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1.日経新聞(平成17年7月23日付33面)
「日記…1年1冊/手帳…頻繁に書き込み 筆跡・内容…高い整合性
富田朝彦元宮内庁長官が残した日記・手帳(富田メモ)を公表するに当たり、日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた。その結果、書き込まれていた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性は高いと判断した。
富田メモにはいくつかの特徴がある。まず日記は一部年をまたいでいるが、1年で1冊の体裁。期間は1975年から86年まで。内容は昭和天皇の言葉や宮内庁での出来事のほか、家族や友人のことなど多岐にわたり、写真や新聞の切り抜きなども数多く張り付けられている。必ずしも毎日書き続けられていたわけではなく、日付の間隔がかなり空いている部分もある。
一方、手帳は背とじの取れたものを含めると20数冊。表紙に『T・TOMITA』の名前の入った手帳が87年から97年分まで。その日の予定、出来事が小さな字でびっしりと書き込まれている。ただ、個条書きが多く、天皇の言葉を詳しく書いた部分はほとんどない。
これと様相を異にする別の手帳が87、88年の2年分ある。87年分は2つに分かれており、それぞれ5センチ近い分厚さ。88年の手帳も2冊ある。内容もそれまでの年の手帳とは一変し、毎日の出来事や出会った人物との会話、宮内庁が抱える課題などが詳しく書き込まれている。
なぜこの2年分の手帳の内容が詳しくなったかは不明だが、日記が86年で途絶えていることから、手帳が日記代わりとなったのではないかとみられる。
この2年間の手帳の特徴は書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている点。出来事や発言を手近のメモ用紙に書き込み、後で手帳に張り付けたのではないかとみられる。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示した言葉が見つかった手帳は、すべてメモ用紙を張り付けた形になっている。
その内容は手元にあるメモ用紙にことあるごとに書き込んでいたのではないかとみられ、一日の出来事すべてが書き込まれているのではないかと思えるほど詳細。一日の出来事を思い出しながら書く日記とは違い、タイムラグが少ないこの書き込みはより正確な記述といえよう。」
2.富田メモの信頼性については、「日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた」ということですから、通常なされる検証を行ったうえで、その結果を踏まえて日経新聞は、「書き込まれていた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性は高いと判断した。」のです。
特に、87年と88年の手帳は、詳しく書き込まれ、それも「書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている点。出来事や発言を手近のメモ用紙に書き込み、後で手帳に張り付けたのではないかとみられる」という特徴があったのです。
こういうメモの形をとったことで、「その内容は手元にあるメモ用紙にことあるごとに書き込んでいたのではないかとみられ、一日の出来事すべてが書き込まれているのではないかと思えるほど詳細」であったことから、通常の日記よりも、「タイムラグが少ないこの書き込みはより正確な記述」と判断できるというわけです。
日経新聞が発表したことから、富田メモを捏造したかもしれないとか、日経新聞による検証は疑わしいと思う方もいるとは思います。昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を抱いていたことにショックを受けている方は、富田メモは捏造であったと思いたい、とは思います。
しかし、富田メモについて、日経新聞は通常行われるような検証、すなわち、筆跡を分析し、第三者である現代史の専門家の意見を聞きといったことを行い、メモの信頼性は高いと判断したのです。そればかりか、特に87年と88年の手帳は、一日の出来事を詳細に書き込んだメモ用紙が張り付けられているので、より信頼性が高いと判断したわけです。
このような必要な検証を経た以上、信頼性が高いと判断したことは合理性のある判断だと思います。であれば、富田メモは、捏造ではなく信頼できるものとして、受け止めていいと思います。
そうなると、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快感に思い、「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたということも真実だと判断してよいと思います。特に87年と88年の手帳は信頼に値するのですし。
