鳩山邦夫法相下での死刑執行は、昨年12月からほぼ2ヶ月間隔で執行し、4月以来4回目で、死刑が3年余りの中断後再開された1993年以降、計13人で過去最多という、異常なペースで執行しています。今回の執行で未執行の確定死刑囚は102人となりました。執行官には本人及家族に不幸がある場合とされていることからしても、鳩山法相は、死刑囚とはいえ、これだけ多数人を手にかけているのですから、「地獄行き」は間違いなさそうです。
1.まず、報道記事を幾つか。
(1) 朝日新聞平成20年6月17日付夕刊1面
「連続幼女誘拐殺人 宮崎勤死刑囚らの死刑を執行
2008年6月17日12時38分
法務省は17日、88〜89年にかけて東京や埼玉で起きた連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)について、東京拘置所で死刑を執行したと発表した。幼い子が標的にされ、被害者宅に遺骨が届けられるなどした衝撃的な事件は、発生から20年を経て刑が執行された。
宮崎死刑囚のほか、2人の死刑も同日執行された。死刑執行は、鳩山法相が昨年8月に就任して以来、昨年12月の3人、今年2月の3人、4月の4人に続いて4回目で、計13人。鳩山法相は2カ月に1度の間隔で執行命令を出し続けている。止まっていた執行が93年に再開されて以降、1人の法相のもとでの執行としては長勢前法相の10人を上回り、最多となった。鳩山法相は執行が2カ月に1度のペースで進んでいることについて「粛々と執行させていただいている。その結果が、たまたま何カ月おきという議論だ」と述べた。
宮崎死刑囚は(1)88年8月、埼玉県入間市で4歳の女児を車で誘拐し、山林で絞殺(2)88年10月、同県飯能市で7歳の女児を誘拐し、山林で絞殺(3)88年12月、同県川越市で4歳の女児を誘拐し、山林で絞殺(4)89年6月、東京都江東区で5歳の女児を誘拐し、直後に車内で絞殺(5)89年7月、東京都八王子市で6歳の女児を裸にした(年齢は当時)。
宮崎死刑囚は当初から殺害などの事実は認めていたが、公判に入って「もう1人の自分が現れた」などと述べるようになり、刑事責任能力の有無が最大の争点となった。一審段階の鑑定は、責任能力を完全に認めるものから限定的とするものまで3通りに分かれた。
97年4月の東京地裁判決は、「人格障害の範囲だった」とする鑑定を採用。責任能力があったと認定して死刑を言い渡した。二審・東京高裁も01年6月に完全な責任能力があったと認めた。06年1月に最高裁が「性的欲求を満たすための犯行だ」と述べて被告側の上告を棄却する判決を言い渡し、同年2月に死刑が確定した。
法務省によると、ほかに執行されたのは、東京拘置所の陸田(むつだ)真志死刑囚(37)と大阪拘置所の山崎義雄死刑囚(73)。
陸田死刑囚は95年12月、兄と共謀し、勤めていた都内の風俗店事務所で店長(当時33)と経営者(当時32)をナイフで刺すなどして殺害し、財布を奪った。2人の遺体をコンクリート詰めにし、茨城県の鹿島港に捨てた。
山崎死刑囚は85年11月、共犯の男と共謀し、知人の仙台市の主婦(当時49)を絞殺し、自殺に見せかけて保険金約700万円を受け取った。90年3月、別の男とともに、保険金目的で香川県の男性(当時48)の頭を鉄亜鈴で殴るなどして殺害し、遺体を高知県内に遺棄した。
死刑確定から執行までの期間は、宮崎死刑囚が2年4カ月、陸田死刑囚は2年8カ月、山崎死刑囚も3年4カ月となっており、「約8年」といわれてきた期間が大幅に短縮されたことになる。
◇
〈連続幼女誘拐殺人事件〉 88〜89年、東京や埼玉で女児4人が相次いで誘拐、殺害された事件。捜査が進展しない中、被害女児宅に「鑑定」などと書かれた段ボール箱が届いた数日後、マスコミには「今田勇子」の名で告白文と題する犯行声明が届いた。89年7月23日、宮崎勤死刑囚が強制わいせつの疑いで現行犯逮捕された。06年2月、死刑が確定した。」
(2) 東京新聞平成20年6月17日付夕刊11面
「宮崎死刑囚刑執行 謝罪なく、残るナゾ 発生20年、事件風化も
1988年から89年にかけて東京と埼玉で幼女4人を殺害し、首都圏を震撼(しんかん)させた連続幼女誘拐殺人事件での逮捕から19年。宮崎勤死刑囚(45)に死刑が執行された。刑事裁判の精神鑑定で、刑事責任能力に疑問を呈する医師もいるなど、精神状態が疑われる中での執行。鳩山邦夫法相になってから4回目、計13人というハイペースに、死刑囚と交流の会った関係者らは、衝撃を隠さなかった。
「踏み台が外されて落下する最中は恐怖のどん底に陥られる。人権の軽視になる」。宮崎勤死刑囚は2006年の死刑確定後、月刊誌「創」の篠田博之編集長に拘置所から手紙を出し、絞首刑への恐怖を訴えていた。
篠田さんは「ショックだ。まさかこんなに早いとは…。本人もこんなに早いとは思っていなかったと思う」と驚きを隠さない。
「確定死刑囚に対する影響は大きい。すごく残念なのは、死刑が執行される意味を彼がどこまで理解していたか疑問が残る点だ。罪を認めて処罰を受けるという本来の意味を持たず、抹殺したという意味しか持たない死刑執行ではないか」と、法務省を批判した。
