隠蔽していた証拠は「現場を通り掛かり、(別の)2人の男の影」であったとはっきり言い切るほど確かなものだったのですから。
「後の裁判で2人は有罪と認定されるが、決め手の一つだった重要な証拠がある。「目撃証言」だ。確定裁判の記録によると67年8月28日午後7〜8時、つまり犯行直前の時間帯に、複数の住民が2人を目撃したことになっている。
2人は本当に現場にいたのか。県警に証言をした男性(53)に話を聞くことができた。当時、中学1年生だった男性によると、午後7時半ごろ、自転車で被害者の玉村象天(しょうてん)さん(当時62歳)方を通り過ぎた際、勝手口に1人、塀の前に1人、男がいたのを見た。
それが誰なのかは「薄暗くてはっきりとは分からなかった」が、捜査員に「うち1人は杉山じゃなかったか」と聞かれ「そうかもしれない」と答えてしまったという。「見たなんて言わなければ良かった。今思えば誘導なんだっぺな」と男性は悔いる。
この男性の母親(75)は、玉村さん方の前にいた2人の男が桜井さん、杉山さんではないと言い切る。野菜の仕入れで午後7時過ぎに現場を通り掛かり、2人の男の影を見たという。「杉山さんとは別の顔だ。警察にも(杉山さんは)見てねえって言ったんだけど」。弁護団は検察側に母親の調書の開示を求めた。長らく実現せず、第2次再審請求審になって、ようやく開示に応じた。
「(この母親が)目撃した男の容姿・着衣等は当時の請求人(桜井さん、杉山さん)のものとはかなり異なる」「(検察側の目撃証言は)信用性に重大な疑問があるといわなければならない」。再審開始を支持した東京高裁は、理由の一つをこう説明している。」(毎日新聞2008年7月15日地方版「41年目の「真実」:布川事件再審開始へ/上 目撃証言 /茨城」)
(4)の茨城県警による鑑定書も、決定的なものといえるでしょう。「被害者の周辺で発見された毛髪はいずれも2人のものとは類似しない」という内容なのですから、経験則上、桜井さんや杉山さんは犯人でないというはっきりした証拠といえるのですから。
(5)の桜井さんの自白を録音したテープも同様です。中断などが認められる点は、捜査官による誘導や脅しがあったことを隠蔽した証拠と推測できるのですから。
東京高裁決定は、「この新証拠が確定審における審理中に提出されていれば有罪認定には合理的疑いが生じていたというべき」と指摘していますが、ごく当然の指摘といえます。それとともに、これは証拠の隠蔽を行ってきた検察側に対する批判でもあるといえるのです。
ロ:捜査機関側の問題点は、代用監獄を利用した自白の強要です。
「2人は捜査段階で自白したが、次々と変遷するような不完全な内容だった。拘置支所から再び警察署に身柄を移すなど虚偽自白を誘発しやすい環境に置いたのは問題だ。新旧証拠を総合すると自白には重大な疑問があり、信用性はない。」
元々、法律上、取り調べ目的での逮捕・勾留を認めていないのですから、代用監獄を利用して自白を得ること自体に正当性がないのです。冤罪の温床となっている「代用監獄」制度は、廃止するべきです。
3.解説記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成20年7月14日付夕刊17面「解説」
「自白誘導 強く警告 高裁
無期懲役判決を受けて、刑務所で服役した2人が「自白を強要された」と訴え続けて40年あまり。再審開始への道を維持した東京高裁の14日の決定は、自白供述が捜査官の誘導によってつくられた疑いがあると指摘し、自白偏重の捜査のあり方に強い警告を投げかけた。
再審請求に必要な「無罪を認めるべき明らかな証拠」を、弁護側が見つけ出すことは容易ではない。布川事件で弁護側は、自白を覆すための「客観的、科学的な証拠」にこだわった。自白を録音したテープに残る雑音の分析から、録音を中断したり、巻き戻して重ねて録音したりする編集が行われた可能性を指摘した。実際、検察側が、「存在しない」としてきた証拠を開示したのは、再審請求の段階になってから。2人に有利な目撃証言や、毛髪の鑑定結果など、最初の公判で開示されていれば審理に影響を与えかねない、重要な証拠も含まれていた。
来年から始まる裁判員制度では、検察側は初公判前の整理手続きで弁護側が請求した証拠は、積極的に開示することが求められている。布川事件の主任弁護人の谷村正太郎弁護士は、「検察側の『証拠隠し』があれば、公正な裁判はできなくなる。約40年前に起きた布川事件をめぐる検察側の対応は、現代にも通じる問題だ」と指摘する。
また、今回の決定は、2人が警察署に勾留(こうりゅう)されていた際に自白したものの、拘置支所で否認に転じ、再度警察署に移されて再び自白に転じたという供述の経緯についても言及。「虚偽の自白を誘発しやすい環境に置いたことには問題があったというべきだ」と指摘し、代用監獄で自白を引き出す捜査手法を批判した。