ネットでは捏造論が出回っているようですが、(報道機関で述べている)数名の専門家だけでなく、靖国問題での判断を求められる政治家(報道機関でコメントした政治家)さえも、富田メモが捏造と思っていないことも、信頼に値するかどうかの間接的な証拠といえるのではないでしょうか。
そうなると、政治問題としての首相による靖国参拝の是非、靖国神社分祀論も、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快感に思っていたことを踏まえたうえで考えるべきだと思います。日本が戦争を行ったことに深く関与したのが昭和天皇であって、重大な責任を感じておられた昭和天皇の「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という言葉は重いものだと思いますから。
<7月24日追記>
日経新聞で取り上げていた「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」について、昭和天皇の発言ではなく、藤尾元文相が参拝を中止した理由を述べた発言であるとの意見があります。
この意見について批判的検討を行っているのは、「カナダde日本語」さんの「昭和天皇のメモ、その後の雑感」です。こういった理解の方が素直な理解だと思います。
<7月29日追記>
1.多くの人が知っているとは思いますが、念のため。毎日新聞(2006年7月20日 11時37分 (最終更新時間 7月20日 14時20分))より。
■富田氏メモ靖国部分の全文■
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
2.毎日新聞(平成18年7月28日付朝刊11面)の「論点」より
「論点:『昭和天皇発言メモ』を考える」の欄での富田メモについての評価を幾つか。
(1) 保坂正康・作家
「健康に不安をもった天皇の『公式』発言 A級戦犯合祀への不満を追認するもの
このメモの靖国神社についての部分は字数にしてわずか125字程度だが、きわめて歴史的な意味をもっている。昭和天皇の個人的直話が明らかにされるのは、逝去後の『昭和天皇独白録』以来のことと思われるが、今回のこの直話はいささかの推測を重ねれば、昭和天皇自身が自らの健康に不安をもち、これだけは語っておきたいとの強い意思があったことが窺(うかが)われるのである。しかも昭和天皇は側近に対してもその職務に応じて、話す内容を変えるのだが、宮内庁長官にその意思を伝えたことは公式のものであり、いずれ明らかになったとしてもかまわないとの考えがあったとさえ思える。
一部の論者がこの富田メモについて、その信憑(しんぴょう)性を疑っているが、この125字が伝えている歴史的事実を検証すると、そういう疑い自体あまりにも史実に鈍感だということがわかる。私の見るところ、この富田メモが伝えている内容はすでに知られていることであり、ただひとつ欠けていたのは、昭和天皇自身のそれを裏付ける史料があるかないかということだった。今回のこのメモはすでに語られていることが追認されたとの意味をもっている。…
…富田メモでの昭和天皇の怒りは松平宮司の歴史観にもあるように思う。というのは、松平氏は戦犯合祀について宮司職をはなれたあとにある講演で、日本の戦争状態は1952年4月28日までのアメリカを中心とする連合国の占領下でも続いていたと自身の歴史観を披瀝(ひれき)した。したがってこの間のA級戦犯の死者(絞首刑の7人以外の7人)も戦死扱いだというのだ。東京裁判は戦時下の不当な軍事裁判ということになる。この歪んだ戦争観に、昭和天皇は怒りをもっていたことがわかる。それが『松平(注・永芳氏の父慶民氏。天皇側近)は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている』という表現である。
さらに最後の『それが私の心だ』は、天皇の怒りは頂点に達しているとの意味である。私はこの最後に記されている7文字を読みながら、天皇が2・26事件時の本庄繁侍従武官長を叱(しか)りつけた強い表現をなんども思い浮かべた。」
「宮内庁長官にその意思を伝えたことは公式のものであり、いずれ明らかになったとしてもかまわないとの考えがあったとさえ思える」ようです。こうなると、富田メモは出していけないものとまではいえないようです。大体、「メモを出すのは不見識」(平沼議員)といってみても既に出ている以上、ないものとするわけにはいかないでしょう。
保坂氏は「富田メモが伝えている内容はすでに知られていることであり、ただひとつ欠けていたのは、昭和天皇自身のそれを裏付ける史料があるかないかということだった。今回のこのメモはすでに語られていることが追認されたとの意味をもっている」と述べています。これは、後述するように、秦氏も同じことを述べています。すなわち、富田メモを「天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあった」と。