同誌同年7月号によると、手紙は死刑確定後から5月までに、宮崎死刑囚の母親を経由するなどして5通届いた。宮崎死刑囚は「法律は残虐な刑罰を禁じている。薬で意識を失わせ、心臓を停止される方法にしなければいけない」などと書いていた。薬物使用の場合は「余裕があり、反省や謝罪の言葉を述べる確率も断然高い」とも記載している。
拘置所から出した手紙をまとめた著書「夢のなか、いまも」(創出版)では、最高裁判決を「『あほか』と思います」と批判。判決が大きく報道されたことについて「やっぱり私は人気者だ」と感想を述べた。事件については「良いことができてよかったです」と振り返るだけで、被害者や遺族への謝罪は一度もなかった。
埼玉県入間市の女児=当時(4つ)=の母親は県外に転居したが、今も同市の寺院に墓参りに通うという。おかっぱ頭の地蔵がある墓には花が絶えない。05年9月には、17回忌の法要が営まれた。生きていれば、成人していることになる。
誘拐された歩道橋近くには、事件の3年後に交番が設置された。近くの小学校の校門に残る「2人以上で帰ります」という看板が事件の風化をかろうじて押しとどめる。
東京都あきる野市にあった宮崎死刑囚の自宅は壊された。家族や親類の多くも婚約の破談、離婚、退職に追い込まれたという。父親は被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、5年後の94年11月、青梅市の多摩川に飛び降り、自殺した。
かつての自宅は、現在、駐車場となっており、その片隅には事件前から置かれていたとされる石仏がひっそりとたたずんでいる。
精神障害演じる
作家佐木隆三氏の話 1審から最高裁の死刑確定まで欠かさず傍聴したが、精神鑑定を含めて長い裁判だった。彼の犯行であることは疑いの余地がなく、刑事責任能力が争われたが、私は、精神障害を演じる詐病とみている。これほど非道な犯罪はなく、4人も続けて殺害した重みを忘れてはいけない。」
「最後まで謝罪なく 宮崎死刑囚「次は自分の番」
2008年6月17日17時0分
88〜89年に起きた連続幼女誘拐殺害事件の宮崎勤死刑囚(45)に対する死刑が17日、執行された。事件発生から20年。社会が受けた衝撃の大きさとは裏腹に、本人は公判でも最後までひとごとのようだった。刑による死を迎えた宮崎死刑囚は、その重い罪と向き合えたのだろうか。
宮崎勤死刑囚の弁護側は再審請求を準備中で、5月30日付でその旨を法務省側に伝えていた。鳩山法相は「再審準備をしているという書面は届いているが、具体的な再審請求があったわけでも、具体的な再審事由が来ているわけでもない」と述べた。
裁判や面会で宮崎死刑囚にかかわってきた人たちは、死刑確定から2年後という早い執行に衝撃を受けた。
死刑に反対する東京都内の大学の男性非常勤講師は5月27日、宮崎死刑囚と接見した。めがねをかけた宮崎死刑囚は無表情で、ふっくらとしていたが、逮捕時より髪の毛は薄くなっていた。
過去6回の接見と同じで、宮崎死刑囚が口にする言葉は、ほとんどが「うん」と「はい」だった。この日は「(他の死刑廃止運動の人たちから)連絡がない。どうしているのか」「本があるので、帰りに受け取ってほしい」と話した。
接見は17分間。最後に宮崎死刑囚は「今度、いつ来ますか」と男性に尋ねた。男性が急いでいるのかと聞くと、「そうではない」。男性は、6月中に再び来ると伝えた。宮崎死刑囚は何も言わなかった。そして立ち上がり、部屋を出て行った。受け取る本はこの日、間に合わず、次回の接見で受け取ることになっていた。宮崎死刑囚は裁判の話よりも、マンガの差し入れの方に関心を示していた。「自分が置かれている状況を最後まで認識していなかったのではないか」
一方で宮崎死刑囚は昨年6〜9月、計4回にわたって複数の弁護士に手紙を出していた。「○○死刑囚の二の舞いにならないように、再審請求の代理人になってほしい」「次は、自分の番だ。名前を借りるだけでもいいので、恩赦代理人になってほしい」などと恩赦や再審請求を求めるものだったという。
宮崎死刑囚と何度も面会し、数百通の手紙をやりとりしてきた月刊「創」の編集長、篠田博之さんは「まさかこんなに早いとは。本人も予想していなかっただろう」と話した。
宮崎死刑囚からの手紙は、食べたものや聞いたラジオなど近況報告がほとんどだった。最後に面会したのは07年3月。「以前から幼児を殺害した理由として『祖父をよみがえらせるためだった』と話していたが、一貫して変わらなかった。自分が犯した罪と死刑確定という状況をどこまで理解していたか疑問だ」
宮崎死刑囚は幻聴がひどくなっていた。篠田さんに「えたいのしれない人間が襲いに来る」と訴えたという。「絞首刑は残酷だから別の方法に変えるべきだ」と言うこともあった。
宮崎死刑囚は最後まで事件への反省や遺族への謝罪の気持ちを表さなかった。篠田さんは「罪を償わせるという死刑本来の機能が不全になっている。ただ、宮崎勤という人間を抹殺したにすぎない」と指摘する。」
