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主に社会問題について法律的に考えてみる。など。
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2008/07/05 [Sat] 12:20:40 » E d i t
国連総会は2007(平成19)年12月18日、死刑執行の停止を求める決議案を賛成多数で採択しています。そうした国際状況であるのに、日本は死刑制度を認めていますが、誤判を回避することはできない以上、死刑制度の存続は冤罪で死刑にすることをも、認めることも意味しています。

日本では、死刑冤罪事件で、再審が認められた事件としては、「免田事件」、「財田川事件」、「島田事件」、「松山事件」があります。他にも、死刑冤罪事件でありながら、再審が認めらない「袴田事件」や、冤罪でありながら処刑されてしまった「福岡事件」、「藤本事件」も現に存在するのです。私たち国民は、これらの理不尽な事実をすべてよく知った上で、死刑存続を認めているのでしょうか。

こうした理不尽な事件の一つである、いわゆる「免田事件」で、“死刑台から生還”した免田栄さんのインタビュー記事を、朝日新聞平成20年7月4日付夕刊で掲載していましたので、紹介したいと思います。免田事件とは、1948(昭和22)年の一家4人殺傷事件で逮捕され、1952(昭和27)年1月5日に最高裁で上告が棄却され、死刑が確定後、第6次再審請求(1979(昭和54)年)に至ってようやく再審が認められ、無実を勝ち取るのに34年と6ヶ月という途方もない歳月を要したという事件のことです。



1.朝日新聞平成20年7月4日付夕刊4面「語る人」欄

元死刑囚 免田栄さん 人と言い交わせる喜び

 免田栄さん(82)は、25年前の7月、再審で無罪判決を得て“死刑台から生還”した。故郷にも戻れない57歳からの後半生で、日々の暮らしや人とのつながりを、どう築いてきたのか。 (塩倉裕)

 ――生命の危機は逮捕される前にもあったのですね。45年の敗戦の時、19歳でした。

 徴用されて長崎県の軍需工場にいました。米軍機の機銃掃射に体を貫かれ、仲間が次々に死んでいきました。自分も死ぬつもりでした。でも敗戦直後、日本軍の滑走路として攻撃され火花が散っていた場所で子どもたちが遊ぶのを見たとき、拝みたいような気持ちになりました。

 ただ、将来の夢などは全くありませんでした。食べていけるかどうかの状態でしたから。

 ――戦後間もない49年に突然逮捕され、51年には死刑が確定しました。

 アリバイを主張したのに「自白」をしたとされ、「意味がわからない」と思いました。闇の中にいるようで。希望を持とうと試みては自分が絶望の中にいることを確認する、その繰り返しでした。

 ――状況が変わったのは?

 拘置所で、房の食器口からチラシが放り込まれたのです。「たとえ我、死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」とありました。なぜ私の房に入ったのかわかりませんが、聖書の一節でした。半年以内には死刑執行されるだろうと聞かされていた私には、「死の影の谷」という言葉が自分の状況を理解してくれているように思えたのです。

 キリスト教を学び、たとえこの世で敗れてもせめて死後は真実の世界に行きたい、と考えるようになりました。

■死刑囚仲間、裁判官との握手支えに

 ――多くの死刑囚の人々を見送られたそうですね。

 ある朝、数人の足音が近づいてきて、だれかの房の前で止まる。看守たちに刑場へ連れて行かれる途中、仲間たちは私の房の食器口から手を入れ、別れの握手を求めてきました。中には私と同様、無実だと訴えている人もいました。「残念だ。あんただけは頑張ってくれ」と言ってくれた人もいました。彼らの言葉と握手は、再審を求めて闘う私の、強い支えになりました。

 ――再審で無罪になったのは83年。別件逮捕から約34年が過ぎ、57歳になっていました。

 自由な世界に行ける。それだけで「ありがとう」の言葉が出ました。ただ、無罪になっても「うまいことやったな」と言われ続けています。いまだに郷里(熊本県)では暮らせません。

 ――では今、免田さんにとって、ふるさとは?