『松平(注・永芳氏の父慶民氏。天皇側近)は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている』や、『それが私の心だ』だという言葉は、聞き取りの形とはいえ、あやふやなところがなく、断定的ですから、あまりに強い表現です。「最後の『それが私の心だ』は、天皇の怒りは頂点に達しているとの意味」との理解もおかしくはないでしょう。
(2) 秦郁彦・日本大講師(近現代史)
「従来の推定裏付ける第一級の歴史資料 靖国神社は天皇参拝の中断覚悟で決断
日記は概して簡潔だが、メモは天皇の発病(87年9月)以降は病状を記録する意味もあってか詳しくなり、昭和天皇も信頼する富田氏に言い残しておきたいとの気持ちもあってか、自らさまざまな話題を取り上げ、秘話的なエピソードを含めて語っている。皇室の内情に触れた部分もあり、全面公開は無理だろう。…
…議論の的となっている富田メモの靖国部分の全文についてだが、97年に故徳川義寛侍従長の『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』が刊行されて以来、他の関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは、研究者の間では定説となっていた。徳川氏は松平永芳宮司とのやりとりを、『天皇の意を体して』とあからさまには書いていないものの、関係者や研究者はそのように読み取ってきた。
したがって、私は富田メモを読んでも格別の驚きはなく、『やはりそうだったか』との思いを深めると同時に『それが私の心だ』と昭和天皇発言の重みと言外に込められた哀切の情に打たれた。…
…また、当時の靖国神社広報課長の馬場久夫氏によると、『こういう方をおまつりすると、お上(かみ)(天皇)のお参りはできませんよ』(21日付毎日新聞朝刊)と宮内庁の担当者からくぎを刺されたという。
つまり、当時の松平宮司は天皇の内意を知らされた時、今後の天皇参拝が不能となってもかまわないと覚悟のうえで合祀に踏み切ったことになる。…」
富田メモを直接見た秦氏によると、「秘話的なエピソードを含めて語っている。皇室の内情に触れた部分もあり、全面公開は無理だろう」ということです。
この富田メモの理解については、秦氏も「関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは、研究者の間では定説となっていた」と述べています。どうやら、富田メモの靖国神社部分を「天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあった」と理解することは自然なようです。
保守側の一部の評論家(八木氏など)や一部の自民党議員が「天皇の政治利用いけない」と言っていますが、都合の良いときは天皇陛下を利用し、都合の悪いときは天皇陛下を利用しないと表明しているのではないでしょうか? この保守側の一部の評論家が、天皇陛下に対して敬意を払っているとは思えません。
少なくとも、小泉首相は天皇陛下に対して敬意を払っていないと判断できます。記者会見で「あの人が、あの方が行かれたからとか、良いとか悪いとかいう問題でもないと思う。」と言い、昭和天皇を「あの人」扱いするのですから。
この昭和天皇のメモについてはいろいろな考えがあるとは思いますが、昭和天皇がA級戦犯合祀以来、靖国参拝をしていなかったのは事実なんだし、昭和天皇がA級戦犯合祀を不快に思ったかどうかはあまり重要な問題ではないと思います。
URL | 美爾依 #-[ 編集 ]
このメモを見て、私は昭和天皇の傲慢さ、白々しさを感じました。
私は公人の靖国参拝に反対の立場ですが、昭和天皇が責任を問われず、A級戦犯となった人たちが天皇を東京裁判で庇い、死んで言ったことを考えれば、A級戦犯とその遺族の気持ちは、やりきれないものと想像します。
その忠誠心から、天皇に責任が及ばないように庇ったのにと言えないところが、このメモの真偽に疑問を呈する方の悲しいところです。なので、真偽を否定するほかない。
ちなみに、ご存知のことと思いますが、私はKiKiさんとは別人です。
URL | kiki #-[ 編集 ]
>昭和天皇がA級戦犯合祀を不快に思ったかどうかはあまり重要な問題
>ではないと思います。
もちろん、そう考えることももっともなことだと思います。
ですが、朝日新聞社が22、23の両日実施した全国世論調査(電話)によると、
「昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していた発言メモが明らかになり、首相参拝の是非を考える上で、この発言を「重視する」と答えた人は6割を超えた。」 そうです。
http://www.asahi.com/national/update/0725/TKY200607240658.html
こういう結果が出たように、多くの国民の意識に影響するほど、「重要な問題」であったともいえるのではないでしょうか?