イ:宮崎死刑囚の場合、再審請求をする旨を法務省に伝えていたのにもかかわらず、執行していまいました。
「宮崎勤死刑囚の弁護側は再審請求を準備中で、5月30日付でその旨を法務省側に伝えていた。鳩山法相は「再審準備をしているという書面は届いているが、具体的な再審請求があったわけでも、具体的な再審事由が来ているわけでもない」と述べた。」(朝日新聞)
このように再審請求をする前にいち早く執行してしまうという法務省の態度は、まるで「福岡事件」のようです(「「叫びたし 寒満月の割れるほど」2008(上):冤罪なのに死刑が執行された「福岡事件」のことを知っていますか?〜東京(6月14日)でシンポジウムを開催」(2008/06/15 [Sun] 10:54:50)参照)。 死刑執行の場合、処刑されてしまえば、本人には再審請求による利益を受けることが全く不可能になります。こうした、実質的に再審請求権を奪うような執行は、妥当性を欠いているというべきです。
刑事手続きについて全くよく知らない作家佐木隆三氏は、「刑事責任能力が争われたが、私は、精神障害を演じる詐病」だという判断を示しています(6月17日のテレビ出演では、「死体の隠し場所につき、嘘をついたから詐病だ」としていますが、精神障害とは無関係の事実で詐病と判断している点に、佐木氏の問題点があります。)。しかし、1審段階の鑑定は、責任能力を完全に認めるものから限定的とするものまで3通りに分かれていました。
責任能力の判断方法・結果についても、現在の最高裁の判断方法に照らすと問題が残るように感じますから、責任能力の点は判断を行う方が妥当だったはずです。再審請求をする意義はあったはずですが、処刑によりその意義は失われてしまいました。
ロ:宮崎死刑囚の場合、死刑を執行して意味があったのだろうかと思います。
「篠田さんは「ショックだ。まさかこんなに早いとは…。本人もこんなに早いとは思っていなかったと思う」と驚きを隠さない。
「確定死刑囚に対する影響は大きい。すごく残念なのは、死刑が執行される意味を彼がどこまで理解していたか疑問が残る点だ。罪を認めて処罰を受けるという本来の意味を持たず、抹殺したという意味しか持たない死刑執行ではないか」と、法務省を批判した。」(東京新聞)
「接見は17分間。最後に宮崎死刑囚は「今度、いつ来ますか」と男性に尋ねた。男性が急いでいるのかと聞くと、「そうではない」。男性は、6月中に再び来ると伝えた。宮崎死刑囚は何も言わなかった。そして立ち上がり、部屋を出て行った。受け取る本はこの日、間に合わず、次回の接見で受け取ることになっていた。宮崎死刑囚は裁判の話よりも、マンガの差し入れの方に関心を示していた。「自分が置かれている状況を最後まで認識していなかったのではないか」」(朝日新聞)
宮崎死刑囚の場合、「自分が置かれている状況」を認識しておらず、いまだ死刑の意味もよく分かっていないようです。死刑の意味が分からず、事件に対して何も向き合うこともない精神状態では、死刑を執行したところで意味があるとは思えません。単に、 「抹殺したという意味しか持たない死刑執行ではないか」というだけです。
ハ:注目しておくべき点は、被害者と、宮崎死刑囚の家族や親類の行方です。
「埼玉県入間市の女児=当時(4つ)=の母親は県外に転居したが、今も同市の寺院に墓参りに通うという。おかっぱ頭の地蔵がある墓には花が絶えない。05年9月には、17回忌の法要が営まれた。生きていれば、成人していることになる。
誘拐された歩道橋近くには、事件の3年後に交番が設置された。近くの小学校の校門に残る「2人以上で帰ります」という看板が事件の風化をかろうじて押しとどめる。
東京都あきる野市にあった宮崎死刑囚の自宅は壊された。家族や親類の多くも婚約の破談、離婚、退職に追い込まれたという。父親は被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、5年後の94年11月、青梅市の多摩川に飛び降り、自殺した。
かつての自宅は、現在、駐車場となっており、その片隅には事件前から置かれていたとされる石仏がひっそりとたたずんでいる。」 (東京新聞)
被害者及びその遺族は傷つけられたわけですが、加害者側の家族や親類も傷つけられたのです。一般市民の側は、被害者だけでなく、加害者家族を破滅に追い込むことをしているように思うのです。その点に対する反省はしているのでしょうか。
3.今回の死刑執行に対しては、批判する声明があがっています。
(1) 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本(2008年6月17日)
「日本支部声明 : 死刑の執行に抗議する
本日、3人の死刑確定者に対して死刑が執行された。執行されたのは、東京拘置所の宮崎勤さんと陸田真志さん、大阪拘置所の山崎義雄さんである。