鹿児島県議選をめぐり、公職選挙法違反の罪に問われた12人全員が無罪となった事件や富山県で起きた冤罪事件では、ともに自白に頼った捜査が、厳しい批判を浴びた。
自白を裏付ける客観的証拠を積み重ね、必要な証拠をすべて開示する。当たり前の姿勢が、警察・検察に改めて求められている。(河原田慎一)」
この解説では、「検察側の『証拠隠し』があれば、公正な裁判はできなくなる」点と、「代用監獄で自白を引き出す捜査手法」を批判した点に着目し、「自白偏重の捜査のあり方に強い警告を投げかけた」ものとまとめています。東京高裁決定の重要部分に目を向けた解説といえます。
「自白を裏付ける客観的証拠を積み重ね、必要な証拠をすべて開示する。当たり前の姿勢が、警察・検察に改めて求められている」ことは確かです。しかし、早く犯人を逮捕せよと求めて、逮捕しただけで安堵する世論、逮捕後は、被告人側の防御のことには目を向けることなく、迅速に裁判を終結させることを求める世論、重大事件であればすぐに死刑を求める世論。こうした世論を煽り立てる報道。いずれもが、「自白を裏付ける客観的証拠を積み重ね、必要な証拠をすべて開示する」という、「当たり前の姿勢」を出来なくしているものだと思えるのです。警察・検察側だけを批判すれば足りるとはいえないと考えます。
(2) 読売新聞平成20年7月14日付夕刊22面「解説」
「「自白頼み」危うさ示す
布川事件は、指紋や足跡などの有力な物証がなく、「犯行」を示す証拠は自白とあいまいな目撃証言だけだった。再審開始を認めた東京高裁決定は、「自白頼み」の捜査の危うさを改めて示した。
弁護団が再審請求に当たり提出した新証拠のうち、東京高裁が決定で重視したのは5点。このうち、「現場付近にいたのは桜井さん、杉山さんとは別人」とする新たな目撃証言と、現場に残された毛髪が2人のものとは異なるという鑑定書など3点は、第2次請求に当たって検察側が新たに証拠開示したものだった。
高裁の決定は、こうした新証拠を、過去の証拠と付き合わせて再評価した結果、2人の自白に疑問が生じると判断した。これらの証拠が、当初の裁判でも提出されていれば、「無期懲役」の結論も変わっていたかもしれない。
新証拠の評価以上に大きな争点は、自白の評価だった。48通に上る自白調書の内容は、殺害方法や犯行後の隠ぺい工作などについて繰り返し変遷。被害者から奪った金額も、ゼロ、6万円、7000円など目まぐるしく変わっていた。変遷の仕方も、2人の供述内容が同時期に符合していくなど、捜査官の誘導を強くうかがわせるものだった。高裁決定は「供述は次々変更されてとらえどころがない」と評し、自白の信用性を否定した。
決定は、一度、否認に転じた2人が拘置所から警察署の留置場に戻された後、再度、自白したことをとらえ、「虚偽自白を誘発しやすい環境に置いたことには問題があった」と指摘した。取り調べの一部を録音・録画する「可視化」の導入が進んでいるが、1審に続き、東京高裁も冤罪(えんざい)と認定した意味は重い。裁判員制度施行を前に、捜査当局は捜査、取り調べの手法を再点検すべきだろう。(木下敦子)」
この解説も、第2次再審請求に当たって検察側が新たに証拠開示した「新証拠」が当初の裁判でも提出されていれば、有罪判決でなかった可能性がある点と、代用監獄制度を利用した自白を問題視した内容になっています。なお、この解説では、「これらの証拠が、当初の裁判でも提出されていれば、『無期懲役』の結論も変わっていたかもしれない」としますが、東京高裁決定は、はっきりと「有罪認定には合理的疑いが生じていたというべきである」と判断している以上、「かもしれない」ではなく、有罪という結論ではなかった可能性が高いというべきでしょう。
(3) 東京新聞平成20年7月14日付夕刊10面「解説」
「再審「冬の時代」変化 全面可視化に追い風
布川事件の再審請求で検察側の即時抗告を退け、1審に続き再審を開始するとした14日の東京高裁決定は、「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の原則をあらためて示し、「再審冬の時代」が変わっていくことも予感させた。
決定は<1>自白内容が客観的事実に反する<2>目撃証言の信用性に重大な疑問がある<3>現場から指紋が検出されなかった<4>自白テープには中断の跡がある―と指摘し、自白を唯一の直接証拠とした検察側主張を退けた。
新証拠と旧証拠を総合判断し、有罪とするのに疑問が残れば再審を開くべきだ、と再審開始の基準を緩和した最高裁の白鳥決定(1975年)を踏まえての判断だ。