 この地球が仮の宿だ、と考えています。いずれ寿命が来たら神の国へ行ける、と。

 ――再審開始への道を開いた裁判官の西辻孝吉さんに、釈放後に会ったのですね。

 亡くなる直前です。「お世話になりました」と言うと、両手で壊れるほど強く私の手を握り、涙を浮かべてうなずいてくれました。あの温かい握手……。今の私の生きる励みです。

 ――逮捕されたのが23歳、釈放されてから25年になります。

 次々と新しい継母が来て、誰一人として私をかわいがってくれない家庭でしたから、昔の23年はいつも暗い気持ちでした。釈放後の25年は、社会とは解け合わなかったけれど、家内がよくしてくれて、何とか世のため人のために生きられます。

 彼女は労組の事務員で、友達がたくさんいました。その人たちが私の釈放を喜んでくれた。私に、人とつながるきっかけをくれたのです。言葉に尽くせないほど感謝しています。

 いま、時々講演に行くほかは畑仕事をしています。汗をかくとよく眠れますから。それに近所の人の畑を手入れしてあげたり、玄関前のそうじをしてあげたり、採ってきたタケノコをあげたりすると、喜んでもらえます。それがうれしいんです。

 同じ「おはよう」でも、すれ違うだけの間柄で言う「おはよう」とは違う。世話をしあっている関係の中で言う「おはよう」は、うれしいんです。

■良いことだけ思い出して生きたい

 ――免田さんにとって今、生きがいとは何ですか。

 自分の健康を大事にすること、同時に人が健康に生きることも大事に思うこと、でしょうか。「元気ですね」「はい、元気です」。人とそう言い交わせることがうれしい。その気持ちがあるから、明日へ進めます。過去の痛みは……忘れなければ仕方ないのですが……。良いことだけを思い出して、精いっぱい生きていきたいと思います。

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めんだ・さかえ 25年生まれ。48年の一家4人殺傷事件で逮捕され、51年に死刑確定。殺害方法が「自白」と違うとする新証拠などが採用され再審が始まり、83年無罪に。84年に結婚した妻と福岡県で暮らす=森下東樹撮影
----------------------------------------------------------------」

(*朝日新聞は、「51年に死刑確定」としているが、「52年に死刑確定」の間違いである。毎日新聞2008年3月23日東京朝刊「免田事件」参照。




2.皆さんは、このインタビュー記事を読んでどのように思ったのでしょうか? 

(1) 理不尽な状況におかれている免田さんの心を救ったのは、聖書の一節でした。

 「――戦後間もない49年に突然逮捕され、51年には死刑が確定しました。

 アリバイを主張したのに「自白」をしたとされ、「意味がわからない」と思いました。闇の中にいるようで。希望を持とうと試みては自分が絶望の中にいることを確認する、その繰り返しでした。

 ――状況が変わったのは?

 拘置所で、房の食器口からチラシが放り込まれたのです。「たとえ我、死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」とありました。なぜ私の房に入ったのかわかりませんが、聖書の一節でした。半年以内には死刑執行されるだろうと聞かされていた私には、「死の影の谷」という言葉が自分の状況を理解してくれているように思えたのです。

 キリスト教を学び、たとえこの世で敗れてもせめて死後は真実の世界に行きたい、と考えるようになりました。」



この免田事件は、3日間眠らせることなく、警察官は殴る蹴るなどの拷問を行い、「地獄に落としてやる!」といった脅迫を行った挙句、「自白」をしたとして、捜査機関が無罪に繋がる証拠の隠滅を図るなどの行為を重ねたうえでの証拠に基づく裁判でした。それでも、裁判所は、アリバイを主張する免田さんに死刑判決を下したのです。

「意味がわからない」と思い、「希望を持とうと試みては自分が絶望の中にいることを確認する」思いになってしまうのは、当然のことでしょう。

絶望の中にいる免田さんの心を救ったのは、旧約聖書の詩篇23編4節でした。

「たとえ我、死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」


新共同訳と口語訳での4節全文を引用しておきます。

「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」(新共同訳)

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」(口語訳)





(2) 免田さんの発言を見ると、無実を訴えながら処刑された人がいたことが分かります。

 「――多くの死刑囚の人々を見送られたそうですね。

 ある朝、数人の足音が近づいてきて、だれかの房の前で止まる。看守たちに刑場へ連れて行かれる途中、仲間たちは私の房の食器口から手を入れ、別れの握手を求めてきました。中には私と同様、無実だと訴えている人もいました。「残念だ。あんただけは頑張ってくれ」と言ってくれた人もいました。彼らの言葉と握手は、再審を求めて闘う私の、強い支えになりました。」



昔も今も、冤罪事件は数多くあります(冤罪File1号・2号参照)。免田さんが処刑されてしまった人のうち、「私と同様、無実だと訴えている人」として挙げている方が何人いるのか明確ではありませんが、「福岡事件」の西武雄さんはその一人であることは明らかです。