従来と同様に今回の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然の執行となった。今回の執行でも、執行後に昨年12月の執行以来4回目となる死刑囚の氏名および罪状の公開が行われた。しかしそれ以外の情報は一切公開されていない。死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていない。
今回の執行は前回の執行から約2カ月後に行われたものであり、日本が大量処刑への道を進めていることの証である。日本で死刑執行が増加していることに対し、アムネスティ・インターナショナルは深い失望と、極めて重大な懸念を表明する。
宮崎さんも陸田さんも、判決確定から執行までの期間は2年半あまりで、従来になく、早い執行ペースである。山崎さんに関しては、第一審では無期懲役の判決が出ていたものが、高裁で逆転死刑判決となっている。全体的に、厳罰化に向かう日本の風潮が現れた今回の死刑執行である。
人間の最も基本的な権利である生きる権利を奪う死刑という制度は、人権を保障すべき現代の刑事司法にあっては、存在してはならない。日本政府には、最大限の努力を払って、死刑に頼らない刑事司法制度を構築すべき国際的な義務がある。
国際社会では既に137カ国が法律上又は事実上、死刑廃止を達成している。昨年12月には全国連加盟国の死刑廃止を念頭に置いた死刑執行停止を求める決議が採択されるに至っている。死刑廃止が明らかな世界的な潮流となっているなか、日本政府はこの流れに逆行し、他の57カ国と共同して総会決議に対抗するための口上書を提出した。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、自由権規約)の締約国である日本政府のこうした行動は、同規約6条6項が禁じている「死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために」同規約を援用しているといわざるを得ない。
先般、国連人権理事会で日本の人権状況が審査されたが、各国代表から死刑執行の停止の検討や死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定を尊重するよう厳しく申し入れられたにもかかわらず、日本政府は、審査の段階で死刑の廃止ないし執行の停止の余地はないと述べ、6月の報告書採択に際しては、将来の批准を検討する条約のうちから死刑廃止を目指す自由権規約第二選択議定書を明示的に除外した。その直後に、国際社会に見せつけるかのように死刑を執行したことは、世界に逆行する日本政府の頑なな態度を際立たせている。
本年10月には、自由権規約に関する第5回政府報告書が自由権規約委員会によって審査される見通しである。死刑をめぐる日本政府のこうした態度は、極めて厳しい追及を受けることになるであろう。
日本政府が、一刻も早く人権の原則に立ち戻り、死刑の執行を停止し、近い将来に全面的に廃止することを、アムネスティは強く期待するものである。
2008年6月17日
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本」
イ:アムネスティ・インターナショナル日本は、多くの問題点を指摘してます。
「従来と同様に今回の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然の執行となった。今回の執行でも、執行後に昨年12月の執行以来4回目となる死刑囚の氏名および罪状の公開が行われた。しかしそれ以外の情報は一切公開されていない。死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていない。」
死刑制度の存続を認め、その制度は生命を奪うという究極の人権侵害である以上、国家権力への監視の観点からしても、死刑囚及び国民に対して、死刑に関わる多くの情報をすべて公開すべきです。アムネスティ・インターナショナル日本の指摘は極めて妥当です。
ロ:今後、国際的な批判が高まることが予想されることも指摘しています。
「国際社会では既に137カ国が法律上又は事実上、死刑廃止を達成している。昨年12月には全国連加盟国の死刑廃止を念頭に置いた死刑執行停止を求める決議が採択されるに至っている。死刑廃止が明らかな世界的な潮流となっているなか、日本政府はこの流れに逆行し、他の57カ国と共同して総会決議に対抗するための口上書を提出した。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、自由権規約)の締約国である日本政府のこうした行動は、同規約6条6項が禁じている「死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために」同規約を援用しているといわざるを得ない。