また、今回の決定は、取り調べの可視化をめぐる議論への影響という点でも注目される。
裁判員制度を前に、検察は取り調べの一部録音・録画を導入。自白事件に限り、調書を読み聞かせながら、自白の経緯や動機などを確認する場面だけを録音・録画しているが、日弁連は「都合のいい部分だけの録音・録画では冤罪(えんざい)は防げない」と批判してきた。
布川事件では、唯一の直接証拠である自白調書の任意性が争われた。自白を録音したテープの改ざんの可能性を指摘した意味は大きく、全面可視化を求める日弁連には追い風になりそうだ。(寺岡秀樹)」
この解説では、「取り調べの可視化をめぐる議論への影響」という、将来に向けての影響に注目した内容になっています。
自白を録音したテープの編集跡が指摘された点は、特に、取り調べの可視化問題にも大きな影響が出るといえます。検察・警察当局は、取り調べの全過程の録画・録音に消極的ですが、改ざんの余地があり、都合の言い分だけを使う“部分可視化”では、布川事件と同じ結果になりかねないのです。木谷明・法政大教授が述べるように、「部分的に録音しただけでは、逆に冤罪を生む決定打になりかねない」のです。布川事件と同じ結果を繰り返さないためには、やはり、取り調べの全面可視化が必要であると考えます。
4.識者のコメントも幾つか。
(1) 読売新聞平成20年7月14日付夕刊22面
「◆木谷明・法政大教授(刑事法)の話
「物証が1つもなく、確定審の判断があまりにもお粗末だったのに、(再審開始に)これほどエネルギーと時間を費やさなくてはいけないのかと思う。取り調べを録音したテープがあり、確定審の段階で裁判官の心証に影響したと思うが、部分的に録音しただけでは、逆に冤罪を生む決定打になりかねない。東京高裁の決定は重く、今後、再審が認められるハードルが低くなるのではないか」
◆村岡啓一・一橋大教授(刑事法)の話
「新証拠の価値を素直に評価した妥当な判決だ。新証拠として認められた重要な証拠を、開示してこなかった検察側の責任は重い。さらに、決定では、1度否認した2人を拘置所から警察に連れ戻して代用監獄で取り調べを行い、自白を誘発したことを厳しく批判しており、冤罪(えんざい)事件が後を絶たない中、不適正な捜査を戒める意味で大きな警鐘となるだろう」」
(2) 朝日新聞平成20年7月14日付夕刊17面
「開示の重要性 検察は認識を
川崎英明・関西学院大教授(刑訴法)の話 納得できる判断だ。旧証拠の弱点を正面からとらえ、そこに新証拠を加えて総合判断している。手堅い判断手法と言える。また、新証拠の一部は当時から存在したもので、最初から開示されていれば有罪判決はなかったはず。検察は証拠開示の重要性を認識する必要がある。代用監獄の使用など現在も続く捜査手法への批判は、捜査機関への問題提起と前向きにとらえるべきだ。」
村岡啓一・一橋大教授と川崎英明・関西学院大教授がともに問題視しているのは、検察側が重要な証拠を隠していた点です。今まで、証拠を隠していた点について、検察側が謝罪をしたという話は聞いたことがありませんし、今でも証拠の捏造や隠蔽行為であると疑問視される行為がたびたび行われています。これでは、公正な裁判の実現は不可能ですし、冤罪は絶対なくなるわけがありません。
こうなると、捜査当局側に「証拠隠蔽」をしないように求めることは無理ですから、「証拠隠蔽・捏造」に対しては裁判所が厳しく批判し続けるとともに、全面的な証拠開示を認める形に法改正を行うべきだと考えます。
検察は勝算があって特別抗告したのでしょうか?
単なる時間稼ぎ、あるいは面子としか思えない。名張ぶどう酒事件もそうだが再審の検察の抗告は制限が必要ですね。あまりにも再審の壁が厚すぎます。
><布川事件>検察、特別抗告へ 高裁再審決定不服として>
>検察は勝算があって特別抗告したのでしょうか?
>単なる時間稼ぎ、あるいは面子としか思えない
東京高裁決定の内容からすれば、勝算はないでしょうね。布川事件は冤罪事件の典型ですから、再審を認められてしまうと、検察としては困るのでしょうけど。詳しくは、「布川事件:再審開始決定に対して、検察側が異例の特別抗告」をご覧下さい。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1291.html
>名張ぶどう酒事件もそうだが再審の検察の抗告は制限が必要ですね。あまりにも再審の壁が厚すぎます
確かに、再審での検察の抗告は制限すべきとの意見もでていますね。仰るとおり、「あまりにも再審の壁が厚すぎ」です。再審の道がもう少し広がらないと、司法に対する不信が増幅されるだけです。
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