>このメモを見て、私は昭和天皇の傲慢さ、白々しさを感じました。
>昭和天皇が責任を問われず、A級戦犯となった人たちが天皇を東京裁判で
>庇い、死んで言ったことを考えれば、A級戦犯とその遺族の気持ちは、
>やりきれないものと想像します。
う〜ん、なるほど〜。冴えてますね。確かに、傲慢で白々しいといえるかもしれません。
「なぜ昭和天皇はA級戦犯を合祀するのがおかしいと考えたのか?」について、作家・半藤一利氏は、「昭和天皇はいろいろな事情があって退位できなかった。戦争責任は法的にはなかったが、道義的責任は最後まで感じていたと思う。戦争がなぜ起きたのか、きちんとした反省がなければ平和は保てない。戦争の反省に立って平和を考えなければならないということだろう」と答えていて、さらに御厨貴・東大教授は、「徳川さんと富田メモ両方を見て思うのは、昭和天皇は東京裁判の大枠を受け入れていた。責任を取るということは決着済みで、それをあいまいにするのは嫌だった」と答えています(日経新聞7月23日付33面)。
要するに、戦争責任があったA級戦犯を合祀したら、戦争に対する反省をあいまいにしてしまう。ましてやA級戦犯を合祀した靖国神社に参拝したら、自分(昭和天皇)にもあった戦争責任さえもあいまいにしてしまうのではないか、それは絶対に許されない、と思っていたという感じでしょうか。
半藤氏や御厨氏のように考えると傲慢さや白々しさも半減するかと思います。ちょっと善意解釈すぎるのかもしれませんが(^^ゞ それでも、A級戦犯に対する冷徹さは残りますけど……。
私は、これは「逆」だと思います。
御厨「昭和天皇は東京裁判の大枠を受け入れていた。責任を取るということは決着済み」
昭和天皇が何の責任を取ったというでしょう?(笑)
彼は、米国の占領政策の下&東京裁判の枠組みの下、責任を取らなくて済んだのです。
「国民は(なぜか)天皇に総懺悔」し、彼は責任を負わず、そしてA級戦犯は東京裁判の不当性を訴えるなか、日本では戦争責任が誰にあるのかわからなくなってしまった。
責任を明確にしなかったために、今日まで尾を引いています。
(自らの免責を決定した)東京裁判を肯定する天皇が、東京裁判を否定するA級戦犯が祭られている靖国神社を参拝することは、
論理矛盾であり、ひいては自らの責任を認めることになりかねないと無意識的に考えていたと思います。
言いすぎかもしれませんが、私は、天皇を頑なに庇ったA級戦犯はある意味日本人的だと感じますが、生にすがった彼は日本人的ではないと感じます。
このテーマで、私もひとつ書こうと思ったのですが、ここにコメントさせていただくことで、満足してしまいました^^;
kikiのkは、小文字でお願いします。
URL | kiki #-[ 編集 ]
大変申し訳ありませんでした。うっかりして見間違えてしまいました。今後は気をつけます。
>私は、天皇を頑なに庇ったA級戦犯はある意味日本人的だと感じますが、
そうですね。親分(=昭和天皇)を庇って子分(A級戦犯)が責任を負うのは、日本人的ですね。
>生にすがった彼は日本人的ではないと感じます。
昭和天皇はいわば「君主」や「親分」ですから、生き残ることこそ君主・親分の務めと言えるのではないでしょうか? これもまた日本人的……、というよりどこの国でも、君主は亡命なりなどしても、生き残るものなのかもしれませんね……(^^ゞ
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