先般、国連人権理事会で日本の人権状況が審査されたが、各国代表から死刑執行の停止の検討や死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定を尊重するよう厳しく申し入れられたにもかかわらず、日本政府は、審査の段階で死刑の廃止ないし執行の停止の余地はないと述べ、6月の報告書採択に際しては、将来の批准を検討する条約のうちから死刑廃止を目指す自由権規約第二選択議定書を明示的に除外した。その直後に、国際社会に見せつけるかのように死刑を執行したことは、世界に逆行する日本政府の頑なな態度を際立たせている。
本年10月には、自由権規約に関する第5回政府報告書が自由権規約委員会によって審査される見通しである。死刑をめぐる日本政府のこうした態度は、極めて厳しい追及を受けることになるであろう。」
日本は、自由権規約を締結しているのに、「6月の報告書採択に際しては、将来の批准を検討する条約のうちから死刑廃止を目指す自由権規約第二選択議定書を明示的に除外」するという奇妙な態度をとっていたようです。「その直後に、国際社会に見せつけるかのように死刑を執行したことは、世界に逆行する日本政府の頑なな態度を際立たせている」といえます。これでは、日本は自由権規約を履行する意思がないと受け取られることは確実です。
日本は、死刑の情報公開さえもせず、ますます法を遵守しない国であると国際的な批判を受けることは必至であり、「自由権規約に関する第5回政府報告書が自由権規約委員会によって」なされる審査では、「極めて厳しい追及を受ける」ことになりそうです。
(2) 毎日新聞 2008年6月17日 20時08分
「死刑:3人執行、廃止議連や人権団体の抗議表明相次ぐ
鳩山邦夫法相の下で4回目となる3人の死刑執行に対し、「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)や、アムネスティ・インターナショナル日本など人権団体は17日、相次いで抗議を表明した。
議員連盟は東京都内で会見。亀井会長は鳩山法相が昨年12月以来、ほぼ2カ月おきに死刑を執行していることについて「ベルトコンベヤーに乗せる感覚で執行していく異常事態。執行は治安を守る上で何の抑止力もない」と批判した。
また、事務局長の保坂展人衆院議員は、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の死刑執行と東京・秋葉原の17人殺傷事件を関連づけて、「世に知らない人のいない死刑囚の執行は、秋葉原の事件に対する法務当局の反射効果ではないかと想像している」と述べた。
日本弁護士連合会は「半年余りで13人もの大量の死刑執行が行われた。政府に対し、死刑制度の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行うまでの一定期間、執行を停止するよう重ねて強く要請する」とする宮崎誠会長の声明を出した。
鳩山法相は昨年12月から4回にわたり計13人の死刑を執行。93年3月の執行再開以降の法相では最も多い執行数となった。【石川淳一】
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毎日新聞 2008年6月17日 20時08分」
鳩山法相及び法務省の意向は、保坂展人衆院議員の言うとおりでしょう。
「事務局長の保坂展人衆院議員は、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の死刑執行と東京・秋葉原の17人殺傷事件を関連づけて、「世に知らない人のいない死刑囚の執行は、秋葉原の事件に対する法務当局の反射効果ではないかと想像している」と述べた。」
死刑の判断基準からすれば、秋葉原無差別殺傷事件の容疑者は死刑になり得ることは確実ですから、いま「みせしめ」のように、死刑を執行したところで何の意味もありません。事件が起きれば厳罰化しか頭になく、「みせしめ」をすれば犯罪を抑止できるとでも言いたいような、極めて短絡的で幼稚な発想には失望感でいっぱいです。
秋葉原殺傷事件から学ぶことは、死刑執行という「みせしめ」ではなく、犯罪の動機・背景を探るという冷静さが求められているということなのです。
加藤容疑者に関しては事件直後、所謂「オタク」趣味の持ち主である由の情報も流れましたから、恐らくは保坂代議士の想像するような背景(アキバ系「虞犯のおそれあり」青少年への見せしめ)は、あるのでしょう。そんな「見せしめ」になんらかの「効果」があるのか、甚だ疑問ですけども。
なお、私自身の死刑制度についての立場は、敢えて命名すれば「消極的容認」です。
応報的側面からではなく、高い再犯リスクのある危険な人物を社会から絶対的に「隔離」する刑罰として死刑を位置づけるならば、その必要性は是とするところであります。
しかし、「社会からの絶対的隔離」の目的は終身刑で果たせますから、必ずしも死刑制度は存続させるべきものとも思いません。
ただ、制度論的に言えばそうなのですが、死刑には報復感情を充足(被害当事者だけでなく、世間一般も)させる性質もあるわけで、この感情的側面からの「意義」を否定するのは、中々簡単なことではないと感じます。