「福岡事件」は、1947(昭和22)年、敗戦直後の時期において、中国人を殺害した事件につき、占領軍の圧力により強盗殺人罪に仕立て上げられ、西さんと石井さんを含む7人が逮捕起訴されました。公判で石井さんは2人の殺害を認めましたが、「仲間のけんか相手だと勘違いした誤射だ」(いわゆる「誤想防衛」)として強盗を否認し、ほかの6人は無罪を主張したのです。

しかし、逮捕された7人に対し水責めなどの酷い暴行を加えて自白を強要し、白紙に署名させて捏造した調書によって、西さんは主犯と認定され、石井さんとともに1956年、最高裁で死刑が確定しました。残る5人のうち4人に、懲役刑が確定したのです。そして、1975年の「6月17日」。逮捕されてから一貫して28年間「冤罪」を主張し続けていた西さんは、突如、処刑されてしまいました(「「死刑――存廃を問う前に」(第2回):「福岡事件」死刑執行後も無実の叫び~冤罪死刑もやむなしなのか?(東京新聞3月31日付「こちら特報部」より)」(2008/04/19 [Sat] 18:10:14))。

2005年に再び再審請求を行っていますが、いまだに再審開始決定はなされないままであり、西武雄さんの名誉回復はなされないままなのです(「「叫びたし 寒満月の割れるほど」2008(上):冤罪なのに死刑が執行された「福岡事件」のことを知っていますか?~東京(6月14日)でシンポジウムを開催」(2008/06/15 [Sun] 10:54:50)「「叫びたし 寒満月の割れるほど」2008(下):冤罪で処刑されてしまった「福岡事件」のことを知って多くの人に広めてほしい!~東京会場でのシンポジウム(6月14日)を紹介」(2008/06/19 [Thu] 04:18:33))。



(3) 自由になった免田さんも、いまだに暮らせない場所があることを嘆いています。

 「――再審で無罪になったのは83年。別件逮捕から約34年が過ぎ、57歳になっていました。

 自由な世界に行ける。それだけで「ありがとう」の言葉が出ました。ただ、無罪になっても「うまいことやったな」と言われ続けています。いまだに郷里(熊本県)では暮らせません。

 ――では今、免田さんにとって、ふるさとは?

 この地球が仮の宿だ、と考えています。いずれ寿命が来たら神の国へ行ける、と。」


「いまだに郷里(熊本県)では暮らせません」といった嘆きに対して、どうやって答えたらよいのでしょうか。「この地球が仮の宿だ」と諦めるしかない免田さんの状況でいいのでしょうか。

34年6ヶ月という途方もない歳月を要してやっと無罪になって死刑台からは逃れたのに、根強い偏見・差別からは逃れることができないでいるのです。

市民がいまだに免田さんを犯人視しているということは、再審で無罪となったという裁判制度の結果を受け入れていないことを意味します。要するに、根拠のない感情論で免田さんを犯人視しているのです。




3.市民の側は、冤罪で処刑された者の心情を知った上で死刑論議をしているのでしょうか。

(1) 「福岡事件」の西武雄さんは、次のような俳句を残しています。

「叫びたし、寒満月の割れるほど」



この俳句には、どんなに誤判であると叫び続けていても、認めてもらえない怒りと悔しさにあふれています。しかも西さんの拘禁期間は実に42年半にも及びましたから、誤判であるとの叫びが届かない虚しさは、誰にも理解できるものではないでしょう。西さんの死後、2005年に再び再請求をしたのですが、未だに再審開始がなされないままです。

死刑存置論の理由として、「誤判・冤罪が起こりうるのは死刑についてだけではない。司法制度全体の問題である」というものがあります。しかし、 この魂の叫びともいえる俳句と対峙すると、心から納得できる理由になりえないのではないかと思えます。冤罪によって処刑されてしまったことの不条理さ、再審がまるで認められない不合理さがある事実を十分に知ったうえで、死刑を存続すべきであると、胸を張って言えるのでしょうか。



(2) 6月18日付「素粒子」では犯罪被害者のことなど何も触れていないのに、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は、「死刑執行を望む犯罪被害者遺族も死に神ということになる。侮辱的で感情を逆なでされた」などと、根拠のない邪推を行い、朝日新聞社に対して理不尽といえる抗議を行っています(時事通信(2008/06/25-19:47)「死に神」に被害者団体抗議=「侮辱的、感情逆なで」)。しかも、朝日新聞の回答に飽き足らず、再抗議や再質問まで求めようとしており(毎日新聞 2008年7月3日 東京朝刊「朝日新聞「死に神」報道:回答に被害者の会不満 再抗議へ」、これでは、まるで悪質なクレーマーのようです。