宮崎死刑囚に関して『「自分が置かれている状況」を認識しておらず、いまだ死刑の意味もよく分かっていないようです。(中略)単に、 「抹殺したという意味しか持たない死刑執行ではないか」というだけです。』は、まったく同感。
これでは、人をかみ殺した犬を殺処分にするのと択ぶところがありません。究極の峻厳なる刑罰たる死刑の意義に悖ります。
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宮崎勤さんが起こした事件ですが、鑑定の結果が三通りに分かれました。その中で恣意的に一番死刑にしやすい鑑定結果を採用。無理やり死刑判決を下し、そして即、処刑してしまいました。弁護側が再審を請求するのは当然ですし、まして精神科医の治療を受けていたのですから、こういった状況下での死刑執行というのは蛮行というほかありません。
犯罪に対しては、何で犯罪が発生したのかその真相をつきとめ、犯罪を防ぐためにはどうすればいいのかを考えるのが筋だと思います。彼を無理やり死刑にしたことで、事件の真相が永遠に闇の中に葬り去られてしまいました。こういったことを考えると死刑制度というのは、残酷で野蛮なだけで、犯罪に対してもデメリットしかないように思います。
ちなみに「みせしめ」というのは、非民主的な国家において、国家権力が国民に対して威信を示すために、国民に対して権威を威嚇するために行っていることです。「みせしめ」というのは、国家権力による犯罪行為であり、民主主義への挑戦です。絶対に許されません。
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>一人の法相が立て続けに13人の執行を命じたことの異常性
鳩山法相は2ヶ月おきではなく、「毎月でも執行したい」と法務省へ要求している、との話もあるようです(テレビ報道)。もう処刑マニアですね。
>制度論的に言えばそうなのですが、死刑には報復感情を充足(被害当事者だけでなく、世間一般も)させる性質もあるわけで、この感情的側面からの「意義」を否定するのは、中々簡単なことではないと感じます。
死刑存続の理由としては、日本では感情論が根強いため、惰眠さんが仰るように、「感情的側面からの『意義』を否定するのは」「簡単」ではないですね。
しかし、本来は、感情論は克服すべきことですが。
被害者遺族の感情は、金銭的のみならず精神的にも手厚いケアを行うことで癒される方向へなるため、被害者への充実したケアで克服可能です。諸外国ではほぼ実行済みなのですが、日本では全く不十分です。
社会的な報復感情の克服については、凶悪事件が増えていないのに、体感治安だけが悪化して不安がっている今の愚かしい状態からの脱却がまず必要です。凶悪事件が増えていないという事実を冷静に把握してもらうというだけのことなのですが、これも教育の一つなのかもしれません。もちろん、社会不安の背景は経済的な要因があるわけですが。
そして、「殺人に対しては死刑が当然で、正義」を唱え続けた被害者(例えば本村氏)の言動が、法律的にはまるで間違っていることばかりだったと、理解できるほどの法教育を行うことも必要です。さらには、殺人に対しては死刑ですっきりしたところで意味がなく、「なぜ殺人が行われたのか」という点こそ大事なことである、という考える態度を身につける必要があります。
どれをとっても、考えることをしなくなり、感情論だけで語るようになった日本人には難しいことばかりですが。
>宮崎勤さんが起こした事件ですが、鑑定の結果が三通りに分かれました。その中で恣意的に一番死刑にしやすい鑑定結果を採用
本当のところは、宮崎勤氏の責任能力はどうだったのでしょうね。誰しも、宮崎勤氏の言動は到底正気なものとは思えず、「おかしかった」と分かっているはずです。それなのに「おかしくない」という判断はどうにも、ちょっとね。
>犯罪に対しては、何で犯罪が発生したのかその真相をつきとめ、犯罪を防ぐためにはどうすればいいのかを考えるのが筋だと思います。彼を無理やり死刑にしたことで、事件の真相が永遠に闇の中に葬り去られてしまいました。
まさにその通りだと思います。裁判ででてくる事件の真相はごく一部にすぎず、もっと宮崎勤氏に語らせるべきでした。宮崎氏の人権保障というよりも、犯罪防止につなげるために生きてもっと役立てるべきだったと思うのです。
>「みせしめ」というのは、非民主的な国家において、国家権力が国民に対して威信を示すために、国民に対して権威を威嚇するために行っていることです。
確かに「みせしめ」は非民主的な国家で行う行為ですね。秋葉原事件が起きたからこそ、「みせしめ」で死刑を執行したのだろうと、誰もが感じるのですし。
日本では民主主義国でありながら、「みせしめ」で恣意的に執行していると、全世界に見せ付けたのですから、ますます日本は、民主主義が未熟な国という評価になりそうです。鳩山法相は、頭の中は蝶ばかりで、国際社会からの目というものはまるで考えていないのでしょうけどね。
仰るとおりです。容易ならざることでもありますが。
F.ベーコンの「Revenge is a kind of wild justice,which the more man's nature runs to, the more ought law to weed it out.」の言葉は、とても重いと感じます。
そこで、まず「感情論」に関して一点。
感情と言うのは、人間の行動を動機付けるものとして非常に「爆発力」「瞬発力」があります。それが負の感情であればあるほど。
教育による知識や理性の涵養は、感情の起爆を抑制する有力な手段ですが、理性が感情に押し負けることもまた、往々にして見られる現象です。
「感情」に最も有力に対抗できるのは、別の「感情」じゃないかな、と言う気がするのです。例えば「倫理」と結びついた、自身の尊厳感情や名誉感情。倫理に悖る行動を己が採ることによって、己自身を卑しめることを厭う感情、ですね。
公教育の場面において所謂「道徳」や「倫理」が、小国民教育下の「修身」の系譜として扱われ、強い警戒感を持って遇されてきたことは不幸ではないでしょうか。
英語文化圏では今もって「You should be shamed」は強い非難の言葉ですが、今の本邦において「恥を知れ」に、どれほどの説得力があるか。
自身の尊厳性を自己承認できなくなると、あるいは他者との関係においてそれが確認できなくなることは、「人倫に悖る振る舞い(≒恥ずべき行い)」への歯止めが失われることとほぼ同義ではないかと感じます。
二点目は、本村氏の名前がでたことにかこつけ、ある時期、氏が公言したこともあるやに聞く「もし被告人が死刑にならず社会に戻ってきたならば、自分の手で処刑する」的な発言に関連して。
先の長崎市長射殺事件判決の折にも示した考え方に基づくのですが「制度防衛」の観点から、こうした動機での犯罪は、通常の怨恨を動機とする殺人よりも、ひときわ重く量刑しなければならないと、私は考えます。
一度法定の処罰を受け、社会復帰することを法が認めた人物に「私刑」で「処罰」するのは、構図としては法制度の否定と等価だからです。
高裁の仮処分決定を公然無視したプリンス高輪も、この図式に照らせば、極大の非難に晒されるべきであると言えます。
>社会不安の背景は経済的な要因がある
ありますね。それも、かなり大きな要因として存在していると思います。
一頃の総理大臣(と政権与党)がしきりに喧伝した「格差は悪ではない」はトンデモナイ話で、経済格差がいずれ子女教育格差へと波及し、その教育水準の格差が再び労働経済での格差に再帰することで、貧富格差の(拡大)再生産が不可逆的に進行する。
それは当然に社会不安の増大、不寛容の蔓延の原因ともなるわけで、人倫の問題を切り離したとしても、社会全体の「安全保障」を損なわせ、社会防衛のための「コスト」の増大を招来する、負の循環にはまり込む天下の大失政と断じていいかと考えます。
こうした状況下で、コスト負担を極小に保ったまま「対策」を打とうとすると、それは例えば「見せしめ処刑」のようなものになるのかもしれないな、と言う気がしています。
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>「感情」に最も有力に対抗できるのは、別の「感情」じゃないかな、と言う気がするのです。例えば「倫理」と結びついた、自身の尊厳感情や名誉感情。倫理に悖る行動を己が採ることによって、己自身を卑しめることを厭う感情、ですね。
そうですね。名誉感情に訴えるのは意義あることでしょうね。以前、日本国憲法前文で「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言しているではないか、と書いたことがあります。どれほど効果があるのか、分かりませんが。
>二点目は、本村氏の名前がでたことにかこつけ、ある時期、氏が公言したこともあるやに聞く「もし被告人が死刑にならず社会に戻ってきたならば、自分の手で処刑する」的な発言に関連して。
>先の長崎市長射殺事件判決の折にも示した考え方に基づくのですが「制度防衛」の観点から、こうした動機での犯罪は、通常の怨恨を動機とする殺人よりも、ひときわ重く量刑しなければならないと、私は考えます。
>一度法定の処罰を受け、社会復帰することを法が認めた人物に「私刑」で「処罰」するのは、構図としては法制度の否定と等価だからです
「制度防衛」の点は別としても、自力救済を禁止して民事裁判・刑事裁判制度が存在するのです。それなのに、裁判外で勝手な行動をし、裁判結果を無視することは、裁判制度、ひいては司法権という統治機構への挑戦ですから、極めて悪質です。重く処罰すべきですね。
そんなことを書いていたら、「重く処罰するなんておかしい」とか、「本村さんが殺人を犯したりしないように、光市事件の被告人を死刑すべきだ」というコメントが寄せられたことがあります。裁判って何か分かっているのだろうか、被害者遺族の感情論で、法制度としての死刑か否か決めていいのか、被害者遺族がいない場合にはどうするのかなどと、唖然としましたが。
非公開コメントですので、修正した形で引用します。