さらには、「地下鉄サリン事件被害者の会」(高橋シズヱ代表世話人)は7月3日「(法相は)法に従って粛々と実行したのであり、非難中傷を受けることではない」などとする抗議文を、朝日新聞社に送っています。しかし、朝日新聞社が「あすの会」へ送った回答書を見ることなく抗議を行っており(本人がご自分のブログで告白)、こんな便乗抗議には少しも正当性を見出すことができません。

鳩山法相が執行命令を行ったことは、殺人罪(刑法199条)の構成要件に該当する行為であり(間接正犯)、正当業務行為(刑法35条)であるがゆえに違法性を阻却し不可罰であるということであって、「人殺し」であることに疑問の余地はありません。しかも、鳩山法相は「ベルトコンベヤー」のように自動的に執行できないかと述べ、2ヶ月間隔で常に3~4人の同日執行という、ルールでもあるかのように規則正しい日程で、すでに13人もの多数の命を奪っていっているのですから、天界のルールに従って多数の命を奪っていく「死に神」と皮肉られるだけの発言と行動をしていたといえるのです。

こうした事実を直視せず、鳩山法相に対して「死に神」という評価はおかしいなどと批判をし、犯罪被害者への侮辱でもあるなどと理不尽な抗議を行い、死刑論議をタブー視することは、単なる感情論で死刑を肯定しているようにしか思えないのです。



(3) 「福岡事件」では、被害者遺族は西さんの処刑を望んでないと意思表示をしたのにもかかわらず、死刑を執行されてしまったのです(「「死刑――存廃を問う前に」(第2回):「福岡事件」死刑執行後も無実の叫び~冤罪死刑もやむなしなのか?(東京新聞3月31日付「こちら特報部」より)」(2008/04/19 [Sat] 18:10:14))。死刑を望んでいない被害者遺族の存在を無視して、「被害者遺族は死刑を望むものだ」という決め付けは止めるべきです。

冤罪によって処刑されてしまったことの不条理さ、再審がまるで認められない不合理さがある事実を十分に知ったうえで、殆ど明らかにされていない死刑執行の現実の情報開示を求めるなど、感情論を排して、冷静になって死刑制度の是非を考えることこそが、日本の市民に求められていることだと思うのです。


テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

コメント
この記事へのコメント
基本的には同感なんですが、同意は出来ないんです。なぜというに私自身がその「感」に基づいた「意(=オピニオン)」を自分が納得できる程度の論理的水準で組み上げる事が出来ずにいるからです。感情としては是であっても、理屈としては是とまではしえない感じです。

たとえば、死刑における冤罪というのは非常にシンボリックで、直感的にも「取り返しのつかなさ」加減というのが感じられますけれども、だったら冤罪でも懲役刑ならいいのかと言えば、それも違うと思うんですね。

「やってもいない罪」で刑死させられる事は理不尽の極致でありますが、それは果たして本当に「死刑」の問題なのか。この論点で「許されてならない」のは、実は「死刑」ではなくて「誤判・冤罪」と、そこからのリカバリー(再審の扱い)の問題なのではないか、ということです。

 先に判明した仙台の連続強姦事件もそうでしたけれども、その「間違えられた人」の人生を破壊してしまったこと、一市井人として暮らしていられるはずだった時間を永遠に奪ってしまったことの不可逆性という点は、刑の種別に関わらず同質と思えるからです。
 死刑反対の論拠を誤判・冤罪の問題に依拠しすぎると、仙台のケースの方に「死刑に問われるような犯罪でなくてよかったね、生きてシャバに出てこられてよかったね」と言ってしまえることになりかねない。これは間違ってます。
 また福岡事件のようなケースでも、再審の問題がクリアーされてしまったら、誤判・冤罪を死刑廃止論の論拠に持ってくる意義が大いに失われます。再審のハードルを「下げる」ことと死刑制度を廃止すること、どちらがより困難でしょう。私は後者のように思えます。

 必要なのは「死刑とは、どのような目的・効果を具有した刑罰なのか」を真正面から検討し、感情に訴える以上にロジックとして賛否を問う形にすることなのではないかと考えます。
 そして制度的側面とは別に、応報刑的な性質を有していること、それによって「善良なる世間の溜飲を下げる」効果も併せ持っていること、その「溜飲が下がること」を期待する人が、少なからずいるであろうことを織り込んだ上で考察すべきことなんだろうなぁとも思っています。
2008/07/06 Sun 21:09:56
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