>昨夜、下記の某所で暴走気味のコメントをしたのですが、当エントリーのテーマにも関連しているので、紹介します
非公開コメントさんのコメントに関連するエントリーは、「朝日新聞「素粒子」欄による「死に神」表現に、鳩山法相が抗議〜誰もが死刑を軽くみてませんか? 6月17日は「福岡事件」の死刑囚が冤罪で処刑された日だと知らないのですか?」(2008/06/22 [Sun] 20:05:49)ですね。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1224.html
非公開コメントさんのコメントを見ることなく、このエントリーをアップしたのですが、非公開コメントさんの意見と同意見ですし、非公開コメントさんの意見の方が妥当だと思います。それなのに、非公開コメントさんは袋叩きにあっている様相で、誠に気の毒です。
ブログのエントリーも、「素粒子」の全文を読んで理解していないという愚かな態度ですし、ほとんどのコメントが、ブログ主も含めて感情論で暴走しているように思います。あのブログは、少しも法律論を説く場所になっていないのですから、当然かもしれませんが(苦笑)。
死刑囚の人権・人格を抹殺する究極の行為が死刑執行です。それなのに、鳩山法相は自らの命令で処刑しておきながら、「死刑囚だって人権も人格もある」だなんて言うのですから、鳩山法相の方が「自分がやっていることがわかっていない」のです。朝日新聞よりも、鳩山法相の発言の方が妄言です。
あのブログ主は、鳩山法相と同様、死刑囚の人権・人格を抹殺する究極の行為が死刑執行であるということが理解できていないようです。
あのブログのエントリーは、感情論で死刑問題を語っている愚かさの象徴であるように思いました。
ところで、上記春霞さんのコメント、気分がすっと致しました。
>・・・正義」を唱え続けた被害者(例えば本村氏)の言動が、法律的にはまるで間違っていることばかりだったと
全くもって、心から同感します。円さんが、春霞さんを評して「潔い」と言われましたが、実に、歯に衣着せぬ潔い姿勢と正論は、滅多に無いものです。
それにしましても、残り僅かになった国会会期中に敢えて執行命令する法相も法相なら、国連からの勧告に死刑執行で反発してみせる政府にも、おぞましさを禁じえません。
>円さんが、春霞さんを評して「潔い」と言われましたが、実に、歯に衣着せぬ潔い姿勢と正論は、滅多に無いものです
高く評価して頂き、ありがとうございます。
>実に、歯に衣着せぬ潔い姿勢と正論は、滅多に無いものです
法律論は白黒はっきりさせるものですから、その姿勢で書いているわけですが……。なかなか、「歯に衣着せぬ潔い姿勢」は難しいのでしょうね。
>残り僅かになった国会会期中に敢えて執行命令する法相も法相なら、国連からの勧告に死刑執行で反発してみせる政府にも、おぞましさを禁じえません
同感です。
鳩山法相にしても日本政府にしても、そこまでして生命を奪う死刑執行に固執するのか、どうにも解せません。処刑を連発しさえすれば、犯罪を抑制できるという妄想にでも囚われているのかもしれません。
結局、なりゆきでブログをはじめてしまいました。
こちらもお暇なときにでも、ご笑覧頂けたらと思います。
>先日、私の発言をご笑覧頂きたいというつもりで、非公開コメントをした者です。
コメントありがとうございます。
某ブログでのtmxさんのコメントは、特に問題がないと思いましたが、なぜだか問題視されてしまってましたね。妙なことです。
>結局、なりゆきでブログをはじめてしまいました
ブログ開設おめでとうございます。切っ掛けがなんであれ、いいことだと思います。少し遅くなりましたが、コメントさせて頂きました。これからも宜しくお願いします。
いつもこっそりと(笑)拝見させていただいております。
今回の死刑執行については(特に宮崎死刑囚について)その責任能力に甚だ疑問を持っておりました…
とりあえず、TBさせていただきましたのでよろしくお願い致します。
>いつもこっそりと(笑)拝見させていただいております。
ありがとうございます。全然、こっそりでなくて構いませんので、これからも宜しくお願いします。
>今回の死刑執行については(特に宮崎死刑囚について)その責任能力に甚だ疑問を持っておりました…
確かに、責任能力に疑問があったと思います。
宮崎死刑囚の行った事件は、よく分からないことばかりでした。おそらくは、精神状態に問題があったからだと思いますが、しっかり治療させて、十分に本人に犯罪の動機など説明させるべきでした。そうすれば、今後の犯罪予防に繋がったはずです。将来における犯罪予防の手がかりを断ち切った判断は、実に軽率なものだったと思います。
もっとも、鳩山法相は、犯罪が起きると「厳罰化」を叫び、「正義として処刑した」などと平気で言ってしまうほど無邪気なのですから、軽率な振る舞い・言動は今に始まったことではないのですが。
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